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2008年10月の25件の記事

2008/10/31

“サンダーバード” を見て、“ドラゴンボール” を憂う

 ずっと以前に録画をしてそのままになっていた映画 “サンダーバード” を見た。

 サンダーバードと言えば、私にとっては子供の頃に見た人形劇が、強く印象に残っている。幼馴染が持っていたおもちゃの “サンダーバード基地” がとてもうらやましかったことは、今でもはっきりと覚えている。

 なので、そんなサンダーバード1号~5号がCGで活躍する映画を期待してみたのだが・・・。興行成績が示すとおりに、思いっきり残念な内容だった。

 最大の原因は、やはり米国映画業界主導で作られたことだろう。

 内容でみると、サンダーバードの本来の醍醐味である災害救助活動がおざなりにされた。そして、オチこぼれ青年の青春ドラマに成り下がった。この劣化ぶりは、サンダーバードに期待していた観客を大いに落胆させたと思う。

 生身の俳優を使ったからといって、無理に肉体戦をやる必要はない。中途半端にお笑いを入れていたのも寒かった。

 米国市場向け映画、特に若い世代向けに作る映画の場合は、青春学園ドラマ風に作らないと受けない、という “思い込み” があるらしい。たしかに過去には、そんな状況もあったようだ。日本で言えば、子供向けロボットアニメで主役ロボットに乗る主人公が、小学生~高校生なのと同じ原理ということだろうか。

 そんな米国映画業界の思い込みで、日本が誇る名作マンガ “ドラゴンボール” も、実写化に伴ない、悲惨な状況にあるという話は、以前にもした。

 何しろ、映画公開が半年以上延期したどころか、予告編の公開すら大幅に延期される始末。

 以前の記事で紹介した記事の中に、

今回の作品が、興行成績重視の場合…、日本のファンにはつらい結果になるかもしれません

という映画関係者のコメントが載っていたが、このような状況では、重視しているはずの興行成績すら危ない。

 興行成績を重視するあまり、オリジナルの持ち味を完全に殺し、製作が延長されて制作費がかさみ、手を加えれば加えるほどオリジナルから遠ざかって、結果として悲惨な興行成績に終わるとすれば、「なにをやってるんだか」 と思わずにはいられない。

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2008/10/30

親業

 いつものように NBonline の記事を読んでいたら、下の記事が目に付いた。

白河桃子の「“キャリモテ”の時代」
【第32回】「自然に出会って結婚」はもう無理?
女性が結婚できない3つの理由(その3)

 白河桃子
  NBonline [2008年10月29日]

 この記事の3ページ目に、たった一言だけ書かれていることが、私の興味を引いたのだ。

フランスは5人子供を生めば「親業」だけで食べていけるが、日本にはそんな制度はない。

 さっそくググってみると、こんな記事が見つかった。

もっと知りたい
フランスの少子化対策
 北海道新聞 [2006年8月12日]

 この記事によれば、

  • 子供が二人の家庭には、月117ユーロ(約1万5千円)の支給
  • 三人目以降は、子供一人につき、月150ユーロ(約2万円)の支給
  • 子供が三人以上の家庭には、交通や宿泊施設の割引
  • 公立ならば高校まで学費無料

といった、親に対する国の経済的支援が山のようにある。

 子供が5人いれば、月に7万5千円以上の支給がされるわけだから、たしかに 『“親業” が認められている』 という表現も、うなづける。

 私の以前からの持論は、

子供を社会に貢献できる大人に育てた度合いに応じて、国が老後の資金提供を行う

というものだ。

 老後に焦点を当てたのは、子育てをしている、まさにその時に経済支援を行うと、子供が “いる” 事を利用してビジネスに結びつける輩が出ると考えたからでもある。

 私の持論とは違うが、国がきちんと子育てを “立派な仕事” として支援しているフランスの姿勢は、国のあり方として正しいと考えずにはいられない。子育てが “ボランティア” や “趣味” の領域に入ってしまったのを放置している日本とは、比較にならない。

 総選挙において与党を有利にするためにしか見えない定率減税(=税金のばら撒き)の実施を、これまた “失敗” との評価が定着している 『地域振興券』 と同じ方法をとろうとしている今の日本の政治屋達には、フランスをはじめヨーロッパ各国が行っているような有効な少子化対策は、望めないだろう。

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2008/10/29

株価、26年ぶりに7000円割れ、と言うけれど

 今回も、知識が乏しいのにあえて株式について、思うところを書いてみた。株式投資といった積極的な資金運用も行っていない者の戯れ言なので、もし、読んでいただけるのであれば、そのあたりを念頭において読んでいただければありがたい。

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 昨日の午前中に見るとはなしにテレビをつけていたら、速報を知らせる音が聞こえた。テレビ画面を見たら、「日経平均が26年ぶりの7000円割れ」 という速報を流していた。

 何の根拠もなかったが、個人的には 「この流れでいけば7000円割れも時間の問題だろうな。」 と思っていたので、別段驚きはしなかった。

 それよりも私には、株価が速報で流されたり、NHK のニュースのトップを飾ったりする方が、異様に感じる。

 株式とは、もともと大きな事業を立ち上げるために、より多くの人から資金を集めるために始まったはず。そして、その事業の成功の度合いに応じて、投資した企業から配当がもらえる仕組みだったはず。

 それがいつの間にか、株価の値上がりを予想しての売り買いが、株取引の主流になってしまった。そして、多くの人々が日々の株価に一喜一憂するようになってしまった。

 私も前から言っていることだが、株価の値上がりによる利益は、賭博による儲けと同じだ。利益を上げた人の分だけ、損失を出した人がいる。そこには、なんの価値も生み出されていない。

 そんな賭博の情報が、緊急速報で流されたり、NHK のニュースのトップだったりするのが、私にはどうしても納得できないのだ。

 「株価が高くなってより多くのお金を企業が集めることが出来れば、その企業はより容易に事業を拡大して価値を創造することができる。」 という説明も、理解できないわけではない。

 しかし、額面とはかけ離れた高額の株価で資金を調達できる、というのは、私には理解しがたいものがある。

 もちろん、価値のある企業の株価に高値がつくのは、いたしかたがないとは思う。問題なのは、企業の価値とは関係なく、相場の雰囲気といったものによる株価の上がり下がりで大もうけが出来る、という点だと思うのだ。

 だから、そういった価値を生み出さずに上げた儲けについては、大きな大きな負担をかけるべきだと、私は思うのだ。

 例えば、

  • キャピタルゲイン(株売買による利益)には、9割の税金をかける
  • キャピタルロス(株売買による損失)で利益を相殺できなくする

といったようなことで、賭博的な株式売買と、それに伴う混乱を抑えるべきだ、と私には思えるのだ。

 株式から得られる利益は、株式投資によって生み出された価値からの配当によるものになるべきなのだ。

 たとえ株価が下落したとしても、株式によって企業に投資された資金が目減りするわけではない。

 「何世紀前の話をしているんだ?」 と言われるのは分かっているつもりだ。私が言っている内容が、ぜんぜん現実に即してないことも。

 ただ、昔にユーザビリティーに携わってきたことで、まずは、「理想的にはどうあるべきなのか」 を現実を無視して考えるようになった。現実を無視した理想を考えることで、現実の不都合をどう改善すれば一番よいのかが見えてくるからだ。

 そして今回の株暴落で私が思ったのが、「株式売買のみで、生活が出来るあるいはそれ以上の収入が得られる仕組みをなくすべきだ。」 ということだ。

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 素人の戯れ言にお付き合いいただき、ありがとう。

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2008/10/28

企業の民主主義化

 久しぶりに目から鱗が1枚落ちて、モヤモヤが一つ晴れた意見を聞いた。

強い会社は社員が偉い
新しい「日本型経営」の時代がやって来る
金融危機の時期にもどってきた「野々村人事部長」

 永禮弘之
  NBonline [2008年10月27日]

 この記事の2ページ目の最後の部分、

18世紀にフランス革命が起きた時に、君主制をとっていた他国の人たちは、「愚かな民衆」に政治を委ね、民衆の意思を最優先する民主主義など、うまくいくはずはないと考え、理解に苦しんだことでしょう。

 これを読んで、私は 「あ~、そうだったのか」 と長いこと晴れなかったモヤモヤを、一つすっきりさせることが出来た。

 「社員は会社の歯車」 とは、昔からよく言われている。しかし、私はそれがどうしても納得できなかった。

 「会社の運営に一般社員の意思が反映されなくてもよいのか」、「一般社員を設備や資産や経費扱いしている経営は間違っていないのか」、「それは単に私が一般社員の立場でしかないからそう思うだけなのか」、などなど、はっきりとした答えを出せないまま、ここ数年ずっとモヤモヤが続いていた。

