失敗を考えなければ失敗しないわけではない
遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」
イエスマンの恐怖
遙 洋子
NBonline [2008年9月26日]
遙洋子女史のコラムは、賛同できるときもあるものの、賛同できないときも多い。だが、上記のコラムに対しては、全面的に賛同できる。
私自身、似たような記事を過去にいくつか書いている。例えば、
などだ。
自分の記事は一つの企業、一つのチーム内での人事がハッキリしている場合の話だ。一方で、遙女史のコラムはフリーランスの立場や友人としての立場で書かれている。だが、言わんとしている本質がほとんど変わらないところを見ると、『聞きたくない話は、聞かないようにする』 という行動は、やっぱりなんにでも当てはまるということだ。
私は自分のカミさんに、ことあるごとに
「なんで、毎回、私の意見に反対するの?」
「なんで、そんなにネガティブなの?」
と食って掛かられる。
だが、ほとんどの場合自分に都合のいいようにしか物事をとらえようとしないカミさんの行動や予定は、私にしてみれば、危なっかしくてしょうがない。リスクマネージメントが無いに等しいからだ。
だから私は毎回、うまくいかなかったケースを想定して、カミさんがやろうとしていることの危険性を指摘するのだが、それがカミさんには面白くないらしい。
いつの時代からの精神論なのかは知らないが、日本では古くから 『言霊』 という考えが広く根付いている。つまり、「失敗するかもしれない」 と言ってしまうから、失敗するのだという精神論だ。
その裏返しで、「成功することだけを考えれば、必ず成功する」 とする精神論を唱えるケースもよく目にする。
だが、実際にそんなことはありえないわけで、成功する確率を高めたいのであれば、失敗する条件を一つでも多くつぶしていくことが必要になる。
失敗するケースから目を背けているのであれば、恐怖に直面したときに地面の穴に首を突っ込むダチョウとなんら変わらないではないか。
イエスマンしか近づけない人は、自分を褒め称えて、自分が正しいという意見を聞いて、根拠のない安心を得たいだけなのだと思う。自分に否定的な意見を聞くと、自分がさらに悪い方向に引っ張られていくような、やはり根拠のない、不安感を持ってしまうのだろう。
自分の問題点に直面しても、不必要に不安になることもなく、冷静に対処出来るようになるのに必要なのは、
- (正しく理解した) 知識
- (失敗から得た) 経験
- (正確な) 情報
だと、思う。
「突き詰めれば、その人の “気質”、“性格” だよ。」 と言われてしまえば、「まぁ、そうなんだけどね。」 としか答えようがないのも事実なのが、私にとって虚しいところではある。
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