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2007年11月の22件の記事

2007/11/30

「国交省不況」? ちょっと違う気がする

「国交省不況」工場・店舗へ
イオン・森下仁丹…建基法改正の混乱波及

 馬場完治、坂田亮太郎、蛯谷敏
  [2007年11月26日]

 この記事を読んで、ひどく違和感を感じた。まぁ、あくまで、“改正建築基準法” が適切なものである、という前提での話だが。実際、“改正建築基準法” にはずいぶんと問題があるようだ。

 私が感じた違和感は、「耐震強度の偽装などが簡単に行えるような状況」 については、マスコミはほとんど何も報道してこなかったのに、「法改正がされて、建築関係業者が慌てふためいている」 ととたんに騒ぎ出していることだ。

 自分にとって都合のいいときは、不公正であっても何も言わず、自分にとって都合の悪いときだけ、ことさら不公正だと騒ぎ立てる。どうも私にはなじめないやり方だ。

 企業を運営するのであれば、常に最悪の場合も想定して計画を立てるべきだ。自分達に都合のいい想定ばかりを並べて、いざ実行すると思ったように行かないからといって、他者に原因や責任を押し付けるのは、いかがなものだろう。

 また、この記事の本筋とは別なところで、私には問題と思える部分があった。

この計画は堺市や大阪府が熱心に誘致した案件だけに、仮に審査が遅れて着工、稼働もずれ込む事態になったら、行政のメンツは丸つぶれ。破格の厚遇で何とか間に合わせた格好だ。

 これは、問題ではないのか? 私には、防衛省接待疑惑に類する問題だと思えた。理由が単に、「ゴルフ・料亭接待」 か 「行政のメンツ」 かの違いだ。

 役人の恣意的な判断で、納入業者を決めるのも、審査を優先させるのも、同じようなものではないのか?

 どうせ、「法律に違反しているわけではない」 と言われるのだろうが、“公正なルールが、市場を大きくする” ことを考えれば、恣意的な不公正は、いずれ大きなしっぺ返しを食らうことになるのではなかろうか。

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2007/11/29

抵抗したところで、流れは変わらない

 テレビ局は、ホント、目先の利益 と 既得権の固執 と 既定路線の踏襲 しか頭にないようだ。

ハイビジョン月面画像をネット公開しなかったNHK
 松浦晋也の「宇宙開発を読む」
  nikkei BPnet [2007年11月22日]

 この問題の本質は、4ページ目にまとめられている。

NHKとしてはハイビジョン画像は、ハイビジョン受像器を買ってもらい、地上波デジタル放送、あるいはデジタルBSで見て欲しかったのだろう。しかし、現状ですべての世帯に受像器が普及しているわけではない。また、海外の放送局に映像素材を提供するといっても、海外のすべての国でHDTV放送が普及しているわけでもない。

放送局であるNHKとしては、オフィシャルには認めたくない事実かも知れないが、インターネットへの動画像掲載は、全世界に「これほど素晴らしい画像なのだ」と伝えるのに最高の手段なのである。

 そう、ケチケチケー もとい NHK は、ハイビジョン受像機以外では、自らが著作権を持つ映像を流したくないのだ。

 日本の政府、官僚、経済界は、必死になって地上デジタル放送 ≒ ハイビジョン受像機を国民に買わせようとしている。しかし、デジタル放送やハイビジョン放送になったからといって、コンテンツの価値がかならず上がるというわけではない。少なくとも私は、今の “低解像度” の映像でも十分に満足している。しかし、政官財は、地上デジタル放送に切り替えることを決めて、強引に推し進めている。

 ハイビジョン映像をもっとも手軽に見る手段が、インターネット配信だということを、多くの国民が、すでに気づいてしまっている。これはもはや一国の “優秀な” 官僚などでは、変えようのない世の中の流れだ。

 利用者が欲しているのは、“優良なコンテンツ” という目的であって、“効率的な電波利用ができる” 地上デジタル放送という手段ではない。

 それなのに、必死になって地上波による放送に固執している日本の政官財は、負けることがわかっていても戦争をやめることができなかった、旧日本軍のようにも見える。

 以前、好きでよく見ていた “銀河英雄伝説” の中でヤン・ウェンリーが、(それが正しいかどうかはおいといて)

「テロは歴史を建設的な方向に変えることはない。しかし、歴史を停滞させることはできる。」

というようなことを言っていた。私には、今の地上デジタル放送への強制が、そのテロと思えて仕方がない。

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2007/11/28

需要があるのか疑問

 なにやら、KDDI が変なサービスを始めた。

au、携帯でデザインしたハガキを自宅でプリントできるサービス
 ケータイWatch [2007年11月26日]

 このサービスを使うユーザーのプロファイルを考えてみた。

  • 年賀ハガキを出す習慣がある
  • 手書きで一言添えたい
  • AU の WIN端末を使っている
  • エプソン製の複合プリンターをもっている
  • パソコンを持っていない

 対応しているエプソン プリンターは、メモリーからのダイレクトプリントが可能な機種ばかりだ。デジカメの写真を、パソコンを使わずに、プリンターで印刷しているユーザーを、ターゲットにしていると考えられる。

 ところで、すこし外に目を向ければ、コンビニや写真屋の店頭でデジタル画像を簡単に印刷できる。ということは、インク交換、インク詰まり、紙詰まり、などの維持コストをかけてまで、プリンターを所有しているということは、それなりの量と質の写真を印刷していると想定できる。

 こういったことを考えると、このサービスを希望するユーザー層は、ニッチであるとしか、私には思えない。

 まぁ、対応プリンターがエプソン製であることを考えると、エプソン側から働きかけたのだろうと、私は予想した。家庭でのプリンターの利用を、何でもいいから作り出そうと言う発想が見え隠れする。しかし、自社のプリンターを使わせることしか考えていないために、全体としてみると、ニーズが明後日の方向を向いてしまったのではないかと推察している。

 AU としては、ケータイだけで年賀状を出せるサービスをすでに始めているので、自宅でプリントサービスは、完全に新規のサービスというわけでもない。手書きのコメントをしたいユーザーに対応した、補完的なサービスとも言える。

 とはいえ、やはり私には、このサービスを使うユーザー層が思い当たらない。

 写真屋などに頼めば、きれいな年賀状ができる。パソコンをもっているのなら、年賀状印刷ソフトを使ったり、どこからか挿絵を持ってくれば、自分オリジナルの年賀状が印刷できる。ケータイしかもっていない若い世代であれば、年賀状を出す習慣がなくなりつつある。

 もちろん、世の中何がヒットするかわからない。私が気に入らなくても、世間的にヒットしているものはいくらでもある。

 それでも、もし私がこのサービスの担当責任者であったとしたら、迷わずストップをかけていたと思う。その昔、まだ会社で働いていた頃、私から見たらどう考えても売れるとは思えないアプリケーションを、必死に開発しようとしている部長がいた。運が悪いことに、私はその開発部隊に回されてしまった。仕方なく、製品の方向性を修正するよう訴えたが、結局聞き入れられなかった。私は半ばサボタージュするかたちで、他の部署に移動した。問題のアプリケーションが世に出たのは、私が会社を辞めてからだったが、風の噂で、目も当てられないほどの売り上げ数だったという話を聞いた。

