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2007/12/25

理解不足は説明者の責任

 私は以前より、『伝えたいことが伝わらないのは、説明する側に問題がある。』 という立場を取っている。(“説明責任と、以心伝心と” 参照) また、確実に理解してもらうためには、『三回同じ説明を繰り返す必要がある。』 とも思っている。(“一つのことは三度目に理解される” 参照)

 そんな私から見ると、下記の記事は、ずいぶんとつまらないことを書いたものだと、少々ガッカリしている。

遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」
日本人はバカになったのか?
 遙洋子
  NBonline [2007年12月21日]

 遙洋子女史の記事には、一般大衆の視点からの鋭い指摘が多く、これまでもいろいろ感心させられてきた。しかし残念ながら、今回の記事はずいぶんとつまらないものに感じられる。

 確かに、いわゆる “ゆとり教育世代” といわれている人たちに、知識を軽んじる傾向があることは、私も感じている。だが、それと遙女子のいう 「理解力の欠如」 は、必ずしもイコールではないと、私は思っている。むしろ、「説明力の欠如」 を強く感じる。

 そして、「説明力の欠如」 は、何も “ゆとり世代” に限った話ではない。私より上の年代でも、高い説明力を持っている人のほうが少なかったように思う。

 本当に(戦後の)現代の日本人の説明力が低いのか、もし低いとしたら、なぜ低くなってしまったのか、私は具体的なデータを持ち合わせていない。ただ、現代の日本においては、

  • 物事が理解されないかった場合、説明者に責任が負わされることが少なく、理解者に多くの責任が負わされる

という社会常識を強く感じる。

 よく、「何だ? こんなこともわからないのか?」 といった発言が、それをよくあらわしていると思う。そういわれた理解する立場の人も、理解できない自分に責任があると思ってしまう。

 以前に言ったことの繰り返しになるが、多くの場合、

  • “説明内容が理解されないと、目的を果たせないあるいは損をするのは、説明する側の人間”

なのだ。

 であれば、やはり説明をする側の人間に、自分の話をきちんと理解してもらうための努力が必要だ、ということになる。

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