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2006年11月の30件の記事

2006/11/30

家事と共働きを求める夫、家事分担と給料を求める妻

 “座談会 少子化から見た21世紀の展望” という記事を読んだ。その中に、私を驚かせる部分があった。以下が私が驚かされた部分である。(抜粋)

江原 全く結びつかない。しかし、仕事だけという生き方を強いられることには恐怖感が強い。共働きをすれば家計的には非常にいいとわかっている。それがなぜか家事分担の問題となると、家事を分担するのは面倒としか思えなくなる。男子にとっては女の人が家事全部やってくれて、共働きするのが一番いいと思っているのです。

高津 もし、女の子が納得しているのなら、男の子にとって最高でしょうね。(笑)

江原 そうでしょう。ただ、女子にとっても男の人が家事も育児も半分手伝ってくれ、働かなくて済むというのがいい。5、6割の女の人はそれがベストだと思っている。全部やれとはいわないが、せめて私と同程度に家事や育児をし、働いてない時は家事、育児を手伝ってほしい。それで、給料は持ってきてくれて、私は働かなくても、当然その給料を全部もらう。それがいいと思っている。

「めんどくさいことやたいへんなことはしたくないが、何かの恩恵にはあやかりたい」 そんなことを臆面もなく公言する若者が確かに私の周りにもいる。これは、その延長線上にあると考えればよいのだろうか。
 今はどちらかというと男のほうの欲求(妻も働いて、家事も全部妻がやる)が現実になっているような気がする。たまに女のほうの欲求(家事を分担してもらって、妻は外で働かない)を実現している専業主婦がいる。 “セレブもどき” としてワイドショーなどに取り上げられている。そんな専業主婦は、夫と子供がいない昼間に、友人達とリッチなランチを食べにいったりしている。

 もしこれが今の若い世代のメジャーな考え方だとすると、結婚がなかなか続かないケースが多いのも納得できる。こういう考えをもっていたとしても、おそらく結婚相手にはそんなことをいったりはしないであろう。しかし、心の中ではずっとそうであればいいと思い続けて、でも、それが実現するはずもなく、結局相手に対する不満として噴出してしまうのではなかろうか。もっとも、上記の男女の欲求を互いに相手に伝えたとしても、そもそも受け入れられるはずもないのであるが。

 私は自分にとってのみ都合のいい希望は考えないようにしている。それは以前の “他人に勝手に期待をしない” でも述べたとおりである。そして自分に希望があるときは、それをきちんと相手に伝えるようにしている。けっして、相手がこちらの気持ちを察することを期待したりはしない。

 日本にはよく “あうんの呼吸” や、相手に気持ちを察して何かをしてあげることが、とても重要なことであるという文化がある。あうんの呼吸 や 気持ちを察すること は、とてもよいことだと、わたしも思う。また、そういうことをされた相手はたぶん気持ちいいだろうということは理解できる。しかし、そのような言葉によらない一方の犠牲の上に成り立つコミュニケーションを、私個人は好きではないし、使いたいとも思わない。
(私も思春期の頃は、“うる星やつら” の “ラム” のように勝手に世話を焼いてくれる人にあこがれたりしたのは、実は内緒である。(^_^;) )

 だから逆に、私が言わずに思っていることを相手が気がつかなくても、私はぜんぜん気にならない。もちろん気を回してなにかしてくれれば、それはそれで感謝をするようにしている。
 もっとも、相手が気を回してしてくれることは、私が期待することとはいつも微妙にずれているので、結局は自分でこっそりやり直したりするのだが。私が気を回されるのがイヤなのは、そういうことでもある。私の期待に及ばないことをされるくらいなら、何もしてもらわないで、自分で一からやったほうがめんどくさくなくていい、ということである。

 こういう態度、性格(= 気を回さない、気を回されたくない) は、残念ながら異性に対してはきわめて評判が悪い。(苦笑)  いわゆる “気の利かない男” だからである。女性は、どうやら “不完全でもいいから、ちょっと気の利いたこと” を男に期待、要求するようである。でも、私にはできない。つまり、女性には好かれない。ということである。

 なので、私のやり方は安易に他の人にはお勧めできない。
 この私のやり方が有効なのは、十分に理解が進んだ両者においてである。その条件においては、この “要求を明確に相手に伝える。伝わっていないことはないものとする” 方法は、スマートに物事をするめることにかなり有効であると思っている。そこには男女関係も含まれる。

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2006/11/29

奈良が好き

 大学院時代に、大阪での学会の帰りに京都と奈良に立ち寄った。世間的には京都のほうがメジャーだと思われる。が、私は奈良のほうが気に入った。その後、カミさんともう一度だけ奈良を旅行している。

 最初の観光は、奈良も京都も観光バスで回ったので、とりあえず一通りの観光スポットは回った。それで思ったのは、「京都は観光地化されすぎだな」 ということである。嵐山にいったときは、当時テレビで盛り上がっていたどでかい “たけし招き猫” が置かれていて、ずいぶんとしらけたものである。金閣寺はちょうど改修が終わったばかりで、文字通りの “金ぴか” であった。しかし、逆にそれが安っぽく感じられた。むしろ、ぱっとしない銀閣寺のほうに私は味わいを感じた。

 奈良は、駅前こそ多少繁華街っぽくなっていたが、観光スポットになっている各寺院は、それほど観光地化されている感じはしなかった。はじめてきたはずなのに、どこか懐かしい気持ちがした気がする。
 建物や仏像も、それまで特に興味があったわけではないが、そのときはとっても興味深く見て回ることができた。あるときカミさんにそういう話をしたら、カミさんからカミさんの父親に伝わり、カミさんの実家にいったときに、仏像の写真集を長い時間見せられてちと困ったことがあった。(笑)

 十何年かあとに再び奈良に、カミさんと訪れたときも、奈良はそれほど変わった印象を受けなかった。カミさんといったときは、特にルートを決めず気が向くままにぶらぶらしただけだが、とても落ち着いた気持ちにさせられたことを覚えている。もっともカミさんにはぜんぜん物足りなかったようであるが。(^^;)

 奈良から帰るときは京都を経由して新幹線を使った。時間があったのでちょうど新しくなった京都の駅ビルを見て周り、やはりなんか落ち着かない気分であった。最後に、カミさんが入りたいというので、平安時代の京都をコンピューター・グラフィクスで再現しているという見世物小屋(笑)に入ったのだが、内容は・・・・・。皆さんの想像している程度のもので、予想通りの無駄遣いであった。orz

 それからまた十年。また奈良に行ってみようかなという気になっている、今日この頃である。

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2006/11/28

テスティング -職人テスターがいなくなる?-

 この間、3年ぶりに前の会社の元同僚とあって少し話をした。その元同僚はプログラマーである。

 話の中で、元同僚は 「最近は、テストをすべてツールによる自動テストで行うようになった。おかげで、以前のように集中してテストをして、出荷直前に緊急でバグを修正することが難しくなった。」 とぼやいていた。

 以前に書いたように、自動テストは必要であり、今は自動テスト抜きにソフトウェアの高い品質を保障することは難しい。今まで人海戦術でやっていたテストを一定の品質で、安く行うという点で、自動テストは極めて有効である。経営者やマネージャーが率先してテストの自動化を進めるのも、経営の効率化を考えれば当然である。

 しかし、マニュアルテストを効率よく行える技術を持った “職人テスター” とでも呼べるべきテスターまでなくしてしまうのは、私はどうかと思う。自動テストが充実すれば、たしかに昨日今日テストを始めたようなテスターであっても、自動テストツールを使って、一定レベルのバグを見つけることは可能である。だがもし、既存の自動テストでは再現が安定しない(起こったり、起こらなかったりする)バグがあった場合はどうなるだろう。そのようなバグはけっして少なくはない。同時に使われていたソフトウェアや、場合によっては内部のメモリの使われ方の違いだけで、バグが再現したりしなかったりする。

 そんな時も、自動テストのスクリプトを作るための時間を見積もって・・・、とかやっていたらとても短期間ではバグはつぶせない。それよりも、多くの経験を積んできたベテラン テスターが集中して手動テストを行ったほうが、はるかに効率的にバグが見つかるはずである。自動テスト至上主義は、そういった緊急事態の備えをまったくなくしてしまうということでもある。

 高度に工場の自動化が進んだ機械メーカーや自動車メーカーでさえ、今になって旋盤や深絞りの職人、匠といってもよい、を育成しようとしている。試作品を神業で作っていく技術者が高齢となり、引退の時期が迫っているためである。早急に後継者を育成しないと技術が失われてしまうところまで追い込まれているらしい。工作ロボットが高性能になり、何でもできると勘違いをして、手作業で行う技術を軽視しすぎたつけが回ってきた結果であろう。

 製品の製作がほとんど自動化された工業製品でさえ、試作品を作るための匠が必要不可欠だということを、メーカーは再認識した。試作品ができなければ、その先の量産化も行えないということである。
 一方のソフトウェア産業はどうだろうか。製品であるソフトウェアは、いまだにプログラマーの個人的な能力と手作業で作られている。私は、家内制手工業の段階だと思っている。そんな手作業で作られているソフトウェアを、検査だけ完全に自動化することには、やはり無理があるとしか、私には思えない。やはり製造メーカーのように、少数のその道の匠を残して、技術を継承していくべきだと思っている。そして、技術の継承には、多くの時間と多くの経験が必要である。

 私の前にいたチームでは、テスティングに関する技術が、まさに失われようとしているように思えた。その傾向が会社内の一つのチームにとどまるとも思えない。やがて、会社全体からテスティング技術が失われていくのではなかろうか。

 「自社に技術がなければ、外部の専門会社を使えばいい」 といった話はよく聞く。しかし、自らは製造技術を放棄して、製造を外部に任せたアイワがどうなったのか(PDF)。人件費が高い日本国内で製造を行うのは難しい、といわれながら、液晶の製造を国内で行っているシャープの経営はどうなのか。自社で技術を確立して継承していくことが、企業あるいは組織を存続させていく上で重要な要素であることの例はいくらでもあるのに・・・。そんなことよりも、目先の上司命令、目先の効率化、目先の利益、が大事なんだろうなぁ、とむなしく納得してしまう私であった。

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2006/11/27

【私のお気に入り】 のど飴編

 以前 “私の風邪予防法” で冬になると喉が痛くなる話をした。喉が痛いままだとやはり気持ち悪いので、よくあめをなめている。

 いろいろなメーカーや、いろいろな種類のあめをずいぶんと試した。100円ショップで売っているのから、スーパーで売られているちょっとお高いものまで。いろいろ試したうちで、私が一番気に入っているのが、ハーブ&ミルクのど飴

これ “UMA 味覚糖 ハーブ&ミルクのど飴” である。

 私にとっては、このあめが一番効果的に喉の痛みをやわらげてくれる。味もすっきりと甘くて私好みである。いくつか連続してなめてもしつこい感じがしない。

 冬の間は、家にいるときはもちろんのこと、外出するときもかならずポケットに入れている。

 このあめを見つける前のお気に入りは、キシリクリスタル ミントのど飴

これ “テイカロ キシリクリスタル ミントのど飴” である。

 今調べてみたら、なんとキャンディー売り上げNo.1らしい。さすが私の見込んだのど飴だけのことはある。(笑)

 この“ミントのど飴”も、すっきりした甘さで続けてなめても飽きの来ないあめだった。喉の痛みを和らげる効果も十分だった。ただ、長くこればかりをなめていると、だんだん物足りなくなってきたのである。そのために、私の常備のど飴は、先の“ハーブ&ミルクのど飴”になってしまった。

 “ハーブ&ミルクのど飴”に比べて、“ミントのど飴”は売っている店が多い。“ミントのど飴”はたいていのコンビニや駅の売店で売っているが、“ハーブ&ミルクのど飴”は売っていない店も多い。そういう状況もあり、いまも“ミントのど飴”をなめることがけっこうある。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

幻ののど飴

 どうも “のどに潤い 梨のど飴” というのど飴があるらしい。のどに潤い 梨のど飴

そう思ってしらべていたら、大阪市にある “パイン株式会社” というメーカーが作っていたらしい。「いたらしい」 というのは、どうやら今は作っていないようなのである。メーカーの商品紹介ページを見てもすでに “のどに潤い 梨のど飴” は載っていない。

 一部の人の間ではとても評判がよかったようなので、一度なめてみたいのど飴であったが、残念である。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

番外編

 のど飴ではないが、“森永 ミルクキャラメル” に一時ハマっていた。Photo

 ミルクキャラメルにはいろいろな味が出ている。その中でも私が一番気に入っていたのが “抹茶キャラメル” だった。ところが残念なことに、その “抹茶キャラメル” は製造終了になってしまったとのことである。在庫があるところでは売っているので、見つけたら速攻で2~3個買いだめしている。

 代わりに最近出てきたのが “栗キャラメル” である。栗 であることを考えると、これも今秋限定なのかな?と思っていたりする。

 “あずきキャラメル” も気に入っている。昔からアンパンや羊かんなどの “アンもの” が好きなので、この “あずきキャラメル” 私にはけっこういけてる味である。

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2006/11/26

テスティング -Norton AntiVirus の場合- (後編)

 前日の記事の続きである。前日の記事を読まれてない方は、上のリンクより前日の記事を先に読まれることをお勧めする。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

★ Javaスクリプト もしくは クッキー

 前日に後述するといった問題である。

 再アップグレードしようとして、ノートン アップデート センターからアップグレードを実行しようとしたところ、今度は 「Javaスクリプト および クッキー を使えるようにしてから、再度実行してください。」 といったような内容のエラーが出て、今度はアップグレードが始まらなかった。

 インターネット オプションをいろいろいじってみたのだが、好転する兆しはなかった。仕方なく、セットアップしたばかりの AntiVirus 2006 を最新の状態にアップデートすることにした。自動アップデートがあるとはいえ、多くのファイルをダウンロード → インストールする必要があり、それなりの時間がとられる。その間、他の作業はできない。

 すべてのアップデートが終わったあと(この間、再起動一回)にアップグレードを試すも、再び 「スクリプト および クッキー」 といわれてアップグレードできない。

テスターの目:
 ユーザーに伝えるときは 『問題が起こりました』 だけでは十分ではない。一番大切なことは 『このような手順で解決してください』 という解決策である。解決策を提示しない問題の報告は、ユーザーにとってなんの価値もない。

★ AutoFix ツール

 解決策を見つけようとしてシマンテックのサポート ページにいくと “AutoFix ツール” というものがあった。さっそく使ってみる。どうやら “LiveUpdate” が古いらしい。指示されるとおりに進んで LiveUpdate を更新しようとするが、ここでもエラーが出て LiveUpdate を更新できない。

 しかたなくあちこち見て周り、ようやく LiveUpdate を更新するモジュールをダウンロードすることができた。ダウンロードしたモジュールを実行して、無事に LiveUpdate を最新版に更新することができた。(再起動一回)

テスターの目:
 AutoFix ツールのテストはされたのであろうか? もしされたとしても、やはり “クリーン” 環境でしかテストされていないと思われる。
 サポート ツールを正常に使えないとしたら、一般ユーザーはどうやって問題を解決したらよいのか? 結局、いつもつながらない電話でサポートを受けるしかないのか?