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2007/11/27

【ドラマ】 14才の母

 子供に頼まれて録画しておいた テレビドラマ “14才の母” を、DVD-Video 化した。HDDレコーダーの内蔵ハードディスクがいっぱいになってきたためだ。

 私自身は、放送当時にはこのドラマを見ていなかった。今回、DVD-Video化するために、内容を確認しながら作業をしたことで、はからずもドラマを見ることになった。

 結論から言うと、それなりに評価できるドラマだと思った。

 取り扱っているテーマが、話題になることをねらったように思えることや、ストーリがご都合的 “過ぎる” ことは気になった。それでも、演じている役者達の平均レベル以上の演技は、なかなか見ごたえがあった。

 そして何より、娘を持つ父親として、同じ状況に置かれた時、自分ならどうするかということを考えさせられた。もちろん、めったにある状況ではないので、考えるだけ無駄という見方もあるだろう。

 しかし、そんな状況に自分が耐えられるかを考えて、耐えられないようならば、そうならないように最大限の手を打っておこうと考えることは、無駄ではないと思っている。

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2007/11/26

政治屋と世論

 あいかわらず、防衛省関係の疑惑が収まりを見せる気配がない。これまで、防衛機密という聖域に隠れて行われてきた不正が、一気に噴出してきているようだ。

 そして、政治家の名前も取りざたされている。国会の証人喚問で名前を出された大臣達が、お決まりの 「知らない」、「記憶にない」 と言い続ける態度には、あきれるばかりだ。

 そんな時に目に付いたのが、この記事だ。

マスコミと世論を敵に回す
絶対言ってはいけないNGワード

 失敗しないマスコミ対応 危機管理広報術
  石川慶子
   DIAMOND online [2007年11月21日]

 どのキーワードも、わかりすぎるくらいにわかるものだ。

 そして、防衛省関連疑惑だけでなく、最近目立って多く報道されている “食品関連不正表示” でも、当事者が良く使うキーワードでもある。

 民間企業、特に一般消費者を相手にしている企業であれば、これらのキーワードを使った時点で、その後、その企業が生き残るのはかなり難しい。世論 ≒ 一般消費者 だからだ。

 それに比べて、これらのキーワードをふんだんに使っても、役人や政治屋は、それまでと変わることなく “活動” を続ける場合が多いように思う。中には、世論の反発を受けて引退を余儀なくされた政治屋もいたが、むしろそれらは例外のように思う。

 つい最近も、国の最高責任者が、KYした挙句に政権を放り出して、病院に雲隠れしてしまった。そして、ほとぼりが冷めたと考えたのか、つい先日、何事もなかったかのように国会に戻ってきた。これが食品企業であったなら、こんなに簡単には営業を再開できなかったであろう。

 「政治屋は世論を敵に回したのでは当選できない」 とよく言われるが、こう考えると、政治屋にとって世論など 「でも、そんなの関係ねぇ~」 ということなのだろう。であれば、上記の “世論を敵に回すキーワード” を平気で使い続けるのも納得ができる。

 政治屋にとってもっとも怖いのは、“法律違反に問われる” ことだけなのだ。それを回避するためなら、世論を敵に回すキーワードを平気で使い続ける。

 そのキーワードを連呼する政治屋の姿が、マスコミ、特にテレビ放送を通して、日本中に垂れ流され、その姿勢が日本をモラル無き社会へと押しやっている。法律違反に問われることだけを恐れる政治屋たちは、もちろんそんなことも関知しない。

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2007/11/21

始まりは革新的に、最後は保守的に

改革の裏にある「石橋を叩く」姿勢
~校長・荒瀬克己~

 茂木健一郎
  NBonline [2007年10月16日]

 この記事の中の、

堀川高校はいろいろな改革をし、新しい試みをしているのだけれど、実際はどこかで事前に実施されて効果があると分かっていることばかりを取り入れている。

という部分を読んで、なんとなく自分が経験してきたソフトウェア開発を思い出した。

 新しいバージョンのソフトウェアが宣伝する新機能は、実は他のソフトウェアですでに成功している機能だったり、他の分野で成功している機能の応用だったりすることはよくある。

 これまでどんなソフトウェアでも実現していないとか、どの分野においても類似の機能を見たことがない、などというモノは、めったにない。

 実は、ソフトウェアの開発者の多くは、その “誰も見たことがない新機能” をなんとか製品にしようと頑張っている。そのために、製品の開発初期には、あらゆるアイデアが実装の候補として挙がり、その革新性や有用性が試されていく。

 ところが、誰も世に出していないアイデアや手法は、開発している最中に様々な問題を引き起こす。ソフトウェアの安定性だったり、動作速度であったり、使い勝手であったり。革新性、新規性が高いほど、問題がなかなか収束しない。

 そして、開発終盤になると、問題が収束しない機能は、次々と切り捨てられていく。そう、製品として纏め上げるためには、開発チームは保守的になる。“石橋を叩く” モードにならざるを得なくなる。そうなると、収拾がつかなくなった革新的な機能に代わり、すでに実績のある機能が組み込まれることになる。

 まだ私が駆け出しの頃は、開発終盤の “石橋” モードが理解できなかった。せっかく長い時間をかけて開発した革新的機能をばっさりと切り捨てていくことが納得できなかった。

 しかし、いくつもの製品を担当して、最終的な製品出荷の責任の一端を担うようになり、ようやく終盤の “石橋” モードが理解できるようになった。

 そんな経験のおかげだろうか、上記の記事の 「成功した実績のあることだけを取り入れた」 という発言に、素直に納得できた。

 改革というと、とかくそれまで他人がやったこのないことをするというイメージがある。しかし、改革が必要とされているということは、現状がうまくいっていないということである。であれば、改革の目的は、「現状よりもより良く物事が進むようにする」 ことのはずである。

 問題点とあるべき形がはっきりしているのであれば、それを実現できる手段をどこからか探してきて、そのまま実行するというのは、理にかなっている。

 ユーザーの多くが欲しいのは、開発者の自己満足で未成熟な革新的機能ではなく、使い慣れて確実に使えるオーソドックスな機能である。

 同じように、うまくいかない学校運営で一番困っているのは、生徒達だ。その生徒達が望んでいるのは、確実に学校を良くしてくれる運営のはずだ。目新しいが、うまくいくかわからないことをするのは、改革担当者の欲求を満たすかもしれないが、困っている生徒達を救える保障はどこにもない。

 とはいうものの、どこかで新規性の高いチャレンジをしなければ、どこかで行き詰ってしまう。失敗する可能性が高いチャレンジも、どこかで誰かがやらなければいけない。ソフトウェア開発を見習うとすれば、チャレンジは学校運営が安定して、改革が必要とされないとだと思う。改革が必要でなければ、チャレンジが失敗しても、元に戻せばいよいだけなのだから。

