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2007/12/20

効率のいい方法だとは思うけど……

 ソフトウェアを作るとき、中心となる部分は、言語 “非依存” の形で作って、言語依存の部分は、追加する形で作ることが、当たり前になっている。多くの人が使っている Windows もそうだし、Office もそうだ。インターネット上で配布されている小さなツールでも、各国言語用のモジュールを追加するだけで、任意の言語で動作するようになっている場合がほとんどだ。

 ソフトウェアの世界の話だと思っていたが、ハードウェア、しかも車の世界でも似たような状況らしい。

日本で売っても儲からない
だから世界戦略車で勝負

 浜田基彦
  NBonline [2007年12月18日]

 この記事の最後にこうある。

世界のどこでもない“某国”を想定して、素のカローラを設計する。トヨタは本当に「素カローラ」と呼んでいる。ここには各国の要求がほど良く盛り込んである。それを元にして国別のモデルに仕立て直す。日本向けはそのバリエーションの1つに過ぎない。

 まさに各国対応の後付だ。

 この “基本部分の一般化” 手法は、効率的だ。表示やメッセージの部分は、処理を行う部分と切り離しやすいので、基本部分を作る人は、他国の言語や文化を知らなくてよい。言語の壁がなければ、人材の確保がずいぶんと楽になる。最近では、インドやイスラエルに米国企業が外注しているという話も聞く。

 とはいえ、それは開発会社の経営者やマネージャーから見た場合の話だ。

 一般消費者、一般ユーザーとして私が考えると、ちょっと見方が変わってくる。

 基本部分が一般化されて、それに言語依存部分を追加しているということは、それだけ処理が冗長になっているということだ。日本語の使用 “だけ” を考えて効率よく作られたソフトウェアと比べれば、処理能力が遅くなる。

 日本人には一生必要のない機能まで実装されている部分もあるので、ソフトウェアのサイズも肥大化することになる。

 実装の仕方が悪かったりすると、他言語の仕様のために日本語ではうまく機能しなくなる場合もある。たとえば、英語では一文字の検索は意味をもたない。そのため、一文字で検索しようとすると検索を行わない実装がされてしまった。しかし、日本語の場合は違う。ひらがな・カタカナは意味がないが、“車” “家” といった漢字を一文字で検索することは、よくある。

 共通部分をなるべく多くして、各国語対応を最小限に抑えれば、確かに効率よく世界市場に向けた製品が作れる。コストを抑えて、安価に製品を提供するという経済的な観点から、それは正しいのだろう。

 しかし、製品を使うユーザーの立場から見ると、言語依存が減らされれば減らされるほど、その製品の満足度が下がるように思う。日本語に特化して作られた昔の製品の日本語処理についての満足度が90点以上だったとすれば、今の各国語対応された製品の日本語処理の満足度は、80点にも届いていないような気がする。

 具体的のどこがどうとうまく説明できなくて、申し訳ないのだが、昔の製品のほうが、米国製であっても、日本語処理の細かい部分を考慮して作られていたように思う。

 米国より1年遅れ、2年遅れという代償を払っての結果なのだが、満足度や安定性を考えると、その代償には十分価値があったと、今でも思っている。

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