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2008年1月の23件の記事

2008/01/31

日本動漫は中国をどう変えるのか

中国"動漫"新人類
「海賊版」初体験で見えた、日本動漫浸透のメカニズム

 遠藤誉
  NBonline [2008年1月30日]

 なるほど、確かにそうだ。私もそのとおりだと思った。

 「海賊版の存在が、日本動漫ブームを生み出した」 という部分にではない。

海賊版は、日本動漫の普及に貢献しただけでなく、中国の青少年が「自らの手で選ぶ」大衆文化の形成にも──無論、結果としてだが──役立っていたのではないか?

といった、「中国の青少年に革命的な思想の変化がもたらされた」 という部分にだ。

 私が知る限りでは、中国も経済は自由化してきている。だから、いまさら、

海賊版ビジネスでも市場原理が働き、子どもや若者が好む漫画が市場で勝ち残っていく。見方を変えれば、市場を通して若者自身が社会の文化的なトレンドを消費者の立場で築いていくわけだ。

といった話は、今の中国においては特別な話ではない。

 しかしである。自分を振り返ってみてもわかるように、幼少期の原体験というものは大人になってからの行動にも大きく影響するものだ。私で言えば、いい歳になった今でもガンダム大好きだったりするようなことだ。自衛隊では、“ガンダムっぽい” 兵器をまじめに開発している人たちもいる。

 そう考えれば、幼少期から自由市場原理を原体験してきた中国の動漫世代は、自らが選択していくことが当然だという価値観を持ち、大人になってからも変わらぬ価値観で生活していくだろう。しかもそれが、一部のエリートや裕福な家庭で育った人ばかりでなく、多くの一般大衆家庭で育った人たちもそのような原体験をしていたとしたら・・・。

 いずれ、物に対してだけでなく、社会サービスや社会システムに対しても自分達の意見が繁栄されないと耐えられない苦痛に感じるようになるのではないか。そうなった場合、今の政治体制はやはり大きく変わらざるを得ないだろう、と私は考える。

 中国が市場に自由市場原理を導入したときから、そのようなことは言われてきた。しかし、公式に市場原理が導入される前から、動漫世代は市場原理を実体験してきた。だから、政治体制に対する要求も、もっと早い段階で起こるのではないかと、私は感じた。

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2008/01/30

作り手のための著作権法とは

 今回の記事は、以前の記事よりはるかに落ち着いて読むことができた。

作り手を“やる気”にさせる著作権とは
――島本和彦氏など語る

 ITmedia News [2008年1月28日]

 世間一般には、

  • 著作権者=儲けている人=クリエイター

という認識が強いと思う。実際、私もそう思っていたし、今でもついつい勘違いしてしまう。しかし、この記事を読むと、多くのクリエイターが実は報われていないことがわかる。

「今の著作権法は、自分は何もクリエイトせずに流通を支配しているだけの人に巨額のお金が渡る。」 (東京大学大学院教授 玉井克哉氏)

 私もこの点が現在の著作権法の最大の問題点だと思っている。クリエイターに対価が支払われ、流通をサポートした人には多少の手間賃が支払われる、というのが本来あるべき姿ではないのか。

 いつの頃か、どこかで頭のいい人が、著作権法の “問題” を見抜き、流通や公開をめんどくさがるクリエイターから作品を買い叩けば、大もうけできるということに気がついたのだろう。

「著作権法にはクリエイターを守る規定がほとんどない。それに手を付けずに権利を主張するのは、旧来のメディア企業が利益を守ろうとイチャモンをつけているようにしか見えない」 (法政大学准教授 白田秀彰氏)

 この意見にも私は大いに賛成だ。確かに、既得権を守ることは個人の生活を守るために必要なことでもある。だが、あまりにも一部の人たちだけで利益を独占して、その他大多数の大きな不利益になる場合は、既得権を排除すべきであろう。

 著作権法には直接関係ないが、

「法学者の意見は必ず現状維持にバイアスがかかっているから信用しないほうがいい。できませんは『やりたくない』という意味だ」 (東京大学大学院教授 玉井克哉氏)

という意見に、「学者は公務員か?」 と思わず心の中で突っ込んでしまった。

 記事の中の細かい法律的な内容については、残念ながら私には判断できなかった。

 また、

「今の段階で著作権法はすでにスパゲッティ状態。これに新たにくっつけるのではなく、著作権法そのものの大改正がまず必要」 (法政大学准教授 白田秀彰氏)

というのが最善だというのはわかる。しかし、私の少ない経験からでも、「難しいだろうな」 と思えた。ソフトウェアの場合、プログラマはつぎはぎだらけになった古いプログラムを捨て、一から新しいプログラムを書きたがる。ところが、たいていの場合は、以前と同等の機能を実装できずに頓挫してしまう。だから、もし本当に大改正をするというなら、

「現行の著作権法は維持し、特別法や契約法で対応すべき」 (早稲田大学大学院准教授 境真良氏、一橋大学大学院教授 岩倉正和氏)

と並行で進めていくべき話なのだろうと思った。

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2008/01/29

UGCから世界経済を妄想してみた

 “UGC - User Generated Content” という言葉を知っているだろうか。一言で言ってしまえば、“一般の人たちが無償で提供している作品” のことだ。そして、今後のインターネット社会において、極めて重要なモノになると考えられている。いや、すでになりつつあるといっても過言ではない。

YouTube や ニコニコ動画 などはよい例だし、広い見方をすれば、2ch も UGC だ。少し前にブームとなった “電車男” も UGC の集まりと言える。

 UGC は極めて安価な資本で、極めて豊富なコンテンツを確保できる可能性を持つ。量的に豊富なだけで、質としては貧弱であるという批判もあるが、高いの質を持つコンテンツが生み出された背景には、大量の愚にもつかないモノの積み重ねが必要である。豊富なコンテンツが確保できるというのは、重要なことだ。

 そして任天堂は、ゲームの世界にも UGC を取り込もうとしている。

デジタルエンタメ天気予報     
テレビゲームの根元的な欠点とは?
「スマブラX」が提供する新しい「楽しみ方」

 野安ゆきお
  NBonline [2008年1月25日]

 ユーザーが無償で遊んだ内容が、任天堂にとっては UGC となる。記事の中で 「テレビのスポーツ中継と同じ」 といっているが、私は “プレーヤーが無償でコンテンツを提供している” 点で異なっていると感じた。

 米国や韓国では、プロのゲーマーが存在する。そのプロのゲーマー達が賞金をかけたトーナメントを行い、それをテレビやインターネットを通して中継されるのが、私から見ると 「テレビのスポーツ中継と同じ」 と思える。

 現在のテレビ局で放送されているコンテンツには莫大な費用がかかっていることは、周知の事実だ。それに比べれば、UGC は比較にならないほど安価だ。もちろん、コンテンツの質も比較にならないのだが、反対に量は UGC が圧倒している。

 次段階の私の予想だが、UGC がそれなりにビジネスとして成立すると考えた人たちが、今度は UGC の囲い込みに走ろうとすると考えた。具体的には、UGC にそれなりに対価を支払うのが当たり前になってくるのではなかろうか。

 多くの人は、自分が作ったものがそれなりの価値を生み出すとわかれば、それを高く買ってくれる人に売ろうとするだろう。その額は、わずかかもしれない。しかし、インターネットに接続している人たちの多くがそれに参加するようになれば、そこに生み出される市場は十分に大きなものとなろう。

 そして、インターネットには国境がない。(厳密には、アクセス制限をしている国もあるが。)  とすれば、UGC よって流通する貨幣価値は、国に依存しない独自なものになりうる。そして、今は為替市場などで実体とかけ離れていることを、露呈してしまうかもしれない。もし仮にそうなれば、国家単位でやり取りをしている実体経済にも何らかの影響が出るはずだ。

