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2006年9月の23件の記事

2006/09/30

新しいプリンターが決まらない

 少し前に手持ちのプリンターが壊れた。いま、新しく買うプリンターを検討中なのだがなかなか決まらない。

 そんな時、トラックバック先のブログを見て 「ん~、的確に問題点を指摘しているな~」 と感心してしまった。
そうなのである。プリンターを正常に維持するためにはけっこうな費用と労力を要するのである。インクジェットプリンターの場合、インク詰まりによる印刷不良は日常茶飯事であり、その修正にかかるコストと手間は馬鹿にならない。小林啓倫氏が言われているように、プリンターメーカーは収益の向上ばかりを考えずに、メンテナンスフリーを考える時期に来ていると思われる。

 2chを読んでいると、「印刷ヘッドのクリーニングのために高価なインクを大量に消費をしてユーザーにインクを買わせようとしている」、「一週間使わないでいると確実に印刷ノズルのどこかがつまる」、「エプソンは使用不可になったインクカートリッジに大量にインクを残している」 などなど、多くの不満が見られる。
プリンターにおけるビジネスモデルが、インクや印刷用紙で利益を稼ぐ方法を取っているので、消耗品であるインクが日常の感覚からいえばかなり高価に売られている。
また、よりクオリティの高い製品を提供しようとする技術偏重の考えにより、1~2年ごとに使えるインクカートリッジが変わっていく。コストを抑えることを考えれば、タンクを共通部材にしたほうが設備投資も少なくなるはずである。将来的な技術進歩を考えずに製品を考えているためにユーザーに余計な負担をかけているように思う。

 技術的には可能であるが、それをやってしまうとユーザーが製品を買い換えなくなってしまい、結局物が売れなくなってしまう、ために製品しないことはよくある。私も製造業に携わっていたため、すぐにそういう風に考えるようになる気持ちもわかる。しかし、今はそんな製品を作る企業側の論理が通用しない時代になっている。

 真にユーザーの負担を減らすようなプリンターが発売されることを切に願うばかりである。

追記:

プリンターを買いました (Canon PIXUS iP7500)

プリンター iP7500 使用レポート

プリンター iP7500 光沢紙比較レポート (前編)

プリンター iP7500 ICMを使った印刷 (前編)

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2006/09/29

サポート面白話

 ソフト会社に勤めていた頃、サポートチームと交流があり、ずいぶんと面白い話を教えてもらった。その顧客としたら、「面白がるとは何事か!」 とおしかりを受けそうであるが、思わず笑ってしまうのだから仕方がない。今回はそんな話である。

 ケース1
ユーザー 「なんかこのソフト、スムーズに動かなくなったんですよ。クリックしても画面が変わるまですごく待たされるようになって・・・。」
サポート 「後ろでなにか動いていませんか?」
ユーザー 「えっ Σ(・ω・ノ)ノ (後ろを振り向く)。子供が走り回っているんですけど、何でわかったんですか?」
サポート 「・・・・・」
---------------
解説: 「後ろで動く」という表現に問題。「お使いのソフトと同時になにか別のソフトを使っていませんか?」といった説明をすべきである。

 ケース2
サポート 「でわ、プリンターの絵がかいてあるボタンの上にマウスをもっていってください。」
ユーザー 「もっていきました。」
サポート 「そこで、マウスの左のボタンを一回押してください。」
ユーザー 「押しました。」
サポート 「画面になんと表示されましたか?」
ユーザー 「あの~、マウスが邪魔で画面に何が書いてあるか見られません。」
サポート 「・・・・」
---------------
解説: 「マウスをもっていく」という表現に問題。使い慣れた人ならば マウス=ポインタ と理解することができるが、パソコンに詳しくない人だとマウス=手にもっているマウス本体 と理解してマウス本体をモニター上に宛ててしまう。

 ケース3
ユーザー 「最近、ソフトがよく反応しなくなるんですよ。クリックしてもうんともすんとも言わなくて・・・」
サポート 「ん~・・・。もしかしたら環境がよくないのかもしれませんね~。」
ユーザー 「いや~、東南角部屋のいい環境なんですけどね~。あっ、もしかしたら、今家の前の道路を工事しているからそのせいですかね~?」
サポート 「・・・・」
---------------
解説: パソコンに詳しくない人に “環境” といえば真っ先に思い浮かべるのは、パソコンが置いてある部屋とか家の立っている周りの状態、であろう。

 ケース4
サポート 「それでは、画面の右上にある下向き三角のボタンをクリックしてもらえますか?」
ユーザー 「〇※★◎¥♂♀£〒‰¶§×・・・・・」
サポート 「あわてなくても大丈夫ですよ~。作った文章はちゃんと残っていますから。左下のほうに小さな横長の四角が見えますか?その中の上向き三角のボタンをクリックしてみてください。確認できましたか~。」
---------------
解説: 今となっては見る機会のない Windows 3.1 の頃の話である。下向き三角は“最小化”、上向き三角は“最大化”のボタンのことである。当時は画面解像度が 640x400 (NEC PC-9801) とVGA以下であったため、ほとんどのケースでアプリケーションを最大化して使っていた。また、他のアプリケーションに切り替える場合は、ほとんどの場合、今使っているアプリケーションを最小化していた。
このユーザーはMS-DOSから移行してきて間もなかったため、複数のアプリケーションを同時に使えることを知らなかったようである。

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2006/09/28

水戸黄門

 日本人は、水戸黄門が好きらしい。もちろん、テレビ番組の水戸黄門である。それと、ドラえもんも好きらしい。
ドラえもんはおいとくとして、水戸黄門、大岡越前、暴れん坊将軍、桃太郎侍、どれも権力者が自らの政権の不正を暴いていくドラマである。共通するのは、強い権限を持ち悪事を働く人間(たち)が、権力はないがルールを守って慎ましやかに生活する人間をあの手この手で苦しめる構図にある。そして、主人公(たち)は、自らのより強い権力と武力によって悪事を働いているとされる人間達を、独善によって極刑に処していく。
そして、強大な武力を背景に弱いものを守っていくという構図は、ドラえもんにも当てはまると思っている。

