カテゴリー「おすすめサイト」の17件の記事

2008/09/08

図書カードとQuoカードが当たった ヽ(´▽`)ノ

 東芝がやっている “Room 1048(Toshiba)” のプレゼントキャンペーンに応募したら、図書カードとQuoカードがセットで当たった。o(*^▽^*)o
高額なものではないが、やはり抽選に当たるのはうれしいものだ。

 Room 1048 内で定期的に公開されるアンケートに答えると、Room 1048 内のポイントが貰える。このたまったポイントを使って、プレゼントに応募するという仕組みだ。

 これまでに10回ぐらいは応募しただろうか。もちろん、ことごとく外れた。今回が初めての当選だ。

 プレゼントは応募しなければ当たらないし、宝くじは買わなければ当たらない。当たり前のことである。

 実は、毎月、薄型テレビやHDDレコーダーを抽選で1名にプレゼントしているネットショップがある。ここ2~3年ずっと応募しているのだが、こちらはいっこうに当たる気配が無い。(^-^;
毎月3000~4000人くらいの応募があるらしいから、まあ、当たらないと覚悟はしている。

 それでも、それ以上に応募があったであろう Wii に当たったこともあるのだから、可能性は0ではない。それこそ、「応募しなければ絶対に当たらない」 のだし、応募も Web のフォームからするだけなので、手間でもなんでもない。

 インターネットとⅰモードが普及する前、10年以上前であったら、プレゼントの応募はハガキとほぼ決まっていた。それ以外は、せいぜい店頭で応募するぐらいが一般的だった。

 今でもハガキや店頭での応募は、よく見かける。前に行った熱気球体験も、いわば店頭での応募みたいなものだ。デジタルデバイドを考えれば、やはりハガキによる応募が一番多くの層に応募してもらえるだろう。私のようにパソコンを日常的に使っている人間や、ケータイでたいていのことを済ませてしまう人間は、日本全体から見れば、まだまだ少数派なのだから。

 私の子供のクラスでも、パソコンを持っていなかったり、パソコンを持っていてもインターネットにつないでいない家庭は、私が想像していた以上に多かった。FAX を持っていても、インターネットのメールアドレスは持っていない、という家庭はまだまだ多いのが現実だ。

 それでも、“応募する側の手間” と “プレゼントを企画する側の手間” を考えれば、Web でのプレゼント応募は、これからの主流と言ってもよいだろう。

 もっとも、お手軽に応募できる分だけ、応募者の数が多くなり、結果として自分が当たる確率が低くなるというのは、残念なところではある。

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2008/05/20

マウス ポインタの動きに不満がある人へ

 こういうことをきちんとまとめてくれる人は、本当に貴重だ。なんのことかと言えば、マウス動作のカスタマイズの話だ。

 以前に、マイクロソフトのマウスから、ロジクールのマウスに換えた話をした。

 新しいマウス自体は、とてもよい作りで使いやすいのだが、いかんせん、ハード、ドライバー、そしてユーティリティが、ことごとくこれまでと違うために、自分がしっくりするマウスの動きをなかなか見つけることが出来ないでいた。

 以前の記事でも話をしたが、私の心地よいマウス設定の基準は、マインスイーパだ。Windows に標準でついているゲームのマインスイーパを、スムースに遊べると、そのときのマウスの設定は、私にとってストレスがない。

 ところが、ロジクールのマウスに換えてから、マインスイーパでよく隣のボタンを押してミスしてしまう。つまり、自分の感覚と実際のマウスの動きが一致しないのだ。

 もちろん、散々ロジクールのマウス ユーティリティで調整を試みたのだが、なかなか思うような設定が得られなかった。

 そんなある日、こんなページを見つけた。

Windows XP でマウス ポインタの加速を調節する方法

 このページで最も重要なのは、インターネット上で語られているマウス ポインタの加速設定の話の99%が間違っている、ということである。

 具体的には、

ちなみに、Windows XP でのマウス ポインタ高速化の方法として、レジストリの“MouseSpeed”、“MouseThreshold1”、“MouseThreshold2”を編集すればよいとする Tips が雑誌やネット上に見受けられるが、これは誤り。“MouseThreshold1” “MouseThreshold2”は Windows 2000 以前の階段状の加速を制御する閾値であり、Windows XP には効果がない。Windows XP で加速制御に使用されているのは“MouseSensitivity”(スライダの位置)、“MouseSpeed”(加速の有無)と“SmoothMouseXCurve” “SmoothMouseYCurve”(加速曲線の形状)の4つ。