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2007/11/20

効率よく仕事をして、定時に帰れと言うけれど・・・

【第4回】時には“男の沽券”捨て「仕事」も「家庭」も諦めない
 白河桃子
  NBonline [2007年11月19日]

 上の記事に書かれていることは、大筋において私も賛同できる。しかしながら、現実には、そうならない、そうさせない会社や組織が大部分であることも、私は知っている。

 私が12年間働いていた会社は、米国資本の外資系で、いわゆる成果主義による個人評価が建前であった。確かに、米国における米国人マネージャーの下では、成果主義がそれなりに機能していたかもしれない。しかし、日本で末端の組織を取り仕切るのは、やはり日本人だ。日本的感情による人事評価が横行していた。(もちろん、すべての日本人マネージャーが、感情的人事評価をしていたわけではないのだが。)

 目標にはないが、自分の製品に必要だと思って、私が作業したことを、高く評価してくれるマネージャーがいた。

 一方で、計画通りに仕事を片付けて定時に帰ると、「なんで、定時に帰るんだ!」 と非難をするマネージャーもいた。片付ける仕事がある・なしではなく、帰るのが早い・遅いを評価されたのだ。

 また、自分の意見に何でも賛同する部下の人事評価を甘くして、多くの成果を上げても自分に反対意見を述べる部下を低く人事評価するマネージャーもいた。

 そして残念ながら、下二つのタイプのマネージャーの方が、私の周りには多かった。

 成果主義が進んでいると言われる米国企業でも、日本の支店ではこうなのだ。生粋の日本企業であれば、マネージャーの感情による人事評価は、もっと多いと予想される。

 そんな私の経験からは、

佐々木: 上司が、仕事の効率化をすることだ。私の場合「6時に帰れ」と言った時の一番の抵抗勢力は、実は部下たちだった。日本企業は、上司も部下も無計画に何の工夫もなく仕事をしがちである。仕事を始める前にきちんと考えて、優先順位をつけてから仕掛かるべきだ。また、上司との関係も大事だ。自分は、残業せずに早く帰宅した時も上司ときちんとコミュニケーションを取っていたので、評価が下がることはなかった」と経験を語る。

こういう状況は、極めて幸運だったと思わざるを得ない。

 なにしろ、それなりの工夫をして、効率的に仕事をして、きちんと成果を出しても、「なぜ、定時で帰るんだ」 と言われ続けることを、身をもって経験してきたのだから。

 「システムが人の行動を決める。」

というのが、私の持論である。日本で、ワークライフバランスを良くしていくためには、やはり、システムを変えていかなければダメだ。非正社員を使ったほうが企業に都合がよい。複数で仕事を分担するより、一人を長時間拘束したほうが、企業に都合がよい。そんなシステムから変えなければいけないと、私は考えている。

 もちろん、そのシステムを変えるのは、国=政治家・官僚の仕事だ。だが、その集団に期待できないことが、今の日本の閉塞感につながっている。

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2007/11/19

なつかしの Windows 98

 カミさんのパソコンが調子悪くなったので、少し前に新しいパソコンに買い換えた。当然、それまで使っていた古いパソコンが、使われずに放置されている。そこで、以前からやっておきたかったことをやってしまうことにした。

 私は初期の頃から DVD-RAM を率先して使っている。DVD-RAM は、最初からフロッピーディスクのような、自由な書き込みができることが、私が選択した理由だった。ところが、DVD-RAM は、仕様の変更が極端で、初期の仕様のディスクがそろそろ最新のディスクで読めなくなりつつある。具体的には、片面 2.6 GB のディスクだ。買った当時は、両面 5.2 GB のディスクで、1枚 数千円したと思う。それが、今となっては燃えないゴミに片足を突っ込んでいる。規格を主導している松下には、最新ディスクに無償で交換してもらいたい気持ちでいっぱいだ。(プチ怒りモード)

 そうは言っても、使えなくなるのは確実なので、今のうちに新しいディスクに移すことにした。しかし、ここで思わぬ問題があることがわかった。

Windows XP では、FAT16 の DVD-RAM ディスクが読み込めない

という問題だ。FAT16 DVD-RAM ディスクを読み込むには、Windows 2000 以前の OS が必要になる。

 ここでようやく、最初の古いパソコンの話に戻る。

 そう、古いパソコンに古い OS をインストールして、FAT16 ディスクを読み込むことにしたのだ。幸い、古いパソコンの初期 OS は Windows 98 だった。セットアップディスクもまだ残っている。

 パソコンから、増設したカード類はすべて外し、ハードディスクも廃棄寸前の 30GB を装着。ほぼ購入したときの状態だ。

 Windows 98 のセットアップを始めると、ハードディスクのフォーマットが始まった。NTFS でフォーマットをしていたので、FAT32 での再フォーマットだ。これが一番時間がかかった。

 ハードディスクのフォーマットが終われば、後はあっという間に終わってしまった。時間にして10分ぐらいだろうか。あらためて古い OS の軽さに驚かされた。

 Windows 98 には、DVD-RAM のドライバーが標準では入っていないので、後からインストールしなければならない。そこで USB メモリにドライバーを入れて、古いパソコンにもっていこうとした。ここでまた問題が起こった。Windows 98 では、USB メモリを使うために、あとからドライバを入れる必要があった。セキュリティを考えて、ネットワークカードを外していたので、ファイルの移動には USB メモリしかない。フロッピーディスクには、ファイルが大きすぎる。

 結局、Windows 98 を、手元にあったディスクで Windows 2000 にアップデートすることにした。Windows 2000 ならば、はじめから USB メモリに対応している。

 さすがに Windows 2000 のインストールには、多少時間がかかった。それでも、20分程度だろうか。無事、USB メモリから、DVD-RAM のドライバーをインストールすることができた。

 そして、最初の目的である FAT16 DVD-RAM ディスクを確認できた。ディスクの中身は、失っても問題のないものだけだった。それでも、確認せずに廃棄処分する勇気は私にはなかった。

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 Windows 98 をインストールしたのは、5~6年ぶりだろうか。前回のインストールは、会社で担当ソフトウェアの動作確認のためだったと思う。

 久しぶりに見た Windows 98 は、実は、それほど違和感がなかった。スタートメニュー や マイ コンピュータ は、今使っている Windows XP と変わりがない。もちろん、安定性などは雲泥の差であるが、見た目だけで言えば、違和感はほとんどなかった。

 はるか昔、Windows 95/98 に慣れきった後に、Windows 3.1 を触ったときのほうが、よっぽど違和感が大きかった。

 逆に言えば、Windows のユーザインタフェースは、Windows 95 から12年の間、変わっていないことが、今回の件で良くわかった。

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2007/11/17

3高も今や昔

【第17回】結婚という女の“着地点”に変化あり
“ロスジェネ女性”は、なぜフリーターとつき合うのか?
 