 私もこれらの番組を見て、ある種の爽快感を感じることができる。その一方で、それよりも大きな不快感を感じるようになったのはもうずいぶんと前のことである。
どういう不快感かというと、
 「お上は常に民衆を見ていて、弱くとも正しく生きているものを助け、内部の不正なことを働くものをきちんと処理していきます。」
という意識を見ている人たちに植え付けようとしているのではないかという不快感。たとえが悪いが、戦前の 「鬼畜米英」 報道にも似た不快感を感じるのである。

 現在の日本の社会システムを見れば明らかなように、日本における強い権力をもっている政治屋や高級官僚は、簡単に不正を働く。そして、今の日本では、政治屋や特に官僚に責任を取らせる有効なシステムがほとんどない。年金が資金不足に陥っても誰も責任を取らず、出生率が恣意的に与党や省庁に有利に発表したことがばれても誰も責任を取らず、貴重な高松塚古墳の壁画が人災により失われようとしていること、そしてその事実を隠蔽しようとしてきたことに対しても誰も責任を取らない。日銀総裁が株により多額の利益を享受してもなんらペナルティーを科せられないでうやむやにしていく。そういえば、小泉が北朝鮮から帰ってきたときにお土産として持ち帰った大量のマツタケはどこにいったのだろう?
そんな権力者達をどうして信じられようか? 少なくとも私は彼らのやることをノーチェックで信じることは出来ない。

 しかし、水戸黄門他は 「じっと耐え忍んでいけば、いつかお上が助けてくれる」 と思い込ませようとしているのではないかとどうしてもかんぐってしまう。そんなことあるはずもないのに。
自分の身は、自分で守るしかないのである。そして 今のお上=権力者達 は、少なくとも今の日本では “公僕” であり私たちの支配者ではない。彼らをわれわれ一般市民が監視をしなくてはいけないのである。きちんと公に奉仕をしているかを。

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2006/09/27

『選挙に勝つことが最大目標』の異常さ

 自民党の総裁が替わった。自民党役員が替わった。
そして、今回の人事の最大の目標は、「次の選挙で勝つ」 ことだそうである。

 本当にそれでいいのか? 少なくともその他大勢の一般国民にとって。
私にとって政治で一番大切なのは、日本における生活が快適なものとなることである。決して、その政治屋が選挙で当選することでも、自民党が政権を維持することでもない。生活が快適になるのであれば、どんな政治屋であっても、どんな政党であってもいっこうに構わない。

 選挙に当選する、選挙に勝つ、のはその政治屋にとっては確かに最大の関心事であり、目標であろう。選挙に当選しなければ、選挙に使った資金を回収できないし、自己満足も得られない。そして、(もしあるとすれば) 自分の考える政治を国政に強く働きかけることが出来ない。
しかし、私にとってはそんなことはどうでもいいのである。私にとって最も重要なのは、選挙後にどんな政治をしてくれるかであり、誰が当選するかではないのだから。

 ところが、ほとんどのテレビや新聞では、政治屋のいう 「どうやったら選挙で勝てるか」 「どちらの政党が政権をとるか」 を、やはり最も重要なこととして報道している。それを見た大多数の人たちが、自民党もしくは民主党が選挙に勝つことが日本の政治にとって一番大切なこと、と勘違いをしていく。
日本のマスコミ特にテレビの愚かさがまさにここにある。

 選挙に当選するしないが最大の政治目標というのは、個人における 「一流大学に入ることが最重要」 「一部上場企業に就職することが最重要」 ということに類似している。大学で何を学ぶのか? その企業に入って何をするのか?ということが置き忘れられている。
「一流大学に入りさえすれば、一流企業に入れる」
「一部上場企業にさえ就職できれば、何もしなくても生活が安定する。老後も安心。」
という時代ではすでになくなっているように思うのだが、私の勘違いなのであろうか?

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2006/09/26

百聞は一見に如かず

 私がユーザビリティーテストを長くやってきて実感したことの話である。
ここでも“ユーザビリティーテスト”とは、開発しているもしくは開発が済んだソフトウェアを個室で使ってもらって、それを別室で観察するものである。被験者は、そのソフトを使ったこのない人やそのソフトを使う人たちの代表のような人たちである。
私は、ソフトウェア開発において仕様を策定する立場にあり、策定した仕様が実際に有効なのか?あるいは、既存の仕様のどこが問題なのか?を調べるために3年にわたり数種のソフトウェアのユーザビリティテストを担当した。

 そのときに学んだのがタイトルにもある “百聞は一見に如かず” である。
ユーザビリティテストを始めて間もない頃は、ユーザーに頻繁に質問をしてその答えを詳細に書きとめていた。ところが、ユーザーの答えにはあまり一貫性がなく、仕様の策定にはあまり役に立たないことに気がつくのにそれほど時間はかからなかった。
 私が悩んでいるときに、そのときの上司が 「ユーザーの意見を聞くんじゃなくて、ユーザーのやっていることを見るんだよ。自分の目を使って情報を得るんだ。」 というアドバイスをくれた。それを聞いた私は目から鱗が落ちる思いであった。

 それからは、あいかわらずユーザーに対して質問はするものの、質問は自分の仮説を確認するためのものがほとんどとなった。つまりそれまで、「XXXをどう思いますか?」 といった質問から、「XXXには気がつきませんでしたか?」「XXXを使わずにOOOを使ったのはどうしてですか?」 といった具合である。

 よく覚えているユーザビリティテストがあり、その回はユーザーから過去に要望にあった機能を実装した開発中のソフトを使っていた。
ユーザーは最初気がつかなかったので、
 私 「XXX を使ってみてください。」
 被験者 「XXX いいですね~。この機能が欲しかったんですよ。」
そのあとも引き続きテストしてもらい、テストの課題に XXX を使うと簡単にこなせるものがあったが、その被験者はついに XXX を使うことはなかった。
つまり、「欲しい機能」 といいつつ、実際にソフトを使っているときは XXX を使わないのである。
もちろん、使い慣れていないというためであるだろう。それよりも私がここで言いたかったのは、ユーザーが“すごく欲しい”といったとしても、慣れも含めてそれを本当に積極的に使うとは限らないということである。
前回のテーマとつながる話だが、開発者はユーザーの意見を鵜呑みにしてはいけないのである。

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2006/09/25

ユーザーの声

 製品開発ではよく “ユーザーの声に耳を傾けろ” ということがいわれる。営業やマーケティングでも “ユーザーの声に耳を傾けた結果できた製品です” というのはよく聞くキャッチフレーズである。
はたして本当にそうなのだろうか? ユーザーの声にしたがって製品を開発することは正しいのだろうか?

