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2008年9月の20件の記事

2008/09/30

なんとなく気になったことを簡単に調べられるインターネットはやはり偉大な発明だ

 いつものようにネットサーフィンをしていたら、タレントの 『千秋』 と 新山『千春』 の名前が目に入った。

 「そういえば、『千夏』 も 若槻千夏 でそれなりに見聞きするけど、『千冬』 というのは見聞きしないな」

と、なんとなく気になった。

 さっそく Google で検索しようと、キーワードに入れるところで、千冬 の違いに気がついた。

 IME に単語が登録されていないのだ。

  • ちはる ⇒ 千春
  • ちなつ ⇒ 千夏
  • ちあき ⇒ 千秋

は一発で変換できる。しかし、

  • ちふゆ ⇒ 地/冬

と 「ちふゆ」 は単語として登録されていなかった。

 ただし、人名/地名モードにして変換すると、千冬 が変換できる。どうやら、千冬 は人名地名辞書に含まれているようだ。標準辞書に含めるほど、一般的ではないらしい。

 などと考えつつググってみると・・・。

 やっぱり、みんな同じように考えているようだった。coldsweats01

 また、千冬さんという名前も、実名、芸名、ペンネーム、キャラクター名等で、それなりに存在していた

 「だから、なに?」 と言われると、困ってしまうところなのだが、これがもしインターネット以前であれば、こうは簡単に調べられなかっただろう。

 「千冬ってあまり聞かないよね。」 とは漠然と思うだろうが、千冬という名前の人が実在するかを調べるとなれば、図書館へ行ったり、大きな書店に行ったりして、人名関係の本をそれなりの数当たらなければならなかったはずだ。

 たいしたことではないし、何の役にもたたないことだから、手間暇をかけたくない。だけど、一度疑問に感じてしまうと、解決するまで気になって仕方がない。

 この手の疑問と調べモノをすると、毎回のようにインターネットとネットワークシステムの偉大さに驚かされる。

 そういえば、

 1988年~1990年にかけて放送された “たけしのここだけの話” という番組で、エンディング曲に

  「ここは~♪ 月の砂漠~♪」

と歌われる曲が、みょうに記憶に残っていたのだが、曲名も歌手もまったく覚えていなかった。

 なんとか見つけようとしたものの、結局見つけられず、

  久野かおり 『月の砂漠から』

という情報を見つけたのは、10年以上経った2001年に、インターネットの検索サイトによってだった。

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2008/09/29

“やさしい” ことが一番大切だとは思わない

遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」
イエスマンの恐怖

 遙 洋子
  NBonline [2008年9月26日]

 前回に引き続き、遙女史の上のコラムから考えさせられたことを、もう一つ記事にしてみた。『やさしさ』 についてだ。

 遙女史のコラムで、友人がトラブルに巻き込まれた話がある。はっきりとは書かれていないが、おそらく遙女史はその友人に 「あたなにも非がある。」 といったような話をしたのではなかろうか。だから、翌日に遙女史を非難する電話が友人からあったと、私は理解した。

 その友人には、

  • 激怒して泣いてくれる人、自分の主張が正しいという人 = やさしい人
  • 自分の主張に非があると非難する人 = やさしくない人

という構図が出来上がったのだろう。

 当然、信頼できる人たちは、自分に “やさしい人” たちだ。

 よくある質問で、「どんな男性を彼氏にしたいですか?」、「どんな男性と結婚したいですか?」 という質問に、一番多いと思われる答えが 『やさしい人』 だ。

 私が問題にしたいのは、その “やさしい” の意味だ。

 多くの場合に私が感じるのは、

  • 『やさしい』 = 自分の要求を何でも聞いてくれる、間違っていても正しいといってくれる

という意味で “やさしい” と使っているケースだ。

 別に間違っているとは言わないが、私には大きな違和感がある。

 『やさしい人』 の意味も、“自らを犠牲にして、自分に利益をもたらしてくれる人” という意味で使われるケースが多いように思う。

  • 終電に乗り遅れたから電話で呼び出しても、真夜中に文句一つ言わずに車で迎えに来てくれる人
  • 一緒に食事に行くと、どんな高いものを食べても、ニコニコして食事代を払ってくれる人
  • 待ち合わせの場所に何時間待たせても、じっと待っててくれて、文句を言わない人

 そんな人たちを 『やさしい人』 と呼び、自分が相手に要求したことが嫌がられたりすると 『やさしくない人』 と呼ぶ。

 なんでそんなことが気になるかと言えば、私自身が 『やさしくない人』 と言われ続けたからだ。今もカミさんや子供に 『やさしくない』 と時々言われる。

 たしかに、言い方がやさしくなかったな、と反省した時期があって、歳を取ってからは、言い方を工夫するように努力している。

 それでも本質は変わっていないと思う。

 例えば、子供に “やさしい” お父さんと思われたいがために、子供にとって都合のよい父親になるつもりは、毛頭ない。

 子供に泣かれようが、わめかれようが、『夜は早く寝る』、『欲しいからといって何でも買ってもらえるわけではない』、『好き嫌いせずに出されたものは食べる』 といった、子供にとって都合の悪いことでも、私の方が妥協することはない。

 子供にとって都合のいい “やさしい” 親になったあげくに、子供が成長したときに、子供が社会に適応できない、なんて結末を、私は見たくないからだ。

 人にやさしくされたい、甘やかされたい。人から自分の悪いところを指摘されたくない。と思うのは、当たり前だし、別に間違っているとは思っていない。

 だが、やさしさだけを追い求めるあまり、自分にとって厳しいものを排除していくと、結局は自分自身がダメになっていくと思うのだ。

 世の中、自分の思うようなることの方が少ない。だからこそ、自分にとって都合のよい “やさしさ” を求めるようになるのも仕方がないことなのだろう。

 そんなご時勢だからだろうか、 「“やさしい” ことが一番大切」 「やさしくなければいいけない」 的な風潮あるように感じられる。私には、それがひどく居心地が悪く感じるのだ。

 与える側が “やさしい” のはかまわない。

 だが、求める側がひたすら “やさしい” ことを求めるのは、そしてそれを冗長するような風潮が、ストレスの多い社会を生み出しているような気がして、仕方がない。

 “やさしい” という言葉が好きではない私が、逆に心がけているのが “思いやり” だ。

 思いやった結果、やさしく接することもあるだろうし、厳しく接することになることもあるだろう。

 思いやった相手にとって、一番良い結果をもたらすと思うことを、私はするように心がけている。それは、“甘やかす” ことかもしれないし、“怒る” ことかもしれない。少なくとも、私にとっては  “思いやり”≠“やさしさ” なのは確かだ。

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2008/09/28

失敗を考えなければ失敗しないわけではない

遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」
イエスマンの恐怖

 遙 洋子
  NBonline [2008年9月26日]

 遙洋子女史のコラムは、賛同できるときもあるものの、賛同できないときも多い。だが、上記のコラムに対しては、全面的に賛同できる。

 私自身、似たような記事を過去にいくつか書いている。例えば、

などだ。

 自分の記事は一つの企業、一つのチーム内での人事がハッキリしている場合の話だ。一方で、遙女史のコラムはフリーランスの立場や友人としての立場で書かれている。だが、言わんとしている本質がほとんど変わらないところを見ると、『聞きたくない話は、聞かないようにする』 という行動は、やっぱりなんにでも当てはまるということだ。