 インターネットによって情報の格差や秘匿が出来にくくなったことで、政治体制や社会システムに変化が起こっているのは、多くの人が実感していると思う。そして、今後はそれが世界経済にも及ぶのではないかということを、ちょっと妄想してみた。

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2008/01/28

風邪をひいた時は外出するもんじゃないな

 二年ぶりにひどい風邪をひいてしまった。といっても、咳や鼻水が出るわけではなく、熱もなかった。トイレから出られなくなったのだ。朝食前からその状態だったので、吐くものはなかったが、とにかく下痢がひどかった。腸の中をすべて出し切った感じだ。

 昨冬は暖かかったので、ひどい風邪をひかなかった。多少熱っぽいことはあっても、生活に支障が出ることはなかった。しかし、今回は “トイレから出られない” という時点で、生活に支障をきたすことになった。

 ところが、その日は、子供と買い物に行く約束をしていた。さっと行って、さっと帰ってくればなんとかなると思い、とりあえず出せるものはすべて出す。それから、子供とバスに乗って買い物に出かけた。

 ところが、バスに揺られていたら気分が悪くなり、結局、一つ手前のバス停で下車するハメに・・・。何も食べてなかったので、吐いても何も出なかった。そして、そこからはゆっくり歩いていくことにした。

 最初の買い物を済ませると、悪いことに、腹の調子がおかしくなってきた。仕方なく、子供をトイレの前で待たせて、お腹を落ち着かせることにした。

 少し落ち着いたところで、速攻で買い物を済ませて、帰路に着く。帰りのバスでは座れたので、落ち着いて帰宅できた。

 家に帰ってからも、またしばらくトイレにこもり、落ち着いてから布団の中にもぐりこんだ。

 その後は、次の日の朝まで布団の中で過ごした。おかげで、翌朝には日常生活に戻れるぐらいに回復できた。

 やはり調子の悪いときは、無理に外出するもんじゃないなというのが、今回の反省。

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2008/01/25

赤外線温度センサーは優れものだった

 昨年末に電子レンジを買い換えた。東芝の ER-E6 という機種だ。\25,800- だった。以前使っていた電子レンジが16年選手で、かなりくたびれていたための買い替えだ。

 当初、2万円以上の電子レンジを買う予定ではなかった。たんに暖めなおすだけならば、1万円でおつりが来る電子レンジで十分だと思っていたからだ。

 ところが、カミさんからの要望で、ターンテーブルがない電子レンジにすることになった。ターンテーブルがあると、どうしてもターンテーブルの角に食器をぶつけてしまう。それまで使っていたレンジのターンテーブルのふちも、3箇所ほど欠けている。

 調べてみると、もっとも安価な庫内フラットな電子レンジは、東芝の ER-E3 だった。この ER-E3 を買うことにほぼ決めて、お店に実物を見に行った。値段がよさそうなら、そのまま買うつもりでいた。

 ところが、店頭でよくよく調べてみると、この ER-E3 にはなんのセンサーもついていないことがわかった。それまで使っていたレンジにもセンサーの類はついていなかったが、最近のレンジは1万円台の機種であっても重量センサーか温度センサーがついている場合が多い。この時点で ER-E3 をやめることにした。これが結果的に、大正解であった。

 その代わり浮上したのが、今回購入した ER-E6 だった。値段は1万円弱高くなってしまうが、毎日使うものだし、使い勝手がよいものが結局は満足感が高いと考えて、購入した。

 購入したときはよく調べなかった赤外線センサーは、実は高級な電子レンジ向けのセンサーであることを後で知った。そして、その有用性は使ってみて知った。

 赤外線センサーで暖めているものの温度を測定して、終了のタイミングを決めるため、暖め開始時に時間を設定しない。使い始めはちょっと変な感じだったが、すぐに慣れた。

 そして、何より驚いたのは、牛乳を入れたマグカップの持つところが熱くないのだ。惣菜を入れた陶器の器も同様だ。最近のレンジを使っている人には当たり前のことかもしれない。しかし、古い機種しか使っていなかった私には、中の牛乳は適度に熱くなっているが、カップはそれほど熱くなっていないことに、軽く感動した。やはり技術は進んでいたんだなと。

 その後、一月ほど使っての感想は、“極めて満足” だ。

 ターンテーブルがないと、食器の出し入れが極めてスムース。なにより、赤外線温度センサーにより、加熱しすぎるという失敗がない。省エネの観点から見れば、かなり効率的に加熱できているということになる。初期投資は大きくなってしまったが、その代わり効率的な加熱で、電気代は節約になっていると思い込むことにして、自分の中では納得出来ている。

 赤外線センサー付電子レンジ。お勧めである。

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2008/01/24

田中角栄の呪縛

 世間的には今、「道路特定財源で道路を作り続けるか」 VS 「道路特定財源を廃止してガソリンを値下げするか」 の話題で盛り上がっている。

 しかし、私にはそのどちらもが、時代に逆行しているようにしか見えない。

 環境問題やCO2削減が叫ばれている今の時代に、ガソリンを値下げして非効率な石油資源の浪費を推奨するがごときガソリンの値下げを、私は賛成しない。

 そして、道路だ。私は前々から言っているように、これ以上の “戦後復興” のための道路延長は不要だと思っている。だから私は、この山崎氏の意見に全面的に賛成だ。

山崎養世の「東奔西走」     
道路について徹底的に議論せよ
戦後復興期の財政のあり方から今こそ脱却を

 山崎養世
  NBonline [2008年1月22日]

いまや、日本の道路建設への支出は、一般道路と高速道路の合計で年間8兆円余り、11兆円の消費税収に迫る巨額です。ドイツ、英国、フランス、イタリア4カ国の道路予算の合計です。

道路は権力の道具です。道路の目的は、早く安く作ることから、できるだけ完成を長引かせできるだけ予算を落とすことに変わりました。

 これらの数字だけからも、今の日本の道路政策の異常さを、うかがい知ることが出来る。

 それにしても恐るべきは、田中角栄氏だ。この道路特定財源にしろ、「均衡ある国土の発展」 というスローガンにしろ、その当時の田中氏の政策がいまだに受け継がれている。残念なのは、受け継いだ人たちが本来の趣旨を逸脱して、自己の権力維持や利益誘導にしか使わなくなってしまったことだ。

 逆に言えば、田中氏以降に、田中氏と同等以上の政治家が現れなかったということだ。

 もし田中氏と同等以上の資質と、高いモラルを持ち合わせた政治家が現れていたとしたら、時代に合わなくなった政策をオーバーライドさせていたはずだ。

 自分に政治的な資質がない以上、私に出来ることは、今の日本に最適な政策を強力に推し進めてくれる人を、強く応援することだ。しかし残念ながら、今現在、強く応援して、可能であれば協力したいと思える政治家はいない。

 小泉純一郎氏に期待した時もあったが、結局、パフォーマンスだけの政治家だった。石原慎太郎氏に期待した時もあったが、身内びいきで考えが偏った老害でしかなかった。舛添要一氏に期待した時もあったが、理屈を捏ね回すだけで官僚にあしらわれる学者でしかなかった。

 今は、東国原英夫氏に注目をしている。大きく期待しているわけではないが、もしかしたら東国原氏に影響されて、次世代の有能な政治家が出てくるかもしれないと、ちょっとだけ期待している。