 私がソフトウェア開発に携わっていた経験からすると、ユーザーからの声は参考にはなるが、決定的な要因とはならなかった。
なぜか?
 1.ユーザーは既存の製品や機能しか考えないため、ユーザーの不満は既存の機能の欠点、ユーザーの要望は機能の拡大や向上といった既存のものの延長となる場合がほとんどである。
 2.アンケートなどでは、ユーザーは意図する・しないにかかわらず、理想や相手の期待する回答をする傾向にある。
 3.不満は感じるが、ユーザーのほとんどはそれがどういう不満なのかをうまく説明できない。自由書き込みになかなかかいてもらえない。

 私が以前 “日経ビジネス” で読んだ記事で今でもよく覚えているのは、サンヨーの掃除機に関する記事である。
当時、サンヨーの掃除機はそれほど売れていなかったらしい。ユーザー調査をすると、ユーザーの希望する機能は、
 1.強力な吸引力
 2.静かな動作音
   ・・・
 5.排気が出ない
で、排気に関する要望は5番目だった。
優先順位でいけば1.の吸引力の強化であろう。現に当時の掃除機業界ではどれだけ吸引力が強力化を競っていた。ところが、サンヨーの掃除機担当者は5.の排気に目をつけた。担当者は設計や製造の人たちの反対にもめげず、排気を吸引口に循環させる掃除機の発売にこぎつけたのである。
はたして、その掃除機は爆発的に売れて、発売した年のそのクラスの掃除機の販売シェアの実に50%を達成したと記憶している。

 私が勤めていた会社はアメリカ資本の日本法人であった。そのために、仕様の策定には必ず客観的なデータを要求された。「その仕様を実装したらどのくらい販売数が伸びるのか?」 そんなときによく使われるユーザー調査であるが、上の例のように1位2位を差し置いて、5位を仕様に盛り込むなどほとんど不可能であった。
もちろんそういうシステムにはちゃんと理由がある。アメリカは多様な人種・多様な文化が入り混じっているため、多くの人たちを説得するためにはどうしても客観的なデータが必要になってくる。それがなければ全体としてまとまらなくなるのである。しかしそのために、画期的な機能は実現しづらくなってしまう。個人の“勘”というものが通らないからである。
一方、まだ日本独自のやりかが認められていた頃の日本の現場では、自分で使っての感触やユーザーからサポートへの問い合わせなどから、個人的な勘で仕様が決められたりしていた。画期的な機能が実現できたこともあるが、何よりも現場で働いている人間の士気は高かった。

 日本企業でも最近はデータ重視の開発をしているという話を聞く。データ重視の開発は企業・組織を効率よく動かす上ではまったく正しい方法だと思う。
ただ、勘を働かせてユーザーに喜ばれる機能を実装してきた経験のある私から見ると、なにかさびしさを感じる。そういった数字に振り回されるような仕事をしている人たちが心身の健康を害さないことを祈るばかりである。

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2006/09/24

鳥ハム(鶏ハム) その後

 前にここに書いたように、今は鳥ハム(鶏ハム)がお気に入りである。
高脂血症で“凡才メタボン”(メタボリック症候群) な私にとってはとってもありがたい一品であり、我が家の食卓の主力へ行きとなっている。

 先日よくいく肉屋が特売をやっていた。普段は、30~50円/100㌘ のありきたりの鶏肉しか買わない私であったが、そのときは 89円/100㌘ の知床鶏のムネ肉を買ってしまった。89円/100㌘ といえば普通の鳥ならおいしいモモ肉が買える値段である。そこまで出してムネ肉を買う必要があるのかとおもわなくのなかったのだが、高いムネ肉で作った鳥ハムを食べてみたい誘惑には勝てずに買ってしまった。

 早速、ハチミツ・塩・コショウ をまぶして、密閉袋に入れて、チルドルームで寝かすこと二日。その後、沸騰したお湯につけること5分。そのまま火を止めて一晩放置。

 次の日の朝、ゴールドスープから取り出した鳥ハムを包丁で薄切りに。一切れつまんで口の中に。
はたして、高いムネ肉で作った鳥ハムやいかに・・・。やはりいつもの鳥ハムよりおいしかった。(笑)
明らかに口の中の感触が違うのである。普通の鳥ハムでもかなりパサパサ感が少ないのだが、それでもかんでいると 「あ~、やっぱりムネ肉だ」 とわかってしまう。
それが、この高い鳥ハムでは明らかにその感触がほとんどなくなっているのがわかるのである。肉の味がいいこともあいまって、とても高級な鳥ハムが出来上がったのである。

 結論。
「高いムネ肉で作った鳥ハムは、やはりおいしい」

 追記
今日の鳥ハム(鶏ハム)

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2006/09/23

ひろし~

 私には、17年間、ずっと気になっていることがある。
(今回のネタは、私以外には全然意味のないものなので、あらかじめご了承ください)

 17年前、私は学校を卒業して最初の企業に就職した。そこは日本を代表する製造メーカーであり、日本各地に工場をもっている。
新入社員の最初の仕事はもちろん新人研修である。私は、小田原付近の工場に工場見学に連れて行かれた。宿泊はホテルではなく、独身寮の空いている部屋であった。独身寮は少し小高い丘の上に建てられており、丘の下にはいくつもの住宅立ち並んでいるのが見えた。

 食堂での夕食もおわり、部屋で同期の人たちと雑談をしていると、いきなり丘の下のほうから、
「ひろし~~~、やめてぇ~~~」
「おにぃちゃぁ~~ん、やめてぇ~~~」
という叫び声が聞こえてきた。私も含めて部屋にいた人間はすべてベランダに出て丘の下を見下ろした。
その間にも、叫び声が何回も聞こえた。丘の下の住宅街を目を凝らしてみても、それらしき人影は見えなかった。へんな塗装されて最後尾に竹を立てたようなものをつけたへんな車が妙に気になった。(笑)
どうやら、どこかの家の息子が暴れているようであったが、結局その現場そのものを見つけることなく叫び声も聞こえなくなっていった。

