プライドとは、質の悪いシールのようなものである
「プライドとは、質の悪いシールのようなものである」
【意味】 シールは結構気軽にどこにでもぺたぺた張ってしまう。しかし、質の悪いシールは、一度張ってしまったらなかなかはがせない。無理にはがそうとすると、途中で破れて汚くなってしまう。後には不恰好なシールのかすが残り、けっして元のきれいな状態には戻らない。つまり、プライドとはその程度のものである。
この言葉は、私が作ったモノではない。いつどこで読んだのか、誰が書いたものかは忘れてしまったが、他人が作った言葉である。でも、この言葉だけは忘れることがなかった。それは私にとってこの言葉が、真実をついていると思えたからだ。
まだ私がガキだったころは、私にとって “プライドはかっこいい、なくてはならないモノ” だった。だから、よく 「プライドをかけて」 は意固地になっていたものだ。今から考えれば、単に意地を張っていただけだったように思う。
それがこの言葉に出会ってからは、自分が考える “プライド” を張ることが恥ずかしくなってきた。そして、“なるべく” (^^;) プライドを張らないように気をつけるようになった。下手なプライドを張ると、かえって自分が損をしたり、傷ついたりすることに気がついたからかもしれない。
もし今でもプライドを簡単に張ってしまう人間であれば、おそらく主夫はやっていなかったと思う。「女性は産む機械」などと考える世代の人間から見れば、主夫はプライドのない人間のやることに見えるかもしれない。男は外で稼いでこそ一人前などと、私から見れば前近代的な思考に対して、なんらプライドを張る必要を感じなかったことは、私にとっては幸運であった。
もちろん、「プライドは生きることや働くためには大切なものである」 という考えもある。それも正しいと思う。プライドをかけて仕事をして、生き抜いていることを、私は決して否定するものではない。
ただ、なんにでもプライドと言い張って、引くに引けない状況を自分自身で作ってしまい、結局は自滅して行く。私はこの言葉と出会って、そんな破滅的な状況に自分を追い込まなくなったと思っている。最初に勤めた日本有数の会社を辞めようと思ったとき。前の会社を辞めて、しばらく主夫をしようと思ったとき。もしそれらのときに、私が “質の悪いシール” を貼り付けていたら、今よりももっと悪い状況に自分が置かれていたのではないかと思えて仕方がない。
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