« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月の24件の記事

2007/05/31

500円の価値

 たびたび話題に出すアーケードゲーム “機動戦士ガンダム 戦場の絆”。単に、今、私が好んで遊んでいるからなのだが、このゲームからいろいろ考えさせられることも多い。

 この “戦場の絆”、1クレジット 500円である。1クレジットで、2回プレイできる。1プレイはおよそ4分弱。つまり、500円でおよそ8分間遊べることになる。(実際には待ち時間などを合わせて、1クレジットで15分ぐらいの拘束時間になる。)

 この、“500円で8分遊べる” のを高いと見るか、安いと見るか。一般的なゲームは、1プレイ100円で、メーカー側は、1プレイ 3分、を想定しているらしいので、8分 500円は割高だといえるだろう。でも今のところ私は、「それほど高くはない」、と思っている。それは、このゲームで遊ぶことで、けっこう満足感が得られているからだ。

 ところで、ゴールデンウィーク中に南房総へ旅行に行ってきた。観光のひとつとして “海中観光船” に乗った。一回の遊覧は30分で、料金は大人一人 2400円 だった。沖縄で乗ったガラスボートは、沖縄のきれいな海とカラフルな魚を堪能できて満足感が高かった。しかし、房総の海はお世辞にもきれいとは言えず、魚屋さんに並んでいるような魚しか見ることができず、残念ながら満足度は高くなかった。2400円であれば、戦場の絆の約5クレジット分だ。個人的には、戦場の絆で10回プレイしたほうが満足度は高かったと思っている。

 また、この間、大きな事故があったのであまり良い話題ではないが、遊園地の大型ジェットコースターは、1回乗るのに800円~1000円はする。乗車時間は長くてせいぜい5分だ。戦場の絆もアトラクションのひとつだと考えて比較すれば、8分で500円、というのは、極端に高い料金とはいえない。結局は本人の満足感の問題となる。

 たかが500円、されど500円。100円では、いまや缶ジュースも買えない時代だ。しかし、500円あれば、牛丼が食べられる。そんなことを考えながらも、少年時代にガンダムを操縦する妄想をしていた中年は、そんな妄想を一部でも実現しているものに、ついつい500円をつぎ込んでしまうのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/30

“自主回収” ってそういう意味だったのね

 アマチュア選手に金を渡していた問題で、西武球団が処分を受けた。このニュースをNHKニュースで聞いたときの内容は、

「西武球団への処分は、今秋の高校生ドラフトでの上位2選手の指名権辞退と制裁金3000万円」

だった。そしてそれを聞いて、「へっ? 処分で “辞退” って・・・。」 とはなはだ疑問に感じた。

 その後、インターネット上でこの問題を探してみると、こういうニュースがあった。

西武、横浜に処分下る ドラフト新制度が次の焦点
NIKKEI NET:スポーツ

 ここでは明確に、「秋の高校生ドラフトでの上位2選手の指名権はく奪」 とある。“はく奪” ならば、処分として少しもおかしくない。

 さらに探してみると、こういうニュースがあった。

根来代行の一問一答=西武と横浜の処分発表-プロ野球
時事ドットコム

 ここによると、

-西武に高校ドラフト指名の一部辞退を求める理由は。

 両選手が高校生のときに(現金供与などが)約束された。高校に迷惑を掛けたので、謹慎の意を表するために。

ということが書いてあった。そして、これを読んですべてを理解した。

 つまり、実質的には、権限のあるコミッショナーによる権利はく奪、なのだが、処分される側の世間体を良くするために、公式には “辞退” という形を取ったと。そして、この法則から、世間でよく行われている “製造会社による自主回収” や “サービス業の自主的な中止” の意味がようやくわかった。

 これまでずっと、「なんで自主回収なんだ? なんで監督省庁が命令させて回収させないんだ?」 とずっと不思議に思っていた。ところが実は、これまでも実質的には監督省庁からの回収命令で回収していたんだ、ということを、今回の件で理解した。命令されて回収するのだけれど、それでは企業イメージが悪くなるので、公式には “自主回収” と発表していた。要はそういうことだったのだと。

 四十もとうにすぎてから、ようやくこんなことに気がついて、ちょっと落ち込む私だった。
○| ̄|_

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2007/05/29

不条理な要求

保護者から学校への「イチャモン」にはワケがある
  夕刊フジ BLOG  [2007年5月27日]

 最近、テレビや新聞などでもこの問題、学校や先生への不条理な要求、をよく耳にする。

  • 少子化や地域社会の崩壊、保護者の孤立化などで、親は子育てに関する悩みを誰にも打ち明けられず、「この子を守るのは自分しかいない」と思いこんで文句を言う。
  • 子供がトラブルを起こすと、育てた親である自分が非難されたと思いこみ、逆ギレ的な言葉が出てしまう。

 私も同じような理由を考えていた。実際、「自分の子供を守るのは、自分(および配偶者)しかいない」 と、私も考えている。(といっても、何かにつけて学校に怒鳴り込んだり、要求したりはしていない。) また、「子供の悪事は親の責任」 という考えが何かにつけて強調されるため、「子供への叱責は親である自分への非難・誹謗・中傷」 と思い込んで、過剰に反応する人が増えている、という話も、私には同意できる話だ。

 私が問題だと思うのは、一部の過剰反応をする親達によって、先生達の貴重な時間が無駄に使われていくことだ。ただでさえ厳しいとされる先生達の労働条件をさらに悪化させているとしか思えない。

 しかも、今の教育制度は、先生達個人個人の努力を前提にしているとしか思えない部分が多い。なにかにつけて私の持論を出して申し訳ないが、「人は現状のシステムにおいて、自分が利益を得る、もしくは、損をしない行動を取る」 と私は信じている。つまり、先生達個人個人の努力に依存しているようなシステムでは、やはり将来的に改善するとは思えない。改善するためには、システムの変更が必要なのだ。

 そうすると、“教育制度改革” という話になるが、現安部政権が行おうとしている 教育制度改革 はどうも信用できない。少なくとも報道される範囲では胡散臭い。なんというか、戦前の全体主義への回帰を目指しているような、薄ら寒くなる感じを受けるのだ。

 とはいえ、私も教育制度改革について具体的な妙案を持っているわけではない。私が思っているのは、

  • 教師の地位向上 (給与面、労働時間、など)
  • 学力だけに偏らない教師の評価 (生徒からの評価、地域からの評価、など)
  • メンタルケアの充実 (カウンセリングの充実、など)
  • 管理職への専門教育 (組織運営のための知識、など)

といった、だれもが思いつきそうなものしかない。しかし、誰もが思いつきそうだからこそ、本質的なものだとも思っている。

 パソコンのソフトウェアの仕様を作るのも、プログラムを書いて実際に組み上げるのも、専門家の仕事だ。ユーザーがいくらあれこれ良いアイデアや要望を出したところで、それがそのままソフトウェアにできるわけではない。同じように、教育制度を組み上げる専門家とそれを運営する専門家がいて、今後の日本の教育界が今よりもよくなっていくことを、子供を持つ親としては切に願うばかりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/28

