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2008年3月の23件の記事

2008/03/31

暫定税率復活ならば環境対策に使うべし

 東国原宮崎県知事は、最近の知事としては好感が持てる。しかしながら、道路特定財源と道路整備にこだわる発言には、私にとってはとても残念だ。

 というのも、「道路整備なくして地方の再生はあり得ない」 という旨の発言を、私は信用できないからだ。

 これまでも、散々地方に広くて快適な道路が作られてきた。しかし、それによって地方が明確に再生したというデータを、私は見たことがない。

 私がよく見聞きするのは、1時間に数台しか走らない地方の有料道路とか、通行料が高すぎて建設前試算の半分も通行量がないアクアラインや瀬戸大橋、田んぼのど真ん中に「なぜ?」と思えるような対面2車線の立派な舗装道路、などだ。

 私が思うのは、「結局、国の予算で無駄な道路を作って、道路を作った土建屋が潤い、そこに落ちた金で地方を潤そう」 としてるだけなのではないかということだ。

 大陸に比べれば日本ははるかに国土が狭く、物流の効率がよい。インターネットによるネットワークの発達により、いちいち出かけなくてもモノを手に入れることが出来る。世界的に地球温暖化防止が叫ばれている今の状況で、車の利用を必要以上に推進するかのような過度な道路整備は、二酸化炭素削減に対しては不利。

 そんなことを考えると、私は道路をやたらに作るよりも、クリーン発電に税金を回したり、家庭向けの燃料電池の開発・補助に税金を回したほうが、はるかに賢い投資だと思っている。

 おりしも、ガソリン税の“暫定”法が期限切れとなり、ガソリンの値段が下がる。見直してみたら、ガソリン税=道路特定財源について、一年以上も前に自分も記事を書いていた

 そのときの考えは、今も変わっていない。ガソリンの値段が高いことでガソリンの消費を抑えつつ、多めに取った税金を環境対策に使う。

 ガソリンを使った人たちが傷めたのは、何も道路ばかりではない。人が住む環境全般を傷めているのだ。それを修復するためにガソリン税を使うことは、決して理不尽ではない。少なくとも、ガソリン税をマッサージ機に使ったり、コンパニオンを呼ぶのに使ったりするよりは、よっぽど合理的なはずだ。

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2008/03/29

量刑についての不満を書いてみる

「セレブ妻」心神喪失で無罪濃厚 「なぜ」という疑問ネットで噴出 - 速報 ニュース:@nifty

 私も前々から、心神喪失で無罪や減刑になることに納得していない。

 以前の 必要なのは裁判員制度ではなくIT化、と言ってみる で書いたように、判決が結局は裁判官の温情で決まるのならば、弁護側が心神喪失やそれに類する状況を言い張って、本来償うべき罪を免れようとするのが当たり前になっているのも、悪い意味で納得できてしまう。

 法学者がなぜ心神喪失には責任を問えないとする見解を出すのか、私にはよく理解できない。それなりの理屈は当然あるのだろうが。

 その一方で、九州工業大学 佐藤直樹教授のように、異論を唱える学者がいるということは、やはり少なからぬ問題があるということでもある。

 研究者、特に大学に残って研究を続けている人たちは、とかく純粋理論にこだわる傾向があるものだ。心神喪失では責任を問えない、とする意見の根底には、心神喪失かそうでないかは明確に区別できる、というありえない前提を含んでいるのではないのか。

 だとすれば、現実的ではない条件を含んでいるとすれば、やはり現実的にごまかそうとすることを考慮したシステムに変えるべきではないのか、と私は思う。

 その意味で、

「最近では、厳しい世論を考慮して、アルコールについても心神喪失を認めなくなっています」 (日大大学院法務研究科 板倉教授)

というのは、私から見ると正しい流れに見える。

 ここからは少し暴走して、暴論を吐かせていただく。

 ニュースを聞いていると “逃げ得” のケースをよく耳にする。例えば、飲酒運転で事故を起こしても、その場は逃げて、後で酔いが覚めてから出頭するれば、飲酒運転による事故が立証できずに刑が軽くなる、とか。

 そうならないようにするには、事故現場を立ち去った時点で、自動的に量刑が倍になるくらいのシステム必要だ。

 また、日本には無期懲役があるのに、なぜ “終身刑” がないのかが、私には不満だ。確かに現実として、服役者を養うための税金や設備という問題があるというのはわかる。しかし、“無期” といいつつ、実際には数年~十年ぐらいで刑期が終わるような話も聞いたことがある。どうも納得がいかない。

 終身刑がダメなら、量刑の単純加算をして欲しい。一人殺して懲役15年なら、八人殺せば懲役120年といった具合に。どうせ、服役態度などで減刑されるならば、減刑されても簡単には刑期が終わらないようなシステムも必要だと思うのだが。

 もっとも、そういった厳罰化をするためには、捜査や裁判の適正な運用で “冤罪” がありえない状況にするのが前提だろう。現状の 「誰もが犯罪者に仕立て上げられるかもしれない」 状況のほうが、善良な市民にとっては、はるかに脅威である。

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2008/03/27

歴史ある京都は現状維持が主流

 企業経営の記事を読むと、よく

  • 会社は成長し続けなければつぶれてしまう。
  • 現状維持はすでに衰退の始まりである。

といった内容を見聞きする。実際、株価に高値がつくのは成長していたり、成長が確実に見込める企業だ。赤字は出さないが、業績も拡大しない企業の株価はそれほど高くない。

 しかし、私はどうもこの意見に素直に賛同できない。

 前日にも書いたことだが、“成長=善・正義”、“安定・現状維持=悪” といった考え方が、特に、ビジネス関係の書籍や記事に多い気がする。そして、私はどうもそれに違和感がある。

 確かに、企業を興して成功しようとする人たちにとって、自分の企業を際限なく大きくすることが成功だと考えているのだろう。別にそれが間違っていると思っているわけでも、否定しようとしているわけでもない。ただそればかりが取り上げられることに、強く違和感を感じているだけだ。

 最初の頃は順調に業績を拡大できても、ある規模まで大きくなってしまうと、なかなか思うように業績を伸ばせなくなるのはよくある話だ。それでもさらに同じペースで業績を伸ばそうとして、無理に無理を重ねるといったこともよくある話だ。

 そして、無理を重ねることで、そこでは働いている社員やその社員の家族に大きなストレスがかかり、周囲にモラルの低下を撒き散らすようになる。と、私は考えている。そしてそれを私は “心の公害” と名づけた。成長途上の企業は、たいてい社員のメンタルヘルスまでケアしていないものだ。

 そんなことを考えている私にとって、なかなか興味深い記事があった。

思索の副作用
大きいことはエライことではない
 Tech-On! [2008年3月21日]

 「父がよう言うてましたわ。立つから倒れるんや、最初から這うてたらええんやと」。こんなビジネスに関する理念は、きっと「一澤流」ではなく「京都流」なのだろう。そう感じるのは、ほかでも京都の店や会社に関して、同じようなエピソードをいくつも聞いたからである。例えばある会社では、創業者が子息に経営を譲る際に社訓を定め、これを遵守するよう求めたのだが、その中に「現在よりも会社の規模を大きくしないこと」という一条があるのだという。

 千年以上もの間、京都は日本の首都であった。政治の中心は、鎌倉や江戸にあった時代も長かったが、天皇のいる日本の中心は京都だった。だから、商売(ビジネス)の成熟度は、今の東京中心のビジネスとは比較にならないくらい高いはずだ。過去に様々な成功と失敗を繰り返した結果、行き着いた商売のやり方だと思えるからだ。

 そのやり方が、

  • 「必要以上に商売の規模を大きくしない」
  • 「目先の利益にとらわれて、商売上に付き合いを安易に変えない」

というのは、現在のビジネスモデルの主流となっている、

  • 「とにかく規模を拡大する」
  • 「海外生産、アウトソーシングなど、コスト削減のためには何でもやる」

とは、正反対だ。

 例えば、中国での生産。いまだに原因がはっきりしない “農薬入り冷凍餃子事件” で生協はどれだけダメージを受けたか。国産や安心・安全にこだわっていたはずの生協が、規模の拡大、コスト削減のために選択した中国での生産が、結局は自分の首を絞めたことになる。