の部分だ。

 確かに、“MouseSpeed” 等で検索をかけたときに見つかるマウス設定の話の99%以上は、Windows 2000 以前のレジストリ設定が Windows Xp でもそのまま通用するかのように書いてある。

 いかに多くに人が、過去の知識だけ、もしくは他人からの受け売りだけで、自分で確認せずにモノを書いているか、ということがよくわかる。

 さて、レジストリに関する正確な知識がわかったところで、今度は、それを正確に記述できなければならない。

 上記のページの最後で

これをグラフィカルに編集できるプログラムも将来登場するだろう。

と書かれている。そして、その予言どおりにツールが存在する。

マウスポインタの加速調整ツール for XP

 レジストリ エディタでは、お世辞にも記述しやすいとはいえない “SmoothMouseXCurve” と “SmoothMouseYCurve” を、私はこのツールを使って設定した。

 今のところ、“速度” はちょうど中間。“加速” は “遅く” が一番私の感覚に合うようだ。

 このツールで設定しても、一度、ログオフ→ログオンしないと、設定が反映されないのが欠点ではあるが、マウスの設定だけに専念すれば、再起動ではないログオフだけなら、たいしたことではない。

 マウス ポインタの動きに不満がある人は、一度試してみてはいかがだろうか。

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2008/03/07

P&Gでちょっぴり働いてみたくなった

 私はこれまでに二度ほど会社を辞めている。辞めるに至った理由は、単純なものではなく、いろいろな不満や不安の積み重ねだった。

 それでも、最後の最後に辞める決め手となった理由は、二度とも上司との対立だった。

 一度目の時は、とにかくネガティブな上司の下に配属されてまもなく辞めた。組織変更前は、一先輩社員であったが、組織変更でチームリーダーとなり、私の実質的な上司となった。優秀ではあったが、私のことを常に見下し、私がやることすべてを否定してくる態度に、私は我慢しきれず、会社を辞める決心をつけた。決心をする前に上司の上司にも相談したが、まともに取り合ってもらえず、「今はそこにいるしかない」 というようなことを言われて、会社にも期待できないと悟り、辞める気持ちをいっそう強めた。

 二度目の時は、いわゆるヒラメ中間管理職の下に配属されたときだった。それまでも、日本での仕事が米国本社の単なる御用聞きのようになっていることに不満を募らせていた私だった。そんなときに、米国本社からの指示を正確にこなすことが最も重要なことだと言ってはばからないヒラメ管理職の下に回され、会社に失望したのが辞めるきっかけとなった。それまでも、なんとか日本独自の開発が行えるような組織を捜しては、入れてもらえるように努力をしてきたが、結局は自分が最もやりたくない御用聞きチームに配属されてしまう。そんな、会社の組織に失望していた時に、私がもっとも嫌いなタイプのヒラメ管理職が上司に付いたのだ。これは天が私に会社を辞めろといっているに違いない(笑)と確信をして、辞める決心が付いた。

 そんな私が目にしたのが、この記事だった。

ポスト成果主義 スタンドプレーからチームプレーに     
見限られるのは、会社でなく上司
ディック・アントワン
米P&G前グローバル人事担当役員に聞く

 中野目純一
  NBonline [2008年3月6日]

