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2008/10/08

インターネット世論が社会を変え始めた

池田信夫の「サイバーリバタリアン」
第37回 「第5権力」としてのウェブ
 池田信夫 (経済学者) [2008年10月7日]

 B-CAS が本当に廃止になるなら、私にとってもうれしいことだ。そしてそれに伴ってダビング10が本当に廃止になるなら、録画機が以前の使い勝手と同じになり、さらにうれしいことだ。

 消費者もバカではない。制限がついてる国産録画機と制限のない外国産録画機があれば、使い勝手のいい外国産に売り上げの多くを取られるのは目に見えている。もっとも、誰にでもわかることをすぐに実行できないのが日本企業の悪いところだ。Netbook が市民権を充分に得てからようやく発売するとか。

 インターネット、Web、ブログ、SNS。池田氏の意見では、それらがマスコミを監視・制限する権力として機能し始めたとある。

 マスコミがマスゴミと呼ばれるようになり、ジャーナリストが自分と自分の組織の利益のみを優先するようになり、挙句の果てに対立すべき権力に擦り寄るようになった。というのが、私の以前からの意見だ。

 だから、インターネットを介した大多数の個人による、マスコミの偏りや嘘を暴いていく状況は、私が期待して望んだ状況でもある。

 たしかに 「企業保護」 が必要な部分もある。今後成長が有望な新規の産業分野 や 少数の大企業が独占している分野の中小企業などだ。また、よく批判される農業保護も、食料自給率を維持するためにも必要である、というのが私の意見だ。

 それでも、今の 「企業保護」 は産業分野の育成による国民生活の向上とは無関係に、役人の天下り先の確保で使われている。そういった 企業保護 は、まっさきになくすべきだ。

 いずれにしろ、インターネットの普及により、状況は変わりつつある。個人が大きな組織のマスコミと対等に張り合える状況が、限られた範囲ではあるが、出てきている。

 ただし、今の状況ではまだインターネット上の個人的発言が、国民の総意を反映しているとは思っていない。

 デジタル・デバイドという言葉に象徴されるように、インターネット上の意見を読んだり、ましてや意見を言える人たちは、まだまだ少数派だ。

 若い世代、ある程度経済的に余裕のある人達、テクノロジーに嫌悪感がない人達、に偏っているといえるだろう。日本の成人人口の半分もいないと思われる。少なくとも私の周りを見ると、私の父母、姉、カミさんの父母、といった世帯には、インターネット環境がない。

 逆に、仮に日本の成人人口のほとんどがインターネット上に自由に意見を書き込めるようになれば、今よりももっと豊かで住み良い社会になるかと考えると、そう単純でもないと思う。

 クッションを置かず、個々人の意見がリアルタイムに近い形でダイレクトに政治に反映されると、一時的な感情によって政治が右往左往することになりかねない。下手をすると、扇動政治家を独裁者にしてしまったり、戦争を始めたりするかもしれない。

 それを回避するためには、やはり有識者の見解や知見が重要になる。ところが、その有識者も最近では、私利私欲に走っているようにしか見えない人たちが大半のように見える。とてもじゃないが日本の将来設計、ロードマップを、そんな人たちに任せる気にならないのが、残念なところだ。

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