早期英語教育もいいけれど・・・
大丈夫か日本語:
「骨が折れる仕事」は「骨折する仕事」 中学生レベルの大学生
ITmedia [産経新聞] 2007年05月01日
私も常々 “早期英語教育” ばかりがマスコミで取り上げられることが、不満であった。たしかに、英語はできないよりできたほうがいいとは思う。しかしながら、“英語ができなければ仕事ができない” とでも思わせるような報道のされ方、あるいは認識のされ方は、やはりなにかおかしいと思う。
たしかに、担当業務は優秀にこなすが英語が苦手なために会社から軽んじられた人、をみたことがある。逆に、実務はさっぱりなのに英語が得意というだけで評価されていた人、もみてきた。しかしそれらは一時的なものであり、結果的には実務を優秀にこなす人間が生き残っていった。
私の場合は、幸いにして “英語ができない” という理由だけで低く評価されることはなかった。ろくに英会話もできないうちにアメリカへ出向させられた。出向当初は、マネージャーやチームのメンバーとの意思疎通さえままならなかったものだ。それでも、実務できちんと成績を残すことで、マネージャーにも評価してもらい、メンバーたちにも認めてもらえた。
「英語であれ日本語であれ、所詮コミュニケーションのための道具でしかない」 というのが私の持論だ。つまり、意思疎通ができなければ、その言語を話していることにならないというということをいいたい。
(もちろん、言語が文化であり芸術である、という考えも真実であり、それを否定するつもりはない。単に私が文学や書道などの芸術を理解する能力に欠けているだけの話だ。)
私のカミさんも日本語能力に若干の問題を抱えている。(^_^;)
「地図マップ貸して」といったわけのわからん単語を使ったり、「あの店はまずかった。とてもじゃないが『ひどいものじゃない』」(本人は、『ひどいものだった』もしくは『食えたものじゃない』と言いたかったらしい) といった、意味がまったく異なる単語の使い方をしてくる。そのたびに私は脳内で翻訳装置を動かして理解しなければいけない。
(ちなみにカミさんは、英語検定試験では高得点を取れるくらいに優秀な “英語使い” だ。)
ので、最初に紹介をした記事にもあるように、私ももっと意思疎通のできる日本語教育を先に充実させるべきだと思っている。国語のマークシートテストで高得点を出せたり、英単語を多く知っていたりするよりも、自分の考えを正しく相手に理解してもらう技術は、日常生活においても、社会に出て働くにしても、極めて重要な技術である。本人にとっても重要であり、一緒に生活をする人や働く人にとっても重要だ。
私は正しく伝える訓練を、大学生、大学院生のときに徹底的にさせられた。そのときに指導教官であった助手の言葉を今でも覚えている。
「論文は文学的である必要はない。仮に日本語として多少違和感のある表現であったとしても、100人が論文を読んで、その100人とも同じことを理解する表現であれば、学術論文ではその表現は正しい。」
私はこのことを常に念頭に置きながら、会話をしたり、文章を書いたりしている。
(繰り返しになるが、けっして “文学を否定しているわけではない”。文学も大切。そして日常生活においては、正しく相手に伝える言葉使いが重要。)
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