« 失敗を考えなければ失敗しないわけではない | トップページ | なんとなく気になったことを簡単に調べられるインターネットはやはり偉大な発明だ »

2008/09/29

“やさしい” ことが一番大切だとは思わない

遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」
イエスマンの恐怖

 遙 洋子
  NBonline [2008年9月26日]

 前回に引き続き、遙女史の上のコラムから考えさせられたことを、もう一つ記事にしてみた。『やさしさ』 についてだ。

 遙女史のコラムで、友人がトラブルに巻き込まれた話がある。はっきりとは書かれていないが、おそらく遙女史はその友人に 「あたなにも非がある。」 といったような話をしたのではなかろうか。だから、翌日に遙女史を非難する電話が友人からあったと、私は理解した。

 その友人には、

  • 激怒して泣いてくれる人、自分の主張が正しいという人 = やさしい人
  • 自分の主張に非があると非難する人 = やさしくない人

という構図が出来上がったのだろう。

 当然、信頼できる人たちは、自分に “やさしい人” たちだ。

 よくある質問で、「どんな男性を彼氏にしたいですか?」、「どんな男性と結婚したいですか?」 という質問に、一番多いと思われる答えが 『やさしい人』 だ。

 私が問題にしたいのは、その “やさしい” の意味だ。

 多くの場合に私が感じるのは、

  • 『やさしい』 = 自分の要求を何でも聞いてくれる、間違っていても正しいといってくれる

という意味で “やさしい” と使っているケースだ。

 別に間違っているとは言わないが、私には大きな違和感がある。

 『やさしい人』 の意味も、“自らを犠牲にして、自分に利益をもたらしてくれる人” という意味で使われるケースが多いように思う。

  • 終電に乗り遅れたから電話で呼び出しても、真夜中に文句一つ言わずに車で迎えに来てくれる人
  • 一緒に食事に行くと、どんな高いものを食べても、ニコニコして食事代を払ってくれる人
  • 待ち合わせの場所に何時間待たせても、じっと待っててくれて、文句を言わない人

 そんな人たちを 『やさしい人』 と呼び、自分が相手に要求したことが嫌がられたりすると 『やさしくない人』 と呼ぶ。

 なんでそんなことが気になるかと言えば、私自身が 『やさしくない人』 と言われ続けたからだ。今もカミさんや子供に 『やさしくない』 と時々言われる。

 たしかに、言い方がやさしくなかったな、と反省した時期があって、歳を取ってからは、言い方を工夫するように努力している。

 それでも本質は変わっていないと思う。

 例えば、子供に “やさしい” お父さんと思われたいがために、子供にとって都合のよい父親になるつもりは、毛頭ない。

 子供に泣かれようが、わめかれようが、『夜は早く寝る』、『欲しいからといって何でも買ってもらえるわけではない』、『好き嫌いせずに出されたものは食べる』 といった、子供にとって都合の悪いことでも、私の方が妥協することはない。

 子供にとって都合のいい “やさしい” 親になったあげくに、子供が成長したときに、子供が社会に適応できない、なんて結末を、私は見たくないからだ。

 人にやさしくされたい、甘やかされたい。人から自分の悪いところを指摘されたくない。と思うのは、当たり前だし、別に間違っているとは思っていない。

 だが、やさしさだけを追い求めるあまり、自分にとって厳しいものを排除していくと、結局は自分自身がダメになっていくと思うのだ。

 世の中、自分の思うようなることの方が少ない。だからこそ、自分にとって都合のよい “やさしさ” を求めるようになるのも仕方がないことなのだろう。

 そんなご時勢だからだろうか、 「“やさしい” ことが一番大切」 「やさしくなければいいけない」 的な風潮あるように感じられる。私には、それがひどく居心地が悪く感じるのだ。

 与える側が “やさしい” のはかまわない。

 だが、求める側がひたすら “やさしい” ことを求めるのは、そしてそれを冗長するような風潮が、ストレスの多い社会を生み出しているような気がして、仕方がない。

 “やさしい” という言葉が好きではない私が、逆に心がけているのが “思いやり” だ。

 思いやった結果、やさしく接することもあるだろうし、厳しく接することになることもあるだろう。

 思いやった相手にとって、一番良い結果をもたらすと思うことを、私はするように心がけている。それは、“甘やかす” ことかもしれないし、“怒る” ことかもしれない。少なくとも、私にとっては  “思いやり”≠“やさしさ” なのは確かだ。

|

« 失敗を考えなければ失敗しないわけではない | トップページ | なんとなく気になったことを簡単に調べられるインターネットはやはり偉大な発明だ »

心と体」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

恋愛」カテゴリの記事

生き方」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです♪
優しさってホントそれぞれですよねぇ~

でも、私は何でも「YES」って言ってくれるのが
優しい人だとは思いません。
「YES」・「NO」
をハッキリ言ってくれる人が
優しい人=自分のために考えてくれる人
だと思います。

私は人から悩み等を相談された際
違うことはハッキリ違うといいます
否定されたことに対して
離れていくような人間は私は必要ありません。
冷たいようですが・・・

でも、今は何でも「YES」って言わないと
優しくないって言われるのでしょうね・・・
心が弱くて、否定されるのがイヤだと思う
人が増えたから・・・

多分、周囲から叱られた事無い人が
沢山居るからじゃないんですかね?

人を叱るのって、結構難しいから
人を叱ることをしない人も増えてるし・・・

なんか取りとめなくなってしまいましたが
私もマストさんの意見に座布団一枚♪

投稿: 悩めるOL | 2008/10/06 01:13

悩めるOLさん、こんにちは。
座布団一枚、ありがとうございます。m(_ _)mペコリ

叱られたことがほとんどない人が多い、という意見には私も同意できますね。以前にもどこかに書きましたけど、マネージャーをやっている友人が 「若い人たちを叱ると、極端に落ち込んで仕事をしなくなるから、叱れない。」みたいなことを言ってました。仕事をさせるには、ひたすら褒めるしかないのだとも愚痴ってました。

逆に私は、親に褒められた記憶がほとんどないですけどね。
おかげで自分自身が人を褒めるのが苦手に…。orz

投稿: マスト | 2008/10/07 08:11

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: “やさしい” ことが一番大切だとは思わない:

» 8/24 「やさしい」? [何もなかった。そんな日もあるよね]
「やさしい」という言葉の意味について考えてみます。 [続きを読む]

受信: 2009/08/24 12:14

« 失敗を考えなければ失敗しないわけではない | トップページ | なんとなく気になったことを簡単に調べられるインターネットはやはり偉大な発明だ »