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2008/01/23

変わりゆく価値観に取り残される私

 写真家として有名な 篠山紀信 氏は、皆さんも知っていることと思う。女優 宮沢りえSanta Fe は、あまりにも有名だ。

 その篠山紀信氏がだいぶ前に、テレビのインタビューに答えていた内容を、今でもよく覚えている。

「最近の女子中高生は、私が撮ってあげた写真に、なんのためらいもなくサインペンで書き込みをするんですよね。」

というようなことを話していた。

 すでに著名な写真家として名前が知られていた篠山氏だ。篠山氏が撮った写真には、それだけで芸術的な価値があると、多くの人は考えるだろう。私もおそらくそう考える。

 だが、いまどきの女子中高生には、生の写真は物足りなく、あまり価値を見出せないらしい。確かにそうかもしれない。物心ついたときには、プリクラがあり、日常的に友達と写真を撮り、いつの頃からか、撮影した写真にタッチペンで描き込みをしてから印刷をするのが当たり前になっている。

 そんな彼女らにとって、自分達が写っているのに、なんの描き込みもされていない写真は、ひどく殺風景に映ったに違いない。

 なぜこんな事を思い出したかというと、以下の記事を読んだためである。

第2回 「カスタマー・セントリック」に傾倒していく米メディアたち
【Digital Hollywood Fall 2007】
 志村一隆
  NBonline [2008年1月9日]

 この記事の2ページ目に、

放送のプロは、テレビをより高細度に、きれいな画面にすることに力を注いできた。ディレクターの人も、テレビ画面に違うものが映るのを極端に嫌う。

とある。写真に関していえば、私も “放送のプロ” や “ディレクターの人” と同じ感覚だ。写真の中の目障りなものを排除する修正を行っても、自分でコメントやデコレーションを描き込むことはない。

 しかし、今後の映像トレンドを考えると、“今時の女子中高生” の感覚に近い。ニコニコ動画を見てもわかるように、映像の中に様々なものを書き込むことに、今時の世代は抵抗がない。むしろ、積極的に描き込みを行っている。

 誰かが作り上げた画像、映像は、そのままでこそ価値があり、そこに自ら手を加えることは、価値を失わせることである。そう考える私のような人間は、どうやらすでに時代に取り残されてしまったようだ。

 最初に紹介した篠山氏のインタビューには続きがあり、篠山氏の写真にサインペンで書き込みをする女子中高生を見たときのことを、篠山氏はこんな風に話をしていた。

「これが今の若い人の感覚なんだと思いましたね。ならば、被写体になった人が手を加えることで完成するような写真を撮ることが、これからの時代に必要なことだと思いました。」

 何がしかの分野でずっと第一線にいられる人の、時代の変化を受け入れる能力の高さに感心させられた。

 そういえば、デビューから死ぬまで第一線で活躍し続けた巨匠 手塚治虫 氏は、劇画や大友的なものといった、その時代にあった画風や手法を絶えず取り入れていたという話を BS マンガ夜話でよく聞いた。

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2008/01/21

22年目の納得

 映画 “スターウォーズ” を全六話通してみる機会があった。

 いままでよく “スタートレック” シリーズを話題に出してきたが、決して スターウォーズ が嫌いなわけではない。米国の宇宙SF物は、たいてい好きだ。

 あらためて六話を通して見ての感想。「映画は本当に “ダース・ベイダー”=“アナキン・スカイウォーカー” の物語だったんだな」 というのを実感した。

 先に公開された四話~六話の主人公は、アナキン・スカイウォーカーの子供、“ルーク・スカイウォーカー” ということになっている。しかし、一話から通してみると、四話以降も、ダース・ベイダー が主人公に、なんとなく見えてしまった。

 ここからが本題なのだが、四話~六話だけを見ると、六話におけるダース・ベイダーの行動がどうしても理解できなかった。具体的にいうと、ルークが皇帝に殺されそうになるのを見て、それまで絶対服従だった皇帝を急に殺してしまう部分だ。初めて六話を見てからずっと引っかかっていた部分だ。変な違和感がずっと残っていたのだ。

 それが、三話と六話を順番に見ることで、その違和感がなくなり、自分なりに納得できたのだ。

 アナキンがダース・ベイダーに堕ちるきっかけとなったのが、内縁の妻であったパドメを死から救いたいという強い思いだった。自分の家族を失いたくないという気持ちが異常に強い。家族のためなら、他のすべてを犠牲にしてしまう。アナキンの行動原則をそう見ることで、ルークが殺されそうになったときの ダース・ベイダー = アナキンの行動が、ようやく私にも理解できた。

 六話を作る時点で、ジョージルーカスは一話~三話を含むすべての物語が頭にあったわけだから、ダース・ベイダーの行動も、それに合わせて作られ、後から作った物語と整合しているのは、私にはさすがとしか言いようがない。

 ただ、六話公開から三話公開まで22年。一つの事を納得するまでの時間としては、ちょっと長すぎたんじゃないかな?という気はしている。

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2008/01/19

道路なんかより日本に必要なモノ

 インターネットのニュースページやテレビの報道ワイドショーを見ると、

  • ガソリン税暫定税率
  • 道路特定財源

が、多く取り上げられている。

 いろいろな人が、いろいろな事を言っているようで、もちろんどれかが “正解” という話でもない。私個人の意見は、以下のとおりだ。

  • 「ガソリン税は、現状維持かもっと上げてもよい。『石油関係が安くて経済的だからどんどん消費する』 などという時代遅れの考えに、終止符を打つためにも、石油関係を貴重品にしてしまえ。」
  • 「“道路特定財源” という発想自体が、特定の業者にだけに恩恵を与えるもの。日本中には、1日に数台しか通行しない高速道路もあるのだ。道路特定財源等というものがあるから、『作る事を目的』 にした道路が出来る。道路特定財源は、とっとと廃止すべき。」

 今日もいくつかのニュースサイトを流し読みしていたら、私が賛同できる記事を書いている人がいた。

ガソリン税問題、国民的議論を
 さとうしゅういち
  JANJAN [2008年1月19日]

 自民党と民主党に対する意見については、必ずしも同意できるわけではない。しかし、

小泉・安倍路線は、「地方の土建業者」から、「都会のお金持ち」に利権を付け替えるだけです。おそらく、「都市再生」などと称して、またたくさんの箱物が東京でできることでしょう。

という部分は、おそらくそうなったであろうと、私も思っている。

 これ以上の“使われない道路” も “使われない箱物” も日本にはいらない。日本には、もうそんな物を作っている余裕はないはずだ。

 それよりも日本に今必要なのは、“生活の質を向上させるための環境整備” だ。それは、必ずしも “物” とは限らない。

 もし、「地方では道路が生活向上のために必要だ」 というのであれば、道路を作ればよい。しかし、「道路を作れば物流や利便性が増えて、生活の質が向上する “はず” だ」 というのでは困る。地方の政治屋が言う 「地方に道路が必要だ」 という言葉の裏には、「自分を支持してくれる地元の土建屋が儲からないのでは困る」 という本音が見え見えだ。

 今後日本が投資すべきモノは、

  • 高速ネットワーク網や、高速無線ネットワーク網 といったネットワーク回線基盤
  • 太陽光発電、家庭用燃料電池 といった家庭で個別に発電できるシステム
  • 仕事と家庭を容易に両立できる労働環境
  • 優れた技術や芸術を生み出す能力を育てる教育
  • 食料自給率を100%に近づけるための農業技術
  • 高齢者本人にも高齢者家族にも過度な負担を強いない介護環境

だと思っている。

 「車を走らせるために払った税金だから、車のために使わなければいけない」 などという狭い了見と既得権に縛られていたのでは、国民の多くが豊かに暮らせるようにはならない。せいぜい、一部の道路関係の 業者と政治屋と官僚 が豊かになるぐらいなものだ。

 そのためには、国民全体の意識が変わっていかないといけないし、すでに徐々に変わりつつあると思っている。それが、変な方向に歪まないで変化し続ける事を、願うばかりである。