 最新の LiveUpdate ですべての更新が終わり、ようやくアップグレードすることができた。それにしても、再セットアップ → 最新へのアップデート をしなくてはアップデートできないのではかなりの手間をユーザーに強要することになると思った。
(実は、これは私の勘違いだったかもしれない。これも後述する。)

 
★ アップグレード再び

 うまくアップグレードできたと思っていたカミさんのPCに、エラーが出た。LiveUpdate でアップデートできない項目があり、何度 LiveUpdate を実行してもエラーとなってしまう。ダイアログ下部に対処方法があったので、リンクをクリックして該当する Web ページを読んでみると・・・、対処方法は、「AntiVirus をすべて削除して、インストールしなおすこと」 ヽ(;´Д`)ノ。そのページから、きれいに AntiVirus を削除するツールもダウンロードできる。

テスターの目:
 いくらやり方が明確に示されていても “アンインストール後の再インストール” というのはいかがなものか。問題をきちんと把握して、問題のみを修正するツールを準備するのが筋だと思うのだが。
 しかも今回は 2006 からのアップグレード。AntiVirus 2006 のインストール → 2007 へのアップグレード を考えるとめまいがした。一度アンインストールすると、完全スキャンのステータスもクリアされてしまうため、完全スキャンをする必要もある。完全スキャンをすると数時間、PC が使えなくなる。
 ユーザーが日常的に使っている環境をテストに使うことは確かに難しいのは、長くテスターをしていたものとして理解している。しかし、難しいからといってやらないというのでは、何のためのテスティングなのか、私には理解できない。

 
★ やっぱり “スクリプト および クッキー”

 カミさんの PC の AntiVirus をアップグレードするときに、再びアップデート センターでエラーが出た。AntiVirus 2006 を最新状態にしてもエラーが出てしまった。

 結局、インターネット オプションの “プライバシー” で “すべてのクッキーを受け入れる” 設定にしたらアップグレードを開始することができた。どうも AntiVirus 2006 を最新状態にすることはあまり関係なかったようである。

テスターの目:
 サポートならサポートらしく、「このツールは、XXXの設定であればかならず使えます」 といった説明を見つけやすいところに記述すべきである。ユーザーが欲しいのは、“便利な使い方” 出はない、“かならず使える使い方” である。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 今回は 「テスターをやっててほんとうによかった」 と思えた。テスターをやってたおかげで、「これは何の影響を受けているのか?」 とか、「この種のプログラムはどういった動作をすることが多いか」 といった知識を得ることができたからである。

 もし、テスターの経験がなければ、今頃 AntiVirus 2006 に戻して、つながらない電話を毎日かけ続けるか、らちの明かないメールのやりとりを続けるハメになっていたと思う。

 なぜ、シマンテックはテスティングをあまり行っていない、と私が思ったのか。それは、2005年にウィルスバスターが、CPU使用率が100%になってしまう問題を引き起こしたためである。この時、トレンドマイクロの社長は 「充分は検証テストが行われていなかった」 と発言している。

 以下はあくまでも私の妄想である。

 ウィルス対策ソフトを作っている会社では、ウィルスを解析すること、ウィルスに対抗するための定義を作ることだけが重要視されているのではないのか。そして、動作に関しては、セットアップした “クリーン” なシステム上で正常に動けば OK とぐらいにしか考えていないのではないのか。
 クリーンなシステムのテストは、クルマでいえば “テストコースでの運転” のようなものである。信号も渋滞も路面の凹凸もない理想の道路でのテスト。そんな道路で問題なく走ることができても、実社会の道路に出てまともに長時間走行できるのか。オーバーヒートやエンストなど、おそらくさまざまな問題が起こるだろう。

 アンチウィルスソフトは、システムの深い部分で動作しなければいけないため、システムに及ぼす影響は大きい。せっかくいいサービスを提供しているのだから、ぜひ製品そのもの質ももっとよくしてもらいたいものである。

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2006/11/25

テスティング -Norton AntiVirus の場合- (前編)

 私が今使っている “Norton AntiVirus 2006” を “Norton AntiVirus 2007” にアップグレードできるサービスが始まった。このようなサービスはとてもうれしい。このようなサービスが受けられれば、ウィルス定義ファイルの更新サービスの延長をしようかな、という気にさせられる。

 ところが、アップグレードするときに、いろいろなトラブルに遭遇してしまった。そこで、テスターの視点から今回のトラブルと問題点について、順を追って紹介したい。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

★ 始まり

 ITmedia のメールニュースで、シマンテックが Norton AntiVirus 2006 を Norton AntiVirus 2007 にアップグレードできるサービスを開始した、という記事を読んだ。さっそく、シマンテックのノートン アップデート センターにいってみた。どうやら Web 上でツールを動かして自動的にアップグレードを行うらしい。

 さっそく、自分のPCで作業を開始した。ActiveX コントロールをダウンロードしている。PCの環境をチェックして、ダウンロードが始まった。ダウンロードが終わると自動的にアップグレードが始まった。この間に、カミさんのPCのアップグレードを始めた。そちらも順調にアップグレードしている。

 
★ エラー

 どうやら今使っている AntiVirus 2006 をアンインストールしてから、AntiVirus 2007 をインストールするらしい。2006のアンインストールが終わったときに、再起動を要求された。そのまま再起動を行う。

 問題は、再起動後に起こった。インストールは再開されたようだが、どうも様子が変だ。ダイアログにいっぱいエラーを表示している。最後に 「インストールが正常に終了しませんでした」 というような内容のダイアログを出して、アップグレードは異常終了してしまった。

 カミさんのPCは再起動後も順調にインストール作業が進んでいる。カミさんのPCのアップグレードは、そのまま何事もなく終了をした。再度の再起動後に NortonAntiVirus 2007 のファイルの更新とPCの完全スキャンが始まった。

 
★ 再アップグレード

 仕方がないので、自分のPCに対しては、シマンテックが用意している “削除ツール” を使い、Norton AntiVirus をすべて削除した。そしてあらためて AntiVirus 2007 をセットアップしようとしたが・・・。用意されているのは、AntiVirus 2006 からのアップグレードだけ。2006を完全に削除したPCには、2007にアップグレードできなかった。

テスターの目:
 アップグレードが失敗することは珍しいことではない。アップグレード プログラムには当然のように、アップグレードに失敗したときの処理を組み込むべきである。具体的には、削除したものを復帰させることである。もしくは、アップグレード対象製品がなくとも再度のアップグレードができるような痕跡を残すことである。
 今回のアップグレードにはそういう配慮がなされていなかったのは残念である。テスター(いると仮定して)が、AntiVirus 以外のプログラムが入っていない “クリーン” なシステム上でしかテストしなかったのではないか?と疑っている。

 仕方がないので、AntiVirus 2006 のセットアップから行うことにした。幸い 2006のインストール ディスクは、目に付くところにおいてあった。2006のインストールは何事もなく終わった。

 しかし、何も設定を変えずにこのままアップグレードを実行すれば、再び再起動後にエラーとなるのは目に見えている。カミさんのPCでは無事にアップグレードが成功している。考える・・・、考える・・・、考える・・・・・・。(この間五分)

 ( ̄□ ̄;)!! ハッ! セットアップ ファイルの展開先か!

 再度アップグレードを試みる。このときに別な問題があったのだが、それについては後述する。再起動直前まで進めて、TEMPフォルダ内を見てみる。思ったとおりだ。再起動後に使うセットアップファイルをシステムの作業フォルダ内に展開していた。

 ところが、私のPCでは、起動時に作業フォルダ内のファイルをすべて削除するツールを使っていた。再起動後に AntiVirus 2007 をセットアップするファイル群が、再起動時にすべて消去されていたわけである。確かにこれではアップグレードを再開できない。

 起動時に作業フォルダ内のファイルを消去するツールを停止してから、再起動をした。再起動後、AntiVirus 2007 のインストールは無事に再開された。そして、AntiVirus 2007 へのアップグレードが無事に終了した。

テスターの目:
 このような状況から、テスターが “クリーン” な環境でしかテストしていないのではないかと、私は想像したのである。作業フォルダはいつクリアされるかわからない場所である。そこに再起動後に必要なファイルを保存する仕様にそもそも問題がある。
 優秀なテスターであれば、そういったツールの存在にも気を使い、作業フォルダーに依存した仕様をトラブルの元として指摘できるはずである。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 私の PC での AntiVirus のアップグレードは何とか終わらせることができた。しかし、これで終わりではなかった。

 続きは明日に。

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2006/11/24

カラオケ産業って成長していると思ってました

 ブログをあちこちめぐっていたら “カラオケ業界のデータ” が目に入った。概要を以下に抜粋した。

・ 『カラオケに目を転じてみると、2005年のカラオケ参加人口は昨年に引き続き微減傾向で約4,700万人と推測される。カラオケボックスのルームの数も3年連続で減少傾向にあり、約133,000ルームと推測される。』
・ 『カラオケボックス施設については、施設数は1996年の14,810軒をピークに2003年まで少しずつ減少しているが、逆に1施設当りの平均ルーム数は徐々に増加し、今年度もその傾向は続いている。』

 私は、いまでもカラオケ産業はずっと成長している、と思い込んでいた。街を歩いていると、いたるところにカラオケボックスがある。なにかイベントがあればカラオケボックスでみんなで唄う、というイメージもあいまって、てっきり成長し続けているものばっかり思い込んでいた。

 自分自身はカラオケが好きではない。よって、カラオケボックスにもいったことがない。そのため今、カラオケボックスがはやっているのかはやっていないかを実感することができなかったのである。

 私の頭の中に残っていたのは、自分が若いときのカラオケボックスが増えだした頃のイメージ。しかし、統計データでは、カラオケ人口およびカラオケ施設のピークは1994年~1997年であり、もう10年も前のことである。それから10年の間、私は現実とはかけ離れたイメージをもっていたわけである。直接的なかかわりを持たなかったがために。

 これは、この件に限らず、とても重要かつ危険なことである。古い、現実とは乖離したイメージで意見や行動することになりかねないからである。私もブログを書く際には、あちこちしらべて、間違った前提を元に書かないように努力している。しかし、中には事実や現実とは異なる情報で記事を書いているのものがあるのではないか、といつも心配である。

 大学生のときに、先生方から 「論文を鵜呑みにするな。参考文献の引用があれば、かならず元の文献を自分で読むようにしろ」 と耳にたこができるくらいに、いわれていた。実際、他者の論文から、自分に都合のいいようにデータをもってきたり、間違った解釈をしたりしている論文はいくつもあった。

 自分の足で現場に行く。自分の目で実物を見る。自分の耳で実際に聞く。自分の手で実物に触ってみる。ものを書くときの基本と思われるそれらのことは、実はとてもたいへんなことである。たいへんであるがゆえに、ついつい伝聞を、さも自分で見聞きしたことのように書いてしまいがちである。自分はそういう過ちを犯さないように、他人から聞いたことは素直に 「こういう話を聞きました」、「XXXさんが、こういうことを言っていました」 と書くことにしている。

 自分で見聞きしたことを、自分の言葉で伝えることが仕事の新聞、雑誌、テレビ “記者” の記事を読むと、最近気になることが多い。政府や企業の発表をそのまま媒体に載せている記者の存在である。発表する政府や企業は、自分達にとって都合のいいことしか発表しない。それをそのまま書き写して記事にするということは、裏に隠している悪巧みを含めて、そういった組織に、その記者が加担しているようなものである。プロの記者であれば、公式発表の裏に隠された都合の悪いことや後に問題になるであろうことを見抜いて同時に記事にすべきである。それこそがマスコミの役割であり、単に 「政府はマスコミへの干渉をやめろ」、「新聞の価格カルテルは維持しなければいけない」 ということだけがマスコミの役割ではないはずである。政府や企業の発表を丸写しにするような、能力のない、もしくは手を抜いている報道機関や報道記者を見抜く目を、記事を読むわれわれの側はきちんと持たなくてはいけないと思う。

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2006/11/23

明日できることは、今日しない

 「明日できることは、今日しない」  私の持論の一つである。世間でよく言われていることとは、ちょっとずれていることはわかっている。ただ、勘違いしないでもらいたいのは、×「今日中にやらなければいけないことも、今日しない」 ではないということである。あくまでも 『明日できること』 なのである。

 ビジネス書などにはよく、「仕事を前倒しで片付けましょう」 とか 「言われる前に準備しておきましょう」 とか書いてある。それは間違っていないと思うし、私もよく実践している。
 ずいぶんと古い話になるが、大学院修了のときの論文提出で、私は締め切り前日までにすべての作業を終わらせた。締切日には、徹夜でハイになりながら論文を仕上げている友人達を横目で見ながら、査読をお願いしている教授のところに持っていったものである。
 会社に入ってからも、締め切りのあるレポートは前日までにいったん完成させて、最後の一日を不測の事態に備えて確保していた。
 もともと私は、お尻に火がつくような大きなストレスにさらされると、かえって仕事がはかどらない気質なので、なにごとも前倒しで済ませておくことはぜんぜん苦にならなかった。

 しかしそのうちに、かならずしも前倒しでやることがいいことばかりではない、ことが私にもわかってきた。

 学校のレポートの提出などは、めったなことでは予定が変更にならない。たとえば、直前になってレポートがなくなるとか、テーマが変わるとか。
 しかし会社内での仕事では、直前になってそれまで必須だったものがまったく無用になったり、一ヵ月後でいいといわれていたレポートを明日提出しろといわれたり、なんてことがよく起こる。こうなると多少の事前の準備ではまったく役に立たないし、事前に準備した分だけ時間を無駄に使うことになる。もちろん、なにかをやれば、やっただけ自分にとってのプラスになっているので、完全な無駄だとは思わないが、そこで出来上がったものがまったく役に立たないでは、やはり効率が悪いし、精神衛生上もよくない。

 結局私が行き着いたのが、最初に述べてタイトルにした “明日できることは、今日しない” である。明日やっても全然問題がないことであれば、ムリに今日済ませることはない。今日やるべきことは、今日やらなくてはいけないこと、今日やったほうがいいこと、今日やりたいこと、であると。それは、仕事でもいいし、遊びでもいい。

 “明日できることは、今日しない” と考えるようになって、少し気持ちが落ち着いた気がする。それまで常に 「前倒しでやっておこう。前倒しでやっておこう。」 と思って、自分では気がつかないうちに、やはり気疲れしていたんだと思う。

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2006/11/22

元の位置に戻してますか?

