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2007/02/23

日本の地域社会は子供を許容しなくなってきたのか

 学校からお知らせがきた。

 『通学路での子供たちの行儀が悪く、学校に苦情の電話が多くかかってくる』 ということだった。『学校周辺地域の住民の方の迷惑にならないように、家庭で十分な指導をしてほしい』、という内容だった。

 言っていることは、間違っていないと思う。地域でお互いに平穏に生活していくためには、それなりの配慮が必要である。子供であってもそういった配慮を少しずつ身につけていく必要がある。

 私が気になったのは、子供が多少ハメをはずした行動をしたからといって、それをいちいち学校に苦情を言うことが当たり前になってしまった地域社会に対してである。苦情の内容は、「歩道いっぱいになって歩いていた」、「大声で騒いで歩いていた」、「歩道を走っていた子供たちとぶつかりそうになった」 といった、子供ならどちらかと言えば仕方のない行動である。通報した本人たちも子供のころはおそらく同じようなことをしていたと思う。しかし、大人になると自分が子供のときのことを忘れて、子供が道路ではしゃいでいるのを見て、不愉快になり、学校に苦情の電話をかける。

 迷惑だと思ったら、子供たちを直接注意すればよい。たしかに、知らない子供を注意すれば、“変な人” 扱いされてしまうような世の中になってしまったという問題もある。しかし、わざわざ学校に自分の不満の解消を求めるところに、私は今の日本の地域社会が、子供の存在を許容しなくなっているように感じた。

 地域社会の空気が、規律を乱す行動をとる者達を、匿名で排除しようとしている。子供も例外ではない。一方、子供はそんな大人の規律など知らずに、自由に行動する。すると、その地域社会は子供を邪魔の物として排除しようとする力が働いてくる。

 子供の存在がなんとなく邪魔な空気ができてしまうと、子供を抱えている家族は、当然その地域で居心地が悪くなる。子供がなにかするたびに、親が地域社会からいろいろと苦情を言われるようにもなるだろう。

 そんな地域社会の空気をずっと見ていれば、若い世代は、「自分は子供をもちたくない」 と思うようになって当然である。かくして、少子化はいっそう進んでいく。

 私が住んでいる東京は、特別なのかもしれない。東京では、隣近所で深いつながりをもたず、なるべく干渉しあわずに生活をすることが暗黙のルールとなっている。そして、自分の安定した生活を脅かす見ず知らずの子供を、“自分の邪魔をする存在”として見てしまうような気がしてしょうがない。

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