【YouTube】 無茶するなよな~

 初めてこの動画を見たときは、「ちょっ、まっ、えっ、おぉ~~~、無茶するな~~」 と一人でつぶやいていた。

 一昔前だったら、こんな動画が不特定多数に、しかも全世界に向けて、公開されることは考えられなかった。米国ならケーブルテレビで放送されたかもしれない。しかし、日本では “公共性うんぬん” でテレビ局は自主規制で放送しないだろう。放送したとしても深夜番組の色物番組とか、視聴者の少ない時間帯に放送するぐらいだろう。(“世界まる見え!テレビ特捜部” あたりなら放送しそうだが。)

 それがいまや、YouTube のような動画投稿システムにより、このようなちょっと危ない動画であっても、公に全世界に向けて配信されている。すごい時代になったものだ。

 もっとも、そのような情報発信システムが高度に進んでしまったため、アルカイダのようなテロ集団が、英雄願望の強い若者達をインターネット上で洗脳して、テロリストとして引き込んでしまう、というようなニュースも見た。

 以前 “やっぱり隠されていたタミフルの真実” で書いたように、以前ならば権力者側が隠し通せたような問題も、今は、インターネットで誰もが世界中に情報を発信できるようになった。おかげで、権力者の都合の悪い情報も、表に出るようになり、一市民としては昔よりも少しは安心できる。一方で、テロ組織の宣伝活動のような、治安や平和を乱すような情報も氾濫している。

 両者は紙の裏表のようなものなので、どちらかだけが存在できるとは思っていない。今のところは、社会を混乱させるような情報が出回るほうが、一部の人たちの都合や思惑で情報が操作されるよりも、はるかにまともな社会だと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/26

気に入ったケータイ ホルダーが見つからない

 私がケータイ(携帯電話)を持つようになって、二年がすぎた。ケータイを持ち始めてから、ずっとケータイ ホルダーを探しているのだが、なかなか 「これだ!」 というものが見つからない。

 今は、着信音がよく聞こえるように、胸ポケットに入れることが多いのだが、蓋のついていない胸ポケットだと、かがんだときに滑り落ちてしまうという問題がある。
 ズボンのポケットに入れるときもある。ズボンのポケットだと、着信音が聞き取れないときがある。また、ポケットが大きく膨らんでしまって、どうもしっくりこない。
 ウェストバッグがあれば、そこに入れるんだが、ウェストバッグなど、旅行へでも行かない限り使わないし。

 私が欲しいと思っているケータイ ホルダーは、

  1. ホルスター型: 肩の下にぶら下げるタイプ
  2. 腕装着型: ベルトで二の腕に装着するタイプ
  3. 太もも装着型: ベルトで太ももに装着するタイプ

という優先順位だ。

 世間的には、ベルトに装着するタイプか、フックで何かに引っ掛けるタイプがほとんどなので、私が欲しいタイプのケータイ ホルダーを店頭で見ることは、まずない。

 通信販売では時々見かけるのだが、欲しい人が少ないせいか、なにげに高価だ。ほとんどが5000円以上で、安くても3000円はする。さすがに、ケータイ ホルダーにそこまで出す気持ちはない。1000円、どうしても欲しくなるようなもので1500円が限度だろうか。

 今も気がついたときにあちこちを探したりしている。が、すぐには見つかりそうにないので、とりあえず代替品として、100円ショップのケータイ ホルダーを使っている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2007/05/25

報告のための報告

「報告のための報告」が飛び交う組織の実態
  企業にはびこる間違いだらけのIT経営:第28回
    ITmedia エンタープライズ [2007年5月23日]

 「あ~、規模が大きくなるとどこの企業も似たようなもんなんだな~」

 この記事を読んでの、私の最初の感想だ。

 前の会社で働いていた期間の後半は、ここに出てくるような組織ばかりに所属していた。米国本社からマネージャーが訪問に来る度に、毎回似たようなレポート、パソコン使用に関する日本の特殊性など、を書かされた。しかも、毎年のように日本の組織を監督する米国のマネージャーが変わるため、毎年同じようなレポートを書かされた。まさに、時間の無駄である。

 ある時など、そのときの日本人上司から 「10月に米国のマネージャーが来るから、9月からプレゼンテーションの準備をしないと間に合わない」 と聞かされて、本気で、

( °Д °) ハァ?

とあきれたものだ。一ヶ月間ずっと一人のマネージャーのためのプレゼンの準備だけしろと? そこまでして、実態以上に自分をよく見せたいのか~? と。

---------------

 そういえば、もう20年も前の話になるが、最初に入った会社の話。日本人なら誰でも知ってる超大企業の話だ。

 20年位前に、日系ビジネス誌で特集が組まれていた。当時、その大企業は、工場毎の採算性を取っており、いうなれば、工場長は一企業の社長のような立場だった。そして、予算の未達は重罪。予算を大幅に上回る利益も叱責の元だったという。記事曰く、「そんなに開きが出るというのは、いったいどういう予算の見積もり方をしていたんだ」 と。

 そんなシステムだったので、工場長や工場の幹部達はなんと、一年のうち “八ヶ月” も予算の見積もりに忙殺されていたそうだ。まさに本末転倒な状況になっていたわけである。

 さすがにそのおろかさに気がついたのか、あるいはそんな無駄をやっている余裕がなくなったのか、15年前には全社的に本社経営陣が中心になって予算を組むことになったらしいが。それにしても、壮大な “報告のための報告” だ。

---------------

 私自身がそんなおろかなシステムがイヤでイヤでしょうがなかった。なので、少なくとも自分が率いるチームには、極力無駄なプロセスをチームのメンバーが踏まないようにしたつもりだ。そのひとつが、以前に記事にした “自分から報告を聞きに行く” ことだ。直接聞きに行くことで、作業状態を見ることができる。今作業しているパソコンでそのまま表示してくれれば、いちいち報告書を書いたり、印刷したり、コピーしたりする必要もなくなる。もっとも、数人の極小規模な組織だったからできた話ではあるけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/24

【記憶に残る数学問題 1】 タバコを合計何回吸えるか?(解答編)

 前日の問題の解答である。まだ、問題を読んでいない場合は、先にこちらの問題から読んでいただきたい。

 さて解答だが、個人的には二つあると、私は思っている。私がこの問題を知ったときの正解は、後者の解答だと書かれていた。しかしながら、一般的な思考であれば、私は前者であっても正しい答えだと思っている。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

解答 1: (普通の人の解答)

  1. まず、一箱20本のタバコを全部吸う。(吸った回数:20回、吸殻20個)
  2. 吸殻20個のうち18個から6本のタバコを作って吸う。(吸った回数:26回、吸殻2+6個)
  3. 吸殻8個のうち6個から2本のタバコを作って吸う。(吸った回数:28回、吸殻2+2個)
  4. 吸殻4個のうち3個から1本のタバコを吸って吸う。(吸った回数:29回、吸殻1+1個)

 結果、

“タバコを29回吸うことができて、吸殻が2個残る”

という答えも、私は正解だと思っている。この考え方が一番自然だと思うからだ。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

解答 2: (ちょっと変わった人の解答)

“タバコを29回吸うことができて、吸殻が2個残る”

