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2008/10/29

株価、26年ぶりに7000円割れ、と言うけれど

 今回も、知識が乏しいのにあえて株式について、思うところを書いてみた。株式投資といった積極的な資金運用も行っていない者の戯れ言なので、もし、読んでいただけるのであれば、そのあたりを念頭において読んでいただければありがたい。

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 昨日の午前中に見るとはなしにテレビをつけていたら、速報を知らせる音が聞こえた。テレビ画面を見たら、「日経平均が26年ぶりの7000円割れ」 という速報を流していた。

 何の根拠もなかったが、個人的には 「この流れでいけば7000円割れも時間の問題だろうな。」 と思っていたので、別段驚きはしなかった。

 それよりも私には、株価が速報で流されたり、NHK のニュースのトップを飾ったりする方が、異様に感じる。

 株式とは、もともと大きな事業を立ち上げるために、より多くの人から資金を集めるために始まったはず。そして、その事業の成功の度合いに応じて、投資した企業から配当がもらえる仕組みだったはず。

 それがいつの間にか、株価の値上がりを予想しての売り買いが、株取引の主流になってしまった。そして、多くの人々が日々の株価に一喜一憂するようになってしまった。

 私も前から言っていることだが、株価の値上がりによる利益は、賭博による儲けと同じだ。利益を上げた人の分だけ、損失を出した人がいる。そこには、なんの価値も生み出されていない。

 そんな賭博の情報が、緊急速報で流されたり、NHK のニュースのトップだったりするのが、私にはどうしても納得できないのだ。

 「株価が高くなってより多くのお金を企業が集めることが出来れば、その企業はより容易に事業を拡大して価値を創造することができる。」 という説明も、理解できないわけではない。

 しかし、額面とはかけ離れた高額の株価で資金を調達できる、というのは、私には理解しがたいものがある。

 もちろん、価値のある企業の株価に高値がつくのは、いたしかたがないとは思う。問題なのは、企業の価値とは関係なく、相場の雰囲気といったものによる株価の上がり下がりで大もうけが出来る、という点だと思うのだ。

 だから、そういった価値を生み出さずに上げた儲けについては、大きな大きな負担をかけるべきだと、私は思うのだ。

 例えば、

  • キャピタルゲイン(株売買による利益)には、9割の税金をかける
  • キャピタルロス(株売買による損失)で利益を相殺できなくする

といったようなことで、賭博的な株式売買と、それに伴う混乱を抑えるべきだ、と私には思えるのだ。

 株式から得られる利益は、株式投資によって生み出された価値からの配当によるものになるべきなのだ。

 たとえ株価が下落したとしても、株式によって企業に投資された資金が目減りするわけではない。

 「何世紀前の話をしているんだ?」 と言われるのは分かっているつもりだ。私が言っている内容が、ぜんぜん現実に即してないことも。

 ただ、昔にユーザビリティーに携わってきたことで、まずは、「理想的にはどうあるべきなのか」 を現実を無視して考えるようになった。現実を無視した理想を考えることで、現実の不都合をどう改善すれば一番よいのかが見えてくるからだ。

 そして今回の株暴落で私が思ったのが、「株式売買のみで、生活が出来るあるいはそれ以上の収入が得られる仕組みをなくすべきだ。」 ということだ。

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 素人の戯れ言にお付き合いいただき、ありがとう。

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