24時間マラソンに感じた違和感
少し古い話しになるが、今年の日本テレビの24時間テレビで行われたイモトアヤコさんによる24時間マラソンがあった。
御多分にもれず私の子供もイモトアヤコさんが大好きで、本放送の放送終了までと、後日放送された舞台裏の番組を必死に見ていた。
私は全然興味がなかったのだが、たまたま舞台裏番組を子供と一緒に見た。そして、私はひどく違和感を感じたのだった。
イモトアヤコさんが自分の限界に挑戦したこと、あるいはタレントとして自分を売り込むために挑戦したことは、私にもよく理解できるし、それらについては私もまったく違和感がない。
違和感があるのは、“企画意図”、“運営方法” そして “編集・構成” といった部分に関してだ。
テレビ番組のエンターテイメントとしては、『苦悩』、『苦痛』、『悲壮感』 といったもの、ぶっちゃけて言えば 『不幸』、が絵になり、結果的に 『感動』 につながるため、やたらと 『不幸』 のベクトルを大きくしようとする力が働く。
現に今回の24時間マラソンでも、イモトアヤコさんが膝や股関節の激痛、あるいは睡魔といった不幸をやたらと番組で誇張しているのが、私にはとても不快に感じた。
これは私が会社勤めにおいて、大きなプロジェクトに長くかかわって仕事をしてきたことに関係していると思う。
そもそも、「大きなドラマ」 があるようなプロジェクトは、結果として成功したとしても、プロジェクトとしては半分失敗である。真の意味のプロジェクトの成功は、事前に起こりうるトラブルを予測して、トラブルがあったとしても想定内のこととして、大きなドラマが起こることなく成功裏に終わることだ。
今回の24時間マラソンでいえば、目標は 『イモトアヤコを放送時間内にゴールさせる』 ことがプロジェクトの目標だったはずだ。
ところが、「ゴールさせること」 には成功したものの、「放送時間内」 という目標は達成できなかった。この意味で、24時間マラソンプロジェクトは失敗だったといえなくもない。
リスクを最小限に抑えるためには、「確実に時間内にゴールできる人選をする」、「確実にゴールできる距離を設定する」 など、リソースや仕様に制限を設けることが必要だったはずだ。
もっともそれをしてしまえば、テレビ番組としてはヤマ場もドラマもなくなって、視聴率的には(テレビ局として)うまみがないものになってしまうだろうことは、私も十分承知している。
それでも、途中で休憩時間をなくしたり、鎮痛剤を投与したりして、イモトアヤコさん一人に負担を押し付けたように私には見えてしまい、ずっと以前に私がかかわっていたプロジェクトとダブって見え、それで私には強く違和感を感じたのだった。
私個人の勝手な違和感はさておき、テレビ局としては、イモトアヤコさんが時間内にゴールできなかったことは、むしろ成功だったと思っているかもしれない。その後に放送した選挙速報番組が、他局より断然高い視聴率を稼いだためだ。
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