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2008/01/18

私のケータイ予想 -ニンテンドーDS と iPhone-

 前回までの “私のケータイ予想” を書いた後に、こんな記事を見つけた。

デジタルエンタメ天気予報
DS、PSPがテレビから(さらに)奪うもの
 野安 ゆきお
  NBonline [2008年1月11日]

 ニンテンドーDS が2,000万台を突破していると聞いて、「もしかしたら、iPhone がダントツに普及するシナリオもあるのかも知れない。」 と思った。

 というのも、ニンテンドーDS は、16,500円で売られている。ケータイのような “1円” で販売されることはない。にもかかわらず、日本だけで 2,000万台以上も売れるのだ。

 ケータイの累積加入台数は、2005年11月末で約9,000万台。2007年末だと約1億1千万台といったところだろうか。しかも、これらの数字は、毎年、数十種類新機種が発売されての累計だ。

 もし仮に、1機種で2,000万台以上出荷されたとしたら、その機種だけで全体の20~25%のシェアを持つことになる。街中でケータイを使っている人を見ると、4人に1人は、そのケータイを使っているということだ。

 「ニンテンドーDS と ケータイ は関係ないじゃん」 といわれるかもしれない。

 しかし、ニンテンドーDS は毎日持ち歩いている携帯機器だ。その点で、ケータイに近い存在でもある。

 そして、もし iPhone が、ニンテンドーDS と ケータイ が合体した様なものになれば、単一機種でケータイ市場の20%を占めることが出来る可能性が出てくる。

 ニンテンドーDS がここまで普及した理由は、ニンテンドーDS でしか体験できないモノが、数多く存在するからだ。

 そして Apple には、iPod (iTunes) という強力な武器がある事を見落としていた。(なにしろ、自分自身がオーディオプレーヤーに興味がないもので。)

 iPod の日本における出荷台数を調べてみた。JEITA によれば、デジタルオーディオプレーヤーの2006年の出荷台数は、約640万台。BCNランキングによれば、iPod のシェアは60~65%程度。とすると、iPod の日本での1年間の販売台数は、約400万台ということになる。

 もし、iPod 購入層の10%が iPhone を買ったとすると、1年間で40万台 iPhone が売れる計算になる。ケータイ全体では、1年間で約1000万台なので、40万台は 4% になる。

 1年間で数十種類のケータイが、発売される事を考えると、4%、40万台 は、十分に成功した部類に入るのではなかろうか。

 前回までは、「iPhone は日本では成功しないのではないか。」 と発言してきたが、こう考えると、「iPhone は案外日本でも成功するのではないか。」 とも思えてきた。

 自分で書いておきながら、自分自身の頭が、だんだんこんがらがってきた……。

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2008/01/17

私のケータイ予想 -サービスと費用-

 前回、前々回と、ケータイのハードウェアやそれに伴うインタフェースの変化について、私なりに予想してみた。

 しかし、ケータイの普及やトレンドを考える上で、提供されるサービスやそれにかかる費用を抜きにしては語れない。

 サービスとしては、

  • 通話
  • 通信 (メール)
  • インターネット接続 (Web ページ閲覧)
  • 位置情報 (GPS)
  • 電子マネー (モバイル SUICA等)
  • ラジオ、テレビ受信
  • コンテンツ配信 (画像、音楽、映像、ゲーム、ニュース等)

といったものが、提供されている。“テレビ電話機能” は、すでにサービスが提供されているが、ほとんど使われていないらしい。今後の回線の高速化と低料金化すれば、多く使われるようになるかもしれない。

 こういったサービスを使う場合、通話料か通信料がかかる。(ラジオ、テレビ受信にはかからない。)  さらに、サービスによっては、サービス提供料もかかる。

 通話料、通信料については、今、値下げの見直しを行うように、各ケータイ会社は国に迫られている。

 その利用料金の見直しの要になっているのが、ケータイ本体の価格だ。

 ほとんどのケータイ本体は、発売後数ヶ月が経つと、新規ユーザーに 0円 や 1円 で販売される。また、既存ユーザーには、数千円から一万数千円の費用負担が求められる。本来、数万円するケータイ本体が、それよりもはるかに安い価格で販売できるのは、“販売奨励金” があるためだ。

 そして、その販売奨励金の廃止を求められての、通信料、通話料の見直しだ。詳細についてはこちらを参照されたし。一言で言えば、

毎月の通話料に販売奨励金が含まれている。だから、ケータイを買い換えない人は、頻繁にケータイを買い換える人のケータイ本体代金を肩代わりしている。

ということなのだ。

 “自分が使うケータイの代金は自分で払う” 事を原則とするならば、ケータイを長く使っている人は、もっと毎月の利用料金が安くなるはずだ、というのだ。

 徐々にそういう方向に向かっていくだろうと、私は予想している。各種調査でも、ケータイにかかるお金で影響で、遊び、洋服、音楽、映画、ゲーム、といったものにかけられる額が少なくなっていると出ているためだ。

 利用料金の安いソフトバンクが、昨年後半から急速に利用者を伸ばしていることも、私が今後ケータイの利用料金は継続的に下がっていると予想する理由だ。

 販売奨励金がなくなっていき、利用料金が下がり、ケータイ本体の価格が上がる。となれば、多くのケータイ利用者は、過剰なまでの高性能だが高価な端末は避け、必要最低限の機能を持つ安価な端末を選択するようになるだろうと、私は予想する。

 ここで再び iPhone の話になる。上記のように高価な端末は、高額な負担を伴う時期に iPhone が発売されれば、前回の使い勝手の変化と相まって、いっそう高嶺の花となると、私は予想する。

 これは、iPhone に限らず、今人気のワンセグケータイや高性能デジカメ付ケータイにも当てはまると思っている。現在は、高額な販売奨励金のおかげで、高性能・高機能ケータイが多くの人に選択されているが、購入時に数万円の出費を迫られれば、あえて高額なケータイを選ぶ人はごく限られた人たちになるだろう。

 すると、ケータイも他の家電品と同様に、付加価値の高いものが飛ぶように売れる時代から、なるべく安いものが売れる価格競争の時代に入っていくと予想される。

 そうなると、体力のないケータイメーカーは、撤退を余儀なくされ、最終的には、3~4社だけが残るようになるかもしれない。

 そのとき iPhone は生き残れるだろうか?

 Macintosh のように少ないながらも圧倒的な支持を得られれば生き残れるかもしれない。しかし、コンテンツ・クリエーターではない、コンテンツ・ブラウザーの iPhone が、Mac のような独自性を出せると、私には想像できない。どちらかというと iPhone は、第二の Newton になりそうな気がする。

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2008/01/16

私のケータイ予想 -タッチスクリーン-

 前回、大画面化とそれに伴うインターフェースの変化について書いた。

 今回は、そのときの話題の一つでもあった、“タッチスクリーン” に関した話をする。

 タッチスクリーンは、Nintendo DS によってすっかり市民権を得たように思う。タッチスクリーン自体は、かなり以前より、自動券売機の画面、ザウルスやPocketPCといった小型情報端末に使われてはいた。

 しかし、タッチスクリーンに、より複雑な操作ができることを多くの人たちに体験させたのは、Nintendo DS だと思う。そして、その Nintendo DS によって多くの人たちに、タッチスクリーンの “快適さ” と “不自然さ” の両方を体験したのではなかろか。

 タッチスクリーンを使えば、ペンを置いた位置を直接操作できる。ペンの位置に文字や絵を描画できる。これは、“紙と鉛筆” という子供の頃からの体験と同じものであり、なじみやすい操作方法だと思う。

 似たような操作に、スライドパッドやタブレットといったものもあるが、両者とも操作面と描画面が異なるため、手元を見ながら結果を見ることができないという、不自然な欠点がある。