 しかし、永禮氏が考察したように、歴史に学べば、管理される側が管理する側を選出する成功例が、実に身近にあったのだ。

 もちろん、永禮氏の例えが 「絶対に正しい」 と言うほどの自信が、私にあるわけではない。しかし、同じように人間が組織するモノの話だ。共通点が無いとは思わない。

 世界には、いまだ独裁国家や貴族国家が多く存在しているのと同じように、既存の形態の企業がすべて 『民主主義企業』 に取って代わられるとは思っていない。

 それでも、今後の経済活動の中で中心的な役割を担うのは、『民主主義企業』 になっていくんじゃないかという気が、漠然とではあるが、している。

 永禮氏のコラムでも書かれているように、構成員のモチベーションが高く、労働生産性が高いほど、より強い組織となれる。歴史から学べば、君主制国家よりも民主主義国家の方が、はるかに生産性が高く、強い国になっていった。

 同じように、君主制企業よりも民主主義企業の方が、より強い企業となっていくことが自然な流れのように思う。

 民主主義ですべての人が幸せになれるわけではないことも、知っている。しかし、君主制や独裁制よりもはるかに多くの人が幸せになれることは、歴史が証明している。

 今の日本で、最も多の労働者が従事している “会社” で働いている人たちが、一人でも多く幸せになれるのであれば、それがモラルの向上へとつながり、社会の安定を高めることにもなると、私は思っているし、望んでいる。

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2008/10/27

当たった (^_^;)

 当たったといっても、いいモノが当たったわけではない。

 伊藤ハムが汚染された地下水を使った作ったウィンナーを回収しているが、その対象となるウィンナーに “当たって” しまったのだ。

 「伊藤ハムがウィンナーの回収を始めた」 というニュースを聞いて、「あれ?俺も週末にウィンナーを買ってきたよな?」 と思って、冷蔵庫をのぞいてみると、はたして、伊藤ハムのウィンナーがそこにあった。

 さらに、伊藤ハムのホームページには、回収対象となるウィンナーが具体的に記載されていた。手元のウィンナーの銘柄や賞味期限の印字を見ると、まさしく “ビンゴ” であった。

 ホームページには 「着払いで返送して欲しい」 とあったので、翌朝にはすぐに返送した。

 「あれ?そういえば、前にも回収品を着払いで返送したことがあったな」 と思い、思い出そうとしたが思い出せない。だが、カミさんが覚えていた。コンタクトレンズ洗浄液の回収だった。

 汚染された水を使っていたことを発表して、商品の回収を行ったのは、当然と言えば当然のことだ。この問題によって、伊藤ハムが本当に (中国ではなく) 日本で商品を作っていることが確認できたのが、収穫と言えば収穫か。

 それよりも、あちこちで言われていることだが、今回の件で一番の問題は、問題の公表と商品の回収が1ヶ月も遅れたこと、だろう。

 経営責任者側が、「担当者の対応が遅れた」 と逃げに回っていることも大きな問題だろう。そのような経営者の元だからこそ、担当者が問題をすぐに報告しなかったとも取れる。

 伊藤ハム社内の空気として、「衛生上の問題が発生してはいけない」 というモノがあったのではなかろうか。

山田専務は「工場を稼働してきた約40年の間、同様の異常が報告されたことはなかった」と強調。「現場の担当者は水ではなく検査機械の異常を疑ってしまった。直後にもう一度定期検査が行われるから、その後でよいと判断してしまった」などと説明した。

という経営側の説明から、それがうかがえる。

 実際、今回返送したウィンナーと同じものを、ここ1ヶ月以内でも食べている。おそらく汚染されたものを食べていただろう。そう考えると、この経営者の無責任ぶりが、本当に腹立たしい。

 雪印乳業、白い恋人、不二家、赤福餅、といった企業や商品が、食品汚染の問題を隠そうとして、逆にいかに多くのものを失ったかを、伊藤ハムの経営陣は、理解していなかったということだろう。

 商品回収による実際の金銭的な損失、売り上げ急低下という経営上の損失、食品安全をおざなりにしているというブランドイメージの致命的なダメージ。

 伊藤ハムが支払った代償は、極めて大きいものだ。

 私は今日も買い物に行ってきた。その際に、丸大ハムのウィンナーを買ってきた。おそらく今後、伊藤ハムの商品を買うことはないだろう。実際、雪印製品は買ってないし、不二家のお菓子も買っていない。

 伊藤ハム以外のハム・ウィンナー会社が、類似の問題を隠していないことを、願うばかりである。

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2008/10/25

大河ドラマ “篤姫” とダブって見えたモノ

 NHK の大河ドラマ “篤姫” が、人気らしい。

 おかげで NHK が平均視聴率で民放を超えたとか。その勢いもあってか、“篤姫” が大河ドラマ史上初の、『本放送終了前の再放送』 となった。

 遅ればせながら、私も再放送で “篤姫” を見始めた。

 たしかに、見ていて楽しい。まったくの余談だが、原作者も脚本家も女性ということで、女性的な流れが多くて、そのあたりを私は早送りしてみている coldsweats01 ものの、「恥ずかしくて見ていられない」 ほどではない。

 再放送では、主人公の篤姫が将軍との婚礼が決まり、篤姫が大奥に入ったところまで進んだ。

 大奥に入ってから、篤姫に対して行われる大奥の作法を見て、ふと、あることとダブって見えた。もっとも、ドラマ内の作法が、当時の作法を完全に再現していると思っているわけではない。しかし、時代考証はかなり行っていると思われるので、まったく別なことをしているとも思わない。

 具体的には、

  • 料理は、御台所が一口食べる毎に新しいモノに取り替える
  • 衣装は、日に五回替える

というところが、気になった。それだけならば、これまでにも大奥を紹介するテレビ番組で聞いていた内容だ。それに加えて今回は、篤姫が “横になって二度に分けて行う髪すき” や “髪を結いながらの食事” を変えようとすることに対して、篤姫付きの御年寄が 「古くからの慣わし」 といって、変えるのを拒むのを見て、あることとダブって見えたのだ。

 また、あちこちの大奥や幕末に関する資料を調べると、大奥にかかる経費は、当時の幕府にとっても大きな負担であったらしく、江戸時代に行われた数度の改革でも、大奥の経費削減は重要な要件だったようだ。

  • 「古くからの慣わし」 を理由に慣行を変えたがらない
  • 政治権力に隠然たる影響力を持つ
  • 経費を浪費する

 この三要素を見て、私にはどうしてもダブって見えてしまうものがあった。それは、

現代の官僚

だ。もっとも、私がそう思っただけなので、それが誰にでもピンとくる話だと思っているわけではない。

 徳川幕府初期は、大奥によって後継者の安定供給がはかられて、権力基盤を固めることができたのかもしれない。しかし、やがて大奥が際限なく肥大したために、そのかかる負担が徳川幕府の重石となり、徳川幕府の衰退の一因となったともいえる。

 日本の官僚システムも、戦後や高度経済成長時代ごろまでは、優秀な人材と高いモラルによって、日本経済躍進の立役者だったといえるだろう。しかし現在、官僚たちが行い政策・行政はことごとく裏目裏目となり、モラルは低下して、現在の日本の政治システムの衰退を招いている。

 「歴史は繰り返す」 を信じるとすれば、そのうちに、今の政治・官僚システムがすべて廃止されて、まったく別な新しいシステムが作られる時が来るのかもしれない。

 万が一、そのようなことが起こった時には、大量の犠牲者が出るような大きな混乱とならないことを、願うばかりである。

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2008/10/24

ひさびさにアリのお話

 今年の春~夏にかけて捕まえて生き残った女王アリたちとその僕たちは、今も平穏な生活を送っている。

  • クロオオ女王アリ1号
  • クロオオ女王アリ3号
  • クロヤマ女王アリ4号
  • トビケ女王アリ6号

皆、コロニーと共に元気だ。

 さて、コクゾウムシ(米食い虫) が数匹見つかった。実家から送られてきたお米の中にまぎれていたのだ。

 そこで、捕まえたコクゾウムシ達を、クロヤマアリの餌場に入れてやった。もちろん、アリたちの餌としてだ。

 それから3日経ったが、コクゾウムシは少なくとも2匹は、まだ餌場で活動している。

 観察していると、クロヤマアリがコクゾウムシを見つけると、いちおう攻撃をしている。攻撃をされたコクゾウムシは、手足を縮めて守りを固める。クロヤマアリは、しばらくちょっかいを出しているものの、少しするとコクゾウムシから離れていってしまう。