 私は自分のカミさんに、ことあるごとに

「なんで、毎回、私の意見に反対するの?」
「なんで、そんなにネガティブなの?」

と食って掛かられる。

 だが、ほとんどの場合自分に都合のいいようにしか物事をとらえようとしないカミさんの行動や予定は、私にしてみれば、危なっかしくてしょうがない。リスクマネージメントが無いに等しいからだ。

 だから私は毎回、うまくいかなかったケースを想定して、カミさんがやろうとしていることの危険性を指摘するのだが、それがカミさんには面白くないらしい。

 いつの時代からの精神論なのかは知らないが、日本では古くから 『言霊』 という考えが広く根付いている。つまり、「失敗するかもしれない」 と言ってしまうから、失敗するのだという精神論だ。

 その裏返しで、「成功することだけを考えれば、必ず成功する」 とする精神論を唱えるケースもよく目にする。

 だが、実際にそんなことはありえないわけで、成功する確率を高めたいのであれば、失敗する条件を一つでも多くつぶしていくことが必要になる。

 失敗するケースから目を背けているのであれば、恐怖に直面したときに地面の穴に首を突っ込むダチョウとなんら変わらないではないか。

 イエスマンしか近づけない人は、自分を褒め称えて、自分が正しいという意見を聞いて、根拠のない安心を得たいだけなのだと思う。自分に否定的な意見を聞くと、自分がさらに悪い方向に引っ張られていくような、やはり根拠のない、不安感を持ってしまうのだろう。

 自分の問題点に直面しても、不必要に不安になることもなく、冷静に対処出来るようになるのに必要なのは、

  • (正しく理解した) 知識
  • (失敗から得た) 経験
  • (正確な) 情報

だと、思う。

 「突き詰めれば、その人の “気質”、“性格” だよ。」 と言われてしまえば、「まぁ、そうなんだけどね。」 としか答えようがないのも事実なのが、私にとって虚しいところではある。

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2008/09/26

「実は私も失敗すると思ってました」 などという言葉は聞きたくないものだ

 小泉元首相が、次の衆議院選挙に立候補しないと明言したことが、ニュースになっている。

 小泉元首相が首相時代に行った構造改革は、私もそれなりに評価できると思っている。ただし、中途半端に終わってしまったのが残念で仕方がない。

 小泉構造改革によって、企業経営者など一部の人たちだけが利益を独占できるようになった。また、非効率で不道徳な高級官僚たちは、そのまま放置されている。

 理由はどうであれ、老害化する前に国会議員を辞める決断をしたことは、素直に評価したいと思っている。以前に、自民党の長老達を公認せずに引退に追いやった小泉元首相なだけに、自らがいつまでも国会議員にしがみついていたら、「なんだ、結局、自分だけは特別扱いか」 と思われていただろう。

 それよりも、小泉元首相の引退宣言に呼応するかのように、とたんに小泉構造改革に対して 「失敗だった」 と言い出す自民党議員がいることに、あきれた。そんな風に思っていたのなら、なぜ最初から言わなかったのかと言いたい。

 こんな話を見聞きする度に、私がとあるソフトウェアに対して、それまでとまったく異なるインタフェースを設計して、実装してもらったときのことを思い出す。

 ユーザビリティ テストの結果に基づいて新しいインタフェースを提案して、チーム内を何とか説得して、納得した上でそのインタフェースを実装してもらったと、思っていた。

 結局、一部のユーザーには好評だったものの、既存のインタフェースに慣れた大多数のユーザーには不評だったため、新しいインタフェースは “失敗” ということになってしまった。

 失敗したのは私の責任なので、それについて非難されるのはしょうがない。

 しかし、一つだけ納得できないのは、『私も最初からダメなんじゃないかと思っていたんですよね』 と、失敗と判断されてから急に言い出すチームメンバーがいたことだった。

 「最初から思っていた」 のならなぜミーティングではっきりそう言わなかったのか。もし、「空気を読んで反対しなかった」 というのならば、同意したのと同じなのだから、後になってから 「私は失敗すると思っていた」 的な発言などして欲しくない。

 そういう発言する人間は、少なくとも仕事の上で、私は信用できない。反対ならば、空気など読まずに、最後まで反対して欲しい。その反対意見により、もしかしたら実装前に仕様を修正して、“成功” に持っていけたかもしれないのだから。

 もっとも私の場合は、別なプロジェクトで、最後までコンセプトに納得できずに、チームからおっぽり出されたことがあった。そのプロジェクト の存在意義に納得することが出来ずに、方向性の修正をしつこく要求したにもかかわらず、まったく相手にされなかったので、作業をボイコットしたのだから、当然と言えば当然なのだ。coldsweats01

 それでも、私はその結果にまったく後悔していない。むしろ、納得できぬままにプロジェクトに協力していたとしたら、そちらの方が後悔していただろうと、思っている。

 後々に風の噂に聞いたところでは、私を追い出したプロジェクトが作ったソフトウェアは、目標販売本数が万単位だったにもかかわらず、1000本に届かなかったという。

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2008/09/24

VHSから開放された

 私の実家もカミさんの実家も、ビデオ再生機器はいまだVHSテープなのだ。そのため、ジジババに渡す孫のビデオもVHSテープで渡していた。

 だが、我が家は21世紀に入ってから、テープ媒体を急速に使わなくなった。2001年に東芝のRD-2000を買ってから、テレビ録画はハードディスク。ビデオ撮影も大昔は8mmビデオテープを使っていたが、デジカメがビデオも撮影できるようになってからは、二つのカメラを持ちたくないため、もっぱらデジカメでビデオ撮影もするようになった。

 だから、ビデオ編集はパソコンでやることが普通となり、VHSテープにダビングするときは、パソコン ⇒ DVD-R =[DVDプレーヤー]⇒ VHS という経路になり、手間と時間がハンパじゃなくかかる。

 そのため、しばらくジジババへビデオテープを渡していなかった。

 ところが、さすがに催促が厳しくなったので、渡さないわけには行かなくなった。

 そこで私が取った手段が、『DVD-R と一緒に DVDプレーヤー を贈る』 だった。DVD プレーヤーさえ設置してやれば、VHSテープからの呪縛から開放される。

 まあ、これで VHS に悩まされることはなくなったのだが、実は別な問題が残っていることに気がついた。

 デジカメで取ったビデオを、まだ編集していなかったのだ。調べてみたら、2006年9月以降のビデオがほったらかしになっていた。coldsweats01

 私のビデオ編集環境は、サンヨー Xacti C4 で撮影をして、撮影した MPEG4 ファイルを、Ulead VideoStudio 8 で結合、切り取り、効果を加えて、MPEG に変換する。変換後の MPEG ファイルを ペガシス TMPGEnc DVD Author 2.0 を使って DVD-Video化する、というものだ。

 すべて1~数世代前のハードウェアとソフトウェアなのは、ご愛嬌だ。Xacti C4 は、CG9やCA8 になっている。VideoStudio の最新は 12 だ。TMPGEnc DVD Author も少し前に 3.0 になり、2.0 は型落ちになった。

 それらを使い続けているのは、それらで私の目的に充分にかなっているため、買い換えたり、バージョンアップする必要がないためだ。パソコンの CPU も、今や骨董品とも言える Pentium4 1.7GHz で、システムも Windows Xp だ。下手に最新のソフトウェアを使おうとすると、CPU の方が音を上げてしまう。