 私が17年間気になっているのは、その 「ひろし~」 のその後である。どうでもいいことなのだが、どうしても 「ひろし~」 のことを記憶から消し去ることが出来ないでいる。それだけインパクトの強い出来事だったということかも知れない。
彼はその後ちゃんと更生をしてちゃんと働いているのだろうか? いまだに気になってしょうがない・・・。

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2006/09/22

○○対策

 なんとか対策という言葉はいろいろある。
たとえば、「地震対策」、「花粉対策」、「犯罪対策」、「被害対策」、「事故対策」 などなど。
何かしら都合の悪いことに対して事前に備えるという意味で使われている。

 とある法律事務所の広告看板を見ていたら、ひとつ、とても気になる言葉が書かれていた。

  『節税対策』

これを見て、私はどうも納得がいかなかった。「税金対策」 というのが正しいのではないかと。もちろん、言わんとしていることはなんとなくわかる。
でも、「節税対策」では、税務署が節税を行っている納税者に対して節税を行わせないような企てのような気がしてしょうがない。

 「節税対策」
この言葉は日本語として正しい使われ方なのだろうか? 私にはいまだに結論を出せないでいる。
私にはやはり 「汚名挽回」 と同類の間違った使い方のような気がしてしょうがない。

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2006/09/21

少子化

 少子化が問題になっている。日本の人口が減り始めているそうだ。私の子供も一人っ子なので、人口減少に片棒を担いでしまっている。少子化・人口減少が日本にとっていいことなのか悪いことなのか、いろいろ意見があるようである。私はいいところも悪いところもあって、つまるところ社会システムを変えていかなければならないだけ、と思っている。

 今回は少子化の利害ではなく、なぜ少子化になってしまったのかについて自分なりに考えてみた。
自分の考えを一言で言ってしまえば、『子供を生み育てることに将来的なメリットがなくなってしまった』 ということになる。ずいぶんと打算的な意見であるが、今のところの私の結論はここにある。
明治時代以前は、人口の多くが農業や商業などの自営業に従事していた。それらの産業においては、家族の増加=生産力の向上=生活の向上 に結びついていった。
余談になるが、少し前にテレビで見た最新学説による恐竜の姿で、ティラノザウルスが実は家族で行動を共にしており、狩りの時には “攻撃力はないがすばやく動ける”若い世代が獲物を追い込み、“攻撃力はすさまじいが獲物を追いまわせない”成熟した世代が止めを刺す、という場面を見せていた。これなど、集団で行動することで生産性を上げるいい例だと思った。
ひるがえって、今の産業従事者の構造を見ると、企業内労働者いわゆるサラリーマンが大半を占めるまでになっている。サラリーマン家庭においては、子供が数多く成長してもその過程の生産性向上にはほとんど寄与しない。結果、子供は家庭において経済状況を悪くするものになってしまい、子育てはいわば趣味の領域に入ろうとしているように思われる。もちろん、これがかなりの極論であることは自分でも理解しているつもりである。
そこで、少子化対策である。やはり、経済的な支援に落ち着くと思われる。子供を多く育てたほうが、子供が成長したときに生活が楽になるようなシステムが有効のように思われる。これのポイントは、子供を生んだときや乳幼児のときではなく、子供がある程度生産活動に参加できるような年齢になったときに、親達にも恩恵が行くようにすることである。昔の農業商業のときのシミュレートという意味合いもあるが、生産に寄与しない乳幼児に対して経済的なゆとりを与えると、甘やかしなどの悪い形が出来てしまうと考えるからである。

 私個人の考えとしては、日本は自給自足ができる程度まで人口が減ってから人口減少が落ち着くのが望ましいと思っている。もちろんそのときは今のような経済的な優位を世界に誇ることは出来なくなって、いわゆるヨーロッパの一部の国のような緩やかな衰退の道をたどっていくことになるだろう。しかし、私にとっては今の経済最優先・企業優遇・個人冷遇なる今の日本のシステムはどうも好きになれない。
町の中心部は自家用車の乗り入れを禁止すべきだと思っているし、地方の高速道路や高速鉄道も建設すべきでないと思っている。インフラ整備といいつつ、実は税金の土建業者への横流しのようなシステムはそろそろ終わりにすべきなのである。“国土の均衡ある発展”という呪縛から抜け出さなければならない。

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2006/09/20

解けた謎はすべて簡単

 当たり前のことであるが、解けた謎というのはすべからくすべて簡単、と思われてしまう。
では、今回は何の話かというと 『パソコンゲーム (PCゲーム)』 の話である。

 私はPCゲームが好きでよく遊んでいる。特に謎解きを多く含むロール・プレイング・ゲーム (RPG) を多く遊んできた。でも今は、遊んでいた、と過去形で語るほうが正しいかもしれない。
最近のゲームは面白くないのである。謎を解いたときの、やったー!という爽快感がないためである。
その原因の一つと考えられるのが、謎の不条理さにある。攻略本がなければ先に進めないような謎解きばかりになってしまった。私は攻略本を買わないので、ゲームのヒントや解凍がかかれたブログ、そして2chを読んで不条理謎解きを回避している。
私は ファイナル・ファンタジー XI オンライン (FF XI) をかなり長い間遊んでいた。しかし、ミッションやクエストのうち謎解きを含むものを独力でクリアした記憶がない。たいてい、どこかのサイト・ブログ・2chで答えを探してからプレイしていた。FF XI のマップは広大で各地の移動にはかなりの時間を要する。試行錯誤を行うのに多大な時間と労力を要する。あまりプレイ時間の取れない私にとってこれは苦痛以外の何者でもなかった。効率よくゲームを進めていくためには、他人の情報に頼るしかなかった。

 “解けた謎は簡単である” つまり、製作する人たちはすべての答えを知って製作しているから、どんな謎も簡単に思えてしまうのではないか? 昔、武器で3回攻撃すると壊れる扉というのがあった。しかし、そのためのヒントはなかった。2回目であきらめてしまう人であればおそらく永久に先には進めないであろう。そんなときに、1回目から扉に変化が/angryであるとか、耐久性のような目に見えるデータが表示されたら、ほとんどのプレーヤーはどうすればいいのか気が付くのではないのか?
政策をしている人たちは “そんなにヒントを与えてしまっては、謎解きの面白さがなくなってしまう” とでも考えているのではないのか? だとすれば、それは思い違いと私は言いたい。ゲーム以外の外部から情報を得なくてはゲームを進められない謎解きを私はこれ以上遊びたくない。