 例えば、アウトソーシング。一部の企業では、アウトソーシングどころか契約社員を減らして、正社員を増やす動きがあるそうだ。理由は、ノウハウの蓄積やモチベーションの向上。コスト削減を目指して正社員を減らした結果、確かに人件費は減ったが、それ以上に売り上げや生産性が落ちたため、あわてている企業経営者も多いそうだ。

 人間、欲に流されて行動をすると、たいていは悲惨な結末がまっているものだ。

 それよりも、一時的なバブルやトレンドに惑わされることなく、自分が出来ることを出来る範囲で地道にやっていくことが、結局は幸せな人生が送れるんじゃないかと、今は思っている。

 世の中にはいろんな人がいて、「地道な生活などには価値がない。」「俺は一攫千金を狙う。」 という人たちも多い。その人たちを否定するつもりは、サラサラない。とはいえ、そういう人たちにお願いしたいことはある。それは、周りを巻き込まないでいただきたい。ただ、それだけである。

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2008/03/26

下がいると思って開き直ってもいいじゃない

 今の世の中、市場経済、資本主義、といった企業中心社会になってしまったため、ついつい 「企業が目指す目的こそが正しい」 といった情報ばかりが世の中にあふれてしまっている。

 確かに企業活動抜きに今の日本社会は成り立たない。が、ちょっと待って欲しい。本当に企業にとって正しいことが、個人個人にとっても正しいのか、個人にとっても幸せなコトなのか。そうではないと、私は思っている。

 特に最近の “食品偽装問題”、“保険金不払い問題”、“耐震強度偽装問題” など、企業にとって利益を優先させすぎたために、大多数の人たちが貧乏くじを引かされている事を見ても、企業の論理が常に正しいわけではないことがわかる。

 ところで企業内部では、そこで働いている人が、その会社の求める人間像を強制される。

 どういうことかといえば、企業は売り上げを伸ばして業績を拡大することを大前提にしている。簡単に言ってしまえば、「企業を成長させる」 ということだ。そして、企業を成長させるために、そこで働いている人にも常に成長を要求する。そして、現状維持でよしとする社員は、“不良社員” として切り捨てられていく。

 しかし、ほとんどの人は無制限に成長できるわけではない。能力にしても身長にしても、成長には限界がある。にもかかわらず、企業の中では絶え間ない成長を要求される。

 それが絶対に間違っているといいたいわけではない。ただ、ビジネス書で、「成長しつづけなければ価値がない」 のように書かれていることが、私には気に入らないのだ。

 例えばこの記事。

デキルヤツノ条件     
下には下がいると思いたまふことなかれ
 降旗学
  NBonline [2008年3月21日]

 この記事の趣旨が “デキルヤツ” になるための指南書なので、この記事そのものを非難するつもりはない。このシリーズではこの内容でいいと、私も思う。

 とはいえ、世の中全体としてみた場合、

「自分よりも下の人がいるんだから、少しは安心してもいいよね」

と思うことは、私は悪いことじゃないと思っている。

 手が届くかわからない上ばかりを見上げ、疲れ果てた挙句に、自暴自棄になるよりも、一休みをして下を見下ろし、「結構上に上がってきたじゃん」 と自分をほめてあげてもいいんじゃないかと思っている。

 その後、やっぱりもう一度上を目指したいと思って努力するのもその人の生き方だし、そこまでの成長段階を維持することに切り替えるのもありだと思う。

 ただ、さらに上を目指すにしても、現状維持を選択するにしても、同じ部署、同じ会社で働き続けられないかもしれないことは、覚悟しておいたほうがいいかもしれない。

 所詮、自分の思うようには、物事は進まないもの。

 繰り返しになるが、一部の人が書いていることだけをむやみに信じて、選択肢の幅を狭めることはない。時には、世間に広く受け入れられている話でさえも疑ってかかり、本当に自分が安心できる選択肢を選ぶことが、結局は自分の幸せにつながると思う。

 かくいう私も、たいした考えもなく最初に大企業に就職したときは、「転職など出来ない。転職したらそれで私の人生は終わりだ」 などと考えていた時期もあった。しかし、その会社で働く意義を見失ってしまい、数ヶ月悩んだ末に、「そうか、転職して会社を移ってしまえばいいんだ。」 と “思いついた” とたん、急に目の前が明るくなったのを今でも覚えている。

 その後まもなく転職を果たし、転職した会社も今は辞めた。でも、「人生が終わった」 などとは少しも思っていない。むしろ、今まさに自分のやりたいように人生を送っている実感がある。

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2008/03/24

プラズマテレビの比率15%の真実

 ずいぶん前から言っていることだが、我が家もそろそろテレビの買い替え時期なのだ。今使っているのが、1991年に買った21型のブラウン管テレビ。カミさんも1~2年前から、「大画面テレビに買い替えよ~よ」 としつこく言ってくる。少し前までは、液晶テレビに買い換えようと思っていた。ところが、調査中に気になったのは、液晶の動画ボケだった。そこで、最近は液晶ではなくプラズマテレビにしようかと思い始めた。

 で、ここからが本題。

 様々な市場調査をしている BCN がつい先日、ここ1年での液晶とプラズマテレビの売り上げ動向を発表した。

50型以上で液晶テレビが急伸、押されるプラズマ
 ITmedia News [2008年3月12日]

 このニュースで私が気になったのが、薄型テレビ全体におけるプラズマテレビの売り上げ比率の低さだった。

 ニュースのタイトルともあいまって、「もうすぐプラズマテレビが市場からなくなってしまう」 ような印象を与えている。これが統計調査の怖いところだ。

 別な記事を見ると、

40V型以上が2割突破目前の薄型テレビ、気になるサイズ別の売れ筋は?
 BCNランキング [2007年10月31日]

とある。下のニュースのほうが少し古いが、だいたい同じような時期の調査結果だ。

 下のニュースを見ると、40V型の売り上げ比率は全体の2割弱とある。そして、プラズマテレビは、一番小さいサイズで37V型で、大半は40V型以上だ。

 画面サイズが小さいほど製品単価も安い。製品単価が安いほど大量に売れるため、売上高も大きくなりやすい。実際、薄型テレビは2~3年前からずっと32V型が売り上げの中心になっている。

 そういったことを考慮しながら、上のニュースでのプラズマテレビの比率が約 15% で、40V型以上の比率が約 20% という数字を見れば、大雑把に言って、

40V型以上の薄型テレビの分野では、

液晶:プラズマ = 1 : 3

とプラズマテレビが圧倒的に売り上げ比率が高い

という結果になる。

 確かに、前年比の伸び率で見れば、40V型以上の液晶テレビの伸び率が著しく大きいのは事実だろう。しかし、それをもって 40V型以上の分野でも液晶テレビがプラズマテレビを圧倒しているような印象を与えかねない表現は、あまりフェアではないように私には感じた。

 市場調査や統計調査は、具体的な数値が出されて、それを数学的に証明された手法を使って分析するため、ともすると誰から見ても間違いのない結果になると勘違いしてしまう。

 しかし、実際には分析する切り口や手法を選択することで、同じデータからまったく正反対の結論を導き出すことも可能だ。

 そして、そういった姑息な手段を、“頭のいい” 中央の役人達は好んで使う。

 政府の発表する調査結果を鵜呑みにするのではなく、「どういったデータに基づいて」、「どういった分析の仕方をしたのか」 まできちんと確認しないと、とんでもない調査結果を掴まされることになるので、十分注意が必要だ。