 私が勤めていた会社も P&G のような考えを持っていたら、あるいは会社を辞めなくてもよかったのではないかと思わなくもない。

 多くの企業では、少なくとも私が働いていた組織では、上司と部下が対立したときに、勝つのは上司だ。部下は白旗を上げて無条件降伏をするか、その場から立ち去るしかない。上司と部下が対立したときに、上司の側にも問題があるかもしれないと考えて対応する P&G のような会社は、おそらく数少ないと思われる。

 上のような経験をしてきた私としては、P&G のような会社がどんどん業績を伸ばして、優良な企業でい続けられることを願うばかりだ。それが、第一線で働く社員にとっても、そして企業にとっても有益だと思えるからだ。

 役職が高いからといって、人間性が優れているとは限らない。むしろ人格的に問題(人の足を平気で引っ張るとか、自分の失敗を平気で人にかぶせるとか)があるからこそ高い役職に就けた場合もあるだろう。部下を踏み台にして業績を上げるような上司を喜んで使うような企業が、結果的に社会から拒否されるようになれば、ここ数年の労働環境の急速な悪化が改善されるような気がしてならない。

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2008/03/06

管理職と残業代と待遇と

マクドナルドばかりじゃない!
「名ばかり」管理職の実態

 nikkei BPnet [2008年3月4日]

 マクドナルドフランチャイズ店の店長は管理職ではない、という裁判所の判決を受けて、上のような中間管理職の扱いが注目を集めるようになった。

 この問題はバブル崩壊後の 「最低限以下に人件費を削減するか」 という、企業の強引なまでの人件費圧縮というエゴと無縁ではないだろう。

 とはいえ、私にとってこの現象自体は、特別珍しいものではなく、私が働き始めたバブル絶頂期の20年前に似たような話はあった。

 20年前に私が最初に就職した会社は、日本でも有数の大企業だった。私はそこの研究所の一つで働き始めた。

 働き始めて半年もすると、先輩社員から現実的な話をいろいろと聞かされるようになる。

 例えば上記の記事に書いてあるこんな言葉。

「ほぼ無条件で大量昇進させたと、社内でも問題視されているんです。なぜなら、管理職手当ては微々たるものなので、残業代圧縮が目的じゃないのかって。私自身、毎月6万円前後の残業代がなくなったので、実質70万円の減収。それに、自分で言うのも何ですが、上司からの評価は以前から低くて、どうして自分が?という戸惑いがあります」 (nikkei BPnet)

 残業代が実質的な給与となっているのはどこの企業も同じらしい。

 私が働いていた研究所には、研究職社員を補助する技術職社員がいた。彼ら技術職社員は、自らが実験を計画することはなく、研究職社員の指示通りに作業をするだけだ。

 その技術職の一人と親しくなり、社内の事情に関していろいろな話が聞けた。

 残業代に関しては、「残業代を前提にして生活が成り立っている」とか、「残業をするために、わざと日中は非効率的に仕事をする」 といったことだった。

 さらに、「研究者として、あれ?と思う人が先に主任研究員(管理職待遇)になり、優秀な研究者と誰もが思う人がずっと一般研究員のままのことが多い」 というのだ。あくまで噂なのだが、「優秀な研究員は効率よく仕事をするので残業が少ない。優秀でない研究員は長時間仕事をしてもなかなか成果が出ないので、管理職待遇にして残業代をなくしたほうが会社にとって都合がよい」 という話を聞かされ、まだ社会人1年生の私は、「なるほど、そのとおりだな」 と思ったものだ。しつこいようだが、あくまで “噂” だ。

 私が最もショックを受けた話は、「結婚をして、自宅を購入して、多額のローンを抱えた社員を狙い打つように、工場への転属命令を出す」 という “噂” だった。その理由は、「多額のローンを抱えていれば、給与が下がるかもしれない転職をすることはほとんどない」 と会社側が考えているという “噂” だった。

 その後私は、一般社員も含めて全員が 年俸制 = 残業代一切なし の外資系企業に転職をした。そして、残業代を考えないで仕事ができるほうが私の性に合っていることがわかった。

