著作物は人々に利用されて真価を発揮するもの
いつ奈落に落ちるか──著作権“バッシング”に松本零士の思い
(ITmedia News, 2007年2月1日)
「著作者と消費者は本来、対立関係にない。著作者は消費者に愛され、期待され、よい作品を提供する存在になるべきだ」 (日本芸能実演家団体協議会 椎名和夫常任理事)
著作権法制の未来
(大阪工業大学 知的財産学部 専任講師 関堂幸輔)
「著作物は権利の客体であると同時に文化的所産でもあり,人々に利用されることによってこそその真価も発揮するものだといえます。そこには「権利の保護」と「利用の保護」というジレンマが生じざるを得ません。すなわち,著作者・著作権者等の権利を保護することはむろん重要ですが,それを重要視するあまり他人の著作物の利用が困難になってしまうようでは,著作者・著作権者等の利益も保護されなくなり,ひいては社会全体の文化の衰退を招きかねません。」
私はこの 「人々に利用されることによってこそその真価も発揮するもの」 で、目からうろこが落ちた気がする。これを読むまでは、そういう視点で著作物を見たことがなかった。
さらに重要なことは、“人々による利用” が、単なる読書や鑑賞にとどまらず、基本的な部分を模倣した作品の作り変え、つまり “リメーク” も含まれると言う点である。
リメーク・映画化のハードルが高い日本
(ITmedia News, 2007年2月2日)
「著作権が切れた作品は、誰でも自由に利活用でき、作り替えることもできる。英舞台劇「ロミオとジュリエット」がシェークスピアの死後300年以上を経て米ミュージカル「ウエスト・サイド物語」として生まれ変わったのがいい事例だ。しかし、「ロミオとジュリエット」には原典となったブルックの長編詩があり、さらにその種本があるという。ひ孫、孫作品に当たるウエスト・サイドは変形、脚色がさらに進んでいることになる。もし、ブルックの子孫に著作権が継承されていたら、その後の“文化”は花開くことができただろうか?」(ITmedia)
「ロミオとジュリエット」 から 「ウエスト・サイド物語」 というのも “人々に利用される” 部分に入るわけである。
では、300年と50年の違いは何なのだろう? 50年では著者や身近な人が生きていて、300年後なら誰も生きていないから? 300年後でも直系の子孫は生き残っている場合が多いはず。そういう人たちは配慮に値しないのか? 何代先なら配慮しなくていいのか? 私が50年や70年という数字に納得が行かない理由である。
何らかの作品に “インスパイア (^^;)” されて、類似の作品がつくられてもいいではないか。類似作品の質が高くて、オリジナル作品が売れなくなれば、所詮その程度の作品だったということである。逆に、類似作品が注目を浴びたために、あらためてオリジナル作品が売れるということもあるだろう。あるいは、類似作品が “のまねこ” のように、利用者の猛反発にあって消え去るかもしれない。
いずれにしろ、保護しすぎて誰も、読むことも、見ることも、使うこともできなくなってしまっては、あまりにも悲しすぎる。それとも著作者は、「下手に模倣、改ざんされるかもしれないのであれば、死蔵されるほうがまし」 とでも考えているのであろうか。
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