(2008/4/28 追記)
この記事はコメントも一緒に読むことを強くお勧めする。

(2008/6/5 追記)
こちらの記事で、情報を修正

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2008/03/22

必要なのは裁判員制度ではなくIT化、と言ってみる

 裁判員制度が来年から始まることになっている。Wikipedia によれば、

一定の刑事裁判において、国民から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加する日本の司法・裁判制度をいう。裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(平成16年法律第63号。以下「法」という)により規定され、2009年(平成21年)5月までに開始される予定。

ということだそうだ。

 法律や制度に詳しいわけではないので、あくまで個人的な印象だが、裁判員制度も “ゆとり教育” と同じように短期で見直し、そして事実上の廃止になるような気がしている。

 そして、下の記事を読んで、その印象はいっそう強くなった。

伊東乾の「常識の源流探訪」     
法を免疫不全に陥らせるな!
知らぬ間に踏み込む違憲の罠(CSR解体新書33)

 伊東乾
  NBonline [2008年3月19日]

 この記事の中の以下の部分から、強くそう感じた。

    • 「裁判なんてね、論理もへったくれもありませんよ。法廷の実務は、いかにして裁判官の情状を取るか、それだけですね。法律は学問なんかじゃない」
    • 「最後は情状ですよ。判決を決めるのは」
    • 「裁判の本質はお情けにかかっていて、それを巡る腹芸の応酬だ」

 これらが本当にそうなのか、あるいは答えた先生の独断と偏見なのかは、私には残念ながら判断できない。しかしながら、「実際、そんなもんなんだろうなぁ」 と妙に納得させられる話ではある。

 もし仮に上記のコメントが現在の裁判制度を言い当てているとすれば、なおさら裁判員制度がうまく機能する可能性はなさそうだ。

 数多くの裁判を経験している裁判官ならいざ知らず、そのときが最初で最後の一般市民であれば、それこそ裁判をしている事件そのものよりも、被告に対する情状にだけ気が向いてしまうと思うからだ。

 米国での裁判では、すでに 「いかに陪審員の同情を引くか」、そもそも 「どのような陪審員を選ぶか」 で、有罪か無罪かが決まってしまうとも言われている。“O. J. シンプソン事件” がよい例である。

 おそらく日本の裁判員制度でも、類似のことが問題になってくるだろうと予想している。人種差別や偏見がないと思われている日本だが、まったくないわけではない。

 加害者の職業や経歴、被害者の評判、などなどによって、似たような複数の犯罪で正反対の判決が出てくる可能性もある。

 そうなったときに、はたして多くの日本人は、そのことを素直に受け入れることができるだろうか。私はかなり難しいと思っている。

 もちろん、今の裁判制度が最良のものだと、思っているわけではない。ただ、今回の裁判員制度には、役人のよくある 「ぼくが かんがえる さいこうの せいど」 感を、どうしても感じてしまう。だれでも思いつくような都合の悪い点を一切無視して、自分が考えたシナリオだけが実際に起こると仮定して作られた感じが、どうしてもしてしまう。

 ではどうすればよいのか。あくまで法律素人の私の考えという前提での話として読んで欲しい。

 紹介した記事ではっきりと否定されている

法律データベースに基づくコンピュータによる判決

をベースに、

裁判官が経験による修正を加える

のが、意外と万人が納得しやすい判決を出せそうな気がしている。

 スポーツでも昔は審判の主観が絶対であった。しかし、ビデオ機器の発達によりテレビ中継が問題のシーンをすぐに再生できることで、審判の判定が間違っていることがすぐにわかってしまう。そのような状況において、もし審判が自分が正しいと主張すれば、逆に審判の信頼性を落としてしまう。

 裁判でも、これまでは人の記憶に頼ってのみ判決が下されていたものを、文明の利器を使って、もっとシステマティックに判決を下すようになっても、いいのではないだろうか。

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2008/03/21

子供を忘れ去るケータイ中毒ママ

 昨日も “CBSドキュメント” を見ていた。話題の一つとして、麻薬の治療法を取り上げていた。私が注目したのはその治療法ではなく、その治療法を受けている一人の女性のコメントだった。

「麻薬精製中に爆発事故を起こし、三人の子供を当局に取り上げられてしまった。それでも麻薬を止めることができなかった。子供を失っても、麻薬ディーラーのところに行くことしか頭になかった。」

というのだ。これを聞いて、つい先日読んだブログの一つを思い出した。

まさゆきブログ「世界一小さい新聞」
ケータイママの「瞬間子捨て」時代
 [2008年3月14日]

 注意を払うべき子供をすっかり忘れて、手に持っているケータイにひたすら没頭する。確かに私も街中で時々目にする光景だ。

 ケータイに限った話ではないのも事実だ。公園でママたちが話しに熱中するあまり、子供たちが危険な状態にあるのも気がつかない。パチンコに熱中するあまり、駐車場の車内に置いてきた乳児を死亡させてしまう、等など。

 ただ、場所や相手の都合に依存しないケータイへの過度の集中は、公園での雑談やパチンコなどよりも致命度が高いようにも思う。

 以前すでに “ケータイ依存症” についての記事を書いている。しかし、ここまでくると “ケータイ中毒” と言い換えたほうが、私のイメージにはピッタリとする。

 依存症 も 中毒 も言い方を変えただけで、意味は同じだ。しかし、私が受け取るイメージは、依存症と中毒で異なる。なんというか、“中毒” のほうがより実生活に支障をきたして、周囲への迷惑度も高いイメージがある。あくまで私のイメージでしかないが。

 とにかく、起きている間ずっとケータイを手放せない人、友人と話をしているときもケータイから目を離せない人、ケータイを操作していると周りのことが一切気にならなくなる人、達は、一度生活スタイルを見直したほうがよいのではないかと、他人事ながら心配してしまう。

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2008/03/19

官僚の人事秩序で日銀総裁を決めるな

 政府と与党が財務省の元事務次官にかなりこだわっていたことに、私はひどく不自然なモノを感じていた。官僚の言いなりになっている福田内閣のことだから、おそらく官僚の描いたシナリオをそのまま推し進めようとしていたのだろうと考えていた。

 どうやらそれは、当たらずとも遠からず、だったようだ。

山崎元のマルチスコープ
市場混乱の中の日銀総裁空席
 山崎元(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員)
  DIAMOND online [2008年3月19日]

財務省としても、事務次官を副総裁という形で送り込んで、いわば日銀総裁となるための帝王学を5年間も学ばせていたわけだから、それが意のままにならないとは、人事秩序的に「あり得ない」という感覚だろうし、それが分かるから、福田首相も手を出せずにすくんでいるのだろう。

 はたして武藤氏は本当に日銀総裁に不適格だったのか、単に政治の駆け引きでつぶされただけで、本当は適任者だったのかは、経済政策にまったく興味のない私には判断できない。ただ、政府与党の不自然な強引さだけを感じていた。

 私が気に入らないのは、「あらかじめこれで決めていたのだから、変更できない。」 とする官僚の無能さと傲慢さだ。

 5年もあれば今の世の中、政治情勢も経済情勢も技術情勢も大きく変わってしまう。

 私の得意分野であるパソコン関係で考えても、1995年当時インターネットや Web などは、一部の人のみが知る存在であった。それが 2000年ごろにはテレビ CM でインターネットアドレスが紹介されるまでになっている。

 だから5年前に適任だと思われたとしても、今現在も適任だという保証はない。もっとも、5年前にも適正云々ではなく、省内の力関係で決まったのだろうが・・・。

 いずれにしても、官僚の天下り先や再就職先の一つとして日銀総裁のポストがあつかわれているようで、私はとても情けない気持ちになる。

 バブル以降の長く厳しい不況は、日銀の失敗によるものだとする意見も多い。(例えば元 FRB 議長グリーンスパン氏の発言

 逆に言えば、日銀に総裁に本当の意味での適任者が就けば、今よりも日本経済がもっとよくなっていたし、これからよくなる可能性があるということだ。

 そう思うからこそ、自己保身最優先の官僚的 “人事秩序” で、日本にとっての最重要ポストである日銀総裁が決められたのでは、たまったものではない、とよりいっそう思う。