 どうも、クロヤマアリは本気でコクゾウムシを餌とする気がないように見える。たしかにコクゾウムシはクロヤマアリに比べると小さく、甲殻も硬そうなので餌としてのうまみはないのかもしれない。ただ、縄張りに入っているという認識で攻撃を仕掛けているだけなのかもしれない。

 一方、その翌日は家の中で蛾のような虫が壁にとまっているのを見つけた。これもさっそく捕まえて、この虫はクロオオアリの餌場に放り込んだ。

 この蛾のような虫は、次の日の夕方まで餌場の中を飛び回っていた。だが、夜になってから餌場を見渡してみると、蛾のような虫が見当たらない。

 これはもしかしたら、と思い、巣箱に被せている覆いを取ってみると・・・。やはり、蛾のような虫は、クロオオアリたちに捕まっていた。

 蛾や蝶、蚊 といった腹部のやわらかい虫は、アリたちの人気が高い。

 人気と言えば、最近は、クワガタゼリーがアリたちのお気に入りのようで、クワガタゼリーとメープルシロップをならべて置いておくと、クワガタゼリーの方にばかりアリたちが集まってくる。

 糖分だけでなく、たんぱく質やトレハロースが含まれていることが、アリたちにはやはりわかるのだろうか。

 クワガタゼリーは大量に余っていることから、無駄になるのを知りつつ、ほぼ常時餌場においているせいか、巣箱を覗いてみると、どの働きアリも腹部をこれでもかというくらいパンパン膨らませている。

 季節的には、冬篭りを始める時期なので、そのためかもしれないが、何しろ女王アリを飼い始めてまだ1年経っていない。この後、冬に向かってアリたちがどういう行動をするのか、とても興味深い。

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2008/10/23

子供の可聴周波数域もチェックしてみた

 前回は、可聴周波数域チェッカ で自分の耳がどこまで高域まで聞こえるか、の話をした。

 その後、子供とカミさんの耳もチェックしてみた。すると、

  • 子供(小学生): 17,600Hz
  • カミさん(アラフォー): 13,400Hz

だった。

 子供をチェックするまでは、「実はイヤホンの性能の限界で 14,000Hz以上 が聞こえないんじゃないか?」 と疑っていたが、残念ながら(?) イヤホンからはきちんと14,000Hz以上の音も出ていたようだ。

 また、カミさんは若いときからヘッドホンステレオで、ずっと英会話などの勉強をしていたので、きっと私より耳の劣化が進んでいると予想していたのだが、これも残念ながらcoldsweats01、私と同じように平均的な劣化具合だった。

 子供と比較することで、確かに自分の耳が劣化=老化していることが実感できた。平均的な劣化具合なのだけれど、やっぱり何か残念な気がしている。

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2008/10/22

歳を取ると高音が聞こえなくなると言うけれど

 コンビニの駐車場などで深夜に若者達がたむろするのを防ぐために、若者にしか聞こえな高音を流して、若者を追い払うというニュースを、以前に見聞きしたことがある。

 そんな情報は持っていたものの、それについて特に意識することはなかった。

 ところが、いつものようにあちこちのサイトを回っていたら、こんなサイトが目に留まった。

大人には聴こえない音

 さっそく試してみると、11,000Hz までの音しか聞こえない……。ちょっと
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 だが、少し冷静になって考えてみた。普段は、PCモニターに内蔵されているスピーカーで音を出しているのだが、このスピーカーの音質が極めて悪い。以前のPCモニターにはスピーカーがついていなかったので、外付けのスピーカーを使っていたの。今使っているPCモニターに変えたときの音の劣化を、よく覚えている。

 そこで気を取り直して、イヤホンで試すことにした。イヤホンのような小さいスピーカーは高音を出す方が得意なはずだ。

 イヤホンで試してみたら、12,000Hz まで聞こえた。

 それでも少し気になったので、少し調べてみたら、こんなツールが公開されていた。

可聴周波数域チェッカ

 単に音を連続的に流すだけではなく、簡単な数当てクイズになっていて、正しく聞こえているかの確認が取りやすい

 これで調べてみたところ、13,600Hz までは確実に聞こえていた。13,700Hz になると聞こえたり聞こえなかったりする。周囲の雑音の影響もあろうが、13,000Hz 以上であれば、30代と似たようなものだと考えて、安心することにした。

 今後、定期的にチェックをすることで、自分の耳の老化具合を調べることができそうだ。

 残念なのは、自分が若いときの耳性能をチェックしてないので、本当に自分も子供の時は、もっと高い音が聞こえていたのかが、確認できなかったことだ。

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2008/10/21

生産拠点の中国進出、その果てに

時流超流
生産活動、世界で縮む
日本企業に迫る津波(1)

 星良孝、飯山辰之介
  NBonline [2008年10月20日]

 ほんの10年~数年前まで、

「これからは製造拠点を中国に移さなければ生き残っていけない」

などという話をよく耳にしたが、数年たった今、どうなったか。

 上記記事の最終6ページ目のコラムの話だ。

中国進出の日本企業、撤退できず破綻

曲がり角に差しかかった中国ビジネス。今後は撤退を余儀なくされる日本企業が増えそうだ。だが、いざ撤退しよう思っても、そう簡単に撤退できるわけではない。

 『中国に生産拠点を移転して生き残る』 どころか、『中国に生産拠点を移したために倒産』 ではないか。

 大手企業との取引関係から中国進出したのは、ある意味、災難だったとも言える。それに対して、経済評論家や経営コンサルタントの都合のいい話だけを信じて、自ら進んで中国進出した企業は、自らの読みの甘さを後悔するしかないだろう。

 ずっと以前より、中国は法治国家ではなく、“人治国家” と言われてきた。担当者の都合で法律がいつの間にか変わっていることが、日常茶飯事だとか。

 だから、

企業所得税法改正によって、外資系企業誘致の呼び水だった税制優遇措置が縮小された。
労働者の権利保護を定めた労働契約法の施行もされた。

などということも、企業経営者であれば想定していなければならなかったはずだ。当然、中国から撤退することも想定して、そのシミュレーションも行ってしかるべきだった。

 これは生産の話だが、消費についても似たようなことが言えるのではないかと、私は前々から思っている。

 『中国には10億人の市場が広がっている』 とは、よく聞く話だが、本当に日本の10倍の市場があるのだろうか? 私はずっと疑問に思っている。

 たしかに都市部の所得は大きく上昇している。富裕層も増えているだろう。最富裕層は日本の富裕層以上の資産を持つという話も聞く。

 だが、いまだ中国の多くの地域は極貧にあえいでいる。周辺自治区では、中央政府に対する反発から治安の悪化が伝えられている。そんな地区での所得がすぐに先進国並みになるとは思えない。

 北京オリンピックで地方から集められた労働者が、仕事がなくなり地元にも帰れずに、都市部で浮浪者の状態にあるという記事も、目にしたことがある。そういった貧困層の人たちが都市部で暴動を起こしているという噂もあるとか。

 最悪のケースを考えれば、大多数を占める市民が、一部の特権階級である中国共産党に反旗を翻して内戦、ということにもなる。

 もちろん現実的には、中国共産党がそのような状況にしないために、アメとムチをうまく使い分けて、大規模暴動や内戦などといったことは起こさないとは思う。

 それでも、そんな不安を抱えたまま、中国の大多数の人たちが日本人と同レベルの所得を持つとは、私にはとても考えにくい。

 奇しくも、昨日のニュースで、中国の前四半期の GDP の伸び率が9%と、早くも一桁台に落ちたと言っていた。世界経済の悪化の影響ももちろんあろうが、北京オリンピックで無理に無理を重ねてきた反動が出たもので、ふたたび  GDP の二桁の伸び率に戻ることは難しいのではないかと、私には思えて仕方がない。

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2008/10/20

デリバティブの危険性がほんの少しわかったような気がした

牧野洋の「世界の常識・日本の非常識」
他人の資産に勝手に保険をかけた綻び
「金融版大量破壊兵器」を拡大させた米国

 牧野 洋
  NBonline [2008年10月20日]

 デリバティブ、ヘッジ・ファンド、等などは、私には何が危険で、何が問題なのかが、まったくわかっていなかった。だが、上記の記事のある部分を読んで、その危険性がちょっとだけわかったような気がする。