 私は道具や普段持ち歩いているものを使い終わったら、かならず決まった位置に戻すようにしている。次に使うときにどこにあるか探さなくて済むようにである。たまに、決まった位置に戻さなかったときなど、どこにおいたか思い出せず、探すのに一苦労である。

 最初のきっかけは自分が中学生のときまでさかのぼる。当時私は卓球部に所属をしていた。うまくなろうと解説書を読んでいると “ホームポジション” の大切さが書いてあった。いわく、

「最後に球を打ったところから次に球を打つところまで直接移動をすれば一番効率がよい。しかし、一番遠い反対サイドに強打された場合、ほとんどの場合、返球に間に合わない。
どの方向に返球されても確実に間に合うようにするには、自分が打ち返したあとはかならずホームポジションに戻って相手の返球を待つようにしなければいけない。」

と書かれていた。実際、卓球に限らず、ほとんどの球技に当てはまることだと思う。

 次のきっかけは “タッチタイピング” である。自分が大学生のときに本格的にパソコンを触るようになり、どうせならばと一生懸命にタッチタイピングを習得した。余談ではあるが、このときにタッチタイピングを苦労して習得したおかげで、その後の人生でずいぶんと得をしたように思う。
 タッチタイピングでも指のホームポジションが大切である。キーボードを見ないのであるから、指は相対位置でしかキートップを識別できないので当然である。時々、ホームポジションを間違えて、キートップを一つずつずらして打ってしまい、「あれ?」 というときがある。PCキーボードでは、左:F、右:J が両手人差し指のホームポジションとしてキートップに突起がある。Macキーボードでは、左:D、右:K のキートップに両手中指用の突起がある。またまた余談であるが、Macキーボードでホームポジションの突起が中指用なのは、 「人は人差し指より、中指のほうが敏感であるため。」 という話を以前どこかで開発者がしているのを聞いたことがある。と思ってしらべてみたら、こんなページがありました。最近は、Mac も F J に突起があるのね。

 ダメ押しは、ソフト会社に入ってからのソフト開発であった。
 まず、プログラマーはプログラムを書くときに、各コードにコメントを書くことがもともめられていた。書かれたプログラムを他人が読むときに理解しやすくすることが第一目的である。しかし、人は自分のことでもよく忘れる。自分がなぜそのようなコードを書いたのかを思い出すためにも、各コードのコメントはとても重要なものである。
 仕様を考えるときも “人はすぐに忘れる” ことを前提に設計することが重要である。毎日使っていれば、多くの機能の使い方や呼び出し方を覚えていられる。しかし、少し間を空けてしまうとすぐに使い方を忘れてしまう。そんなときでも見ただけで使い方がわかるような設計になっていることが理想である。忘れるたびに、説明書を読んだり、他人に聞いたりしなければいけないようでは、よい設計とはいえない。

 以上のような経験を経て、私は使ったものをすぐに決まった位置に戻すくせをつけるようになった。「財布はここ。ケータイはここ。メガネはここ。ハサミはここ。」 といった具合である。

 ところが、カミさんは “すぐに” 元に戻すことをしない。私が 「すぐに戻して欲しい」 とお願いして、よくけんかになる。カミさんいわく 「あとで片付ければいいじゃん。」、「またすぐに使うから」、「いちいちうるさい!(`Д´)ノ」(笑) と。最近は、何も言わずに私が片付けることにしている。

 カミさんの気持ちもわかる。確かに、使うたびにいちいち戻しにいくより、目の前のテーブルの上やたんすの上に置いたほうが楽である。しかし、毎日のように 「メガネがない」、「財布がない」、「帽子はどこ?」 と探し回っているのを見ると、やっぱり 「いつも決まったところに置くようにしてくれよ」 と思うのである。まあ、探し回るのがストレスになる性格なのか、ならない性格なのかで決まってくるのだろうけど。

 皆さんは普段、どうされてますかね?

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2006/11/21

ポテトチップ

 最近、ポテトチップをよく作っている。作っているといっても、スライスして、水にしばらく浸して、水気を切ってから、油で揚げる、だけである。一つ20~30円程度のジャガイモ一つで、市販の大袋程度のポテトチップが作れて、とっても得した気分になれる。

 もともとのきっかけは、田舎の実家から大量のジャガイモが送られてきたことである。あまりに大量に送られてきたため、「さて、どうやって処分しようか?」 と思って考え付いたのがポテトチップ作りである。やってみたら、これがまた驚くほど簡単にできてしまった。

 スライスは、100円ショップでも売っているような、大根おろしといっしょになっているような板式のスライサーで十分である。

 家のガスコンロでは、揚げ物用の設定温度が “160℃”、“180℃”、“200℃” の三種類ある。いろいろ試したところ、我が家では “160℃” で泡が出なくなるまで揚げて、さっと引き上げるのが一番よいことがわかった。

 実家からもらったジャガイモであるが、よく見ると “濃い黄色”のジャガイモと、“紫色” のジャガイモが混じっていた。しらべてみると、“インカのめざめ” と “インカパープル” という品種らしい。

 実は、インカのめざめ、インカパープル 共に最初は蒸かして食べたのであるが、それほど男爵芋との違いを感じなかった。そこでしらべてみると、インカのめざめ は 「油で揚げるとよい」 と書いてあったので、ポテトチップにすることにしたのである。

 男爵芋、インカのめざめ、インカパープルをポテトチップにして食べた感想は以下のとおりである。

男爵芋: いわゆる普通のポテトチップである。
インカのめざめ: 男爵芋に比べると明らかに味が濃い。印象としては、男爵芋を普通のスライスしたまま揚げたポテトチップ(カルビーやコイケヤ タイプ)なのに対して、インカのめざめ は、一度つぶしてから薄く成形したタイプのポテトチップ(チップスタータイプ)の味に近かった。
インカパープル: 味は、男爵芋 と インカのめざめ の中間ぐらいの味だった。男爵芋より少しだけ濃厚な感じがした。それより、揚げた後も、多少薄くなるとはいえ紫色をしていることが印象的であった。

■ ■ ■ ■ ■ ■

 ポテトチップの成功で調子に乗って、スイートポテトチップ=サツマイモチップ作りにも挑戦してみた。

 結果は、大失敗であった。 orz

 スライサーで薄くしてあげてみると、ポテトチップはぱりぱりではなく、サツマイモチップは、ポキポキといった感じになった。固いのである。また、サツマイモの甘みがサツマイモチップにするとなくなってしまい、味も食感も悪いチップになってしまった。

 そこで、スライサーでスライスするより少し厚めに切ってあげてみた。

 これも、失敗であった。 orz

 中のほうに多少柔らかい部分は残るものの、やはり大部分が固くなってしまい、お世辞にも食べやすくなかった。

 結局サツマイモは、天ぷらにしてあげるか、軽く片栗粉をまぶしてから素揚げにするのがよいことがわかった。

■ ■ ■ ■ ■ ■

 意外とおいしかったのが “ヤーコン” である。ヤーコンをやはりスライスして油で泡が出なくなるまで揚げる。サツマイモと違って固くならず、甘みを強く感じる。

 ただしらべてみると、ヤーコンは生でも食べられることから、揚げてチップにするのはもったいない食べ方なのかもしれない。また、揚げることで栄養素がどうなるかも私はよく知らないで調理している。“ヤーコンチップ” といった場合、いろんなWebページでは、ヤーコンをスライスしたものをそのまま乾燥させたものを指しているようである。

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2006/11/20

ものは大切に長く使う

 親の育て方の影響なのか、私は物を大切に長く使うことが好きである。同時に、ものをなかなか棄てられないため、持ち物がどんどん増えていく。「こんなのもう、使わないよな~」 と思いつつ棄てられない。

 棄てられない話は置いとくとして、ものを大切にする話。

 今いえにあるもののうち、一番古いのはおそらく今子供が使っている勉強机だと思う。これは私が小学校入学のときに私の親に買ってもらったものである。計算するともう35年使っていることになる。私が買ってもらうときに 「大学卒業まで使えるように」 と木製のシッカリしたものを買った。それが、大学卒業どころか、私の子供が使うようになった。天板には作業用マットを敷いていたおかげで、いまだに新品同様である。

 プラスチック製の四角いミニテーブルは、私が高校生のときに TDK がカセットテープの点数に応じてプレゼントしていたのものである。これも、一時は子供が遊ぶときのテーブルになっていた。

 私が大学生のときに買った小型の折りたたみ式のテーブルは、今もパソコンラックの横で作業台として使われている。

 パソコンラックは、私が最初にパソコンを買ったときのものである。NEC PC-9801VX2 を1987年に買ったのが自分のパソコンの始まりであった。それまでは、大学の研究室のパソコンを空いているときに使わせてもらうだけであった。パソコンもモニターもプリンターも周辺機器にいたるすべてが変わってしまったが、ラックだけはそのときのものである。

 今は壊れて破棄してしまったが、同じ時期に買った ビクターのVHS と ソニーのベータ も長持ちした。1987年ごろに買ってから、2000年に廃棄するまで、ほぼ毎日のように使い続けて、13年間壊れずに動いていた。1994年に買って数年で動かなくなった8mmビデオデッキや、2000年に買って、2~3年で故障したHDD/DVDレコーダー、とはえらい違いである。

 今使っているテレビは21型のブラウン管式である。1991年に秋葉原で買ったものである。さすがにブラウン管が暗くなってきて、そろそろ買い替えを考えているが、安くなった液晶テレビを買うか、粘るだけ粘ってSEDの登場を待つか、思案中である。

 私のようにものを大切に長く使っている人、私なんかよりもっと長く使っている人も世の中にはたくさんいると思う。しかし、最近は壊れてなくとも 「なんとなくデザインに飽きた」 みたいな理由で新しいものに買い換えることも当たり前の社会になってしまい、私にはとても残念である。今住んでいるアパートの粗大ゴミ置き場にも、まだ使えそうな電化製品や家具がしょっちゅう置いてある。

 すばやく消費をして、頻繁に買い換える、ものを作ったり売ったりする企業にとってはとても都合のいい話である。そういう企業をスポンサーに抱えるテレビ局をはじめ各種マスコミも、スポンサー様のために盛んに消費者の物欲を刺激しようとあおっている。
 しかし、消費者がそのようなごまかしにだまされる必要は、どこにもない。私個人としては、ずっと昔の “壊れたら直して使う” ことが当たり前であり、“壊れたらすぐに棄てる” ことはハズカシイ社会になればいいな、といつも思っている。

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2006/11/19

物を買うときは三ヶ月待つ

 私は何かを見て 『欲しい』 と思ったとき、最低三ヶ月は我慢するようにしている。今もっているものが壊れた場合ではなく、今もっていない種類のものを新しく買うときの話である。

 例えば、HDD/DVDビデオレコーダー。最初の機種が発売されてから、私が買ったのは四ヵ月後である。はるか以前に記事に書いたあとこれも) “軟水器” も、お試し版を使って三~四ヶ月してから、二万円する本格的なものを買った。
 一方、HDD/DVDビデオレコーダーやプリンターが壊れたときは、もうそれらなしでは生活に支障が出てしまうため、速攻で購入している。

 なぜ三ヶ月待つかといえば、『三ヶ月我慢しても欲しい物は、ほんとうに欲しい物である。三ヶ月して欲しくなくなったものは、実は最初から対して欲しくなかったものである。』 という考えからである。

 若い頃(20代)は、欲望に任せて欲しくなったものをすぐにあれこれ買ったものである。しかし、買ってすぐは使うものの、まもなく使わなくなり、後で 「しまった!買うんじゃなかった」 と後悔することが多かった。そんなことを何度も繰り返すうちにだんだんと我慢するようになり、長い間の経験から得られた時間が “三ヶ月” という長さである。

 おかげでお金の無駄遣いがずいぶんと減ったと思う。日本経済の活性化には明らかにマイナスだと思うけど。(笑)

 それとは逆に、友人が物を買うか迷っているときは、「買わずに後悔するより、勝手から後悔するほうがましだよ。」 とけしかけてる。まことに迷惑な話である。(^^;)
 特に、旅行など遠出をしたときに、その土地でしか手に入りそうもないもので友人が悩んでいるときには、なおさら購入をけしかけている。
「買って家に帰ってから後悔しても、ものがある分だけ自分を納得させられるじゃん。ここで買わなくて、しかも家に帰ってから 『あ~買ってくればよかった』 って後悔すると、物がない分、物に対する思い出がどんどん大きくなって、後悔も大きくなると思うよ。」
といってけしかけている。そうやって友人にいくら無駄遣いさせたことやら。(^^;)
 エッ?私? 私が旅行先で悩んだときは、もちろん買わない。そんなことを友人達に知られたら殴られそうだが。 (゜Д゜(⊂三(・∀・ ))  私は悩んでも、友人に相談するようなことはしない。そもそも、“悩む” 時点で、「自分はそれほど欲しくないんだな」 と考えるようにしている。本当に自分が欲しい場合は、悩まずに買っている。

 アメリカのショッピングセンターを歩いているとき、TUMI の専門店の前を通った。すると、ショーウィンドーから見える位置にぶら下がっていたショルダーバッグが “おいで、おいで” しているように見えたのである。そのまま引っ張られるように店の中に入り、20分後には、$200~$300 はしたそのバッグを買って店を出ていた。もう10年近く前の話である。そのバッグを毎日持ち歩いていたので、さすがにプラスチック部分が傷んできて、今はあまり使っていない。でも、まだまだ十分に使える状態で残っているし、大切にとってある。