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2008/03/18

啓蟄

 今日、今年初めて野外で活動するアリを見た。クロヤマアリが巣の入り口を開いて、一所懸命巣の中の砂粒を巣の外に運んでいた。

 Wikipedia によれば、“啓蟄” とは、

3月6日ごろ及び、この日から春分の日までの期間。

暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。

とのこと。まさに暦どおりに季節が動いているようだ。

 私は冬の間、ずっと髪を伸ばし放題にしている。今年に限ったことではなく、毎冬だいたい切らずに延ばしている。

 科学的な根拠があるわけではないが、どうも冬の寒い時期に散髪をすると風邪を引いてしまう。というか、風邪をひいた記憶しかない。そんなわけでここ十数年、冬場は散髪しないことにしている。

 しかし、地中の虫も這い出てくるほどに暖かくなったのだから、明日にでも散髪しようかと思った今日の出来事だった。

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2008/03/17

ガンバレ、情報通信法

 私は以前からこのブログで、「特定の放送局によるテレビ放送を止めて、すべての映像コンテンツをネットワーク配信にせよ。」 と主張してきた。ただ、それが実現するようには思えなかったので、勝手な主張だと自分でも思っていた。

 ところが実は、政府内でも放送局の既得権をはく奪しようという動きがあることに、私は驚いた。

情報通信法でメディア大激変!!
「通信と放送の融合」の規制緩和でメディア再編が加速する
 週刊ダイヤモンド編集部
  DIAMOND online [2008年3月4日]

 元総務大臣の竹中平蔵氏の米国に追従したような政策は、私は好きではなかった。その政策のおかげで、格差の拡大やワーキングプアが拡大したとも、個人的には思っている。

 ただ、こと “通信・放送の在り方に関する懇談会” にたいしては、「よくやった」 と素直に賛辞を送りたい。

 具体的なことは、上記記事の第2章に書いてある。

情報通信法でメディア大激変!!
2010年のデジタル大激変でテレビ局の利権構造は崩壊する
 週刊ダイヤモンド編集部
  DIAMOND online [2008年3月4日]

「世間に対する大義名分が立つうちに、どんどん放送局を追い込む。自ら行動を起こすように仕向け、彼らがため込んでいるコンテンツを放出させ、市場での取引を活発化させる」(総務省のある幹部)

 コンテンツと配信インフラを分離すれば、必ずしも既存のテレビ局が有利とは限らない、という構図だ。

 視聴者にとってメリットの多いインフラは何だろう。既存の機器が使えるという意味では、地上波テレビ放送ということになるだろう。しかし、(本当にできるかはおいといて)、2011年には、アナログ地上波放送が停止してデジタル地上波放送(地デジ)に切り替わる。つまり、受信する機器を買い換えなければならない。

 そして、買い換えた地デジ対応テレビは、ほとんどネットワークやPCとの接続に対応している。となれば、放送時間が決められて地デジよりも、オンデマンド方式で好きな番組を好きな時間に見られるネットワーク配信のほうが、視聴者のメリットは大きいことになる。

 コンテンツのスポンサーたる企業にとってはどうだろう。現在も専門会社が視聴率の調査を行っているが、それほど信頼性が高いものではない。テレビをつけてさえいれば視聴率にカウントされてしまうのだから。そこには、誰が見ているのか、そもそも見られているのか、といった情報はない。

 ネットワーク配信でもつけっぱなしという現象がないとは言い切れない。しかし、オンデマンド方式であれば、視聴者の積極的な働きかけを意味する。だから、テレビの視聴率よりはるかに信頼性が高くなる。

 とすれば、スポンサー企業にとっても、広告効果がより計算しやすいネットワーク配信のほうがメリットが大きいはずだ。

 テレビ局が盛んに普及を訴えている “地デジ” が、そのテレビ局を窮地に追い込むことになれば、なんとも皮肉な話ではないか。

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2008/03/15

Windows Live Writer も残念

 MSN Messenger を Windows Live Messenger をアップデートしたら、Windows Live Writer がついてきた。ブログ用のワープロだ。ココログにも対応していたので、数本 Live Writer で記事を書いていた。

 以前試した xfy Blog Editor が残念だっただけに、今回もそれほど期待していたわけではない。

 結論から言えば、やはり常用するには、私が欲しい機能とパフォーマンスが足りなかった。無料のソフトウェアなので、文句ばかり言ってもしょうがないのだが、使っていてストレスを感じるようでは、やはり使う気にはなれない。

 使いやすいところも、もちろん多い。

  • Live Writer も xfy Blog Editor も編集画面で最終的な体裁を表示することができる。(ココログ標準の Web 上のエディターは、公開しないと最終的な体裁を確認できない。)
  • 表や区切り線を簡単に挿入できる。
  • カテゴリの指定の仕方も、チェックボックスを使う使いやすい形になっている。
  • 記事の保存は、ローカルとサーバーを自由に選べる。
  • これまで数回しかやったことがない記事の分割だが、コマンドひとつで可能。
  • サーバー上の既存の記事を指定して読み込み可能。(xfy Blog Editor ではできない)

 しかし、以下の問題点が、私にとっては致命的だった。

  • 文字入力時のパフォーマンスが低い。パソコンの能力にも依存するのだが、私のパソコンとの組み合わせでは、文字入力中に頻繁に息継ぎをするため、どうしてもストレスがたまる。
  • 再変換ができない。私は入力文字の確定を優先する。すると、誤変換が多くなるため、確定後に再変換をかける。そのほうが入力効率が良いからだ。入力文字を未確定状態で残しておくと、操作体系が違ったり、未確定文字内で移動に制限が掛かるため、とにかく入力文字を確定させる。

 ココログ標準の Web 上のエディターでも、再変換は文字選択を必要するため、再変換は実用的ではない。それでも Web 上のエディターはパフォーマンスが良い。動作が軽いのだ。

 パフォーマンスと再変換。どちらかが Live Writer で実現していれば、使い続けていけるのだが、両方無いのでは継続して使用できないと判断した。記事を編集する部分以外のキーワードや引用などの標準的な部分では再変換が使えるだけになおさら残念だ。

 また、それ以外にも表示系に若干の不具合が見られる。

  • メニューの再描画が不完全のため、表示されている文字と実際のメニューの位置が異なる。マウスポインタを持っていくと正しく表示されるため、実用上は問題ないが、やはり気持ち悪い。
  • Web レイアウト画面では、問題なく描画されるのに、Web プレビュー画面で一部の描画がずれてしまうのも残念だ。これも、あれば便利程度の機能なので、ただ残念なだけだ。

 「タダで使っておいて文句を言うな」 といわれそうだが、開発者や開発関係者がこの記事を見て、多少なりとも次のバージョンで考慮してくれればいいな、と思い、あえて記事にした。

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2008/03/14

危機感駆動型、おおいに結構

ニュースを斬る
危機感駆動型ニッポンの危機!?
ネガティブなニュースの濁流に流されるな

 竹中正治
  NBonline[2008年3月12日]

 この記事を読んで、いろいろと教えられた。

 確かに米国建国の経緯を考えれば、ともすれば絶望しがちな状況において、周囲や子供達に明るい未来を語る。語ることで、自分自身もきっと明日はよくなっているに違いない、と信ずる。そうであればこそ、あそこまでの国にすることが出来たのだろう。

 一方の日本は、建国前の時代から海を挟んでいるとはいえ、隣に広大な領土と進んだ技術力を持った大国が常に存在していたのだ。日本に住んでいる人たちが、常に侵略の危機感を持ったとしても不思議ではない。また、外敵からの脅威を除けば、生きていくための生活基盤は十分に整っていたのだから、あえて明るい未来を語る必要もなかったはずだ。