 2ページ目に紹介されているフォーチュン誌の例えが、それだ。

友人が危険な運転をするドライバーだとしよう。「絶対に事故を起こす」と考え、保険会社を訪ねて友人には無断で勝手に車両保険をかける。「他人の資産に保険をかける」わけだ。その場合、友人が本当に事故を起こせば、保険金をもらえる。

 百歩譲って、保険料を払っているのだから保険金がもらえることが問題ないとしよう。しかし、これはもはや保険ではない。自分がこうむる損害を補償するためのモノを保険と呼ぶと考えれば、友人の事故は自分には直接損害が及ばないのだから、これは保険ではなく “ギャンブル” だ。

 どの馬が1着でゴールするのか、どのサッカーチームが勝つのか、を予想して掛け金を払うギャンブルと同じ形式にしか見えない。

 リスクの高い “ギャンブル” を、安全性が高いもしくは高める “保険” という名前で売り出すことも充分問題だと思うが、下の内容がデリバティブの本当の危険性だと思った。

もっと複雑な展開もありえる。保険会社も「本当に事故を起こしそうだ」と不安になり、保険契約を第三者へ転売する。その第三者が、保険金を払う能力があるのかどうかも外部からではよくわからない、無名のヘッジファンドだとしたら……

 事故が起こったら確実に保険金が支払われるようなうたい文句で保険金を集めておいて、その保険の責任を支払いが出来ない会社に転売されたとしたら、これはもう “詐欺” としか呼べないのではなかろうか。

 もちろん、他人の事故を当て込んで勝手に保険をかけるのもどうかと思うが、そこにつけ込んで支払い義務を他社に丸投げすることが、とてもマトモだとは思えない。

 たしかに、危険が高まったものを第三者に転売することで、その保険会社は “リスク・ヘッジ” 出来たかもしれないが、保険金を支払った人にとってはむしろリスクが高まったことになる。

 この “ゲーム” が、誰も理解できない形で、誰も把握できない形で行われているとしたら、たしかに市場が疑心暗鬼になり、株価が急落するのもなんとなくわかった。

 自分がこういった金のやり取り、駆け引きに興味を持たず、モノを作って価値を生み出すことにのみ興味を持ったことに、今は感謝するばかりだ。

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2008/10/18

サイゼリヤ社長の理念、イイね

teruyastarはかく語りき
サイゼリヤがすげーw
[2008年9月14日]

 ほんとにサイゼリヤがこんなポリシーを持って経営しているのならば、こんな社長の下で働いてみてもいいかなと思えた。

 以前にも何度か書いたが、私は 『根性』 とか 『精神力』 とかが大嫌いだ。また、通常は持てる力の80%で仕事をすることを、ポリシーにしている。

 そんな私だから、

「疲れないで、楽をすればもっともっと大きくなる」

というサイゼリヤ社長の理念が、とても心地よい。

 世間一般には、『楽な仕事などない』 などといわれて、あいかわらず過労死する人が後を絶たない。サイゼリヤ社長の理念は、その逆をいっているわけである。

 実際その理念で、経営が成り立って事業が拡大しているわけだから、誰もその理念が間違っていると否定することが出来ないはずだ。

 ごまかしたり、だましたり、嘘をついたりして、楽をするのは論外だが、誰にも迷惑をかけないで楽をするならば、なんら問題ないはずだ。

 知識も能力もない人が苦労した仕事は褒められて、同じ事を知識や能力がある人が苦もなく仕上げても褒められない。たしかに、「能力の高い人ならさらに高度な仕事をすべき」 という考えもあるだろうが、同じ結果に対して評価が違ってくるのは、私個人としては納得できない。

 抽象的な説明でわかりにくければ、こんな具体例はどうだろう。

 同じ書類を作るのに、慣れた人なら1時間で出来て残業なし。他方、慣れない人が5時間かかって残業4時間。だったとする。同じ作業、同じ成果なのに、一方は残業代なし、他方は残業代4時間分。給与という評価だけを見れば、能力の低い人の方が高く評価されている。

広告・宣伝はしない
理由が面白くて「お客さんがきたら疲れるから」w
冗談で言ってるのかなと思ったけど、
どうも本気みたい。

 その昔、働いていた会社の近くに安くておいしくてボリュームのある弁当屋があった。週に3~4日は、そこの弁当を昼食にしていた。その後、1年半、私は米国にいって仕事をしていた。そして1年半後、日本に戻ってくると、その弁当屋は喫茶店に変わっていた。

 会社の同僚に話を聞いたところ、私が日本にいない間もその弁当屋は繁盛していたそうだ。ところが突然閉店することになったとか。同量が店員に閉店の理由を聞いたところ、「忙しくなりすぎたから」 だったとか。

 それを聞いた時、まだ若かった私は 「そんなバカな」 と思ったものだった。しかし、今はその 「忙しくなりすぎたからやめます」 という気持ちがなんとなくわかる。

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2008/10/17

ハードディスクの温度にも注意

 バックアップ保存用のハードディスクを買いなおした話を、前々回した。

 さっそく、緊急起動用のドライブを作ったり、既存ドライブのバックアップを取ったりして、作業はなんやかやで1日がかりとなった。

 そして、作業中にあることに気がついた。

 ハードディスクの温度が、以前の壊れたハードディスクより、明らかに低いのだ。ちなみに、バックアップ保存用ディスクは、外付けケースに入れて eSATA 経由でパソコンに接続している。外付けケースには、冷却ファンはついていない。

 壊れたハードディスクと新しく買ったハードディスクは、“同じメーカー”、“同じ容量” のものだ。ただし、“世代が2つ違う”、“ディスクの枚数が3枚と2枚” という違いがある。

 壊れたハードディスクを使っていたときは、ハードディスクにアクセスしていると、すぐに温度が40℃を超える。バックアップの保存等で連続アクセスをしていると、簡単に50℃を超える。そのため、接続しているときには、常に小型の扇風機を使って、外付けケースを冷やしていた。それでも、40℃くらいまでしか温度が下がらなかった。

 新しいハードディスクは、断続的にアクセスしてるだけならば40℃を超えることはない。連続アクセスしていると、ようやく40℃を超える。なので、扇風機による冷却は、連続アクセス時のみで充分だった。しかも、扇風機で冷却すると簡単に30℃前半まで温度が下がる。

 露出しているハードディスクの一部を手で触っても、壊れたハードディスクと新しいハードディスクでは、明らかに熱さが違った。なので、内部データの測温箇所の違いという感じでもなかった。

  • 温度が上がりやすかったので、早く故障をしたのか、
  • どこかに不具合があったために、温度が上がりやすかったのか、

は、わからない。

 ただ、

  1. Windows の イベントビューア の エラー
  2. S.M.AR.T. の異常数値

以外にもう一つ、

  1. 使用中の温度上昇

にも注意して、ハードディスクの入れ替え時期を考える必要があることを学習した。

 ハードディスクは、消耗品であることを理解していたつもりだった。だが数年前までは、容量がすぐに足りなくなって、ハードディスクが故障する前に、より大容量なハードディスクに入れ替えていた。そのおかげで、作り直せないデータの消失に会わずに来れただけだった。

 昨年の大惨事に遭遇して、データ損失を免れてきたのは、単に運がよかっただけだと思い知らされた。

 今は、充分にハードディスクの容量が大きくなったため、容量が足りなくなるということがない。そのため一つのハードディスクを長期間にわたって使うようになり、結果としてハードディスクの故障に遭遇する確率が高くなった。

 以前のように定期的にハードディスクを買い換えていた方が、ハードディスクにお金をかけていたような気がしていたが、以前より長期間ハードディスクを使用して、その結果、失うデータが発生することの方が、金銭的にも時間的にも精神的にも、負担が大きいことを思い知らされた。

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2008/10/16

“クラウド”の衝撃の衝撃

NHK クローズアップ現代
10月15日(水)放送
新情報革命“クラウド”の衝撃

 どんな内容をするのだろうと思って、まずは見たのだが・・・。その内容にすごい衝撃を受けた。もちろん悪い意味で。

 「なんでいまさらこんな内容を “衝撃” などといって、解説するんだ?」 というのが、私の素直な感想だ。従業員のデータをサーバーに一元化するなどというのは、10年も前から普通に行われていたことである。

 たしかに、企業が管理しているサーバーに情報を蓄積するのか、サーバーや情報の管理を専門業者に任せるかは、大きな違いかもしれない。しかしそれは、初期投資が大きいか小さいかの違いであって、出来る事・得られる事の違いではない。企業内サーバーであっても、今は普通に外部からインターネット経由でアクセスできるのだから。