までは、解答 1 と同じだ。

 さらにその後に、誰か別な人から “吸殻を1個” 借りてくる。すると、吸殻は3個となり、1本タバコが作れる。これを吸うと、

“タバコを30回吸うことができる”

となる。

 そして、最後のタバコを吸うと、“吸殻が1個” できるので、これを借りた人に返せば、差し引きゼロとなる。

 というのが、私が読んだ正解だった。たしかに、うまい解決策だと感心させられたが、同時に何か、うまくごまかされたような気がしたのも事実だ。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

解答 3: (数学オタクによる解答)

 高校生時代の先輩に、この問題を出したことがあった。その先輩は、数学オタクだった。そして、その先輩が出した答えが、この画期的な解答だった。この問題が忘れられない問題となったのも、この解答を示されたためだ。

  1. 最初に20本
  2. 次は20本の1/3
  3. 三回目は20本の1/3の1/3
  4. ・・・

という形で無限にタバコを吸っていけば、一箱すべてのタバコを吸った回数を計算できると、その先輩は考えた。

 これは、初項が 20 で、等比が 1/3 の “等比級数” の無限和を計算することに等しい。初項 a、等比 r で -1< r <1 の場合、

Shiki00

が成り立つ。a=20、r=1/3 なので、これを代入すると、

Shiki01 Shiki02_1

となる。これを計算すると、

Shiki03

となり、なんと “解答 2” と同じ “30” となる。

 この一件で、数学の奥の深さを教えられたような気がした15の春だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/23

【記憶に残る数学問題 1】 タバコを合計何回吸えるか?

 私も人並みに、高校、大学と受験を経験している。その時代は、様々な問題集を解いたり、模擬試験を受けたり、基礎学問に関する本を読んだりした。そんな経験の中で、とても印象に残る、いつまでも忘れることのできない問題というものがある。

 もっとも、記憶に残る問題というのは、たいてい雑学に近い本に書かれていたような気がする。純粋に受験対策の問題というのは、無味乾燥で記憶に残らないものだ。

 ということで、第1回目。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

問題:

 一箱 20本入りのタバコがあったとする。

 タバコ1本を完全に吸うことはできない。かならず 1/3 が吸殻として残る。

 吸殻 3つ で、タバコ1本を再生することができる。

 再生したタバコを吸うと、また、吸殻が残る。

 このようにして、タバコを吸っては、吸殻を集める。集めた吸殻からタバコを再生して、また吸う。これを繰り返すと、一箱 20本入りのタバコ一箱で、タバコを最大何回吸えるか?

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

というのが今日の問題。

 答えは、明日の記事で発表する予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/22

情報の非対称性

レモンの市場の続き(モラル・ハザード)
  一般システムエンジニアの刻苦勉励 (山口 陽平)
    ITmedia オルタナティブ・ブログ [2007年5月17日]

 “情報の非対称性” という言葉は、初めて聞いた気がする。そして、この “情報の非対称性” を当てはめると、いろんな事柄がわかりやすくなることに気がついた。

保険会社が「普段どおり行動するだろ?常識的に考えて……」という目論見で設定した保険について、それに加入した人々は、「せっかく金払ってるんだから元取るだろ?常識的に考えて……」と、行動してしまう点において、情報の非対称性が発生することが原因です。

 このような情報の非対称性は、私の好きなコンピュータ ゲームにおいてもよく見られる。有名なところでは、ファイナルファンタジーXI の製作責任者の発言。

  • プレーヤー 「6人でチームを作ってから場所を決めて移動するのが一番効率がいい」
  • 製作側 「一人で戦場に移動して、戦場で仲間を集めることを想定していた。6人でチームを組んでから戦闘場所に移動するとは思わなかった。」

さらに

  • プレーヤー 「せっかく定額で遊べるんだから、なるべく長く遊んで、他人よりも先に冒険したい。」 (そして、2~3週間で、キャラクター レベルを最高値まで上げた。)
  • 製作側 「キャラクター レベルを上げる以外にも、いろいろやることがあるので、最高レベルに到達するのは早い人でも半年後だろう。」

といった具合だった。あとでインタビューを読んで、乾いた笑いしか出ないほどの非対称ぶりだった。

 また、最近お気に入りの 機動戦士ガンダム 戦場の絆 でも、似たようなインタビュー記事が掲載されていたことは、以前に紹介したとおりである。一部を抜粋するとすると、

  • プレーヤー 「始めたばかりの人には、基本的な操作も含めてわかりにくいことだらけ。うまい人が一方的に攻撃できるような未調整が、公式に “裏技” になっているのはやはりおかしい。」
  • 製作側 「問題としては認識していますが、それは店舗の絆を深めていただくことで、解決できるのではないかなと思います。」

といった感じである。

 これまた何度も書いたことだが、このように自分が手におえなくなった部分の調整をあきらめて、ユーザーに丸投げするやり方は、私も過去にパソコンソフトでやったことがある。ので、そうやりたくなり気持ちはよくわかる。しかも、そのような責任放棄したような製品をユーザーに売ると、あとでどんなしっぺ返しを食らうかも、十二分に経験済みだ。

「私はここまでがんばって作りました。だから、未調整名部分は、ユーザーが努力して克服するだろう。」

という考えは、

保険会社の「普段どおり行動するだろ?常識的に考えて……」

という考えと同類である。

 このような情報の非対称性を生まないようにするためには、上記のブログ内でも説明されているような “第三者機関によるチェック” が有効だ。開発側にユーザーまたはプレーヤー視点の第三者的立場の人間を置くのだ。しかし、そのようなユーザー、プレーヤー的な人間は、開発側と対立をして、往々にして排除されるか、取り込まれてしまうのが現実である。

 そう考えると、任天堂が製品発売までの過程に、ユーザー、プレーヤー的な組織をシステムとして組み込んでいるのは、すばらしいの一言に尽きる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/21

ゴム手袋 と プラスチック手袋

 手湿疹(主婦湿疹)というものを知っているだろうか。水仕事などで、手に水ぶくれ、ひび割れ、潰瘍ができる病気である。原因はいろいろあるようだが、洗剤で手の皮膚の脂質がなくなってしまい皮膚が乾燥して手湿疹になる、場合が多いそうだ。

 かくいう私も、素手で洗濯や食器洗いを行っていたら、手湿疹になった。

 そこで、手に手湿疹用の薬や保湿クリームを塗りつつ、水仕事のときはゴム手袋をはめるようにした。ゴム手袋は100円ショップで買ったものだ。

 ところが私の手湿疹は、よくなるどころか、指先から手の甲へと広がって行った。特に左手の甲は赤くなり、右手と比べると明らかに腫れていた。

 これはさすがに危ないと思い、病院にいって診てもらった。すると、

「ゴム手袋による “ラテックス  アレルギー” の可能性があるので、手袋はプラスチック製のものにしなさい」

といわれた。そのときまでゴム手袋によるアレルギーというものを知らなかったし、プラスチック製の手袋をがあることも知らなかった。

 100円ショップを探してみると、ゴム手袋はいろんな種類置いてある。しかし、肝心のプラスチック手袋はなかった。そこで、行きつけのスーパーで探してみると、プラスチック手袋があった。ただし、値段は200円~300円とゴム手袋に比べるとお高め。しかし、背に腹は変えられないと思い、ひとつ購入。