 この点から見ると、機械に詳しくない人たちが多く使うケータイに、タッチスクリーンがもっとも適しているように思える。

 ところが、タッチスクリーンには、一見自然な操作に見えるがゆえの不自然さが、どうしても残ってしまう問題がある。それは、

  • タッチスクリーンにガラス(プラスチック)の厚みがあるため、タッチしているところと、表示されている部分に、わずかなズレが見えてしまう。
  • タッチスクリーン上の操作を内部で処理してから表示しているため、操作先端よりわずかに遅れて、ポインターがついてきたり、線がかかれたりする。

という部分だ。操作系が 紙+鉛筆 に近いがために、この二つの微妙なズレは、人によっては、かなりストレスになる。これは、タッチスクリーンそのもの改善と、ケータイの処理速度の高速化で解決するしかないだろう。

 実は、ヘビーユーザーにとっては、もう一つ大きな問題がある。

 タッチスクリーンは、フラットで、状況によってどのような機能にも変わりえるのが強みだ。ところがそのフラットであることが問題になる場合がある。タッチタイピングに文字入力だ。

 ヘビーユーザーであれば、画面を見なくてもケータイに目的の文字を入力することができる。1=あ行、2=か行、… と決まっているからだ。11=あ、12=い、… という2タッチ方式を好むユーザーも少なくない。

 パソコンのキーボードもそうだし、ケータイの数字ボタンでタッチタイピングができるのは、目安となるキーに印がついているからだ。ケータイの場合は “5” キーに出っ張りがついているはずだ。タッチスクリーンでは、その目印が付けられない。さらに、ボタンを押した時の物理的な感触もない。

 そのような観点から、ハードウェアには興味のないケータイのヘビーユーザーには、タッチスクリーンは嫌われるのではないかと思っている。

 そこでいよいよ iPhone の話だ。Apple が米国で発売した情報端末 iPhone は日本でも注目の的だ。日本では、NTT ドコモが発売するという情報もある。

 そして、この iPhone は全画面タッチスクリーンで、ほとんどのケータイが持っている数字ボタンがない。すると、私が上記で指摘した問題が当然出てくる。ゲームであれば、許容できた、ペン先と描画のズレ や 描画処理の遅延も、日常生活の一部となっているケータイで果たして、大部分の人に許容されるのか。過去に ザウルス や ポケットPC を使ったことのある私は、許容されないと思っている。

 それ以外にも iPhone がこのままでは日本で成功しないと思う理由は、以前に記事にしている

 さらに、iPhone の日本語入力方法も問題にされそうだ。iPhone のiPod版である iPod タッチ には、日本語入力機能がある。それは、パソコンにおけるキーボードからのローマ字入力であり、予測変換がついているとはいえ、現在のケータイでの日本語入力になじんでいる人が、違和感なく簡単に移行できるとも思えない。

 今のケータイの日本語入力方法が、ベストな方法だとは思っていないが、大多数のユーザーの慣れ というものは無視できない。

 次回は、サービスと費用について考えてみる。

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2008/01/15

私のケータイ予想 -大画面化-

 米国にいる友人とメールのやり取りをしていて、「今後のケータイはどうなっていくと思う?」 と聞かれた。

 そこで、せっかくだから、そのことで一つ記事を書いてみることにした。ただし、私はケータイ事業にかかわったこともないし、ケータイ向けサービスの仕事をしたこともない。むしろ、4年前までは、「ケータイ?いらないね」 と思っていたほどだ。

 なので、ここでの私の予想は、各種メディアからの情報、自分が経験してきたパソコン関係の知識、及び自分の希望も込めての想像である。間違っても(間違わないと思うけど)、確実な予測などと思わないように。

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 まず、ハードウェア、ソフトウェアについて考えてみた。

 予想をするに当たって、まず、これまでの経緯を考えてみる。

  1. 通話
  2. 通信(メール、日本語入力)
  3. 着信メロディ
  4. 画像、映像再生
  5. カメラ
  6. インターネット接続
  7. 高音質音楽再生
  8. アプリケーション(ゲーム、ツール)
  9. GPS
  10. テレビ(ワンセグ)
  11. 電子マネー

 他にもまだいろいろあるだろう。とりあえず、ケータイを選択するにあって重要な要素となると思ったものを、私なりに選択した。

 ケータイの進化を考えると、どうしてもパソコンの進化とダブって見えてしまう。もちろん完全には一致しない。それでも、

  • 大画面化
  • マルチメディア化(画像、映像、音楽)
  • ネットワーク接続(インターネット接続)

といった、パソコンが20年かかって身につけたものを、ケータイは10年ほどで手に入れてしまった。

 ここから私が想像するのは、

  • さらなる大画面化
  • 大容量化、処理速度の高速化
  • 通信速度の高速化

である。当たり前といえば、当たり前の予想だ。

 しかしながら、それらの変化に伴い、付随的な変化も起こると予想している。

 現在は QVGA (320×240) が標準的な画面サイズになっている。ワンセグケータイの普及により、さらにワイドになったケータイも多い。そして “さらなる大画面化” となれば、VGA (640×480) SVGA (800×600) ということになる。実際、ワイドVGA (800×480)のケータイはすでに発売されている。

 さらなる大画面化で気になるのが、画面上での操作だ。

 現在のケータイにおける操作は、1.カーソルキーによるフォーカスの上下左右移動、と 2.数字によるショートカットキー、がほとんどだ。しかし、VGA、SVGA となり、画面内の情報が現在の数倍になった場合、カーソルキーや数字キーだけで快適な操作が可能なのか?

 そうなった場合、私は、ケータイもパソコン同様に、GUI (グラフィカル ユーザー インタフェース) が出てくるような気がしている。

 そして、GUI に必要な装置は、ポインタを動かすための機器だ。パソコンでの主流はマウスだ。しかし、小型で持ち運びを前提にしているケータイではマウスは不適当だ。すると、考えられるのは、

  • スライドパッド (ノートパソコンに多く使われている)
  • トラックボール (ホイール+スライド タイプも含む)
  • タッチスクリーン

 コストと設置面積を考えれば、スライドパッド が最有力候補か。すでに一部のケータイでは、数字キーの部分をスライドパッドもどきにしているものもある。

 使いやすさの点では、トラックボール系は定評がある。ケータイの横に親指で操作できるタイプのものなら、使いやすそうだ。ただし、稼動部分が増えるために、コストと故障率が心配だ。

 タッチスクリーンは、Nintendo DS ですっかりおなじみになっている。意外と今だと、万人に受け入れられやすいかもしれない。ただし、コスト、耐久性、見易さ、という問題もある。実際、すでにタッチスクリーン型のダブル スクリーン ケータイが発売されたが、あまり売れなかったようだ。

 もちろん、さらなる大画面化をしても、操作方法がこれまでと変わらない可能性も十分ある。解像度が上がっても、ケータイの大きさから、画面の面積そのものは極端に大きくはできないため、高解像度では、文字が細かくなりすぎて読みにくくなるためだ。

 だいぶ長くなったので、次回に続ける。次回は、タッチスクリーンと iPhone について書く予定だ。

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2008/01/12

鼻づまり、どうしよう

 冬場になると、鼻がつまり気味になって苦労している。夏場はそんなことはないのだけれど。気温が下がり、空気が乾燥すると、症状が出てくるのは、よくあることらしい。

 鼻がつまると口で呼吸をすることになり、夜寝ているときのいびきがひどくなる。自分では気がつかないのだが、カミさんからしょっちゅう文句を言われるようになる。

 ひどいときは、鼻がつまって息苦しくなり、目を覚ましてしまう。そのために寝不足になるときもある。

 鼻がつまっても、寝ている間は一生懸命鼻で息をしようとするらしく、起きたときに肩がこっているときもある。身体を休めるために寝るはずなのに、寝ているとかえって肩がこってしまうというのは、困ったものだ。