 そして、

これは、進化──淘汰と適応──の結果生じた人間の性向だと考えると納得できる。特定の場所に「実をつけた木がある」という情報(良いニュース)と「捕食動物がいる」という情報(悪いニュース)のどちらに強く反応する性向の方が生き延びる確率が高くなるだろうか。「木の実情報」を聞きもらせば、食べ損ねるだろうが、すぐに餓死するわけではない。一方、「捕食動物情報」を聞きもらせば、今にも襲われて死ぬ確率がぐんと高くなる。

という部分が、真にどちらが必要かということを言い表しているように思う。そのことから私は、竹中正治氏が言うような、

「危機感駆動型アプローチ」では日本は良くならない

とは思わない。

 日本がよくならないのは、戦略的に危機感を煽って、人の財産を巻き上げようとする人たちが、社会システムの中枢、官僚や経済界、にいるからだと、私は考えている。

 また、米国は財政赤字によって実体はすでに破綻の状態にあるとする意見も多い。ところが、米国国民は楽観主義により、いずれはうまくいくと考え、危機感に乏しい。

 とすれば、世界的な経済破綻が起こったときに、被害を最小限に抑えられるのは危機感型の日本なのではないだろうか。

 見方を変えれば、米国型はハイリスク・ハイリターン型、日本はローリスク・ローリターン型とみることができる。そして私は、ローリスク・ローリターンに安心感を覚える。

 それに、褒められることが当たり前の人たちが米国内ですら問題になりつつあるのだ。“希望駆動型” の米国方式を、日本が無理をしてまねる理由が、私には見つけられない。

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2008/03/13

無能と思える上司が悪とは限らない

職場を生き抜け!     
【第12回】人事ヒアリングの巧い対処法、お教えします!
~無能な上司を潰す「千載一遇のチャンス」が到来?~

 吉田典史
  NBonline [2008年3月12日]

 残念ながら、私はこの人の記事があまり好きではない。書いてある内容は、実に的確だと思うし、実用的だと私も思う。ただ、「トイレの便器がどのように汚れていて、その汚れはどうしてできたのか、その汚れをどう取るのか」 を詳細に読まされているような気分になって、必要なのは理解できるが、できれば積極的には見たいとは思わない。

 とはいえ、今回の記事のこの部分については、全面的に賛同する。

人事部がまるで検察官のように、「勧善懲悪」式に、無能な管理職を潰してくれると信じ込むのは、実に愚かです。

 私も以前から、こちらこちら などで、「自分にだけ都合のよい期待はやめましょう」 と訴えている。それは、職場においても言えるということだ。

 人は、自分が間違っている、とは考えないものだ。常に出発点は 「自分は正しい」 だ。

 それ自体は特別なことではないと思うし、そう考えなければまともに日常生活すら送っていけないだろう。

 問題は、「私は正しい」 = 「私に対立する人は間違っている」 と決め付けることだ。自分は正しいのだから、自分に対する人は “悪” になってしまう。“悪” ならば成敗されて当然、権力者に成敗してもらおう、という思考に陥ってしまうことが怖い。

 そういっている私も、これも何度も出している話題であるが、ユーザビリティテストを始めた当時は、「自分の考えた仕様は正しい。うまく使えないのは、ユーザーに問題があるからだ」 と本気で考えていたものだ。

 自分が考え抜いた仕様が、自分以外から見たときに正しいとは限らない。むしろ、最適でない場合のほうが多い、と気づかされるまでには、かなりの時間と経験を必要とした。

 そして、ユーザビリティテストの結果を、ありのままに素直に受け入れられるようになったときに、ユーザビリティテスト以外のことでも、自分の側に修正が必要なケースを素直に受け入れられるようになった。

 だからこそ私は訴えたいのだ。

 自分が正しいと信じて行動するのはよい。ただし、自分と対立するモノが現れたときに、自分の正しさを客観的に再評価する姿勢が欲しい、と。

 それができれば、そうそうは取り返しのつかない過ちを犯すことはないだろう、と私は思っている。

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2008/03/12

石原慎太郎は早く辞職してください

 佐々淳行氏に、ホント文句を言いたい気分だ。なぜ2007年の東京都知事選で選挙対策本部長を務めたのかと。もちろん石原慎太郎の選挙対策本部長のことだ。

 新銀行東京の経営危機問題で、石原都知事は自分の責任を一切否定している。それどころか、多くの中小企業を救ったのだから新銀行東京は私の功績だとすら言い切っている。

 しかし、その野放図な融資は

三男石原宏高の地盤である品川区と大田区の企業に融資が集中していたことから、身内の選挙対策との疑いが持たれている (週刊現代 2007.1.6-13、FACTA2007年2月号 )

と雑誌に書かれている。

 石原都知事の “都政の私物化” は、2007年の選挙以前から問題になっていた。だから、あのままでいけば、石原都知事が落選していた可能性も十分にあった。

 その流れを変えてしまったのが、佐々淳行氏だったのだ。だから、私は文句を言いたいのだ。なぜ石原慎太郎の手助けをしたのかと。

 もちろん、石原慎太郎以外が都知事になっても、今より良くなっている保証はない。とはいえ、今の東京都政が私にとってはひどくむごいものに見える以上、やはり石原慎太郎にはとっとと都知事を辞めてもらいたい。

 東京オリンピックの誘致もとっとと止めてもらいたいし、都のお金から石原慎太郎の海外遊行費を出すのも止めてもらいたい。

 石原慎太郎の年齢を考えれば、今のありようは明らかな “老害” だ。なまじ、口が立って、恫喝力が強いため、老害をいっそうひどいものにしている。

 日本のあらゆることを左右する東京の最高権力者が、後三年もこのままなのかと思うと、日本も今後三年間はこんな調子なんだろうと思い、ますます憂鬱になる。

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2008/03/11

輸入食品問題から人口減少社会を考えてみる

 例の農薬入り冷凍ギョウザ事件の影響で、中国産野菜の輸入が大幅に減少しているようだ。

 我が家は、はるか昔から、中国産も含めて輸入野菜や輸入食品を買わないようにしている。産地偽装が横行している現在、産地表示が100%信用できるわけではないが、今のところそれしか判断材料がないので、産地表示を見て、国産の食品・食材を購入している。

 ただ、自分で買って調理する分は選択ができるが、外食や加工食品、お弁当といったモノは自分ではどうしようもない。最近は極力食材から自宅で調理するようにはしているものの、どこかに出かけたときなどは、外食に頼らざるを得ない。

 実際、ニュースでも輸入野菜の減少や値上がりが、レストランや加工食品会社を直撃していると伝えている。そのため、これまで輸入野菜を使っていたお店が、国産野菜に切り替えるケースも多いそうだ。

 すると、今でも値上がり気味の国産野菜の需要がさらに多くなり、値上がりに拍車が掛かるということだ。収入の乏しい我が家にとっては、なんとも頭の痛い状況だ。

 一方、日本全体としてみれば、農業・食品構造を転換するきっかけになればよいと、私は考えている。

 私自身、子供のがもう少し大きくなって親の手を離れるようになったら、本格的に農業を始めようと思っている。元々ものづくりが好きだし、人が最後に必要とするものは食料である。パソコンやテレビやケータイは、なければ不便だろうが、生きていけなくなるわけではない。少なくとも私は。

 今後徐々に日本の人口は減少していていくと予想されている。すると、これまで闇雲に開発していた住宅地が、日本の不良債権と化すだろう。そうなったときに、宅地を再度農地化して、農業自給率を上げていくことが十分に可能なはずだ。

 近場で生産することで輸送や鮮度を保つためのエネルギーも節約できる。これは最近欧州で急速に広まりつつある “フードマイレージ の小さい商品を買う” という今後の地球環境を考えたトレンドを実践することでもある。

 幸い日本は、国土のほとんどで農業が可能だ。その恵まれた条件を活かさない手はない。

 人口減少というと、働き手の減少、年金負担の増加、税収の減少、経済成長の鈍化、などといったマイナス面がやたらと強調されるようだが、自国の国民を、自国の生産物で養えるようになるといった、生活の安定性が増すといったプラス面も多いはずだ。

