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2007/05/18

結果の出ない努力をどう評価するか

一生懸命やれば良い、というものでもない (大木 豊成)
  ITmedia オルタナティブ・ブログ
    [2007年5月17日]

 ほとんどの部分で私は上記の大木豊成氏の意見に賛成だ。

  • 「一生懸命やらなくて良いから、ちゃんとやってくれ。」

 基本だろう。私は今、この言葉をシマンテック社の開発部隊とサポート部隊に声を大にして言いたい。

  • ただ漫然と長時間働くのは、会社にとって良いことではありません。

 某日本有数の大企業の研究所に勤めていたときの話。研究員をサポートする技官の人たちは、毎日二時間の残業を “日課” にしていた。効率よく作業すれば定時で終わる仕事を、わざと手を抜いて残業時間で終わるように作業をしていたのである。彼ら曰く、「残業なしでは手取りが少なすぎる」、「そもそも残業を前提にした給与体系になっている」。
 当時はまだ私もケツの青い若造だったので、「低い作業効率で、長時間働いている人が、多くの給料をもらうのはおかしい!」 と、いつも怒っていたものだ。

  • 「僕は夜型ですから」と言っていつまでも会社に残る人間がいますが、周りと生活時間帯が合わないだけなので、むしろ迷惑だったりするわけです。

 前の会社で、毎週土日に休日出勤をしている同僚がいた。しかも、毎週月曜日に、場合によっては火曜日も「体調が悪い」といって代休を取って休んでいた。結局は週休二日である。ならば、「きちんと土日に休んで、平日に出て来い」 と皆で不満を漏らしていた。
 土日に作業をすれば、周りから作業を中断させられないため、自分自身の作業効率は上がるだろう。しかし、週明けに打ち合わせができなくなり、チーム内のすりあわせが難しくなる。チーム全体としてみれば、著しく効率が悪くなってしまう。

  • もの凄く頑張っているように見える人でも、早めに着手しておけば良かっただけ、ということも少なくないのではないでしょうか。

 以前に書いた話だが、私は修士論文を締め切り前日までに提出をした。同じ研究室には、少し前までサークル活動やアルバイトに精を出し、締め切りが迫ってから何日も徹夜をして締切日当日も必死に論文を書いている同級生たちがいた。今から思うと、もしかしたら周りからは、締切日まで必死で論文を書いている学生のほうが、一生懸命やっていたように見えたのかもしれない。

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 とはいえ私は、

「出された結果で評価をするのが一番大切である。しかし、結果を出すまでの努力に対しても何らかの評価を与えたほうがよい。」

と考えている。

 私は大学時代に、金属・材料学を専攻していた。この材料系の研究というのが、実はなかなか実用的な成果を出すことができない。研究をすれば、何らかのデータを出すことはできる。しかしたとえば、「十年間研究したので、これまでの二倍の強度を持つ材料を開発しました」 とはいかない分野なのである。一日で新しい発見ができるかもしれないし、百年研究してもなんら成果を挙げられないかもしれない。そんな分野で研究努力を一切評価しなければどうなるだろう? おそらくほとんどの人が材料研究などしなくなるだろう。誰も研究しなくなれば、もちろん新しい発見もなくなる。

 何が言いたいかと言えば、そういう分野もあるということをいいたかったわけである。そういう状況においては、“努力をどう評価するか?” は重要である。人はほとんどの場合、よい評価を受けなければモチベーションが続かないからだ。でも、前半で書いたような、“努力しているフリ” を評価したくはない。

 私自身は人を雇っているわけではないし、会社を興そうと思っているわけでもない。ただ、正当に労働者の努力を評価できる方法を見つけることができれば、会社の経営者や人事担当者に、高く評価してもらえるかもしれないとは思った。(笑)

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