 プラスチック手袋を使うようになってからは、手湿疹もきれいに直り、めでたしめでたしである。

 使っていて気がついたのだが、プラスチック手袋はゴム手袋に比べて、とても長持ちする。ゴム手袋の3倍以上長持ちしている。値段から考えると、プラスチック手袋のほうが極めて経済的であることがわかった。しかも、私の手に優しい。(笑)

 もうひとつ、ゴム手袋とプラスチック手袋では、劣化の仕方がまったく反対であることがわかった。

 ゴム手袋は、使っていくとだんだん伸びていく。買ったときにはぴったりだったゴム手袋が、使っていくと指先に隙間が出るくらいに伸びる。そのうち、指先のゴムが薄くなって破れる。

 プラスチック手袋は、逆に、使っていくとどんどん縮んでいく。買ったときにはぴったりだったプラスチック手袋が、使っていくと指と指の股のところに隙間ができるくらい縮む。指先の部分も硬くなって、だんだんと物がつかみにくくなっていく。プラスチック手袋はまだ破損していないが、このまま硬くなって、いずれ指先の部分が割れてくるように思う。

 もし、手湿疹で悩んでいる、ゴム手袋で悩んでいる人がいれば、参考にしていただきたい。

| | コメント (3) | トラックバック (0)
|

2007/05/19

もしかしたら Microsoft は戦う相手を間違えたのか?

任天堂快進撃の秘訣は「誰でも遊べそう」だから
  夕刊フジBLOG
    [2007年5月18日]

 任天堂の DS と Wii が破竹の勢いだ。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 ウソかホントか知らないが、Microsoft が XBOX 事業を始めた理由は、ソニーにリビング・コンピュータの地位を独占させたくなかったため、という話を聞いたことがある。

 PlayStation、PlayStation 2 と十年にわたり、家庭用ゲーム機の主流を占めてきたソニーは、PlayStation を入り口として、リビング・コンピュータ、ひいては ホーム・コンピュータ・システムを、将来、独占するかもしれない、と予測したとしてもけっして変ではなかった。むしろ、その可能性は大きいようにも思えた。

 コンピュータ業界で主導的な地位を維持したい Microsoft としては、そんな状況を指をくわえてみているはずもない。初代 XBOX ですでに、ネットワーク機能を取り入れてソニーの先手を取った。XBOX 360 では、オンラインゲームがメインになるほどの力の入れようだ。

 そうやって、リビングの覇権を握ろうと、XBOX と PlayStation がこぞってネットワーク機能、インターネット接続を前面に出して戦っていた。

 ところが、ティラノサウルスとスピノサウルスが格闘するがごとく、Microsoft と ソニー が殴り合っている横を、イソップ寓話 “ウサギとカメ” のカメのごとくに、任天堂がいつの間にかリビングへの道の先頭を走って(歩いて?)いる状況になってしまった。

 今の状況をそのまま延長していくと、多くの家庭では、

  • Wii でゲームをして、
  • Wii で Web ページを閲覧して、
  • Wii で YouTube を流し見して、
  • Wii で他人とオンライン・コミュニケーションをする、

状況が生まれる。Micorsoft と ソニーが求めてやまなかった地位に、リモコン と ヌンチャク で 任天堂 Wii がつくことになる予想ができてしまう。

 もちろん、今の Wii では大容量の保存媒体を内蔵していないし、できることも限られている。よって、今のままで Wii がホーム・コンピュータの中枢になるとも思えない。

 そんなことよりも、本体(CPUやGPU)の性能ではなく、“低価格” と “わかりやすいインタフェース” と “使って楽しいコンテンツ” によって、Wii がホーム・コンピュータの中心に置かれようとしている事実が、私にはとにかく興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2007/05/18

結果の出ない努力をどう評価するか

一生懸命やれば良い、というものでもない (大木 豊成)
  ITmedia オルタナティブ・ブログ
    [2007年5月17日]

 ほとんどの部分で私は上記の大木豊成氏の意見に賛成だ。

  • 「一生懸命やらなくて良いから、ちゃんとやってくれ。」

 基本だろう。私は今、この言葉をシマンテック社の開発部隊とサポート部隊に声を大にして言いたい。

  • ただ漫然と長時間働くのは、会社にとって良いことではありません。

 某日本有数の大企業の研究所に勤めていたときの話。研究員をサポートする技官の人たちは、毎日二時間の残業を “日課” にしていた。効率よく作業すれば定時で終わる仕事を、わざと手を抜いて残業時間で終わるように作業をしていたのである。彼ら曰く、「残業なしでは手取りが少なすぎる」、「そもそも残業を前提にした給与体系になっている」。
 当時はまだ私もケツの青い若造だったので、「低い作業効率で、長時間働いている人が、多くの給料をもらうのはおかしい!」 と、いつも怒っていたものだ。

  • 「僕は夜型ですから」と言っていつまでも会社に残る人間がいますが、周りと生活時間帯が合わないだけなので、むしろ迷惑だったりするわけです。

 前の会社で、毎週土日に休日出勤をしている同僚がいた。しかも、毎週月曜日に、場合によっては火曜日も「体調が悪い」といって代休を取って休んでいた。結局は週休二日である。ならば、「きちんと土日に休んで、平日に出て来い」 と皆で不満を漏らしていた。
 土日に作業をすれば、周りから作業を中断させられないため、自分自身の作業効率は上がるだろう。しかし、週明けに打ち合わせができなくなり、チーム内のすりあわせが難しくなる。チーム全体としてみれば、著しく効率が悪くなってしまう。

  • もの凄く頑張っているように見える人でも、早めに着手しておけば良かっただけ、ということも少なくないのではないでしょうか。

 以前に書いた話だが、私は修士論文を締め切り前日までに提出をした。同じ研究室には、少し前までサークル活動やアルバイトに精を出し、締め切りが迫ってから何日も徹夜をして締切日当日も必死に論文を書いている同級生たちがいた。今から思うと、もしかしたら周りからは、締切日まで必死で論文を書いている学生のほうが、一生懸命やっていたように見えたのかもしれない。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 とはいえ私は、

「出された結果で評価をするのが一番大切である。しかし、結果を出すまでの努力に対しても何らかの評価を与えたほうがよい。」

と考えている。

 私は大学時代に、金属・材料学を専攻していた。この材料系の研究というのが、実はなかなか実用的な成果を出すことができない。研究をすれば、何らかのデータを出すことはできる。しかしたとえば、「十年間研究したので、これまでの二倍の強度を持つ材料を開発しました」 とはいかない分野なのである。一日で新しい発見ができるかもしれないし、百年研究してもなんら成果を挙げられないかもしれない。そんな分野で研究努力を一切評価しなければどうなるだろう? おそらくほとんどの人が材料研究などしなくなるだろう。誰も研究しなくなれば、もちろん新しい発見もなくなる。

 何が言いたいかと言えば、そういう分野もあるということをいいたかったわけである。そういう状況においては、“努力をどう評価するか?” は重要である。人はほとんどの場合、よい評価を受けなければモチベーションが続かないからだ。でも、前半で書いたような、“努力しているフリ” を評価したくはない。