 白河桃子
  NBonline Women at Work [2007年11月8日]

 こんな記事を読むと、「世の中やはり少しずつ変わっていってるんだな」 と思った。もちろん、世の中すべての女性が記事にあるように変わったわけではないだろうが、少なからぬ割合で、一世代前とは明らかに違う価値観をもっているというのは事実だろう。

 私の頭の中では、若い女性はいまだに “3高”、つまり、

  • 高学歴
  • 高収入
  • 高身長

が、恋愛と結婚の基準になっている、という思い込みがあった。昔、よく “恋のから騒ぎ” というテレビ番組を見て、そこに出演している若い女性陣の発言を聞いては、あきれていたものだった。(もちろん、番組による演出もあったろうが。) 曰く、

  • 「早稲田、慶應以外は相手にしない。」
  • 「愛があれば、年収1000万でもやっていける。」
  • 「180cmは最低ないと困る。」

などなど。

 書いていて、最初に就職した会社の新人研修で工場実習をやっていた時のことを思い出した。背中合わせで、私の後ろで仕事をしていたやはり新入社員の女性二人の会話が聞こえた。

「やっぱり男は、顔よね~」

 振り返って確認したら、ドラえもんの顔と体格をした女性の発言だった。まだ若かった私は、そのドラえもんにとび蹴りしたい衝動を抑えるのに必死だったことを、今でもよく覚えている。

 そういった経験による思い込みも、修正する時期が来たということらしい。

 話を上記の記事に戻す。この記事の中で私が一番印象に残ったのが、二ページ目の、

「命を削って、人間らしい生活ができないほど働いている人」よりも「一緒に過ごせる時間がある人」「家庭を大事にしてくれる人」がいいんじゃないか…。これは、バブル世代が40代でやっと気づき始めていることなのに、20代にしてこの達観。

という部分だった。はい、確かにバブル世代の私は、40代にして気がつきました。○| ̄|_

 物心ついた頃からずっと停滞した社会で成長してきた今の20代。生き残るために、現実的な選択をするのも、当然なのかもしれない。

 それに比べて、高度経済成長期に幼少期を過ごし、バブル最盛期のときに就職をした私。そして、私同様にバブル期に就職した40歳前後のバブル世代は、数が多い割には、プライドが変に高くて扱いづらい。会社内では、「粗大ゴミ世代」 と陰口をたたかれているという話も、以前読んだような気がする。

 逆に考えれば、地道な選択をする今の20代が社会の中核となる20年後のほうが、今よりも期待が持てるんじゃないかと、私は思ったりもしている。

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2007/11/16

“ひろゆき”氏がすごいと思った理由

“ひろゆき”がいま、見ているもの
 ニワンゴ ~日経ネットマーケティング創刊記念インタビュー~
  NBonline 高橋暁子、原隆
   [2007年11月9日]

 このインタビューを読んで、素直に ひろゆき氏 は 「すごい」 と思った。行動や発言をとかく問題にされる ひろゆき氏 だが、利用者に受け入れられるサービス開発に関しては、「目の付け所がやはり違う」 と感心した。

(動画再生中に投稿・表示される)コメントは次々と消えていき、最新の限られた数のものしか表示されないようにしています。

半分はわざと古いコメントは次々消えていくようにしています。

コメントを刹那的にすることで、過剰なコミュニケーションが抑えられ、結果的に良い状態になっていると思います。

 凡庸な人間が考えると、利用した人へのサービスのつもりで、過度にコメントを残すような仕様にしたと思う。それをあえて切り捨てることで、間口を広げて、とっつきやすいサービスにしてしまった。どこか、任天堂 Wii、DS に通じるものを感じた。

動画プレイヤーの真上には広告を入れないと明言している。この理由は。

単に邪魔ということでもあるんですが、広告を載せてもたかが知れていると思うんです。ニコニコ動画全体の広告のクリックレートが下がるだけですからね。

 山場CM を必死にやっているテレビ局のスタッフにも見習ってもらいたい。最近の新聞社、出版社系のWebページは、宣伝がごちゃごちゃしすぎて、ほんとに見づらい。私が、広告やアフェリエイトを入れないようにしているのは、自分がそういったものが多いサイトやブログが好きじゃないからだ。

今後、動画に触れる機会がテレビからネットに移っていくと思います。こうなると、視聴率が下がったのはニコニコ動画のせいだ!と言われて敵視されるかもしれません。

 個人的に、ぜひこうなってもらいたいものだと思っている。

 社会に対して大きな影響を与えている人の考え、モノの見方というものを見聞きする度に、自分の凡庸さを痛感させられる。その一方で、そういった人たちの社会生活におけるとっぴな言動には、さすがに引いてしまうのだが・・・。

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2007/11/15

Webページの山場CM

 以前 “山場CM” やっぱりね という記事を書いた。そして、Webページにも “山場CM もどき” があることを思い出した。

 最近は、ブラウザ クラッシャー対策も兼ねて、ポップアップで新しいWebページが開くことがほとんどなくなった。

 すると今度は、スクリプトでブラウザ最前面に表示されるタイプの広告をちょくちょく見かけるようになった。少し前に、PC Watch で、東芝のパソコンの広告がしばらく続いていたのを覚えている。先日は、こっちのページで iEXPO 2007 の広告の上をマウスカーソルが通過するだけで、毎回最前面広告がポップアップして、すごくいらいらさせられた。

 私には、このスクリプトによる最前面広告が “Webページの山場CM” 思えた。

 サイトオーナーは、なるべく広告を見てもらい他のだろうが、記事を読んでいる人には、広告はジャマなものでしかない。それが、こちらの意思を無視する形で、記事を読めないように広告で邪魔をされると、山場CM同様に、かなりいらいらする。そして、山場CM同様に、好感度に関しては明らかにマイナスになっている。

 Webサイトをデザインする人は、もっと読者の心理を勉強したほうがよいと思った。

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2007/11/14

高脂血症、克服

 先日、健康診断の結果が出た。

 なんと、ここ数年ずっと悩まされてきた、“高中性脂肪” が解消されていた。血液中の中性脂肪は、150mg/dℓ 以下が正常とされている。それがピーク時の3年前は、倍以上の300超 であった。

 心当たりはあった。私は甘いものがスキで、特に6~7年前くらいから、1日に300円ぐらいのチョコレートやらキャラメルやらを毎日食べていた。「頭を使う仕事だから」 と都合のいい理由を付けて、食べていた。ストレスによる過食も多少はあったのかもしれない。

 それが、ここ1年ぐらいは、間食を意識して取らないようにした。それだけではなく、食事の量も意図的に減らした。夕食だけは普通にとり、朝食と昼食は牛乳だけとか、意図的に空腹の時間を長く取るようにした。

 健康のためには、三食バランスよく取るほうがいいとよく言われる。一方で、朝食と昼食を最低限にして、プチ断食が身体によいと言う医者もいる。

 いずれにしろ、自分の体の調子と相談しながら、食事の量を減らした。やはり、歳を取って、新陳代謝が減り、一日の最低必要カロリーが減っているのだろう。若いときと同じ量だけ摂取すると、はっきりと体重が増えていくのがわかる。

 今のアパートに移り住んでから、買い物や駅前に出かけるときに、自転車を使うようになったことも影響していると思う。以前にすんでいたところは、駅まで徒歩1分だったので、自転車すら使う必要がなかった。今は、駅やスーパーマーケットまで片道10分、往復20分はほぼ毎日自転車を使うことで、多少なりともカロリー消費に役に立っていると思う。