 今も、この記事を書きながら、裏では必死に撮影したビデオを再エンコードしている。昨日からずっと DVD-Video化の作業をしているものの、まだ2007年5月だ。最新のビデオ撮影を作業するのは、まだしばらく先になりそうだ。

 とはいえ、VHS にダビングしなくてすむようになったことは、私にとっては大きい。そういえば、VHS の電源はもう1年ぐらい入れてない。

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2008/09/23

こんなものがあったらうれしいな

 最近は、「あったらいいな~」 と思うものが、本当に売ってたりするから驚く。しかも、100円ショップで売ってたりするから、かなり驚く。

 例えば、ピンホールカメラの原理を応用して、視力の弱い人でもレンズなしでモノがはっきり見えるようになるメガネも、100円ショップで買ってきた。私が高校生の頃は、同様のメガネが数千円で雑誌の広告で売られていた。当然買えるはずもなく、使えなくなったメガネのレンズを外して、代わりに穴を開けた厚紙をはめ込んで、使っていたものだ。

 また、コンビニやスーパーでもらうビニール製の手提げ袋が手に食い込まないような専用の器具も、今ではそれ用として売られている。私が若い時は、箱入りの商品を持ち帰るときに付けてくれるコの字型の取っ手をいつも持ち歩いて、それにビニール手提げ袋をぶら下げて家まで持って帰ったものだ。

 で、ここから本題。今 「あったらいいな」 と思っているものが 2つ ある。

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 1つ目は、胸ポケットのフタ だ。それも汎用の。

 私は上着の胸ポケットをよく利用する。メガネがジャマなときにしまったり、ケータイを一時的に収めたりする。

 ところが、靴を履くときなど、前にかがむと、すぐに胸ポケットにしまったものが落ちてしまう。メガネのレンズが外れたときもあったし、ケータイに傷をつけたこともある。

 中には、最初から胸ポケットにフタが出来るタイプの上着もあるが、たいていの胸ポケットは口が開きっぱなしだ。

 アイデアは二つある。

 1つは、胸ポケットの内側にすべりにくい素材を貼り付けることだ。敷物がすべらないように敷物の下に引いたり、車のダッシュボードから物が落ちないようにするために売られている、ポリウレタン製の網みたいなヤツが代表的な素材だ。

 これの問題点は、通常の出し入れもしにくくなる点だ。入れたつもりだったものが、入り口で引っかかっていて、手を離した時に転げ落ちたのでは本末転倒だ。

 2つ目のアイデアは、マジックテープや安全ピンで、どの上着にも付けられるフタを簡単に付けられるようにすることだ。

 これの問題点は、簡単に付け外しが出来る仕組みを考え付かないことと、いざ付けた時に、色やデザインを考えないとみっともない状態になることだ。

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 欲しいものの二つ目は、通常のメガネを耳と鼻に頼らずに固定するモノだ。

 私は目が悪いので、普段からメガネを使っている。だが、長時間つけていると、鼻の付け根や耳の付け根といったメガネを支えている部分が痛くなってくる。

 仕方がないので、今は帽子のツバにメガネの柄を洗濯ばさみで固定して、帽子にメガネを支えさせている。家の中で帽子をかぶってパソコンを使っている図は、かなり変なものだが、見られるのはせいぜい家族なので、今はそれでガマンしている。

 野外用のサングラスには最初から帽子に固定するタイプのものあるが、私が欲しいのは普段使っているメガネを、帽子や何かかぶるものに固定するモノだ。

 細かい作業をするときに使う拡大鏡を頭に固定して使うタイプのものがある。これの汎用タイプが欲しいのだ。

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 誰か製品化してくれないだろか。出来れば安価に。coldsweats01

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2008/09/22

今度の上司はダメ上司、さあどうしよう?

西山昭彦の“企業内プロ”の行動学
上司に期待しすぎるな
“ダメ上司”が誕生するメカニズム

 西山昭彦
  NBonline [2008年9月22日]

 上記の記事に書かれていることは、私もそのとおりだと思うし、似たような上司を何人も見てきた。

企業にとって、最重要事項は「社会に貢献した結果、リターンとして得られる利益」であり、人間性の評価は二の次だ。利益を生み出さなければ、会社は存続できない。そこで、利益をもたらしてくれるならば、性格に多少の難があろうと評価は上がり、出世する。

というくだりも、そのとおりだと思う。特に会社や組織の規模が大きければ大きいほど、上司の人格は考慮されないように感じる。これは、

  • 「大企業では、社員はしょせん一つの歯車」

という感覚と無縁ではないだろう。そして、

その前提に立って、部下は、上司に期待しすぎないことだ。「自分より仕事ができるはず」「人間的にも、自分より上のはず」という考えを、頭から押しやることが肝心だ。期待するから、それが裏切られた時に失望してしまう。期待しなければ、失望しなくて済む。

というくだりは、会社と自分の折り合いを付けていく上では、極めて重要な考え方だと思う。

 「上司に期待しすぎないこと」 という部分は、私がこのブログの最初期に書いた 他人に勝手に期待をしない という持論と同じものだと思った。

 とはいえ、

 理屈と現実の点から “上司の人格” と “会社の利益” を分けて考えた方が理解しやすいけれど、さらに深く突き詰めていくと、この両者は容易に分けて考えられるものではないと思っている。

 会社の利益を生み出しているのは、結局、末端で働いている社員なのだ。その社員のモチベーションを無視して、会社の利益を論じるのはいささか乱暴だろう。

 たしかに、短期的に見れば、人格に大きな問題がある上司であっても、強権によって部下を動かし、大きな利益を上げることは出来るかもしれない。しかし、それでは中長期的に利益を上げられないことは、誰にでも容易に想像がつく。

 会社や組織は、短期的な利益もさることながら、生き物で言うところの生存本能のようなものも持ち合わせている。つまり、いかに長く生きながらえるかを考えて行動するようなところがある。官僚組織によく見られる “組織防衛” というようなものだ。

 とすれば、当然、内部を構成する社員の健全性を問題視するようになる。社員の健全性を著しく阻害する要因があれば、排除する力が働くのは、必然と言えるだろう。

 成果主義をいち早く取り入れた 富士通 が、社員のモチベーションや健全性を維持できないと判断して、いち早く成果主義の大幅修正をせざるを得なくなった、いわゆる 「富士通ショック」 は、よく知られた話だ。(参考資料 その1その2

 結局何が言いたいかと言えば、(ダメ上司に耐えられなくなって会社を辞めた私がいうのもおこがましいが、)

 当事者の視点からは、

  • 「ダメなものはダメ。期待しないで、受け流したり、うまく活用する方法を模索すべし。」

ということであり、 第三者的視点から見れば、

  • 「大多数から見て問題のある上司ならば、いずれ排除される力が働くもの。それまでは 『嵐に巻き込まれた』 とあきらめて、下手に抵抗せず、嵐が通り過ぎるのを待つのが得策。」

ということだ。

 もちろん、自分の力を信じて “独力で大海原に漕ぎ出す”(=転職・独立) という手段もある。

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2008/09/19

アリハウス弐号機の今の様子

 前回、クロオオ女王アリ1号コロニーを新しく作った アリハウス弐号機 に移住させることに成功した、という話をした。今回は、その後のアリハウス弐号機の様子を写した写真を公開。