 私自身は人を雇っているわけではないし、会社を興そうと思っているわけでもない。ただ、正当に労働者の努力を評価できる方法を見つけることができれば、会社の経営者や人事担当者に、高く評価してもらえるかもしれないとは思った。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/17

二年で一区切り

忘れるまで2年 (今泉 大輔)
  ITmedia オルタナティブ・ブログ
    [2007年5月14日]

 これを読むと、

「あ~そういえば、私の場合は、二年周期で担当する製品が変わるか、職種が変わるかしてきたな~」

ということを思い出す。(おっと、最初の会社を退社したのもちょうど二年だったな。(^_^;) )

 短いときは一年半。長いときは二年半。平均するとだいたい二年で、私の仕事に何らかの変化が起きた。

 私が前の会社に入ったときは、パソコン業界がまさに激動の時代だった。そして、ソフトウェアのバージョン・アップはほぼ一年周期だった。

 二年ということは、2バージョンその製品に携わることになる。2バージョンそのソフトウェアに専任で携わると、当時の規模のソフトウェアであれば、1バージョン目で担当したソフトウェア全体を把握して、2バージョン目でやりたいことをやってしまう、というパターンを作れた。その意味では、二年周期の変化は、自分のモチベーションを高く維持するにはちょうどよい周期であった。

 その後、会社に入って10年ぐらい経つと、パソコン業界も落ち着いてきた。ソフトウェアの規模も大きくなり、ソフトウェアのバージョン・アップの周期は二年~三年に延びていた。すると、二年という周期は、ひとつのソフトウェアの1バージョンにも足りなくなってくる。

 さらに、開発のほとんどは米国本社となり、日本での開発は周辺のごく一部のみとなった。また、効率化のために、一人が複数のソフトウェアを担当させられるようになった。当然、担当したソフトウェアすべての全体を把握することはできず、日本市場に向けた提案をまともに出すこともままならなくなってくる。そうして、私のモチベーションが急速に落ちていった。

 振り返ってみれば、二年毎に新しい分野のソフトウェア開発を渡り歩けたことは、極めて幸運であった。そして、それが10年も続いたことも、私にとってはまたとない幸運であった。しかし、幸運はいつまでも続かないということなのだろう。

 「石の上にも三年」 ということわざがある。しかし、私には 「同一環境に二年」 だった。どうも私には 「三年」 は長すぎるようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/16

「利益は過去最高」 というけれど・・・

 5月15日は決算発表の集中日だった。そして、企業の利益は過去最高となるそうだ

 テレビ、新聞各社も、さかんに “利益は過去最高を更新” と騒ぎ立てている。しかし、そんな発表も、私には “大本営発表” に聞こえてきてしまう。

 企業はたしかに利益を更新したかもしれない。一方で、社会の全体を支えている労働者はどうだろう? 聞こえてくるニュースは、“ワーキング・プア”、“正社員と派遣社員の格差”、“新卒偏重による中途採用の壁”、“成果主義の名を借りた給与削減”、“サービス残業の恒常化”、などなど、とても企業が過去最高の利益を出しているとは思えない状況に、多くの労働者は置かれている。

 単純に見れば、企業が労働者の利益を搾取しているように見える。“企業” というとわかりにくいが、要は “経営者” であり “取締役” である “経営陣” だ。経営陣は企業の利益に応じた報酬が得られるため、社員の給与を削減してでも企業の利益を上げれば自分の利益につながる。今回の 「過去最高の利益」 騒ぎも行き着くところ、そういうことなのではないかと、私は理解している。

 日本が二十世紀後半のときのような、国民全体が富を蓄えていける時代ではなくなってきているのは、一部の人にとってはすでに常識だ。日本という国に入ってくる富が以前よりも少なくなっているのだから。その少なくなった富を、1.一部の人たちでこれまでと同じかそれ以上の量を独占する、のか、2.全体でこれまでよりも少なくなった富を分配する、しか選択肢はない。小泉政権で、日本の政治システムは 1. を選択したわけである。これが俗に言う “格差社会” であり、“勝ち組・負け組” である。

 ところが、日本の一般社会においてはいまだに “富を社会全体で分け合う” 幻想の中にいる。大昔のような “均衡ある国土の発展” といったものにすがっている。そして、そういう政策を過去に行っている政党に幻想を持っている。政治屋や高級官僚、資産屋たちは、そういった幻想をたくみに利用して富を独占しようとしている。

 内戦や暴動といった過激な社会変化は、私も好まない。しかしながら、このままでは本当に日本国民の大多数が経済的に這い上がれないところに追いやられてしまう。もしかしたらすでにそうなっているのかもしれない。私としては、明治維新や戦後復興のような “危機的状況からの見事な脱却” を行ってきた日本人の生命力を信じるのみである。

| | コメント (0) | トラックバック (2)
|

2007/05/15

「壊れた」のか、「壊した」のか

 あくまで私の個人的な定義だが、「壊れた」 と 「壊した」 には明らかな違いがあると思っている。

  • 壊れた … そのものの耐久限界を超えて使用した。製品の設計に問題があった。
  • 壊した … 製品に問題はなかったが、使い方に過失があった。(落とした、ぶつけた、等)

 ところが、カミさんの報告は常に 「壊れた」 である。「壊れた」経緯を聞いたり、「壊れた」瞬間を目撃すると、私の定義からは、カミさんが 「壊した」 としか思えない。手を滑らせて食器を割っても 「壊れた」。扇風機を狭い押入れに無理やり押し込んだ結果、首の部分が折れても 「壊れた」。私はそれに対していつも、「そりゃ 『壊れた』 たんじゃなくんて、『壊した』 んだろう」 と突っ込みを入れるのだが、カミさんが同意をすることはない。

 「壊れた」 のか 「壊した」 のか、どちらかの認識が正しくて、どちらかが間違っていると言いたいわけではない。ただ、物事に対する認識が違うだけなのだと。そして、どうしてそのような認識の違いが出るのかに興味があった。

 私の考えは、「物は設計者が想定した範囲で使うべきである。設計者の想定外の使い方はすべきではない。想定外の使い方をして破損した場合、責任は使用者にある。」 である。

 一方、カミさんを観察するに、カミさんの考えは、「私は私の使いたいように物を使う。私が思ったとおりに使えないときは、物に問題がある。私が使いたいように使って破損した場合は、物に問題があったからだ。」 のようだ。

 つまり、カミさんにとっては、「食器は落としても割れてはいけないもの」 だし、「押入れに押し込んだぐらいで壊れるのは、扇風機に問題があるからだ」 ということらしい。

 カミさんのタイプの考え方は、けっして特別ではなく、むしろ過半数の人の考えではないかと、私は思っている。悪く言えば、問題が発生したときに、原因が自分以外にあるとするタイプだ。このタイプは、失敗しても後ろ向きにならないので、物事を次々にこなしていける。さらに、設計者が想像もしなかった画期的な使い方を見つける、といった長所があると思っている。逆に、自分が感じたようにしか物を扱えないため、タイマー録画やパソコンなど、使うためのルールが厳しい製品を苦手とする。

