量刑についての不満を書いてみる
私も前々から、心神喪失で無罪や減刑になることに納得していない。
以前の 必要なのは裁判員制度ではなくIT化、と言ってみる で書いたように、判決が結局は裁判官の温情で決まるのならば、弁護側が心神喪失やそれに類する状況を言い張って、本来償うべき罪を免れようとするのが当たり前になっているのも、悪い意味で納得できてしまう。
法学者がなぜ心神喪失には責任を問えないとする見解を出すのか、私にはよく理解できない。それなりの理屈は当然あるのだろうが。
その一方で、九州工業大学 佐藤直樹教授のように、異論を唱える学者がいるということは、やはり少なからぬ問題があるということでもある。
研究者、特に大学に残って研究を続けている人たちは、とかく純粋理論にこだわる傾向があるものだ。心神喪失では責任を問えない、とする意見の根底には、心神喪失かそうでないかは明確に区別できる、というありえない前提を含んでいるのではないのか。
だとすれば、現実的ではない条件を含んでいるとすれば、やはり現実的にごまかそうとすることを考慮したシステムに変えるべきではないのか、と私は思う。
その意味で、
「最近では、厳しい世論を考慮して、アルコールについても心神喪失を認めなくなっています」 (日大大学院法務研究科 板倉教授)
というのは、私から見ると正しい流れに見える。
ここからは少し暴走して、暴論を吐かせていただく。
ニュースを聞いていると “逃げ得” のケースをよく耳にする。例えば、飲酒運転で事故を起こしても、その場は逃げて、後で酔いが覚めてから出頭するれば、飲酒運転による事故が立証できずに刑が軽くなる、とか。
そうならないようにするには、事故現場を立ち去った時点で、自動的に量刑が倍になるくらいのシステム必要だ。
また、日本には無期懲役があるのに、なぜ “終身刑” がないのかが、私には不満だ。確かに現実として、服役者を養うための税金や設備という問題があるというのはわかる。しかし、“無期” といいつつ、実際には数年~十年ぐらいで刑期が終わるような話も聞いたことがある。どうも納得がいかない。
終身刑がダメなら、量刑の単純加算をして欲しい。一人殺して懲役15年なら、八人殺せば懲役120年といった具合に。どうせ、服役態度などで減刑されるならば、減刑されても簡単には刑期が終わらないようなシステムも必要だと思うのだが。
もっとも、そういった厳罰化をするためには、捜査や裁判の適正な運用で “冤罪” がありえない状況にするのが前提だろう。現状の 「誰もが犯罪者に仕立て上げられるかもしれない」 状況のほうが、善良な市民にとっては、はるかに脅威である。
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