 これが移住した後、少し落ち着いてから撮影した写真だ。(写真をクリックすると拡大)
  200809181

 14も部屋があるにもかかわらず、ほとんどの働きアリが女王アリと同じ部屋にいることがわかるだろう。この部屋にはサナギや幼虫のすべて入っている。ちなみに、左に古い飼育器をつないでいた。今は行き止まりのパイプがつながっている。右には餌場がつながっている。

 どの部屋も同じように見えるが、実は下に引いている石膏の湿り気がぜんぜん違う。真ん中の白いのはメラミン樹脂でたっぷり水を吸い込ませている。メラミン樹脂に隣接している部屋の石膏には同じようにたっぷりと水をしみこませている。メラミン樹脂から離れるにしたがって、石膏にしみこませた水の量を減らしており、パイプがつながっている部屋の石膏には水をしみこませていない。

 今アリたちが集まっている部屋も含めて角の4部屋の石膏は、多少水を含ませたものの、どちらかと言えば乾燥気味になっているはずだ。にもかかわらず、そこを女王部屋にしたということは、クロオオアリがそれほど湿度を好んでいないということだろうか。

 行き止まりになっていて、なおかつメラミン樹脂に接していて水も潤沢にある上段の真ん中が女王部屋になると、私は予想していたのだが、残念ながら大ハズレだった。

 また、自然界でのクロオオアリは、幼虫を湿気の多い地中深くで育てて、サナギはやや乾燥した地表付近に保管するらしい。クロオオアリではないが、クロヤマアリを捕獲しに行ったときは、たしかに大量のサナギを捕獲することは出来たが、幼虫はほとんど捕獲できなかった。

 しかし、アリハウス弐号機の使い方を見る限り、今のところ、幼虫とサナギで部屋を使い分けることはなさそうだ。

 もう一つ、透明な容器に移したことで気がついたのは、

  • 女王部屋に待機している働きアリたちは、どれもお腹にいっぱい溜め込んでいる

ということだ。女王部屋を拡大した写真が、これだ。(写真をクリックすると拡大)
  200809182

 どの働きアリもお腹の節が延びているのがわかる。

 ざっと数えたところ、働きアリは40匹ほどいるようだ。1年目のコロニーとして、また、アリ飼育初心者の私としては、想定外の増え方だ。

 平らな透明容器に移し替え、部屋的にはまだまだ余裕があるようなので、今後のコロニーの拡大が楽しみである。

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2008/09/18

アリハウス弐号機に移住完了

 少し前に新しいアリの飼育器 “アリハウス弐号機” を作った話をした。今回は、なんとかアリのコロニーをアリハウス弐号機に移すことに成功した話。

 アリハウス弐号機を作ったという記事の中で、「自主的に移り住むようにする」 と言った。

 そこで、まず、古い飼育器とアリハウス弐号機をパイプで接続する。次に、古い飼育器にかぶせてあったカバーを取り去って、古い飼育器内を明るくした。さらに、アリハウス弐号機にカバーをかけて暗くする。アリは、暗い方を好むので、この状態でコロニーごとアリハウス弐号機に移ってくれれば万々歳だった。

 この状態で一晩放置した。

 だが、そうは簡単にいかなかった。やはり、住み慣れた、働きアリにとっては生まれてからずっといる場所であり、自分達のにおいが染み付いている場所からは、明るくなったぐらいでは移動したくないようだ。働きアリの何匹かは、アリハウス弐号機に偵察に入っていったが、全体が移動する様子はまったくなかった。むしろ、不透明な容器で作った古い飼育器の女王部屋に、みんな立てこもってしまった。

 アリたちにストレスをかけるのはあまりやりたくなかったが、移動する気配がない以上仕方がなかった。さらなる圧力が必要だった。そこで、懐中電灯を点けて女王部屋の上に置き、女王部屋が著しく明るくなるようにした。

 さすがにこれには対抗できなかったらしく、女王アリも含めて、すべて女王部屋から退去して、反対側の角に移動していった。そこですかさず、容器のふたを開けて、女王部屋を古い飼育器から取り去った。

 その状態で1~2時間様子を見たのだが、やはり古い飼育器の方が居心地がよいようだ。何度かフタを少しだけ開けて、隙間から息を吹き込んだりしてストレスをアリたちにかけたのだが、アリハウス弐号機に移動してくれない。

 どうもメラミン樹脂で壁を作ったため、角が部屋状になっているため、居心地がよいらしい。ただ、メラミン樹脂には働きアリたちが張り付いているため、古い飼育器から抜き出すことは出来ない。タイミングを見計らって、エイヤーとメラミン樹脂を横に引き倒した。するとメラミン樹脂の上に大きな隙間が出来るため、部屋と言う感じではなくなる。

 そして1~2時間後、三度様子を見てみると・・・、おぉ、コロニーのほとんどがアリハウス弐号機に移動しているではないか。

 まだ古い飼育器に働きアリたちが2~3匹残っていたが、吸虫管で回収すればよいので、そのまま古い飼育器からパイプを抜いて、パイプの先にフタをした。古い飼育器に残った働きアリたちは吸虫管で回収をして、回収容器ごと餌場に戻した。餌場はすでにアリハウス弐号機につながっている。

 これで クロオオ女王アリ1号コロニー の アリハウス弐号機 への移住は、無事に完了した。

 いよいよ移住後のアリハウス弐号機の写真公開、となるわけだが、それは次回で。coldsweats01

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2008/09/16

汚染米事件の報道で思うこと

 2008年9月15日現在、三笠フーズによる汚染米偽装事件の全貌が、いまだに見えない。何しろ、取り締まらなければならないはずの農水省の課長が、三笠フーズから接待を受けていたというニュースが、今日になって明るみになったぐらいだ。この先も、どんな悪事が明らかになるか予想できない。

 なお、今回問題になっている食用にならなくなった米を、公式には “事故米” という呼称になっているようだが、私のブログでは意図的に “汚染米” と呼ぶことにした。この 事故米 という言い方は、高速増殖炉もんじゅがナトリウム漏れ事故を起こした際に、職員が記者会見でさかんに事故のことを 「事象」、「事象」 と言って、問題を矮小化させようとしていたのと、同じような不快感がある。事故米 という言い方が事の本質を隠蔽しようとする意図が見えるのだ。

 そして、この汚染米事件に関してのテレビや新聞社の報道で、私が一番気に入らないのが、“農水省の責任を追及する報道がほとんどない” ことだ。

 一般のニュース報道は言うに及ばず、ワイドショー番組でも農水省に対する責任追及は、コメンテーターが一言言うだけの時間しか使われていない。

 なにしろ、当の農水省の役人達は、テレビインタビューに対して 「自分達に一切責任はない」 と言い切るほどの厚顔無恥な輩だ。こいつらの責任を追及しないで、ジャーナリストを名乗るなと言いたい。

 さすがに自己保身に関しては敏感な高級官僚。農水省に 「まったく責任がない」 としたのでは、世論の反発が大きすぎると判断したのか、第三者を含めた検討委員会を立ち上げて、職員の処分も検討しているようだ。もっとも、“検討” しているだけで、「結局は誰も処分されなかった」 ということは充分にありうる。しかも、テレビや新聞は事後をほとんど報道しない。

 結局、テレビ局も新聞社も “お上” に遠慮をして、お上に都合の悪いことはなるべく庶民には伝えないように努力をするということだ。伝えるときは、なるべく問題を矮小化して伝えるように努力する。