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2006/09/19

結婚とは

 ずいぶん前、散髪をしてもらっているときに、散髪屋の兄ちゃんと話をしていて結婚の話題になった。今回はそのときの話である。

 散髪屋の兄ちゃん曰く 「結婚してもいい彼女がいるし、親から結婚しろといわれているけど、どうも結婚する気になれないんだよね。」
「したくないんだったらしなくていいんじゃない?」
兄ちゃん 「でも、結婚しないといつまでも親にいろいろ言われるし、周りからも変な目で見られるような気がするんだよね。」
「でも、自分の気持ちは結婚したくないほうが強いんだよね? だったら少なくとも今は結婚しないほうがいいんじゃない?」
兄ちゃん 「ん~、でも・・・」
「周りから言われて結婚したら、相手の女性に失礼だと思うし、お互いに幸せじゃないんじゃないかな~。私自信は結婚して子供もいて、今とっても満足しているけど、それがすべての人に当てはまるとは思っていないし。」
兄ちゃん 「なるほど・・・」
「結婚したいと思えば結婚すればいいし、したくなければしなければいい。自分の気持ちに素直に従うのが自分が一番幸せだし、結果的に相手の気持ちを害しないことだと思うけどね。」
兄ちゃん 「なるほど・・・」
「結局、結婚制度自体が今の法律によって決まっているだけだし、婚姻届を出して法律で結婚を認めてもらうことと、本人達が納得していっしょに家族を形成することは別物だしね。」
兄ちゃん 「・・・・」
「もちろん、法律のさだめた結婚という形を取らないと、補助金や控除や納税などのもろもろの恩恵は受けられなくなるから、そこは覚悟しておいたほうがいいだろうね。その覚悟があるなら、婚姻届を出さないで同居だけで済ませるという方法もあると思うよ」
兄ちゃん 「いや~、今すげーこと経験して気がする。なんか、目から鱗が取れた気がする。

 私のいったことは特別なことじゃないし、多くの人がわかっていることです。ただ、若くて経験も少ない人たちだとどうしても 「親が言っている」、「周りがみんなしている」 ということにとらわれ、本当は自分がどうしたいのかを見失っている場面をよく見かけます。
私のいとこもかつて 「親を喜ばせるため」 に酒乱な相手と結婚して不幸な結末を迎えました。途中で離婚する方法もあったはずですが 「親が悲しむ」、「世間体が悪い」 といった“つまらないこと”にとらわれ、結局、心身ともに疲れ果てて逝ってしまいました。
ですから、似たような悩みを抱えている人を見るとどうしても一言言ってあげたい気持ちになってしまいます。

 願わくば私のこの考えが、一人でもいいので悩みを解決するきっかけになることを。

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2006/09/18

マニュアルなしでも使える

 以前、年賀状印刷ソフトの開発にかかわっていたときの話である。

 年賀状印刷ソフトは、ほとんどの場合、一年に一回しか使わない。中には、暑中・残暑見舞いを出す人もいるだろうし、転居のお知らせを出すこともあるだろう。名刺を作るために頻繁に使っている人もいるかもしれない。でも、大多数の人は、年末の一週間から十日だけ使うにとどまっていると思う。

 そこでそのときの開発チームが掲げたコンセプトの一つが “どんな人でもマニュアルなしで使える” である。自分でプログラムを組めるほどのヘビーユーザーであっても、一年のうちで十日ほどしか使わないソフトの使い方など、ほとんど忘れてしまうだろう。つまり、新規に購入したユーザーも継続して使ってくれているユーザーも、毎年使い始めるときは全員初心者ということである。
であるならば、毎回マニュアルを読まなければ使えないようなソフトはめんどくさいことこの上ない。ソフト起動して、画面を見ればどう使えばいいか、どの機能は何にどう使うのかがわかるようでなければならない。そのために、使い込めば使いやすくなるような機能はすべて排除していった。表面に見えるものがすべてである、という形にしていったのである。
もちろん、最終的にはすべてを簡素化することなど出来なかったが、チーム全員の努力によりかなりのレベルに仕上がったと今でも思っている。実際、ユーザビリティ(使いやすさ)・テストにおいては、他者の同種のソフトに比べて、目的を達成するまでの時間や手順の間違いが明らかに少なくなったことが確認できた。

 ソフト開発からも会社組織からも離れた私にとっては、いい思い出である。(  ̄- ̄)トオイメ

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2006/09/17

洗濯機

 うちではいま洗濯をすると洗濯物が汚れる。
別に油まみれになるという意味ではなく、ワカメの切れ端のようなゴミがつくのである。つまりカビの付着である。12年前の洗濯機なので仕方がないといえば仕方ないのであるが、やっぱり困っている。ちなみに操作パネルのところに “ファジー” と書いてあるのが時代を感じさせる。(笑)
我が家の洗濯機は1槽の全自動洗濯機なので、内側の槽に穴が開いているタイプである。ここ (http://www.sentakuki.info/mold/jidoujittai.html) をみると、いかに汚れているかを思い知らされる。

 よく言われているように、頻繁に洗濯槽掃除用の洗剤を買ってきては洗っているのであるが、一向にカビがなくなる気配がない。
ふと気がつくと、槽の上のほうにすきまが少しある。そこで、ホースを使って水をそこに流し込むことにした。隙間が狭いことで、ホースから出た水の勢いがさらに増し、うまい具合に外側の槽の内側を洗い流してくれるようであった。
その後洗濯層を回してみると、ものすごい量のワカメが浮いてきた \(◎o◎)/! どっかの溝を埋めていたと思われる白い石鹸の溶け残りか石鹸カスのオビも出てきた。カミさんに見せるべく、洗面所の上にそのオビを置いて少しして戻ってくると、そのオビはもう洗面台に張り付いていた・・・。なるほどこの粘着力ではちょっとやそっとでは取れないはずである、とみょうに納得してしまった。
その後も何度か繰り返して、あまりワカメが出なくなるようにはなったものの、実際に衣類を洗濯すると、一回の洗濯で、いまだにワカメの切れ端が10枚くらいは出てくる。大半は糸くずネットで引っかかるが、2~3枚は衣類についてしまう。