 そして、『ソフト』 という言葉の使い方も、とても気になった。

ユーザーはネットを通じて「クラウド」にデータを預けるだけで済むため、ソフトは不要になるともいわれている。

とあるが、ここでの 『ソフト』 は単にパソコンにインストールする 『クライアント・ソフトウェア』 のことを言っている。つまりパソコンにクライアント・ソフトウェアをインストールする必要がなくなるだけで、本当にすべてのソフトウェアが不要になるわけではない。それまでパソコン上で動作していたソフトウェアが、サーバー上で動作することになっただけだ。

 もちろん、パソコン上で動作するのと、サーバー上で動作するのでは、管理や修正、アップデートといった保守に雲泥の差があるので、同一に扱うことは出来ない。だが、コンピュータ上でソフトウェアが動作することでデータを処理する、という基本にはなんら違いはない。

 それをクローズアップ現代では、クラウド・コンピューティングという何か “特別なもの” で、これまでは得られなかったものが得られる、とコンピュータに詳しくない人たちが誤解しかけない報道の仕方をしていたのが、私には “衝撃” だったのだ。

 私としては、下の記事を元にした特集番組を報道してもらいたかった。

「クラウドコンピューティング」がくだらない理由
 Mike Elgan
  japan.internet.com Webビジネス
  [2008年8月22日]

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2008/10/15

ハードディスクを買ってきた

 またしても、ハードディスクが壊れてしまった。昨年、データ保存に使っていたハードディスクが壊れたときに、総取替えしたのに。

 壊れたのは、バックアップを保存していた500GBのハードディスクだ。バックアップしか置いていなかったので、失われたものはなかったのは幸いだった。

 しかし、予備の起動パーティションを準備したりと、それなりに時間をかけて整備した環境があったので、それが失われたのは痛かった。

 最後に使用時間を確認したときは600~700時間ぐらいだった。1000時間いってなかったのは間違いない。どうやら、いわゆる “ハズレ” だったようだ。

 パソコンに接続しても、ヘッドが 『カッコン、カッコン』 鳴り続けて、いっこうにパソコンが認識する様子がなかった。カミさんのパソコンにつないだり、ツールによる接続を試みたりしたが、そもそも、シリアルATAのコントローラーがハードディスクを認識しないのでお手上げだった。

 壊れてしまったものは仕方がないので、新しいハードディスクを買ってきた。まさか、バックアップなしで使い続けるわけにもいかないので。

 それにしても、ハードディスクの低価格化はもう十数年続いているのに、いっこうに止まる気配がない。

 昨年に 13,000円 で買った500GBのハードディスクが、今回は 6,500円 だった。本当に、1年で半分の値段になってた。前回の破損したハードディスクからのデータ救出ではけっこうな出費を強いられたから、このぐらいの支出はしょうがないとはいえ、1年で壊れたのはやはり痛い。

 値段が下がるのは大歓迎だが、耐久性まで下がるのは勘弁して欲しいと、真剣に思った。

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2008/10/14

人種、国籍、年収が違っても考えることは似たようなものということか

 毎回お決まりの言い訳になってしまったが、私は経済方面についてはド素人だ。株取引、為替相場、先物取引、資産運用、等などに興味がないため、基礎的・常識的な知識さえ、説明を求められたら、かなり危うい。

 また一般論の話になってしまうが、人は物理的に見て・触れるモノの理解は容易だが、影も形も臭いも味もしないような概念的なものを理解するには、一種の素養や才能といったものが必要となる。パソコンをうまく使える・使えないの差が出るのも、そのあたりの理由によるものだと、私は思っている。

 そんな私でもこの説明を聞いて、サブプライム問題と日本で大問題となったある事件とがオーバーラップした。

「産業突然死」の時代の人生論
緊急提言 ポールソン案は額不足、手順も誤り

(この記事は、大前研一氏が『The Financial Times』ならびに『The Japan Times』に寄稿した緊急提言(英文)の全文を日本語に訳したものです。)
  大前 研一 (経営コンサルタント)
   SAFETY JAPAN [2008年10月1日]

 この記事の5ページ目、

サブプライムローンをプライムローンに混ぜ込んで「安全な金融商品(CDO)」として売ることに対して、これまでは寛容でありすぎた。おまけに無責任な保険会社がこの手の商品を保証するものだから、いかにも安全そうにみえた――少なくとも、この保険会社が破綻するまでは。さらに格付け機関が乗り出してきて、細切れのローンをこね合わせた代物にトリプルAすなわち最優良の格付けを与えた。こうして折り紙付きとなった「ミンチ商品」が世界中に輸出されたのである。

この部分を読んで、私はすぐに “あの” 事件を思い出した。

 そう、“ミートホープ社によるひき肉偽装” 事件だ。

 ミートホープ社の事件では、

 「豚肉・鶏肉・パンの切れ端を牛肉に混ぜ込んで「牛肉100%商品」として売っていた。」

しかも、知らなかったとはいえ、

 「有名ブランドである加ト吉が製造をして、消費者の安全・安心を第一に考えるとしている Coopが販売していた商品に使われていたものだから、いかにも安全そうにみえた。」

という部分も重なっているように、私には見えてしまう。

 自己の利益のために、多くの人に被害を出し、さらに海外の多くの国に輸出されたという点では、“中国のメラミン入り牛乳” ともダブって見えてしまう。

 そう考えると、米国と行き過ぎた拝金主義として批判されている中国は、扱っていたモノは違っていても、やっていたことはたいして変わらないとも言える。単にそれぞれの国での主要な産業が違う(米国=第三次産業、中国=第一次産業)ために違って見えるだけで、主要産業で起こった問題という観点で見れば、両国でやってることは同じようなものとも言える。

 そして、米国では年収何千万円・何億円も稼いでいる人たちがサブプライムローン問題を引き起こし、中国では年収何万円の人たちが問題を引き起こした。

 人は、本質的に、考えることは同じであり、恵まれた環境か否かということは、たいした問題ではないということの証明のように思える。

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2008/10/13

国は肥大化しすぎた金融システムから距離を置くべき

 今日もまた、暴論をひとつ言おうと思う。

 まず、私は金融や経済学については、ずぶの素人だ。あくまで素人が現在持ち合わせている知識と、漠然と感じていることだけで書こうとしている。そんな人間の言うことなので、事実誤認や常識ハズレな発言の詰め合わせな記事なることは避けられない。よって、読まれる方は、そこのところを踏まえて、寛容な気持ちで読んでいただきたい。

---------------

 米国、ヨーロッパ、そして日本と株価が急落をして大騒ぎになっている。先進主要国の金融担当大臣が集まり、この局面をいかに切り抜けるかを話し合ったほどに、危機的な状況といえる。

 20世紀前半に世界恐慌が起こり、世界中の多くの人々が不安な日々を送ることになった。それは、第二次世界大戦というより大きな混乱と不幸を引き起こしたといってよいだろう。

 その後は世界恐慌の教訓から、大きな混乱を招くこともなく、1987年のブラックマンデーも何とかやり過ごしてきた。

 しかし、21世紀に入った今日、再度、実体経済に影響を及ぼすほどの金融危機が起ころうとしている。

 証券や投資といった金融システムは、ただ持っているだけでは何も生み出さない “お金” というものが、新しい価値を生み出すモノへ貸し出されて、社会の発展に大きく貢献しているのは理解しているつもりだ。それによって私の日常がより豊かになっているのだろうと、なんとなく思っている。

 それでもいったん歯車が狂い始めると、多くの人たちの日常に多大な悪影響を及ぼす現在の金融システムは、何かが間違っているとしか、私には思えない。

 だから私はあえて、「金融システムをすべて白紙に戻して、透明性が高い、本当の意味で社会の発展に役立つお金の流れを作るべき」 だと言いたいのだ。

 もちろんそれが現実的ではないことは、自分自身でも理解しているつもりだ。「車による交通事故が多発しているから車をすべてなくせ」、「インターネットによる情報流出があるから、インターネットを止めろ」 などと主張する人がいれば、私も 「なにを馬鹿なことを」 と思うに決まっているのだ。

 しかし、そう言わしめる何らかの問題があるのも事実で、車であれば、前方の危険を察知するシステムが研究開発されていたり、インターネットであれば、セキュリティーを向上させる実装が日々行われている。

 人は、規制するものがなければ、際限なく自分に都合のいいように物事を解釈する。金融に携わっている人たちが、「自分達は世界経済に欠かせない仕事をしているのだから、大金を手にしても当然だ。問題が起これば、国が助けるのが当然だ。」 と考えるようになるのも、あまりにも国の政策が金融に対してフリーハンドを与えすぎた結果といえる。