 NHK は元々国営放送であり、与党政府や役人に都合の悪いことは極力報道しないように努力してきた。そして、本来ならば公権力の抑止力として働かなければいけない民間のテレビ局や新聞社も、結局は利権や許認可権の都合で、政府や役人の都合の悪いことは報道しようとしない。

 これでは程度の違いさえあれ、戦前の “大本営発表” とぜんぜん変わっていないということだ。

 しかし、戦前と大きく違うのは、現在は “インターネット” という強力な情報網があるということだ。インターネット以前であれば、個人に依存した情報は、せいぜい 口コミ という形で、極限られた範囲でゆっくりとしか伝わらなかった。それがインターネット以後は、個人が発信した情報が瞬時に検索サイトに登録されて、世界中の人が知ることが出来るようになる。

 そのインターネットの強力さは、インターネットを検閲・制限しているはずのお隣中国で立証済みだ。中国共産党がテレビや新聞でどんなに隠そうとしても、多くの中国国民は、インターネットを通じて知ってしまっている。

 日本でも同じだ。テレビ局や新聞社が積極的に報道しないことでも、インターネット上のマイナー情報サイトや個人サイトで、すぐに公にされる。インターネット上では、大新聞社でも、個人のブログでも情報を伝える能力にほとんど差はない。大昔における、紙媒体の新聞 と 口コミ の差は、インターネット上には無い。

 人々が本当に知りたい情報は、今やマイナー情報サイトや個人ブログ、そして巨大掲示板にあることが、徐々に常識化しつつある。それは相対的に、テレビ局や新聞社の信頼度が低下していることを意味している。

 実際、新聞の発行部数ははっきりと低下しているし、テレビの視聴率もテレビ局の経営が危ういと心配されるぐらいに低迷している。

 こうしたテレビや新聞の低迷を食い止めるには、本当の意味で公権力に対抗する報道が必要なんだと思う。なぜなら、今多くの国民が一番必要としているのが、公権力を是正する力だからだ。

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2008/09/15

「暴走首相」は誰が作ったのか

「無責任辞任」のココロを読む
宰相が「暴走老人」になる時

 AERA [2008年9月12日]

 だいたいにおいて、上記の記事に私は同意できる。

 私の目にも、もう何もかもがいやになって、「だったら他のヤツがやれと」 と言いたくなって、首相を辞任したように見えた。

 首相になるときは、いろんな人に持ち上げられて、「これだけの人が協力してくれるんだから、私の思うようにできるはずだ」 といった皮算用があったかもしれない。しかしそれは、「麻生憎し」 で一時的に集まった勢力に過ぎず、いざ、首相になってみたら、持ち上げた人たちはさっといなくなり、それぞれに好き勝手なことを言い出した。そんなところではなかったろうか。

 こんなことを偉そう言っている私も、過去には、主導的にあったプロジェクトを半ば人に押し付ける感じで、他の部署に移動したこともあったので、福田首相の心境がまったくわからないわけではない。ほめられたことじゃないし、今なら他の手段も取れるように思うが、当時まだ若かった私には、他の選択肢がなかった。

 結果論になってしまうが、やはり福田氏は首相になるべきではなかったように思う。その意味では、首相になった時点で、すでに 「暴走老人」 になっていたような気がする。

 もし本当に “分別ある” 老人であったなら、「私には荷が重い」、「若い世代にやらせた方が良い」 と言えたのではなかろうか。ただでさえ政治が老害でひどく蝕まれているのだから。

 ところで、上記記事の最後の部分だけは、私はまったく同意できない。

精神科医の名越康文さんも、今回の辞任を福田首相個人の資質だけに帰着して納得してしまうのは間違いだと強調する。名越さんが辞任以上に驚いたのは、テレビの街頭インタビューを受けた人々が、評論家然と、異口同音に首相を批判する風景だった。
「自分たちが選んだ首相だという当事者意識が全くない。いま最も受け入れられやすい意見は何かという空気を読んで、バッシングしているだけに見えた」
こうした状況が変わらない限り、「暴走首相」がいずれ再来するのは間違いなさそうだ。

 ちょっと待って欲しい。私達が福田氏を首相に選んだ覚えは無い。福田氏を首相に選んだのは、自民党であり、自民党の長老と呼ばれている老害たちだ。

 国民はみんなそのことを知っている。だから当事者意識が無くて当たり前なのだ。

 だから、「暴走首相」 が再来するとすれば、やはり選挙を経ることなく、政権与党の党内事情だけで首相がすげ替えられる時だ。そういう状況に対してであれば、

こうした状況が変わらない限り、「暴走首相」がいずれ再来するのは間違いなさそうだ。

という意見に、大いに賛同する。

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2008/09/13

私が政治に望むこと

田原総一朗の政財界「ここだけの話」
第75回 民主党が嫌がるのはあの人が首相になったとき

 nikkei BPnet [2008/09/11]

 このコラムの5ページ目に、

やらなければならないのは、「50-80=-30」をマイナスにしないことである。
そのためには、もちろん歳出の80の部分を切ることも大切だが、切るだけでは無理だ。
だから思い切って消費税を上げる。

という部分がある。いつも私が、どうしても納得できない部分だ。

 「なぜ、歳出の削減だけでは無理なのか?」、「なぜ税率を上げなければならないのか?」 その具体的な説明を、私はこれまで見たことも聞いたこともない。

 一方で、役人の無駄遣い、無駄なハコモノ、無駄な道路による “税金の無駄遣い” のニュースが途切れることは無い。たしかに、それらの無駄遣いは、1000万円単位だったり、多くても億の単位だったりするので、国家予算の “10兆単位” から見れば、誤差範囲なのかもしれない。

 しかし、「ちりも積もれば山となる」 という言葉もあるように、小さい無駄の積み重ねが、不必要な借金を作っているという思いは、ぬぐいがたい。

 また、コラムの6ページ目に、

そしてもう一面では、理性で「そうはいっても、歳入は不足している。税金は上がらざるを得ないな」と、誰もが思っている。

とある。もし、これが本当だとすれば、同じように 「歳入が不足しているなら、社会基盤の整備が遅れても仕方がない」 と思う人たちが少なからずいても、少しも不思議じゃないはずだ。

 たしかに、人というものは現状維持を強く望むものだ。より有利な状況は容易に受け入れるが、少しでも不利な状況をかたくなに受け入れない人がほとんどだろう。

 もし歳出を無理やり50兆円に切り詰めたとしたら、日本経済、日本社会がどうなるのか、具体的な状況を私は想像できない。もしかしたら、想像をはるかに超える悪い状況を日本に作り出すかもしれない。

 それでも何割かの日本人は、日本の国家予算が破綻する前に、歳入≒歳出にする大手術を望んでいるのではなかろうか。私のように。

 前にも少し書いたが、小泉改革以降、日本のシステムは、少なくなった日本が生産する富を、特権のある一部の人たちに集中させるようになった。これが格差を拡大し、モラルの低下を招いている、というのが、私の持論だ。

 金持ちがより満足感を得るためには、より多くのお金を必要とする。だが、貧しい人であれば、わずかな金で大きな満足感を得ることが出来る。日本でより多くの人が満足感を得て、モラルを向上させるためには、どちらに日本が生産した富を優先的に廻すべきかは、明らかなように思う。