 多少気にはしていたものの、本気では高中性脂肪対策をしていなかっただけに、今回の、「コレストロール と 中性脂肪 に問題なし」 は、うれしい誤算であった。

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2007/11/13

xfy Blog Editor の残念

 ココログに正式に対応していると言うことで、“xfy Blog Editor” を試しに使ってみた。

 xfy Blog Editor の解説によれば、表示イメージで編集ができるようだ。

 ココログの記事作成画面は、単純なテキスト エディタなので、実際に公開されてから、「あっ、変なところで開業されてる」、「写真が大きすぎる」、「図が切れてる」 といった問題に気がつくことが良くある。

 ということで、さっそくダウンロードして、使ってみた。

 xfy Blog Editor を起動画面を見ていると、どうやら JAVA で作られていることがわかった。このときに、少しだけいやな予感がした。

 起動し終わった xfy Blog Editor に、まず、自分のブログを読み込ませた。公開画面と同じイメージで表示するためだ。

 ブログの種類を選んで、ブログにログインするだけだった。ここまでは極めて順調だった。

 次に既存の記事を読み込む作業を行った。そして、まずここで、失望することになる。最新から100件までしか読み込めないのだ。それ以外は、記事のIDを指定して読み込むのだ。ところが、ID は飛び飛びになっており、少しでも広い範囲のIDを指定すると、すぐに xfy Blog Editor が不正終了してしまう。既存の記事の読み込みはあきらめることにした。

 そして、一番の目的である、公開画面イメージでの新規記事の作成に取り掛かった。そして、ここでさらに私の失望に追い討ちがかけられた。

  1. 頻繁に全画面の書き換えが発生して落ち着かない
  2. 全画面書き換えの早さも、真っ白になっている時間が1秒ぐらいある
  3. 文字入力のレスポンスが極めて悪い
  4. 未確定文字が挿入されない
  5. カーソルからの再変換ができない

 1. 2. 3. は、致命的だった。単に私のパソコンの性能が低いためかもしれないが、私にとっては、今のパソコンがすべてなので、このパソコンで快適に使えないのでは、やはり私にとって仕えないツールということになる。

 4. 5. については、日本語を快適に入力するために必要な、私にとっての最低限の機能だと思っている。WordPad は、両方とも実装されている。Notepad ですら、5. は実装されている。日本の会社であり、日本語のエキスパートを自認する会社にしては、ずいぶんとお粗末だと思った。

  • リンクを張るときに、ターゲットが指定できる
  • セパレーターを簡単に挿入できる
  • 細かい書式が指定できる

といった、細かいが有用な機能が使えるだけに、基本的な機能がおざなりになってしまっているのが、つくづく残念だ。

 結局、記事をなんとか一本書いたところで、そのレスポンスの悪さがたえきれなくなって、xfy Blog Editor の使用をやめた。

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2007/11/12

日本社会の最大の問題は “老害” かもしれない

 先日、テレビのワイドショーを見ていたら、政治評論家の三宅久之氏が力説していた。何を力説していたかと言えば、

  • 渡邉恒雄氏が自民党と民主党の大連立を画策したことを必死に擁護していた

のである。私はそれを聞いていて、いつになく腹が立った。

 私は別に、「マスコミが政治に介入した」 ことに腹が立ったわけではない。私がとにかく腹が立ったのは、

  • 今国会で法案が一本も成立していないのはけしからん
  • 参議院と衆議院のねじれを解消して法案をスムースに通すことが正義である
  • 渡邉氏は日本の国のためを思って行動しているので絶対に正しい

といったことを、何度も繰り返していたことだった。

 私は、

「これは明らかに “老害” だ」

と思った。

 たしかに三宅氏のいうことは、全体において正しいのかもしれない。

 しかし、少なくとも今の私にとっては、法案が一本も成立していないことで何も不都合が生じていない。これから生じるのかもしれないが、少なくとも今は不都合がない。法律を使って、税金を自分の懐に収める輩には、確かに不都合かもしれないが。

 また、法案が一本も成立していないことで将来的に、日本社会が機能不全に陥ることになったとしても、それを一個人の思惑でどうにかしようという姿勢に、私は危険なものを感じるし、それを必死に擁護する政治評論家の言うことも信用できない。

 ねじれ国会で法案が成立しなくなって、日本社会が機能しなくなったとしても、それは日本国民の選択の結果である。ねじれ国会の成立という原因に対して、日本社会の機能不全という結果が生じてこそ、主権者である国民が学習するのだ。そして、自らの行動の責任というものが自覚できる。

 それを一個人の思惑で、原因と結果の因果関係が断ち切られるとすれば、民主主義にとって極めて危険な行動だと思わざるを得ない。長期的に見て、日本社会に本当の意味での民主主義が根付くの機会をまたも失うことになる。

 「棍棒をもった人間はふりまわさずにはいられない

 結局、この一語に尽きるのだろうか。歳を取れば確かに知恵は豊かになるかもしれない。しかし、判断力は明確に低下している。

  • 「最近の若いものには任せておけない」
  • 「私がやらなければ、何事もうまくいかない」

そういう考えにとらわれていることが、すでに “老害” である。大きな権力を持つ人間は、やはり早々に引退すべきだ。知恵を貸すことは大いに結構だが、大きな権限を持つことは、社会にとって大きな害になる危険を秘めている。

民主主義発展の芽を摘む 読売社説の「自民・民主大連立構想」
 [2007年8月17日]

「大連立構想」は小沢失脚狙いの罠? 民主主義の成熟を妨げる黒い影
 [2007年11月7日]

 日本インターネット新聞JanJan

 私は、こちらの記事に大いに共感を覚えた。

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2007/11/10

私が考える一太郎の敗因

 (前回からの続き)

 私が考える “一太郎の敗因”は、森屋義男氏とは、少し違う。

 ソフトメーカーが、提案型で新機能を実装するのは間違っていない。「ユーザーが欲しいものを提供すべし」 とよく言われるが、ユーザーは本当に自分が欲しいものが、実は自分ではわかっていないことが多い。

 なので、森屋義男氏が言っているような “一太郎 Ver.3 for Windows”を発売していたら、おそらく一太郎はもっと早くつぶれていただろうと思っている。

 私が考える “一太郎の敗因”、それは、「マイクロソフトに真っ向から勝負を挑んだこと」だと思っている。

 Microsoft Office に対抗して、表計算ソフトを作ったり、データベースソフトを作ったりして、開発リソースを無駄遣いしてしまった。当時の右肩上がりの成長だけを見ていたら、たしかに “一太郎 Office” が成功するように見えたのかもしれない。

 一太郎が、ワープロソフト No.1 で居続けるための方法は、一つしかなかったと、個人的に思っている。それは、“エクセルと組む” ことだった。当時は、様々な事情で 一太郎 と エクセル のバンドル販売はなかった。しかも、多くのユーザーはエクセルを必要としていた。