 買うときは即決するか長考して買う。そして買ったものは大切に末永く使う。それが私の主義である。

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2006/11/18

目的と形式化と自己利益追求と

 今回は、かなり昔に日経ビジネスに載っていたインタビューを思い出しての話である。誰かは既に忘れてしまったが、どこかの躍進した大手スーパーの社長のインタビューだったと思う。

 話のあらすじはこうである。

---------------

1. 問題

 当時、その大手スーパーでは、銀行並みにお金の管理が厳しかった。毎日閉店後にレシートと残金のすり合わせが夜遅くまで行われていたらしい。忙しく仕事をしていれば当然ミスも起こる。一致しない金額の原因追求が毎晩遅くまで行われていたらしい。
そのために、従業員の士気は著しく低下していたということである。

2. 発端

 ある日、ある支店の店長が、毎晩の遅くまで従業員が居残りをさせれていることを不憫に思い、残金の足りない分を自分のポケットマネーから出すことにした。それにより、毎晩遅くまで残って数字合わせをする必要もなくなり、従業員の士気も徐々に上がっていった。

3. 転機

 その後、たまに残金が多い日があると、支店長はこう考えた。「普段は自分の財布から補填しているんだから、余剰が出たときは自分がもらって当然である。」 と。
そうして、足りない分は自分の財布から出し、余ったときは自分の財布に戻す、ということが日常化していった。

4. 悪用

 支店長が交代しても、自分の財布から補填するシステムは引き継がれた。
ところがある日、ある支店長が思いついた。「毎日残金が多ければ自分が得をするではないか」 と。その日から、その支店長は売り上げに細工をして、常に残金が余剰になるようにした。もちろん、余剰金は支店長の財布の中に入っていった。

5. 解決

 もちろんそのような不正がいつまでも続くはずはなく、やがて本社の社長の知るところとなる。不正を行った支店長だけに責任を取らせるのは簡単である。しかし、元の厳しい売り上げのすり合わせに戻せば、社員の士気が再び低下してしまう。
そこで、社長は 「売り上げと残金を無理やり合わせることをしなくてもよい。差分を含めて正直に報告せよ。」 とシステムを改めたのである。その変更により、社員は本来の業務に専念できるようになり、支店長が不正を誘発するような行動も抑えることができて、売り上げを大きく伸ばすことができた。

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という内容であった。

 私はこのインタビューを読んで目から鱗が落ちたような気がした。「なるほど。不正はこのようなことから始まっていくのか。」 と。最初に始めた支店長はけっして不正を働こうとして、自分の財布からの補填をはじめたわけではない。しかしそれを続けているうちに、支店長からの財布の補填が形式していった。やがて、お店の金庫と支店長の財布が一体のものとなって、やがてそれを悪用しようとする人間が現れる。

 官僚の不正もどき(不正とは言い切れないが、国民感情からすれば“ずるい”行い)も、最初にその仕組みを作ったときは何らかの良い目的のために作られたと信じたい。それが時間を経ていく過程で、当初の目的は忘れ去られて、その仕組みを実行するという形式だけが残ってしまう。そのうちに、その形式を悪用する官僚が現れる。何しろ、官僚は “頭がいい” ですから。

 最近は、テレビ放送も同じ道を歩んできたのかな?と思い始めている。

 テレビ放送が始まった頃は、皆、テレビを見ている人に楽しんでもらおうと一生懸命だったんじゃないかなと思う。視聴率なあまり気にしないで、とにかく質の高い番組を見てもらおうと考えていたんじゃないかと思う。

 それが、テレビ放送が当たり前の社会になっていったときに、最初の “視聴者に楽しんでもらう” という目的は失われて、スポンサーを多くつけて売り上げを伸ばすために “視聴率の稼げる” 番組作りになっていったのではないかと想像している。

 そして今は、番組制作のノウハウも十分に蓄積されて、“子供”、“動物”、“お色気” といった安易に視聴率が稼げる方法がとられている。ワイドショーではこれでもかというくらいに、“他人の不幸” を放送し、“こうすれば身体にいい” と幸福の壷を売るかのように、見ている人の不安をあおって商品を買わせようとしている。

 時間がたてば形式化することは避けられないことだと思う。だからこそ、組織にしろ、個人にしろ “見直し” が求められると思うのである。我が家では現在新聞を取っていない。しょっちゅう押し売りに来るが、“新聞は読まないのでいらない” とことわっている。1年半前までは新聞を取っていたが、気がつくとまったく読まない日があることに気がついた。情報はほとんどインターネット上で手に入った。結局、気がついたときに新聞をとるのをやめた。有料のケーブルテレビ放送も見る番組がなくなったのでこれも契約を解除した。

 個人でよく言われるのが保険の見直しである。自分の年齢や子供の成長に合わせて、必要な保険は変わってくるのに、ほとんどの人は見直しをしていないと。見直しをすれば、必要な保険も少なくて済む場合が多いと。必要な保険が減れば、当然支払いも減らせる。形式的に続けていることで、不必要に負担をしている場合が多いと思われる。幸いカミさんがファイナンシャル プランナーの資格をもっているため、我が家の保険の見直しはカミさんが積極的にやってくれる。

 皆さんも一度、自分の身の回りの “見直し” をやられてみてはいかがだろうか? 案外、見直してみると得することがあったりするのではないかと思っている。

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2006/11/17

いつまでたっても“追いかけ再生”がうまくできない (ユーザビリティ)

 家で使っている HDDビデオレコーダーの話である。

 HDDビデオレコーダー(HDDレコーダー)には、“追いかけ再生” というとても便利な機能がある。今録画している番組を録画した範囲で以前に巻き戻してみることができるという機能である。子供は19時から民放番組を見たいと言い、カミさんはNHKのニュースを見たいと言う。そこで民放番組を録画して、リアルタイムに見るのはNHKのニュース番組としている。NHKのニュースを一通り見終わると、録画中の民放番組の追いかけ再生に移る。その頃私はテレビの前からたいてい離れており、自分のパソコンでブログを書いていたりする。(笑)  そうしているとたいてい今のほうが騒がしくなる。子供が私のところに来て 「ママがうまく再生できないからきてー」 と泣きついてくる。これがほぼ毎日である。(TдT)

 毎日のことなのに、なぜカミさんは追いかけ再生をうまくできないのか? 一言で言ってしまえば、HDDレコーダーの “ユーザビリティが悪い” からに他ならない。どこが悪いのか私なりに考察してみた。

 
1. 用語の問題

 追いかけ再生機能を開始するボタンが “タイムスリップ” となっている。“タイムスリップ”と聞いてそれがどういう機能かを想像できる人はそんなに多くないだろう。なぜ素直にボタンの名前を “追いかけ再生” にしなかったのか? 私には謎である。

 
2. ボタンの配置の問題

 上記の “タイムスリップ” ボタンは、“DVD”、“HDD” と同等の位置と形で配置されている。“DVD”、“HDD” が物理的な媒体の選択に対して、“タイムスリップ” は物理的なものを持たない機能の一つでしかない。ここにも混乱の要素がある。
DVD+タイムスリップ や HDD+タイムスリップ ということを考えて配置したのかもしれないが、別なカテゴリのものを同列に扱う時点で、良いユーザビリティとは私には思えない。

 
3. 再生するときの手順の違い

 すでに録画が済んでいる場合は、“見るナビ”ボタン → 見たい番組の選択 → “決定”ボタン、となる。
追いかけ再生をする場合は、(録画している状態) → “タイムスリップ”ボタン → “スキップ”ボタンで録画先頭に移動、となる。追いかけ再生をしようとして “見るナビ”ボタンを押しても、録画中の番組は “録画中・・・” とだけ表示されて、“見るナビ”からは再生ができない。通常の再生の基点である “見るナビ” を表示【させないで】、“タイムスリップ”ボタンを押す必要がある。ここがカミさんを一番悩ませているところである。

 いきなり “タイムスリップ” ボタンで再生できてもよいが、同時に “見るナビ” から録画中の番組を選択することで追いかけ再生ができても、(実装に必要になる以外)何の問題もない。
多くのユーザーにとっては、再生は再生である。録画済みでも、録画中でも、ユーザーにとってはそれは大きな問題ではない。であるから、同じようなことをするときは、同じ手順で実行できる必要がある。しかし、手持ちのHDDレコーダーにはそれがない。

 
4. “スキップ” ボタンのわかりにくさ

 追いかけ再生を開始した直後は、ほぼ今録画しているところから再生が始まる。これがまずよろしくない。追いかけ再生を開始したということは、録画を開始した時点に戻って見たい場合が大半を占めると考えられる。であれば、追いかけ再生を開始すると同時に、録画開始時点から再生すべきである。ちなみに、録画済の番組はちゃんと録画先頭から再生される。

 さらに、番組の先頭に戻るためには、“スキップ” ボタンを押さなくてはいけない。なぜ “スキップ” なのだろう? 素直に “巻き戻し/早送り” でよいではないか。次のチャプターもしくは番組の先頭・末尾まで瞬時に移動するボタンを “スキップ” としている。画面を早送り再生や早送り巻き戻しをするボタンは “ピクチャーサーチ” である。こんなわかりにくい用語ばかりを使ったリモコンだけを見て操作できないカミさんを私はちっとも不思議ではない。たぶん、この機種を使っているユーザー(その家族も含めて)の90%はリモコンの使い方を理解していないと私は想像している。

 もし、私がこのリモコンをデザインするとしたら、以下のようになる。

A. “タイムスリップ” ボタンの 名称変更、位置の変更、もしくは廃止

 “タイムスリップ” ボタンを残すとすれば、名称を “追いかけ再生” ボタンとする。配置は、“見るナビ”、“編集ナビ”、“録るナビ”、“ライブラリ” ボタンを同等に配置するか、もしくは完全に独立させる。上記の四つのボタンに同等に扱えないのは、上記の四つのボタンは操作するための画面が表示されるのに対して、追いかけ再生 は、操作画面が出てこないためである。

 もっといいのは、“追いかけ再生” という名前は、機能の名前として残しておき、専用のボタンは廃止する。追いかけ再生をするときは、“見るナビ”画面より “録画中・・・” のアイテムを再生することで行う。
ただ、えてして、製品の “売り” を目立たせるためにあえて無駄な機能を大きく目立たせることは、家電業界ではよくあることなので、そこを説得するのが実際には難しそうではある。

 
B. 追いかけ再生の先頭からの再生

 録画中の番組の追いかけ再生を開始したときは、録画の開始地点より再生する。

 
 この二つだけを実装するだけで、“追いかけ再生” が多くのユーザーにずいぶんと使いやすくなるものと私は思っている。

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2006/11/16

HELPNET 見守りモード の使用例

 前日、GPS位置検索サービスに “HELPNET” の “見守りモード” を使うことを決めた。

 私の場合の見守りモードの設定は以下のとおりである。

・ 検索の開始はパソコンから行っている。(ケータイの高いパケット料金を使わない様にするため)
・ 子供にケータイを触らせないようにするため、自動で検索を開始する設定にしている。
・ 検索結果の送信は、“6分毎” に行う設定にしている。
・ 一回の検索に対する送信回数は “10回” にしている。

6分毎にしているのは、子供が電車に乗っている時間の都合である。回数を10回にしているのは、最長で1時間検索を行えれば十分だろうという判断である。実際、これまでに一日で二回以上の検索を行ったのは、迎えに行く時間を間違った2~3回のみである。通常は5回~8回送信したところで子供と合流して、合流後は手動で送信を停止している。

 位置情報を記したメールには、以下のもの含まれている。

・ 検索精度 (三段階)
・ 最初に検索した位置からの直線距離 (km)
・ 地図を表示するためのアドレス (ケータイ用、およびパソコン用)

私が見るのは、・ 検索精度 と ・ 直線距離 である。子供がまだ校舎に入っているときは、検索精度が二段目(中精度、誤差は数百m)となる。精度が三段目(最高精度、誤差は数十m)となっていたら、子供はすでに校舎の外に出て、下校を始めている。検索精度三段目を確認したら、あとは直線距離を参考にしながら迎えにいく。この直線距離により、迎えにいくための無駄な時間がなくなり、待ち合わせ場所で、長時間、どこにいるのか心配しながら待つことはない。合流までまだ少し時間があるようなら、待ち合わせ場所付近で買い物をしたりしている。
リンク先の地図を見ることは、めったにない。多くのパケットを必要とするからである。何回か使うと、直線距離だけでおおよその位置がわかるようになる。

 私のケータイから子供の位置検索を開始すると、約200パケット 使用する。子供のケータイが位置情報を一回送信するのに、約50パケット 使用する。10回送信すると 約500パケット である。
私のケータイの料金プランが “コミコミOneライト” で、無料通話料金をパケット数に換算すると、約2200パケットとなる。これと比較すると、一回に200パケットはけっこう大きい。よって、検索開始はなるべくパソコンから行うようにしている。
子供の料金プランは “コミコミOneエコノミー” である。無料通話料金をパケット数に換算すると、約7400パケットである。一ヶ月休みなしで登校すると少し無料通話料金を超える。今は、無料通話分の繰越しがあるため、夏休みでためた無料通話文で、超過パケット数による追加料金は発生していない。

 今のところは、現在の HELPNETの見守りモード で満足している。
子供がもう少し大きくなって、迎えにいく必要がなくなったときは、追加サービスを使わず、ケータイ本体が機能としてもっている位置情報送信機能を使わせるつもりである。

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2006/11/15

GPS位置検索サービスを決めるまで

 AU の GPSケータイ を使って、子供の位置検索をするようになって一年半になる。今では、位置検索が使えないとけっこう不安になる。
私以外にも、最近は子供の登下校時の安全を考えて、子供にケータイを持たせることを考えている親御さんが多いのではないかと思っている。そこで何かの参考になればと思い、自分の経緯と現状について書くことにした。

 子供が小学校に通うようになったのは去年(2005年)のことである。家から離れた学校に通うため、途中までカミさんか私が送り迎えをすることにした。その頃すでに、登下校時に子供が犯罪に巻き込まれることが社会問題となっており、万が一のことを考えて子供の居場所がすぐにわかるようにすることを決めた。

