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2007/04/11

【お勧め記事】 EMI は打つ手がなかった

ITmedia アンカーデスク
「EMIは打つ手がなかった」
DRMフリー化と「CCCD」という無駄 そして日本は

 (津田大介氏)  [2007年4月9日]

 私にとってはとてもよく理解と納得のできる記事だった。もちろん、誤認している部分もあるかもしれないし(、実際、記事の中でメールによる指摘に対応して記述を追加している)、立場によっては、まったく違う解釈をする人もいると思う。少なくとも “私にとって” は、十分に同意できる内容になっている。

 私も過去に一度だけ DRM 付の歌を買ったことがある。DRM 情報はシステムに依存しているため、OS を再インストールすると DRM 情報の取り直しになる。取り直さないと “買った” はずの歌が再生できなくなる。ところが、お金を出して買ったはずの歌が、DRM 情報の再取得は3回までという制限のため、正規のユーザーであるはずの私なのに、その歌は当の昔に聞けなくなっている。それ以後、DRM 付のコンテンツはいっさい買っていない。今後も買うつもりは無い。

 記事で少し触れられているケータイの着うたフル、さらには、着うた、着メロ、ゲーム コンテンツやフラッシュ コンテンツも、DRM によってケータイ本体に釘付けされている。そのため、ケータイを買い換えると、買ったはずのコンテンツは移し変えることができずに、新しいケータイでは、高いお金を出したコンテンツが使えない。だから私は、ケータイ用のコンテンツも買わない。

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 本来レコード会社という存在は消費者から意識されない「空気」のような存在である。よほどマニアックなインディーズレーベルでもない限り「あのレコード会社の音源が好きだから、知らないアーティストだけど音源買おう」という話にはならない。あくまでレコード会社は黒子的な存在であり、本質的な話をすれば、そもそも消費者と対立すること自体がおかしいのだ。ところがアーティストを人質に取ってCCCDという醜悪なメディアを消費者に押しつけたことで、レコード会社は消費者の「敵」になった。

 このへんは、ジャスラックのような著作権乱用企業や、書籍の出版業者などにも適用できそうな話だ。

 ラーメンならまだいい。気に入らない店になったのなら、ほかのラーメン屋に行けば済むからだ。しかし、音楽の場合はそうはいかない。倖田來未のCDが欲しい人は「倖田來未のCDが買えないからmisonoのCDでいいや」という思考にはならない。音楽にこの代替不能性があるからこそ、レコード会社はCCCDを強気でリリースし続けた。そうしても消費者は特に不満を感じず、CDと同じようにCCCDも買ってくれると高をくくっていたのだろう。

 これなどは、“棍棒をもっているのでふりまわしてみました”、じゃないかと思う。もっとも、調子に乗って棍棒をふりまわしてみたものの、獲物はひとつも捕れずに、自分の頭を殴って大怪我を追った、というオチがついたような気がしている。

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