 ただ、私が年俸制に納得できたのは、自分の仕事の内容に給料が釣り合っていると感じられたことと、自分が好きなパソコンを一日中好きなだけさわっていられて、お金がもらえる満足感があってのこと。

 同じ仕事かむしろより重労働を強いられて、それでいて得られるお金が少ないとなれば、やはり私も大いに不満に感じただろう。

 やはり “名ばかり管理職” 問題を解決するには、名と実を一致させることが重要だと思う。

 日本の裁判制度にはいろいろと制限が多いようだから、今回は “残業代” という形での裁判になったようだが、もしかしたら渦中の本人達は残業代よりも、“権限” や “裁量” 及びそれにともなう “責任” を欲していた人もいたのではないかと想像している。

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2008/01/07

ら抜き言葉は、積み木崩し

 以前私は、日本語処理関係の仕事に関わったことがある。そのため、日本語そのもののについて、今でも多少興味を持っている。少し前には、“敬語の破綻” についての記事を書いている。

 この間、こんな面白い記事を見つけた。

コトバの戦略的思考
「ら抜き言葉」
 梶井厚志(京都大学経済研究所教授)
  ダイヤモンド・オンライン [2007年12月11日]

 この記事は、ら抜き言葉 を 「間違った日本語」 とはしていない。「なぜ ら抜き言葉 が広く使われるようになったのか」 を、わかりやすく説明しているところが、私には新鮮に映った。

 そして、“積み木崩し” を例に出して、「実は、どの字が省略されるかは、はじめから決まっているわけではない。」、「他の字が省略されてしまったため、残された字が取り除けない字になる。」 という説明に、私は感心してしまった。
 (もし、“積み木崩し” でテレビドラマを思い出してしまう人は、“ジェンガ” を想像するといいだろう。)

 とはいうものの、私自身は ら抜き言葉 を使うつもりはない。子供の頃からの刷り込みの影響なのか、ら抜き言葉がひどく不自然に感じるからだ。“可能” を表すならば、素直に 「食べることができる」 と表現する。書き言葉ならなおさらだ。

 日本語について、梶井厚志氏は今後も面白い記事を書いてくれそうだ。早く次の記事を書いてくれないかと心待ちにしている。

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2007/11/10

私が考える一太郎の敗因

 (前回からの続き)

 私が考える “一太郎の敗因”は、森屋義男氏とは、少し違う。

 ソフトメーカーが、提案型で新機能を実装するのは間違っていない。「ユーザーが欲しいものを提供すべし」 とよく言われるが、ユーザーは本当に自分が欲しいものが、実は自分ではわかっていないことが多い。

 なので、森屋義男氏が言っているような “一太郎 Ver.3 for Windows”を発売していたら、おそらく一太郎はもっと早くつぶれていただろうと思っている。

 私が考える “一太郎の敗因”、それは、「マイクロソフトに真っ向から勝負を挑んだこと」だと思っている。

 Microsoft Office に対抗して、表計算ソフトを作ったり、データベースソフトを作ったりして、開発リソースを無駄遣いしてしまった。当時の右肩上がりの成長だけを見ていたら、たしかに “一太郎 Office” が成功するように見えたのかもしれない。

 一太郎が、ワープロソフト No.1 で居続けるための方法は、一つしかなかったと、個人的に思っている。それは、“エクセルと組む” ことだった。当時は、様々な事情で 一太郎 と エクセル のバンドル販売はなかった。しかも、多くのユーザーはエクセルを必要としていた。

 もっと過激にいってしまえば、マイクロソフトに狙われた時点で、真っ向勝負では 一太郎 に勝ち目はなかった。弱小大名の 一太郎 が、大大名のマイクロソフトに打ち勝つには、桶狭間よろしく、奇襲戦法しかなかった、と今でも思っている。