 “洗濯機 カビ” で検索をすると、驚くほどの数のサイトが見つかる。つまり、それだけみんなが悩まされているのである。にもかかわらず、根本的な対策をとった洗濯機を見たことがない。せいぜい、洗濯槽をステンレスにして、カビの発生を抑える程度である。
私としてはむしろ、汚れる・カビが生えることを前提に、内側の槽と外側の層の間を簡単に手でごしごしと掃除できるようにして欲しい。洗濯槽は高速で回転するものであり、大量の水を支えなければいけないものであることから、簡単に外れないように作らなければいけないのだろうと想像はつくのであるが、衣類をきれいにするべき洗濯機で衣類が汚れるのダルのだから、やはりメーカーにはきちんと対策を考えてもらいたいものである。

追記:
洗濯機 -その後のカビワカメちゃん-

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2006/09/16

夫婦のあれこれ

 カミさんと結婚して、かれこれ10年になる。
しかし、いまだにカミさんのことがよくわからんときがある。まあ、取り立てて驚くようなことでもないらしいが。

 それにしても、カミさんと私では、趣味・思考のおおくが対立している。

 カミさんは、お金に細かい。 私は、どんぶり勘定である。
 カミさんは、お金に執着する。 私は、物に執着する。
 カミさんは、パソコンが苦手である。 私は、パソコンヲタクである。
 カミさんは、英語が大好き。 私は、英語が大嫌い。
 カミさんは、あとでまとめて片付ける。 私は、使った直後に片付ける。
 カミさんは、他人の評価を重視する。 私は、自分が納得できればそれでいい。
 カミさんは、暇があれば旅行にいきたがる。 私は、家に閉じこもるのが好きである。
 カミさんは、一度いったところに興味はない。 私は、行き慣れたところが好きである。
 カミさんは、洋食が好きである。 私は、和食が好きである。
 カミさんは、腹が減ると機嫌が悪くなる。 私は、腹が減ってもあまり気にならない。
 カミさんは、人を使うのが好きである。 私は、自分自身で完結させるのが好きである。

などなど、よくまあ今までやってこれたものだと感心してしまう。そもそも、よく結婚する気になったものである。(笑)
一方の共通点はといえば、

 カミさんも私も、タバコが大嫌い。
 カミさんも私も、カラオケが大嫌い。
 カミさんも私も、ブランド物が大嫌い。
 住むところは、買わなくても、賃貸で十分。

ぐらいか。

 よく似た二人だと、逆に小さな差異がやたらと気になってしまいかえってうまくいかないという話もある。似ていると、近親憎悪が生まれてしまうこともあるという話も聞いたことがある。
その意味で正反対といってもいい要素を多く抱えた二人であればこそ、うまくやっていけてるのかもしれない。さらにお互いの足りない部分を補完しあってよい結果を残せたのかもしれない。カミさんがおかしくしたパソコンを私が修復したりして。(笑)

 そんなことをなんとな~く考えながら、今日も一日を過ごす私であった。

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2006/09/15

自己防衛

 歩道の真ん中を歩いているのに自分からはよけようとしない人をよく見かける。自分の目に前から人が歩いてきたり、自転車で来たりしても道を明けようとしない。20代の若者によく見かける光景であるが、それ以外の世代、お年より世代でも見かける。
狭い歩道なのだから、お互いに端によって距離を開けるのが自分の身を守る上でも重要なことだと思うのだけれど、それをやろうとしない人たちをよく見かける。若いカップルや若い女の子同士、中年・老年のご婦人方のグループにその傾向があるように思われる。
他者が必ずよけてくれることを前提にした行動を取るというのは、私から見ればきわめて危険な行為である。もし、相手もよけようとしなかったら?そして相手が自転車だったら?怪我をするのは自分である。ぶつかったときに相手が怖い人だったらどうするのだろう?切れやすい人だったらどうするのだろう?もしかしたらぶつかったことに腹をたててもっているナイフで襲ってくるかもしれない。怖い話ではあるが、絶対にないと言い切れないのが今の社会状況である。

 やはりこれは日本が平和で安全な国であるという過信から来ているものなのだろうか? たとえばアメリカであれば、特に大都市圏では他人に注意を払わずに外を歩くなどということは考えられない。
義理の弟の話であるが、以前ニューヨークに旅行をして外を歩いていたときに、道に迷ったらしく胸ポケットから地図を出そうとしたら、前から歩いてきたお兄さんにいきなりピストルを突きつけられたそうだ。どうも、胸からピストルを出して襲われると勘違いしたらしい。そのくらい、自己防衛に過敏なのも私としてはイヤだが、必ずしも安全ではない国では他人の行動に敏感に反応するのが当たり前の社会になっている。
とすると、他人が目の前から迫ってきても自分からは避けようとしないという現象は、日本では他人から襲われない、自分に害が及ぶことはない、という妄信からきているということか。

 私の座右の銘(といえるものかはわからないけれど)の一つが
 「自分の身は自分で守る」
であり、このことは自分の子供にもことあるごとに言い聞かせています。自分自身がいい歳になるまで他人任せにすることが多かったことの反省です。(´・ω・`)

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2006/09/14

鳥ハム

 今、鳥ハム が私のお気に入りである。

 始めて 鳥ハム を見たのは、テレビ番組の “はなまるマーケット” である。具体的なレシピは、ここ (http://hanamarutokumaru.sblo.jp/article/1130723.html) にある。
以前から 鶏のムネ肉 を毎日おいしく食べられないかを考えていた私には、これはまさに 神レシピ である。
これまでに、だし汁につけて蒸し煮にしたり、ゆでたあとほぐしてサラダにしたり、いろいろやってみたけど、毎日食べるというものにはならなかった。
一方、鳥ハムはサイドメニューとしてではあるが、けっこう毎日食べられるのである。

 お勧めである。

 追記
鳥ハム(鶏ハム) その後
今日の鳥ハム(鶏ハム)

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2006/09/13

心の公害

 昔、公害、公害と騒がれた時代がある。
有機水銀中毒による水俣病、大気汚染による四日市喘息、などなど。被害を受けた方々は今も多く存命しており、まだ完全に終わったとはいえない状態にある。
この公害を私なりの解釈で説明すると、
 “企業がその企業活動において、必要経費を最小限に、利益を最大限にするために、自然や社会に対して有害なものを無害化の処理をすることなく企業の外部に放出したことによって引き起こされたもの”
となる。
現在はどうであろう。多くの有害物質は無害化することを法律で義務付けられ、企業は多額の費用をかけてそれらを処理している。もし今でも法律で義務付けられていなければどうだろう? やはり、企業の一部は無害化の処理をすることなく、有害物質を垂れ流すのではなかろうか?

