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2008/01/07

ら抜き言葉は、積み木崩し

 以前私は、日本語処理関係の仕事に関わったことがある。そのため、日本語そのもののについて、今でも多少興味を持っている。少し前には、“敬語の破綻” についての記事を書いている。

 この間、こんな面白い記事を見つけた。

コトバの戦略的思考
「ら抜き言葉」
 梶井厚志(京都大学経済研究所教授)
  ダイヤモンド・オンライン [2007年12月11日]

 この記事は、ら抜き言葉 を 「間違った日本語」 とはしていない。「なぜ ら抜き言葉 が広く使われるようになったのか」 を、わかりやすく説明しているところが、私には新鮮に映った。

 そして、“積み木崩し” を例に出して、「実は、どの字が省略されるかは、はじめから決まっているわけではない。」、「他の字が省略されてしまったため、残された字が取り除けない字になる。」 という説明に、私は感心してしまった。
 (もし、“積み木崩し” でテレビドラマを思い出してしまう人は、“ジェンガ” を想像するといいだろう。)

 とはいうものの、私自身は ら抜き言葉 を使うつもりはない。子供の頃からの刷り込みの影響なのか、ら抜き言葉がひどく不自然に感じるからだ。“可能” を表すならば、素直に 「食べることができる」 と表現する。書き言葉ならなおさらだ。

 日本語について、梶井厚志氏は今後も面白い記事を書いてくれそうだ。早く次の記事を書いてくれないかと心待ちにしている。

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