 真っ先に候補に挙がったのが、NTTドコモの“いまどこサービス” である。専用端末をつかえば、子供がケータイを使うこともなくなる。移動範囲が都内ということで、PHSも問題にはならない。しかし、NTTドコモ自身がPHSのサービス終了を予告しており、終わることがわかっているサービスを使うことは避けることにした。

 次に候補に挙がったのが “ぴぴっとフォン” である。機能が制限されており、端末も小型でよさそうであった。
しかし、カミさんのケータイがドコモのため、カミさんのケータイからぴぴっとフォンの検索ができない。基本料金は安いが、検索費用が高い(23.1円~26.25円/回)といった点で不採用となった。

 結局、いわゆる携帯電話を持たせることになったのだが、ドコモのケータイにまともなGPS付のケータイがなかった。当時のドコモのケータイでは、F505iGPS や F661i など時代遅れのGPSケータイしかなかった。カミさんのケータイがドコモなので、それに合わせたかったが、断念することにした。
今であれば、キッズケータイ SA800i を持たせていたであろう。二年遅かった。余談であるが、今カミさんが使っているのは、SA700iS である。

 そうなると選択肢は、当時からGPSに力を入れていたAUということになる。最終的に、子供に持たせ、そのときはまだケータイをもっていなかった私も持つことで、利便性をあげつつ、家族割で費用を抑えることとした。
再び余談であるが、その後、家の固定電話がKDDIのIP電話となり、私のケータイ → 家 の費用も抑えられた。

 はじめの三ヶ月は AU の お探しナビ を使っていた。追加のソフトウェアも必要なく、パソコンからも検索できた。しかし、いかんせん、使い勝手が悪かった。
お探しナビ の使いにくいところは、検索したときに一回しか居場所を通知してくれないところである。私が考えていたのは、これみたいな、移動ルートを見られることだったので、お探しナビでは不十分だった。実際に使い始めると、(一日に数回)×(登校日数)分回数検索をしなければいけないことがわかった。基本料金で検索が10回行える。それ以上の検索は 315円/10回 の追加料金が発生してしまい、お探しナビ でまかなおうとすると、おせじにも経済的とはいえない。

 そこで、なにか他によいサービスはないのかと探したところ、見つかったのが HELPNETの見守りモード であった。
これだと、一回の検索命令で複数回の検索を行える。移動ルートを表示する機能はないが、私には複数回の検索だけで十分であった。

 今は、HELPNET の 見守りモード だけを使っている。

 
 明日はこの続きで、私が見守りサービスをどのように使っているかについて、書く予定である。

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2006/11/14

テスティング -手動テスト と 自動テスト-

 また、テスティングの話である。ふと思い出したので、忘れないうちに書きとめておくことにした。

 自動テスト、オートテスト、オートメーション・テスト、いろいろ言い方はあるだろうが、要はスクリプトによって一つもしくは複数の動作を検証中のソフトウェアに行わせて、結果を人手をそれほどかけずに得ることを目的としたテストのことである。おそらく現状の市販のソフトウェア規模であれば、自動テスト抜きでは品質を保証することはかなり難しいと思われる。
(とは言うものの、エクストリーム・プログラミング などによって大規模な自動テストが重要でなくなることももしかしたらあるのかもしれないとはちょっとだけ期待している。)

 私が現役のテスターであった頃、ちょっと困った考えをもっている人達が一部に見られた。どういう困った考え方かというと、『自動テストなどいらない。手動テストだけ行えば十分である。』 という考えと、『自動テストさえあれば、手動テストは必要ない。』 という考えである。
前者は、どちらかといえばやや優秀なテスターに見られた。自分が効率的にバグを見つけることができるため、それを基準として、必要な人員を集めれば十分に品質が保障できると思ってしまうらしい。
後者は、マネージャーや経営者に多く見られた。どうやら、テストをすべて自動化すればコストをかなり低く抑えることができるはず、と信じて疑っていないようであった。

 人並みにテスターを経験してきた人間なら、手動テストと自動テストは互いに必要なものであり、それぞれにバランスのよい比率があることがわかってくる。
手動でテストをすれば5分で終わるテストに、スクリプトを1時間も2時間もかけてテストをするのは、見るからに非論理的である。逆に、数百GBもあるデータベースに何日もぶっ続けでランダムアクセスし続けるなどとというテストは自動テストであればこそ現実のものとなりえる。

 私の考える自動テストに向いているテストを以下に示す。
1.以前のバージョンで既に確立した機能で、開発中のバージョンでも変更のない機能のテスト
2.開発中に見つかって修正したバグの再発検知テスト
3.長時間にわたるストレス・テスト (メモリー・リーク・テスト)
4.大量のデータの読み込み、書き出しの繰り返しテスト
5.外部へ公開しているAPIの接続テスト
6.マクロのようなスクリプト機能をもっている場合のスクリプト機能そのものテスト
7.ビルド後の新しく出来上がったテスト用プログラムの健全性チェックテスト

 逆に、私の考える手動テストを優先したほうがよいと思われるテストを以下に示す。
1.開発中のバージョンで新しくつける機能のテスト (特に機能そのものが実装途中の場合)
2.開発中のバージョンで大幅に機能が変わる部分のテスト
3.ユーザー操作を想定した実仕様テスト (結局最後にユーザーがそのソフトウェアを使うのは手動である)

 私の経験では、自動テストを担当させるのに選任のテスターを配置したほうがいい成果を出せた。逆に、テスター全員に自動テストを分担させると、手動テストも自動テストも共に中途半端になる傾向が見られ、手動テストでは見落としが、自動テストは充実しないことが多かった。

 私も何度か自動テストを担当して、その高い有効性にずいぶんとのめりこんだこともある。バグを修正するつもりで別の以前のバグをプログラマーが復活させてしまったのを、自動テストで検知できたことも一度や二度ではなかった。夜に会社からかえるときに自動テストをスタートさせて、次の日に会社に来るとテスト結果が出ていたのもとても気持ちよく、得した気分にさせてくれた。

 しかしながら、ユーザーがそのソフトウェアを操作するのは、あくまでもユーザー自身の手であり、ユーザーがスクリプト・ツールを使い、自分達が開発したソフトウェアを使うとは思えない。だからこそ、テスターは最後は自分の手で実際に動かしてみて出荷可能であることの確認をその肌身で感じることが重要である。

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2006/11/13

私のPDA遍歴

 私は、覚えるのが苦手である。
特に、名前、電話番号、スケジュールを覚えるのが苦手である。昔はメモ帳に名前や電話番号を書いて持ち歩いていた。スケジュールもメモ帳に書いていたが、紙媒体の悲しさ、当然予定時刻になっても教えてはくれない。

 そんな私は PDA (携帯情報端末、Personal Digital Assistant または Personal Data Assistance) が世に出てとてもうれしかった人達の中の一人である。
PDA の原型ともいえる アップル社のニュートン はさすがに高すぎて手が出なかった。

 自分自身の記録として、記憶に残っている範囲で自分のPDA遍歴を書くことにした。

 
~1995年: メモ帳(紙)

 この頃まではひたすら紙と鉛筆を使っていた。私はシステム手帳が嫌いなので、毎年日付の入った小さめの手帳を買ったり、もらったりして使っていた。
上で書いたように、名前と電話番号とスケジュールの記録には十分であったが、検索性が悪いのと、スケジュールをアラームで教えてくれないという大きな欠点があった。(笑)

 
1995年~1997年: TIMEX DATALINK

 アメリカ TIMEX社の DATALINK は、パソコンとの通信手段がユニークなことで知られている。アメリカ製なので英数字と一部の記号しか使えず、電話帳の名前は必然的にローマ字となる。スケジュールのタイトルもローマ字か英語表記で使った。電話番号もアメリカ式の区切り方で、日本の電話番号を入れるとかなり違和感があった。

 当時は身につけられるPDA製品がこれぐらいしかなかったので、二年ほど毎日みにつけていた。しかし、アメリカ製の宿命なのか二年にして音がならなくなった。orz
音が鳴らなければアラーム機能が役に立たない。結局、買い換えることに。

 
1997年~1998年: TIMEX DATALINK 150

 DATALINK を買いなおそうとしたら、model 150 などというものがついて、モデルチェンジしていた。他に model 70 という女性用の小型版が出ていた。機能部分はほぼ旧型と同じであいかわらず英数字以外は受け付けない。

 現在も問題なく動作するのだが、結局一年しか使わなかったのは、この後に述べる、日本語が表示できる同等の製品に乗り換えたためである。

 
1997年~1998年: カシオ カシオペア A-50

 今ではすっかりなくなってしまった、WindowsCE搭載のH/PC(ハンドヘルド パソコン)である。当時は、ラップトップパソコンがまだまだ重くて、駆動時間も短かったため、文字通りラップトップ=ひざの上 パソコンとして、移動可能な省スペースデスクトップパソコンとしてしか使われていなかった。そんな時代に、“ほんとうに外に持ち運べて、バッテリーを気にしないで使えるパソコン” として出てきたのが H/PC である。

 私もさっそく会社の備品として買ってもらい (^^;) 、常時持ち運ぶパソコンとして使っていた。
しかしながら、持ち運びには便利な大きさは、両手での文字入力にはかなり無理があった。手書き入力も当てにならない文字認識精度で、やはりキーボード入力に頼らざるを得なかった。会議中にメモを取るのも一苦労。
結局一番役に立ったのは、交通機関での移動中にフリーセルが遊べるということだった・・・。

 名前と電話番号の管理にはカシオペアを使っていたものの、スケジュール管理には上記の DATALINK 150 を並行して使っていた。

 
1998年~2000年: NEC MobileGear II MC-R300

 カシオペアが発売された翌年には、WindowsCE 2.0 を搭載した製品群が発売された。私もすかさず NEC の モバイルギア を再び会社に買ってもらった。(^^;)
モバイルギアを選んだ理由は、大きさが何とか両手でタイピングできる幅であったことと、処理速度が他の WindowsCE 2.0 搭載機より速いという報告があったからである。

 モバイルギアはカシオペアとは違い、両手で問題なくタッチタイピングができて、会議でのメモ取りも余裕でできた。また、ラップトップPCと違い HDD を積んでいなかったので、開けてすぐに使用、会議終了と同時に閉じて即移動、といった使い安さがあった。

 十分に使いやすかったのだが、2000年ごろにはラップトップPCも十分な軽さと駆動時間を実現していたので、いつのまにかより使いやすいラップトップPCを常時使うようになっていった。

 
1998年~2000年: シチズン DataSlim

 DATALINK では日本語が使えないことがやはり使い勝手の上では問題であった。そんなときに発売されたのがこの DataSlim であった。PCカードサイズということもあり、画面サイズは腕時計に比べれば格段に大きく、見やすかった。データの入力、同期は、パソコンのPCカードスロットに差し込むだけの簡単なものである。

 友人がもっているのを触らせてもらい実物を確認した後、速攻で買った。一見、画面上を操作できるタッチパネルのように見えて、実は周囲に配置されたボタンでしか操作や文字入力ができないという意地悪な設計であった。画面上での操作は、2000年に発売された DataSlim2 で実現されたが、残念ながら DataSlim2 を購入することはなかった。
データ入力、文字入力をPCカードスロット経由に限定すれば使い勝手はきわめて良好であった。普段は、専用の皮ケースに入れて、胸ポケットにしまっておけば、アラームの音もよく聞こえた。

 98年~2000年までの約二年間は、スケジュール アラーム、電話帳は DataSlim に任せ、会議でのメモ取りを モバイルギア で行うというスタイルで PDA を使っていた。

 
1998年~2005年: カシオ BIZX PCX HBX-100J

 DataSlim に少し遅れて発売された腕時計型の PDA である。TIMEX DATALINK の日本語版といってもそれほど間違ってはいないと思う。画面は小さいながら、感じも含めて日本語を表示できるということで発売後まもなく購入した。

 時期的には DataSlim と重なるが、実はわけがある。この PCX は、赤外線通信でパソコンとやりとりをする。ところがプロトコルが独自であったため、Windows98 では、正常にパソコンとリンクできなくなってしまったのである。
制式の赤外線通信プロトコルは汎用であるために PCX にとっては不必要に複雑なプロトコルであった、と開発者は語っていた。そして、腕時計に実装するために、必要最低限の独自プロトコルのみを搭載した、とも言っていた。結局それがあだとなり、Windows98とでは、使えないPDAとなってしまったわけである。

 そのために購入して1年足らずで、“単なる腕時計” と化してしまったのである。スケジュール管理はもっぱら DataSlim で行うこととなった。
ところが2000年に転機が訪れた。Windows 2000 では今度は DataSlim が使えなくなってしまったのである。偶然とは重なるもので、ちょうどその頃、RS-232C に接続するタイプの赤外線通信ユニットを入手することができた。これを使うと、Windows 98 であろうと、Windows 2000 であろうと、PCX と赤外線通信ができるようになったのである。

 その後は、スケジュール管理と電話帳が PCX へと移行して、2005年のケータイの時代まで私の左腕で PCX はアラームし続けることとなる。会社を辞めてからは、スケジュール機能は使う機会がほとんどなくなり、もっぱら電話帳として役に立った。なぜなら、2005年まで私はケータイをもっていなかったのである。電話をかけるときは、PCX を見ながら公衆電話から電話をかけていたのである。

 
2005年~現在: AU A5507SA

 2005年4月まで私はケータイといいうものを一切もっていなかった。特にこだわっていたわけではなく、単に “必要がない” と思っていただけである。連絡はもっぱらパソコンの電子メールで十分間に合っていた。また、料金が固定電話に比べてずいぶんと高いこともケータイを持ちたくない理由であった。
ケータイをもっていないといいこともある。どこかにふらっと出かけたときに連絡がつかないために邪魔をされないのである。この、カミさんにも会社にもつながれていない感覚が私は好きである。

 ともあれ、2005年4月に初めてケータイを持つこととなった。理由は子供のためである。子供の学校が少し遠いため、登下校時の子供の位置をリアルタイムに把握できるように子供にケータイを持たせ、自分もケータイで位置を確認するというスタイルを選んだ。子供の位置確認をするサービスをいろいろ調べ、やはり 「GPS方式かな」 と思い、AU にした。
ケータイそのものにはこだわりがなかったため、そのときに 0円 で購入できる機種を選んだ。それが サンヨー の A5507SA であった。

 実際使い始めると、ケータイが実に自分にぴったりのPDAであることがわかった。電話帳(当たり前(笑))、電子メール、アラーム、スケジュール、メモ帳、電卓、などなど家の外で使いたいと思っている機能がシッカリ詰め込まれていた。
考えてみれば当たり前である。店への報奨金で 0円 になっているが、実際には二万円とか三万円で売られているPDAなのである。

 結局、必要な機能が全部入っているということで、PCX はお蔵入りとなった。長い間役に立ってくれたPCXは壊れたわけではないので、今でも私の机の上で毎時ごとに 「ピピッ」 と知らせてくれる。

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2006/11/12

見苦しい・・・

 文部科学省の大臣と官僚が責任逃れに躍起である。

 まさに今の日本を象徴している権力者の対応である。口では 「正直者が報われる社会」 だの、「不正を許さない」 だの言っているくせに。ことが自分に及ぶと 「自分は知らなかった」、「現場が勝手にやったこと」 と見苦しい言い訳を繰り返す。

 省庁の官僚にとっては、国民に “見苦しい” と思われることなどどうでもいいのである。彼ら・彼女らにとって一番大切なのは省庁内で出世をすること、そのために上司に高い評価をもらうこと。国民が彼ら・彼女らの人事評価をするわけではない。

 もちろん、国民の感情で官僚を人事評価するのは問題である。そんなことをすれば、官僚は国民におもねる政策ばかりjを行い、結局、国が破綻をしてしまう。それは歴史を見ればだいたい予想がつく。第二次世界大戦前に、ドイツでは国民の感情に訴えかけた人物が、その後独裁政治を行い、結果周囲の国民も、ドイツ国民も不幸となっている。

 国民の評価・感情では責任を取らされないことをいいことに、官僚は好き勝手な行動をする。都心の賃貸マンションの家賃が相場の10分の1~100分の1、年金の自己負担額が少ない、などなど。私が問題にしたいのはそこである。

 権限があるのに責任がなければ、暴走するのは人間の性である。なればこそ、システムによってその人間の性を抑えなければいけない。では、どのようなシステムにすればいいのか?