 以上の話は目に見える物理的な話である。
一方、目に見えない心の部分、精神的な部分ではどうだろうか? モラルが低下したというのはずいぶん前から言われている。犯罪件数の増加、凶悪化、低年齢化も叫ばれて久しい。それらの問題の原因の一端が実は今の企業活動によるものではないかというのが、今日の話の本題である。
自分の会社勤めの経験から、会社勤めはかなりストレスとなる。目標達成の圧力、管理職の気まぐれによる方針の変更、上層部からの責任の押し付け、などなど。それらのストレスは、社員の心を蝕み、社員の行動をモラルのないものにしていくのではないか、というのが私の仮説である。極端な言い方になるが、企業が社員の心に有害な物質を流し込むわけである。
社員の心に流し込まれた有害物質は、その社員の行動に影響を及ぼす。さらに、社員が会社の外や家庭の中で、心の有害物質を接触した人たちにうつしていってるのではないか。たとえば、家に帰ってから子供に八つ当たりをするとか、そういう意味である。八つ当たりされた子供は、やはり心に有害物質を流し込まれたようなものという解釈である。

 これがここで私が言う “心の公害” である。
企業が利益追求の活動において、社員の心に有害物質を撒き散らし、それが社員を通して企業の外にばら撒かれて、社会に害を及ぼす。
そこで私が想像したのは、企業は目に見える有害物質だけでなく、目に見えない心への有害なものもきちんと処理しなければならないのではないか。ということである。世間でよく言われる “メンタルヘルス” である。これをきちんと行っている企業は多くないという話をよく聞く。
企業に勤めて経済基盤を築いている人が多い現在、日本社会は企業活動による心のストレスをきちんと企業内で処理することを法律で義務化すべきではないのか、というのが私の願望である。そうすれば日本社会が今よりも少しは住みよい社会になるのではないかと想像している。

 今の日本社会(戦後もしくは高度経済成長以後か)は、あまりにも企業活動を優遇しすぎに思える。企業活動という名目で道路に不法に駐車しているトラックなどを見るたびに 『街中では車の進入を規制してほしいな~』 といつも思うのであった。

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2006/09/12

人事採用

 私は人を見る目がない。
今回は、仕事での採用の話である。友人とか恋愛とか個人的なことは一切関係ない。あくまでも経済活動の場である企業における採用の話である。

 私がとあるPC向けソフト会社に勤めていたときの話である。
私はとあるプロジェクト内のチームリーダーをしていた。職種はソフトウェア・テスティング、ソフトの品質管理である。
プロジェクトを拡大するために人員を補充する必要があり、1年半で150人ぐらいと面接した。中途採用のための一次面接である。その150人も大量に人事部から送られてくる履歴書から選抜した人たちなので、履歴書を含めれば採用候補者はおそらく1000人を越えていたであろう。
面接を始めた頃の10人ぐらいまでは、よくわからずに面接していたような気がする。ところが、20人、30人と面接していくと、だんだんポイントがわかってくる。面接時間は平均1時間であるが、数十人と面接をしてくると、最初の10分でだいたいその人が自分の希望している人材なのかそうでないかがわかるようになってくる。そこが曲者である。わかるようになった気になっていたのである。
はたして150人面接をして、最終的に採用したのは3人。うち2名が入社をして、1名は辞退した。その2名も私より先のその会社を去ることになった。能力的には問題なかったが、自己の健康管理であるとか、企業の文化になじめなかったようである。

 社員が決まらない間は、派遣会社から派遣社員を受け入れていた。数名をあるときは同時にあるときは入れ替わりながら働いてもらっていたが、ここでも私の人を見る目がないことがわかってしまった。
“おっ、こいつはなかなかやりそうだ。” と期待した人材が、プロジェクトの進行について来れずに1~2ヶ月で退場してもらうことになったかと思えば、
“うわ~、このレベルの人が来ちゃったよ。大丈夫かな~” と心配した人材が、努力で当初の不安を払拭して長期にわたっていっしょに働くことになったりした。

 プロジェクトの見通しとか、プログラムの品質の良し悪しについての自分の感覚はけっこう自信をもっている。実際、自分の間隔を信じて大きな失敗をしたことはなかった。(小さな失敗はある)
しかしながら、企業における人材を見る目についてはいまだに自分を信用できないでいる。だから、人をうまく活用できる人を見るとうらやましいと思うし、私は自分ひとりで仕事を終わらせるのが好きである。

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2006/09/11

耐久性

 プリンターが壊れた。5年半使ってきた エプソン PM-900C が壊れた。インクの出ないラインが半分以上となり、まともに印刷できない。インクカートリッジ1本使ってクリーニングをしても直らない。
5年以上使ったのだからもう十分、という考えもあろうが、私としてはかなり残念である。昨年、印字ヘッド周りの制御がおかしくなって修理に出したので、なおさら残念である。そのときは1万5000円ぐらい取られた。

 ここ1~2年、電気製品がよく壊れる。
春には、HDDレコーダーのDVDドライブが壊れた。買ってまだ2年である。しかも、1年未満で一度故障して再度同じパーツが故障したのである。ちょっともろすぎると思った。
このHDDレコーダーは2代目で、1代目は東芝のRD-2000である。これも3年目で壊れた。DVD-RAMが認識できなくなったのである。今もサブとして使っているが、今はHDDもかなり危険な状態である。ところどころ番組が再生できなくなるのである。
昨年は、プリンタのほかに PS2 が壊れた。やはり、DVDドライブの交換である。PCのDVD-RAMドライブも同じ頃に壊れて買い換えた。