 国は、金融システムに重大な問題が発生しても、国全体がその悪影響を受けないように、金融システムから距離を置くべきである、というのが、私の主張だ。

 政府や政府機関が持つ資金も、様々な証券や投資で運用されている。そういった運用をすべて止める。国債の発行も止める。国は、手持ちの現金で、身の丈にあった運営を行うべき、という、私の主張だ。

 それによって、世界の経済発展から取り残されるかもしれないが、今回のような経済危機からも無縁でいられる。丁度、世界恐慌の時のソ連のような立場だ。

 日本国内の企業が、世界の金融市場から資金を調達したり、資金を証券などで運用することも、もちろん厳しく制限する。

 もっとも、そんなことをすれば、企業が海外にどんどん移転していって、日本国内にはろくな企業が残らないのは目に見えているのだが・・・。

 それでも、金融に詳しくない人たちが、自分達の預金や保険、年金といったものがなくなるのではないかと心配しながら生活しなくても済むようになるのは、社会の安定につながると思うのだ。

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 何度も言うようだが、これは私の暴論であり、暴言だ。とても、現実的な意見とは言えない。

 ところで、「現状維持は、衰退と同じである」 といった話を、経済界の関係者からよく聞くが、私には、「はたして本当にそうなのか?」 という疑問がいつもついて回っている。

 今後日本の人口は減少していくと予想されている。人口が減少しながらも経済規模を維持することが出来れば、一人当たりの経済価値は高くなっていくことになる。

 人類が誕生したときから、市場経済も証券市場もあったわけではない。人類にとって、現在の金融システムに変わる “何か” があっても、決しておかしくはない。それがなんなのかは、今の私にわかるはずもない。それでも、何かあるに違いないという根拠のない期待だけは持っている。

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2008/10/11

ノーベル賞受賞報道から思うこと

伊東 乾の「常識の源流探訪」
日本にノーベル賞が来た理由
幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死

 伊東 乾
  NBonline [2008年10月10日]

 賞を取ったことは素晴らしいことだし、それにふさわしい業績を上げたからこその受賞なのだから、受賞に関しては私も何も言うことはない。

 ただ、ここ数日、ノーベル賞を取った人たちが、やたらとテレビ番組で多く取り上げられている。あいかわらずの、マスコミによる横並び報道に、うんざりした思いでそれらを見させられている。

 上記の記事でも書かれていることだが、日本はやたらとノーベル賞を特別視する傾向にあるようだ。以前読んだ別な記事には、「今は、ノーベル賞よりも権威のある賞も、賞金が高額な賞もいくらでもある。」 と書いてあった。

 また、ノーベル賞のおひざもとのノルウェーやスウェーデンでは、テレビ番組などでよくノーベル賞の選考会がおちょくられて、パロディーにされているという話も見聞きしたことがある。ヨーロッパの人たちにとっては、日本人ほどノーベル賞を特別視していないということらしい。

 そして、上記の記事で思い出したもう一つの問題は、

国内問題山積のまま、海外に出て行った人に何か賞なぞが出ると、すぐに「日本が、日本人が」と騒ぐ。

という部分に代表されるような、画期的なことを積極的に評価しようとしない日本社会の体質だ。その体質が、近世以後のものなのか、はるか大昔からのものなのかは、私にはわからない。しかし、私が物心ついた頃には、「出る杭は打たれる」、「前例踏襲」、「異質は排除する」 といった考えが、日本においては常識になっていた。

 私もどちらかというと “異質” の方に分類される。成人してから同窓会で再会した小学生のときの担任の先生に、「お前は人一倍変わってたからな」 と言われ、大学生のときに途中から海外留学に行ってしまった指導教官から手紙で 「変わり者が多い学年の中でも特に変わり者の○○君へ」 と名指しで言われたほどだ。

 そんな私の性格・気質のせいなのだろう、望んで入社した日本有数の大企業では、2年しかいられなかった。周囲は扱いにくそうだったし、私の居心地も悪かった。

 私がそれなりの業績を上げられた(と、少なくとも自分では思っている。)場所は、結局転職後の米国資本の企業だった。特に、米国で現地の人たちと働いている時は、自分が驚くくらいに、自分を高く評価してくれた。

 そんな経験もあってか、『日本を飛び出して欧米で活躍』 というニュースにはぜんぜん違和感を感じない。

 異質なものを排除して、均質な状態で安定したモノ作りを行うことも、重要なことだ。そうやって、明治維新以降と敗戦後に、日本は大きく成長することが出来た。

 しかし最近は、安定というよりむしろ “停滞” とい言葉がぴったり来るような状況のように、私には思える。

 そういう状況においては、異質なもの “異端者” が社会の変革を促して、新たな成長と新たな安定をもたらすことが期待される。幕末の時のように。

 ただ、変革の時期はきわめて短く、異端者たちも、たいていは不遇な最後を遂げていることが、私にとってはあまりうれしくないところでもある。

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2008/10/10

米国では、金持ちが貧乏人を搾取する?

ニュースを斬る
業を破綻に追い込む「利益偏重主義」
『会計物語』の林 總氏と『エネルギー』の黒木 亮氏が緊急対談(後編)

 NBonline [2008年10月10日]

 会計やらキャッシュ・フローやらは、私の苦手な分野の一つなので、上記の記事の具体的な理解は、いまひとつ出来ていない。

 私が非常に気になった部分は、まったく別なところだ。3ページ目の、

黒木 最近の米国の社会を眺めていると、拝金主義が過度に広まっているという印象を強く受けます。何よりもお金を持っているかどうかが尊敬の基準になっていて、高そうなスーツを着て、チップを気前よく払う人間が一目置かれるようなありさまです。
 反対に、いくら仕事で実績を上げても、地味な格好をしていたら、それだけで軽く見られてしまう。私もかつて米国に行った時に、そのことを理解するまでには、だいぶ不愉快な思いをさせられました。

 確かに、いくら頭が良くて、仕事ができる人間でも、米国ではお金を持っていないと認められません。「頭がいいなら、なんで貧乏なんだ?」という感覚なのです。極端に言えば、金持ちは貧乏人を搾取するのが当然といった感じで、ちょっと日本人にはついてゆけない気がします。

の部分だ。

 私が10年以上前に米国で働いていた頃には、まったくこのような感じは受けなかった。

 なので、このような拝金主義は、ワシントンD.C.やニューヨークといった政治・経済の中心部周辺のことだと思いたいのだが、もしかしたらこの10年の間に大きく変わったのかもしれないし、昔からアメリカ人の根底にあったが見えにくいだけだっただけかもしれない。

 いずれにしろ、「金持ちは貧乏人を搾取するのが当然」 という感覚が、一部の人たちであれ大部分の人たちであれ、アメリカ人の感覚だとすると、サブプライム問題や粉飾もどき決算、ハゲタカファンド、企業経営者の常識を超える高額な報酬、等などが、なんとなく理解できそうな気がする。

 そして日本も、小泉元首相が “グローバル・スタンダード”、“構造改革” という名前で、この 「金持ちが貧乏人を搾取」 という部分を、輸入・実践したようにも見える。

 ところで、“権力を持つものが支配されているものから搾取する” という考えは、ヨーロッパでいえば、中世の王侯貴族が社会を支配していた頃の考え方と同じように見える。

 世界の警察を自称し、世界のすべての人の平等と、自由主義経済、を標榜する米国において、政治・経済の中心にいる人たちの思考が、階級社会であった中世の権力者の思考とさほど変わらないというのは、なんとも皮肉な話だなと強く感じた。

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2008/10/09

森永卓郎氏、がんばれ

構造改革をどう生きるか
第154回 今まさに瓦解する市場原理主義

 森永卓郎 (経済アナリスト) [2008年10月6日]

 私がだいぶ前から気がついたこと、思ったこと、私が最近感じていたこと、と、ほとんど同じことを書いてくれている。しかも、わかりやすく、読みやすく。coldsweats01

 NHK が1995年に放送した 『映像の世紀』 という番組を見て、

  1. 19世紀の終わりは比較的安定した平和な時代だったこと、
  2. 20世紀に入って世界情勢が不安定になり、
  3. 2度の世界大戦を経て、
  4. 20世紀半ばにふたたび比較的安定で平和な時代になった

ということを理解した。
(歴史書や歴史の教科書を詳細に読めばわかる話なのだろうが、私にはそこまでの読解力がなかった。)

