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2007/12/08

ビジネス視点で見てたのね

朝青龍謝罪で思う、大相撲ビジネスにおける経営の不在
 山崎元
  ダイヤモンド・オンライン [2007年12月6日]

 この記事を読んで、私もビジネス視点で朝青龍問題を見ていたことに、気がついた。以前書いた記事を読み返してみると、朝青龍個人の良し悪しよりも、日本の相撲業界にとって、どのような手段が適切なのか、という視点で書いている。

 もっとも、日本相撲協会は、朝青龍の横綱残留を決め、横綱審議会も朝青龍に謝罪を求めるにとどまった。現在の強い力士不在の状況から、既存の相撲ファンも朝青龍の復帰を喜んでいるように見える。

 私の予測はまったく持って外れたということだ。

 とはいえ、既存の相撲ファンは喜んでいるかもしれないが、それ以外の相撲に強い関心がない層の人たちは、大相撲そのものにしらけてしまっているように見える。

 朝青龍問題、それに伴う日本相撲協会の当事者意識のなさ、高砂親方の指導者としての頼りなさ、横綱審議会の無責任ぶり、若手力士のいじめによる死亡事件。

 これらのことを、一般の人たちも絶えず目にして、大相撲という “ショー ビジネス” を楽しめなくなっている。夢を見させてこそ “ショー ビジネス” が成り立つ。裏の現実社会のドロドロした部分を見せ付けられては、夢を見ることはできない。

 大相撲が持つブランドイメージは、“強いこと” はもちろんのこと、“礼節” や “形式美”、“正々堂々” といった日本の伝統的な良さを見せるところにあると思っている。

 それが、“強ければ何をやってもいい”、“金儲けのためには手段を選ばない” では、「そんなのは大相撲じゃない」 と言って、一般のファンが離れていっても当たり前だ。

 日本相撲協会も、引退力士の仲良しクラブから早急に脱却をする。横綱審議会も “本当の” 有識者からなる組織に作り直す。私ですら、大相撲を今後も存続させるためには、こういったことは必要だとわかる。

 別に大相撲がなくなったからといって、私の生活が困ることはない。個人的にも大相撲に思い入れがあるわけでもない。

 にもかかわらず、記事にするくらい気にするのは、ユーザビリティ癖の所以だろうか。うまくいっていない物事、仕組み、仕掛けを見てしまうと、ついつい、どうしたらうまくいくようになるかを考えてしまう。

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