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2006/11/18

目的と形式化と自己利益追求と

 今回は、かなり昔に日経ビジネスに載っていたインタビューを思い出しての話である。誰かは既に忘れてしまったが、どこかの躍進した大手スーパーの社長のインタビューだったと思う。

 話のあらすじはこうである。

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1. 問題

 当時、その大手スーパーでは、銀行並みにお金の管理が厳しかった。毎日閉店後にレシートと残金のすり合わせが夜遅くまで行われていたらしい。忙しく仕事をしていれば当然ミスも起こる。一致しない金額の原因追求が毎晩遅くまで行われていたらしい。
そのために、従業員の士気は著しく低下していたということである。

2. 発端

 ある日、ある支店の店長が、毎晩の遅くまで従業員が居残りをさせれていることを不憫に思い、残金の足りない分を自分のポケットマネーから出すことにした。それにより、毎晩遅くまで残って数字合わせをする必要もなくなり、従業員の士気も徐々に上がっていった。

3. 転機

 その後、たまに残金が多い日があると、支店長はこう考えた。「普段は自分の財布から補填しているんだから、余剰が出たときは自分がもらって当然である。」 と。
そうして、足りない分は自分の財布から出し、余ったときは自分の財布に戻す、ということが日常化していった。

4. 悪用

 支店長が交代しても、自分の財布から補填するシステムは引き継がれた。
ところがある日、ある支店長が思いついた。「毎日残金が多ければ自分が得をするではないか」 と。その日から、その支店長は売り上げに細工をして、常に残金が余剰になるようにした。もちろん、余剰金は支店長の財布の中に入っていった。

5. 解決

 もちろんそのような不正がいつまでも続くはずはなく、やがて本社の社長の知るところとなる。不正を行った支店長だけに責任を取らせるのは簡単である。しかし、元の厳しい売り上げのすり合わせに戻せば、社員の士気が再び低下してしまう。
そこで、社長は 「売り上げと残金を無理やり合わせることをしなくてもよい。差分を含めて正直に報告せよ。」 とシステムを改めたのである。その変更により、社員は本来の業務に専念できるようになり、支店長が不正を誘発するような行動も抑えることができて、売り上げを大きく伸ばすことができた。

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という内容であった。

 私はこのインタビューを読んで目から鱗が落ちたような気がした。「なるほど。不正はこのようなことから始まっていくのか。」 と。最初に始めた支店長はけっして不正を働こうとして、自分の財布からの補填をはじめたわけではない。しかしそれを続けているうちに、支店長からの財布の補填が形式していった。やがて、お店の金庫と支店長の財布が一体のものとなって、やがてそれを悪用しようとする人間が現れる。

 官僚の不正もどき(不正とは言い切れないが、国民感情からすれば“ずるい”行い)も、最初にその仕組みを作ったときは何らかの良い目的のために作られたと信じたい。それが時間を経ていく過程で、当初の目的は忘れ去られて、その仕組みを実行するという形式だけが残ってしまう。そのうちに、その形式を悪用する官僚が現れる。何しろ、官僚は “頭がいい” ですから。

 最近は、テレビ放送も同じ道を歩んできたのかな?と思い始めている。

 テレビ放送が始まった頃は、皆、テレビを見ている人に楽しんでもらおうと一生懸命だったんじゃないかなと思う。視聴率なあまり気にしないで、とにかく質の高い番組を見てもらおうと考えていたんじゃないかと思う。

 それが、テレビ放送が当たり前の社会になっていったときに、最初の “視聴者に楽しんでもらう” という目的は失われて、スポンサーを多くつけて売り上げを伸ばすために “視聴率の稼げる” 番組作りになっていったのではないかと想像している。

 そして今は、番組制作のノウハウも十分に蓄積されて、“子供”、“動物”、“お色気” といった安易に視聴率が稼げる方法がとられている。ワイドショーではこれでもかというくらいに、“他人の不幸” を放送し、“こうすれば身体にいい” と幸福の壷を売るかのように、見ている人の不安をあおって商品を買わせようとしている。

 時間がたてば形式化することは避けられないことだと思う。だからこそ、組織にしろ、個人にしろ “見直し” が求められると思うのである。我が家では現在新聞を取っていない。しょっちゅう押し売りに来るが、“新聞は読まないのでいらない” とことわっている。1年半前までは新聞を取っていたが、気がつくとまったく読まない日があることに気がついた。情報はほとんどインターネット上で手に入った。結局、気がついたときに新聞をとるのをやめた。有料のケーブルテレビ放送も見る番組がなくなったのでこれも契約を解除した。

 個人でよく言われるのが保険の見直しである。自分の年齢や子供の成長に合わせて、必要な保険は変わってくるのに、ほとんどの人は見直しをしていないと。見直しをすれば、必要な保険も少なくて済む場合が多いと。必要な保険が減れば、当然支払いも減らせる。形式的に続けていることで、不必要に負担をしている場合が多いと思われる。幸いカミさんがファイナンシャル プランナーの資格をもっているため、我が家の保険の見直しはカミさんが積極的にやってくれる。

 皆さんも一度、自分の身の回りの “見直し” をやられてみてはいかがだろうか? 案外、見直してみると得することがあったりするのではないかと思っている。

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