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2006/11/04

ほんとうに被害だけ?

 今回のネタは、書こうかどうか悩んだ。下手な言い方、下手な理解のされ方をすると、人を傷つけたり、怒らせたりすることが十分に予想されるからである。それでも書かずに入られなかった。テレビをはじめ、既存のマスコミがあまりにも偏った報道ばかりしているので、「そればかりじゃないだろ!!」 といいたくなったのである。

 全国の多くの高校が決まりを守っていなかった。やらなければいけない科目を無視して、大学受験に必要な科目を優先していた。
11月1日現在、履修していなかった必須科目の補習は、上限を70時限として、それを超える分については自習やレポートで補う(= 実質的に何もしなくてよい)、可能であれば、70時限ももっと減らすように努力をする、という内容で決着しそうである。

 規則で明確に決まっているのに、なぜなるべくやらずに済ませる方向で話がまとまろうとしているのか? “学校側が勝手にカリキュラムを変更した”、“生徒は学校に従っただけ”、“生徒は被害者であるから救済するのは当然” というのが政府の言い分、テレビ、その他のマスコミの報道のされ方である。

 ちょっとまって欲しい。ほんとうにそんな決着でいいのか? 一部のマスコミでささやかれている、“まじめに必須科目を受けた学生に対して不公平にならないのか?” という問いに対してはなんの応えも示されていない。

 必須科目を受けさせてもらえなかった生徒は、確かに被害者である。被害者であることに間違いはない。
しかし、だからといって被害だけをこうむってきたわけではない。大学受験に必要な勉強を多くすることができたのであるから、結果として利益を得た部分があったといえる。
であれば、今から受験までの間に、受験科目の勉強時間を削って、必須科目の授業を受けることは、他の規則を守ってきた学生と同等になるだけで、けっして不利になるとはいえないではないか。なのに、政府やマスコミは、大学受験までに補習を行うと、“被害” にあった学生に “不利” になると繰り返している。
私にはそれが到底納得できない。

 繰り返しになるが、必須科目を受けられなかった学生は “被害者” である。“被害者” であることにまちがいない。学生自らが必須科目を拒んだわけではないのだから。
しかし、それと “大学受験までに補習をすることは、必須科目を受けてこなかった学生に不利になる” ということにはつながらない。

 重要なのは、すべての大学受験をする学生を対等(に近い状況)にすることである。守らなければいけない規則を守らず、しかもほとんどペナルティがなければ、いわゆる “やったもの勝ち” である。規則を守らなくても、有利な方法を取ってしまったほうが良い、ということになってしまう。日本社会はほんとうにそれでいいのか? 日本国民はそういう方向を選択したいと思っているのか?
少なくとも私はいやである。特定の人だけが恣意的に有利な立場に立つ社会より、自分が時には不利になったとしても、皆がほぼ平等にチャンスが与えられる社会を私は望む。

 それにしても、あいかわらずテレビ報道はひどいものである。政府・官僚の都合のいい部分しか報道しない。今回の報道を見ても、「もうテレビ局などいらない」 という自分の認識がいっそう強いものとなった。
一部のワイドショーでは、「補習時間をおおくしすぎると、教師の数が足らなかったり、教師の超過勤務になるので、補習時間を多くできない」 という報道もしていた。多少はまともな報道があった。

 よくテレビアニメを見ていると、番組が始まるときに、「テレビを見るときは、部屋を明るくしてみましょう。」 みたいなテロップが画面の上下左右に表示される。
私からの提案である。すべてのテレビ放送(CM も含めて)に

「この放送は、日本政府、すべての省庁、スポンサー様、および当テレビ局に不利な放送は一切行っていません。」

と入れることをすべてのテレビ局に義務付けさせる。

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