 費用対価格という経済面のさらに一面だけからしか考えず、食品輸入の依存度を高くしすぎると、そのシステムにトラブルが生じたときの反動が大きいのは、今回の中国産冷凍ギョウザ問題でも明らかだ。一つのシステムに依存しすぎる問題は、過去にはオイルショックで何度も経験済みのはずだ。にもかかわらず、相変わらず同じような失敗を繰り返している。

 今安定しているシステムが、今後も未来永劫続くとつい錯覚してしまうことも、そう思い込みたいのもよくある話だ。しかし、これまで滅びなかった国はなかったし、死ななかった人もいない。

 「今後、出生率は徐々に回復をしていく」 などと寝ぼけたことを公式に発表していないで、人口減少に入ってからの社会システムの青写真を一刻も早く公表して欲しいものだ。

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2008/03/10

将来のテレビはホームメニューから始まる・・・かもしれない

 以前にも 任天堂 Wii がホームコンピュータ、リビングルームコンピュータになる可能性が高いという記事を書いた。その後も任天堂は着々とお茶の間のメインディスプレイを独占すべく、次々と新しい手を打ってきている。

デジタルエンタメ天気予報     
テレビはWii経由で見た方が便利!? 
「テレビの友ちゃんねる Gガイド for Wii」の重大な意味

 野安ゆきお
  NBonline [2008年3月7日]

 これを私なりに解釈すると、Wii が家庭内のメインモニターのホームページになるということだ。

 これまでテレビは、消したときチャンネルを、次に電源を入れたときに表示するだけであった。見ている人は、新聞やテレビ雑誌を見ながら目的のチャンネルに切り替える。最近のテレビには電子番組表機能を持つテレビも多いので、そちらを使っている人もいるだろう。それでも、基本画面はどれかのチャンネルであり、番組表はサブという扱いだ。

 Wii で、テレビ番組表、ゲーム、Wii チャンネルのようなオンラインコンテンツ、さらにWebページへの切り替えを行うようになれば、Wii のホームメニューがメインとなり、テレビの各チャンネルは、ホームメニューの下のサブメニューに格下げになる。

 そして、テレビ放送、オンライン配信、投稿された動画、オフラインのゲーム、オンラインゲーム、Web ページが、等しく Wii のホームメニューの下に並ぶことになる。

 上に上げた6つの分野で、視聴者サイドの都合では見られない分野が一つだけある。そう、テレビ放送だ。いちおう、録画用の機器が普及しているので、録画すれば視聴者の都合のよい時間で見ることもできる。しかし、いまだ録画予約がうまくできない人の話もよく聞く。

 今後は NHK も含めた各テレビ局も積極的に、番組のインターネット配信を行うことを表明している。そうなれば、地上波や衛星を使った番組放送に、国を挙げて設備投資をしたのはいったいなんだったのか?と、ますます多くの国民に疑問を持たれそうだ。

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 それにしても、

 「これは単なるゲーム機ではない。ホームコンピュータである。」 として世に出された PlayStation3 が結局今のところは、高価で、不必要に高性能な “ゲーム専用機” としか認知されていない。

 一方で 「ゲーム機を作っているんです。」 と公言してはばからない任天堂が出した Wii が、今やホームコンピュータの最も近い位置にいるというのが、なんとも愉快な話ではないか。

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2008/03/08

サイパンロス疑惑報道バブル

 相変わらず、サイパンでのロス疑惑事件の三浦和義容疑者逮捕のニュースがよくテレビで報道されている。そんなバカ騒ぎを象徴するかのように、こんなニュースがあった。

連日報道、経済効果にも関心
タクシー業界「1日で半月分収入」

 -サイパン
  時事通信 [2008年3月8日] 

半月で200~400米ドルだった収入が、取材陣が貸し切りで利用するため、1日300~400ドルになったとする運転手の声を伝えた。

裁判所のある職員が「テープだけでも1日で約200ドル。日本の報道陣は歳入に貢献している」と話したと報じた。

 現地の人が喜んでいるは悪いことではないが、なんか日本人の恥をさらしているようで、個人的にはやめてもらいたいと思っている。

 それにしても、ここまで盛大に報道して、はたして視聴者の関心は高いのだろうか? 私はぜんぜん興味がないため、ここまで頻繁に報道されることが不思議でしょうがない。

 こういうデータが出ているようだが、

三浦和義逮捕でTVの製作現場に珍現象
 日刊ゲンダイ [2008年3月2日]

今回の逮捕劇に関心を持っているのは、当時を知る、F2(35~49歳)、F3(50歳以上)の女性たち。あるテレビ局関係者は「F2で0.5%アップ、F3で1.0%アップして、それぞれが視聴率を押し上げている」と指摘する。

報道され始めの時期に、気になったので見た、程度のような気がしている。

 むしろこっちの内容に、私は注目した。

「スタッフルームでの世代間ギャップがすごいんです。三浦の逮捕にガ然、張り切っているのは、80年代当時に三浦を追いかけ回していた人たち。ちょうどF2、F3と重なるM2、M3の世代で、現在、彼らはプロデューサーやディレクターに昇格しています。一方で現場には当時の騒動を知らない20代から30代前半の若いスタッフが約3分の1はいる。彼らは『三浦』と聞いてもピンとこないから、プロデューサーたちは一から事件を説明しなければならず、手を焼いています」(関係者)

 つまり、80年代の “バブル” を経験した今や番組制作で権限を持つ人たちが、「夢よもう一度」 とばかりに送り手の一方的な思い込みで、今回の報道騒ぎは起きているような気がしている。

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2008/03/07

P&Gでちょっぴり働いてみたくなった

 私はこれまでに二度ほど会社を辞めている。辞めるに至った理由は、単純なものではなく、いろいろな不満や不安の積み重ねだった。

 それでも、最後の最後に辞める決め手となった理由は、二度とも上司との対立だった。

 一度目の時は、とにかくネガティブな上司の下に配属されてまもなく辞めた。組織変更前は、一先輩社員であったが、組織変更でチームリーダーとなり、私の実質的な上司となった。優秀ではあったが、私のことを常に見下し、私がやることすべてを否定してくる態度に、私は我慢しきれず、会社を辞める決心をつけた。決心をする前に上司の上司にも相談したが、まともに取り合ってもらえず、「今はそこにいるしかない」 というようなことを言われて、会社にも期待できないと悟り、辞める気持ちをいっそう強めた。

 二度目の時は、いわゆるヒラメ中間管理職の下に配属されたときだった。それまでも、日本での仕事が米国本社の単なる御用聞きのようになっていることに不満を募らせていた私だった。そんなときに、米国本社からの指示を正確にこなすことが最も重要なことだと言ってはばからないヒラメ管理職の下に回され、会社に失望したのが辞めるきっかけとなった。それまでも、なんとか日本独自の開発が行えるような組織を捜しては、入れてもらえるように努力をしてきたが、結局は自分が最もやりたくない御用聞きチームに配属されてしまう。そんな、会社の組織に失望していた時に、私がもっとも嫌いなタイプのヒラメ管理職が上司に付いたのだ。これは天が私に会社を辞めろといっているに違いない(笑)と確信をして、辞める決心が付いた。

 そんな私が目にしたのが、この記事だった。

ポスト成果主義 スタンドプレーからチームプレーに     
見限られるのは、会社でなく上司
ディック・アントワン
米P&G前グローバル人事担当役員に聞く

 中野目純一
  NBonline [2008年3月6日]

 私が勤めていた会社も P&G のような考えを持っていたら、あるいは会社を辞めなくてもよかったのではないかと思わなくもない。

 多くの企業では、少なくとも私が働いていた組織では、上司と部下が対立したときに、勝つのは上司だ。部下は白旗を上げて無条件降伏をするか、その場から立ち去るしかない。上司と部下が対立したときに、上司の側にも問題があるかもしれないと考えて対応する P&G のような会社は、おそらく数少ないと思われる。