 私程度の知識と経験では、残念ながら明確な回答を持ち合わせていない。ただ、私には一つ思っていることがある。それは、“責任者を明確にする” ことである。政策にしろ、法案にしろ、誰が責任者としてそれを立案、実行するのかが、今のシステムでは明確にしなくてもいいことになっている。それを、あらかじめ明確にするのである。ネット上でも匿名であれば好き勝手な発言ができても、記名発言となると発言が慎重になる原理の応用である。自分の名前が公になって政策や法律が実行されるとすれば、いい加減なものは世に出せないだろう、というのが私の考えである。

 “責任が明確でないおかげで、さまざまな政策を実行することができる” という考えもあるだろう。現に今はその考えで日本の政治・官僚システムが動いていると思う。しかし、その考えを官僚が悪用して、暴走をしているのが現状である。であれば、その反対の考えを取り入れるべきではないのか、というのが私の考えである。

 国でもっとも厳しく責任を取らなければいけない人たちが、愚にもつかない言い訳で責任を回避しようとしている。企業においても、社長や重役がとるべき責任を回避しているような企業は、早晩、立ちゆかなっていく。同じように、日本という企業がまもなく立ち行かなくなっていくのではないか、ということを私は心配している。

 とにかく、政治屋や官僚たちが好き勝手にやって、責任をとろうとしないさまは、他国民を多数拉致したり、衛星打ち上げといって弾道ミサイルを撃ったり、危険を顧みずに核実験を強行する某国の権力者達を見ているようで、私にはとても不快である。

 政府も、NHKに拉致問題を重点的に放送するように命令するんだったら、官僚の不適切な行動についても重点的に放送するように命令して欲しいものである。

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2006/11/11

プリンター iP7500 光沢紙比較レポート (後編)

 前日の続きである。このページから読み始めた人は、上のリンクから前日のレポートから読まれることをお勧めしたい。


色の補正実験

 安価なハガキ用紙では、エレコム-キャノン が一番私の好みだったので、このはがき用紙での印刷をもう少し キャノン プロフォト に近づけられないか、実験してみた。

 まず、濃度をマイナス補正してみた。

濃度 -5: 補正なし と比較して、あまり違いがわからない。むしろ、色合いの変化のほうが顕著である。少し茶色がかぶったような色合いとなった。
濃度 -10: 補正なし と比較すると、明らかに明るい感じとなる。キヤノン プロフォトよりも少し明るい感じとなった。色合いは 濃度 -5 と同じ傾向であった。
濃度 -25: ここまで来るとかなり薄い感じとなり、壁に貼って一年経過して退色したような色合いとなった。

この結果から、濃度 -8 ぐらいで、キヤノン プロフォト に近い明るさとなった。しかし同時に、色合いも変化してしまい、期待するような結果とはならなかった。

 カラーバランス:ブラック の補正も試してみた。濃度の結果から、ブラック -8 として印刷した。
濃度をマイナス補正するよりも、色合いの変化が少なくて、好ましかった。しかしながら、コントラストの低い、いわゆる “ねむたい” 結果となってしまう。比較をすれば、やはり補正なしの印刷のほうが私の好みであった。


推奨設定での印刷

 キヤノン フォト光沢、エレコム-キヤノン は本来 “光沢紙”設定 での印刷が推奨されている。そこで両者を推奨い設定の “光沢紙” で印刷してみた。

 結果としては、両者とも似たような結果となった。明るさが増して キヤノン プロフォト に近い明るさとなった。しかし、コントラストが “プロフォトペーパー”設定 に比べて落ちたように見えてしまい、くっきり感が下がったように見えてしまう。比較をすると、私には “プロフォトペーパー”設定 のほうが好みである。

 ついでに キヤノン フォト光沢 に対して、“光沢紙”、“印刷品質:きれい”、“色/濃度:自動” で印刷してみた。中間調の具合、明るさや色合いからすると、“品位:2”、“明るさ:ガンマ 1.8” で印刷されている。ガンマ 1.4 より暗く印刷されているが、“プロフォトペーパー”設定 での印刷のときのようなくっきり感は感じられなかった。


私の結論

 今回のテスト印刷結果から、私が写真を印刷するときの設定を以下のようにすることを決めた。

用紙の種類: プロフォトペーパー
印刷品位: ユーザー設定: 品位 1, 誤差拡散
色/濃度: マニュアル調整: 明るさ: 明るく(ガンマ 1.4)
フチなし全面印刷 オン
はみ出し量: 最小
VIVIDフォト オン

 日常的に使用するハガキ用紙は以下のように決めた。

特にきれいに印刷したい場合: キヤノン プロフェッショナル フォト はがき
通常の印刷や大量に配る場合: エレコム キヤノンインクジェット対応 光沢ハガキ

今回、このテストのためにけっこうな数の光沢ハガキを購入したため、完全に エレコム-キヤノン に切り替えるのは、ずいぶんと先になると思われる。それまでは、印刷する写真の内容によって使う光沢紙を選択しながら今ある安価な光沢紙を使い切っていくことになると思う。


お願い

 一般には知られていない印刷のテクニックを知っておられる方がいれば、ぜひコメントしていただきたい。

追記:

プリンター iP7500 ICMを使った印刷 (前編)

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2006/11/10

プリンター iP7500 光沢紙比較レポート (前編)

 以前予告したように、普段よく使うであろう光沢ハガキ用紙での印刷比較テストをした。

 前回比較した用紙も含めて、比較・テストしたハガキ用紙は以下のとおりである。

キヤノン プロフェッショナル フォト はがき,24円/枚 (480円/20枚)
キヤノン フォト光沢ハガキ, 10円/枚 (504円/50枚)
フジフィルム 写真仕上げA6,18円/枚 (360円/20枚)
プラス デジカメ光沢はがき, 7.8円/枚 (388円/50枚)
エレコム キヤノンインクジェット対応 光沢ハガキ, 7.6円 (380円/50枚)
エレコム エプソンインクジェット対応 光沢ハガキ, 7.6円 (380円/50枚)

価格については、私が買ったときの実売価格である。フジフィルム 写真仕上げ は、古い用紙で、現在は新しいシリーズが発売されている。プラス、エレコムについては、100枚入りセットもあり、100枚入りのほうがさらに単価が安くなる。


お詫び

 スキャナーなどをもっていないため、印刷結果を写真でみせることができない。デジカメでの撮影も試したものの、私の目で見た印象をうまく伝えられるようには撮影できなかった。よって、すべて文章による説明とした。

 また、よい・よくない、の判断はあくまでも私の主観であるため、他の人が判断した場合、別な結果になる可能性がある。


テスト環境

 私の パソコン環境=テスト環境 の概要は以下のとおりである。

プリンター: キヤノン PIXSUS iP7500
ビデオカード: nVidia GeForce 3Ti200 → GeForce FX 5200
モニター: EIZO FlexScan P1700


前回のおさらい

 キヤノン プロフォトはがき が私から見て一番好ましい印刷結果となった。
エレコム エプソン光沢ハガキの推奨設定は “光沢紙” である。“光沢紙”、“スーパーフォトペーパー”、“プロフォトペーパー” で試したところ、“プロフォトペーパー” の “品位:1” の設定が、私にとって一番好ましい印刷結果であった。
色の調整で “ガンマ 1.4” (残りの設定は標準) の印刷結果が私の好みであった。
VIVID:オン にしたほうが、いずれの用紙でも好ましい印刷結果であった。


プロフォトペーパー、品位:1、VIVID:オン での印刷比較

 前回の結果をふまえて、すべての用紙を “プロフォトペーパー、品位:1” で印刷してみた。
キヤノン プロフォト、フジフィルム 画彩、エレコム-エプソン は前回印刷済みなので、キヤノン フォト光沢、プラス 光沢ハガキ、エレコム-キヤノン を追加で印刷した。

 私から見て好ましい順番に並べてみる。なお、いずれの用紙も単体としてみた場合、十分に高品質な印刷結果であり、同時に同じ写真を比較して初めて優劣を判断できる印刷結果であることをあらかじめことわっておく。

1. キヤノン プロフォト: ぱっと見てもにも、じっくり見ても一番きれいに見える。全体的に明るく、それでいてコントラストも高い。この結果を基準として他の用紙を比較した。
2. フジフィルム 画彩: “プロフォト”設定を推奨するだけに、キヤノン プロフォトに近い印刷結果である。キヤノン プロフォトに比較すると、コントラストが少し低い印象である。
3. エレコム-キヤノン: キヤノン向け用紙と銘打っているだけあって、安い用紙の中では一番印象がよい。上位二種に比べるとかなり印象が暗い感じとなる。輪郭ははっきりしていて、肌色や植物の緑もかなりいい印象を与える。
4. キヤノン フォト光沢: エレコム-キヤノンよりも明るさの点では勝っている。コントラストがエレコム-キヤノンに負けている印象でこの順番とした。
5. プラス 光沢ハガキ: 明るさという点では、下位四種の中でキヤノンプロフォトに一番近かった。しかしながら、コントラストが低いために、色あせた印象となり、この順位となった。
6. エレコム-エプソン: 最下位とはいえ、これ単体で見せられれば十分にきれいな写真画質である。他と比較した場合、特にエレコム-キヤノンと比較した場合、発色の点で最下位となった。全体的に黄緑がかぶっているのである。

結果として高価な用紙は評価が高く、10円/枚以下の安価な用紙ではどれも似たような結果となった。

 

長くなってしまったので、後編はまた明日。

 

追記:

新しいプリンターが決まらない

プリンターを買いました (Canon PIXUS iP7500)

プリンター iP7500 使用レポート

プリンター iP7500 ICMを使った印刷 (前編)

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2006/11/09

いじめによる自殺についての、とあるテレビ報道について思う

 今回の話題も書こうか書くまいか少し悩んだ。やはり微妙な問題について書こうとしているからである。読む人によっては、私が予想していなかったような激しい反感を感じるのではないかと心配している。

 岐阜県で中学二年生の女生徒が自殺をした。その報道を、11月8日朝のテレビワイドショーでやっているのを見た。自殺した女生徒の父親がインタビューを受けていた。
ワイドショーの報道によれば、

・ 女生徒は明るく、活発な性格であった。
・ 父親からは、いじめをするな、いじめを見逃すなと常日頃から言われていた。
・ 実際、女生徒はいじめられていた他の生徒をかばうなどの行動をしていた。
・ 遺書らしき手紙が残されており、いじめていたと思われる複数の生徒の名前が書かれていた。
・ しかし手紙には、悪口や恨み、つらみといった文言は一切かかれていなかった。

ということであった。

 まず言いたいのは、いじめはどんな理由があろうとしてはいけない。皆が安心して生活するためにいじめは必要のないものである。たまに 「いじめられる側にも問題がある」 などと知識人ぶったコメンテータがいるが、とんでもない話である。いじめられる側に責任はない。ただ、いじめられたときの対処法は知っておくべきだし、教えるべきものである。対処法は何も対決するだけではない。逃げることも重要な対処法である。よく少年マンガで 「男には負けるとわかっていてもたたかわなければいけないときがあるんだ!」 などとふざけたことを主人公にしゃべらせているが、とんでもないことである。負けるとわかっているなら、負けない準備をしたり、闘わずにすむ方法を考えるべきである。草食動物だって、肉食動物に狙われたらまず逃げるではないか。負ければ差し出さなければいけないのは自分の命なのである。
そして、自殺した女生徒の父親の教えである 「いじめを見逃すな」 も正しいと思う。賞賛されても非難されるべきものではない、と私も思う。

 それをふまえたうえでの話である。
ワイドショーでは、

「正義感の強い女生徒は、いじめを見過ごせずにかばったため、自分自身がいじめの対象となってしまった。」
「自殺をするときも、遺書らしきものに悪口や恨みを一言も書かず立派だった。」
「父親の言いつけを立派に守り、父親にいじめられているそぶりも見せなかった。」

という “シナリオ” にそって報道されているように見えた。そして、その報道のされ方に、私は大きな違和感を感じた。かなり極端な言い方になってしまうが、戦前の軍隊が行っていた 「国のために命をささげるのはもっとも尊い行為である。」 という扇動と同じような臭いがしたのである。