 逆に、私のようなタイプは、どのような物や製品も、その目的や設計思想を理解しようとするため、的確に物を使いこなすことができる。しかし、ルールに従った使いかたしかできないため、それまで想像もしなかったような新しいものの使い方を発見するは苦手である。

 カミさんがよく無茶な使い方をして物を壊すので、なるべく感情的にならずに、その原因を理解しようとして、この記事を書いてみた。でも、やっぱりカミさんが無茶な使い方で物を壊すとむしょうに腹がたつ。
ヽ(`Д´)ノ
そんなんじゃ、ホントはいけないんだけどね。
○| ̄|_

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/14

なるほど、そういう手法もあるのか

ガチャピンブログに漢字が多い理由
  したらば元社長日記
    [2007年5月8日]

 ガチャピンがブログをやっていることに、私も驚かされた。まぁ、スキー、サーフィン、スキューバーダイビングは当たり前。宇宙遊泳までやってしまうガチャピンだ。ブログのネタなどいくらでもあるだろう。

 という冗談はおいといて。

 私も、「三歳児からせいぜい小学校高学年」がユーザ・ターゲットだったとすれば、迷うことなくほとんどをひらがなで表記したブログにしていただろう。ところが、ガチャピン・ブログのスタッフは、

「そこで、子供がガチャピンブログを読んだ時に、わざと読めないような難しい漢字も入れることで、「おかあさん!これ読んで!」となるのを狙っている」

とのこと。これは簡単に気がつくようで、なかなか気がつくことではない。息の長いキャラクターをプロデュースしている人や組織は、「さすが “プロ” だな」 と感心した。

 そういえば、この間放送が終了した “ウルトラマン メビウス” にも、1960年代から80年代に登場した歴代のウルトラマン達や歴代のウルトラマン達と戦った怪獣を登場させていた。これも、子供だけでなく、親の世代にも楽しんでもらおうという手法だ。さらに、ウルトラマン メビウスの映画版では、1.子供向けのメビウスが活躍するプロモーション・ビデオと、2.親の世代が楽しめる歴代のウルトラマンが活躍するプロモーション・ビデオ、の二つを公開していた。

 今後、この種のコンテンツやキャラクターがターゲットとしてきた子供達の数が減少していくことを考えれば、手持ちのコンテンツやキャラクターをもっと幅の広い世代に受け入れてもらおうとするのは、理にかなった手法だ。

 そしてこの手法は、映像コンテンツや映像キャラクターだけではなく、お菓子や玩具のブランドやキャラクターにも適用されていることも思い出した。息の長いキャラクターやブランドには、子供の頃に思い入れた大人たちが少なからずついているはずだ。そういった人たちを再び取り込むことは、まったくの新規に接する人たちよりも取り込みやすいためだろう。“大人の科学” や “電子ブロック” はそういった復刻モデルの成功例だと思う。

 映像キャラクターに関しては、最近だと、三万円の “ライダーベルト” が話題になった。個人的に、子供の頃、友達が持っていてうらやましかったのは “サンダーバード基地” だ。今でもファンが多そうだから、十万円単位の豪華精密サンダーバード基地が発売されたら、結構売れるんじゃないかと思っている。私は多分買わないけど。(ってヲイ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/12

新しいアニメ制作モデル

「ライディーン」「ボトムズ」
  …リバイバルアニメ、大人に照準

    ITmedia News (産経新聞) [2007年5月10日]

 この記事で目を引いたのは終わりのほうの部分だ。

 「ボトムズ」の制作費は、キャラクター商品の版権料やDVDの販売収入などでまかなわれる。現在、新作12本を制作中。“ボトムズ現象”は、スポンサーが付かなくてもアニメ制作が可能なことを証明した。

 何気に書かれているが、これまでの常識を考えると、これは画期的だと私は思っている。スポンサーの目を気にすることなく、真に作品を見たいと思っている人たちに向けて作品が作れるようなるのだ。そうなれば、テレビ放送に縛られることもなくなる、と思う。インターネットでの配信でも収益があがるとなれば、これまで以上に多彩なコンテンツが作られるかもしれない、という期待も高まる。

 とはいえ、さすがの私も、バラ色の未来だけが待っているとは思っていない。

 スポンサーという足かせが外れることで、逆に製作者のマスターベーションを助長してしまうかもしれない。製作者の独りよがりな作品ほど、見ていてつらいものはない。そんなものばかりが乱造されたのではたまらない。

 たまに 「“機動戦士ガンダム” は富野由悠季氏をはじめとして担当者が自由に作ったからあれだけの作品ができた。」 などという戯言を聞くことがある。私が、本人のインタビューや、関係者の発言を聞く限りでは、富野由悠季氏や担当者たちは、相当スポンサーからの無理難題を無理やり飲み込んで、名作“機動戦士ガンダム” を作っていったと理解している。ジオン軍が次々に新しいモビルスーツを出してくるのは、スポンサーが発売するおもちゃのバリエーションを増やすため。夏ごろの放送で、海での戦闘の話になるのも、スポンサーの要求で、水場で遊べるモビルスーツを発売するため。と聞いている。最後に予定話数よりも短縮されたのも、スポンサーの発売した関連商品が思ったほど売れなかったため、と聞いている。世間で言われているほど、視聴率は悪くなかったらしい。

 何が言いたいかといえば、制限をかけられたからといって、作品がだめになるわけではない。むしろ、与えられた制限内で、いかに自分たちの理想を実現するかに知恵を絞って、作品を研ぎ澄ませて行く。そうして作品がより光ってくることがあることを、“機動戦士ガンダム” は示していると思う。ある程度フリーハンドを与えられた以降の富野由悠季ガンダムは、逆にパワーダウンしていると思っている。

 新たな制作モデルができたことで、アニメ制作に新たなチャンスができたと思っている。そのことで、質の高い作品がどんどん出てくることを願うばかりである。なにしろ、ここ数年~十年のテレビ放送アニメ(特に深夜帯)の質の低さには目を覆うばかりなのだから。

| | コメント (3) | トラックバック (0)
|

2007/05/11

ケータイ依存症

女性の84%が“携帯持ち歩かないと不安”
インフォプラント調べ
[ITmedia +D モバイル (2007年05月08日)]

 時々マスコミで “ケータイ依存症” なるものの記事を目にすることがある。ケータイ依存症 を簡単にいえば、「ケータイをいつも身に着けていないと精神的に不安定になる」、「人との待ち合わせなどの約束を、ケータイを持っていることを前提で行う」 ということらしい。上記の記事によれば、調査した人の 男 75%、女 84% がケータイ依存症ということになる。

 その意味では、私も私のカミさんも ケータイ依存症 ではないといえる。なぜなら、出かけるときによくケータイを家に忘れるからだ。(笑)

 家に忘れたのではケータイの意味がまったくないのだが、出かけるときの確認で、ケータイの優先順位はかなり低かったりする。目的地の途中まで行って 「あれ?ケータイは?」 ということはよくある。それでも、「まっ、いいか」 で済ませられる時点で、ケータイ依存症 ではないと自信を持って言える。ケータイ依存症なら、たとえ約束の時間に遅れるとしても、ケータイを取りに戻るであろう。そもそも約束をしていたとしたら、ケータイなしでは約束した相手と会うことすらできないと予想される。