 では、その奇襲戦法とは何か。

 “一太郎” の名前を “ワード” と改名することだ。日本語版 Microsoft Office には、エクセル と ワードと改名をした 一太郎 が入っているということだ。別の言い方をすれば、身売りだ。もちろん、エクセルとの連携も本当のワードと同じようにできている。そうすれば、当時の多くのユーザーが喜んで 一太郎入り Microsoft Office を買ったことだろう。

 歴史に “もし” はないのだが、もし、一太郎が最盛期のときに、ジャストシステムがマイクロソフトに買収されていたら、今の日本語ワープロ、日本語入力、そして日本語検索システムは、別な形でもっと広がっていたかもしれない。

 もちろん逆に、おいしいところだけを吸われて、結局は、今と変わらない姿になっていた可能性も十分あるのだが。

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2007/11/09

一太郎はなぜWordに負けたのか

一太郎はなぜWordに負けたのか(1)
 松井幹彦の「Officeソフト」ウォッチング
  [2007年10月15日]

 1987年の 一太郎 Ver.3 から Microsoft Office 95 で一太郎の衰退が決定的になった時期は、まさに私がパソコンにもっとも情熱を注いでいた時期と重なる。

 私も大学生時代に 一太郎 Ver.3 に出会った。初めて論文をワープロで書いたのも 一太郎 Ver.3 だった。私にとって 一太郎 Ver.3 は、初めてのパソコン アプリケーションだ。それだけに、思い出も多い。

 その後、松 を使ってみたり、P1EXE を試したりしたが、結局、一太郎 Ver.3 に戻っていった。なぜ、Ver.3 をあえて書いているかというと、やはり 一太郎 Ver.4 は、私もなじめなかったからだ。

 会社に就職してからは、Macintosh に移行した。そして、WYSIWYG や マルチフォント、マルチフォントサイズ の環境を目の当たりにして、目から鱗が落ちた。一太郎 は、時代遅れだと確信した。

 転職をして、パソコン ソフト業界に入ると、今度は Windows に移行した。1991年のことだ。この時点で私個人は、一太郎にはもはや勝ち目がないと確信していた。もはや、倍角文字の時代ではなかった。

 しかしそれが世間一般に広がるのは、数年あとのことだった。上記の記事にあるように、ジャストシステムは一太郎と共に、1997年まで右肩上がりに成長していった。

 そして、私が考える “一太郎の敗因”は、・・・(つづく)

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2007/09/13

森永卓郎 「節約した人件費の向かった先」

 以前に “「利益は過去最高」 というけれど・・・” という記事を書いた。それを数値で裏付ける解説を、経済アナリストの森永卓郎が書いている。

日経BP社 SAFETY JAPAN
 森永卓郎  構造改革をどう生きるか
  第98回 節約した人件費の向かった先
   [2007年9月10日]

 一言で言ってしまえば、削減した “人件費”=“従業員の給与” が、そのまま大企業の経営者の懐に転がり込んでいる、ということだ。

 もちろん、森永氏が絶対に正しいわけではないし、統計は読み方によって、いろいろな解釈が出来る。でも、私は森永氏の今回の解析は正しいと思っている。

 私は森永氏の最後の提案に全面的に賛成だ。

「もし、政府が本気で格差を是正しようと思うなら、法人税率を引き上げて労働者を減税するか、非正社員の最低賃金を上げるしかない。」

 私はさらに、法人税を一気に上げて、所得税、消費税を一気に下げるべき、だと思っている。「そんなことをしたら、優良企業がいっぺんに日本国外から出て行ってしまう。」 といわれるだろう。おそらくそうなると私も思う。