 当然、鼻づまり対策に、いろいろ試してはいる。

 ブリーズライトのような、鼻にプレート入りのシールを貼るタイプ。使い捨てなのでどうしてもコストがかかってしまう。私に対しては、効果も小さかったので、何回か試してやめた。

 コの字型をしたゴムを、鼻の穴に突っ込むタイプの器具も試してみた。ほとんど効果がなかった。寝ている間によく脱落したし。

 市販の点鼻薬。一番効果がある。今も継続的に使用している。問題は効果時間が短いこと。数時間に一回という注意書きがあるものの、状況によっては、その数時間の間に効果がなくなる。

 市販の鼻炎用飲み薬。最近よくある、水なしで飲めるタイプを試してみた。どうやら対象となる症状ではなかったらしく、効果がなかった。

 マスクをして寝る。それなりに効果がある。湿った暖かい空気を吸い込むおかげだろう。ただし、寝ている間に取れてしまうことが多い。

 インターネット上を調べてみると、鼻づまりで悩んでいる人は少なくない。

 そして、治療体験談として多く紹介されているのは、専門医のところにいって手術をしてもらうことだ。最近では、レーザーで鼻の中の粘膜を焼く手術が、流行っているようだ。

 私は軽度の花粉症を持っているし、父親も鼻づまりでずっと苦しんでいるので、遺伝によるものもあるのだろう。

 今のところは、生活に極度の支障があるほどではないので、対処療法でしのいでいる。しかし、いっそのこと専門医のところにいって、根本的な治療をしてもらうほうがいいのではないかと考えるようにもなり、悩んでいる。

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2008/01/11

考えたらテレビ欄は非効率だよね

 やはり時代は テレビ放送 から インターネット配信 へと、確実に進んでいるようだ。

第3回 「FOX」ではなく「24」が好きな現在の消費者
 【Digital Hollywood Fall 2007】
  NBonline [2008年1月10日]

 “番組へのロイヤルティ” というのは、すごくわかりやすい表現だと思った。かくいう私も、「ガンダム」 ブランドの番組をかならず見ている。今は毎週、TBSで放送されているが、TBS が放送しているから見ているのではない。以前のガンダム シリーズは、テレビ朝日放送で放送されていた。それが今はTBSに移ったからといって、私のガンダムに関する評価が変わるわけではない。

 「番組にロイヤルティがある」、そう説明されて、初めて、

「日テレちん!」「きっかけは、フジテレビ」という広告

に対する、私の違和感が理解できた。日テレやフジテレビそのものを、いくら宣伝されたところで、「日テレの番組だから見る」、「フジテレビだから見る」 というのは、私には想像できない。「ハンバーガーはマクドナルドで買う」、「いや、モスバーガーのほうがおいしい」 といった話とはわけが違うのだ。

 そういうことに気がついてから、あらためて新聞やEPGのテレビ番組一覧を見ると、ひどく不自然に思えてきた。

 私は “番組” を見たいのであって、放送局は私には関係ない。見たい番組がたまたま、TBSであったり、日テレであったり、フジテレビであったりするだけだ。にもかかわらず、いまだに視聴者は、テレビ局に分類された極めて非論理的な一覧から、目的の番組を探すことを強要されている。

 テレビ局で分けられているのは、ひとえに各テレビ局が固有の電波周波数を持っていて、テレビ放送を見るためには、テレビをその周波数に合わせなければいけないところから来ている。

 ユーザビリティの観点で考えれば、視聴者が使いやすいシステムになっていない。特に不都合に感じないのは、単なる慣れの問題だろう。

 著作権関係で多くの問題を含んでいるものの YouTube や Winny といったシステムを一般視聴者が使うようになって、多くに視聴者が 「なんだ、テレビ局が強制する時間でなくても、見たい番組が見られるんじゃん」 と気がついてしまった。

 テレビ局には様々な点で都合の悪いこのシステムは、逆に、視聴者にとっては極めて都合がいい。

 「番組は、多くの視聴者に見られてこそ意味がある」 ことを考えても、上記の記事にあるように、新たな番組共通のプラットフォームが “オンライン” ≒ “インターネット” に向かっていくのが自然の流れのように思う。

 私自身はすでにテレビ番組を、リアルタイムで見ることはなくなっている。見たい番組は、録画をして後から CM を飛ばしながら見るのが日常になっている。なので、番組を見るときにテレビ局を意識することはなくなっている。

 しかし、録画を指定するときには、相変わらずテレビ局を意識せざるを得ない。その部分が一刻も早くなくなり、さらに、オンデマンド放送となり、録画する手間さえもなくなることを、私は切に願うものである。

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2008/01/10

懲役7年6ヶ月と聞いて

 以前に、“日本の裁判がおかしくなっている” という記事を紹介した。何が言いたいかというと、そう

福岡 3児死亡事故の判決、懲役7年6ヶ月

についてだ。

 私も、この判決には大いに不満だ。

 残念ながら法律に詳しいわけではなく、各種メディアからの情報だけで判断をしている。各種メディアの解説では、危険運転致死傷の基準は、

  • アルコールや薬物の影響により “正常な運転が困難な状態” で自動車を走行させ、人を負傷させた場合

ということらしい。

 どうもこの “正常な運転が困難な状態” というのが曲者だ。

 そもそも、酒気帯びで検挙される法律がある以上、酒気帯びの時点で “正常な運転が困難な状態” と判断すべきだと、私などは考える。

 つまり、酒気帯びで事故を起こした人間は、すべて “危険運転致死傷罪” にすべきだと、私は言いたい。

 今回の判決は、現行法に照らし合わせれば、妥当な判決だというのが専門家の一致した意見のようだ。確かに、裁判官の心情で、法律を恣意的に解釈されて、罪が重くなったり、軽くなったりするのは困る。

 しかしながら、以前、誰だったかは忘れたが、とある弁護士が、

「法律は、日常生活とかけ離れたものではない。日常生活や社会常識を明文化したものが、法律である。だから、時代によって、同じ法律でも、解釈や適用範囲が変わってくる。」

ということを言っていた。

 今回の判決が、これだけ多くの人の注目を浴びて話題になったということは、やはり現在の社会常識に合わない、ということではなかろうか。

 この事故の犯人は、事故直後に友人に相談をして、血中アルコール濃度を下げるために大量の水を飲んだと聞く。その意味で “正常な判断力がある状態” だったといえる。であるならば、酒を飲んで車を運転すれば、どういう危険があるのかも判断できたはずだ。にもかかわらず、車を運転した。私に言わせれば、「危険運転の確信犯」 だ。

 以前の記事でも何度も嘆いていることだが、こういった “悪事を働いても、相応の罰を受けない” ニュースが多すぎる。ますます治安やモラルが低下することが、ひたすら心配だ。

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2008/01/09

開発担当者のコメントを深読み

 前回に引き続き iPhone の話から始める。

 前回の記事を書くに当たって、iPhone の評価について簡単に調べていたら、下のような記事を見つけた。

国内6メーカー担当者が実物を見て語った「iPhoneの衝撃と本音」
 IT-PLUS [2007年7月19日]

 この記事の中で、私が一番興味を引かれたのが、日本の担当者達が一様に、自分達がおかれている開発環境を嘆いている点だ。記事の中で取り上げられている担当者は、ごく限られた人たちなので、ケータイ メーカーの開発者すべてが “そうだ” といういうことはないだろうが。

 なお、この記事の本来の趣旨は、日本のケータイ開発担当者の iPhone に対する感想であり、日本のケータイ開発担当者の自社開発環境に対する嘆きは、私の深読みでしかない。