 繰り返しになるが、女生徒に非はないし、その父親の行動も立派である。
しかし、女生徒が自殺をして今はこの世にいないのが事実である。最後の選択肢を選んでしまったということは、やはり何らかの問題があったとしか、私には思えない。

 私が思うに、父親や家族、教師、学校など、周りの環境が彼女から自殺以外の選択肢を奪っていったのではないかと。
友達の悪口を言ってもよかった、いじめられるのがイヤだといって学校を休んでもよかった、誰かに助けて欲しいと訴えてもよかった、と私は思うのである。おそらく本人の性格とそれまで受けた教えによって、そういった自分の弱さをみせるような選択肢は取れなくなってしまったのではないかと想像している。他人に自分がいじめられていると思われるくらいなら死んでしまったほうがまし、と思い込んだとしても、この時期の少女であれば少しも不思議ではない。

 しつこいようであるが、私は、女生徒やその父親、いじめた側の生徒、教師や校長といった学校関係者を非難するつもりでこれを書いてるわけではない。
ただ、私も子供を持つ身として、自分はこのような状況に自分の子供を追い込んでいないか、自分自身を見つめているのである。子供を、私自身と同じレベルの処理能力で考えてしまうことがよくある。しかし、経験や知識という点だけでも、子供は私に到底及ばない。そして、子供に 「強くあれ」 と教えると共に、“逃げ帰る” ことが許容されていることを子供が感じさせたいと思っている。

 最後に、興味深い論文を見つけたので紹介しておく。私には共感できる部分が多かった。

「いじめ自殺とマスコミ報道」  安田真人

最後の “今後の課題” に書かれていることは、まさに私が感じていることであり、このブログで書いてきたことでもある。

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2006/11/08

ビデオカード交換

 ビデオカードを交換した。今まで使っていたビデオカードが不調になったためである。
パソコンのパーツを交換したのは、二年前のハードディスクがトラブった時以来である。

 ことの始まりは、ビデオドライバーの不正終了であった。アイコンをクリックしたらいきなり 「ビデオドライバーが不正な処理をした」 というダイアログが表示された。その後すぐにモニターに何も映らなくなった。
モニターに何も映らなくなると、何も作業ができなくなる。仕方なく強制的にパソコンの電源を切った。
再び電源を入れると、BIOSの起動画面になにやら赤い縞模様が縦に走っていた。そのままシステムを起動させると、画面がWindowsに切り替わるところからやはり何も映らなかった。

 はじめは、「熱暴走かな?」 と思い、電源を消したまましばらくほっておいた。

 一時間ほどしてから、再び電源を入れると今度は何事もなかったようにWindowsが面が表示されて、いつもどおりにパソコンを使うことができた。
その夜は、ビデオのエンコード処理をさせたまま眠りについた。

 翌朝、またもやモニターに何も映らなくなっていた。orz

 「こりゃ、ビデオカードがいかれたかな?」 と思い、パソコンのふたを開けてみた。そして、ビデオカードを引き抜いてすみからすみまで見回した。すると、

コンデンサーが一つ黒ずんで膨らんでいた orz

やはり寿命だったようである。

 プリンターと違い、ビデオカードが使えないとパソコンを使うことができない。さっそく秋葉原に買いに行くことにした。秋葉原をうろつくのは二年ぶりぐらいか。

 今まで使っていたのが nVidia だったので、次に買うのも nVidia にするつもりだった。特にこだわっていたわけではなかったが、同じメーカーのチップのほうがドライバーの衝突といったトラブルが起こりにくいだろうと考えたのである。
カカク・コムで多少の下調べをしてから、秋葉原へと出発した。

 まずはヨドバシカメラで標準価格調査。

GF7800   (対象外の外)
GF7600GT 20000円オーバー (対象外)
GF7600GS 16000円前後 (ちょっと高いか?)
GF7300GT 14000円前後 (このへんかな~?)
GF7300GS 10000円前後 (安いけど性能がな~)
GF6200    8000円前後 (これを買うくらいなら・・・)

 基準値の確認も終わり、いざ秋葉原東北地区へ。

 山手線のガード下をくぐって東北地区に入るとそこには見慣れた景色が・・・・・・・・ (゜Д゜≡゜Д゜)、ない・・・。私がしばらく来ない間にこんなにもアキバは変わってしまったか・・・ orz。私の知っている薄汚い秋葉原、( ゜Д゜) < かんば~~~っく 。

 と馬鹿なことを思いつつ、とりあえず昔パーツ屋が固まっていたあたりをうろうろしてみる。昔見覚えのあるパーツや何件か見つかったのでのぞいてみるが、どこも似たり寄ったりの値段。昔のようにバルクのビデオカードがプチプチにくるまれて積まれているところはどこにもなかった。

 途中、中古屋で

カノープス GF4Ti4600  約7000円

を見つけた。当時のカノープスといえば、厳選されたパーツを使い、画質にこだわった独自設計で憧れの的であった。それが7000円で買える。う~、ほしいかも・・・。でも中古だし・・・。
結局、後ろ髪を惹かれる思いで、何も買わずにその店を後にした。

 あちこち歩いている間に半日が過ぎた。脚も疲れてきたし、風邪気味で集中力もなくなってきた。
「ん~、やっぱ、7300GTにしようか。でも、もう少しがんばって 7600GS にしたほうが・・・。でも、もう3Dゲームも遊んでないし、7300GS でも十分のような気が・・・」
ず~っとそんなことを考えながらアキバをうろつくこと数時間。

 いい加減疲れてきたし、そろそろかえらないといけない時間になってきた。
「えぇ~~い、もういいや、あれに決めた!」 と結局ヨドバシカメラに戻ることに。ヨドバシカメラなら、ポイントが使えるし、10%ポイント還元もあるからアキバの他店を比べても意外と安かったりする。

 ヨドバシカメラについてからも、またあれこれ見ながら悩むこと数十分。
「もいい。これに決めた。」 と商品をもってレジで清算。で買ったのが、

GF5200  4500円也

(;゜Д゜)

 えっ~、そういうオチかよ ヾ (゜Д゜ )…ツッコミ という結末となった。「それまで一回も登場していない人物が犯人でした」 的な質の悪い推理小説のようなオチでした。(^^;ゞ

 いいんです。昔やってた 3DMMO も今はもうやってないし。やる予定もないし。パソコン自体が古いからCPUの性能も低くて、高性能ビデオカードの性能を引き出せないし。結局当面は、このブログさえ更新できればいいんで。

 それにしてもやはり高いよ、ビデオカード。若いころはパソコンにお金をつぎ込むのが生きがいでぜんぜん気にならなかったけど。五万円でパソコンが買える時代に、ビデオカードに二万円をつぎ込む気持ちにはとうとうならなかった。

 まあ、ビデオカードに寿命が来たということは、それ以外の部分にもがたが来ているということで、高性能ビデオカードを使うのは、パソコンを新しく買い換えるときにすることとします。

---------------
追伸
 アキバの街中を、大量のメイドやロリコンファッションが徘徊しているのを見て、「あ~、私の好きだった、私のよく知っているアキバは、ほんとうに消えつつあるんだな~」 と実感した。

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2006/11/07

ユーザビリティ -規定値決定の難しさ-

 前の記事の余談である。

 もう、15年も前の話である。私のいたチームが、初めて Windows (当時は Windows 3.0) 用のパッケージソフトを出そうとしたときの話である。

 選択置換(セレクション リプレース、文字などを選択して文字入力をすると、選択部分が削除されて新たに文字が入力される機能) を既定値でオンにするか、オフにするかで、開発チームとサポート チームの間でかなり長い間議論された。

 今でこそ “選択置換” は、Windows では当たり前の機能であるが、DOS アプリケーション時代は、そもそも “(文字)選択” という概念が希薄であった。当時のアプリケーションといえば “一太郎” であった。パソコンを “一太郎” と呼んでいた人もいたくらいである。
(余談の余談になるが、「一太郎を教えて」 といわれて一太郎のマニュアルをもっていったら、教えて欲しかったのは、一太郎が入ったパソコンに入っていた “ロータス 1-2-3”(Excel の同類) だったという笑い話もある。)
当時の一太郎は、“文字選択” はあくまで予備的なもので、基本は “機能主導” であった。例えば、“コピー” を実行すると、「どこから?」 と始点の位置を問われ、始点を指示すると 「どこまで?」 と終点を問われる、といった感じである。

 その当時の “選択置換” の何が問題だったかといえば、ユーザーが不用意に文字を選択した状態で文字入力したため、意図していない文字が消されてしまうということである。サポートによれば、何らかの理由で全選択をしてしまい、さらに位置文字入力してしまったため、それまで入力した文章がすべて消えてしまった、という事例があったそうである。しかも、さらに悪いことにあわててそのまま文章を保存してしまったというのである。当然、それまで苦労して入力した文章はすべて消えてしまったわけである。
文書全体を消してしまった例は稀なケースではある。しかし、部分選択をして、太字にした後に文字を入力して太字の部分を置き換えてしまった、というような問い合わせは、当時のサポートによればずいぶんと多くあったそうである。当時のDOS版一太郎では、文字入力は常にカーソル位置への挿入だったので、ユーザーはすべてアプリケーションでそうなると思っていたわけである。

 そのような理由で、新しく発売するWindows用のアプリケーションでは、規定値で “選択置換をオフ” にしろ、と要求してきたわけである。「WindowsもまだDOSと並行して使われているのであるから、WindowsアプリといえどもDOSアプリを考慮すべきである。」 と。

 結局、最初のWindowsアプリケーションは、“選択置換:オフ” で発売された。

 これでサポートへの問い合わせもなく、めでたし、めでたし。  であれば、私もこの投稿を書いたりしなかったであろう。

 今度は逆に、「Windowsアプリなのに、何で選択置換ができないんだ!」 との問い合わせが数多くサポートにかかってきたのである。サポートの思惑が大きく外れたわけである。サポートの予想に反して、ユーザーはWindowsアプリケーションの作法をちゃんと理解していたのである。

 そんなことがあり、一年後に発売した次のバージョン以降は、Windowsアプリケーションらしく “選択置換:オン” が規定値として落ち着いたのであった。

 もちろん、最初のバージョンで “選択置換:オン” にしていたら、サポートへの問い合わせがなかったのか?といえば、おそらくけっこうな数の問い合わせが来たことが予想される。当時のサポートが間違っていたというつもりはなく、過渡的な状況での難しい選択だったわけである。

---------------
 なぜこのような余談を書いたかといえば、前日の記事で 「規定値を安易に決めてはいけない」 とは言ったものの、十分に考慮して、議論をしても、ユーザーの賛同が得られるとは限らない、ということを言いたかったわけである。

 誰もが快適に使える規定値を決めること。皆が快適に使えるのだから、切り替えるためのオプションが不要になること。それは、ユーザビリティでの大きな課題である。

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2006/11/06

テスティング -多くのユーザーは既定値で使う-

 パッケージ・ソフトウェアを開発している人は、ごく普通のユーザーの多くが既定値のまま使っていて、オプションをいじらない、ということをご存知だろうか?

 以前勤めていた会社でしらべたところ、ヘビーユーザーではない一般ユーザーのうち、(正確な数字は忘れてしまったが) 7割のユーザーは各種オプションを変更せずに既定値のまま使っているという結果であった。数年前の結果であるが、今でも大きく変わっていないと思っている。

 このことが何を意味するかといえば、

『ユーザーが使いやすいオプションに変更してもらえばいいよね』 と安易に考えてはいけない

ということである。

 開発者が陥りやすい罠として、“自分が使いやすい設定を既定値としてしまうこと” があげられる。人はどうしても自分中心で物事を考えてしまうため、“自分が使いやすい = 万人が使いやすい” と思い込んでしまいがちである。ソフトウェアの開発者は、なまじソフトウェアに精通しているため、さらに仕様に精通しているため、隠し機能までを既定値として組み込む失敗をしてしまうことが多い。
例えば、「ダイヤモンド・カーソル(Ctrl+W A D X でカーソルを移動する機能)を既定値でオンにしたからCtrl+X でカットされずにカーソルが下に行くけど、そのほうが使いやすいからいいよね? オプションでダイヤモンド・カーソル機能をオフにできるし」 などとやったら、発売と同時に多くの電話がサポートにかかってくると思われる。「Ctrl+X でカットできない!」 と。サポートにも経費がかかるのであるから、サポートで対応できるからOKというのは、とても危険な考えである。

 “一般ユーザー” として区分されるようなユーザーは、下手をするとマウスの左ボタンと右ボタンで悩むことさえある。例えば、「ここでは、右のボタンを押すの? 左?」 と心配そうな顔で相談する場面を、パソコン教室で私は何度も目撃をした。つまり、機能を右クリックメニュー(コンテクスト・メニュー)に実装したからOK、とはならないのである。
ちなみに、うちのカミさんもWeb上のハイパーリンクをいまだによくダブルクリックする。

 隠し機能とは言えないが、ファンクションキーに定義された機能も、一般ユーザーには悩みの種である。何が定義されているか直感的にわからない。定義がアプリケーションごとに異なる。
その解決策として、ファンクションキーに定義されている機能を視覚化することが考えられる。Microsoft Word などの一部のアプリケーションで取り入れられている。
とはいえ、ここまでの実装はMicrosoftのような体力のある会社だからこと、と思える。なので、コストのかからない実装方法として、ファンクションキーはおまけと考えて、ファンクションキーに依存しない実装を取ることである。あるいは、ファンクションキーに定義した機能は、ファンクションキー以外の目に見える方法でも実行できなければならない。

 最後に、テスティングの出番である。
以前も言ったようにテスティングは品質の最後の砦である。テスティングを突破されてしまった場合、悪い品質がユーザーを直撃してしまう。なので、テスターは、上流工程で定められた仕様が “一般ユーザー” にとっても問題なく使えるものかを考えながらテストする必要がある。もちろん、そのためには、何が一般ユーザーにとって必要なのかを知っておかなければならない。

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2006/11/05

プリンター iP7500 使用レポート

 先日購入したプリンター CANON PIXUS iP7500 の簡単なレビューである。

 写真画質については、やはり EPSON PM-900C のほうがきれいに感じる。言葉ではうまく表現できないのだが、スキャナーもないため写真で説明することもできない。そこであちこちの関連サイトを調べていたら、説明するのに都合の良いサイトを見つけた。
それが こちら である。PM-750C → PM-900C に、PM-700C → iP7500 に置き換えると、私の感じ方を説明できる。もちろん、ここまでの差はない。iP7500であっても、PM-750C よりもきれいに印刷されていると思う。
あくまでも PM-900C とiP7500 を比較したときに、差を誇張するとこのような差が出ているような気がする、といいたかっただけである。