 高度な技術を使っていて、繊細な調整が要求されるのかもしれないが、それほどハードな使い方をしているわけでもないのに、たかだか2年で使えなくなるのはどうも納得がいかない。
大学生時代に買った ビクターのVHS と ソニーのベータ デッキは、ほぼ毎日使われながら、呼称して使えなくなったのは15年後である。昔の機器はけっこう長持ちしたな~、というのが私の印象である。
一部が故障しただけなのに、機器全体の使用に支障をきたす。結局、修理するか買い換えるかの選択を迫られる。修理すると意外と高くつくので、結局買い換えることとなる。後に残るのは、直せばまだまだ使えそうな粗大ゴミである。地球に優しくない。

 ソニーのCDラジカセの電源が入らなくなった。カバーをあけて調べたら、電源ケーブル受けと基盤をつなぐ部分の半田がはがれていた。半田を付け直して修理完了である。今も問題なく動いている。
ヘアドライヤーが動かなくなった。コンセント近くのケーブルから火花が散った。そこよりドライヤー近くで電源コードを切断して新しいコンセントをつけた。ドライヤーは今もちゃんと使えている。
このように、ユーザーが簡単に治せるようならば、出るゴミも少なくなるような気がするのである。たとえば、DVDドライブが壊れやすいのなら、DVDドライブだけ簡単に抜き差しできるようになっているとか。
安く作れることが今は一番重要なのかもしれないが、ユーザーから見た場合、今後廃棄のコストを考えて、買い換えるよりも修理して使ったほうが安くすむ時代が来るかもしれない。
私としてはむしろそういう時代なってくれることを願うものである。

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2006/09/10

子供の成長 (2)

 子供の成長はほんとに速い。
そして、その成長過程を見逃したからといって“もう一度”というわけにはいかない。

 自分の母、そしてカミさんの母親からここ数年で以下のような似た話を何度か聞いた。それは、自分達の夫、私から見れば父(と義理の父親)のことである。
曰く、
 「孫のお世話なんて出来ないわよね~。自分の子供のオムツも替えたことないんですから。」
 「あなた(夫)は子供の運動会なんか一回も見に行ったことないものね~」
 「授業参観にもいつも私(母親)ばかりをいかせてたものね~」
などなど。30年以上もたってからいやみを言われるのかと、正直ぞっとしたものである。
考えてみれば、それらはしょうがないことでもあったのである。私が幼い頃は高度経済成長時代で、働き盛りのお父さん達はほとんど会社に取られていた時期であるのだから。しかし、今はもうそういう時代ではない。別に30年後にいやみを言われたくないだけが理由ではないが(もちろんいわれたくないのは正直な気持ちである)、それよりも、子供が親になったときに、子供と小さいときの思い出話がしたいのである。
 「あの参観日のときは、みょうにはしゃいで先生に怒られたよね」(参観日は平日にある)とか、
 「あのときの運動会ではゴール直前で転んじゃったよね」とか(なぜか子供の通っている学校は平日に運動会も行う)、
 「友達とけんかをして泣きながら帰ってきたこともあったよね」とか。

 私が会社勤めをしばらく中断してでも子供と長くいられるようにしたのはまさにそういうことなのである。子供と思い出を作る時間を会社に取られたくなかったのである。

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2006/09/09

子供の成長 (1)

 子供の成長はほんとに速い。
 自分が子供のときは成長がずいぶんと遅く感じたものである。特に、小学校の6年間はすごく長かったように記憶している。その一方で、大学4年+大学院2年の6年間はあっという間に過ぎ去ってしまった。

 私は現在主夫として、子供と長時間向き合って毎日を過ごしている。
子供は現在小学2年生であるが、始めて立ったときや歩いたときを、昨日のことのように思い出すことができる。それを考えるとほんとに子供の成長が速く感じられる。

 子供がまだ6ヶ月目のときにこんなことがあった。
その頃私はまだ会社勤めをしていて、3週間ほど出張で家を空けることになった。3週間して家に帰ると、子供が私の顔をじっと見つめるのである。「おかえりなさい」という顔ではなく、「こいつみたことのない顔だな~。あやしい奴」という顔をしていたのである。これにはずいぶんとショックを受け、いまだにトラウマになっている。

 子供は幼稚園に入っていろいろとわかるようになってきたころ、私のほうは会社のほうで仕事で忙殺される様相をみせてきた。そこで、自分は子供と接する時間を長く持とうと主夫となろうと考えたのである。
没頭して仕事をすることはおそらく10年後でもできるだろう。もちろん、今と同じことは出来ないだろけど。でも、この時期の子供の成長を見届けるのは今しか出来ない。そう考えたのである。
自分を思い返しても、記憶がはっきりしているころにはすでに親に甘えるようなことはほとんどしていない。友達優先である。親といっしょに出かけることさえなんか気恥ずかしくなってくる。自分が再び仕事に多くの時間を使うようにするのは子供がそうなってからでも遅くない。そう考えたのである。
そうすることが、自分にとっての一番の幸せと考えたのである。

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2006/09/08

一番大切なこと

 私が常々生きていくうえで一番大切だと思っていることは、『自分が幸せである』ことなんですよね。
何かの問題にぶつかったとき、どちらかを選択しなくてはいけないとき、最終的な選択の基準はどっちが『自分が幸せである』か、なんです。
 自分が幸せでなければ、私と毎日接して生活している私の家族も幸せではいられない。仮に私が社会的に高い地位についていて、経済的に恵まれていたとします。一方で、私自身は仕事に満足していなくて、周りともうまくいかずにストレスをためて、自分が幸せでないと感じていたとすると、もしかしたら家に帰ってから、妻を怒鳴り散らしたり、子供に暴力を振るったりするかもしれない。直接的な行動に出なくても、家では何もしゃべらず一人部屋にこもってぶつぶつ言う毎日を送るかもしれない。もし、私がそういう生活を送っていたら、やはり一緒に生活をしている家族は、『自分が幸せである』と感じないと思うんですよね。
 だからこそ、私は 『自分が幸せである』 ことをとても重要なことだと思っています。

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