 もっと過激にいってしまえば、マイクロソフトに狙われた時点で、真っ向勝負では 一太郎 に勝ち目はなかった。弱小大名の 一太郎 が、大大名のマイクロソフトに打ち勝つには、桶狭間よろしく、奇襲戦法しかなかった、と今でも思っている。

 では、その奇襲戦法とは何か。

 “一太郎” の名前を “ワード” と改名することだ。日本語版 Microsoft Office には、エクセル と ワードと改名をした 一太郎 が入っているということだ。別の言い方をすれば、身売りだ。もちろん、エクセルとの連携も本当のワードと同じようにできている。そうすれば、当時の多くのユーザーが喜んで 一太郎入り Microsoft Office を買ったことだろう。

 歴史に “もし” はないのだが、もし、一太郎が最盛期のときに、ジャストシステムがマイクロソフトに買収されていたら、今の日本語ワープロ、日本語入力、そして日本語検索システムは、別な形でもっと広がっていたかもしれない。

 もちろん逆に、おいしいところだけを吸われて、結局は、今と変わらない姿になっていた可能性も十分あるのだが。

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2007/11/09

一太郎はなぜWordに負けたのか

一太郎はなぜWordに負けたのか(1)
 松井幹彦の「Officeソフト」ウォッチング
  [2007年10月15日]

 1987年の 一太郎 Ver.3 から Microsoft Office 95 で一太郎の衰退が決定的になった時期は、まさに私がパソコンにもっとも情熱を注いでいた時期と重なる。

 私も大学生時代に 一太郎 Ver.3 に出会った。初めて論文をワープロで書いたのも 一太郎 Ver.3 だった。私にとって 一太郎 Ver.3 は、初めてのパソコン アプリケーションだ。それだけに、思い出も多い。

 その後、松 を使ってみたり、P1EXE を試したりしたが、結局、一太郎 Ver.3 に戻っていった。なぜ、Ver.3 をあえて書いているかというと、やはり 一太郎 Ver.4 は、私もなじめなかったからだ。

 会社に就職してからは、Macintosh に移行した。そして、WYSIWYG や マルチフォント、マルチフォントサイズ の環境を目の当たりにして、目から鱗が落ちた。一太郎 は、時代遅れだと確信した。

 転職をして、パソコン ソフト業界に入ると、今度は Windows に移行した。1991年のことだ。この時点で私個人は、一太郎にはもはや勝ち目がないと確信していた。もはや、倍角文字の時代ではなかった。

 しかしそれが世間一般に広がるのは、数年あとのことだった。上記の記事にあるように、ジャストシステムは一太郎と共に、1997年まで右肩上がりに成長していった。

 そして、私が考える “一太郎の敗因”は、・・・(つづく)

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2007/11/07

”山場CM” やっぱりね

なぜ人は思い通りに動かないのか(第4回)
知らぬ間に気持ちを逆なで
―テレビの“山場CM”の場合

 榊博文
  NBonline [2007年10月25日]

「正解はCMのあと」は逆効果 視聴者86%「不愉快」
  asahi.com [2007年11月6日]

Yamabacm

山場CMと一段落CMに対する視聴者の評価

 これは、私も前から思っていた。それをこうやって定量的に評価をする “榊博文教授” は、それだけで尊敬してしまう。

  • 山場CM
  • シーン繰り返し
  • 6時56分などの区切りの悪い時間の放送開始

そして私はもう一ついらいらするものがある。

  • スポーツ中継延長による放送時間帯の変更

これで何度、番組を見逃したことか・・・。

 山場CM と スポーツ中継延長は、明らかにテレビ局のスポンサー至上主義の表れだろう。番組の山場を過ぎた後のCMも、試合の終わったあとのCMも、おそらく多くの視聴者が見ないだろうから。

 シーンの繰り返しは、一見すると視聴者のためのように見えるが、実際は、繰り返しの分だけ製作が楽になるのだから、これもテレビ局にとって都合がよい。

 テレビ局にとっては、お金を払ってくれるスポンサーこそが大切であり、視聴者はどうでもいい存在になっている。しかし、そのスポンサーも視聴者が見ているからこそ高いお金を払っているのであり、視聴者不在のテレビ局に姿勢により、テレビ局に逆風が吹き始めている

 山場CM や シーンの繰り返し によって視聴者を引き止めておこう、という試みそれ自身を、私は悪いことだとは思っていない。新しい試みはどんどんやってみるべきである。

 しかし、いったんこういった悪い評価が出たのであれば、早急に変更すべきだろう。

 「山場の前にCMを挟んでおけば、CMを見てくれるだろう」 とか 「他局よりも3分早く始めれば、先に見だした自局を優先的に見るだろう」 といった感覚的なものは、自分勝手な思い込みでしかない。

 ソフトウェア開発でも同じだった。「いちいちメニューを開くのはめんどくさいから、CTRL+(キー) でショートカットできるようにしよう」 と考えて、様々なショートカットが実装された。ソフトウェアによっては、CTRL+SHIFT+ とか ALT+CTRL+ とかのショートカットも準備されている。しかし、それらのショートカットを使うのは結局、開発者と同じレベルのごく一部のヘビーユーザーであり、大多数の一般ユーザーには無用の長物だった。

 ツールバーもそうだった。キーによるショートカットではわかりにくい、という理由で、ツールバーが作られ、多くのボタンが配置された。そこにはアイコンが表示されて、一目で使いたい機能がわかるはずで “あった”。しかし現実は、アイコンだけではなんの機能かユーザーはわからずに、ポイントするとヒントが表示されるようになった。さらに遅れて表示されるヒントの存在にも気がつかないユーザーのために、ボタンの横に機能の名前が表示されるようになった。もはや、当初の 「よく使う “多くの” 機能にすばやくアクセスできる」 目的はどこかにいってしまっている。

 人は、「自分は間違っていた」、「自分の考えが他人に受け入れられなかった」 ことを素直に認めることがなかなかできない。しかし、本当に成功している人たちは、自らの失敗を潔く認めて、反省をして、改良を加えたり、場合によっては180度転換する。私が成功できたときも、自分の失敗を素直に認めたときだった。

 自分の非を認めてはいけない、という昨今の風潮を、私は危惧している。そのような風潮を払拭する妙薬は、官公庁の役人達が、自らの失敗を国民の前できちんと反省をして、担当者が実名で責任を取ることだと、私は考えている。もちろん、現実には絶対に作れない妙薬だということも、私は知っている。

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2007/11/06

「僕が一番うまく・・・」

「僕が一番うまくガンダムをつかえるんだ」

 私が好きな “機動戦士ガンダム” で主人公の “アムロ・レイ” が自分の戦果にうぬぼれた挙句、独房に入れられた時に言った台詞だ。

 2007年11月5日現在、政治の話題の中心になっている “小沢一郎”氏の民主党代表辞任劇をみて、思わずこの台詞が頭に浮かんだ。

 たしかに小沢一郎氏は、若くして自民党の幹事長になったり、次期首相を面接したり、政党をいくつも立ち上げたり、参議院選挙で民主党を過半数にしたりと、政治家として極めて優秀なのだと思う。