 上のような経験をしてきた私としては、P&G のような会社がどんどん業績を伸ばして、優良な企業でい続けられることを願うばかりだ。それが、第一線で働く社員にとっても、そして企業にとっても有益だと思えるからだ。

 役職が高いからといって、人間性が優れているとは限らない。むしろ人格的に問題(人の足を平気で引っ張るとか、自分の失敗を平気で人にかぶせるとか)があるからこそ高い役職に就けた場合もあるだろう。部下を踏み台にして業績を上げるような上司を喜んで使うような企業が、結果的に社会から拒否されるようになれば、ここ数年の労働環境の急速な悪化が改善されるような気がしてならない。

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2008/03/06

管理職と残業代と待遇と

マクドナルドばかりじゃない!
「名ばかり」管理職の実態

 nikkei BPnet [2008年3月4日]

 マクドナルドフランチャイズ店の店長は管理職ではない、という裁判所の判決を受けて、上のような中間管理職の扱いが注目を集めるようになった。

 この問題はバブル崩壊後の 「最低限以下に人件費を削減するか」 という、企業の強引なまでの人件費圧縮というエゴと無縁ではないだろう。

 とはいえ、私にとってこの現象自体は、特別珍しいものではなく、私が働き始めたバブル絶頂期の20年前に似たような話はあった。

 20年前に私が最初に就職した会社は、日本でも有数の大企業だった。私はそこの研究所の一つで働き始めた。

 働き始めて半年もすると、先輩社員から現実的な話をいろいろと聞かされるようになる。

 例えば上記の記事に書いてあるこんな言葉。

「ほぼ無条件で大量昇進させたと、社内でも問題視されているんです。なぜなら、管理職手当ては微々たるものなので、残業代圧縮が目的じゃないのかって。私自身、毎月6万円前後の残業代がなくなったので、実質70万円の減収。それに、自分で言うのも何ですが、上司からの評価は以前から低くて、どうして自分が?という戸惑いがあります」 (nikkei BPnet)

 残業代が実質的な給与となっているのはどこの企業も同じらしい。

 私が働いていた研究所には、研究職社員を補助する技術職社員がいた。彼ら技術職社員は、自らが実験を計画することはなく、研究職社員の指示通りに作業をするだけだ。

 その技術職の一人と親しくなり、社内の事情に関していろいろな話が聞けた。

 残業代に関しては、「残業代を前提にして生活が成り立っている」とか、「残業をするために、わざと日中は非効率的に仕事をする」 といったことだった。

 さらに、「研究者として、あれ?と思う人が先に主任研究員(管理職待遇)になり、優秀な研究者と誰もが思う人がずっと一般研究員のままのことが多い」 というのだ。あくまで噂なのだが、「優秀な研究員は効率よく仕事をするので残業が少ない。優秀でない研究員は長時間仕事をしてもなかなか成果が出ないので、管理職待遇にして残業代をなくしたほうが会社にとって都合がよい」 という話を聞かされ、まだ社会人1年生の私は、「なるほど、そのとおりだな」 と思ったものだ。しつこいようだが、あくまで “噂” だ。

 私が最もショックを受けた話は、「結婚をして、自宅を購入して、多額のローンを抱えた社員を狙い打つように、工場への転属命令を出す」 という “噂” だった。その理由は、「多額のローンを抱えていれば、給与が下がるかもしれない転職をすることはほとんどない」 と会社側が考えているという “噂” だった。

 その後私は、一般社員も含めて全員が 年俸制 = 残業代一切なし の外資系企業に転職をした。そして、残業代を考えないで仕事ができるほうが私の性に合っていることがわかった。

 ただ、私が年俸制に納得できたのは、自分の仕事の内容に給料が釣り合っていると感じられたことと、自分が好きなパソコンを一日中好きなだけさわっていられて、お金がもらえる満足感があってのこと。

 同じ仕事かむしろより重労働を強いられて、それでいて得られるお金が少ないとなれば、やはり私も大いに不満に感じただろう。

 やはり “名ばかり管理職” 問題を解決するには、名と実を一致させることが重要だと思う。

 日本の裁判制度にはいろいろと制限が多いようだから、今回は “残業代” という形での裁判になったようだが、もしかしたら渦中の本人達は残業代よりも、“権限” や “裁量” 及びそれにともなう “責任” を欲していた人もいたのではないかと想像している。

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2008/03/05

職場での深刻な問題、イジメ

 NHK の クローズアップ現代 で “職場でのイジメ” の問題を取り上げていた。

3月4日(火)放送
もう職場に行きたくない
~広がる大人のいじめ~

 原因として、賃金の低下、契約社員の増加、などによる労働環境の悪化が大きい、というのは、たいていの人が思いつくことだ。

 私がなるほどと思わされたのは、とある職場のイジメ問題を調査していた労務士が指摘していた内容だ。どういう内容かというと、

  • 古株の社員が控え室に私物を置いて自分の場所を確保すること
  • それによって新人社員が自分のものを置きづらくしていること
  • 座る位置が固定化することで上下関係を固定化してイジメの温床になる

というものだった。確かに思い当たる節がある。

 職場ではないが、カミさんの両親が行きつけの複合温泉施設に、やはりヌシのようなおばさんがいる話を思い出した。

 そのヌシは、決まった時間に来て、決まった場所で湯船につかるそうだ。たまたま、カミさんが子供をつれて入っていたら、そのヌシが 「こんな時間に子供なんか入れるんじゃないよ」 と大声で騒いでいたそうだ。カミさんは腹が立ったものの、我慢をして出てきた。子供は泣き出しそうな顔をしていた。

 施設の従業員も騒ぎを起こしたくないからだろう、見て見ぬふりをしているそうだ。しかし、そんなことを放置すれば、やはり雰囲気が悪くなり、いずれ客離れを起こすはずだ。

 話を職場に戻そう。

 別な職場では、新しく入った契約社員が頑張って仕事をしていたら、古株の契約社員が自宅に電話をかけてきて 「一人だけ頑張って働かれると、周りが迷惑なんだよ」 と言ったそうだ。そして翌日から、情報を教えてもらえない、というイジメが始まったということだ。

 古株の契約社員とすれば、優秀な新しい契約社員に頑張られると、自分の契約が危うくなるという危機感があったのだと思う。あるいは、下で紹介されているタイプの人なのかもしれない。

部下を追い詰める「クラッシャー上司」に気をつけろ!
 西川敦子
  NBonline [2008年02月29日]

 いずれにしろ、対応が必要なのは会社のほうだ。具体的には、人事部そして経営者の努力でしか根本的な解決はできない。

 職場でのイジメを放置すれば、人材の流出、生産性の低下、といった企業経営にとって悪い要素しか生み出さない。

 そんなことを書いていたら、ふと “Millennia世代” の話を思い出した。Millennia世代のモチベーションを上げるために、企業は涙ぐましい努力をしている。

 職場でイジメが起こっているような企業においても、Millennia世代に対して行っているような様々なイベントがもしかしたら有効なのかもしれないと思った。

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2008/03/04

現代女性が期待していることは……、よくわからん

車道側を歩く、コートを着せる、「髪形変えた?」etc. せっかくの気遣いが逆効果になっていたなんて……
女たちが糾弾 「男のその親切、いらない!」の衝撃
どんなにゴリゴリの女性解放論者だって、高い場所にあるものを男に取ってもらって腹を立てることはないだろう。親切は概ね快く受け入れられる……男たちはそう思っているが、しかし、女にしてみれば結構迷惑らしいのだ。やんなっちゃうね。どうすればいいと?
 SPA! [2008年3月3日]

 カミさんの気持ちもいまだによくわからん時が多い私にとっては、こういう記事を読むとますます女性の気持ちがわからんようになる。

 結局、好きでもない男には何をされても気に入らないということなのだろうか。

 にしても、こういう内容ばかりがマスコミに取り上げられると、ますますこういう男達が増えてしまう気がする。私もまさにその世代なので、そういう男達の気持ちがわからなくもないので、複雑な気持ちになる。

 私が20代の頃は “三高”(高学歴、高収入、高身長) が花盛りで、あるテレビ番組に出演していた一般女性が 「愛があれば年収1000万円でもやっていけると思います」 とまじめな顔で答えていた。それを見て、本気で殺意を覚えたものだ。

 今の世の中、政治も経済も恋愛も、“言ったもの勝ち” の “ゴネ得” がまかり通るご時勢。

 「フェアであることが快適な生活につながる」 と信じている私にとっては、なんとも生きにくい世の中になってしまったものだ・・・。

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2008/03/03

カスタマーサービスについての話

怒れる消費者たちの逆襲
痛烈なブログや動画による苦情に企業はどう対応する?