 その意味で、小池女史や石原氏がいう 「小泉改革の継続」 など、私にはまっぴらゴメンこうむりたい。

 私が望むのは、小泉的ではない 「社会や国民のことを考えない官僚システムの改革もしくは刷新」 だ。

 自らの地位と権限と利益しか考えない高級官僚たちがいなくなれば、不可思議で非効率な税金の使い道もなくなり、国の借金も自然と減っていくと考える私は、やはり世間知らずでしかないのだろうか。

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2008/09/11

アリハウス弐号機

 この春・夏に捕獲した女王アリズは、クロオオ女王アリ1号、クロオオ女王アリ3号、クロヤマ女王アリ4号、トビケ女王アリ5号、と、現在も4匹生存している。

 特に、クロオオ女王アリ1号コロニーが一番活発で、20匹をゆうに超える働きアリがすでに活動しているようだ。

 「しているようだ。」 というのは、飼育に使っている容器=タッパーのフタが半透明のためと、女王アリのための部屋に用意した小さい容器が不透明のため、中の詳細がよくわからないためだ。

 働きアリが少数の時は、全員女王部屋を拠点にしていたようだが、最近は数がかなり増えたため、多くの働きアリが女王部屋の外で待機している。

 そんな状態になっていたため、100円ショップに行く度に、「なにかアリハウスによさそうな容器はないものか?」 と探していた。

 そして先日、やっとよさそうな容器を見つけた。薬を小分けしてしまっておく容器だ。材質は硬質プラスチック。中が3cm×3cmほどに区切られていてフタが透明になっている。

 仕切りの壁にアリが通れる穴を開ければ、あっという間に小部屋がつながったアリハウスが出来ると思った。

 さっそく購入して、家でシコシコ加工した。

 出来上がった アリハウス弐号機 の写真がこれだ。(クリックすると拡大)
  200809111

 中央の部屋に詰め込まれているのは、食器洗いなどでよく使われる メラミンスポンジ だ。フタのメラミンスポンジにあたる部分には、小さく穴を開けて、ここから給水する。各小部屋には薄く石膏をひいた。アリが活動しやすいようにと、湿度を保ちやすくするためだ。

 小部屋のつながりをわかりやすくするために、斜めから撮った写真がこれだ。(クリックすると拡大)
  200809112

 隣り合った小部屋同士を完全につなげているわけではないことがわかるだろう。入り口が一つしかない小部屋をいくつか作って、アリたちが部屋をどのように使うか観察しようと思っている。

 さて、アリハウス弐号機 は作ったものの、最後に大きな問題が残っている。

 どうやって、アリたちを移り住まわせるか、だ。

 まずは、今使っているアリハウスとパイプで連結をして、自主的に移り住むように仕向けるつもりだ。アリは、暗いところを巣と定める習性があるらしいので、現在のアリハウスを明るく、アリハウス弐号機 を箱などで覆って暗くすれば、うまく移り住んでくれるのではないかと期待している。

 自主的には移り住んでくれないようであれば、仕方がないので、冷蔵庫で冷やして冬眠させてから、強制的にアリハウス弐号機に押し込めるしかなくなる。この方法はアリに多大なストレスをかけるし、卵・幼虫・サナギをつぶしたり、取り残したりする危険がある。脱走の危険もある。

 結果については、また、近いうちに報告できると思う。

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2008/09/10

宇宙でキムチ

 7月に筑波学園都市に行った時、筑波宇宙センター でお土産を買った。

 宇宙食だ。

 ロールケーキや、たこ焼き、杏仁豆腐など、何種類か買ったのだが、子供が友達のところに遊びに行く時などに手土産として使ったため、結局 “キムチ” しか残らなかった。

 急いで食べる必要もなかったので放っておいたが、先日、ふと思い出して食べてみた。

 パッケージはこんな感じだ。(画像をクリックすると拡大)
  200809101
これ一つで500円ぐらいしたと思った。

 中には、3cm角、厚さ1cmの塊が、3つほど入っていた。こんなのが3つ。(画像をクリックすると拡大)
  200809102

 触ってみると、かけらがぽろぽろと剥がれ落ちる。いわゆるフリーズドライ食品で、乾燥している状態だ。カップラーメンの具材と変わらない。

 がぶっとかじってみると、さらにぼろぼろと崩れていく。

 口に入れた瞬間から、「あぁ、たしかにキムチだ。」 と思った。食事のときに食べるキムチとなんら変わらない味がした。水気があるかないかの違いだ。

 ところが、この水気のある・なしが大きな違いであることに気がついた。なんというか、この宇宙食キムチを食べていると、キムチ味のスナック菓子を食べている感じなのだ。

 たしかに味はキムチそのものだし、噛んでいると白菜の食感も感じられる。しかし、食卓のキムチを食べている感じがしない。

 私は食べることが出来なかったが、たこ焼きもおそらく同じ感じだったのではなかろうか。つまり、たこ焼き味のスナック菓子を食べているような感じだ。

 話の種にと買ってきた宇宙食だった。そして、実際に食してみると、「ふ~ん、こんなものなんだ」 という、ちょっとガッカリした、結末になってしまった。

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2008/09/08

図書カードとQuoカードが当たった ヽ(´▽`)ノ

 東芝がやっている “Room 1048(Toshiba)” のプレゼントキャンペーンに応募したら、図書カードとQuoカードがセットで当たった。o(*^▽^*)o
高額なものではないが、やはり抽選に当たるのはうれしいものだ。

 Room 1048 内で定期的に公開されるアンケートに答えると、Room 1048 内のポイントが貰える。このたまったポイントを使って、プレゼントに応募するという仕組みだ。

 これまでに10回ぐらいは応募しただろうか。もちろん、ことごとく外れた。今回が初めての当選だ。

 プレゼントは応募しなければ当たらないし、宝くじは買わなければ当たらない。当たり前のことである。

 実は、毎月、薄型テレビやHDDレコーダーを抽選で1名にプレゼントしているネットショップがある。ここ2~3年ずっと応募しているのだが、こちらはいっこうに当たる気配が無い。(^-^;
毎月3000~4000人くらいの応募があるらしいから、まあ、当たらないと覚悟はしている。

 それでも、それ以上に応募があったであろう Wii に当たったこともあるのだから、可能性は0ではない。それこそ、「応募しなければ絶対に当たらない」 のだし、応募も Web のフォームからするだけなので、手間でもなんでもない。

 インターネットとⅰモードが普及する前、10年以上前であったら、プレゼントの応募はハガキとほぼ決まっていた。それ以外は、せいぜい店頭で応募するぐらいが一般的だった。

 今でもハガキや店頭での応募は、よく見かける。前に行った熱気球体験も、いわば店頭での応募みたいなものだ。デジタルデバイドを考えれば、やはりハガキによる応募が一番多くの層に応募してもらえるだろう。私のようにパソコンを日常的に使っている人間や、ケータイでたいていのことを済ませてしまう人間は、日本全体から見れば、まだまだ少数派なのだから。

 私の子供のクラスでも、パソコンを持っていなかったり、パソコンを持っていてもインターネットにつないでいない家庭は、私が想像していた以上に多かった。FAX を持っていても、インターネットのメールアドレスは持っていない、という家庭はまだまだ多いのが現実だ。