 安価な光沢ハガキ(約8円/1枚)で、自分の気にいる “色/濃度” オプションを探してみた。使うソフトは、“ペイント・ショップ・プロ (Ver.7)” である。
私が使っている組み合わせでは、“ガンマ値” を “1.4” にすると、モニター上の写真から期待する印刷結果に近かった。

 次に “特殊効果” オプションを試してみた。
“VIVIDフォト” オプションは、“オン” が私の好みであった。
“イメージデータ補正”、“オートフォトパーフェクト”、“デジタルカメラノイズリダクション” については、“オフ” のままで問題なさそうである。

 “実際の紙質” と ドライバーの “用紙の種類” 設定の相性を試してみた。
EPSONでは、スーパーファイン紙以上のの種類であれば “フォト”、“スーパー”、および “双方向印刷禁止” の設定が可能であり、時間はかかるが最高品質の印刷が可能であった。ところがCANONでは紙の種類を決めると、印刷の品質が限定されてしまい、例えば、プロフェッショナル・フォト紙以外では、最高印刷品質のオプション1が選択できない。また、双方向印刷に関する独立したオプションもない。
安価な光沢ハガキで、プリンタドライバの紙の種類の設定を変えて、同じ写真を印刷してみた。(推奨は “光沢紙”)  “印刷品質” の設定はいずれも選択できる設定のうちの最高のオプションとした。
“光沢紙”、“スーパーフォトペーパー”、“プロフォトペーパー” の設定で比較をしてみると、私の感覚では、“プロフォトペーパー” の設定が一番好みであった。発色も中間色の滑らかさも “プロフォトペーパー” が一番良かった。“プロフォトペーパー” に設定したときに、インクヘッドから噴出されるインクの細かさが小さくなることが影響していると思われる。

 いろいろな種類の紙でも印刷してみた。
手持ちのハガキの種類が三種類しかなく、“エレコム 光沢紙 (約8円/1枚)”、“フジフィルム 画彩 (約18円/1枚)”、“キヤノン プロフェッショナル・フォト・はがき (約24円/1枚)” で比較をした。

光沢度: “キヤノン プロフォトはがき” >> “フジフィルム 画彩” ≒ “エレコム 光沢紙”

である。
値段が違うので当たり前といえば当たり前なのであるが、色の鮮やかさ、特に緑や黄色の鮮やかさに差が出た。

色の鮮やかさ: “プロフォトはがき” ≒ “フジフィルム 画彩” >> “エレコム 光沢紙”

高い光沢度とあいまって、“プロフォトはがき” の満足度はかなり高い。純正用紙の面目躍如といったところか。比較をすれば見劣りがするものの、“エレコム 光沢紙” も単独で見れば、十分にきれいな印刷である。多人数に配るのであれば、“エレコム 光沢紙” で十二分である。

 今後は、日常的に大量に印刷するはがき用紙を決めるために、何種類かの安価なはがきサイズの用紙を買ってきて試そうと思う。
PM-900C のときは10種類ぐらい試してみて、最終的に “PLUS 光沢紙” を制式採用にした。約6円/1枚 ともっとも安価だったにもかかわらず、そのときに試した養子の仲でもっともきれいに感じる結果となった。印刷したものを会社の同僚数人に見せたが、やはり同じ結果だった。ただし、PLUS 光沢紙 の欠点は売っている店がかなり限定されることである。私が知る限りでは、ヨドバシカメラ にしか売っていなかった。

 余談になるが、iP7500で印刷をしていてあることに気がついた。
印刷した直後と、インクが十分に乾いたときとで、色が明らかに変わるのである。具体的には、印刷直後だと “緑” がかぶった状態であった。それが、数分してインクが完全に紙に吸収・乾燥されてほんとうの色に落ち着くのである。これは、PM-900C では見られなかった現象である。PM-900Cでは印刷した直後の写真を見て、問題があればすぐに写真やプリンタドライバーに変更を加えて印刷しなおすことができた。iP7500の場合、少し写真を乾燥させてから評価をしなければいけないということである。

 
追記:

プリンター iP7500 光沢紙比較レポート (前編)

プリンター iP7500 ICMを使った印刷 (前編)

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2006/11/04

ほんとうに被害だけ?

 今回のネタは、書こうかどうか悩んだ。下手な言い方、下手な理解のされ方をすると、人を傷つけたり、怒らせたりすることが十分に予想されるからである。それでも書かずに入られなかった。テレビをはじめ、既存のマスコミがあまりにも偏った報道ばかりしているので、「そればかりじゃないだろ!!」 といいたくなったのである。

 全国の多くの高校が決まりを守っていなかった。やらなければいけない科目を無視して、大学受験に必要な科目を優先していた。
11月1日現在、履修していなかった必須科目の補習は、上限を70時限として、それを超える分については自習やレポートで補う(= 実質的に何もしなくてよい)、可能であれば、70時限ももっと減らすように努力をする、という内容で決着しそうである。

 規則で明確に決まっているのに、なぜなるべくやらずに済ませる方向で話がまとまろうとしているのか? “学校側が勝手にカリキュラムを変更した”、“生徒は学校に従っただけ”、“生徒は被害者であるから救済するのは当然” というのが政府の言い分、テレビ、その他のマスコミの報道のされ方である。

 ちょっとまって欲しい。ほんとうにそんな決着でいいのか? 一部のマスコミでささやかれている、“まじめに必須科目を受けた学生に対して不公平にならないのか?” という問いに対してはなんの応えも示されていない。

 必須科目を受けさせてもらえなかった生徒は、確かに被害者である。被害者であることに間違いはない。
しかし、だからといって被害だけをこうむってきたわけではない。大学受験に必要な勉強を多くすることができたのであるから、結果として利益を得た部分があったといえる。
であれば、今から受験までの間に、受験科目の勉強時間を削って、必須科目の授業を受けることは、他の規則を守ってきた学生と同等になるだけで、けっして不利になるとはいえないではないか。なのに、政府やマスコミは、大学受験までに補習を行うと、“被害” にあった学生に “不利” になると繰り返している。
私にはそれが到底納得できない。

 繰り返しになるが、必須科目を受けられなかった学生は “被害者” である。“被害者” であることにまちがいない。学生自らが必須科目を拒んだわけではないのだから。
しかし、それと “大学受験までに補習をすることは、必須科目を受けてこなかった学生に不利になる” ということにはつながらない。

 重要なのは、すべての大学受験をする学生を対等(に近い状況)にすることである。守らなければいけない規則を守らず、しかもほとんどペナルティがなければ、いわゆる “やったもの勝ち” である。規則を守らなくても、有利な方法を取ってしまったほうが良い、ということになってしまう。日本社会はほんとうにそれでいいのか? 日本国民はそういう方向を選択したいと思っているのか?
少なくとも私はいやである。特定の人だけが恣意的に有利な立場に立つ社会より、自分が時には不利になったとしても、皆がほぼ平等にチャンスが与えられる社会を私は望む。

 それにしても、あいかわらずテレビ報道はひどいものである。政府・官僚の都合のいい部分しか報道しない。今回の報道を見ても、「もうテレビ局などいらない」 という自分の認識がいっそう強いものとなった。
一部のワイドショーでは、「補習時間をおおくしすぎると、教師の数が足らなかったり、教師の超過勤務になるので、補習時間を多くできない」 という報道もしていた。多少はまともな報道があった。

 よくテレビアニメを見ていると、番組が始まるときに、「テレビを見るときは、部屋を明るくしてみましょう。」 みたいなテロップが画面の上下左右に表示される。
私からの提案である。すべてのテレビ放送(CM も含めて)に

「この放送は、日本政府、すべての省庁、スポンサー様、および当テレビ局に不利な放送は一切行っていません。」

と入れることをすべてのテレビ局に義務付けさせる。

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2006/11/03

テスティング -あるミーティングでの愚行-

 前々日の話の余談とも言える実話である。

 複数のチーム&プロジェクトを統括するトップ・マネージャーが全体会議を招集した。目的は、全チームの風通しをよくすることであった。(当時、ほとんどのチームに停滞感や閉塞感が漂っていた。)

 全体会議のイベントの一つに、いくつかのグループに別れて下級マネージャーが指揮を取り、停滞感や閉塞感を感じさせる問題点をまとめて発表する、というものがあった。
あるチームが

「ここのチームはチーム内の仕事だけを行い、チーム外とのコミュニケーションや共同作業をほとんど行わない。それは、チーム外の仕事をしても評価されないためである。」

と発表した。
すると、問題を指摘される側の上級マネージャーの一人がすかさず、

「そんなことはない。ちゃんと評価しているはずだ」

と強い調子で反論をした。トップ・マネージャーも他の上級マネージャーも、その反論した上級マネージャーを止めようとしなかった。
すると発表を行っている下級マネージャーは手のひらを返したように、

「そうですよね。ちゃんと評価していますよね」

と言い出した。

 (  ゜д゜)ポカーン である。
ここは声高に反論するべきタイミングではない。仮にほんとうに評価しているのに、「評価されていない」 といわれて心外してもである。下級マネージャーは個人の意見を言ったのではない。少数であっても複数の人間がグループ内で話し合ってそう思っている、そう感じている、とまとめた内容である。事実と異なっていたとしても、『“評価されていない” と思われている』 こと自体が問題なのである。

 “何が問題の本質なのか?” ということも考えずに、細かいことでいちいち反論するような人間が上級マネージャーとして組織を指揮している。その事実が私の心をいっそうその組織から離れさせていった。

 私から見れば、“組織の風通しを良くする” という当初の目的は、その反論の一言で完全にどこかに吹き飛んでしまった。
上級マネージャーが自分の仕事を非難されてすぐに強い調子で反論する。反論されると下級マネージャーはすぐに自分の意見を撤回する。会議という公式の場でそんなやりとりを見た新人達や中堅どころ社員はどう思ったであろう。私が想像するに

「あ~、やはりマネージャーを批判してはいけないんだな」

と感じたのではなかろうか。それでは、組織の風通しはますます悪くなり、停滞感や閉塞感はいっそう強まるばかりである。

 あるいは、“風通しを良くする” というのはカモフラージュで、ほんとうは “マネージャーへの絶対服従を強化する” のが目的であったのか? だとすれば、この全体会議は大成功だったわけである。

 私が会社を離れるのに、その全体会議からそれほど時間を必要としなかった。

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2006/11/02

ソフトバンク、「0円」広告を修正へ

 “ソフトバンク、「0円」広告を修正” (ケータイ Watch) するらしい。

 “言うウソ、言わないウソ” のときに、「いずれ何らかのゆり戻しがあると予想している。」 と予想したことが、はからずも現実のものとなったようである。
もっとも予想したときは、“公正取引委員会” が介入してくるとまでは予想していなかった。“0円” を額面どおりに信じてソフトバンク・ケータイを契約した利用者のうち、多くの人達が不満の声を上げるようになり、また、そのころには “0円” のインパクトもなくなっているだろうから、当初の目的を達成したという頃に “0円” を表舞台から引っ込めるだろう、ぐらいに予想していた。

 世間の常識が、私の常識とある程度おなしだったので多少ほっとしている。

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2006/11/01

テスティング -「自分の意思を押し付けていませんか?」 マネージャー、リーダーへの提言-

 提言シリーズ、最終回は 「無意識な意見の押し付け」 についての話である。

 会社勤めの人間の多くが、もっとも気にするのが人事評価である。人事評価は給与や社内の権限にかかわってくるためである。それ自体はごく自然な話である。そして多くの場合、人事評価は直属の上司が行う。よって、多くの会社勤めの人間にとって、直属の上司が “何を考えているか”、“何を期待しているか” がとても重要となってくる。直属の上司に気に入られなければ、自分の人事評価が上がらないと考えているからである。

 話を変えて、自分の経験の話である。

 あるチームに所属したとき、(直属の上司ではない)チームのトップマネージャー(仮に “T マネージャー” とする)は自分が意見されるのが嫌いであった。意見が適当であるかないかは問題ではなかった。意見されることが嫌いであった。ある仕様を決める会議でも、T マネージャーの意見が、ユーザビリティー・テストとあまりにかけ離れた意見であったため、私が反論したところ、無視された。
結局、そのチームにいる間は、私は高い評価をもらうことはできなかった。私自身は人に劣らぬ貢献をした自信があったし、直属の上司もそれなりに評価してくれていたので、とても納得のいかない時期であった。

 2~3年後、別なチームに移動して、新しいマネージャー (仮に “N マネージャー” とする) の部下となった。N マネージャーとは歳も近く、何より同じ日に入社したことで仕事を離れても仲の良い間柄であった。そんな間柄であったこともあり、私からの率直苦言も真摯に受け止めてくれた。
ある日、N マネージャーの言動に、私以外の部下が不自然に従順なことに気がついた。例えば、N マネージャーが 「XXX は、OOOしてみたらどうなの?」 と仕事のやり方の一例を提案しただけの発言に対して、部下 S は 「はい、そうですね。そうします。」 と何の疑問も出さずに素直に従っていた。 T マネージャーのことを経験していた私には、それは N マネージャーの評価を気にするあまりの過剰な反応のように思えた。私自身は、N マネージャーに反論しても、それが妥当であれば、N マネージャーはけっして不当な評価をしないことを知っていたからである。
そこで私は、N マネージャーと個人的な打ち合わせをしたときに、「マネージャーは人事評価をにぎっているので、発言は慎重になったほうが良い」 と提言した。N マネージャー本人は、自分がマネージャーであることも、人事評価をにぎっていることも意識せず、チーム・メンバーの一人として部下と対等に意見を言っていたらしい。しかし残念ながら、受け止める側の部下はそうは受け取らなかったのである。N マネージャーは自分の意見が、“意見の妥当性以外の圧力” で相手に受け取られていたとは考えもしなかった、と反省をしていた。その後、N マネージャーの言動は明らかに良い方向に変わっていった。

 マネージャーの言動には、その言動の持つ力以上に部下には圧力となる可能性があることを、マネージャーや評価をするリーダーはあらためて認識するべきである。

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