 もし、以下の内容が、担当者達の本音だと仮定すれば、担当者達の不完全燃焼に対しての嘆きが読み取れる。

    • 「iPhone担当者は、楽しみながら製品をつくっていたんだな、と思う」(E社製品企画担当)。
    • 「iPhoneには、物作りに対する強い信念を感じる。タッチパッドや機能などを表面的に真似しても、iPhoneを超えるものはできない。開発者の信念がこの製品を作り上げたような気がする」(F社技術担当幹部)。
    • 「チームワークがしっかりしている。一つのものに集中しているから、製品化を実現できたと思う。メーカーとしてのやり方を貫いている点は見習いたい」(C社端末戦略担当)
    • 「我々も対抗できる商品をつくりたい。しかし、やるからには徹底しなくてはいけない」(D社製品企画担当)。

 これを、私の脳内で深読みすると、

  • 「製品を作ることがぜんぜん楽しくない」(E社製品企画担当)
  • 「信念などなく、低コストで売れるものを作っているだけ」(F社技術担当幹部)
  • 「他のメーカーを気にして、ポリシーがころころ変わる。社員の気持ちもみんなバラバラ」(C社端末戦略担当)
  • 「日々、雑務に追われて、製品開発に集中できない」(D社製品企画担当)

となる。

 これは日本の会社に限った話ではないだろう。米国企業であっても、多くの会社は似たような状況ではなかろうか。

 むしろ、Apple が極めて特別な存在であるといえる。スティーブ・ジョブズ という、極めて稀有な人物がいてこそ、成せる業だろう。

 多くの大企業においては、経営者が経理には明るいが、技術には疎い場合が多い。技術者の製品に対する思い入れなど、予算に計上できないモノは、もちろん評価されない。そんな経営者の元で仕事をしている職人気質な開発者達が、Apple の iPhone を見れば、やはり上記のような妬ましい気持ちになって当然とも思える。

 ただ、製品に対する思い入れが、絶対に正しいわけではない。先の スティーブ・ジョブズも、NeXTcube と作る際には、必要以上にロゴデザインや筐体にこだわったため、結果として NeXTcube が失敗に終わっている。

 結局は、記事の中にある 「割り切りの良さ」 で折り合いを付けるのが最善ということなのだろう。

 こだわるところは徹底的にこだわって開発者の思い入れを満足させる。一方で、優先度の低い部分は、経済的な観点からコストを削減していく。そうやって、開発者のモチベーションを上げつつ、製品として競争力のある価格に押さえる。

 至極当たり前のようなこんなことが、実際には稀にしか見られないことを考えると、やはり難しいことなのだろう。企業経営に関わったことのない私には、想像するしかない。

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2008/01/08

インタフェースは道具である

 Apple の iPhone の日本国内販売のことが記事になっていた。

日本にアイフォンは必要か?
ケータイ先進国の消費者はそっぽを向くかも

 BusinessWeek:NBonline [2008年1月7日]

 「日本では、たいして成功しないのではないか」 と、私も予想している。

 要は私自身が、iPhone に、ほとんど魅力を感じていないからなのだが。ただし、私自身は、実際に iPhone をさわったことがない。これまでの各種メディアから伝わる情報からの印象のみからの判断だ。だから、自分で実物をさわると、評価が180度変わる可能性もある。

 とはいえ、元々、ケータイも含めて、モバイル通信端末にはあまり興味がなかった。ケータイを持つようになった今でも、あまり変わっていない。イベントのない月は、ケータイの最低額の契約プランでも、無料通話料があまるほどだ。

 私は iPod も持っていない。日常的に音楽を聴く趣味がないからだ。前にも記事にしたことがあるが、集中して何かをするときは、お気に入りの音楽さえも気が散って仕方がないのだ。だから、ブログを書くときも、音楽やテレビを消して、なるべく雑音のない状態で書いている。

 外で動画を持ち歩いてみる趣味もない。たまにワイドショーで、携帯型のDVDプレーヤーを使って、長い通勤時間に映画を見る人もいるらしいが、私には無縁だ。

 ようするに、いくら優れたインタフェースであっても、そのインタフェースで使わせようとするモノに興味がなければ、インタフェース自体には価値がないのである。

 Apple の製品は、いずれも優れたインタフェースが高く評価されている。Macintosh、iPod、そして iPhone だ。しかし、インタフェースはしょせん道具だということも忘れてはいけない。最終的にやりたいことがある必要がある。それは、電子メールであったり、検索サイトを使った情報の閲覧であったり、音楽を聴くことであったり、電話をかけることだ。

 ほとんどの人は、目的もないままにインタフェースだけを使って満足しない。(ごく少数、いじっているだけで満足する人たちもいるが、それは特殊な例外だ。)

 最初に戻って、「iPhone は日本で成功するか?」 という問いに対しては、「iPhone が他の一般的なケータイと同じかそれ以上のことをすべてできるならば、iPhone は成功するだろう」 といえるだろう。現状では、3G に未対応、GPS 非搭載、など “できない” ことを考えれば、「成功しない」 と考えるのが妥当だろう。

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2008/01/07

ら抜き言葉は、積み木崩し

 以前私は、日本語処理関係の仕事に関わったことがある。そのため、日本語そのもののについて、今でも多少興味を持っている。少し前には、“敬語の破綻” についての記事を書いている。

 この間、こんな面白い記事を見つけた。

コトバの戦略的思考
「ら抜き言葉」
 梶井厚志(京都大学経済研究所教授)
  ダイヤモンド・オンライン [2007年12月11日]

 この記事は、ら抜き言葉 を 「間違った日本語」 とはしていない。「なぜ ら抜き言葉 が広く使われるようになったのか」 を、わかりやすく説明しているところが、私には新鮮に映った。

 そして、“積み木崩し” を例に出して、「実は、どの字が省略されるかは、はじめから決まっているわけではない。」、「他の字が省略されてしまったため、残された字が取り除けない字になる。」 という説明に、私は感心してしまった。
 (もし、“積み木崩し” でテレビドラマを思い出してしまう人は、“ジェンガ” を想像するといいだろう。)

 とはいうものの、私自身は ら抜き言葉 を使うつもりはない。子供の頃からの刷り込みの影響なのか、ら抜き言葉がひどく不自然に感じるからだ。“可能” を表すならば、素直に 「食べることができる」 と表現する。書き言葉ならなおさらだ。

 日本語について、梶井厚志氏は今後も面白い記事を書いてくれそうだ。早く次の記事を書いてくれないかと心待ちにしている。

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2008/01/06

ドラゴンボールは死んだ! なぜだ!!(ただし、実写版)

 とんでもないニュースを目にした。

ハリウッド実写版「D・B」がとんでもないことになってる!?
 R25.jp [2008年1月4日]

 以前に記事にしたときは、映像化権がハリウッドに渡ったが、実写化にいたらず、という記事を書いて安心していた。それがいつの間にか、とんでもない事態になっていたようだ。

 米国映画は、なにかという “学園モノ” にしたがる。スパイダーマンなどもそうだ。米国内では、無難な作りなのだろう。日本で言えば、動物と子供を出すと視聴率が取れる、というのと、似たようなものか。

 しかし、これで実写版ドラゴンボールの失敗は、確定したようなものだ。原作に近い形でアレンジすれば、成功した可能性もあったかと思うと、本当に残念だ。

 ストリートファイターIIスーパーマリオブラザース、そして ゴジラ といった、日本が誇るべきキャラクターブランドは、ハリウッドにより、ことごとく価値を著しく低下させられてしまった。そんな数多くの事例があるにもかかわらず、ハリウッドにフリーハンドを渡してしまった集英社が理解できない。

