心の公害
昔、公害、公害と騒がれた時代がある。
有機水銀中毒による水俣病、大気汚染による四日市喘息、などなど。被害を受けた方々は今も多く存命しており、まだ完全に終わったとはいえない状態にある。
この公害を私なりの解釈で説明すると、
“企業がその企業活動において、必要経費を最小限に、利益を最大限にするために、自然や社会に対して有害なものを無害化の処理をすることなく企業の外部に放出したことによって引き起こされたもの”
となる。
現在はどうであろう。多くの有害物質は無害化することを法律で義務付けられ、企業は多額の費用をかけてそれらを処理している。もし今でも法律で義務付けられていなければどうだろう? やはり、企業の一部は無害化の処理をすることなく、有害物質を垂れ流すのではなかろうか?
以上の話は目に見える物理的な話である。
一方、目に見えない心の部分、精神的な部分ではどうだろうか? モラルが低下したというのはずいぶん前から言われている。犯罪件数の増加、凶悪化、低年齢化も叫ばれて久しい。それらの問題の原因の一端が実は今の企業活動によるものではないかというのが、今日の話の本題である。
自分の会社勤めの経験から、会社勤めはかなりストレスとなる。目標達成の圧力、管理職の気まぐれによる方針の変更、上層部からの責任の押し付け、などなど。それらのストレスは、社員の心を蝕み、社員の行動をモラルのないものにしていくのではないか、というのが私の仮説である。極端な言い方になるが、企業が社員の心に有害な物質を流し込むわけである。
社員の心に流し込まれた有害物質は、その社員の行動に影響を及ぼす。さらに、社員が会社の外や家庭の中で、心の有害物質を接触した人たちにうつしていってるのではないか。たとえば、家に帰ってから子供に八つ当たりをするとか、そういう意味である。八つ当たりされた子供は、やはり心に有害物質を流し込まれたようなものという解釈である。
これがここで私が言う “心の公害” である。
企業が利益追求の活動において、社員の心に有害物質を撒き散らし、それが社員を通して企業の外にばら撒かれて、社会に害を及ぼす。
そこで私が想像したのは、企業は目に見える有害物質だけでなく、目に見えない心への有害なものもきちんと処理しなければならないのではないか。ということである。世間でよく言われる “メンタルヘルス” である。これをきちんと行っている企業は多くないという話をよく聞く。
企業に勤めて経済基盤を築いている人が多い現在、日本社会は企業活動による心のストレスをきちんと企業内で処理することを法律で義務化すべきではないのか、というのが私の願望である。そうすれば日本社会が今よりも少しは住みよい社会になるのではないかと想像している。
今の日本社会(戦後もしくは高度経済成長以後か)は、あまりにも企業活動を優遇しすぎに思える。企業活動という名目で道路に不法に駐車しているトラックなどを見るたびに 『街中では車の進入を規制してほしいな~』 といつも思うのであった。
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