 それでも、“応募する側の手間” と “プレゼントを企画する側の手間” を考えれば、Web でのプレゼント応募は、これからの主流と言ってもよいだろう。

 もっとも、お手軽に応募できる分だけ、応募者の数が多くなり、結果として自分が当たる確率が低くなるというのは、残念なところではある。coldsweats01

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2008/09/07

機能をすべて使いこなす必要はありません

 前回の記事で、メールの使い方の習熟という話を書いて、ふと思い出したことがある。

 “パソコンの習熟度” と “ワープロでのレポートの完成までにかかる時間” の相関関係を、ずっと前に自分で想像したことだ。自分がワープロを習熟したときの経験や、ユーザビリティーテストなどからの類推だ。

 なぜこんなことを考えたかと言えば、今から15年ほど前は、

  • 「ワープロを使ってレポートを書くなど時間の無駄遣い」
  • 「手書きでさっさと書き上げた方がはるかに早く書き終わる」

といったことが盛んに言われていた。

 そういったことが言われる理由があるはずだと考えて、自分なりにいろんな状況を想定して類推したのだ。

 なお、なんらかの客観的なデータに基づいたものでは 【ない】 ことを、あらかじめ強調しておきたい。あくまで私の想像であり、思い込みでしかない。

 『A4レポート1ページを完成させるまでにかかる時間』 が 『ワープロの習熟度』 によりどう変化するかを、私が勝手に想像したグラフが、下の図だ。(図をクリックすると拡大)

20080906

 縦軸も横軸も概念的な値であり、絶対値に意味はない。

 初心者から初級者にかけては、システムやワープロ、キーボード、マウスといったモノに徐々に慣れていくために、同じ作業をしているが、かかる時間は徐々に少なくなっていく。ただし、この頃のレポートは、プレーンな文字が並んでいるだけであり、決して読みやすいものにはならない。下手をすると、誤変換や変な位置での改行が放置されていて、意味不明なレポートになりかねない。

 中級者になると、習熟度が進んで基本部分は初級者よりも早く完成する。だが、ワープロやシステムの使い方がわかってくると、次はいろいろな機能を試したくなってくる。やたらと文字修飾や罫線、図といったものを多用したくなり、その結果、必要のない作業まで行い、初心者よりも時間がかかってしまうだろと想像した。この時期のレポートは、一見すると華やかに装飾されているため、立派なレポートに見える。しかし、よくよく見ると、やたらと文字の色が変えられていたり、無意味に下線や囲いがされていて、かえって読みづらくなっている可能性が高い。また、中身よりも修飾に時間がかかっているため、時間の割には内容の無いレポートになる。

 ワープロ・パソコンでのレポートが時間ばっかりかかって非効率、と言われたのは、実はこのあたりの不必要な機能を使い、やたらと修飾しまくる行動が原因なのではないかと、想像した。

 上級者まで習熟が進めば、基本的な内容はあっという間に完成をする。内容の修正もワープロなら簡単に出来るため、手書きよりもはるかに短い時間でまとまった内容が書けるだろう。さらに、読みやすい装飾を考えられるようになるのが上級者の条件だ。シンプルだが、要点や重要項目が一目でわかるように書式が変えられていて、とても読みやすいレポートになっているはずだ。

 上級者の域に達することが出来れば、おそらく 「手書きの方が早い」 といわれることもなくなるだろう。

 とはいえ、ユーザー企業に出向いていって、作業を拝見させていただく機会もあったし、ユーザー企業で使っている文書をサンプルとしてもらったこともあったが、大部分は中級者レベルで止まっているように見受けられた。

 「せっかくあるのに使わないのはもったいない」 という気持ちはわからないでもない。

 しかし、ワープロもパソコンも “手段” でしかない。ワープロやパソコンの機能を最大限に使うという “目的化” が、中級者にとどまらせているように思う。そこを乗り越えて、「必要な機能だけを効率的に使う」 ことに悟りを開けば、上級者に移行できると、私は思っている。

 多くの機能が実装されているのは、無理に使ってもらうためではない。その機能を必要としている人がいるから、実装されているのだ。それは必ずしも、あなたとは限らない。

 すべてを理解できなくても、使いこなせても、自分がやりたいことが出来るのならば、そのソフトウェアはあなたにとって充分に価値のあるモノのはずだ。

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2008/09/05

メールだけでなく、直接会話もね

再考したい「メールの功罪」
メール連絡の禁止令を出した部署、さてどうなった?

 鈴木義幸
  NBonline [2008年9月1日]

 思い起こせば、私が会社で仕事、テスターや仕様の策定、をしていた頃は、必ず話す相手の元に出向いていって直接会話することを心がけていた。どんな感じだったのか興味がある人は、こちらや、こちらを読んでいただきたい。

 上の記事の中で、

「メールのなかった時代には、『これを頼む』の1回で終わってたんですけどね。今はメールで依頼すると、いろいろ質問が来て、それに答えていると、下手したら5往復ぐらいかかる。これで時には1週間が経ってしまう」

というコメントが載っている。

 まあ、これは極端だとしても、顔を突き合わせて話をするのがやはり最も効率がよい。下手をすると、リアルタイムで会話をしているはずの電話でさえも、食い違いや理解するのにやたらと時間がかかったりする。

 こういった記事を読むと、あらためて自分がやってきた仕事のスタイルが、実は仕事を成功させる上で理に適っていたんだと確認することが出来た。実際に働いていたときは、一部の上司たちから 「人の仕事の邪魔をするな」 と叱責されたこともあった。たしかにやりすぎてた部分もあっただろうと反省はしている。

 それでも、連絡がメールだけになり、オフィスに活気がなくなり、仕事の完了までにやたらと時間がかかるようになる仕事の進め方は、やはり理に適っていないと思う。

 メールは、相手の都合をそれほど考える必要がないし、文字として残せる。場合によっては写真などの画像も送れるので、極めて有効なツールだ。しかし、万能ではないということだ。

 スポーツカーがいくら速く走れるといっても、軽自動車がいくら燃費がよくてエコだといっても、引越しのために大量の荷物を運ぶのには使えない。

 人は物理的に目に見えるものは、理解するのがとても早い。ところが、概念だったりシステムだったり、具体的なモノとしてみることが出来ないものは、理解するのに時間がかかるものだ。

 電子メールが一般に普及し始めて十年ちょっと。そろそろメールの最適な使い方を、個人も組織も理解し始まる時期に来ているのではなかろうか。

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2008/09/04

自民党よ、何をやっているのだ

 いったい自民党は何をやっているのだろう。もちろん、福田首相の突然の辞任発表と、その後の次期総裁を決めるためのゴタゴタのことだ。

 1年前、安倍前首相が突然やめた時、世間一般やマスコミの大方の予想は 麻生太郎氏 だった。

 ところが、自民党内で発言力のある人たちが談合をして、今回やはりとつぜん辞任すると発表した福田康夫氏を自民党総裁および首相になることを決めた。

 そして今回、福田氏では自民党政権が支えきれないと見るや、前回引き摺り下ろした麻生氏を首相にするという流れを、またもや自民党内の一部の人たちだけで作ってしまった。

 しかも、麻生氏を担ぎ出す理由が、「麻生氏は国民に人気があって、選挙に勝てそうだから」 だという。いったい、自民党は何をやっているのか。

 福田首相は、実質的に構造改革や公務員改革を中止して、旧来型の官僚主導の政治に戻してしまった。そのために、官僚のわがままやプライド、思い込みによる、とんでも政策が次々と復活をして、日本の社会状況がさらに悪化していった。