 しかし、労働者の利益を搾取して、経営者を太らせるような企業なら、かえって日本から出ていってもらったほうが、日本のモラルは向上するのではないだろうか。

 『企業の利益は、経営者のためにあるのではない。』 ということを、国民的なコンセンサスにすることが、日本を住みよい国にすることにつながる。私はそう思っている。

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2007/08/27

大前研一 「国民をだます国、日本」

経営コンサルタント 大前研一 氏
 「産業突然死」の時代の人生論

第85回 国民をだます国、日本

 大前研一 氏の解説は、私にとって、非常に明快で、わかりやすくて、好きだ。私が普段なんとなく思っているもやもやしたものを、明確な形で説明してくれる。

 この回の内容も、私が漠然と思っていた不満を、明確に説明してくれて、とてもすっきりした。

 “国” という漠然としたものでいつも議論されるが、その国を運営しているのは個人個人の “人” だ。だから、国の各機関の責任者達である “人” 達がどのような考えで行動しているかで、“国” の行動が決まっている。

 現状の “国” = “国の各機関の責任者達” の考え方は、「自分達がいかに、今の地位で恩恵を受けられるか」 に集約される。安定した国づくりも、そのほうが自分達の実入りが多くなるからに過ぎない、といったら言い過ぎか。

 事務次官であろうが、役所の窓口担当であろうが、税金によって雇われた、大多数の市民の使用人に過ぎない。使用人であるはずの役人達が、市民よりもエラそうに見えるのは、過去のイメージや、役人達による情報操作に過ぎない。

「日本の政府は昔からうそをつくことを当たり前にしているのだ。年金から核まで。およそあらゆる重要事項で果たして国が国民に正直に知っていることを伝えていることなどあるのだろうか? 国家が国民をだます時代。もともとそうだったのかも知れないが、最近ますますひどくなっている、と思うのはわたしだけだろうか?」 (大前研一)

 日本の役人達は、さらに劣化している。日本国民は、常に役人達にだまされている、と思い、疑いの目を向けながら生活しなければいけない。

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2007/07/10

【お勧めコラム】 『Wii』崩壊の日は来るか―ゲーマー4類型論で分析

『Wii』崩壊の日は来るか――ゲーマー4類型論で分析
  WIRED NEWS
    Chris Kohler [2007年6月25日]

 私はこの Chris氏の考えに素直に同意した。これまで、ファミコン → スーパーファミコン → PlayStation → PlayStation2 と、ゲーム機の主役の交代は、より高度化した映像と音をゲーマーが選択した結果だ、と説明される場合がよくある。しかし私の見方はそれとは異なる。より高度な映像と音を使えるようになったことで、製作者達の興味を誘い、それが高い魅力を持つゲームとなり、多くのゲーマーを引き付けたのだと、私は思っている。

 とすれば、映像や音が高度化しなくても、高い魅力を持つゲームが存在すれば、ゲーム機の主役交代は起こりうる。そして、それをしたのが Wii だ。Wii は映像と音ではなく、新型のコントローラーに代表される “遊び方” で高い魅力のゲームを提供した。その結果、ゲーマーと、これまでゲーマーではなかった人達までも引き付けた。

 それは、ゲーマーと、特にゲーマー以外を引きつけることが出来るのは、なにも高度な映像や音だけではない、ことを DS で学習した任天堂だからこそ出来た決め技だったのかもしれない。

 ところで、こういったパラダイム・シフトは、なにもゲーム機だけのものではない。最近では、パソコンで似たようなことが起こった。一昔前までは、より高速なCPUや、より大容量のメモリとハードディスクが、パソコン関係の話題の中心だった。その後、CPUが十分に高速となり、メモリとハードディスクも標準で十分な容量が提供されるようになると、多くのパソコン ユーザーのそれらへの興味は、急速に低下していった。もっと前の例になると、電子レンジもそうだった。ある時点までは、いかに多くの機能がついているかが話題になった。ところが、ある時点を境に、機能は必要最低限ついていればよい、安いもので十分、という感じに、多くの消費者の嗜好が変わった。

 そういう意味で、ゲーム産業も成熟期に入ったということなのだろう。なにしろ世界最大手のエレクトロニック・アーツのお偉いさんが、

「われわれは人々をひどく退屈させ、プレーするのがより難しいゲームを作っている」
  ロイター [2007年7月9日]

と言うくらいなのだから。

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