 BusinessWeek
  NBonline [2008年3月3日]

 私もこれまでに何度もカスタマーサービスにいらだってきた。記憶にある中で一番古いモノは、私が会社でテスターをしていた時だった。当時 NEC は独自仕様の PC-9821 シリーズを主力にしていた時で、環境テストのために購入した PC-9821用の周辺機器がどうもうまく動作しなかった。具体的なことは忘れてしまったが、とにかくカスタマーサービスに電話をした。ところが、担当者と話をしてもいっこうに話が進まなかったので、上司に代わってもらった。上司も奥歯に物が挟まったような言い方をするので、「対応しているのかしていないのか、イエスかノーかで答えろ」 的な聞き方をしたら、「・・・対応していません・・・」 とやっと小声で回答を得た。

 このブログでも、何度かカスタマーサポートの不満をぶちまけてきた。シマンテック社の Norton 360PowerX Hard Disk Manager 7.0 の不具合に関する問い合わせだ。

 両社に共通するのは、とにかく定型の作業で問題が解決しない場合は、お客(この場合は私)が使っているパソコンの状態が特殊、つまりお客の側に問題があり、自分達製品を製造・販売した側に問題はない、とする態度だ。

 確かに、善良な客を装って企業から金銭的なモノを分捕ろうとする悪意のある者から、企業を守る必要もあるだろう。しかし、あまりにも企業を守ることばかりに重きを置いてしまうと、優良な顧客をも疑うことになり、最終的には優良な顧客を失うことになる。

 大部分の顧客は問題があっても何も発言しない。ただ、無言で使うことをやめ、その企業から買うことを辞めるだけだ。だからこそ、数少ない企業に直接発言をする顧客を大切にしなければいけない。企業ブランド向上やマーケティングの解説本には必ず載っている話だ。ところが、実際にそれを実践できている企業は驚くほど少ない。

 上記の記事では、YouTube といった動画投稿サイトを使って、企業の不誠実な事柄を訴えたり、企業の責任者に直接メールをして訴える事例が書かれている。私も自分自身の主張を広く世間の人に知ってもらう機会を得ようと、このブログを始めた。今のところ、社会現象を起こすような記事を書いていないのは、喜ぶべきか悲しむべきか悩むところではあるが。

 ところで、私が好きな “ゴルゴ13” というマンガの第240話に 『システム・ダウン』 という話がある。イギリスの保険会社のアメリカ子会社のヨーコは、高額保険の支払いにゴルゴ13が絡んでいることを突き止める。そこでヨーコは、ゴルゴ13への連絡方法を遮断することで、ゴルゴ13への妨害を行う。という内容の話だ。

 この話の中で、私が一番印象に残っているのが、保険会社の本社会長の言葉だ。

  • 「アメリカの会社などはやたら細かい免責事項を設定しているが、我が社はそんなことはしない!」
  • 「人が死ねば、そして、それが保険金詐欺でなければ、我が社は保険金を躊躇せずに払う」
  • 「予定以上に支払いが増えれば、料率をアップすればよいのだ!」
  • 「そもそもが不慮の死に備えるのが保険というシステムだ!

 実に明快だ。サービスはそもそもこのぐらい簡潔で明快であるべきだ。日本の保険会社にいたっては、免責事項どころか本来支払う義務のものまでごまかして支払っていなかったのだ。

 ソフトウェアのサービスもまたこうあるべきだと思っている。ユーザーごとにパソコンの環境は異なるわけで、それを理由にサポートの範囲外とするのは、ユーザーからすれば納得できない話だろう。別に保険金詐欺をしようとしているわけではないのだから。

 中には知らないが故に、物理的・現実的に無理な要求をしてくるユーザーもいるだろう。その場合でもきちんとお客が納得できる断り方をすべきなのだ。ユーザーが 「なるほど。そういうことなら、私のやろうとしていることは無理ですね。」 と言えるようになれば、問題自体は解決しなくても、ユーザーが抱えている悩みは解決する。

 そういう保険金の支払い方もあるということを、企業のカスタマーサービスは理解をして実践して欲しいものだ。

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2008/03/01

著作権についての一般人視点からの記事

人生の諸問題    
「テレビ」と「ウェブ」と「著作権」と
岡康道、小田嶋隆、清野由美
NBonline [2008年2月29日]

 若干、「そこまで言わなくても」 とか、「それはちょっと違うんじゃない」 と思うところもある。例えば、

小田嶋 「例えばソフトウエアのウインドウズとか、グーグルとか、でかくなるビジネスって、今はだいたい、タダで配られる方向でしょう。」

とか。いやいや、Windows はタダでは配られてませんよ、と。(汗)  パソコンに始めからインストールされていますが、パソコンの代金にきちんと含まれていますから。(汗)

  それでも、おおむね賛同できる内容だ。

  “著作権” という権利に対する説明として、

小田嶋 「もともと著作権という発想がどこにあったかというと、海賊版を作る人たちがいて、そういう人たちから作者を守るために生まれた法律であって、本来ユーザーを縛るためのものじゃないんですよ。(中略)
当初はすごく悪意のある海賊版業者が資金とネットワークを持って、複製を犯罪的に作っている、ということを想定してできた権利だったんだけど、今は素人を相手に、お前らどれだけコピーをするか分からないから、コピーさせないぞ、みたいな縛りに変質してきているでしょう。」

というのは、よくわかる説明だ。

  他のシリーズ記事で取り上げられている “海賊版により中国の動漫ブームができた” という話を出して、より多くの人に目にしてもらうことで、さらに大きなビジネスに結び付けられることを示している。

  “デジタル万引き” についての内容も、普通の人の感覚で書かれていて共感できる。

小田嶋 「雑誌社からすると、本当は売れたはずなのに、という理屈なんだけど、でも要するに120ページからある雑誌の中の1ページしか欲しくないような雑誌を、あんたたちが作っていたわけでしょうという。たとえば20ページ分撮らなきゃいけないようなら買うでしょう。」

  良い悪いは議論のあるところだろうが、デジタル万引きの本質を突いている意見だと、私は思う。

「たとえばドラマで女優が着ているスカートがほしくなって、それを買う。そういうようなことが起きるんじゃないか、と言われているんだけど、そんなに買うかね、いちいち。」
小田嶋 「あれはうそですよ。」

  私もそう思う。私が好きな 銀河英雄伝説バグダッシュ という情報部の人物がいる。その人物の台詞に、

「世の中に飛び交ってる情報ってものには、必ずベクトルが掛かっているんだ。つまり、誘導しようとしていたり、願望が含まれていたり、その情報の発信者の利益をはかる方向性が付加されている。それを差し引いてみればより本当の事実関係に近いものが見えてくる」

がある。私が好きな台詞の一つだ。政府やテレビ局が必死に地デジを宣伝する裏には、やはり何らかの彼らにとっての利益があると考えたほうがわかりやすい。

小田嶋 「ウチの子供なんかリアルタイムでテレビを見ていない。見たいものがある場合は、それを録画して好きな時に見るというスタイルが定着してる。CMどころか、番組全体をスキップして見てるわけだからね。」

  我が家でもまったく同じだ。たまにリアルタイムで放送を見ていると、CMがスキップできずに家族みんなでいらいらしている。(笑)

  次回の “次回、しぼみそうなテレビ広告” も楽しみだ。
(・∀・)

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