 そして現在21世紀となり、私はふたたび動乱の時代が来ると半ば確信している。それは、世界大戦という形とは限らない。個人的にもそんなものは起こって欲しくはない。

 そして、世界の覇権が米国から他の国に移ることになるだろう、ということも私は確信している。21世紀後半に世界の覇権をどこの国、どこの地区が握ることになるかまでは、予想し切れてないが。EUを強化したヨーロッパになるのか、オイルマネーを持つ中東になるのか。ただ、無理に無理を重ねている中国が覇権を握れるとは、私は考えることが出来ない。また、残念ながら、今のこの社会システム、官僚システムでは、日本も問題外の外だ。

 金融資本主義についても、1991年の日本のバブル崩壊以後、ずっと私の中では違和感が続いていた。

 要は、自分自身では新しい価値を生み出さず、人が生み出した価値によって得られた財産を、どういう形にしろ横取りするのが今の “行き過ぎた金融資本主義” だ。横取りした人の財産は増えるが、横取りされた人の財産は同じだけ減る。いわゆる 『ゼロ サム ゲーム』 だ。

 新しい価値を生み出すためには、元手、それも多額な元手が必要なこともあるだろう。そのためには、たしかに、金融によって多額の元手を集める方が効率がよいので、「金融がまったくいらない」 とは私も思っていない。

 だが、価値を生み出すモノへ元手を集めることにはまったく関係なく、情報の格差のみを利用して、人から金を巻き上げることが出来てしまうことが、やはり問題なのだと思う。

 森永氏は、テレビ番組などでは異端扱いされて、あまりマトモに取り合ってもらえてないように見える。それでも、森永氏が言っていることは正論であり、人が進むべき道の一つを示していると、私は強く感じている。

 森永氏のような意見を言う人たちが、マトモにマスコミで取り上げられないうちは、マスコミの健全化も、日本がもう一段成長・繁栄することも、ないだろう、と私には思える。

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2008/10/08

インターネット世論が社会を変え始めた

池田信夫の「サイバーリバタリアン」
第37回 「第5権力」としてのウェブ
 池田信夫 (経済学者) [2008年10月7日]

 B-CAS が本当に廃止になるなら、私にとってもうれしいことだ。そしてそれに伴ってダビング10が本当に廃止になるなら、録画機が以前の使い勝手と同じになり、さらにうれしいことだ。

 消費者もバカではない。制限がついてる国産録画機と制限のない外国産録画機があれば、使い勝手のいい外国産に売り上げの多くを取られるのは目に見えている。もっとも、誰にでもわかることをすぐに実行できないのが日本企業の悪いところだ。Netbook が市民権を充分に得てからようやく発売するとか。

 インターネット、Web、ブログ、SNS。池田氏の意見では、それらがマスコミを監視・制限する権力として機能し始めたとある。

 マスコミがマスゴミと呼ばれるようになり、ジャーナリストが自分と自分の組織の利益のみを優先するようになり、挙句の果てに対立すべき権力に擦り寄るようになった。というのが、私の以前からの意見だ。

 だから、インターネットを介した大多数の個人による、マスコミの偏りや嘘を暴いていく状況は、私が期待して望んだ状況でもある。

 たしかに 「企業保護」 が必要な部分もある。今後成長が有望な新規の産業分野 や 少数の大企業が独占している分野の中小企業などだ。また、よく批判される農業保護も、食料自給率を維持するためにも必要である、というのが私の意見だ。

 それでも、今の 「企業保護」 は産業分野の育成による国民生活の向上とは無関係に、役人の天下り先の確保で使われている。そういった 企業保護 は、まっさきになくすべきだ。

 いずれにしろ、インターネットの普及により、状況は変わりつつある。個人が大きな組織のマスコミと対等に張り合える状況が、限られた範囲ではあるが、出てきている。

 ただし、今の状況ではまだインターネット上の個人的発言が、国民の総意を反映しているとは思っていない。

 デジタル・デバイドという言葉に象徴されるように、インターネット上の意見を読んだり、ましてや意見を言える人たちは、まだまだ少数派だ。

 若い世代、ある程度経済的に余裕のある人達、テクノロジーに嫌悪感がない人達、に偏っているといえるだろう。日本の成人人口の半分もいないと思われる。少なくとも私の周りを見ると、私の父母、姉、カミさんの父母、といった世帯には、インターネット環境がない。

 逆に、仮に日本の成人人口のほとんどがインターネット上に自由に意見を書き込めるようになれば、今よりももっと豊かで住み良い社会になるかと考えると、そう単純でもないと思う。

 クッションを置かず、個々人の意見がリアルタイムに近い形でダイレクトに政治に反映されると、一時的な感情によって政治が右往左往することになりかねない。下手をすると、扇動政治家を独裁者にしてしまったり、戦争を始めたりするかもしれない。

 それを回避するためには、やはり有識者の見解や知見が重要になる。ところが、その有識者も最近では、私利私欲に走っているようにしか見えない人たちが大半のように見える。とてもじゃないが日本の将来設計、ロードマップを、そんな人たちに任せる気にならないのが、残念なところだ。

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2008/10/06

栗の皮むきがたいへんだった件

 今年も栗が安く出回る時期がきた。我が家ではここ数年、この時期が来ると “栗の渋皮煮” を作ることにしている。

 私自身は数年前まで 渋皮煮 を知らなかったが、ある年にカミさんが 栗の渋皮煮 を作ってから、毎年作るようになった。

 甘く煮付けた栗は、子供はもちろん好きだ。それよりもカミさんの大好物なのだ。毎日夕食後に一粒ずつ出しては、大事そうに食べている。catface

 栗の皮むきをしたことがある人ならわかるだろうが、栗は皮むきがたいへんなのだ。最初の年こそ、カミさんが皮むきをして渋皮煮を作ったが、2年目からは当然のごとく私の仕事となる。sad

 栗の渋皮煮はけっこうメジャーらしく、検索すれば作り方を紹介したサイトがいくつも見つかるので、詳細なレシピはそちらを参照していただきたい。

 我が家の渋皮煮レシピの概要は、以下のとおりだ。

  1. 栗を冷蔵庫のチルド室に1週間~1月保存する
  2. 栗を水に一晩つけて、鬼皮をやわらかくする
  3. 小型ナイフでやわらかくなった鬼皮をむく
  4. 渋皮状になった栗を重曹を入れたお湯で煮ること3~4回
  5. 渋皮の毛羽をなるべくきれいに取り去る
  6. ひたひたのお湯で煮ながら栗の半分の重さの砂糖を数回に分けて入れる
  7. 最後の砂糖を入れてから2時間ほどとろ火で煮込む
  8. 火を止めてそのまま鍋の中で冷ます

 今回は重曹を惜しみなく使ったせいか、渋皮の余分な部分を丁寧にとったせいか、もともと栗の質がよかったせいか、例年になくおいしい 渋皮煮 が出来た。カミさんも大満足の様子だ。

 また、今年は去年より栗が安い感じがしたので、一袋多めに栗を買っておいた。で、残った栗で “栗ご飯” を作ろうと思い、今度は生の状態で渋皮をむいたら、これが予想以上にたいへんだった。orz

 なんか渋皮が実に必要以上にへばりついていて、なかなか渋皮がはがせないのだ。結局、実の表面ごと渋皮をそぎ落とす形になってしまった。

 おかげで、渋皮をむくのに鬼皮をむくのの3倍も時間がかかってしまった。

 苦労したおかげでもないだろうが、栗ご飯はホクホクに仕上がり、苦労は報われたようだ。

 後で調べたところ、栗を鬼皮ごと圧力鍋で10分ほど煮ると、渋皮まできれいにむけるということを、NHK の ためしてガッテン でやっていたそうだ。orz

 渋皮煮の栗には使えないが、栗ご飯用には来年は圧力釜を使って下処理をすることにしよう。orz

 2日にわたって栗の皮むきをしたおかげで肩がこって上がらなくなってしまった。食べるのはあっという間だが、準備はたいへんだ……。

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2008/10/05

安いイスはやはりだめだな・・・

 2005年に買ったイスが、壊れた。まだ3年も使ってないのに、壊れた。

 イスを買う以前より、背もたれが長くてリクライニングが出来るイスを探していた。そして、2005年12月に業者が出しているクローズド・オークションで1万円で落札した。一番安い人は8000円弱で落札していたので、多少高い買い物だったが、「まぁ、しょうがない。」 と思い購入した。