 ディズニーは、ミッキーをはじめ、手持ちのキャラクターのブランドを護るために、ありとあらゆる手を打ってくる。法律を変えて、著作権を無理やり伸ばすことさえやってくる。

 日本のコンテンツホルダー達も、少しはディズニーを見習ったらどうなのか。やれ 「著作権」 だの 「コピーワンス」 だの 「ダウンロード違法化」 などにばかり頑張るよりも、手持ちの資産の価値を維持し、高めるほうがよっぽど消費者に喜ばれる行為だと思うのだが。

 いずれにしろ、見るも無残に劣化したドラゴンボールなど、私はただで見ることができても、見たいと思わない。

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2008/01/04

タイトルでネタバレは勘弁して欲しい

 米国のテレビSFドラマ “スタートレック” シリーズが、好きでよく見る。最近では、NHK BS2 で、最初のシリーズが放送されている。

 スタートレックに限らず、米国ドラマ・映画を見て、いつも気になるのが、その日本語タイトル・サブタイトルのセンスのなさだ。

 “Star Trek” に “宇宙大作戦” という邦題をつける、などというのがよい(悪い?)例だ。

 私なりに、邦題の付け方を分類すると、

  1. 原題のニュアンスを考慮して邦訳する
  2. 原題を、カタカナ表記する
  3. 原題を、直訳する
  4. 作品の内容から原題と関係なく作る
  5. 作品内容のネタをばらすタイトルをつける

という感じになる。上から私が好ましいと思っている順番だ。

 1.で私がまっさきに思い浮かべるのが、“Gone with the Wind”、邦題 “風と共に去りぬ” だ。他にもまだあるだろうが、この分類はいくつあっても困らないので、簡単に済ませる。

 2.の分類の例は、最近では “エイリアンvsプレデター” や “ボーン” シリーズがある。“The Bourne Supremacy” に “ボーン最高” などといったふざけた邦題をつける人はさすがにいないだろう。日本語に訳さないほうが、映画の雰囲気を伝えられる場合に、使われる感じだ。気の利いた邦題を考えるのがめんどくさかった、というケースも多そうだが…。(-_- )

 3. は、場合によっては、2.より好ましい場合もある。“ハリーポッター” シリーズが好ましい例だと思っている。逆に、「もう少し考えたほうがいいんじゃない?」 と思えるタイトルも時々目にする。あまりにどうでもいい邦題が多くて、すぐには思い出せない。(^_^;)

 4. は、もはや 「なんでこの邦題?」 という場合がほとんどだ。“愛と~” とか “沈黙の~” を頭につけるシリーズは、一度そこそこヒットした映画にあやかろうと、配給会社が無理やりに付けたとしか思えないような邦題が、目白押しだ。

 そして今回の本題の、5.についてだ。

 メインタイトルにネタバレを含むケースは、さすがに見たことがない。しかし、テレビドラマのサブタイトルには、しょっちゅうネタバレになる邦題がつく。スタートレック シリーズも例外ではない。

  • Skin Of Evil ⇒ 悲しみの星に消えたターシャ
     ターシャが死亡してレギュラー降板
  • Life Support ⇒ バライルの死
     バライルが重症を負い、生命維持装置で延命するも、最後に死ぬ
  • In the Flesh ⇒ 偽造された地球
     異星人が地球を模倣して侵略準備をしていた
  • Nightingale ⇒ 偽りのナイチンゲール
     医療船ということで助け、ナイチンゲールと命名したが、嘘だった
  • Homestead ⇒ 帰り行く処
     異星人クルーが同胞を見つけ、船を離れることを決意する

 これ以外でも、タイトルを読むと、各話のオープニングを見ただけで、結末がわかってしまうエピソードがいっぱいある。

 スタートレックは、米国では絶大な人気がある。しかし日本ではマイナーで、コアなファンしかついていない。それゆえ、翻訳作業をする予算も少なかったんだろうと思う。制作会社で作業を任されていた人も、おそらく作業的に邦題を付けていったんだろうなと、想像している。

 それにしても、タイトルだけで結末がわかってしまうような邦題を付けてしまうのは、“なし” だと思う。原題が、ストーリの根底にあるものを、うまく比ゆ的に表現しているのだから、邦題にもきちんと気を使って欲しかったと、つくづく思う。

 こういった細かいところを見ると、その作品に対する思い入れを感じ取ることができるものだ。

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2008/01/03

今年のおみくじは

 正月二日目で神社におまいりに行ってきた。そして、毎年恒例のおみくじを引いてきた。

 はたして、その結末や……

  『凶』

でした。orz  “凶” を引いたのは何十年ぶりだろうか……。

 なんだか今年一年が不安で仕方なくなってきた。無事にこの一年をやり過ごせることを、願うばかりだ。

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2008/01/01

新年明けましておめでとうございます

 2008年、最初の投稿。(と言っても、これを書いているのは、まだ 2007年だったりする。)

 さて、タイトルが 「あけましておめでとう」 というわりに、残念ながら、私には新年を祝う気持ちが、あまりない。二十歳を過ぎた頃から、「年越しといっても、しょせん人が定めた暦の上でのこと。自然界においては、特別変わった日でもあるまいし。」 という、ひねくれた考えをしていた。その気持ちは、今も変わっていない。

 私の実家では年末になると、父親がお正月向けの神棚を作る。正月三が日は、ご馳走をまず神棚にお供えしてから、自ら食する。しかし、私にはその習慣を受け継ぐつもりがない。

 別にお正月を祝う習慣が、悪いとか、間違っていると思っているわけではない。それにはちゃんと意味があり、そういう習慣を受け継いでいく人たちがいたほうがいいと思っている。

 ただ、そもそもそういう慣わしには、根拠となる生活様式があったはずだ。お正月やお盆を家族で祝うことは、農業を生業として、毎日を重労働に追われていた生活様式があってこそ、意味があるものだと思っている。秋祭りなども同様だろう。

 では、今の都会の生活はどうだろうか。会社勤めの核家族が人口のほとんどを占める。会社の多くは週休二日制だ。建前では、農作業のように休みなく労働を強いられる生活ではなくなっている。子供達も学校は週休二日制であり、毎日、農作業の手伝いをさせられる時代ではない。

 そんな時代に、農家が大半を占めた時代のイベントだけが残ることが、私にはひどく不自然に思えて仕方がないのだ。不自然という意味では、クリスマスを多くの日本人が祝うというのも、私にとっては同様だ。だから、私はクリスマスを祝うことも、あまり気乗りがしない。

 一昔前は、お店が大晦日から正月三が日は、お休みだった。今は、大手スーパーなど、大晦日も元日もほぼ平常どおりに営業している。多少閉店時間が早いぐらいだ。コンビにはもちろん年末も元日も関係なく24時間営業だ。

 おせち料理は、正月三が日に食材が手に入らない、普段休めない女性たちを休ませる、といった意味があった。しかし、今や元日から普通に買い物ができ、家電製品、外食、中食により、家事を担当する者も、一年中休めないわけでもない。ならば、日持ちはするが、それほどおいしいとも思わないおせち料理よりも、正月からきちんと料理をして、普段どおりの食事をしたほうがいいと、私は思っている。

 繰り返しになるが、皆がお正月を祝うことが間違っているとは、一つも思っていない。単に私個人にとって、ひどく違和感があるというだけだ。

 ただ、10年後、20年後を考えると、私のようにお正月やお盆を単なる “長期休暇の時期” と捕らえる世代が、増えていくのではないかと考えている。そうなると、今は年末になるとどこでも売られているお正月飾りやおせち料理の食材コーナーは、徐々になくなっていくのではないか。今日、街を歩いていて、そんなことを考えていた。

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