« ハードディスク 破損、復旧、挫折 | トップページ | ぜひ東京でも見てみたい »

2007/09/01

立花隆 「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」

未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代
 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」

 このコラムを読んで、今の官僚体制の実態の一端を理解できた気がした。これまで私も、国の運営が政治家ではなく、官僚によってなされていることを、漠然と知っていた。それが、このコラムを読んで、少しだけだが、具体的にイメージできるようになった。

閣議でおこなわれていることはほとんど国家統治の儀式に属する部分であって、大臣たちが閣議室にこもって何をやっているのかというと、ほとんどの時間が、大臣の署名が必要な法案(これがものすごく多い)に対して花押を書いては書類をまわしていく事務的手作業に費やされているのである。

では、実質的な国家統治の重要事項が、どこで語られ、どこで決まっていくのかといえば、閣議の前日に行われる事務次官会議である。事務次官会議で決定されたものだけが、翌日の閣議にかけられる。その事務次官会議を仕切るのが、官房副長官なのである。いってみれば、官房副長官は、事務方の総理大臣役なのである。

 これでは、いくら選挙でまったく異なるタイプの政治家を選んでも、国の政治姿勢が変わらないと思われても、当然である。しかも、官僚達は 「自分達は間違わない」 と思っている節があるからたちが悪い。これまで、政策が失敗して官僚が反省した、などというニュースは、ついぞ聞いたことがない。

 また、些細なことではあるが、

このシステム(年功序列。席次制)は、明治国家の創設以来、日本の官僚社会でずっとつづいてきた慣習で、これを破ることは事実上不可能といっていいほど日本の社会に根深く入りこんでいる。おそらくその起源は、奈良平安朝の昔まで、あるいはそれ以上に古いところまでたどれるのではないだろうか。

 戦後、日本の政治体制は米国によって変えられたとか、55年体制だとかいわれているが、これを読む限り、根っこのところは明治時代となんら変わっていないことになる。急激な変化は、無用な混乱を引き起こすが、社会状況がまるっきり異なる現在まで、明治政府のしがらみを断ち切れないのは、さすがにどうかと思う。

|
|

« ハードディスク 破損、復旧、挫折 | トップページ | ぜひ東京でも見てみたい »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/61641/16298963

この記事へのトラックバック一覧です: 立花隆 「未熟な安倍内閣が許した危険な官僚暴走の時代」:

« ハードディスク 破損、復旧、挫折 | トップページ | ぜひ東京でも見てみたい »