敬語システムの崩壊
あいかわらず(笑)、日本語が乱れているそうである。
そうおもって、Wikipedia で調べてみると、“日本語の乱れ” と題してこんな記述があった。それによると、言語学においては “乱れ” という概念はなく、“変化” があるだけである、ということである。この考えは私の感覚にとてもよくあっている。
では、誰が “日本語が乱れている” といっているのか? やはり Wikipedia によると、個人のいわゆる 「最近の若い者は」 的な感覚と、さらに政府による国語統制による影響らしい。
つまり、時の権力者が国民統制の一つの手段として “国語統制” を行い、そこからの逸脱を “日本語の乱れ” と称して弾圧を行っている、と私は理解した。そういう話を聞くと、なぜテレビがやたらと “日本語が乱れている” と叫んでいるのかが良く理解できた。テレビ局は政府&官僚が好むことを放送する媒体だからである。
また、古くは清少納言が “日本語が乱れている” と嘆いているらしい。こうなると、“日本語の乱れ” は1000年続いていることになり、1000年続いたことが数年で収まるとは到底思えないし、つまりは日本語は “乱れている” 姿が本来の姿であるということである。
論理的に言えば、日本語は統制されていたほうが話が伝わりやすい。正しく物事を伝えるためには、一つの言葉に一つの意味しかなく、その意味を誰もが知っている状態が必要である。
それでも、私は “日本語が乱れている” 状態のほうが好きだ。仮に、女子高生が私の理解を超える 「あげ」 だの 「もる」 だの 「がちゅ~りからめし」 だのと、しゃべっていても、そこから新しい何かが起こりそうで、私は好きである。
少し前に敬語の分類が 三 → 五 に増えた。詳細については こちら を参照されたい。
私なんかが見ると、「三でもよくわからんのに、五に増やしてどうする?」 と思ってしまうのだが、学者によるとこの方が論理的に文章が整理しやすかったり、誤用を指摘しやすかったりするそうである。
言語学者や言語を商売にしている作家などには、なじみのある話題で適正な敬語の使い方が体に染み付いているのかもしれない。しかし、少なくとも私には、政府&官僚のさだめる正しい敬語の使い方は、したくてもできない。
そもそも、敬語は日本社会における身分制度に基づいて構築されたものである。現在の(少なくとも建前上)には身分・階級がなくなった社会においては、敬語は不要なのではないか?と私は考えている。
状況によって、丁寧になったり、尊敬したり、へりくだったりと、ムリに使いにくくすることはないだろうに、と私は思っている。
私の意見は、もっと単純にせよ、である。 「敬語は一種類として、とにかく敬語と思われる何かを使っていれば、その人は丁寧に話をしている。」 でいいではないか。例えば、「お茶を入れた」 に対して 「お茶が入りました」 でも 「お茶をお入れしました」 でも、どちらでもよいではないか。そんなことを言うと “いしかわじゅん氏” あたりに、「日本語が間違ってる!」とののしられそうであるが。(笑)
(余談になるが、BSマンガ夜話で “いしかわじゅん氏” が、映画監督の “大林宣彦氏” に映画の技法について、“それは違う!” と自信たっぷりに反論していて、見ている私はなんだかこっけいに感じた。)
私は敬語を正しく使う自信がない。おそらく大半の人が自信をもって、正確に敬語を使うことはできないのではないだろうか? 言語学者や作家など、一部の人たちだけが正しく使えるようなシステムは、すでに崩壊しているといえるだろう。
パソコンに例えれば、政府&官僚が 「Windows では、パソコンの使い方が間違っている。Linux (もしくは BTRON)こそが正しいパソコンの使い方である。」 として、国民に押し付けているようなものだ。(Windows を皆がほんとうに正しく使えるかどうかは置いとくとして) Linux は優れたOSであることは事実である。しかしながら、Linux を日常的に使うためには、多くの専門的な知識を必要とする。少なくとも、Windows ほどに、ほいほい使えるものではない。
現在の年金制度といい、ゆとり教育といい、官僚は崩壊しているシステムに固執するのが好きだ。自分達が間違っていたことを認めたくないからである。
しかし、官僚もしょせんは人の子。間違いも失敗もする。それを前提に官僚システムを再構築して、“官僚・公務員は 『公僕』 つまり 『国民に奉仕するもの』” 、“恣意的に権限を用いない”、“官僚も公に個人で責任を取る”、といったシステムに改めていかなければならないと、私は強く考えている。
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