« 米国では、金持ちが貧乏人を搾取する? | トップページ | 国は肥大化しすぎた金融システムから距離を置くべき »

2008/10/11

ノーベル賞受賞報道から思うこと

伊東 乾の「常識の源流探訪」
日本にノーベル賞が来た理由
幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死

 伊東 乾
  NBonline [2008年10月10日]

 賞を取ったことは素晴らしいことだし、それにふさわしい業績を上げたからこその受賞なのだから、受賞に関しては私も何も言うことはない。

 ただ、ここ数日、ノーベル賞を取った人たちが、やたらとテレビ番組で多く取り上げられている。あいかわらずの、マスコミによる横並び報道に、うんざりした思いでそれらを見させられている。

 上記の記事でも書かれていることだが、日本はやたらとノーベル賞を特別視する傾向にあるようだ。以前読んだ別な記事には、「今は、ノーベル賞よりも権威のある賞も、賞金が高額な賞もいくらでもある。」 と書いてあった。

 また、ノーベル賞のおひざもとのノルウェーやスウェーデンでは、テレビ番組などでよくノーベル賞の選考会がおちょくられて、パロディーにされているという話も見聞きしたことがある。ヨーロッパの人たちにとっては、日本人ほどノーベル賞を特別視していないということらしい。

 そして、上記の記事で思い出したもう一つの問題は、

国内問題山積のまま、海外に出て行った人に何か賞なぞが出ると、すぐに「日本が、日本人が」と騒ぐ。

という部分に代表されるような、画期的なことを積極的に評価しようとしない日本社会の体質だ。その体質が、近世以後のものなのか、はるか大昔からのものなのかは、私にはわからない。しかし、私が物心ついた頃には、「出る杭は打たれる」、「前例踏襲」、「異質は排除する」 といった考えが、日本においては常識になっていた。

 私もどちらかというと “異質” の方に分類される。成人してから同窓会で再会した小学生のときの担任の先生に、「お前は人一倍変わってたからな」 と言われ、大学生のときに途中から海外留学に行ってしまった指導教官から手紙で 「変わり者が多い学年の中でも特に変わり者の○○君へ」 と名指しで言われたほどだ。

 そんな私の性格・気質のせいなのだろう、望んで入社した日本有数の大企業では、2年しかいられなかった。周囲は扱いにくそうだったし、私の居心地も悪かった。

 私がそれなりの業績を上げられた(と、少なくとも自分では思っている。)場所は、結局転職後の米国資本の企業だった。特に、米国で現地の人たちと働いている時は、自分が驚くくらいに、自分を高く評価してくれた。

 そんな経験もあってか、『日本を飛び出して欧米で活躍』 というニュースにはぜんぜん違和感を感じない。

 異質なものを排除して、均質な状態で安定したモノ作りを行うことも、重要なことだ。そうやって、明治維新以降と敗戦後に、日本は大きく成長することが出来た。

 しかし最近は、安定というよりむしろ “停滞” とい言葉がぴったり来るような状況のように、私には思える。

 そういう状況においては、異質なもの “異端者” が社会の変革を促して、新たな成長と新たな安定をもたらすことが期待される。幕末の時のように。

 ただ、変革の時期はきわめて短く、異端者たちも、たいていは不遇な最後を遂げていることが、私にとってはあまりうれしくないところでもある。

|
|

« 米国では、金持ちが貧乏人を搾取する? | トップページ | 国は肥大化しすぎた金融システムから距離を置くべき »

学問・資格」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/61641/42741963

この記事へのトラックバック一覧です: ノーベル賞受賞報道から思うこと:

« 米国では、金持ちが貧乏人を搾取する? | トップページ | 国は肥大化しすぎた金融システムから距離を置くべき »