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2007/11/21

始まりは革新的に、最後は保守的に

改革の裏にある「石橋を叩く」姿勢
~校長・荒瀬克己~

 茂木健一郎
  NBonline [2007年10月16日]

 この記事の中の、

堀川高校はいろいろな改革をし、新しい試みをしているのだけれど、実際はどこかで事前に実施されて効果があると分かっていることばかりを取り入れている。

という部分を読んで、なんとなく自分が経験してきたソフトウェア開発を思い出した。

 新しいバージョンのソフトウェアが宣伝する新機能は、実は他のソフトウェアですでに成功している機能だったり、他の分野で成功している機能の応用だったりすることはよくある。

 これまでどんなソフトウェアでも実現していないとか、どの分野においても類似の機能を見たことがない、などというモノは、めったにない。

 実は、ソフトウェアの開発者の多くは、その “誰も見たことがない新機能” をなんとか製品にしようと頑張っている。そのために、製品の開発初期には、あらゆるアイデアが実装の候補として挙がり、その革新性や有用性が試されていく。

 ところが、誰も世に出していないアイデアや手法は、開発している最中に様々な問題を引き起こす。ソフトウェアの安定性だったり、動作速度であったり、使い勝手であったり。革新性、新規性が高いほど、問題がなかなか収束しない。

 そして、開発終盤になると、問題が収束しない機能は、次々と切り捨てられていく。そう、製品として纏め上げるためには、開発チームは保守的になる。“石橋を叩く” モードにならざるを得なくなる。そうなると、収拾がつかなくなった革新的な機能に代わり、すでに実績のある機能が組み込まれることになる。

 まだ私が駆け出しの頃は、開発終盤の “石橋” モードが理解できなかった。せっかく長い時間をかけて開発した革新的機能をばっさりと切り捨てていくことが納得できなかった。

 しかし、いくつもの製品を担当して、最終的な製品出荷の責任の一端を担うようになり、ようやく終盤の “石橋” モードが理解できるようになった。

 そんな経験のおかげだろうか、上記の記事の 「成功した実績のあることだけを取り入れた」 という発言に、素直に納得できた。

 改革というと、とかくそれまで他人がやったこのないことをするというイメージがある。しかし、改革が必要とされているということは、現状がうまくいっていないということである。であれば、改革の目的は、「現状よりもより良く物事が進むようにする」 ことのはずである。

 問題点とあるべき形がはっきりしているのであれば、それを実現できる手段をどこからか探してきて、そのまま実行するというのは、理にかなっている。

 ユーザーの多くが欲しいのは、開発者の自己満足で未成熟な革新的機能ではなく、使い慣れて確実に使えるオーソドックスな機能である。

 同じように、うまくいかない学校運営で一番困っているのは、生徒達だ。その生徒達が望んでいるのは、確実に学校を良くしてくれる運営のはずだ。目新しいが、うまくいくかわからないことをするのは、改革担当者の欲求を満たすかもしれないが、困っている生徒達を救える保障はどこにもない。

 とはいうものの、どこかで新規性の高いチャレンジをしなければ、どこかで行き詰ってしまう。失敗する可能性が高いチャレンジも、どこかで誰かがやらなければいけない。ソフトウェア開発を見習うとすれば、チャレンジは学校運営が安定して、改革が必要とされないとだと思う。改革が必要でなければ、チャレンジが失敗しても、元に戻せばいよいだけなのだから。

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