むやみな成長よりも永続的な持続性を私は選びたい
今の資本主義はもう、やめてくれ
“森の国”の思想が次の経済システムを作る
安田喜憲(国際日本文化研究センター教授)
篠原匡(日経ビジネスオンライン記者)
日経ビジネスオンライン [2009年2月4日]
題材が宗教の話しなので異論のある人も多いだろうが、私にはほとんど賛同できるないようだった。むしろ、私が長いことモヤモヤと感じていたことを、明確な言葉にしてくれたと感じている。
私も宗教を否定するつもりはないし、必要なものだと思っている。ただ、私自身は神や仏や宗教を信じていない。私は現実に自分で見聞きしたものを信じることにしている。そんな私だからこそ、上の記事になおさら賛同できるのかもしれない。
安田 マルサスは「人口論」を出した時にこう言いました。「神の命の通り、一生懸命働いていれば豊かになれるはずだ」と。「貧しい人間は神の命に背いた人間であり、罰を受けているんだ」と。
3ページ目のこの考え方は、私が初めて目にした言葉であり、同時になぜ今の米国的資本主義が大問題だと感じるのかを教えてくれた。
日本にも 『働かざるもの、食うべからず』 という言葉があるが、これには神といった人が介在できないモノは含まれていない。同時に過程に対する結果を表している。
それに対して上記の言葉は、結果に対して人ではどうしようもない神を持ち出して、裕福そのものを無条件に肯定している。これではルールやモラルを無視してでも 「裕福になったものが正しい」 という価値観が生まれたとしても不思議ではない。
この市場原理主義の考え方は、大量の情報を持つ人間、つまりカネをたくさん持つ人間にとってメリットがある。社会のエリートをサポートするには都合のいい理論、支配者にとっては都合のいい理論でしょう。
やはり3ページ目の、この部分などは、まさに私がここ数年ずっと感じてきたことだ。小泉元首相が進めた構造改革も、結局は支配者、為政者にとって都合のいいモノでしかなかった。
4ページ目では、「日本はもともと成長よりも持続させることを大切にしてきた」 ことを説明している。私も日本はふたたび旧来の価値観に戻すべきだと思っている。「成長しなければ意味がない」 という考えの否定だ。
以前どこかの記事で 「京都は同じ商売のやり方を続けて、何百年も続いてきたお店が何軒もある」 という内容を読んだことがあった。時代に合わせて少しずつ変えることはあっても、卸値が少しばかり安いからといって長年商売をしてきた相手を変えることはないという。そうやって数百年続けてこれたのだ。
成長を追い求めたあげく、数十年からせいぜい百年で行き詰った金融資本主義と比べれば、どちらが社会にとって適したシステムなのかは、私にとっては明らかなように思うのだが。
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