 そしてそれゆえに、周囲の凡庸な政治家や一般市民が “バカ” に見えてしまうのだろう。その結果、「自分は先をすべて見通している。バカなお前らは、黙って俺の言うことに従っていればいいんだ。」 という気になってしまうのではないか、と思っている。

 というのも、これまでにも何度か記事にしてるが、私もそれに似た感情を持ったことが持ったことがあるからだ。

 ソフトウェア開発に携わり、仕様策定の担当をしていた時の話だ。「私がこのソフトウェア、この機能については一番熟知している。朝から晩までこの機能のことだけを、私は考えている。だから、この機能の仕様については、私の言うとおりに実装すれば間違いない。」 と考えていた時期があった。
 そして、私の仕様に対する周囲の懸念に耳を貸さずに、私は強引に仕様を実装させてしまった。

 その結果がどうなったかも、これまでの記事のとおりである。事前の周囲の懸念どおりに、不具合が発生したり、ユーザーからの不満が多く寄せられたりした。

 そういう現実を突きつけられて、私は初めて自分の間違いに気がついた。出来上がったソフトウェアを使うのは、毎日朝から夜まで考え続けている私ではなく、機能について何も考えていない人たちなのである。

 政治の世界も同じだと思う。政治家の決める法律や規制で影響を受けるのは、小沢一郎氏から見れば “バカ” にしか見えない一般人である。ゆえに、一般人が理解できない仕様=政策とることは、政治家として失敗であると、私は確信している。

 民主党の代表になるときに、小沢一郎氏は 「New 小沢 を見て欲しい」 みたいなことを言ったように思う。それまでの “豪腕”、“壊し屋” ではないんだ、と私は理解していた。

 しかし、結局、小沢一路氏は “壊し屋” でしかなかった。

 福田首相と密室で会談を行うことも、その会談を 「密室政治ではない」 と言い切っていたことも、結局、小沢一郎氏も古い時代の政治家でしかなかったのか、としか私には映らなかった。

 そして、民主党を参議院で過半数にしたのも、国民に政権選択を与えるためではなく、単に自分が再び権力を手にするために、自民党に自分を高く売り込むための手段でしかなかった、今となっては、私にはそう思えてならない。

 空気が読めずに辞任する時期をことごとく外した首相。周囲の期待とは正反対の行動を取った挙句に、思い通りにならないからといって第一野党の代表を投げ出す代表。何が言いたいのかやりたいのかわからず、策だけ弄する首相。日本を代表する政治家達は、こんな人たちばかりなのかということを、連日目の当たりにさせられて、日本の将来が明るいと思える人々がいるとは、私には思えない。そういえば、ずいぶん前から右サイドで取っているアンケートでも、日本の将来は 「徐々に衰退」と「貧困国家」で約70%になる。

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2007/11/05

会社人のギャップと雇用のあり方

日本人を苦しめる「人」と「会社人」のギャップ
~企業民俗学が求められている

 前・花王会長 常盤文克
  NBonline [2007年10月31日]

 上記のコラムを読むと、私が思っていることと同じことがいくつも書かれていると感じた。

企業では会社人が優先で、社会人としての人が後回しになります。そこには経営戦略があり、それを実現するために人の配置や仕事を決めていきます。言い換えれば、まずビジネスありきで人を論じ、人を使うという発想なのです。

 そうしたやり方を否定はしませんが、結果として疲弊した社員を増やしてきたことは事実です。

 そう、現代の会社人は、会社に縛り付けられて消耗させられている。かくいう私も、それに辟易として、ドロップアウトしたわけだが・・・。
 ちなみに、こういう発想を、元大企業の経営者が発言していることが、私には違和感が感じられる。花王がどういう企業風土を持っているのか知らないのだけれど。

 戦後から高度経済成長を経てバブル崩壊に至るまで、会社人の多くは、自分のリソースの大部分を会社につぎ込むことで満足感を得てきた。それは、経済的なものだったり、社会的な地位だったりする。そして、その会社人を送り出している家庭においても、経済的な豊かさを得ることで、常に家族が欠けていることを補えていた。

 翻って現在、“ワーキングプア” や “ネットカフェ難民” に代表されるように、個人が会社にいくら自分のリソースをつぎ込んでも、会社は見返りを個人に与えなくなった。見返りが期待できなくなった個人は、当然、会社人であることをやめ、会社に対する忠誠心も持たなくなる。ところが、会社のほうは以前と同じように、会社への忠誠心と貢献を要求している。このギャップが、今の日本社会のモラルを大きく蝕んでいるように思う。

 このような社会的に大きな歪が生じているときには、やはり大きな変革が必要だ。

 私が考える改革は、他でもよく言われることだが、“正規雇用と非正規雇用の対等化” だ。会社が人を雇う場合は、すべて正規雇用に準ずる形にするということだ。

 一般的な会社の行動原則は、なるべく目先の経費が低くなるようにすることだ。すると今の制度では、どうして賃金の安い非正規雇用が多くなる。だが、会社のそういった行為は、個人の経済的豊かさを搾取するものだ。よって、会社が人を雇うときは、常に雇用と賃金をある程度保障して、個人の収入を搾取できないシステムが重要だと思っている。

 もちろん実際に雇用形態を一元化すれば、様々な混乱が生じるだろう。一時的に会社が雇用を手控えるかもしれない。高賃金を嫌って、日本から脱出する会社がさらに増えるかもしれない。

 それでも私は、最前線で一生懸命働いて稼いだ金を、制度を盾に会社の経営者達が搾取している今の状態が、日本の社会において正しい姿だとはとうてい思えない。働いた者が働きに応じた分だけ豊かになれる、得た収入にある程度は皆が納得(満足ではない)できる社会になることが必要だと、私は思っている。

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2007/11/03

ファイルと設定の転送ウィザード の罠

 9年使ってきたカミさんのパソコンも、とうとう退役のときが来た。頻繁にフリーズやブルースクリーンが発生するようになったと思ったら、メモリ モジュールが壊れたようだ。二回目だ。応急処置で壊れたメモリ モジュールを抜いて使ってもらっていたものの、さすがにメインメモリが 128MB では、Windows Xp での実用に耐えない。すぐに新しいパソコンを注文した。

 用途は、サイト閲覧、メール、Word それに Excel 程度なので、今のパソコン性能なら、エントリーレベルで十分だ。エントリーレベルのパソコンなら筐体も小型なので、カミさんには、そのほうが喜ばれる。ということで、5万円台のパソコンを購入した。それでも6年前に買った当時のハイエンドマシンの私のパソコンより、今回購入したエントリーレベルのパソコンのほとんどのパーツが高性能だったりするのだが・・・。○| ̄|_

 パソコンが届いてまずやらなければならないことが、今使っているパソコンからの設定とユーザーファイルの移行だ。移行のためのツールは Windows Xp にはじめからついている。“ファイルと設定の転送ウィザード” だ。さらに、こちらのサイトも参考にして作業を始めた。

Windows XP「引越ラクラク」テクニック
― 「ファイルと設定の転送ウィザード」による環境移行 ―

 アットマーク・アイティ
  デジタルアドバンテージ [2002年2月7日]