 私はつい最近までケータイを持たない生活をしていたため、ケータイを前提とした約束をするクセはついていない。友達と会う約束をしたならば、事前に時間や場所をかならず具体的に決める。その日に連絡がつかなかったとしても、なんら問題がないようにする。

 ところが、ケータイ依存症の人を取材した番組を見たところ、約束は、「今日、会う?」、「い~よ~」、「どこがいい?」、「渋谷かな~」、「じゃ~、夕方に渋谷でね~」 で終わってしまう。夕方になったらあらためて 「いまどこ~?」 と連絡をして待ち合わせをしていた。

 どうやらケータイ世代には、これが普通らしい。私にはとてもじゃないが、怖くて使えない手法だ。

 また、別な記事の話。

 A氏は、ビジネスで会う約束をしたので、相手B氏の会社に出かけたらしい。約束した時間に訪問したにもかかわらず、受付嬢によるとB氏は少し前に出かけたらしい。仕方なく受付で待っていると、一時間後にB氏が同僚と会社に戻ってきた。A氏を見たB氏は、「来ていたのなら、私のケータイに電話をくれればよかったのに」 とA氏に言ったそうだ。
 A氏は、約束をしたのだからその時間に当然会社で待っているべき、と考えていた。私もそう考える。一方でB氏は、ケータイがあるのだから連絡をくれればすぐに会社に戻ればいい、と考えていた。さらにあとでA氏が周りの若い人たちと話をしたところ、B氏と同じ考えの人たちが少なくなかったという。

 ケータイという便利なツールが日常に入り込んだことで、行動、常識、マナーといったことが、大きく変わろうとしているのかもしれない。自分はといえば、手書きで手紙を書くことがほとんどなくなり、必要なことは電話で済ませる。調べものがあればGoogleで検索すればいい、と考える。そんな自分の今の生活を考えれば、ケータイ依存症の人やB氏のような考えを “非常識” と簡単に片付けることはできない。まだ20世紀だった頃、自分が調べ物をするときにどういうもので調べていたのか、すでに思い出せないのだから・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2007/05/10

病院にいってきた

 いつもなら、腰を痛めても一晩寝ればだんだんよくなってくるのに、今回は三日たっても良くなる兆しがない。さすがに私も心配になって、今日は病院に行ってきた。正確に言えば、整骨院なのだけれど。

 で、先生曰く、

  • 「腰の背筋が炎症を起こしている。」
  • 「一部は腫れている。」
  • 「普通は右か左の片方が痛くなるのだが、両方腫れている。」
  • 「ここまでひどくなると、安静にするしか治療法はない。」

のだそうだ。○| ̄|_ ガックシ

 筋肉痛かせいぜいいつものぎっくり腰だと思っていたので、ショックが大きかった。通りでなかなかよくならないわけである。

 先生からは、

  • 「炎症を起こしているのだから、冷やさなければならない。」
  • 「お風呂に入って身体を温めるのはかえって逆効果。」
  • 「お酒も身体を温めるのでよくない。」
  • 「同じ姿勢を長時間とらないようにする。」
  • 「スポーツ番組などはかえって身体に力が入って緊張するので控える。」
  • 「立ち上がるときは、足の裏 ⇒ ひざ の順に力を入れて、腰に負担をかけないようにする」

などの注意を受けた。血行を良くして回復を早めようと、お風呂に入っていたのが失敗だったとは・・・。orz
お酒は飲まないし、スポーツ番組も見ないから、そのへんは問題ない。ただ、パソコンを使う時間は短めにしないといけないな、と思った。

 その後、電気マッサージと手によるマッサージを受けた。最後にテーピングをしてもらって、コルセットをつけて、さらしを巻いてもらった。

 それにしても。よりによって、今年一番暑いに日、ぐるぐる巻きでさらしを巻いてもらうとは・・・。暑くて暑くてしょうがない・・・。orz

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2007/05/09

早期英語教育もいいけれど・・・

大丈夫か日本語:
「骨が折れる仕事」は「骨折する仕事」 中学生レベルの大学生

  ITmedia [産経新聞]  2007年05月01日

 私も常々 “早期英語教育” ばかりがマスコミで取り上げられることが、不満であった。たしかに、英語はできないよりできたほうがいいとは思う。しかしながら、“英語ができなければ仕事ができない” とでも思わせるような報道のされ方、あるいは認識のされ方は、やはりなにかおかしいと思う。

 たしかに、担当業務は優秀にこなすが英語が苦手なために会社から軽んじられた人、をみたことがある。逆に、実務はさっぱりなのに英語が得意というだけで評価されていた人、もみてきた。しかしそれらは一時的なものであり、結果的には実務を優秀にこなす人間が生き残っていった。

 私の場合は、幸いにして “英語ができない” という理由だけで低く評価されることはなかった。ろくに英会話もできないうちにアメリカへ出向させられた。出向当初は、マネージャーやチームのメンバーとの意思疎通さえままならなかったものだ。それでも、実務できちんと成績を残すことで、マネージャーにも評価してもらい、メンバーたちにも認めてもらえた。

 「英語であれ日本語であれ、所詮コミュニケーションのための道具でしかない」 というのが私の持論だ。つまり、意思疎通ができなければ、その言語を話していることにならないというということをいいたい。
(もちろん、言語が文化であり芸術である、という考えも真実であり、それを否定するつもりはない。単に私が文学や書道などの芸術を理解する能力に欠けているだけの話だ。)

 私のカミさんも日本語能力に若干の問題を抱えている。(^_^;)
「地図マップ貸して」といったわけのわからん単語を使ったり、「あの店はまずかった。とてもじゃないが『ひどいものじゃない』」(本人は、『ひどいものだった』もしくは『食えたものじゃない』と言いたかったらしい) といった、意味がまったく異なる単語の使い方をしてくる。そのたびに私は脳内で翻訳装置を動かして理解しなければいけない。
(ちなみにカミさんは、英語検定試験では高得点を取れるくらいに優秀な “英語使い” だ。)

 ので、最初に紹介をした記事にもあるように、私ももっと意思疎通のできる日本語教育を先に充実させるべきだと思っている。国語のマークシートテストで高得点を出せたり、英単語を多く知っていたりするよりも、自分の考えを正しく相手に理解してもらう技術は、日常生活においても、社会に出て働くにしても、極めて重要な技術である。本人にとっても重要であり、一緒に生活をする人や働く人にとっても重要だ。

 私は正しく伝える訓練を、大学生、大学院生のときに徹底的にさせられた。そのときに指導教官であった助手の言葉を今でも覚えている。

「論文は文学的である必要はない。仮に日本語として多少違和感のある表現であったとしても、100人が論文を読んで、その100人とも同じことを理解する表現であれば、学術論文ではその表現は正しい。」

私はこのことを常に念頭に置きながら、会話をしたり、文章を書いたりしている。

(繰り返しになるが、けっして “文学を否定しているわけではない”。文学も大切。そして日常生活においては、正しく相手に伝える言葉使いが重要。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/08