 私の好きな小説・アニメ 『銀河英雄伝説』 にこんな台詞がある。

「テロで歴史の流れは変えられない。しかし、テロで歴史の流れを遅らせることは出来る。」

 日本が過去の政治システム、官僚システムを大幅に変えていかなければ、市民レベルの生活が一段と悪化していくのは、誰の目にも明らかだ。

 ところが、その流れを 福田首相と福田首相を担ぎ出した勢力は、それを少なくとも1年は停滞させた。逆行させたことを考えれば、変革を遅らせた時間はもっと長いと見ることも出来る。

 つまり、福田首相とその周辺がやってきたことは、私に言わせれば 「テロ」 と同じだ。

 今回の “立ち行かなくなった旧体制” の引き延ばしが、国民・市民レベルでは 「百害あって一利なし」 ということを、国民すべてが認識してくれること、そして、その国民が旧体制の解体に大きな力が与えることを、私は強く願うばかりである。

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2008/09/02

ゲリラ豪雨、雲、そして・・・

 今年は局地的な集中豪雨が多いらしい。最近では、“ゲリラ豪雨” という用語も定着しつつある。

 昔から “夕立” は普通にあった。暑い日の夕方に短時間、にわか雨が降ることは、子供の頃から記憶にある。

 ところが最近のゲリラ豪雨は、夕立の範疇を超えているように見える。なにしろ、少なからぬ死者が出ているのだ。(下水管工事中に流されて死亡都賀川雑炊死亡事故

 NHK の クローズアップ現代 で、この ゲリラ豪雨 の特集をやっていた。その中で、ゲリラ豪雨の原因の一つが、「都市のヒートアイランド現象と高層ビルによって、イモムシがうねったような形の湿った空気が発生して、積乱雲に湿気を大量に供給することで、ゲリラ豪雨が起こるのではないか」 という仮説があった。

 そんな情報を聞いた後だったので、急に雨が降りそうな天気になったときは、注意して雲を観察するようになった。そして、8月30日の土曜日に撮影したのが、下の写真だ。残念ながら、使ったカメラがそれほど広角にならないため、全体を映すことは出来なかった。

 20080830

 今までそれほど注意をして雲を観察することはなかったが、それでも今回撮影した雲は今まで見た記憶がないほどに異様に思えた。

 低く垂れ込めて、南北に長く続いていた。遠くの先ではすでに雨が降っているようにも見えた。しかし、雲の両脇では日が差しているのが見える。

 実際この直後に大粒のゲリラ豪雨がしばらく降り続いた。

 今年急に出てきたようにも見えるこのゲリラ豪雨が、上空のジェット気流の蛇行による影響なのか、気象の専門家でない私にはわからない。

 ただ、なんの科学的な根拠もないのだが、私にはある気になっていることが一つある。

 関東地区の大地震だ。

 科学的に証明されていないが、“地震雲” といわれる、地震が起こる少し前に、震源地を中心として特有な雲が発生すると唱える人たちがいる。地中に蓄積した巨大なエネルギーが、その地表の大気に影響を及ぼして、雲 という形で具現化する可能性はありうる、と、私も思っている。確証はないが。

 だから、今年の頻発するゲリラ豪雨も、関東での大地震の前触れなのでははないかと、漠然と考えたのだ。

 四川省での大地震 や 茨城県沖で頻発する地震 という一連の現象は、あの 関東大震災 が起こった年の現象と実に良く似ている。

 たしかに、地震が常に同じパターンで起こっているわけではないことは、よく知っている。

 それでも、あまりにも類似している一連の流れに、関東での大地震が十分にありえると、少なくとも私は自分で出来る範囲での地震対策を始めている。

 後は、地震が発生したときに、自分で対処できる状況であることを願うばかりだ。乗り物に乗って橋をわたっているときに大地震に遭遇したのでは、自分だけではどうにも対処のしようがない。もっとも、こればかりは運に任せるしかない。

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2008/09/01

熱気球を体験しました

 週末に、立川にある “昭和記念公園” に行って、熱気球を体験してきた。

 少し前に昭和記念公園に行った時、入り口で熱気球体験の参加申し込みを受け付けていたので、なんとなく応募した。「応募者多数の時は抽選」と書いてあったので、特に期待していなかったのだが、なぜか体験できることになった(笑)。

 また、当日は明け方まで激しい雨が降っていたので、体験会が中止になりはしないかと心配したのだが、連絡してみると、「予定通りにやる」 ということだったので、急いで現地に向かった。

 現地に到着するとどんよりと曇っていたが、風もなく、体験試乗は問題なかった。

 熱気球はロープで車につながれていて、20mぐらい以上にはあがらないようになっていた。カミさんは、はるか上空まで飛ばされるんじゃないかと思ってビビッていたが、ビルの10階以下の高さを見て安心したようだ。

 少し順番を待った後、私の家族の番になった。

 ここでまず、気球特有の面白い手順を知った。狭いところに入るときは、中から出る人を先にして、出た後に中に入る、のが世間一般に見られる手順だ。だが、気球では逆に、まず一人入ってから、一人出る、という手順を踏む。ゴンドラの中の重量が不用意に減ってしまうと浮き上がってしまうためだ。なるほど、実際に体験してみないと気がつかない点だ。

 無事、家族全員ゴンドラに乗り込み、いよいよ浮上の瞬間が来た。

 そして、ここでもテレビなどではわからない、生だからこそ、わかったことがあった。それは、

  1. バーナーの音が想像以上に大きい。バーナーの音でほとんど会話が出来ない。
  2. バーナーの熱が想像以上に熱い。テレビではたしかに熱さは伝わらない。

 そうこうしているうちに、あっという間に熱気球は上昇をして、周囲の木々よりも高くなった。公園の周囲には高い建物がほとんどないので、遠くの方まで良く見えた。

 さらにここでも想定外のことがあった。

  • 地面を見下ろすと想像以上に怖い。

ということだった。

 ゴンドラの側面は、私の腰の高さまでしかないため、ぐっと身を乗り出すと、すぐに落っこちれる状態だった。そして、身を乗り出し見ると、下になんの支えもなく空中に浮いているのが理解できる。

 同じ空を飛ぶにしても、飛行機であれば、周囲がしっかり囲まれているし、足元の真下が見えることはない。だから、飛行機に乗っていても、さほど恐怖感を感じることは、私はない。

 東京タワーなどには、真下が見られるように床の一部が強化ガラスになっているところがある。そこからのぞいても、展望台を支えているいくつもの柱が見えるため、高さは感じるが恐怖感まではいかない。

 ところが熱気球のゴンドラは、木や竹で組まれた簡素のものだ。下に支えがないことも自分の目で確認できる。「もし、ゴンドラの床が抜けたら・・・」 と想像すると、えもいわれぬ恐怖感がこみ上げてくる。

 ゴンドラが着地する際には、意外と大きな衝撃があった。着地する直前に 「ヒザをまげて着地に備えてください」 と言われて、実際、ヒザを曲げていなかったらかなりの衝撃が身体に伝わったと思う。

 熱気球に乗ってから降りるまで、時間にすれば2分ぐらいだったろうか。たったそれだけだったが、私にも子供にも貴重な体験ができたと思った。

 もっとも、あのゴンドラに乗ってはるか上空数百メートルまで上昇しろといわれたら、さすがに私は遠慮したい。

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