 この解説によれば、2台のパソコンが同時にLANに接続されていれば、リアルタイムにファイルと設定が転送できるらしい。

 さっそくやってみる。2台とも Windows Xp SP2 が入っているパソコンなので、それぞれの ファイルと設定の転送ウィザード を起動させて、転送を始めてみる・・・。「新しいパソコンが見つかりません。」 と言われてしまう。○| ̄|_

 ネットワークを通じて相手の共有フォルダを読み書きすることはできる。そこで、ファイルと設定の転送ウィザード で、今度は保存ファイルを作って移行してみることにした。古いパソコンから新しいパソコンに対して保存ファイルを作る。ここまではうまくいった。新しいパソコンの ファイルと設定の転送ウィザード で、保存されたファイルを読み込んでみる。「ファイルを作成したツールのバージョンが違います」 と言われて読み込めない。○| ̄|_

 再度、別な場所に設定情報を保存をして試したが、やっぱりダメだった。

 ふと思い出して、Windows Xp のインストールディスクに、ファイルと設定の転送ウィザード を使ってみようを思いついた。

 新しいパソコンで CD-ROM から ファイルと設定の転送ウィザード を起動させて待機状態にする。次に、古いパソコンに CD-ROM をもっていき、そこでも ファイルと設定の転送ウィザード を起動させて、転送を実行する。

 するとどうだろう。今度はちゃんとネットワーク上にある新しいパソコンを見つけて、何事もなかったように転送を開始したではないか。あとは、新しいパソコンに表示されるパスワードを、古いパソコンに入力して転送が完了。環境の移行が終わった。

 「同じ SP2 ならツールのバージョンも同じはず」 という思い込みが、今回の失敗の原因であった。両方のパソコンとも Microsoft Update を済ませてあるので、同じ状態にあると思い込んでいた。しかし一方は、初期の Windows Xp から SP2 に更新してきたパソコンであり、他方は、はじめから SP2 がインストールされているパソコンなのだ。多少の差異があってもおかしくはない。

 とはいえ、マイクロソフト自身が

Windows XP のファイルと設定の転送ウィザードの使用方法

という情報を提供しているのだ。私と同じような問題で行き詰っている人は多いのではないだろうか? 私は、テスターの経験から別なアプローチを思いつくことができた。しかし少なからぬユーザーが、泣く泣く手動で設定をしなおしたり、古いメールをあきらめたりしているのではなかろうか。

 それに比べると最近のケータイは、メールやアドレス、お気に入りサイトの情報が店頭の装置で簡単に移行できる。このあたりも、ケータイは使うがパソコンは使わない、人たちの増加に理由になっているのかもしれない。

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2007/11/02

テレビでいじめ

 なにげにテレビのチャンネルを切り替えていたら、こんな番組をやっていた。

「勝手に秋祭り!芸能人恥ずかし映像100連発!!」 (日本テレビ)

 ゲスト出演者達の過去の恥ずかしい映像を、みんなで見て笑いものにしようという企画だ。

 過去に放送されたものを、もう一度見て笑い者にするのは、百歩譲って仕方ないとしよう。そこに出演した者は、当時それで稼いでいたのだから。

 しかし、個人のケータイ メールの内容を、本人が嫌がっているにもかかわらずテレビで公開したり、個人の住まいに勝手に上がりこんで、洗濯カゴの中の物をアップで放送するのは、さすがに許容できなかった。

 番組で放送した内容は、おそらく脚本に従った広い意味での “ヤラセ” だろう。しかし、それを見た小学生、中学生はどう思うだろうか? 場合によっては、高校生や大学生でもまねをしそうだ。

 おりしも、小学生、中学生の間では、ケータイでの掲示板を使ったいじめが深刻な問題になっている。この番組は、そういった人のプライベートを暴露するタイプのいじめを増長させているようにしか見えない。

 1年前にも私は同じように、“テレビといじめ” について、苦言を呈している。

テレビといじめと

来年の今頃も、また同じような苦言を呈しているのだろうか。「来年はこういう話をしなくてもすむ」 自信は、私にはない。

 テレビが “公共のもの” という建前のまま、一部の人間によって私物化されて久しい。公共性、中立性 がさかんに喧伝されているが、実態は “特定目的”、“商業的偏向” にしかテレビはもはや使われていない。

 「電波による番組放送、一部のテレビ局に特権的に与えられた権利を、直ちに停止せよ。番組放送は、電波資源に依存しないネットワーク配信で行え」

という一年前の私の主張は、今もって変わっていない。むしろ、その気持ちは日に日に強くなっている。

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2007/11/01

攻撃範囲チェッカー製作過程 (後編)

 前回、攻撃範囲の移動と攻撃対象の移動まで実装した。

 次に、攻撃範囲の中心と攻撃対象の□を線で結ぶ処理の実装を行った。

 はじめ、短い直線をスプライトとして登録しておき、攻撃範囲中心と□を結ぶように、直線スプライトを 移動、拡大・縮小してみた。直線はベクター図形なので、拡大・縮小してもぎざぎざになることはなかった。ところが、スプライトを拡大すると、直線の幅まで拡大されてしまい、二点間の距離が離れると、かっこ悪いほどに線が太くなってしまった。

 そこで、再び ActionScript のリファレンスや、ActionScript を解説しているサイトを見ながら、命令で直線を描画することにした。具体的には、

  1. createEmptyMovieClip () でスプライトを作成
  2. lineStyle () で線の太さや色などを指定
  3. moveTo () で始点を移動
  4. lineTo () で終点を指定

で、攻撃範囲の中心と□の間に直線を引いている。

 本当は直線を、攻撃範囲中心のキャラクタと□の下に描画をしたかったのだが、今の私の知識レベルでは、直線が一番上に描画されてしまう。実用上は支障がないので、とりあえずそのままにしてある。

 次は、攻撃範囲の拡大及び縮小を実装した。これは、キーイベントの取得なので、電卓作成の経験を生かして、すぐに実装できた。

 後は細かいユーザビリティの調整だ。

 攻撃範囲の半径がわからないと意味がないので、外円、内円それぞれの現在の値を表示するテキストを配置した。使い方の簡単な説明も、開いている空間に配置した。これでほぼ完成だ。

 出来上がったものをブラウザーで動かしてみる。すると、やはり攻撃範囲や□を移動しているモードに違和感がある。何かいい解決方法はないかと考えて、マウスカーソルを消すことを思いついた。

  • mouse.Hide ()
  • mouse.Show ()

を使い、移動中は、マウスカーソルを消すことで、攻撃範囲や□があたかもマウスカーソルのように表示される。これで、ドラッグによらないスプライトの移動の違和感が、ずいぶん軽減した。移動モードであることが明確にわかるようになったためと思われる。

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後日談:

 実は、完成した直後に、Flash ファイルを無料のアップロード サイトにアップロードした。その後、2ch の戦場の絆スレッドで公開したのだが・・・・。残念ながら、反応が全然なかった。ちょっとさびしかった。(´・ω・`)

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