 だが、自宅に届いてから大きな失敗をしたことに気がついた。

 たしかに、ハイバックだったし、リクライニング機構もついていたが、そのリクライニング方式が曲者だった。

 背もたれと座面が一体になっていて、背もたれを後ろに傾けると、座面も一緒に傾くのだ。私がイメージしていたのは、背もたれだけが後ろに傾くリクライニングだった。

 実際使ってみると、この “背座一体” のリクライニングはあまり使いやすいものではなかった。

 それでも、買ってしまったものは仕方ないので、3年近く使っていた。

 ところが、この背座一体式が、今回の破損の元になった。

 このイスはオフィスチェアによく見られる、1本の軸に座面を乗せている構造だ。そして、今回破損したのは、軸と座面を接合している部分だ。以下は、接合部分の写真だ。(クリックすると拡大)
 200810051

 塗装がはげているように見える部分は、軸が台座にのめりこんだことで、実際に塗装がはげた部分だ。

 この軸は伸縮式で、座面下についているレバーで、座面の高さを自由に変えられるようになっている。具体的には、軸の先端にボタンがついており、そこを押すことで伸縮可能となる。

 破損により軸が座面にめり込んでしまったため、座面の裏面で伸縮用のボタンを常に押した状態になってしまった。(クリックすると拡大)
 200810052

 赤く見えるものが、軸を伸縮させるためのボタンだ。

 座面の軸受け部分が破損したことで、座面が前後左右に大きく傾くようになり、落ち着いて座っていられない。軸が常に伸縮可能状態になったため、座ると座面が一番低い位置まで下がり、立つと一番高い位置まで上がるという、極めて気持ち悪い動きをする。

 これではどうしようもないので、このイスの破棄を決めた。またもや、『安物買いの銭失い』 を実践してしまった。

 今度買うイスはマトモなイスを買おうと思い、近所の家具屋を見て回ったのだが・・・。やはり、私のイメージするようなイスは、高い。多く見かけるのは、6万~8万ぐらいだ。背もたれや座面がメッシュ上の一番安いやつでも3万近くする。orz

 そんな状況で、まだ、新しいイスを買うべきか悩んでいるところだ。今は、ダイニング用の余っているイスを使っている。

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2008/10/03

算数が解けない思考とは

 最近、テレビ番組のバラエティでは、“おバカ” を売りにしているタレントが人気だ。どこかの記事で、「最近のプロデューサーの一番重要な仕事は、おバカキャラのスケジュールを抑えることだ。」 という記述を見たことがあるくらいだ。そのくらい、おバカキャラを出演させるだけで視聴率が稼げるらしい。

 私自身は、おバカを売りにしているタレントは好きではないのだが、ご他聞に洩れず私の子供もおバカキャラが大好きだ。先日も 『ヘキサゴン スペシャル』 なる番組を夢中で見ていた。

 その時は、たまたま子供と一緒になんとなく見ていた。

 すると、「東京タワーとCDケース10万枚を比べると、どちらがどれだけ高いか」 という問題を、おバカキャラたちにやらせていた。

 私は、間違った解答をしたタレントの解答の手順を聞いて、「あっ、算数・数学が苦手な人は、こういう思考をするんだ」 という点に気がついて、ちょっとだけ感動した。ちなみに、その間違ったタレントは “現役女子大生” という肩書きだった。感動と同時に、あらためて日本の将来がちょっぴり心配になったの内緒だ。

 さて、私がどういうことに気がついて、感動したかといえば、

「二つの数値を比較して、桁が一致しなかったから “なんとなく” 片方に0を増やした」

という自らの解説だった。

 数学や科学、事件の推理 には、この “なんとなく” というのは最もやっていけないことだ。

 余談になるが今週のCBSドキュメントでは、殺人の冤罪で17歳のときに刑務所に入れられ17年後に無罪になる話を放送していた。冤罪の原因になったのが、担当していた刑事の “思い込み・決め付け” によるものだったのは、インタビューを見れば明らかだった。「両親が殺されたのに冷静だったから、こいつが犯人に間違いない。」 (余談おわり)

 数学や科学は、事件の推理もそうなのだが、

一見すると奇妙に見えることでも、そこにいたるまでの道筋が論理的で矛盾がなければ、その奇妙に見えることは真実である。

ということが成り立つ。

 『奇妙さが不安になり信じられない』 か 『そこに至るまでの論理を信じる』 かによって、数学や科学とうまく付き合えるか・付き合えないかが決まってくる。

 おバカキャラがそこまで計算して “演じている” とすれば、それはすごいことだと思うのだけれど、中には本当に地で 『とんでも解答』 をするタレントもいるので、私にはとても見られたものではない。

 私にできることといえば、そういった “非論理的思考” の問題点を子供にちゃんと説明をして、子供には論理的思考が身につくように手助けすることだけだ。

 なにしろ、(一般に)子供は 『バカ』 が大好きなのだから。私も子供の頃は、ドリフターズの “8時だよ!全員集合!!” を毎週食い入るように見ていた。

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2008/10/02

家庭用燃料電池がいずれ普及するとは思っているが…

特集 低炭素時代めざす物流革命-3
インフラ整備と電池性能向上で電気自動車が主役になる

 bp special ECOマネジメント [2008年9月25日]

 上記の記事を興味深く読んだ。たとえば、

東京から札幌市の北海道庁までの858.7kmを、(中略) 電気自動車(EV)が走破した。(中略)このときのR1eの燃料費(電気代)は、たったの1713円だった。

1700円といえば、今のガソリン価格からすると 10ℓ ほどだ。10ℓ で走破したと換算すると、86km/ℓ にもなる。この数値にたいした意味があるわけではない。それでも、この数値なら、「車を使ってもいいかな」 と思える数値だ。

 学生の頃、「電気は止めたり流したりが簡単な使い勝手がいいが、単価が高い」 と学んだが、電気自動車だけを見ると、必ずしもそうとはいえなさそうだ。

 単価が高いといわれる電気だが、最近の家庭における利用では、電気の比率がどんどん高くなっているように思う。

 いわゆる、“オール電化住宅” は、火を使わない、排気ガスを出さない、といった安全面から、今後の高齢化社会を考えれば、ますます増えていくだろう。

 そういう状況において、私が学生時代からずっと期待してるのが “家庭用燃料電池” だ。大学の研究室で、燃料電池にかかわる材料の研究をしていたことから燃料電池を知る。

 以後ずっと、「将来はきっと家庭用燃料電池が広く普及するに違いない」 と思ってきたものの、いまだに普及する兆しはない。

 こちらの記事を読んでもらえれば、現在の発電・送電システムが、いかに多くの無駄を出しているかがわかる。

シートン俗物記
直流と交流 エジソンとテスラのリターンマッチ

 送電中の損失、送電線を敷設するために高価な銅を大量に使用、鉄塔を建てるための資材、鉄塔を建てる場所、鉄塔の維持、電柱、地下に送電線を敷設するときはその工事、などなど、実に高いコストがかかる。

 電気の使われ方を見ても、直流で使う機器が実に多い。パソコン関係は、ほぼ直流5Vや12Vだ。テレビも内部では直流に変換されて使われている。家の中でACアダプタで電気をとってる機器のなんと多いことか。

 燃料電池や太陽電池なれば、(電圧の変換は必要になるものの、) 直流をそのまま取り出せる。各家庭に設置をすれば、長大な送電線もいらないので、送電による損失もほとんどない。街中からは電柱や鉄塔が消えてすっきりする。道路工事も送電線の分が減って高じ渋滞も少なくなる。いいことづくめだ。

 もっとも、大人coldsweats01になっていろいろわかってくると、仮に燃料電池そのものの技術的な問題が解決されたとしても、おそらく “政治的な” 問題で家庭用燃料電池の普及が妨害されるのではないかと思っている。

 もちろんそれは、既存の電力会社による妨害だ。テレビ局などと同じく、電力会社も独占企業として安定した収益を上げている。

 もし、燃料電池が各家庭に普及することになれば、これまで巨大な発電施設にかけてきた膨大な投資が無駄になってしまう。工場や商業地区への送電はなくならないだろうから、まったく電力会社がいらなくなることはないだろうが、それでも家庭用の給電がなくなれば、大幅な事業規模の縮小になるだろう。

 もちろんそんなことは電力会社には許容できないだろうから、家庭用燃料電池の普及を妨害してくるだろう。上記の記事にもあったように、現状の太陽電池からの売電を制限することで、太陽電池の普及を妨害している電力会社だ。エコのために戸別発電を推進するようなことをするとも思えない。

 それでもオール電化住宅で、ガス会社がかなりの危機感を抱いているように、より快適なものであれば、家庭用燃料電池もいずれ普及するだろうと、私は楽観視している。それが10年後なのか、50年後なのかはわからないが。

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