腰が痛ひ・・・

 一昨日からなにやら腰が痛い (>_<) 。ちょうどぎっくり腰をやったときのような感じだ。でも、何かの拍子にいためたわけではなく、一昨日の昼ごろからだんだんと痛みがましてきた。歩くのがやっとで、とてもじゃないが走れる状態ではない。自転車に乗っての買い物は、なんとか根性でしのいだが、布団を上げる根性はなかった。orz

 この腰の痛みの原因だが、ゴールデンウィーク後半に行った旅行の疲れが、時間差攻撃で腰に出てきたのではないか、と想像している。筋肉痛のようなもじゃないかと。

 というのも、年々、筋肉痛が出るのが遅くなって来ている。20代、30代では、無理な運動や労働をすると、翌日には筋肉痛となって疲れが出ていた。それが40代になると、一日か二日遅れて筋肉痛が出てくる。

 今回も旅行から帰ってきて二日目あたりから痛み出したので、旅行中に重たい荷物を持って歩いたツケが出てきたのだろう、と思っている。

 「まだまだ体力は十分にある」、「まだまだ若い」 などといきがってみても、現実には確実に老化が進んでいる。この腰の痛みが、私に警告を発しているようだ・・・。

| | コメント (2) | トラックバック (1)
|

2007/05/07

【書籍】 ドリトル先生

 ここでのドリトル先生は、ヒュー・ロフティング著のアメリカ合衆国の児童書シリーズ のことで、エディ・マーフィー主演によるおバカ映画 ドクター・ドリトル、ドクター・ドリトル2 のことではない。

 私は小学生のころ、このドリトル先生シリーズが大好きで、全12作品をすべて読んだ。残念ながら詳細な内容は忘れてしまったが、当時はわくわくしながら読んだ記憶がある。そして、どういう経緯かは忘れてしまったが、第2巻と第12巻の2冊だけ実家の本棚に残っていた。それを前回帰省したときに自宅に持って帰った。そして、子供の本棚に置いておいた。持って帰ってきたときに子供は、「そんなの読まないからね。」と言っていた。

 私が ドリトル先生 を実家から持ってくる気になったのは、子供が “マジックツリーハウス”シリーズを必死になって読む姿を見ていたからだ。とにかく マジックツリーハウス の新刊は発売日に買わされるほどである。この マジックツリーハウス シリーズも架空の世界の空想物なので、おそらく ドリトル先生 も好きになるに違いないと思い、実家から持ってかえって来たのである。

 そして最近ひょんなきっかけから子供が ドリトル先生 を読み始めた。

 こんど博物館に社会見学にいくらしい。そこの展示物に “井伏鱒二” の作品があるというのだ。そして、ドリトル先生 の翻訳者がその 井伏鱒二 だったのだ。

 なんとも奇妙なきっかけで読み始めた ドリトル先生 だったが、やはり子供の趣味にあったらしい。さっそく 「第一巻から読みたい」 と言い出した。

 思い返せば私が35年前に読んだ本を、今、自分の子供が読んでいる。自分と同じ本に興味を持ち、自分と同じようにもっと読みたいと親におねだりする。なんとも不思議な気分である。

追記:
 子供が 「読み終えたよ」 と持ってきた ドリトル先生 第二巻 をぺらぺらめくっていたら、巻末に “ナルニア国ものがたり” の紹介が載っていた。昨年ヒットしたディズニー映画のことは知っていたが、実は35年も前に、(すくなくともタイトルは、)目にしていたはずの作品だったのだ。35年目にして知った事実にちょっと orz な気持ちだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/02

メール返信に対する小さなこだわり と 小さなグチ と

 私には、未読メールに対する自分なりのルールがある。それは、

  • “未読メールを読んだときに、そのメールに対するアクションをすぐに起こす。”

というものだ。つまり、未読メール = 未処理項目、既読メール = 処理済、としているということだ。処理済 とは、ほとんどの場合、返信メールを書いて送信することである。なので、未読メールのチェックが終わると、私のメールソフト内には基本的に未読メールがない。私と同じような未読メールの処理をしている人は、意外と多いと思っている。

 対応に時間がかかりそうな場合は、仕方がないので、一度読んだメールを再度 “未読”メール に戻すこともある。その場合でも、メールの発信者には 「対応に時間がかかりそうなので、少々お待ちください」 と返信することにしている。

 なぜすぐに返信することを自らに課しているかといえば、メールをくれた相手を安心させるためだ。以前にも言ったことがあるが、電子メールは不完全な通信手段だ。送信してもかならず相手に届くとは限らない。相手に届かず、しかもエラーも出さず、どこかに消えてしまう可能性も小さくない。最近だと、スパムメールにまぎれてしまい、メールを出した相手の目に留まらずに、メールが捨てられる可能性だってある。現に何度かスパムメールと間違われたことがある。

 なので、少なくとも自分に出されたメールは、「ちゃんと届きましたよ」、「ちゃんと読みましたよ」 ということを相手に伝えて安心してもらうために、届いたメールは読んだときにすぐに返信するようにしている。そうやって相手に安心してもらうことで、自分のことを信用してもらえるようになり、自分も活動がしやすくなる。

 一方で、目前の仕事に追われて、未読メールをためる人もいる。未読メールに一通り目を通すのだが、あとで時間ができたときに返事を書こうとする人もいる。そういうタイプの人は、よく私に返事をくれることを忘れる。私が出すメールは、仕事の話はほとんどなくて、もっぱら 「飲みに行きませんか」 メールなので重要度は極めて低い。つまり、後回しにされてもちっとも困らない。でも、やっぱりさびしい・・・。

 せめて、「今ちょっとテンパってるんで、また落ち着いてから連絡しますね。」 と一言返事をくれると、私もうれしいのだけれど・・・。ま、仕方のないこととなるべく気にしないようにはしている。そして、返事がないときは、二週間後ぐらいに 「もしかして、以前のメールが届かなかったかな?」 とかいって、再度メールを出すことにしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007/05/01

鳥ハムの作り方を変えてみました

 久しぶりに、鳥ハム ねた。

 鳥ハムを作るときは、多目の砂糖と塩をまぶす。砂糖や塩をまぶすと、大量の水分がでる。これまでは、出た水分はそのまま捨てていた。
 また、大量に砂糖や塩をまぶすため、下準備で使っている器に、をしている間に、ムネ肉にまぶした砂糖や塩が大量に残ってしまう。器に残ることを考えて、さらに砂糖や塩をまぶす量が多くなってしまっていた。

 この間、ふと思いついた。下準備をしているときの器にサランラップをかぶせて、まぶした砂糖や塩が器に残らないようにすればよいのじゃないかと。そして、寝かせる際には、ムネ肉を下準備で使ったサランラップで巻いて、まぶした砂糖や塩を無駄なくムネ肉と寝かせればよいのではないかと。

 さっそく実践してみた。ムネ肉をしみ出た水分と一緒に寝かせることになるので、べちゃべちゃになることが心配だった。

 はたして結果は。

 これが以前よりも甘みや塩気が中までしっかり入って、おいしくなっていた。家族の反応も、同じく良好であった。

 砂糖や塩が無駄にならないために、いつもより心持ち少なめにまぶしたのだが、結果はより味のしみた鳥ハムになった。こんな単純な料理でも、まだまだ改良の余地がありそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »