カテゴリー「経済・政治・国際」の143件の記事

2009/11/08

50日持たなかった鳩山政権の期待

 民主党の鳩山政権ができて50日が過ぎたそうだ。

 米国でよく言われるのは、新大統領就任後100日は細かいことを批判せずに見守る、ということだ。しかし、今回の鳩山政権については100日待たずして、その半分の50日ですでに多くの国民の期待を著しく損なう結果を出していることが、私にとってもきわめて残念だ。

 ほとんどの大手マスコミは報道しないが、民主党が公言していた 「記者クラブの解散」 はそうそうに反故にされ、自民党の選挙対策のための追加予算はほとんど削減できず、予算概算要求にいたっては大幅に増額。日本郵政の新社長に元官僚をわざわざ持ってきて、常識で考えれば天下りとしか思えないモノを 「天下りではない」 と言い張ってしまう。

 ここまでされても鳩山政権に期待を持ち続けるのは、一般市民レベルの常識からすればどう考えても無理だろう。

 思うに、いまだ政治を牛耳っている旧世代の老害たちが、いまだ市民を愚かで卑しいものだという価値観で政治をやろうとしていることが、民主党をしても自民党と変わらないレベルの政治しかできない元凶なのではなかろうか。

 大昔、映画スターはまさに特別な存在だった。映画館のスクリーンでしか見られないスターは文字通り手の届かない存在であり、その日常は秘密のベールで包まれ、熱狂的なファンには 「トイレに行くはずがない」 と言わしめるほどの存在であった。

 それがテレビの普及と大量の番組放送、芸能人のゴシップ報道により、そういった手の届かないスターは成立しなくなり、むしろ、隣に住んでいそうなごく普通に見える人たちが人気者になる時代になった。

 政治の世界にもそういった変化がずいぶんと前から起こっているように思う。

 インターネットが普及する前であれば、政治家の独善や失敗は、一部の限られたマスコミを統制することで情報をコントロールできた。

 それが今や、一個人であっても情報を全世界に発信できる時代だ。また、マスコミだからといって、情報が常に正しいとは限らないということにほとんどの市民が気がついた。

 そんな時代に、政治家個人の独善が情報のコントロールにより、市民の批判を受けずに実行できるはずがない。社会の常識に照らし合わせて、常識に反する政治が行われようとすれば、それはすぐさま世論となって大きな風を起こす。そうやって民主党は政権をとったのではなかったか。

 たとえば天下りにしても、優秀な人材を必要なポジションにつけるのであれば、市民はそこまで反発しないはずだと、私は思う。

 そうではなく、役人というだけでなんの苦労もせずに高給のポストを約束され、ほとんど仕事もせずに給料を取り、何千万もの退職金を何度も受け取るから反発されるのだ。

 さらに今回は、常識的に見れば  “天下り” にしか見えないのに、首相自らが 「天下りではない」 と常識はずれな認識を言い張っていることが問題なのだ。素直に 「天下りとなるが、これはこれこれこういう理由で必要な人事です」 と説明すれば、ここまで反発と失望感が広がらなかったはずだ。もっとも、ごく限られた人たちにとってのみ利益のある人事のようにしか見えないので、おそらく市民を納得されられる説明はできなかったのだろうが。

 それにしても、政治の中心にいる政治家達が、市民を 「お金をたかる」 モノで、「適度に金を与えておけば素直に従う」 モノであるという認識が変わらない限りは、まだまだ日本の政治は本当の意味で変わらないのだと思う。

 実際市民の認識は変わりつつあると、私は思っている。でなければ、定額給付金で自民党の支持率はもっと上がっただろうし、地球温暖化ガス排出削減25%にこれほど支持が集まるはずもない。

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2009/10/19

直流コンセントはいつ?

 前々から思っていたのだが、なぜ家庭用コンセントは交流100V(一部は200Vだが)しかないのだろう。壁から直接直流を得られるようなコンセントがあれば、どんなに部屋の中がすっきりするだろう、と思うことが最近よくある。

 というのも、いったい家の中にACアダプタがいくつあることか。今使っているパソコン周りを見るだけで8個のACアダプタがある。

 また、個人的にLED電灯を使いたいと思っているが、今の日本では電灯は蛍光灯が主流だ。一部はまだ白熱灯が使われていたりする。蛍光灯や白熱灯には交流100Vが都合がよかったり問題がないかもしれない。しかし、LEDはその構造上、直流でしか発光しない。にもかかわらず、今日のLDE電球は、ソケットの互換性のため交流-直流変換をあのちいさい電球内で行っている。そのため本来発熱があまりないはずのLED電灯が変換器のために放熱を行う必要がある。私にとってはなんとも理解しがたい状況になっている。

 たしかに直流を標準化しようとすれば、機器によって必要となる電圧が、3.3Vだったり5Vだったり12Vだったりするので、簡単には標準化できないのかもしれない。それでもあちこちで非効率な “交流-直流変換” を行うよりは、直流の電圧変換を行ったほうが効率がよいように思うのだが。

 さらに今後は、太陽電池や家庭用燃料電池による直流発電が家庭にどんどん入り込んでくると、

  • 発電機-(直流)-変換器-(交流)-ACアダプタ-(直流)-機器

といった、わけワカメな状況がいたるところで発生することになり、非効率この上ないと思う。

 そう思っていたのだが、やはり私ごときが考えることはすでに世の中で考えられているようだ。

直流給電 (by Wikipedia)

 歴史的に見て、世の中で大きなルール変更が起きる場合であっても、実際の変化は既存のモノを活用して行きながら変化していくものだ。

 よく例に出されるのが、工場の動力を水車から電力に替える時の話しだ。

 電化前は、大きな水車につながった太い軸が工場の中心を回っていて、個々の機械はその軸につなげて動力を得ていた。電化の際には、一足飛びに個々の機械にモーターを組み込むことにはならず、まず、太い軸を水車の変わりに大きなモーターで回し、個々の機械はそれまでと同様にその軸につながっていた。個々の機械が老朽化して新品に置き換える時期になって、個々の機械を小さなモーターで駆動する効率的な形に落ち着いたという。

 変圧器付きLED電球も、いわば太い動力軸に接続する最新型機械のようなものだろう。いずれ近い将来に、電球ソケットという呪縛から開放され、天井全体が発光するような次のステップに進化すると、私は信じている。

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2009/02/07

むやみな成長よりも永続的な持続性を私は選びたい

今の資本主義はもう、やめてくれ
“森の国”の思想が次の経済システムを作る

 安田喜憲(国際日本文化研究センター教授)
 篠原匡(日経ビジネスオンライン記者)
  日経ビジネスオンライン [2009年2月4日]

 題材が宗教の話しなので異論のある人も多いだろうが、私にはほとんど賛同できるないようだった。むしろ、私が長いことモヤモヤと感じていたことを、明確な言葉にしてくれたと感じている。

 私も宗教を否定するつもりはないし、必要なものだと思っている。ただ、私自身は神や仏や宗教を信じていない。私は現実に自分で見聞きしたものを信じることにしている。そんな私だからこそ、上の記事になおさら賛同できるのかもしれない。

安田 マルサスは「人口論」を出した時にこう言いました。「神の命の通り、一生懸命働いていれば豊かになれるはずだ」と。「貧しい人間は神の命に背いた人間であり、罰を受けているんだ」と。

 3ページ目のこの考え方は、私が初めて目にした言葉であり、同時になぜ今の米国的資本主義が大問題だと感じるのかを教えてくれた。

 日本にも 『働かざるもの、食うべからず』 という言葉があるが、これには神といった人が介在できないモノは含まれていない。同時に過程に対する結果を表している。

 それに対して上記の言葉は、結果に対して人ではどうしようもない神を持ち出して、裕福そのものを無条件に肯定している。これではルールやモラルを無視してでも 「裕福になったものが正しい」 という価値観が生まれたとしても不思議ではない。

この市場原理主義の考え方は、大量の情報を持つ人間、つまりカネをたくさん持つ人間にとってメリットがある。社会のエリートをサポートするには都合のいい理論、支配者にとっては都合のいい理論でしょう。

 やはり3ページ目の、この部分などは、まさに私がここ数年ずっと感じてきたことだ。小泉元首相が進めた構造改革も、結局は支配者、為政者にとって都合のいいモノでしかなかった。

 4ページ目では、「日本はもともと成長よりも持続させることを大切にしてきた」 ことを説明している。私も日本はふたたび旧来の価値観に戻すべきだと思っている。「成長しなければ意味がない」 という考えの否定だ。

 以前どこかの記事で 「京都は同じ商売のやり方を続けて、何百年も続いてきたお店が何軒もある」 という内容を読んだことがあった。時代に合わせて少しずつ変えることはあっても、卸値が少しばかり安いからといって長年商売をしてきた相手を変えることはないという。そうやって数百年続けてこれたのだ。

 成長を追い求めたあげく、数十年からせいぜい百年で行き詰った金融資本主義と比べれば、どちらが社会にとって適したシステムなのかは、私にとっては明らかなように思うのだが。

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2009/01/26

経済成長予測、マイナス2%

 1月22日に日銀が本年度の実質経済成長率を、マイナス2%とする予測を発表した。

 楽観的予測を得意技とする役人が、明らかに悪い発表をせざるを得なくなったということは、本当にマイナス成長になるのが確実ということなのだろう。

 私がここで問題にしたいのは、大企業の経営者や霞ヶ関の役人達、そして政治屋たちがおそらくは、

「日本のマイナス成長は、米国発の経済危機の影響であり、政策の失敗のせいではない」

とすることだ。

 しかし、政治経済の素人である私から見ても、今回の不況は明らかに小泉政権以降の政策の失敗によるものとしか見えない。もちろん、米国の経済危機も影響しているだろうが、その影響は日本ではもっと小さく抑えられたに違いないと、私に思えて仕方がない。世界的に日本円が買われて円高がずっと続いていることからも、私はそう思っている。

 欧米経済の失速で輸出は大幅に落ち込むのはしょうがないとしても、国内経済はもっと堅調にできたはずだ。それができなくなったのは、ひとえに “派遣業務の自由化” のせいだ。

 私は前々から言っているが、同じ仕事量、同じ作業量で企業が支払う人件費に差が出るのがそもそもおかしいのだ。派遣社員を使うと企業が支払う人件費が少なくなるということは、本来労働者が得られるはず利益の一部が、企業に取られているということになる。

 労働者から搾取されている利益は、給与かもしれないし、福利厚生かもしれないし、年金の支払額ひいては将来の年金支給額かもしれない。

 いずれにしろ、契約形態が違うだけで、同じ仕事に対して支払う金や受け取る金に違いが出るシステムは、誰か特定の人たちにだけ恩恵を与えているとしか思えない。

 特定の人たちとは、もちろん大企業の役員・経営者達だ。

 契約打ち切りや希望退職、リストラのニュースを聞かない日はないが、役員報酬のカットというニュースはほとんど聞かない。これでは、労働者を切って路頭に迷わせ、そうやって確保した利益を前提に、多額の役員報酬を受け取っているとしか思えない。

 ウォール街での無秩序振りを見てもわかるように、金の亡者達に任せていたのでは世の中を混乱させるだけだ。

 自分達の報酬を生み出すために働いた労働者達を切るようなことをした経営者は、その役員報酬も当然切られるべきなのだ。そういうシステムやルールを作るべきなのだ。日本社会は、大企業の経営者のためだけにあるのではない。

 高額な報酬をもらっている人たちには、それなりに社会的責任が課せられなければいけない。高額な報酬をもらっている人たちだけで社会が成り立っているわけではないのだ。地道にこつこつ働いている人たちがいるからこそ、経営者として高額な報酬を得られるのだ。

 今の日本の悪い状況を打開するには、私はやはり “雇用の安定” が一番効果的だと思う。

 将来給与が上がる保証はなくとも、まずは10年先でも確実に一定額の収入があるという安心感を皆が持てるようにしなければ、日本の社会に安定や安心感はよみがえらないだろう。

 そのために、雇用の安定に反する経営を行った経営者達を排除するような政治・経済システムを作らなければならないが、今の自民党では無理だろう。民主党でもまず無理だろう。

 やはり、明治維新の時のように、無名の志士達の出現を待つしかないのかもしれない。

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2009/01/22

オバマ氏、米国大統領に就任に思う

 バラク・オバマ氏が予定通りに米国大統領に就任した。

 就任式や祝賀行事が、日本のニュースやワイドショーでもこれでもかというほど報道されている。自国の首相が決まったときよりもよっぽど盛り上がっている。

 それは、直接には関係のない日本国民の中にも、良い方向への変革と強いリーダーシップに対する憧れがあるためだろうと、私は思っている。

 これだけ大きな期待と人気をもつオバマ大統領を見て、ふと思った。

 今となっては 『史上最低の米国大統領』 と揶揄される “ブッシュ大統領” があったからこそ、オバマ氏が米国大統領になれたんだろうな、と。

 歴史に “もし” はないとよく言われるが、

  • もし、8年前にブッシュ氏ではなく、アル・ゴア氏が大統領になっていて、
  • 大統領になったアル・ゴア氏が、今と同じように地球環境に注目して政権を運営していたら。
  • フセイン潰しには、固執していなかったであろうことや、
  • 行き過ぎた金融市場主義になんらかの規制を事前にかけていたかもしれない、

等を考えると、アル・ゴア大統領の次の大統領として、オバマ氏は大統領候補として名乗りを上げることすら難しかったかもしれないな、と思った。

 8年前よりは、もちろん米国の経済や産業構造は悪くなっていただろうが、それでも最優先で “Change” と変革を求めるような動きにはなっていなかったのではないかと、私は考えている。

 なにしろ、進歩的と思われがちな米国国民だが、実は進歩的なのはニューヨークやロスアンジェルス等の、ごく一部の大都市のさらに一部の市民だ。マスコミに取り上げられやすいので大勢いるように思われがちだが、大多数の米国市民は実はとても保守的なのだ。

 だから緩やかに衰退していたとすれば、大きな変革を訴えるオバマ氏がこれほどの人気を獲得していなかっただろうと、私は考えたのだ。

 だが現実は、オバマ氏が米国大統領に選ばれた。それは、ブッシュ大統領がいたからこそ実現しことであり、私もこれでよかったと思っている一人だ。今のところは……。

 かつて日本でも私が期待した首相がいた。

 だが、結局は日本を改革ではなく改悪をしたまま辞めていった。そのツケを多くの弱い立場の人たちが、今支払っている。

 期待が大きかった分だけ、失望も大きい。

 オバマ氏が8年後(4年後?)にそうなっていないことを願うばかりだ。

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2009/01/08

ガソリン、1L、99円

 買い物に行くときに、ガソリンスタンドにふと目を向けた。

 すると、レギュラーガソリンが、99円/1リットル になっていた。少し前に100円台になっていて、それでも徐々に下がっていたので、いずれ100円を割るだろうと思っていた。

 去年、暫定税率が一時的に効力を停止したときに、たまたまレンタカーで旅行に行った。そして、そのときのガソリン代が、126円/1リットル だった。私が見た範囲での最安値は、123円/1リットル だったが、25リットル程度しか給油しなかったので、たいした差はなかった。

 そして昨年のガソリンの最高値は、185円/1リットル程度だったと思う。

 そこから考えると、99円/1リットルは、半分になったといってもいいくらいだ。暫定税率を25円とすると、暫定税率がなかったとすれば、最高値の時は160円/L、今は74円/L と文字通り、半値以下になっている計算になる。ガソリン税も差っぴけば、差はもっと大きくなる。

 OPECは、原油が急騰したときに、「これは需要が拡大したためではなく、投機によるバブルである」 といった意味の発言をしていた。結果として、この発言は正しかったことになる。

 それにしても、私が気になるのはむしろ、原油が急騰したときに、国に補償を要求していた漁業関係者や運送関係者についてだ。

 原油が急騰したときに補償されたのだから、原油が急落した今は補償された分を返還すべきだと思うのだ。

 経費がかさんで損失が出たら税金で穴埋めできて、経費が安くなって多額の利益が出たらすべて自分のモノ、では、経営努力もなにも必要ないではないか。

 こんなところにも、今の政府の無能・無策ぶりが見えてしまい、ホント悲しくなる。

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2008/12/26

狭い歩道にモノを置いてさらに狭くするフシギ

 子供が通学にバスを使っているので、バス停を観察するようになった。また、買い物に行くのに自転車を使うため、歩道に設置されているバス停が気になるようになって久しい。

 さて、歩道に余裕がある道路の場合、歩道を狭くしてバスが停車できるスペースを設けている。Wikipedia によれば、“バスベイ” もしくは “バスカット” と言うらしい。後続の車両が追い越ししやすいようにするためだ。

 このバスベイ、車道の渋滞を考えるとたしかに合理的なのだが、歩道についてはなぜか不合理な作りにされている場合が多い。

 バスベイ部分は、歩道が狭くなっているにもかかわらず、その狭くなっている歩道部分に “標識” を立てたり、待っている人のための “ベンチ”、場合によっては、雨をしのぐための屋根を支える柱が立っている。

 バスベイにより歩道の幅が半分になり、標識やベンチで数十cm狭まり、待っている人がいたりすると、残りの部分は自転車のハンドルの幅あるかないか、といった状態のバス停を多く見かける。

 歩道の多くは “自転車通行可” になっているのだが、バスベイになっているバス停の部分を自転車で通るときは、とても気を使う。

 バスベイで歩道を狭くするのであれば、

  • 狭くする直前の位置に標識を立てる。
  • 広い部分にベンチや屋根を配置する。

ということをなぜ考えないのだろうか。

 中途半端な規制や、杓子定規な役人の発想で、バス停付近が危険な状態なっているとしか、私には思えない。

 バリアフリーや放置自転車といった問題はよく話題になるが、歩道を狭くしたバス停の問題は、少なくとも私は聞いたことがない。

 問題として取り上げられないのは、問題となっていないからか、といえば、私にはとてもそうは思えない。

 これまで何度も、バス停で待っている人に自転車がぶつかっていったり、バスから降りてきた人に自転車がぶつかる場面に何度も遭遇しているからだ。子供には、バスを降りるときに、必ずバスの最後のステップから顔だけ出して左右の確認を行うように言って聞かせている。

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2008/12/20

金持ち優遇で経済を牽引? そんなの金持ちの屁理屈です

 いやぁ、そんな “屁理屈” があったとは、私は知らなかった。何のことかと言えば、小泉元総理や今の大企業の雇われ経営者が信奉する “新自由主義” の根拠だ。

構造改革をどう生きるか
庶民の手元にカネを回す税制改革を

 森永卓郎 (経済アナリスト)
  SAFETY JAPAN [2008年12月15日]

 森永氏のこのコラムの2ページ目に、

金融資本主義、新自由主義の考え方では、金持ちが経済の牽引役だと考える。だから、金持ちを活性化するために減税し、その代わりに庶民に対して増税するというのが基本方針であった。

とある。

 日本を限度の超えた格差社会にして、社会的な不安を増大させた政策の元となる原理原則に、こんな屁理屈があるとは、私はこのコラムを読むまで知らなかった。

 この金持ち優遇の新自由主義の理論がすでに破綻していることは、現在の日本の状況を見れば明らかだ。

 労働者の賃上げを徹底的に抑え込んだトヨタ自動車の奥田氏は、「自動車が売れない」 と嘆き、派遣労働者を都合よく切り捨ててきたキヤノンの御手洗氏は、デジカメの不振で株価の低迷にあえいでいる。

 社会全体を活性化して、人々が安心して暮らせるようになる重要な要素の一つは、「安定した仕事による、安定した収入」 だ。それを小泉氏も奥田氏も御手洗氏も、壊してしまった。

 そもそも、もし経済が金持ちによって成り立っているのなら、金持ちから税金を取るだけで国の財政が成り立ちそうなものだ。だが実際は、収入に対する税金では安定しないため、どちらかと言えば貧困層に重たい消費税に重点が置かれようとしているのだ。ここですでに矛盾しているように、私には思えた。だから、最初に “屁理屈” と言ったのだ。

 今回も極論・暴論になってしまうが、より多くの国民が安心して暮らせるようにするための私が考えることは、以下のようなものだ。

  • 契約社員、期間労働者の給与は、同じ仕事量の正社員より高くする
  • 大企業経営者の報酬は、従業員平均の数十倍以下とする
  • 大規模なリストラを行う前に、大企業経営者は自らをリストラする

 現在の社会システムは、まだまだ経営者側に甘すぎるように、私には思える。もっとも、歴史的に見て、特定の人たちだけが自分達だけが甘い汁を吸えるように社会システムを作ってきたのが、世の常なのだが。

 「そんなに経営者を不利にして、経営者になる者がいなくなったらどうする?」 といわれそうだが、世の中、どんな状況でも人の上に立ちたがる人間というものはいなくならない。あの幕末の傾いた幕府でさえ、役職につきたがるものがいたのだ。

 そんな中で、最近、『不当な契約打ち切りに対する申し立て』 をよく見聞きするようになった。私はこれを “いい傾向” だと思っている。

 多くの国民が、大企業経営者のやり方に不満を持ち、安定した労働環境を支持し、表明するようになれば、世論に敏感な政治屋たちも看過することは出来なくなるだろう。

 そうなれば、ごく一部の大企業経営者だけを優遇するような政策をやめて、大多数の国民が納得するような政策に転換することを、私は願ってやまない。

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2008/11/16

金融システムに厳しい規制が必要な理由を自分なりに考えてみた

 金融サミットが開かれ、大方の予想通りブッシュ大統領は、金融システムの変更、政府による市場の管理を否定した。

 それはさておき、何度説明されても、何度解説を読んでも、いまだに “資金の流動性” やら “証券化” が理解できない。

 いちおう自分なりの想像はしてみた。具体的には、水道システムに置き換えて考えてみたのだ。

 今の日本では、蛇口をひねれば飲むことができる上質な水が、ほぼ無尽蔵に手に入る。

 ちなみに、世界的に見れば、このようなシステムは日本や米国など極限られた国にしか作られていない。ヨーロッパでさえ 「生水は飲むな」 といわれているのだから。

 それはさておき、もし今蛇口から水が出なくなったらどうなるだろう? おそらく日常生活に多大な影響が出るだろう。日本人の生活は、蛇口からいつでも上質な水が得られることを前提にして、成り立っているのだから。

 もし、蛇口から水が出なくなれば、事前に必要な分の水を大量に容器に確保しておかなくてはならない。もしくは、井戸のような天然の貯水槽を持つ必要がある。

 これを金融機関に置き換えてみると、払いだすお金を必ずしも貯めている必要はなく、蛇口(=日本銀行や他の銀行?)をひねれば、必要なだけお金を取り出せる、と考えたのだ。水を溜める必要がなければ、維持費がかからず、お金を保持しなくて良いならば、運用に回せる。いずれも効率が良い。

 また、水道水はタダではなく水道料がかかり、金融機関が他の金融機関からお金を借りるのもタダではなく金利がかかる。それでも、利便性を考えれば、その程度の費用は許容範囲内だと思うから、誰もが蛇口から水道を使うし、他の金融機関からお金を借りる。

 一方で、国民のほとんどが依存している水道システムだからこそ、水質や水量には厳しい制限が設けられていて、きちんと管理されている。

 もし、水道が自由競争であり、複数の企業が競い合っていたとして、安さを売り物にしていた水道業者が、飲料に適さない水源を使っていたり、費用を抑えるために浄化を充分に行っていなかったとしたら・・・。蛇口から出る水の品質は見ただけでは早々わかるものではない。

 中国の牛乳へのメラミンの混入を見ればわかる。大きな被害が出て、初めて問題だったことが公になる。

 だから、もし資金の流動性やら証券化が、現在の金融システムにおいては必要不可欠なものなのであればあるほど、“国民の代表” であるはずの政府が、きちんのシステムを監視、監督、規制をすべきだと思うのだ。

 そう思うからこそ、ブッシュ大統領の主張には納得できないし、現在の野放図な金融システムでブッシュ周辺ばかりが潤っていて、だから、ブッシュは今のシステムを止めたくないないのだと思えて仕方がない。

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2008/11/15

経済的公害

 ヨーロッパ各国、特にフランスとイギリスが中心となって、金融の新たな規制を世界的に行おうとしている。その具体的な行動が “金融サミット” だ。

 しかしこれも、考えてみればおかしな話だ。

 1994年のメキシコ通貨危機、1997年のアジア通貨危機 があったにもかかわらず、この時欧米各国は、投資銀行やヘッジファンドといった金融機関に対する規制を一切行わなかった。

 ところが、火の粉が自分達にも降りかかり、あちこちで火事が起こったとたんに、「規制が必要だ」 と叫び始めたのだ。なんとも間抜けな話ではないか。

 金融システムへの規制に関しては、いつものごとく米国が反対している。

 まぁ、そうだろう。これまで今の金融システムで、おいしい思いをしてきたのだから、一度の失敗ぐらいでは、そうそう過去の大きな成功体験を否定できるものではない。一度大きく当てた人が、その後負け続けてもなかなかギャンブルから抜けられないのとが同じだ。ちなみに、こういう現象を 『間欠強化』 と呼ぶそうだ。

 話が変わって、以前 “心の公害” という言葉を提案したことがある。一言で言えば、

「企業において活動をしていると、“ストレス” という有害物が生み出される。その有害物は、社会環境を悪化させる」

というものだ。工場廃棄物は、人の身体を蝕む公害だったが、仕事によるストレスは、人の心を蝕む公害という考えだ。

 話を金融の話に戻す。

 今の投資銀行やヘッジファンド、レバレッジといった仕組みは、それを使っている本人達にさえ把握できないくらいの 経済的リスク を生み出すようになってしまった。これが、今回の世界的経済危機の原因である。

 この際限なく膨れ上がるリスクを、私は 『世界経済を蝕む有害物』 ととらえた。

 つまり、投資銀行やヘッジファンドの企業活動によって、有害物 = 公害 が発生したのだ。

 その昔、工場が有害物質を処理せずに工場外に排出したために公害が発生した。そして、国は廃棄物の排出を規制して、企業は廃棄物を工場内で処理するようになった。

 最近では日本でも “メンタルヘルス” が取り上げられるようになった。企業においても、「心に問題を抱えていたのでは、作業効率が悪い」、「メンタルヘルスに対応しないと良い人材が集まらない」 と気がついたためだ。

 同じように、有害物を生み出している投資銀行やヘッジファンドは、当然規制されるべき対象、というのが私の考えだ。

 今回の金融サミットでも、米国=ブッシュ政権 は金融機関への規制強化を否定するだろう、と私は予想している。

 しかし、環境問題でもブッシュ政権は後ろ向きな姿勢を示した結果、米国国民はむしろ次期オバマ政権には、積極的な環境問題への取り組みを期待している。

 同じように、ブッシュ政権が金融規制に反対すればするほど、多くの市民にとっては金融規制が必要不可欠なものであることの証明のように思える。

 そういえば、“ニューエコノミー” はどこへいったのだろう。catface

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2008/11/12

無理をして経済発展させても長続きしないと思うのだが

 少し前にこんなニュースがあった。

インド・「ナノ」計画頓挫、海外からの投資へ悪影響
 asahi.com [2008年10月5日]

 記事はすでに見られなくなっているの。概要は以下のようなものだ。

インド西ベンガル州でタタ・モーターズが計画していた「ナノ」の工場建設が、
農民らの反対運動で頓挫し、経済発展で一歩先を行く中国との投資環境の
「違い」が露呈した。

インドでの工業団地建設は緒に就いたばかり。法的なインフラ整備に加えて、
強い政治意識を持つ農民とどう折り合いをつけるかも課題だ。インドの経済団体の
関係者は「中国と違って、経済発展はゆっくりとしか進まないだろう」と話す。

 この記事を読むを読む限り、「中国のやり方が正しくて、インドではその正しいより方が出来ない」 と言っているように聞こえる。

 言うまでもなく、インドは世界一人口の多い “民主主義国” だ。一方で、改革・開放、自由経済化が進みつつあるとはいえ、中国は “独裁国” だ。

 つまり、経済を効率的に発展させるためには、中国のような独裁的なシステムの方がよい、と言っていることになる。

 そういう書き方に、私は大きな疑問を感じる。

 日本でもその昔、政府・官僚による強制収用によって成田空港を作った。しかし、地域住民や地域以外からの支援者の猛抗議にあい、成田空港は計画通りに建設が進まず、いまだにそのときの悪影響が残っている。

 強制収用が必ずしも効率のよい方法ではないことの、良い(悪い?)例ではなかろうか。

 独裁国といえども、接収される側は人間だ。強権によって接収されて、いつまでも素直に従っているとも思えない。

 そしてそもそも、急速に経済を発展することが本当に正しいのだろうか? 私はそこにこそ、根本的な疑問を持っている。

 日本は戦後、確かに高度経済成長を成し遂げた。それでかなりの部分で成功した。しかし、それは戦前までの高い技術力や教育といった基盤があったからこそ、なしえたことだ。それでも、日本は公害問題という負の部分も抱えることになった。

 ましてや、社会全体の蓄積がない状態で、表面的に日本をまねたとしても、むしろ負の部分ばかりが大きくなり、全体としてみるとマイナスの方が大きくなってしまうのではなかろうか。中国で言えば、“地域格差の拡大”、“大気汚染”、“環境破壊” といった点だ。

 かなり以前に、山を一つダイナマイトで吹き飛ばす開発を、中国が大々的に報道していた。中国の開発のスケールの大きさを示したものだろう。

 しかし、山をなくしてしまえば、降雨量や風向きといった気象が変わってしまい、動植物に対する影響が少なからず出てくるはずだ。農作物に影響が出てきてもおかしくない。

 日本でも、“諫早湾干拓事業” による、深刻な漁業被害が出たことは、記憶に新しい。

 途上国の人が聞けば 「それは充分に経済が発展した国にいるから言えることだろう」 といわれるかもしれない。たしかにそうだろう。

 しかし、そうなる過程で様々な問題を経験してきたからこそ、言えることもあるはずだ。「背伸びをしたところで、本当の身長が伸びるわけではない」 ということを。

 ちょっとやそっとのことでは崩れない地盤を固めてこそ、安定した経済発展が行えるはずだ。ここ数日、日本でもやたらと取り上げられている “アイスランド経済危機” のニュースを聞くにつれ、つくづくそう思う。

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2008/11/11

大企業の経営者は保護されすぎてはいまいか

 前回に引き続き、今回も企業経営者についての意見を少し。

ビッグ3、国にすがる 公的資金、生き残りへ頼みの綱
asahi.com [2008年11月9日]

 少し前に、世界最大の保険会社 AIG が公的資金(=税金)の注入を受けた。さらにその前には、連邦住宅貸付抵当公社(フレディ・マック) と 連邦住宅抵当公庫(ファニー・メイ) が国有化された。

 いずれも連鎖的な倒産を防ぐことと、一般市民の財産を保護することを理由に、それらの企業を倒産させずに救済した。

 そして今度は、自動車会社のビッグ3だ。こちらも、もし仮に倒産したとすれば、従業員や年金をもらっている退職者が大きな影響を受けるだろう。

 それはわかる。

 被害をこうむる一般国民が多くなれば、それだけ社会状況は悪化して、社会生活はいっそう困難なものになる。

 そういった最悪の状況を回避するため、従業員や預金者、保険加入者を保護するために、影響量の大きな企業を救済するのは仕方がないと思う。

 ただし、救済するのは、従業員や預金者、保険加入者 であるべきだ。ところが、実質的には、従業員や預金者、保険加入者 を保護する名目で、超高額の報酬を得ている企業経営者たちを救済している。

 その企業が倒産の危機に陥ったとすれば、それは経営者の責任だ。

 にもかかわらず、公的資金を注入するために、経営者の責任を問わないケースがほとんどだ。これが私には納得できない。

 保護するのは、企業であり、従業員であり、預金者や保険加入者 であるべきだ。失敗した経営者ではない。公的資金を注入する前に、それだけの損失を出した経営者の財産を、まず注入して当たり前だと、私は強く思っている。

 考えてみれば、歴史的に権力者が、その権力を支えている人たちの窮状を、権力を使って強引に救済しようとしたことは、よくあることだった。

 徳政令はよく知られている。鎌倉時代が有名だが、平安時代から貴族の借金放棄は行われていたらしい。幕府の権力を支えている御家人を救済することで、幕府を存続させようとしたが、結局は経済の破綻を招いて、幕府を崩壊させる原因のひとつにもなった。

 現代の政府による公的資金の注入による企業救済も、超高額報酬をもらっている大企業の経営者の救済のように、私には思える。言うまでもなく、大企業経営者は現在の政権内政治家や官僚の資金源となっている。

 一般労働者は、医療負担が増え、年金負担が増え、税金が増え、得られる社会保障が減ってたいへんな思いをしている。一方で、大企業経営者ばかりが失敗をしても責任を問われずに高額報酬をもらい続ける。

 昔のソ連のように 「働きに関係なく収入は同じ」 にしろと言うつもりはない。ないが、現在は逆に、「同じ働きをしても、正社員か派遣社員かで収入が大きく違う」 というのは、反対の意味で大きな問題だと思う。

 前にも一度行ったような気がするが、正社員と派遣社員とで、企業が支払う賃金体系を今の逆にすべきなのだ。

 つまり、いつでも契約を解除できて人件費の調整をしやすい使い勝手のよい派遣社員の賃金を高する。一方で、安定的な雇用を保証する正社員の賃金を低くする。もちろん、同じ仕事をしたとしてだ。

 契約期間が短ければ短いほど、労働単価が高くなるように定めるべきだろう。

 そうすれば、企業経営者がコスト削減のためだけに、安易に派遣労働者に切り替えることもなくなるだろうし、労働者側にも選択の幅が出来る。

 今はとにかく企業(というよりは、企業経営者)に都合のよい方向にばかり法律が変えられているように思う。

 企業を保護して雇用を確保することは重要だと、私も思う。

 しかし、だからといって、企業ばかりに都合のいいように労働者を使い捨てできるような仕組みは、やはり私には間違っているようにしか思えない。

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2008/11/10

経営者の発言は要注意

 米国大統領選挙は、大方の予想通りに オバマ氏の勝利に終わった。得票差は、むしろ予想外に大差がついたように思う。

 ところで、以前にこんな記事があったのを、私ははっきりと覚えていた。

鈴木貴博のビジネスを考える目
第148回 米大統領選はマケインが勝つ?!
 鈴木貴博
  bpspecial ITマネジメント [2008年10月8日]

 別にこの記事をやり玉に挙げるつもりはないし、非難するつもりもない。むしろ、著者が聞いた話を私が聞いたとしたら、やはり同じような予想記事を書いたと思う。

 私が思ったのは、米国の上流階級とも言うべき CEO や 弁護士 の一般大衆との認識のズレについてである。

 米国の大多数の市民は、経営者は知識階級が考えている以上に、すでに人種を問題にしていない、と私は理解した。

 これが書かれた10月上旬、さらに話を聞いたのは9月上旬。そこからの2ヶ月間で、金融危機やら、ペイリン副大統領候補の失態、などで、状況は大きく変わったこともあろう。現に記事の中にも、

「このままペイリン副大統領候補のスキャンダルが大きな騒ぎにならなければ、」

という一文を入れている。

 とはいうものの、一部で懸念されていた “ブラッドリー効果” もなく、オバマ氏が圧勝した。やはり、白人男性の大企業経営者や弁護士といった上流階級の認識と、大多数の一般市民とは認識が大きく違っていたとしか思えない。

 同じことは日本でもいえるだろう。

 経済的なニュースがあると、経団連やら著名な会社経営者がインタビューを受けているが、彼らの発言が的を射ているようには、私にはどうしても思えない。

 特に一般消費者を相手にしている企業であれば、一般国民の常識や流行をきちんと把握していなければ、売り上げが伸びないはずだ。にもかかわらず、従業員を 「コストが安く済むから」 という理由で、安易に派遣社員に切り替えたり、そもそも労働者を設備やコスト程度にしか考えない経営者が、一般国民の気持ちを理解できているとも思えない。

 以前に紹介した経営者の発言を読んでもらってもわかるように、一般常識と比較するととんでもないことを言っている。

 大企業の経営者だからといって、その発言を鵜呑みにするのは危険である。

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2008/10/30

親業

 いつものように NBonline の記事を読んでいたら、下の記事が目に付いた。

白河桃子の「“キャリモテ”の時代」
【第32回】「自然に出会って結婚」はもう無理?
女性が結婚できない3つの理由(その3)

 白河桃子
  NBonline [2008年10月29日]

 この記事の3ページ目に、たった一言だけ書かれていることが、私の興味を引いたのだ。

フランスは5人子供を生めば「親業」だけで食べていけるが、日本にはそんな制度はない。

 さっそくググってみると、こんな記事が見つかった。

もっと知りたい
フランスの少子化対策
 北海道新聞 [2006年8月12日]

 この記事によれば、

  • 子供が二人の家庭には、月117ユーロ(約1万5千円)の支給
  • 三人目以降は、子供一人につき、月150ユーロ(約2万円)の支給
  • 子供が三人以上の家庭には、交通や宿泊施設の割引
  • 公立ならば高校まで学費無料

といった、親に対する国の経済的支援が山のようにある。

 子供が5人いれば、月に7万5千円以上の支給がされるわけだから、たしかに 『“親業” が認められている』 という表現も、うなづける。

 私の以前からの持論は、

子供を社会に貢献できる大人に育てた度合いに応じて、国が老後の資金提供を行う

というものだ。

 老後に焦点を当てたのは、子育てをしている、まさにその時に経済支援を行うと、子供が “いる” 事を利用してビジネスに結びつける輩が出ると考えたからでもある。

 私の持論とは違うが、国がきちんと子育てを “立派な仕事” として支援しているフランスの姿勢は、国のあり方として正しいと考えずにはいられない。子育てが “ボランティア” や “趣味” の領域に入ってしまったのを放置している日本とは、比較にならない。

 総選挙において与党を有利にするためにしか見えない定率減税(=税金のばら撒き)の実施を、これまた “失敗” との評価が定着している 『地域振興券』 と同じ方法をとろうとしている今の日本の政治屋達には、フランスをはじめヨーロッパ各国が行っているような有効な少子化対策は、望めないだろう。

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2008/10/29

株価、26年ぶりに7000円割れ、と言うけれど

 今回も、知識が乏しいのにあえて株式について、思うところを書いてみた。株式投資といった積極的な資金運用も行っていない者の戯れ言なので、もし、読んでいただけるのであれば、そのあたりを念頭において読んでいただければありがたい。

---------------

 昨日の午前中に見るとはなしにテレビをつけていたら、速報を知らせる音が聞こえた。テレビ画面を見たら、「日経平均が26年ぶりの7000円割れ」 という速報を流していた。

 何の根拠もなかったが、個人的には 「この流れでいけば7000円割れも時間の問題だろうな。」 と思っていたので、別段驚きはしなかった。

 それよりも私には、株価が速報で流されたり、NHK のニュースのトップを飾ったりする方が、異様に感じる。

 株式とは、もともと大きな事業を立ち上げるために、より多くの人から資金を集めるために始まったはず。そして、その事業の成功の度合いに応じて、投資した企業から配当がもらえる仕組みだったはず。

 それがいつの間にか、株価の値上がりを予想しての売り買いが、株取引の主流になってしまった。そして、多くの人々が日々の株価に一喜一憂するようになってしまった。

 私も前から言っていることだが、株価の値上がりによる利益は、賭博による儲けと同じだ。利益を上げた人の分だけ、損失を出した人がいる。そこには、なんの価値も生み出されていない。

 そんな賭博の情報が、緊急速報で流されたり、NHK のニュースのトップだったりするのが、私にはどうしても納得できないのだ。

 「株価が高くなってより多くのお金を企業が集めることが出来れば、その企業はより容易に事業を拡大して価値を創造することができる。」 という説明も、理解できないわけではない。

 しかし、額面とはかけ離れた高額の株価で資金を調達できる、というのは、私には理解しがたいものがある。

 もちろん、価値のある企業の株価に高値がつくのは、いたしかたがないとは思う。問題なのは、企業の価値とは関係なく、相場の雰囲気といったものによる株価の上がり下がりで大もうけが出来る、という点だと思うのだ。

 だから、そういった価値を生み出さずに上げた儲けについては、大きな大きな負担をかけるべきだと、私は思うのだ。

 例えば、

  • キャピタルゲイン(株売買による利益)には、9割の税金をかける
  • キャピタルロス(株売買による損失)で利益を相殺できなくする

といったようなことで、賭博的な株式売買と、それに伴う混乱を抑えるべきだ、と私には思えるのだ。

 株式から得られる利益は、株式投資によって生み出された価値からの配当によるものになるべきなのだ。

 たとえ株価が下落したとしても、株式によって企業に投資された資金が目減りするわけではない。

 「何世紀前の話をしているんだ?」 と言われるのは分かっているつもりだ。私が言っている内容が、ぜんぜん現実に即してないことも。

 ただ、昔にユーザビリティーに携わってきたことで、まずは、「理想的にはどうあるべきなのか」 を現実を無視して考えるようになった。現実を無視した理想を考えることで、現実の不都合をどう改善すれば一番よいのかが見えてくるからだ。

 そして今回の株暴落で私が思ったのが、「株式売買のみで、生活が出来るあるいはそれ以上の収入が得られる仕組みをなくすべきだ。」 ということだ。

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 素人の戯れ言にお付き合いいただき、ありがとう。

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2008/10/28

企業の民主主義化

 久しぶりに目から鱗が1枚落ちて、モヤモヤが一つ晴れた意見を聞いた。

強い会社は社員が偉い
新しい「日本型経営」の時代がやって来る
金融危機の時期にもどってきた「野々村人事部長」

 永禮弘之
  NBonline [2008年10月27日]

 この記事の2ページ目の最後の部分、

18世紀にフランス革命が起きた時に、君主制をとっていた他国の人たちは、「愚かな民衆」に政治を委ね、民衆の意思を最優先する民主主義など、うまくいくはずはないと考え、理解に苦しんだことでしょう。

 これを読んで、私は 「あ~、そうだったのか」 と長いこと晴れなかったモヤモヤを、一つすっきりさせることが出来た。

 「社員は会社の歯車」 とは、昔からよく言われている。しかし、私はそれがどうしても納得できなかった。

 「会社の運営に一般社員の意思が反映されなくてもよいのか」、「一般社員を設備や資産や経費扱いしている経営は間違っていないのか」、「それは単に私が一般社員の立場でしかないからそう思うだけなのか」、などなど、はっきりとした答えを出せないまま、ここ数年ずっとモヤモヤが続いていた。

 しかし、永禮氏が考察したように、歴史に学べば、管理される側が管理する側を選出する成功例が、実に身近にあったのだ。

 もちろん、永禮氏の例えが 「絶対に正しい」 と言うほどの自信が、私にあるわけではない。しかし、同じように人間が組織するモノの話だ。共通点が無いとは思わない。

 世界には、いまだ独裁国家や貴族国家が多く存在しているのと同じように、既存の形態の企業がすべて 『民主主義企業』 に取って代わられるとは思っていない。

 それでも、今後の経済活動の中で中心的な役割を担うのは、『民主主義企業』 になっていくんじゃないかという気が、漠然とではあるが、している。

 永禮氏のコラムでも書かれているように、構成員のモチベーションが高く、労働生産性が高いほど、より強い組織となれる。歴史から学べば、君主制国家よりも民主主義国家の方が、はるかに生産性が高く、強い国になっていった。

 同じように、君主制企業よりも民主主義企業の方が、より強い企業となっていくことが自然な流れのように思う。

 民主主義ですべての人が幸せになれるわけではないことも、知っている。しかし、君主制や独裁制よりもはるかに多くの人が幸せになれることは、歴史が証明している。

 今の日本で、最も多の労働者が従事している “会社” で働いている人たちが、一人でも多く幸せになれるのであれば、それがモラルの向上へとつながり、社会の安定を高めることにもなると、私は思っているし、望んでいる。

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2008/10/25

大河ドラマ “篤姫” とダブって見えたモノ

 NHK の大河ドラマ “篤姫” が、人気らしい。

 おかげで NHK が平均視聴率で民放を超えたとか。その勢いもあってか、“篤姫” が大河ドラマ史上初の、『本放送終了前の再放送』 となった。

 遅ればせながら、私も再放送で “篤姫” を見始めた。

 たしかに、見ていて楽しい。まったくの余談だが、原作者も脚本家も女性ということで、女性的な流れが多くて、そのあたりを私は早送りしてみている coldsweats01 ものの、「恥ずかしくて見ていられない」 ほどではない。

 再放送では、主人公の篤姫が将軍との婚礼が決まり、篤姫が大奥に入ったところまで進んだ。

 大奥に入ってから、篤姫に対して行われる大奥の作法を見て、ふと、あることとダブって見えた。もっとも、ドラマ内の作法が、当時の作法を完全に再現していると思っているわけではない。しかし、時代考証はかなり行っていると思われるので、まったく別なことをしているとも思わない。

 具体的には、

  • 料理は、御台所が一口食べる毎に新しいモノに取り替える
  • 衣装は、日に五回替える

というところが、気になった。それだけならば、これまでにも大奥を紹介するテレビ番組で聞いていた内容だ。それに加えて今回は、篤姫が “横になって二度に分けて行う髪すき” や “髪を結いながらの食事” を変えようとすることに対して、篤姫付きの御年寄が 「古くからの慣わし」 といって、変えるのを拒むのを見て、あることとダブって見えたのだ。

 また、あちこちの大奥や幕末に関する資料を調べると、大奥にかかる経費は、当時の幕府にとっても大きな負担であったらしく、江戸時代に行われた数度の改革でも、大奥の経費削減は重要な要件だったようだ。

  • 「古くからの慣わし」 を理由に慣行を変えたがらない
  • 政治権力に隠然たる影響力を持つ
  • 経費を浪費する

 この三要素を見て、私にはどうしてもダブって見えてしまうものがあった。それは、

現代の官僚

だ。もっとも、私がそう思っただけなので、それが誰にでもピンとくる話だと思っているわけではない。

 徳川幕府初期は、大奥によって後継者の安定供給がはかられて、権力基盤を固めることができたのかもしれない。しかし、やがて大奥が際限なく肥大したために、そのかかる負担が徳川幕府の重石となり、徳川幕府の衰退の一因となったともいえる。

 日本の官僚システムも、戦後や高度経済成長時代ごろまでは、優秀な人材と高いモラルによって、日本経済躍進の立役者だったといえるだろう。しかし現在、官僚たちが行い政策・行政はことごとく裏目裏目となり、モラルは低下して、現在の日本の政治システムの衰退を招いている。

 「歴史は繰り返す」 を信じるとすれば、そのうちに、今の政治・官僚システムがすべて廃止されて、まったく別な新しいシステムが作られる時が来るのかもしれない。

 万が一、そのようなことが起こった時には、大量の犠牲者が出るような大きな混乱とならないことを、願うばかりである。

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2008/10/21

生産拠点の中国進出、その果てに

時流超流
生産活動、世界で縮む
日本企業に迫る津波(1)

 星良孝、飯山辰之介
  NBonline [2008年10月20日]

 ほんの10年~数年前まで、

「これからは製造拠点を中国に移さなければ生き残っていけない」

などという話をよく耳にしたが、数年たった今、どうなったか。

 上記記事の最終6ページ目のコラムの話だ。

中国進出の日本企業、撤退できず破綻

曲がり角に差しかかった中国ビジネス。今後は撤退を余儀なくされる日本企業が増えそうだ。だが、いざ撤退しよう思っても、そう簡単に撤退できるわけではない。

 『中国に生産拠点を移転して生き残る』 どころか、『中国に生産拠点を移したために倒産』 ではないか。

 大手企業との取引関係から中国進出したのは、ある意味、災難だったとも言える。それに対して、経済評論家や経営コンサルタントの都合のいい話だけを信じて、自ら進んで中国進出した企業は、自らの読みの甘さを後悔するしかないだろう。

 ずっと以前より、中国は法治国家ではなく、“人治国家” と言われてきた。担当者の都合で法律がいつの間にか変わっていることが、日常茶飯事だとか。

 だから、

企業所得税法改正によって、外資系企業誘致の呼び水だった税制優遇措置が縮小された。
労働者の権利保護を定めた労働契約法の施行もされた。

などということも、企業経営者であれば想定していなければならなかったはずだ。当然、中国から撤退することも想定して、そのシミュレーションも行ってしかるべきだった。

 これは生産の話だが、消費についても似たようなことが言えるのではないかと、私は前々から思っている。

 『中国には10億人の市場が広がっている』 とは、よく聞く話だが、本当に日本の10倍の市場があるのだろうか? 私はずっと疑問に思っている。

 たしかに都市部の所得は大きく上昇している。富裕層も増えているだろう。最富裕層は日本の富裕層以上の資産を持つという話も聞く。

 だが、いまだ中国の多くの地域は極貧にあえいでいる。周辺自治区では、中央政府に対する反発から治安の悪化が伝えられている。そんな地区での所得がすぐに先進国並みになるとは思えない。

 北京オリンピックで地方から集められた労働者が、仕事がなくなり地元にも帰れずに、都市部で浮浪者の状態にあるという記事も、目にしたことがある。そういった貧困層の人たちが都市部で暴動を起こしているという噂もあるとか。

 最悪のケースを考えれば、大多数を占める市民が、一部の特権階級である中国共産党に反旗を翻して内戦、ということにもなる。

 もちろん現実的には、中国共産党がそのような状況にしないために、アメとムチをうまく使い分けて、大規模暴動や内戦などといったことは起こさないとは思う。

 それでも、そんな不安を抱えたまま、中国の大多数の人たちが日本人と同レベルの所得を持つとは、私にはとても考えにくい。

 奇しくも、昨日のニュースで、中国の前四半期の GDP の伸び率が9%と、早くも一桁台に落ちたと言っていた。世界経済の悪化の影響ももちろんあろうが、北京オリンピックで無理に無理を重ねてきた反動が出たもので、ふたたび  GDP の二桁の伸び率に戻ることは難しいのではないかと、私には思えて仕方がない。

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2008/10/20

デリバティブの危険性がほんの少しわかったような気がした

牧野洋の「世界の常識・日本の非常識」
他人の資産に勝手に保険をかけた綻び
「金融版大量破壊兵器」を拡大させた米国

 牧野 洋
  NBonline [2008年10月20日]

 デリバティブ、ヘッジ・ファンド、等などは、私には何が危険で、何が問題なのかが、まったくわかっていなかった。だが、上記の記事のある部分を読んで、その危険性がちょっとだけわかったような気がする。

 2ページ目に紹介されているフォーチュン誌の例えが、それだ。

友人が危険な運転をするドライバーだとしよう。「絶対に事故を起こす」と考え、保険会社を訪ねて友人には無断で勝手に車両保険をかける。「他人の資産に保険をかける」わけだ。その場合、友人が本当に事故を起こせば、保険金をもらえる。

 百歩譲って、保険料を払っているのだから保険金がもらえることが問題ないとしよう。しかし、これはもはや保険ではない。自分がこうむる損害を補償するためのモノを保険と呼ぶと考えれば、友人の事故は自分には直接損害が及ばないのだから、これは保険ではなく “ギャンブル” だ。

 どの馬が1着でゴールするのか、どのサッカーチームが勝つのか、を予想して掛け金を払うギャンブルと同じ形式にしか見えない。

 リスクの高い “ギャンブル” を、安全性が高いもしくは高める “保険” という名前で売り出すことも充分問題だと思うが、下の内容がデリバティブの本当の危険性だと思った。

もっと複雑な展開もありえる。保険会社も「本当に事故を起こしそうだ」と不安になり、保険契約を第三者へ転売する。その第三者が、保険金を払う能力があるのかどうかも外部からではよくわからない、無名のヘッジファンドだとしたら……

 事故が起こったら確実に保険金が支払われるようなうたい文句で保険金を集めておいて、その保険の責任を支払いが出来ない会社に転売されたとしたら、これはもう “詐欺” としか呼べないのではなかろうか。

 もちろん、他人の事故を当て込んで勝手に保険をかけるのもどうかと思うが、そこにつけ込んで支払い義務を他社に丸投げすることが、とてもマトモだとは思えない。

 たしかに、危険が高まったものを第三者に転売することで、その保険会社は “リスク・ヘッジ” 出来たかもしれないが、保険金を支払った人にとってはむしろリスクが高まったことになる。

 この “ゲーム” が、誰も理解できない形で、誰も把握できない形で行われているとしたら、たしかに市場が疑心暗鬼になり、株価が急落するのもなんとなくわかった。

 自分がこういった金のやり取り、駆け引きに興味を持たず、モノを作って価値を生み出すことにのみ興味を持ったことに、今は感謝するばかりだ。

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2008/10/14

人種、国籍、年収が違っても考えることは似たようなものということか

 毎回お決まりの言い訳になってしまったが、私は経済方面についてはド素人だ。株取引、為替相場、先物取引、資産運用、等などに興味がないため、基礎的・常識的な知識さえ、説明を求められたら、かなり危うい。

 また一般論の話になってしまうが、人は物理的に見て・触れるモノの理解は容易だが、影も形も臭いも味もしないような概念的なものを理解するには、一種の素養や才能といったものが必要となる。パソコンをうまく使える・使えないの差が出るのも、そのあたりの理由によるものだと、私は思っている。

 そんな私でもこの説明を聞いて、サブプライム問題と日本で大問題となったある事件とがオーバーラップした。

「産業突然死」の時代の人生論
緊急提言 ポールソン案は額不足、手順も誤り

(この記事は、大前研一氏が『The Financial Times』ならびに『The Japan Times』に寄稿した緊急提言(英文)の全文を日本語に訳したものです。)
  大前 研一 (経営コンサルタント)
   SAFETY JAPAN [2008年10月1日]

 この記事の5ページ目、

サブプライムローンをプライムローンに混ぜ込んで「安全な金融商品(CDO)」として売ることに対して、これまでは寛容でありすぎた。おまけに無責任な保険会社がこの手の商品を保証するものだから、いかにも安全そうにみえた――少なくとも、この保険会社が破綻するまでは。さらに格付け機関が乗り出してきて、細切れのローンをこね合わせた代物にトリプルAすなわち最優良の格付けを与えた。こうして折り紙付きとなった「ミンチ商品」が世界中に輸出されたのである。

この部分を読んで、私はすぐに “あの” 事件を思い出した。

 そう、“ミートホープ社によるひき肉偽装” 事件だ。

 ミートホープ社の事件では、

 「豚肉・鶏肉・パンの切れ端を牛肉に混ぜ込んで「牛肉100%商品」として売っていた。」

しかも、知らなかったとはいえ、

 「有名ブランドである加ト吉が製造をして、消費者の安全・安心を第一に考えるとしている Coopが販売していた商品に使われていたものだから、いかにも安全そうにみえた。」

という部分も重なっているように、私には見えてしまう。

 自己の利益のために、多くの人に被害を出し、さらに海外の多くの国に輸出されたという点では、“中国のメラミン入り牛乳” ともダブって見えてしまう。

 そう考えると、米国と行き過ぎた拝金主義として批判されている中国は、扱っていたモノは違っていても、やっていたことはたいして変わらないとも言える。単にそれぞれの国での主要な産業が違う(米国=第三次産業、中国=第一次産業)ために違って見えるだけで、主要産業で起こった問題という観点で見れば、両国でやってることは同じようなものとも言える。

 そして、米国では年収何千万円・何億円も稼いでいる人たちがサブプライムローン問題を引き起こし、中国では年収何万円の人たちが問題を引き起こした。

 人は、本質的に、考えることは同じであり、恵まれた環境か否かということは、たいした問題ではないということの証明のように思える。

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2008/10/13

国は肥大化しすぎた金融システムから距離を置くべき

 今日もまた、暴論をひとつ言おうと思う。

 まず、私は金融や経済学については、ずぶの素人だ。あくまで素人が現在持ち合わせている知識と、漠然と感じていることだけで書こうとしている。そんな人間の言うことなので、事実誤認や常識ハズレな発言の詰め合わせな記事なることは避けられない。よって、読まれる方は、そこのところを踏まえて、寛容な気持ちで読んでいただきたい。

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 米国、ヨーロッパ、そして日本と株価が急落をして大騒ぎになっている。先進主要国の金融担当大臣が集まり、この局面をいかに切り抜けるかを話し合ったほどに、危機的な状況といえる。

 20世紀前半に世界恐慌が起こり、世界中の多くの人々が不安な日々を送ることになった。それは、第二次世界大戦というより大きな混乱と不幸を引き起こしたといってよいだろう。

 その後は世界恐慌の教訓から、大きな混乱を招くこともなく、1987年のブラックマンデーも何とかやり過ごしてきた。

 しかし、21世紀に入った今日、再度、実体経済に影響を及ぼすほどの金融危機が起ころうとしている。

 証券や投資といった金融システムは、ただ持っているだけでは何も生み出さない “お金” というものが、新しい価値を生み出すモノへ貸し出されて、社会の発展に大きく貢献しているのは理解しているつもりだ。それによって私の日常がより豊かになっているのだろうと、なんとなく思っている。

 それでもいったん歯車が狂い始めると、多くの人たちの日常に多大な悪影響を及ぼす現在の金融システムは、何かが間違っているとしか、私には思えない。

 だから私はあえて、「金融システムをすべて白紙に戻して、透明性が高い、本当の意味で社会の発展に役立つお金の流れを作るべき」 だと言いたいのだ。

 もちろんそれが現実的ではないことは、自分自身でも理解しているつもりだ。「車による交通事故が多発しているから車をすべてなくせ」、「インターネットによる情報流出があるから、インターネットを止めろ」 などと主張する人がいれば、私も 「なにを馬鹿なことを」 と思うに決まっているのだ。

 しかし、そう言わしめる何らかの問題があるのも事実で、車であれば、前方の危険を察知するシステムが研究開発されていたり、インターネットであれば、セキュリティーを向上させる実装が日々行われている。

 人は、規制するものがなければ、際限なく自分に都合のいいように物事を解釈する。金融に携わっている人たちが、「自分達は世界経済に欠かせない仕事をしているのだから、大金を手にしても当然だ。問題が起これば、国が助けるのが当然だ。」 と考えるようになるのも、あまりにも国の政策が金融に対してフリーハンドを与えすぎた結果といえる。

 国は、金融システムに重大な問題が発生しても、国全体がその悪影響を受けないように、金融システムから距離を置くべきである、というのが、私の主張だ。

 政府や政府機関が持つ資金も、様々な証券や投資で運用されている。そういった運用をすべて止める。国債の発行も止める。国は、手持ちの現金で、身の丈にあった運営を行うべき、という、私の主張だ。

 それによって、世界の経済発展から取り残されるかもしれないが、今回のような経済危機からも無縁でいられる。丁度、世界恐慌の時のソ連のような立場だ。

 日本国内の企業が、世界の金融市場から資金を調達したり、資金を証券などで運用することも、もちろん厳しく制限する。

 もっとも、そんなことをすれば、企業が海外にどんどん移転していって、日本国内にはろくな企業が残らないのは目に見えているのだが・・・。

 それでも、金融に詳しくない人たちが、自分達の預金や保険、年金といったものがなくなるのではないかと心配しながら生活しなくても済むようになるのは、社会の安定につながると思うのだ。

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 何度も言うようだが、これは私の暴論であり、暴言だ。とても、現実的な意見とは言えない。

 ところで、「現状維持は、衰退と同じである」 といった話を、経済界の関係者からよく聞くが、私には、「はたして本当にそうなのか?」 という疑問がいつもついて回っている。

 今後日本の人口は減少していくと予想されている。人口が減少しながらも経済規模を維持することが出来れば、一人当たりの経済価値は高くなっていくことになる。

 人類が誕生したときから、市場経済も証券市場もあったわけではない。人類にとって、現在の金融システムに変わる “何か” があっても、決しておかしくはない。それがなんなのかは、今の私にわかるはずもない。それでも、何かあるに違いないという根拠のない期待だけは持っている。

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2008/10/10

米国では、金持ちが貧乏人を搾取する?

ニュースを斬る
業を破綻に追い込む「利益偏重主義」
『会計物語』の林 總氏と『エネルギー』の黒木 亮氏が緊急対談(後編)

 NBonline [2008年10月10日]

 会計やらキャッシュ・フローやらは、私の苦手な分野の一つなので、上記の記事の具体的な理解は、いまひとつ出来ていない。

 私が非常に気になった部分は、まったく別なところだ。3ページ目の、

黒木 最近の米国の社会を眺めていると、拝金主義が過度に広まっているという印象を強く受けます。何よりもお金を持っているかどうかが尊敬の基準になっていて、高そうなスーツを着て、チップを気前よく払う人間が一目置かれるようなありさまです。
 反対に、いくら仕事で実績を上げても、地味な格好をしていたら、それだけで軽く見られてしまう。私もかつて米国に行った時に、そのことを理解するまでには、だいぶ不愉快な思いをさせられました。

 確かに、いくら頭が良くて、仕事ができる人間でも、米国ではお金を持っていないと認められません。「頭がいいなら、なんで貧乏なんだ?」という感覚なのです。極端に言えば、金持ちは貧乏人を搾取するのが当然といった感じで、ちょっと日本人にはついてゆけない気がします。

の部分だ。

 私が10年以上前に米国で働いていた頃には、まったくこのような感じは受けなかった。

 なので、このような拝金主義は、ワシントンD.C.やニューヨークといった政治・経済の中心部周辺のことだと思いたいのだが、もしかしたらこの10年の間に大きく変わったのかもしれないし、昔からアメリカ人の根底にあったが見えにくいだけだっただけかもしれない。

 いずれにしろ、「金持ちは貧乏人を搾取するのが当然」 という感覚が、一部の人たちであれ大部分の人たちであれ、アメリカ人の感覚だとすると、サブプライム問題や粉飾もどき決算、ハゲタカファンド、企業経営者の常識を超える高額な報酬、等などが、なんとなく理解できそうな気がする。

 そして日本も、小泉元首相が “グローバル・スタンダード”、“構造改革” という名前で、この 「金持ちが貧乏人を搾取」 という部分を、輸入・実践したようにも見える。

 ところで、“権力を持つものが支配されているものから搾取する” という考えは、ヨーロッパでいえば、中世の王侯貴族が社会を支配していた頃の考え方と同じように見える。

 世界の警察を自称し、世界のすべての人の平等と、自由主義経済、を標榜する米国において、政治・経済の中心にいる人たちの思考が、階級社会であった中世の権力者の思考とさほど変わらないというのは、なんとも皮肉な話だなと強く感じた。

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2008/10/09

森永卓郎氏、がんばれ

構造改革をどう生きるか
第154回 今まさに瓦解する市場原理主義

 森永卓郎 (経済アナリスト) [2008年10月6日]

 私がだいぶ前から気がついたこと、思ったこと、私が最近感じていたこと、と、ほとんど同じことを書いてくれている。しかも、わかりやすく、読みやすく。coldsweats01

 NHK が1995年に放送した 『映像の世紀』 という番組を見て、

  1. 19世紀の終わりは比較的安定した平和な時代だったこと、
  2. 20世紀に入って世界情勢が不安定になり、
  3. 2度の世界大戦を経て、
  4. 20世紀半ばにふたたび比較的安定で平和な時代になった

ということを理解した。
(歴史書や歴史の教科書を詳細に読めばわかる話なのだろうが、私にはそこまでの読解力がなかった。)

 そして現在21世紀となり、私はふたたび動乱の時代が来ると半ば確信している。それは、世界大戦という形とは限らない。個人的にもそんなものは起こって欲しくはない。

 そして、世界の覇権が米国から他の国に移ることになるだろう、ということも私は確信している。21世紀後半に世界の覇権をどこの国、どこの地区が握ることになるかまでは、予想し切れてないが。EUを強化したヨーロッパになるのか、オイルマネーを持つ中東になるのか。ただ、無理に無理を重ねている中国が覇権を握れるとは、私は考えることが出来ない。また、残念ながら、今のこの社会システム、官僚システムでは、日本も問題外の外だ。

 金融資本主義についても、1991年の日本のバブル崩壊以後、ずっと私の中では違和感が続いていた。

 要は、自分自身では新しい価値を生み出さず、人が生み出した価値によって得られた財産を、どういう形にしろ横取りするのが今の “行き過ぎた金融資本主義” だ。横取りした人の財産は増えるが、横取りされた人の財産は同じだけ減る。いわゆる 『ゼロ サム ゲーム』 だ。

 新しい価値を生み出すためには、元手、それも多額な元手が必要なこともあるだろう。そのためには、たしかに、金融によって多額の元手を集める方が効率がよいので、「金融がまったくいらない」 とは私も思っていない。

 だが、価値を生み出すモノへ元手を集めることにはまったく関係なく、情報の格差のみを利用して、人から金を巻き上げることが出来てしまうことが、やはり問題なのだと思う。

 森永氏は、テレビ番組などでは異端扱いされて、あまりマトモに取り合ってもらえてないように見える。それでも、森永氏が言っていることは正論であり、人が進むべき道の一つを示していると、私は強く感じている。

 森永氏のような意見を言う人たちが、マトモにマスコミで取り上げられないうちは、マスコミの健全化も、日本がもう一段成長・繁栄することも、ないだろう、と私には思える。

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2008/10/08

インターネット世論が社会を変え始めた

池田信夫の「サイバーリバタリアン」
第37回 「第5権力」としてのウェブ
 池田信夫 (経済学者) [2008年10月7日]

 B-CAS が本当に廃止になるなら、私にとってもうれしいことだ。そしてそれに伴ってダビング10が本当に廃止になるなら、録画機が以前の使い勝手と同じになり、さらにうれしいことだ。

 消費者もバカではない。制限がついてる国産録画機と制限のない外国産録画機があれば、使い勝手のいい外国産に売り上げの多くを取られるのは目に見えている。もっとも、誰にでもわかることをすぐに実行できないのが日本企業の悪いところだ。Netbook が市民権を充分に得てからようやく発売するとか。

 インターネット、Web、ブログ、SNS。池田氏の意見では、それらがマスコミを監視・制限する権力として機能し始めたとある。

 マスコミがマスゴミと呼ばれるようになり、ジャーナリストが自分と自分の組織の利益のみを優先するようになり、挙句の果てに対立すべき権力に擦り寄るようになった。というのが、私の以前からの意見だ。

 だから、インターネットを介した大多数の個人による、マスコミの偏りや嘘を暴いていく状況は、私が期待して望んだ状況でもある。

 たしかに 「企業保護」 が必要な部分もある。今後成長が有望な新規の産業分野 や 少数の大企業が独占している分野の中小企業などだ。また、よく批判される農業保護も、食料自給率を維持するためにも必要である、というのが私の意見だ。

 それでも、今の 「企業保護」 は産業分野の育成による国民生活の向上とは無関係に、役人の天下り先の確保で使われている。そういった 企業保護 は、まっさきになくすべきだ。

 いずれにしろ、インターネットの普及により、状況は変わりつつある。個人が大きな組織のマスコミと対等に張り合える状況が、限られた範囲ではあるが、出てきている。

 ただし、今の状況ではまだインターネット上の個人的発言が、国民の総意を反映しているとは思っていない。

 デジタル・デバイドという言葉に象徴されるように、インターネット上の意見を読んだり、ましてや意見を言える人たちは、まだまだ少数派だ。

 若い世代、ある程度経済的に余裕のある人達、テクノロジーに嫌悪感がない人達、に偏っているといえるだろう。日本の成人人口の半分もいないと思われる。少なくとも私の周りを見ると、私の父母、姉、カミさんの父母、といった世帯には、インターネット環境がない。

 逆に、仮に日本の成人人口のほとんどがインターネット上に自由に意見を書き込めるようになれば、今よりももっと豊かで住み良い社会になるかと考えると、そう単純でもないと思う。

 クッションを置かず、個々人の意見がリアルタイムに近い形でダイレクトに政治に反映されると、一時的な感情によって政治が右往左往することになりかねない。下手をすると、扇動政治家を独裁者にしてしまったり、戦争を始めたりするかもしれない。

 それを回避するためには、やはり有識者の見解や知見が重要になる。ところが、その有識者も最近では、私利私欲に走っているようにしか見えない人たちが大半のように見える。とてもじゃないが日本の将来設計、ロードマップを、そんな人たちに任せる気にならないのが、残念なところだ。

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2008/10/02

家庭用燃料電池がいずれ普及するとは思っているが…

特集 低炭素時代めざす物流革命-3
インフラ整備と電池性能向上で電気自動車が主役になる

 bp special ECOマネジメント [2008年9月25日]

 上記の記事を興味深く読んだ。たとえば、

東京から札幌市の北海道庁までの858.7kmを、(中略) 電気自動車(EV)が走破した。(中略)このときのR1eの燃料費(電気代)は、たったの1713円だった。

1700円といえば、今のガソリン価格からすると 10ℓ ほどだ。10ℓ で走破したと換算すると、86km/ℓ にもなる。この数値にたいした意味があるわけではない。それでも、この数値なら、「車を使ってもいいかな」 と思える数値だ。

 学生の頃、「電気は止めたり流したりが簡単な使い勝手がいいが、単価が高い」 と学んだが、電気自動車だけを見ると、必ずしもそうとはいえなさそうだ。

 単価が高いといわれる電気だが、最近の家庭における利用では、電気の比率がどんどん高くなっているように思う。

 いわゆる、“オール電化住宅” は、火を使わない、排気ガスを出さない、といった安全面から、今後の高齢化社会を考えれば、ますます増えていくだろう。

 そういう状況において、私が学生時代からずっと期待してるのが “家庭用燃料電池” だ。大学の研究室で、燃料電池にかかわる材料の研究をしていたことから燃料電池を知る。

 以後ずっと、「将来はきっと家庭用燃料電池が広く普及するに違いない」 と思ってきたものの、いまだに普及する兆しはない。

 こちらの記事を読んでもらえれば、現在の発電・送電システムが、いかに多くの無駄を出しているかがわかる。

シートン俗物記
直流と交流 エジソンとテスラのリターンマッチ

 送電中の損失、送電線を敷設するために高価な銅を大量に使用、鉄塔を建てるための資材、鉄塔を建てる場所、鉄塔の維持、電柱、地下に送電線を敷設するときはその工事、などなど、実に高いコストがかかる。

 電気の使われ方を見ても、直流で使う機器が実に多い。パソコン関係は、ほぼ直流5Vや12Vだ。テレビも内部では直流に変換されて使われている。家の中でACアダプタで電気をとってる機器のなんと多いことか。

 燃料電池や太陽電池なれば、(電圧の変換は必要になるものの、) 直流をそのまま取り出せる。各家庭に設置をすれば、長大な送電線もいらないので、送電による損失もほとんどない。街中からは電柱や鉄塔が消えてすっきりする。道路工事も送電線の分が減って高じ渋滞も少なくなる。いいことづくめだ。

 もっとも、大人coldsweats01になっていろいろわかってくると、仮に燃料電池そのものの技術的な問題が解決されたとしても、おそらく “政治的な” 問題で家庭用燃料電池の普及が妨害されるのではないかと思っている。

 もちろんそれは、既存の電力会社による妨害だ。テレビ局などと同じく、電力会社も独占企業として安定した収益を上げている。

 もし、燃料電池が各家庭に普及することになれば、これまで巨大な発電施設にかけてきた膨大な投資が無駄になってしまう。工場や商業地区への送電はなくならないだろうから、まったく電力会社がいらなくなることはないだろうが、それでも家庭用の給電がなくなれば、大幅な事業規模の縮小になるだろう。

 もちろんそんなことは電力会社には許容できないだろうから、家庭用燃料電池の普及を妨害してくるだろう。上記の記事にもあったように、現状の太陽電池からの売電を制限することで、太陽電池の普及を妨害している電力会社だ。エコのために戸別発電を推進するようなことをするとも思えない。

 それでもオール電化住宅で、ガス会社がかなりの危機感を抱いているように、より快適なものであれば、家庭用燃料電池もいずれ普及するだろうと、私は楽観視している。それが10年後なのか、50年後なのかはわからないが。

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2008/09/26

「実は私も失敗すると思ってました」 などという言葉は聞きたくないものだ

 小泉元首相が、次の衆議院選挙に立候補しないと明言したことが、ニュースになっている。

 小泉元首相が首相時代に行った構造改革は、私もそれなりに評価できると思っている。ただし、中途半端に終わってしまったのが残念で仕方がない。

 小泉構造改革によって、企業経営者など一部の人たちだけが利益を独占できるようになった。また、非効率で不道徳な高級官僚たちは、そのまま放置されている。

 理由はどうであれ、老害化する前に国会議員を辞める決断をしたことは、素直に評価したいと思っている。以前に、自民党の長老達を公認せずに引退に追いやった小泉元首相なだけに、自らがいつまでも国会議員にしがみついていたら、「なんだ、結局、自分だけは特別扱いか」 と思われていただろう。

 それよりも、小泉元首相の引退宣言に呼応するかのように、とたんに小泉構造改革に対して 「失敗だった」 と言い出す自民党議員がいることに、あきれた。そんな風に思っていたのなら、なぜ最初から言わなかったのかと言いたい。

 こんな話を見聞きする度に、私がとあるソフトウェアに対して、それまでとまったく異なるインタフェースを設計して、実装してもらったときのことを思い出す。

 ユーザビリティ テストの結果に基づいて新しいインタフェースを提案して、チーム内を何とか説得して、納得した上でそのインタフェースを実装してもらったと、思っていた。

 結局、一部のユーザーには好評だったものの、既存のインタフェースに慣れた大多数のユーザーには不評だったため、新しいインタフェースは “失敗” ということになってしまった。

 失敗したのは私の責任なので、それについて非難されるのはしょうがない。

 しかし、一つだけ納得できないのは、『私も最初からダメなんじゃないかと思っていたんですよね』 と、失敗と判断されてから急に言い出すチームメンバーがいたことだった。

 「最初から思っていた」 のならなぜミーティングではっきりそう言わなかったのか。もし、「空気を読んで反対しなかった」 というのならば、同意したのと同じなのだから、後になってから 「私は失敗すると思っていた」 的な発言などして欲しくない。

 そういう発言する人間は、少なくとも仕事の上で、私は信用できない。反対ならば、空気など読まずに、最後まで反対して欲しい。その反対意見により、もしかしたら実装前に仕様を修正して、“成功” に持っていけたかもしれないのだから。

 もっとも私の場合は、別なプロジェクトで、最後までコンセプトに納得できずに、チームからおっぽり出されたことがあった。そのプロジェクト の存在意義に納得することが出来ずに、方向性の修正をしつこく要求したにもかかわらず、まったく相手にされなかったので、作業をボイコットしたのだから、当然と言えば当然なのだ。coldsweats01

 それでも、私はその結果にまったく後悔していない。むしろ、納得できぬままにプロジェクトに協力していたとしたら、そちらの方が後悔していただろうと、思っている。

 後々に風の噂に聞いたところでは、私を追い出したプロジェクトが作ったソフトウェアは、目標販売本数が万単位だったにもかかわらず、1000本に届かなかったという。

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2008/09/23

こんなものがあったらうれしいな

 最近は、「あったらいいな~」 と思うものが、本当に売ってたりするから驚く。しかも、100円ショップで売ってたりするから、かなり驚く。

 例えば、ピンホールカメラの原理を応用して、視力の弱い人でもレンズなしでモノがはっきり見えるようになるメガネも、100円ショップで買ってきた。私が高校生の頃は、同様のメガネが数千円で雑誌の広告で売られていた。当然買えるはずもなく、使えなくなったメガネのレンズを外して、代わりに穴を開けた厚紙をはめ込んで、使っていたものだ。

 また、コンビニやスーパーでもらうビニール製の手提げ袋が手に食い込まないような専用の器具も、今ではそれ用として売られている。私が若い時は、箱入りの商品を持ち帰るときに付けてくれるコの字型の取っ手をいつも持ち歩いて、それにビニール手提げ袋をぶら下げて家まで持って帰ったものだ。

 で、ここから本題。今 「あったらいいな」 と思っているものが 2つ ある。

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 1つ目は、胸ポケットのフタ だ。それも汎用の。

 私は上着の胸ポケットをよく利用する。メガネがジャマなときにしまったり、ケータイを一時的に収めたりする。

 ところが、靴を履くときなど、前にかがむと、すぐに胸ポケットにしまったものが落ちてしまう。メガネのレンズが外れたときもあったし、ケータイに傷をつけたこともある。

 中には、最初から胸ポケットにフタが出来るタイプの上着もあるが、たいていの胸ポケットは口が開きっぱなしだ。

 アイデアは二つある。

 1つは、胸ポケットの内側にすべりにくい素材を貼り付けることだ。敷物がすべらないように敷物の下に引いたり、車のダッシュボードから物が落ちないようにするために売られている、ポリウレタン製の網みたいなヤツが代表的な素材だ。

 これの問題点は、通常の出し入れもしにくくなる点だ。入れたつもりだったものが、入り口で引っかかっていて、手を離した時に転げ落ちたのでは本末転倒だ。

 2つ目のアイデアは、マジックテープや安全ピンで、どの上着にも付けられるフタを簡単に付けられるようにすることだ。

 これの問題点は、簡単に付け外しが出来る仕組みを考え付かないことと、いざ付けた時に、色やデザインを考えないとみっともない状態になることだ。

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 欲しいものの二つ目は、通常のメガネを耳と鼻に頼らずに固定するモノだ。

 私は目が悪いので、普段からメガネを使っている。だが、長時間つけていると、鼻の付け根や耳の付け根といったメガネを支えている部分が痛くなってくる。

 仕方がないので、今は帽子のツバにメガネの柄を洗濯ばさみで固定して、帽子にメガネを支えさせている。家の中で帽子をかぶってパソコンを使っている図は、かなり変なものだが、見られるのはせいぜい家族なので、今はそれでガマンしている。

 野外用のサングラスには最初から帽子に固定するタイプのものあるが、私が欲しいのは普段使っているメガネを、帽子や何かかぶるものに固定するモノだ。

 細かい作業をするときに使う拡大鏡を頭に固定して使うタイプのものがある。これの汎用タイプが欲しいのだ。

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 誰か製品化してくれないだろか。出来れば安価に。coldsweats01

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2008/09/16

汚染米事件の報道で思うこと

 2008年9月15日現在、三笠フーズによる汚染米偽装事件の全貌が、いまだに見えない。何しろ、取り締まらなければならないはずの農水省の課長が、三笠フーズから接待を受けていたというニュースが、今日になって明るみになったぐらいだ。この先も、どんな悪事が明らかになるか予想できない。

 なお、今回問題になっている食用にならなくなった米を、公式には “事故米” という呼称になっているようだが、私のブログでは意図的に “汚染米” と呼ぶことにした。この 事故米 という言い方は、高速増殖炉もんじゅがナトリウム漏れ事故を起こした際に、職員が記者会見でさかんに事故のことを 「事象」、「事象」 と言って、問題を矮小化させようとしていたのと、同じような不快感がある。事故米 という言い方が事の本質を隠蔽しようとする意図が見えるのだ。

 そして、この汚染米事件に関してのテレビや新聞社の報道で、私が一番気に入らないのが、“農水省の責任を追及する報道がほとんどない” ことだ。

 一般のニュース報道は言うに及ばず、ワイドショー番組でも農水省に対する責任追及は、コメンテーターが一言言うだけの時間しか使われていない。

 なにしろ、当の農水省の役人達は、テレビインタビューに対して 「自分達に一切責任はない」 と言い切るほどの厚顔無恥な輩だ。こいつらの責任を追及しないで、ジャーナリストを名乗るなと言いたい。

 さすがに自己保身に関しては敏感な高級官僚。農水省に 「まったく責任がない」 としたのでは、世論の反発が大きすぎると判断したのか、第三者を含めた検討委員会を立ち上げて、職員の処分も検討しているようだ。もっとも、“検討” しているだけで、「結局は誰も処分されなかった」 ということは充分にありうる。しかも、テレビや新聞は事後をほとんど報道しない。

 結局、テレビ局も新聞社も “お上” に遠慮をして、お上に都合の悪いことはなるべく庶民には伝えないように努力をするということだ。伝えるときは、なるべく問題を矮小化して伝えるように努力する。

 NHK は元々国営放送であり、与党政府や役人に都合の悪いことは極力報道しないように努力してきた。そして、本来ならば公権力の抑止力として働かなければいけない民間のテレビ局や新聞社も、結局は利権や許認可権の都合で、政府や役人の都合の悪いことは報道しようとしない。

 これでは程度の違いさえあれ、戦前の “大本営発表” とぜんぜん変わっていないということだ。

 しかし、戦前と大きく違うのは、現在は “インターネット” という強力な情報網があるということだ。インターネット以前であれば、個人に依存した情報は、せいぜい 口コミ という形で、極限られた範囲でゆっくりとしか伝わらなかった。それがインターネット以後は、個人が発信した情報が瞬時に検索サイトに登録されて、世界中の人が知ることが出来るようになる。

 そのインターネットの強力さは、インターネットを検閲・制限しているはずのお隣中国で立証済みだ。中国共産党がテレビや新聞でどんなに隠そうとしても、多くの中国国民は、インターネットを通じて知ってしまっている。

 日本でも同じだ。テレビ局や新聞社が積極的に報道しないことでも、インターネット上のマイナー情報サイトや個人サイトで、すぐに公にされる。インターネット上では、大新聞社でも、個人のブログでも情報を伝える能力にほとんど差はない。大昔における、紙媒体の新聞 と 口コミ の差は、インターネット上には無い。

 人々が本当に知りたい情報は、今やマイナー情報サイトや個人ブログ、そして巨大掲示板にあることが、徐々に常識化しつつある。それは相対的に、テレビ局や新聞社の信頼度が低下していることを意味している。

 実際、新聞の発行部数ははっきりと低下しているし、テレビの視聴率もテレビ局の経営が危ういと心配されるぐらいに低迷している。

 こうしたテレビや新聞の低迷を食い止めるには、本当の意味で公権力に対抗する報道が必要なんだと思う。なぜなら、今多くの国民が一番必要としているのが、公権力を是正する力だからだ。

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2008/09/15

「暴走首相」は誰が作ったのか

「無責任辞任」のココロを読む
宰相が「暴走老人」になる時

 AERA [2008年9月12日]

 だいたいにおいて、上記の記事に私は同意できる。

 私の目にも、もう何もかもがいやになって、「だったら他のヤツがやれと」 と言いたくなって、首相を辞任したように見えた。

 首相になるときは、いろんな人に持ち上げられて、「これだけの人が協力してくれるんだから、私の思うようにできるはずだ」 といった皮算用があったかもしれない。しかしそれは、「麻生憎し」 で一時的に集まった勢力に過ぎず、いざ、首相になってみたら、持ち上げた人たちはさっといなくなり、それぞれに好き勝手なことを言い出した。そんなところではなかったろうか。

 こんなことを偉そう言っている私も、過去には、主導的にあったプロジェクトを半ば人に押し付ける感じで、他の部署に移動したこともあったので、福田首相の心境がまったくわからないわけではない。ほめられたことじゃないし、今なら他の手段も取れるように思うが、当時まだ若かった私には、他の選択肢がなかった。

 結果論になってしまうが、やはり福田氏は首相になるべきではなかったように思う。その意味では、首相になった時点で、すでに 「暴走老人」 になっていたような気がする。

 もし本当に “分別ある” 老人であったなら、「私には荷が重い」、「若い世代にやらせた方が良い」 と言えたのではなかろうか。ただでさえ政治が老害でひどく蝕まれているのだから。

 ところで、上記記事の最後の部分だけは、私はまったく同意できない。

精神科医の名越康文さんも、今回の辞任を福田首相個人の資質だけに帰着して納得してしまうのは間違いだと強調する。名越さんが辞任以上に驚いたのは、テレビの街頭インタビューを受けた人々が、評論家然と、異口同音に首相を批判する風景だった。
「自分たちが選んだ首相だという当事者意識が全くない。いま最も受け入れられやすい意見は何かという空気を読んで、バッシングしているだけに見えた」
こうした状況が変わらない限り、「暴走首相」がいずれ再来するのは間違いなさそうだ。

 ちょっと待って欲しい。私達が福田氏を首相に選んだ覚えは無い。福田氏を首相に選んだのは、自民党であり、自民党の長老と呼ばれている老害たちだ。

 国民はみんなそのことを知っている。だから当事者意識が無くて当たり前なのだ。

 だから、「暴走首相」 が再来するとすれば、やはり選挙を経ることなく、政権与党の党内事情だけで首相がすげ替えられる時だ。そういう状況に対してであれば、

こうした状況が変わらない限り、「暴走首相」がいずれ再来するのは間違いなさそうだ。

という意見に、大いに賛同する。

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2008/09/13

私が政治に望むこと

田原総一朗の政財界「ここだけの話」
第75回 民主党が嫌がるのはあの人が首相になったとき

 nikkei BPnet [2008/09/11]

 このコラムの5ページ目に、

やらなければならないのは、「50-80=-30」をマイナスにしないことである。
そのためには、もちろん歳出の80の部分を切ることも大切だが、切るだけでは無理だ。
だから思い切って消費税を上げる。

という部分がある。いつも私が、どうしても納得できない部分だ。

 「なぜ、歳出の削減だけでは無理なのか?」、「なぜ税率を上げなければならないのか?」 その具体的な説明を、私はこれまで見たことも聞いたこともない。

 一方で、役人の無駄遣い、無駄なハコモノ、無駄な道路による “税金の無駄遣い” のニュースが途切れることは無い。たしかに、それらの無駄遣いは、1000万円単位だったり、多くても億の単位だったりするので、国家予算の “10兆単位” から見れば、誤差範囲なのかもしれない。

 しかし、「ちりも積もれば山となる」 という言葉もあるように、小さい無駄の積み重ねが、不必要な借金を作っているという思いは、ぬぐいがたい。

 また、コラムの6ページ目に、

そしてもう一面では、理性で「そうはいっても、歳入は不足している。税金は上がらざるを得ないな」と、誰もが思っている。

とある。もし、これが本当だとすれば、同じように 「歳入が不足しているなら、社会基盤の整備が遅れても仕方がない」 と思う人たちが少なからずいても、少しも不思議じゃないはずだ。

 たしかに、人というものは現状維持を強く望むものだ。より有利な状況は容易に受け入れるが、少しでも不利な状況をかたくなに受け入れない人がほとんどだろう。

 もし歳出を無理やり50兆円に切り詰めたとしたら、日本経済、日本社会がどうなるのか、具体的な状況を私は想像できない。もしかしたら、想像をはるかに超える悪い状況を日本に作り出すかもしれない。

 それでも何割かの日本人は、日本の国家予算が破綻する前に、歳入≒歳出にする大手術を望んでいるのではなかろうか。私のように。

 前にも少し書いたが、小泉改革以降、日本のシステムは、少なくなった日本が生産する富を、特権のある一部の人たちに集中させるようになった。これが格差を拡大し、モラルの低下を招いている、というのが、私の持論だ。

 金持ちがより満足感を得るためには、より多くのお金を必要とする。だが、貧しい人であれば、わずかな金で大きな満足感を得ることが出来る。日本でより多くの人が満足感を得て、モラルを向上させるためには、どちらに日本が生産した富を優先的に廻すべきかは、明らかなように思う。

 その意味で、小池女史や石原氏がいう 「小泉改革の継続」 など、私にはまっぴらゴメンこうむりたい。

 私が望むのは、小泉的ではない 「社会や国民のことを考えない官僚システムの改革もしくは刷新」 だ。

 自らの地位と権限と利益しか考えない高級官僚たちがいなくなれば、不可思議で非効率な税金の使い道もなくなり、国の借金も自然と減っていくと考える私は、やはり世間知らずでしかないのだろうか。

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2008/09/04

自民党よ、何をやっているのだ

 いったい自民党は何をやっているのだろう。もちろん、福田首相の突然の辞任発表と、その後の次期総裁を決めるためのゴタゴタのことだ。

 1年前、安倍前首相が突然やめた時、世間一般やマスコミの大方の予想は 麻生太郎氏 だった。

 ところが、自民党内で発言力のある人たちが談合をして、今回やはりとつぜん辞任すると発表した福田康夫氏を自民党総裁および首相になることを決めた。

 そして今回、福田氏では自民党政権が支えきれないと見るや、前回引き摺り下ろした麻生氏を首相にするという流れを、またもや自民党内の一部の人たちだけで作ってしまった。

 しかも、麻生氏を担ぎ出す理由が、「麻生氏は国民に人気があって、選挙に勝てそうだから」 だという。いったい、自民党は何をやっているのか。

 福田首相は、実質的に構造改革や公務員改革を中止して、旧来型の官僚主導の政治に戻してしまった。そのために、官僚のわがままやプライド、思い込みによる、とんでも政策が次々と復活をして、日本の社会状況がさらに悪化していった。

 私の好きな小説・アニメ 『銀河英雄伝説』 にこんな台詞がある。

「テロで歴史の流れは変えられない。しかし、テロで歴史の流れを遅らせることは出来る。」

 日本が過去の政治システム、官僚システムを大幅に変えていかなければ、市民レベルの生活が一段と悪化していくのは、誰の目にも明らかだ。

 ところが、その流れを 福田首相と福田首相を担ぎ出した勢力は、それを少なくとも1年は停滞させた。逆行させたことを考えれば、変革を遅らせた時間はもっと長いと見ることも出来る。

 つまり、福田首相とその周辺がやってきたことは、私に言わせれば 「テロ」 と同じだ。

 今回の “立ち行かなくなった旧体制” の引き延ばしが、国民・市民レベルでは 「百害あって一利なし」 ということを、国民すべてが認識してくれること、そして、その国民が旧体制の解体に大きな力が与えることを、私は強く願うばかりである。

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2008/08/28

ネットスーパーと車の関係

食品スーパー、ネットの乱
楽天グループ、全国の中堅・中小を組織化へ

 井上理
  NBonline [2008年8月26日]

 上の記事の最後に、

週1回、ネットスーパーを使う都内在住の男性は言う。「最近、車を手放したこともあり、ペットボトルやお米など大物はネットで、日常の食材は近隣のスーパーでと使い分けている」。

 とある。

 これを読んで私は、「これは逆についても言えるんじゃないか?」 と考えた。つまり、

  • 「ペットボトルや米といった大きくて重たい買い物をしなくてすむならば、車を所有する必要はない」

と考える人も出てくるのではないかということだ。

 実際、新車の販売台数は年々低下している。若い世代は、「ワーキング・プア」 とか 「ネットカフェ難民」 を多数出すほどに収入が減っている。これは イマドキの著名経済人が “努力” をした “結果” だ。車はすでにステータスではなく日用品になっている。月に数回しか乗らない週末ドライバーであれば、所有することのコストがかなり重くのしかかっているはずだ。

 毎日乗っている主婦も、乗りたいからというよりも、重たい荷物を持って歩きたくないから、仕方なく乗っていると考える人も少なからずいるはずだ。私のいる団地でも、給食サービスをけっこうな数の世帯が契約している。

 ネットスーパー や 給食サービス が出てくる以前から、食品の宅配サービスは実は日本にはあったのだ。アニメ サザエさんの 三河屋さん と言えば、ピンと来る人も多いのではなかろうか。

 磯野家には2世帯が住んでいるが、車を持っていない。(もっといえば、ケータイも持っていないのだが (笑)) それでも、醤油や日本酒、ビールといった重たいモノは、三河屋さんが家まで運んでくれる。磯野家の主婦達にとって、買い物に車は必要ない。

 ネットスーパー や 給食サービス も、三河屋さんを大規模にしたものに過ぎないと、言えなくもない。

 主婦ひとりひとりが、自宅の食材を買いに行くためだけに1台の車を動かすよりは、十数~数十世帯の食材を一度に運ぶ、ネットスーパー・給食サービスの方が、最近はやりの “エコ” なのかもしれない。もっとも、より長距離を移動するため、もしかしたらより多くのエネルギーを使っているかもしれないが。それでも、道路を走っている車の数が十数~数十分の1に減ることを考えれば、社会全体が負担するコストは下がっているのではなかろうか。

 私個人の嗜好で言えば、ネットスーパーよりも、お店に出向いていっての買い物の方が好きだ。楽か楽でないかよりも、お店に行って広告に載ってないお買い得品を見つけたり、処分のために値引きされた商品を見つけてゲットしたときは、ゲームで隠しアイテムを見つけたときのような楽しさがあるからだ。

 それでも数十年すれば、外に出るのも億劫になる年齢になるのはわかっている。そうなったときには、ネットスーパーは、自分にとってなくてはならないものになっているのではなかろうか。

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2008/08/20

どこでも使えてチャージのいらないおサイフケータイがいいのだが

 私もおサイフケータイを使えるようにした、という話を以前にした。その後さらに1回、計2回しかまだ使っていないのだが。

 私が使えるようにしたのは 電子マネー方式 ではなく、ケータイクレジットと呼ばれる 後払い方式 だ。なぜ、ケータイクレジットを選んだかというと、単に年会費がかからずに使えるという理由だけだ。自ら選択したわけではない。

 だが、よくよく考えてみると、後払い方式というのは合理的だ。使った分だけ後から支払うのだから、紛失や機器の故障を心配しなくてすむ。

 近年の日本は、テレホンカード以降、事前にお金を払う “プリペイド方式” に抵抗感がなくなっている。逆に、米国では購入した品物や受けたサービスに対して対価を支払う、という考えが定着しているため、プリペイド方式はあまり受け入れられないという話も、よく聞く。高い確率で社会を信用できる社会と、確実に信じられるのは自分だけという社会の違いだと、私は理解している。

 とにかく、今の日本社会では、プリペイド方式の電子マネーが主流だ。関東圏では、“Suica”、“Pasmo” といった電子マネーを持っていれば、多くの場所で現金を持たずに買い物が出来る。

 おサイフケータイ は、その電子マネーの機能を持つ。電子マネーなので、事前のチャージが必要だ。クレジットカードと一体になっている Suica カードが持つ “オートチャージ” 機能が、モバイルSuica には、ないようだ。

 一方、私が使っている ケータイクレジット ならば、事前のチャージも、チャージの残高も心配する必要がない。もちろん、利用金額を心配する必要はあるが(笑)。

 使うときはどちらも読み取り端末にかざすだけで使える。にもかかわらず、一方は事前のチャージやチャージ残高の確認が必要で、残高不足に悩まされたりする。他方は、銀行の残高に気をつける必要はあるが、使うときにチャージや残高に悩まされることはない。

 使い勝手で考えれば、明らかに ケータイクレジット の方が使い勝手がよいといえるだろう。もちろん、同じ場所で使えるという、非現実的な前提での話なのだが。

 モバイルSuicaEASYモバイルSuica を使えば、年会費が要らない。しかし、駅の券売機でのチャージが出来なくなり、店頭でしかチャージが出来なくなる。どうかんがえても Suica カードより使い勝手が悪くなる。

 多くのところで使えるが、年会費を取られて、いちいちチャージしなければ使えない “モバイルSuica”。年会費は無料で、使った分だけ後から支払えばよいが、使える場所がかなり限られる “QUICPay”。

 世の中、なかなかすべてに都合のいいようには、いかないものである。

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2008/08/08

おサイフケータイを使えるようにしてみたけれど

アナリストの視点:
「おサイフケータイ」ビジネスの将来像

 松枝秀如(矢野経済研究所)
  ITmedia [2008年8月4日]

 私も最近 おサイフケータイ を使い始めた。QUICPay という電子マネーだ。

 使い始めようと思った理由はいくつかある。

  1. 今使っているケータイがおサイフケータイに対応していた。
  2. 使っているクレジットカード会社がおサイフケータイサービスを手数料無料で始めた。
  3. サイフを忘れたときの支払い手段として、あれば安心だと思った。
  4. おサイフケータイの支払いでクレジットカード会社のポイントがつく。
  5. あらかじめ貯めておく方式ではなく、使った分だけ後から支払うタイプだから。
  6. 単純に、テクノロジーに対する興味。

などである。

 ただし、使えるようになって1ヶ月でまだ、1回しか使っていない。

 理由はハッキリしている。上記のレポートにも書かれているように、使える場所が圧倒的に限られているのだ。ヨドバシカメラでも 「使えます」 と Web ページでは紹介されているが、いざ使おうとしたら 「すみません。ここのレジは QUICPay に対応してないんです。」 と言われて、結局現金で支払った。

 まぁ、新しいモノが生まれるときは、どの会社も自分の特許やライセンスをデファクトスタンダードにしようと必死になる。大昔、オートバイは、アクセルもブレーキもクラッチも、メーカーごとにばらばらだったそうだ。オートバイメーカが大小あわせて100社もあった時代の話だ。それがやがて統一されて、今はどのメーカーも同じシステムになっている。パソコンも PC-9801 があり、FM-Towns があり、X68000 がありと、どのメーカも独自路線で頑張っていた時代があった。

 そう考えれば、いずれ電子マネーのシステムも一つの共通なものに統一されるだろう。サービス会社にとっては 『どれに』 が問題であり、利用者にとっては 『いつ』 が問題だ。1利用者の私としては、こういうものはとっとと統一をして、いちいち確認を取らなくても使えるように、早くなって欲しいとだけ思っている。

 実は、iPhone が話題になっているとき 「iPhone には、おサイフケータイ機能がついていないから、たいして売れないんじゃないか」 ということを言うパソコン・ケータイ関係の記者が多くいたとか。それほどに、パソコン・ケータイ系の記者達にとっておサイフケータイは、重要度の高いものらしい。

 専門化ともいえる記者達が依存するぐらいに利便性が高いのなら、やはり一つ自分でも試してみなくてはなるまい、と思ったのが、上記の理由6だったりする。

 結局、自分が今使える電子マネーが QUICPay のみで、モバイルスイカではないという部分もあるだろうが、今のところ、おサイフケータイがなければ困るようなものではないことは、わかった。

 私がモバイルスイカを使わないのは、単純に年会費がかかるからだ。年会費がかかるぐらいなら、今使っている IC カードのスイカで、ぜんぜん問題ない。

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2008/08/06

やはり地上デジタル放送が必然とは思えない

 谷島宣之さん、私もまさにそのとおりだと思います。

谷島宣之の「経営の情識」
 「完全」を目指す地上デジタル放送
 読者の皆様はどうお考えですか
  NBonline [2008年7月31日]

 私も以前より、デジタル放送を地上波にこだわる必要はないと訴えてきた。動画映像を広く配信しようとしていた50年以上前であれば、地上波しか選択肢はなかった。しかし今や、高品位の動画を配信する方法は、地上波だけではなく、光回線、衛星放送、ケーブルテレビと複数の選択肢がある。

 それにもまして、地上波で国内全世帯をカバーするのに、今後、1万1499もの中継基地を作らなければならないのだ。素人が考えても、あまりにも非効率な方法だ。

 素人が考えても非効率だと思う方法を、役人が固執するときは、必ずそこには役人のメンツや天下りといった利権がからんでいる。1万以上もの中継局の新設に関しても、役人や天下り企業が税金で設ける仕組みがあるのだろう。

 100%品質を保証してきた固定電話システムは、その高コストの体質のために、品質が保証されていない IP 電話によって駆逐されようとしている。

 ケータイは、100%の通話範囲を保証されていないが、今は多くの人にとってなくてはならないものになっている。

 谷島宣之氏が言うように、100%の品質を保証すれば、急激にコストが膨れ上がってしまう。そのコストを吸収できるほどに、今の日本には経済的な余裕はないはずだ。

 結局こういった、役人の都合だけで国民が貧乏くじを引かされる仕組みを打開するには、不利益をこうむる国民が大きな声を上げていくしかないのだ。実際、PSE問題 では、実質的に役人に撤回させているではないか。

 また、谷島宣之氏の記事からリンクされている 池田信夫氏 の 地上デジタル放送FAQ を読むと、地上デジタル放送がいかにいい加減に決まったかが解説されている。もちろん、テレビ局やテレビ局とつながっているラジオや新聞が、こういった自分達に不利になるようなことを報道することはない。

 水野博泰氏へのインタビュー記事もなかなか本質をえぐり出していて読み応えがある。

誰のためのデジタル放送か?(前編)
コピーワンス議論空転が映す変われない業界の体質

誰のためのデジタル放送か?(後編)
「著作権保護」は既得権益を守るための便利な口実

 自分達がいつの間にか貧乏くじを引かされていることに気がつくためには、絶えず情報に対するアンテナを張っておく必要がある。

 そして情報は、大多数に貧乏くじを引かせて自分が利益を上げる人たちや組織からは、出てこない。

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2008/07/12

広告の見せ方はなんでこんなに酷いのだろう

 以前から、情報系サイトの広告が、ジャマでジャマでしょうがなかった。たいていの場合、ページの右か左、ひどい時は左右に広告が表示されるので、ブラウザの幅を狭めて、わざと広告が表示されないようにして記事を読んだりしたものだ。

 だが、事態は好転した。一番目障りな Flash 広告を、標準で非表示にするアドオンを見つけたからだ。

 Firefox 用には PrefBar、IE7 (Internet Explorer 7.0) 用には IE7Pro で、Flash 広告を簡単に抑制できて、なおかつ、動画投稿サイトではブラウザを立ち上げなおさずに、Flash コンテンツを見ることが出来る。すばらしい。

 それにしても、なぜ広告会社は、こんなにも頭が悪いのだろうか。

 以前に “山場 CM” についての記事を書いた。実に8割の視聴者が 山場 CM にたいしてネガティブなイメージを持つ。

 テレビ CM も含めて、広告は本来、「商品の認知度を上げる」、「商品の高感度を上げる」、「広告を出している企業の知名度・高感度を上げる」 といった目的を持つはずだ。

 しかし、山場 CM や Flash 広告、最前面ポップアップ広告 は、消費者の感情を逆なでしている。逆なですることで知名度は上がるかもしれないが、好感度は下がる。

 広告会社は、広告を出すことで儲けているわけで、広告主企業の好感度が上がろうが下がろうが関係ないのかもしれない。広告会社にとって重要なのは、テレビ番組の視聴率のように、認知度が上がったかどうかだけなのだろう。

 そして、広告を出している会社の担当者も、“認知度の向上” = “売り上げ向上” だと信じきっているのではなかろうか。

 大昔は確かにテレビ番組のリアルタイム放送しか、映像コンテンツを見ることが出来なかったので、小寺信良氏が言っているように、視聴者を囲い込むことが出来た。囲い込んで見たくもないテレビ CM を見せ付けることが出来た。

 やがて VTR (ビデオ テープ レコーダー)が一般家庭にも普及したことで、テレビ CM を簡単にスキップできるようになった。それでも VTR では早送りなので、短時間ではあるが CM はまだ画面に映っていた。

 HDD (ハードディスク) レコーダーへデジタルで録画されるようになると、CM は瞬間に飛ばされるため、まったく画面に映らなくなった。それを HDD レコーダー利用者は、喜んで利用している。

 そう、視聴者はテレビ CM など見たくないのだ。

 雑誌も似たようなものだ。見方によっては、テレビ放送よりさらに悲惨な状況かもしれない。

 大昔の雑誌は、大量の広告によって雑誌に厚みを持たせ、読者をひきつけていた。

 やがて読者は広告を読むことに嫌気が差し、より薄く、情報が濃縮された雑誌を優先して選ぶようになった。それが極端になったのが “デジタル万引き” だ。「欲しいのはこの5cm四方だけなのに、なぜ大量の広告を買わされなければならないのかと」、疑問に思う読者が少なからずいるということだ。

 広告とは関係ないが、私もなぜ週刊マンガ雑誌に載っているマンガがバラ売りされないのか、不満に思っている。読みたくもないマンガを一緒に買わされるのは “抱き合わせ商法” なのではないかと思っている。もっとも、もう三十年近く週刊マンガ雑誌を買っていないのだが。

 そして、今は Web ページが雑誌と同じ問題を抱えているように見える。多くの情報系サイトは、雑誌社が運営しているので、広告の手法が似ているのは、当たり前と言えば当たり前か。

 Flash 広告 や 前面広告 は、私の気持ちを著しく逆なでする。

 センスのよくない、変にチカチカするだけの Flash 広告が気になって、落ち着いて記事が読めない。タスクマネージャーを見ると、ブラウザーの CPU 利用率が異様に高い。Flash 広告があるページを閉じるととたんに CPU 利用率が下がる。

 テレビも新聞も雑誌も、広告を視聴者、読者に見せることでお金を稼いでいる。広告が視聴者・読者に気づかれなければ、広告を出す意味はない。広告主も広告を出そうなどと考えなくなる。それは理解している。

 広告会社は、単に目立つだけでなく、視聴者・読者自らが 「もっと見たい」 と思わせるものを出すべきなのだ。最近では、ソフトバンクの “ホワイト家族” がよい例かもしれない。私の家族は、ホワイト家族の CM をスキップしない。しっかり見ている。もっとも、だからといって、ソフトバンクのケータイに変えるとは限らないのだが。

 いずれにしろ、テレビ放送の広告ビジネスモデルがあまりにも成功しすぎたため、“消費者を囲い込んで、広告を無理やり見せる” 手法が当たり前になっているのが、私にはとてもむなしい。

 今や、個人個人が欲しい情報を、自ら探して、瞬時に見つけることが出来る時代なのだ。見たくもない、センスもない広告を、画面の真ん中付近でいつまでも表示するような真似はそろそろおしまいにして欲しいと、私は強く望んでいる。

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2008/06/30

ケーブルテレビ会社とやっと手が切れた

 私が住んでいるアパートには、ケーブルテレビの設備が入っている。そのため、デジタルチューナーや BS、CS チューナがなくても、ケーブルテレビのセット トップ ボックスがあれば、アナログ放送しか見られない古いテレビでも、地上波デジタル、BS、CS 放送が見られる。

 今のアパートに引っ越してきたときに、とりあえず無料の BS 放送ぐらいは見れたほうがいいかなと思い、BS のみ見られる一番安いコースで、ケーブルテレビ会社と契約を結んでいた。

 先日、デジタルチューナー内蔵の最新のテレビを買ったことで、セット トップ ボックスなしで 地上波デジタル、BS、(別契約すれば)CS が見られるようになった。そこで、ケーブルテレビ会社との契約を解除することにした。

 ところが、ケーブルテレビ会社のホームページを見ると、契約解除に関する記述が見つからない。仕方なく、検索サイトを使って探すと、

サポート > サービス料金について > その他諸経費

のページに、一言だけ、

■解約のお手続きについて
お引越しの場合は1ヶ月前迄にご加入者専用フリーコールへ必ずご連絡ください。

としか書かれていない。

 入会に関しては、どこからでもアクセスできるように表示してあるのに、(会社にとって都合のよくない)解約については、ほとんど記述していない。この種のやり方は、消費者の反感を買うだけだということを企業側はもっと知るべきだ。

 いくら解約方法をわかりにくくしたところで、解約したい利用者がそれで解約を思いとどまるはずもない。むしろ、都合の悪いことを隠蔽しているように思われて、企業イメージを悪くする悪影響のほうが大きいように思う。さらに、引越しでしか解約しないと決め付けているような書き方も、不愉快にさせる。

 “宅内設備撤去費用” と称して、¥5000- も費用を取ることも納得していない。最初から契約書に書かれているので、仕方なく支払うが、実質は、すでに取り外しているセット トップ ボックスを回収に来るだけだ。それで ¥5000-も徴収するやり方は、やはり気分のいいモノではない。

 ケーブルテレビ事業は、地域ごとに1社しか認可されないため、事実上、1社独占状態だ。そのために、どうしても営業努力、企業努力というものがおざなりになっている感が強い。

 例えば、セット トップ ボックス。
 セット トップ ボックス経由で録画しようとすれば、必然的にセット トップ ボックスの予約も必要になる。ところが、セット トップ ボックスの録画機能には、“毎週” という機能がないのだ。毎週同じ時間の番組を録画しようと思ったら、毎週、手動で録画予約を設定しなければいけない。今時、こんなレベルの低いデジタル機器は見たことがない。

 セット トップ ボックス は、メーカーが作っているものをケーブルテレビ会社が使うだけなので、メーカーの問題のようにも見える。しかし、実際に利用者に提供するのはケーブル会社なのだから、もっと使いやすいセット トップ ボックスをメーカーに作らせるようにケーブルテレビ会社は圧力を掛けることも出来るはずだ。

 最近は徐々に規制緩和が進み、インターネット回線でもテレビ コンテンツが見られるようになり、ケーブルテレビの地域独占とはいえなくなりつつあるようだ。

 インターネット上を調べていくと、ケーブルテレビの地域独占や規制緩和による通信事業者によるテレビ コンテンツ配信の話題がいくつも見つかる。そのほとんどで語られているのは、「ケーブルテレビ業者は、より地域に密着した高度なサービスを提供しなければ、淘汰されていくだろう」 というものだ。

 とはいえ、長年染み付いてきた地域独占による殿様商売気質がすぐに改められるとも思えない。それは、今回私も継続利用および解約をしてみてよくわかった。

 やはり、合法的にしろ非合法にしろ、1社(者)による独占状態というものは、多くの人にとって得られるものより失うもののほうが、ずっと大きいと思わざるを得ない。

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2008/06/16

ポイント還元の真実を暴く!(かもしれない)

 大型量販店では、購入金額の10%程度が “ポイント還元” として購入者に付与される。

 1000円以下の商品ならば、還元額も小さいためさほど気にならないが、大型テレビのような10万円単位の買い物をすれば1%でも1000円となり、小さい額といえなくなる。

 で、このポイント還元なのだが、私も前から現金での割り引きより効率(?)が悪いとは思っていたが、深くは考えなかった。

 ところが先日、なにげにこのサイトが目に入った。

 このサイトを読んで、ポイント還元の実質的な割引率の考えがよくわかった。

10%ポイント還元の時は、支払額から10%割り引かれるのではなく、10%多い額の買い物を、支払額に割り引かれる。

と考えれば、簡単に実際の割引率が計算できる。

 この考えは、交通機関の回数券と同じだ。

 回数券の多くは、10回分の運賃で11枚の切符が貰える。うっかりすると1割=10%得した気になってしまうが、実際は、11回分の運賃を10回分に割り引かれたのと等しい。割引率は、[[ 10/11×100 = 9.1% ]] だ。

 詳細は省いて結論だけ書いてしまうと、ポイント還元の実質的な割引率を計算する式は、ポイント還元率を P% とすると、

  • 100÷((100÷P)+1)

となる。

 ただ、これを暗算で計算するのは、ほとんどの人にとって困難だ。少なくとも私には無理だ。

 そこで特に理由はないのだが、なんとなく JavaScript をつかい、ブラウザで計算できるフォームを作ってみた。なお、ブログ内に埋め込みたかったのだが、スクリプトがうまく埋め込めないのでリンクにした。

 「ケータイでもつかえるかな」 と思って試したら、ぜんぜんダメだった。あとで調べてみたら、ケータイは基本的にスクリプト非対応だった。orz

 使えないものは仕方がない。店頭で比較するにはやはりケータイで使える必要があるので、久しぶりに Flash を作ることにした。

 前回のケータイ用 Flash の作成が昨年の10月だったので、8ヶ月ぶりのケータイ用 Flash になる。間が開いたおかげで、色々と忘れていて、思い出すのに一苦労した。

 それでも作業を始めれば、以前作ったものも見ながら、2時間ほどで作ることが出来た。

 ケータイでの動作は、AU の A5507SA と W52P で確認している。また、URL からケータイで直接表示させても、表示および動作することを確認している。

 店頭での比較や交渉を考えて、計算結果を簡単な履歴に残せる機能もつけた。

 簡単な例で計算してみると、意外な結果に驚くかもしれない。

 例えば、9000円で10%還元と、10000円で20%還元だと、どっちが得だろうか? ポイントだけを見れば、900ポイント と 2000ポイント だから、10000円 20%のほうが得のようにも見える。

 しかし、ポイントでの購入にはポイントがつかないことから、実質的な購入金額は、8182円 対 8333 と若干9000円のほうが得という計算になる。

---------------

http://mast.cocolog-nifty.com/main/images/RealPoint.swf (2.9K)

 もし仮にこの計算機を常用されるならば、ツール メニューのポップアップ ブロックを無効にした上で、下の動画広告を見てもらえると助かります。

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2008/06/05

補足: プラズマテレビの比率

 以前に、「2007年の40V型以上の台数シェアは、液晶1:プラズマ3 だ。」 と独自の解釈をして、コメントに 「それはおかしいんじゃないか」 と指摘された。

 そして今日、より具体的な数字を見つけた。

JEITA 統計データ
民生用電子機器国内出荷統計
2007年12月国内出荷実績

 このデータによれば、確かに以前私がした解釈は誤りだった。

 2007年における37V型以上の液晶テレビの出荷台数は、約187万台。他方、2007年におけるプラズマテレビの出荷台数は、約97万台。プラズマテレビは、ほぼ37V型以上と見てよいので、この二つの数値は単純に比較できる。

 すると37V型以上においては出荷台数は、

  • 液晶 2 : プラズマ 1

の比率だったことがわかる。

 以前私が指摘したのは 「40V型以上」 であったが、プラズマテレビの8割は43V型以下だということ。液晶テレビの37V型以上の区分で、37V型だけの割合が90%を占めることは考えにくいので、40V型以上での比率を考えたとしても、上記の割合が大きく変わることはないと思われる。

 世間で言われている 「プラズマテレビは売れていない」 ということが、この数字からもはっきりと示されているし、より最近の数字はもっと顕著である。2008年の4月までの累計を見ると、液晶テレビとプラズマテレビの割合が、3:1 に近づいている。

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 それでも、我が家で新規に購入しようと考えている薄型テレビは、今のところプラズマテレビだ。

 ブルーレイディスク vs HD DVD とは違い、すべてのメーカーがプラズマテレビを製造しなくなっても、プラズマテレビで映像コンテンツが見られなくなるわけではない。

 その意味で、プラズマテレビ メーカーがまだ頑張っている今の時期がプラズマテレビの買い時なのではないかと思い悩む、あいかわらずな毎日である。

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2008/05/30

二千円札を最近見ましたか?

 Wii で “みんなで投票チャンネル” をやっている。

 先日、「最近、二千円札を見たことある?」 という投票の結果が発表された。

 結果は、

  • 見たことある  30% : 見たことない 70%

だった。まあ、大方の予想通りだったといえよう。なにしろ、予想正解率が80%を超えていたのだから。

 それにしても、二千円札の失敗の責任は、誰か取ったのだろうか? 私は聞いたことがない。

 Wikipedia によれば、

発行枚数では五千円札を上回っている

らしいが、はっきりいって、私は五千円札のほうが二千円札より1024倍よく見かける。

 もちろん、お札を作る技術、特に原版を作る技術の継承のために、新札の定期的な発行が必要なのは理解できる。自動販売機や両替機の改造などで、経済効果があったのかもしれないとも思う。

 しかしである。それらは、何も二千円札の発行でなくとも十分に行えたか、あるいは、同額の予算でもっと効率的な方法があった気がしてしょうがない。

 それほどまでに、私の中では二千円札の必然性がまったくもって理解できない。

 この二千円札発行に限らず、新しい法律や政策が施行されるときには、きちんと担当部署や担当責任者を記録として残して欲しいものだ。

 役人や政治家は、やってしまった仕事の責任を取らなくてもよいため、やる前から失敗が目に見えていることでも平気でやってしまう。

 私が以前勤めていた某日本有数の大企業では、「LSI の設計、製造のために調達した部材については、その LSI や装置がすべて現存しなくなるまで責任を持たされる」 と聞かされた。その会社を辞めてしまったときは知らないが、その会社に勤めている限りは、10年後でも15年後でも、今はまったく関係のない仕事を担当していても、そのときの担当した設計や製品に不具合が発生した場合は、担当者として責任を取らされるそうだ。

 だから、設計や製造の責任者、担当者は、徹底的に問題点を見つけようとする。少しでもリスクがありそうなところは決して見逃さない。見逃したリスクは、後々、自分の身に災いとして降りかかってくるからだ。

 政治や行政でも、そのぐらいの緊張感を持ってやって欲しいものだ。使っているお金は、彼らのものではなく、我々国民の共有財産なのだから。

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2008/04/21

政治評論家の嘆きは正しいのか

 いわゆる “政治評論家” と呼ばれる人たちは、相変わらず 『政治の停滞』 を嘆いている。例えば、こんな感じだ。

我々の国家はどこに向かっているのか
第105回
衆院補選にすがりたくもなるこの逼塞感

 政治アナリスト 花岡 信昭氏
  BPnet [2008年4月17日]

 しかし、私はこのような意見には、どうしても共感することが出来ない。なぜなら、私の日常感覚と極めてかけ離れているからだ。国会での議決がほとんど行われていないのは事実だ。しかし、少なくとも私には、それで困った感覚がない。

 むしろ、今まで なあなあ で済まされていたことが、ねじれ国会により簡単には議決されなくなった。そして、これまでいかにいい加減に議決が行われてきたかが白日の下に晒された、と思っている。

 ガソリン税の暫定税率が一番良い例だろう。ねじれ国会状態がなければ、いまだに多くの国民が、30年にも及ぶ “暫定” 措置により、ガソリンで多くの税金を取られていることを知らずにいただろう。また、道路特定財源の無駄遣いも、ねじれ国会状態なしで、はたして白日の下に晒されただろうか。

 話が少し外れるが、道路特定財源に知事のほとんどが固執するのが、私には理解できなかった。しかし、下のコラムを読んでようやく理解できた。

宮田秀明の「経営の設計学」
日本衰退の流れを止める杭を打とう
変化する時代に対応する新しい設計図作りをどう行う?

 宮田秀明
  NBonline [2008年4月18日]

 大分県知事の記事にはビックリした。意見というより、地方の道路財政が破綻していることの説明だった。この部分をかいつまんで書くとこうなる。
 「国からのも含めた道路予算のうち約80%を償還に充てます。残りの約20%とそれをベースに新たに起債(借金)して道路の建設とメンテナンスに充てます」
 つまり大分県の道路の経営は、とっくに破綻しているということの説明なのだ。80%が借金の返済に充てられるわけだから、他の県もこのような状態なら、道路予算が地方を活性化することなどあり得ないことも明白だ。

 要は、道路特定財源がないと、地方の借金が返せなくなり、破綻宣言をしなければならないということらしい。どの知事も自分がそんな貧乏くじを引きたくないから、必死になって借金を補填するための道路特定財源に固執する。私は、そう理解した。

 話を政治評論家の話に戻す。

 政治評論家の “情報のバイアス” を自分なりに考えてみた。

 いろいろと考えてみたところ、政治が停滞すると、政治活動へのコメントを商売にしている政治評論家の仕事がなくなるからではないか、というあたりに、私の考えは落ち着いた。

 政治の停滞を、自分の得意分野であるパソコン業界に当てはめて考えてみたのだ。

 Windows Xp は、Windows 95 以来では、極めて長期にわたって最新のパソコンOSであった。その間に Windows Xp は安定した環境となり、多くのユーザーにとって使いやすいものになった。

 その一方で、パソコンに関する情報を生業としている人たちにとっては、新規に売るべき情報がどんどん減っていき、結構苦しい思いをしてきたはずだ。Windows Xp の安定度の向上に反比例するように、パソコン雑誌は次々になくなっていった。

 Windows Vista が発売されることになり、パソコン業界はかなり期待した。情報屋もここぞとばかりに、Windows Xp から Vista への “変化” を煽った。

 しかし結果は悲惨なものだった。ユーザーは、Windows Xp の機能と安定性に満足して、Windows Vista には切り替えなかったのだ。このブログのアクセスを見ても、Windows Vista によるアクセスは 10%以下だ。一方で、Windows Xp によるアクセスは 75%以上になる。

 パソコン業界の中の人たちは、こぞって Windows Vista を持ち上げるが、一般ユーザーは、見向きもしない。

 政治評論家が、ねじれ国会をこぞって 「政治の停滞」 と非難するが、一般大衆はねじれ国会を、族議員や官公庁によるやりたい放題を是正するための手段と考える。

 確かに政治評論家の言っていることは理論的に正しいのかもしれない。しかし、一般大衆のいわゆる “庶民感覚” に合わない意見ということは、やはり政治評論家の意見のどこかに、実体と合わない部分があるに違いない、と私は思っている。

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2008/04/18

よくないからと遠ざけるのが良いことなのか

 やはりこの人物は、リーダーには向かないと、私はつくづく思った。そう 現内閣総理大臣 福田康夫 氏のことだ。

 4月17日の政府の教育再生懇談会で、

子どもが携帯電話を持つことについて「ろくなことがない。悪い大人に利用されるだけだ。人間関係にもマイナスだし、教育上も良くない」と、持論を展開した。
(asahi.com)

だそうだ。ケータイなどの新しい技術に警戒感が強いタイプに見られる発言だ。

 この理論でいくならば、

  • 車は犯罪者に利用されるだけで、事故にもつながるからよろしくない
  • 包丁は殺人に利用されるのでよろしくない

ということになってしまう。

 このニュースを聞いて、ふとこんな話も思い出した。

 私の出身地は宮城県北部の田舎町だが、子供の頃にこんな話を聴いたことがあった。

 「この町(私が住んでいた町)は、今でこそ周辺から多くの人たちがやってくるが、それはJR東北本線の駅があるから。最初に東北本線を通す計画のとき、この町が選ばれたのは、この町が貧乏地域だったから。当時は蒸気機関車で、排煙の火の粉で火事になることもあったという。そのために、裕福な町や村は汽車が通るのを嫌がり、貧乏村だったこの町に線路を押し付けられた。」

というものだ。

 結果として、当時の最先端技術であった鉄道を押し付けられた町が、中心都市仙台のベットタウンとして発達をして、鉄道を通さなかった北部の市部は発展が遅れた。

 新しい技術のマイナス面ばかりを気にして、その技術が及ぼすプラスの部分を想像することができなければ、損をするのはその地域の子孫達だ。

 今、出会い系サイトや裏サイトの暗黒面ばかりをやたらと強調して、今後標準装備となってく技術(ケータイ)から子供たちを遠ざけるのが、社会のリーダーとして正しい姿とは、私にはとうてい思えない。

 心身によくないモノをなくすことはできない。どんなに否定しようとも、世の中から消し去ることは出来ない。ならば、遠ざけるよりも、いかにうまく付き合っていくかを考え、子供たちに教えていくことこそ重要なのではなかろうか。

 社会的に必要とされているかを考えずに、一面的な暗黒面のみをことさら強調して、新しい技術を否定するのは、影響力の大きいリーダーのするべき態度ではないと、私は信じている。

 また一方で、下の内容から、権力者としての危険な考えも伺える。

首相は「子どもを守るということに対し、もっと厳しい対応が大事」と指摘。
委員からは「フィルタリング(閲覧制限)を義務化しないと徹底されない」との意見が出た。
(asahi.com)

 福田氏のいる席での発言だ。フィルタリング義務化の話は、当然、福田氏の意向に沿ったものだといえるだろう。

 フィルタリングの義務化は、福田氏だけの意向ではなく、政治家全般が考えているようである。この義務化の怖いところは、子供の安全の大義名分の下に、情報統制が行われてしまうところにある。

 歴史的に見て、悪法が悪法の顔で成立することはなく、後に悪法と評価されるすべて法律は、「国のため」「国民のため」と称して成立されている。

 政治屋、役人にとって、国民に政治の裏側や事前活動が知られることは、極めて都合が悪い。今回の “後期高齢者医療制度” のやり方を見てもわかるように、「由らしむべし 知らしむべからず 」 が政治屋と役人のやり方だ。

 ちなみに、「由らしむべし 知らしむべからず 」 を調べていたら、この人こんなことを書いていた

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2008/04/14

値上げがしょうがない? 冗談じゃない!

 本当にいろんなものが値上がりしている。食料品・日用品に買い物を担当していると、本当に実感できる。

 私が食料品・日用品を主に買いだしに行くようになって2~3年になる。その間、季節ごとの野菜や果物の値段の上下はあったが、日用品はほぼ値段が変わらなかった。それがここ半年ぐらいで次々に値上がりしているのが実感できる。

 また、魚類の値上がりも実感している。マグロは確かに値上がりしているが、我が家ではあまりマグロを食べないので気にならない。むしろ、イワシやアジがもはや高級魚としか思えないような値段になっていることが、残念で仕方がない。

 今リーゾナブルに魚を食べようと思ったら、サンマしかない。海水温が高いときは、イワシやアジの漁獲高が下がり、サンマの漁獲高が上がるらしい。それが地球温暖化の影響なのか、単なる気候変動の周期によるものなのかは、私にはわからない。まぁ、私はサンマが好きなので、それはそれで私には都合がよい。

 あと、これを言うと シーシェパード に襲われそうであるが、鯨が増えすぎたために、鯨が捕食しているイワシやアジが急激に減少したという説も聞いたことがある。それが本当なのか、私には確認する術はないが、地上においても一部の動物を保護もしくは乱獲したために、その動物と関係がある動物達が急激に増加したり、減少したりすることはよく見られる。それが海の中で起こっている可能性は、十分にある。

 話を値上がりの話に戻す。

 今回の値上がりはもちろん世界的な食糧需給の変化による影響によるものが大きいと思う。が、別な見方として、日本の政治家、高級官僚、そして著名経済人の政策あるいは経済システムの失敗によるものだと、私は見ている。

 具体的には、「食料は海外から安く買えばよい。国土の狭い日本で食料を作る必要はない」 という考えで、食料自給率を際限なく低下させたことだ。

 安く買ったはいいが、農薬や病原菌に汚染されている。他国の輸入量が増えたため、結局高く買わされる。というように、長期予測やリスク回避の発想が、日本の政治システムにはまったくない。

 そして、今回このネタで記事を書く気になったのは、福田首相の桜を見る会での、この発言だった。

「まあ、いろいろありますよ。物価が上がるとか、しょうがないことはしょうがないのだから、耐えて工夫して切り抜けていくことが大事だ」

 人によっていろいろな受け取り方があるだろう。そもそも、本人がどういうつもりでこういうことを言ったのかを、私が問いただしたわけでもない。

 だが私は、日本の政治家の代表である首相のこの発言を聞いて、今の日本の政治家がいかにダメダメであるかを、実感させられた。これでは、責任放棄ではないか。

 社会を安心、安全なものにすることが政治のはずだ。それなのに、「しょうがない」、「(我々政治家は税金で潤っているので、一般市民は、)耐えて工夫しろ」 とは。括弧内は私の個人的な解釈

 福田首相といい、石原東京都知事といい、最近主役になっている政治家は、おかしいのが多すぎる。

 確かに歴史を振り返れば、平安、鎌倉、室町、江戸時代といずれも末期には、まともとは思えない主役達が登場している。そう考えると、明治初期に作られた今のシステムも末期にきているように思う。

 幕末の坂本竜馬のような人物は、まだ見当たらないようなので、変革はまだ当分先なのだろう。ただ、変革の先には、本当の意味での民主主義が来て欲しいものだと、心から願ってやまない。少なくとも独裁政治は、死んでも御免こうむりたい。

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2008/04/03

放送業界を揺るがす地デジ受信機

 すでにデジタル放送を録画したことがある人ならわかっていることだと思うが、現在のデジタル放送には、すべてコピーワンスがかけられている。放送を録画機器に保存(これを1回目のコピーと定義しているらしい。だからコピー “ワンス = Once”)すると、後は移動は出来るがコピーできない。

 移動した先のディスクに異常があって、移動がうまくいかなくても移動元にあった情報は消される。オリジナルを残して、コピーしたものを編集しようとしても出来ない。このような問題は、アナログ放送の時にはなかった。デジタル放送になって、放送局側の勝手な都合で、視聴者がこうむった不都合だ。

 そんな時期に話題になっているのが、コピーフリー受信機だ。

放送業界を揺るがすコピーフリーの地デジ受信機「フリーオ」を入手
 ITpro [2007年12月14日]

 そう、コピーワンスは簡単になくすことが出来るのだ。そしてなぜこれが話題になるかといえば、多くの視聴者が望んでいるものだからだ。

 そしてこの受信機からわかることがもうひとつある。こちらの記事によれば、

衝撃のコピーフリー受信機「フリーオ」、その仕組みをひもとく
 ITpro [2007年12月17日]

原価が約3000円に対して、販売価格が約3万円だという。これだけぼろ儲けできるということは、この受信機の存在理由である “地上波デジタル” と “コピーワンス” でぼろ儲けをしている人たちがいるということである。

 一部の人たちが情報や制度を盾に、大多数の人たちから搾取しているシステムにおいては、非正規な方法でそのおこぼれにあずかろうとする人たちが必ず出てくるものだ。地上波デジタルやコピーワンスも、そういったシステムのひとつだったということだ。

 とにかく、地上波デジタル や コピーワンス に関しては、肯定的な話を見たことがない。(除く、政府、関係団体からの情報)

 気になるならば、“地上波デジタル” や “コピーワンス” で Web 上を検索していただきたい。それらに対する政府の無策や関係団体の暴走の話であふれていることがよくわかる。例えば、こちらのブログとか。

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2008/04/01

新銀行東京への追加出資はもっと批判されるべき

 予定通りというべきか、新銀行東京への追加出資が決まった。これでさらに400億円もの税金の無駄遣いが決まったわけだ。

 私は、新銀行東京への出資に賛成したつもりはないし、新銀行東京の設立を支持した覚えもない。そもそも、石原都知事を支持した覚えがない。前にも散々石原都知事に文句を言ったので、すでにわかっていることとは思うが。

 マスコミのこの件に対する問題点の指摘が少ないことも、私をよりいっそう不安にさせる。いちおう形式的に取り上げているようだが、報道時間がひどく短く感じる。

 下のように問題点をきちんと指摘するニュースが、もっと多く流れて欲しい。

山崎養世の「東奔西走」
新銀行東京に見る“お上”の甘さ
銀行だけに依存しない複線型の金融システムを

 山崎養世
  NBonline [2008年4月1日]

 以前の私の記事で紹介した、

「自分の三男石原宏高の地盤である品川区と大田区の企業に融資が集中していたことから、身内の選挙対策との疑い」

を、私はかなり確信している。はっきり言ってしまえば、石原都知事は、都民のものである税金を使って、というよりは “垂れ流して”、自分の一族の権力基盤を固めていると、私は強く思っている。

 その手の話は別に石原都知事に限った話ではなく、国会議員でもよく聞く話だ。例えば、郵政民営化に離党してまで反対した有力議員は、所有する会社が郵便局から随意契約の下請けでぼろもうけしていた、という噂もある。

 確かに政治はきれいごとだけでは済まないことも事実なのだろう。だからと言って、現状を黙認してしまえば、さらに私利私欲を優先する方向に傾くのは明らかだ。だから、少なくとも現状以上に悪化させないために、こういった行為に批判の声を上げ続ける必要がある。

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2008/03/31

暫定税率復活ならば環境対策に使うべし

 東国原宮崎県知事は、最近の知事としては好感が持てる。しかしながら、道路特定財源と道路整備にこだわる発言には、私にとってはとても残念だ。

 というのも、「道路整備なくして地方の再生はあり得ない」 という旨の発言を、私は信用できないからだ。

 これまでも、散々地方に広くて快適な道路が作られてきた。しかし、それによって地方が明確に再生したというデータを、私は見たことがない。

 私がよく見聞きするのは、1時間に数台しか走らない地方の有料道路とか、通行料が高すぎて建設前試算の半分も通行量がないアクアラインや瀬戸大橋、田んぼのど真ん中に「なぜ?」と思えるような対面2車線の立派な舗装道路、などだ。

 私が思うのは、「結局、国の予算で無駄な道路を作って、道路を作った土建屋が潤い、そこに落ちた金で地方を潤そう」 としてるだけなのではないかということだ。

 大陸に比べれば日本ははるかに国土が狭く、物流の効率がよい。インターネットによるネットワークの発達により、いちいち出かけなくてもモノを手に入れることが出来る。世界的に地球温暖化防止が叫ばれている今の状況で、車の利用を必要以上に推進するかのような過度な道路整備は、二酸化炭素削減に対しては不利。

 そんなことを考えると、私は道路をやたらに作るよりも、クリーン発電に税金を回したり、家庭向けの燃料電池の開発・補助に税金を回したほうが、はるかに賢い投資だと思っている。

 おりしも、ガソリン税の“暫定”法が期限切れとなり、ガソリンの値段が下がる。見直してみたら、ガソリン税=道路特定財源について、一年以上も前に自分も記事を書いていた

 そのときの考えは、今も変わっていない。ガソリンの値段が高いことでガソリンの消費を抑えつつ、多めに取った税金を環境対策に使う。

 ガソリンを使った人たちが傷めたのは、何も道路ばかりではない。人が住む環境全般を傷めているのだ。それを修復するためにガソリン税を使うことは、決して理不尽ではない。少なくとも、ガソリン税をマッサージ機に使ったり、コンパニオンを呼ぶのに使ったりするよりは、よっぽど合理的なはずだ。

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2008/03/19

官僚の人事秩序で日銀総裁を決めるな

 政府と与党が財務省の元事務次官にかなりこだわっていたことに、私はひどく不自然なモノを感じていた。官僚の言いなりになっている福田内閣のことだから、おそらく官僚の描いたシナリオをそのまま推し進めようとしていたのだろうと考えていた。

 どうやらそれは、当たらずとも遠からず、だったようだ。

山崎元のマルチスコープ
市場混乱の中の日銀総裁空席
 山崎元(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員)
  DIAMOND online [2008年3月19日]

財務省としても、事務次官を副総裁という形で送り込んで、いわば日銀総裁となるための帝王学を5年間も学ばせていたわけだから、それが意のままにならないとは、人事秩序的に「あり得ない」という感覚だろうし、それが分かるから、福田首相も手を出せずにすくんでいるのだろう。

 はたして武藤氏は本当に日銀総裁に不適格だったのか、単に政治の駆け引きでつぶされただけで、本当は適任者だったのかは、経済政策にまったく興味のない私には判断できない。ただ、政府与党の不自然な強引さだけを感じていた。

 私が気に入らないのは、「あらかじめこれで決めていたのだから、変更できない。」 とする官僚の無能さと傲慢さだ。

 5年もあれば今の世の中、政治情勢も経済情勢も技術情勢も大きく変わってしまう。

 私の得意分野であるパソコン関係で考えても、1995年当時インターネットや Web などは、一部の人のみが知る存在であった。それが 2000年ごろにはテレビ CM でインターネットアドレスが紹介されるまでになっている。

 だから5年前に適任だと思われたとしても、今現在も適任だという保証はない。もっとも、5年前にも適正云々ではなく、省内の力関係で決まったのだろうが・・・。

 いずれにしても、官僚の天下り先や再就職先の一つとして日銀総裁のポストがあつかわれているようで、私はとても情けない気持ちになる。

 バブル以降の長く厳しい不況は、日銀の失敗によるものだとする意見も多い。(例えば元 FRB 議長グリーンスパン氏の発言

 逆に言えば、日銀に総裁に本当の意味での適任者が就けば、今よりも日本経済がもっとよくなっていたし、これからよくなる可能性があるということだ。

 そう思うからこそ、自己保身最優先の官僚的 “人事秩序” で、日本にとっての最重要ポストである日銀総裁が決められたのでは、たまったものではない、とよりいっそう思う。

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2008/03/17

ガンバレ、情報通信法

 私は以前からこのブログで、「特定の放送局によるテレビ放送を止めて、すべての映像コンテンツをネットワーク配信にせよ。」 と主張してきた。ただ、それが実現するようには思えなかったので、勝手な主張だと自分でも思っていた。

 ところが実は、政府内でも放送局の既得権をはく奪しようという動きがあることに、私は驚いた。

情報通信法でメディア大激変!!
「通信と放送の融合」の規制緩和でメディア再編が加速する
 週刊ダイヤモンド編集部
  DIAMOND online [2008年3月4日]

 元総務大臣の竹中平蔵氏の米国に追従したような政策は、私は好きではなかった。その政策のおかげで、格差の拡大やワーキングプアが拡大したとも、個人的には思っている。

 ただ、こと “通信・放送の在り方に関する懇談会” にたいしては、「よくやった」 と素直に賛辞を送りたい。

 具体的なことは、上記記事の第2章に書いてある。

情報通信法でメディア大激変!!
2010年のデジタル大激変でテレビ局の利権構造は崩壊する
 週刊ダイヤモンド編集部
  DIAMOND online [2008年3月4日]

「世間に対する大義名分が立つうちに、どんどん放送局を追い込む。自ら行動を起こすように仕向け、彼らがため込んでいるコンテンツを放出させ、市場での取引を活発化させる」(総務省のある幹部)

 コンテンツと配信インフラを分離すれば、必ずしも既存のテレビ局が有利とは限らない、という構図だ。

 視聴者にとってメリットの多いインフラは何だろう。既存の機器が使えるという意味では、地上波テレビ放送ということになるだろう。しかし、(本当にできるかはおいといて)、2011年には、アナログ地上波放送が停止してデジタル地上波放送(地デジ)に切り替わる。つまり、受信する機器を買い換えなければならない。

 そして、買い換えた地デジ対応テレビは、ほとんどネットワークやPCとの接続に対応している。となれば、放送時間が決められて地デジよりも、オンデマンド方式で好きな番組を好きな時間に見られるネットワーク配信のほうが、視聴者のメリットは大きいことになる。

 コンテンツのスポンサーたる企業にとってはどうだろう。現在も専門会社が視聴率の調査を行っているが、それほど信頼性が高いものではない。テレビをつけてさえいれば視聴率にカウントされてしまうのだから。そこには、誰が見ているのか、そもそも見られているのか、といった情報はない。

 ネットワーク配信でもつけっぱなしという現象がないとは言い切れない。しかし、オンデマンド方式であれば、視聴者の積極的な働きかけを意味する。だから、テレビの視聴率よりはるかに信頼性が高くなる。

 とすれば、スポンサー企業にとっても、広告効果がより計算しやすいネットワーク配信のほうがメリットが大きいはずだ。

 テレビ局が盛んに普及を訴えている “地デジ” が、そのテレビ局を窮地に追い込むことになれば、なんとも皮肉な話ではないか。

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2008/03/14

危機感駆動型、おおいに結構

ニュースを斬る
危機感駆動型ニッポンの危機!?
ネガティブなニュースの濁流に流されるな

 竹中正治
  NBonline[2008年3月12日]

 この記事を読んで、いろいろと教えられた。

 確かに米国建国の経緯を考えれば、ともすれば絶望しがちな状況において、周囲や子供達に明るい未来を語る。語ることで、自分自身もきっと明日はよくなっているに違いない、と信ずる。そうであればこそ、あそこまでの国にすることが出来たのだろう。

 一方の日本は、建国前の時代から海を挟んでいるとはいえ、隣に広大な領土と進んだ技術力を持った大国が常に存在していたのだ。日本に住んでいる人たちが、常に侵略の危機感を持ったとしても不思議ではない。また、外敵からの脅威を除けば、生きていくための生活基盤は十分に整っていたのだから、あえて明るい未来を語る必要もなかったはずだ。

 そして、

これは、進化──淘汰と適応──の結果生じた人間の性向だと考えると納得できる。特定の場所に「実をつけた木がある」という情報(良いニュース)と「捕食動物がいる」という情報(悪いニュース)のどちらに強く反応する性向の方が生き延びる確率が高くなるだろうか。「木の実情報」を聞きもらせば、食べ損ねるだろうが、すぐに餓死するわけではない。一方、「捕食動物情報」を聞きもらせば、今にも襲われて死ぬ確率がぐんと高くなる。

という部分が、真にどちらが必要かということを言い表しているように思う。そのことから私は、竹中正治氏が言うような、

「危機感駆動型アプローチ」では日本は良くならない

とは思わない。

 日本がよくならないのは、戦略的に危機感を煽って、人の財産を巻き上げようとする人たちが、社会システムの中枢、官僚や経済界、にいるからだと、私は考えている。

 また、米国は財政赤字によって実体はすでに破綻の状態にあるとする意見も多い。ところが、米国国民は楽観主義により、いずれはうまくいくと考え、危機感に乏しい。

 とすれば、世界的な経済破綻が起こったときに、被害を最小限に抑えられるのは危機感型の日本なのではないだろうか。

 見方を変えれば、米国型はハイリスク・ハイリターン型、日本はローリスク・ローリターン型とみることができる。そして私は、ローリスク・ローリターンに安心感を覚える。

 それに、褒められることが当たり前の人たちが米国内ですら問題になりつつあるのだ。“希望駆動型” の米国方式を、日本が無理をしてまねる理由が、私には見つけられない。

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2008/03/12

石原慎太郎は早く辞職してください

 佐々淳行氏に、ホント文句を言いたい気分だ。なぜ2007年の東京都知事選で選挙対策本部長を務めたのかと。もちろん石原慎太郎の選挙対策本部長のことだ。

 新銀行東京の経営危機問題で、石原都知事は自分の責任を一切否定している。それどころか、多くの中小企業を救ったのだから新銀行東京は私の功績だとすら言い切っている。

 しかし、その野放図な融資は

三男石原宏高の地盤である品川区と大田区の企業に融資が集中していたことから、身内の選挙対策との疑いが持たれている (週刊現代 2007.1.6-13、FACTA2007年2月号 )

と雑誌に書かれている。

 石原都知事の “都政の私物化” は、2007年の選挙以前から問題になっていた。だから、あのままでいけば、石原都知事が落選していた可能性も十分にあった。

 その流れを変えてしまったのが、佐々淳行氏だったのだ。だから、私は文句を言いたいのだ。なぜ石原慎太郎の手助けをしたのかと。

 もちろん、石原慎太郎以外が都知事になっても、今より良くなっている保証はない。とはいえ、今の東京都政が私にとってはひどくむごいものに見える以上、やはり石原慎太郎にはとっとと都知事を辞めてもらいたい。

 東京オリンピックの誘致もとっとと止めてもらいたいし、都のお金から石原慎太郎の海外遊行費を出すのも止めてもらいたい。

 石原慎太郎の年齢を考えれば、今のありようは明らかな “老害” だ。なまじ、口が立って、恫喝力が強いため、老害をいっそうひどいものにしている。

 日本のあらゆることを左右する東京の最高権力者が、後三年もこのままなのかと思うと、日本も今後三年間はこんな調子なんだろうと思い、ますます憂鬱になる。

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2008/03/11

輸入食品問題から人口減少社会を考えてみる

 例の農薬入り冷凍ギョウザ事件の影響で、中国産野菜の輸入が大幅に減少しているようだ。

 我が家は、はるか昔から、中国産も含めて輸入野菜や輸入食品を買わないようにしている。産地偽装が横行している現在、産地表示が100%信用できるわけではないが、今のところそれしか判断材料がないので、産地表示を見て、国産の食品・食材を購入している。

 ただ、自分で買って調理する分は選択ができるが、外食や加工食品、お弁当といったモノは自分ではどうしようもない。最近は極力食材から自宅で調理するようにはしているものの、どこかに出かけたときなどは、外食に頼らざるを得ない。

 実際、ニュースでも輸入野菜の減少や値上がりが、レストランや加工食品会社を直撃していると伝えている。そのため、これまで輸入野菜を使っていたお店が、国産野菜に切り替えるケースも多いそうだ。

 すると、今でも値上がり気味の国産野菜の需要がさらに多くなり、値上がりに拍車が掛かるということだ。収入の乏しい我が家にとっては、なんとも頭の痛い状況だ。

 一方、日本全体としてみれば、農業・食品構造を転換するきっかけになればよいと、私は考えている。

 私自身、子供のがもう少し大きくなって親の手を離れるようになったら、本格的に農業を始めようと思っている。元々ものづくりが好きだし、人が最後に必要とするものは食料である。パソコンやテレビやケータイは、なければ不便だろうが、生きていけなくなるわけではない。少なくとも私は。

 今後徐々に日本の人口は減少していていくと予想されている。すると、これまで闇雲に開発していた住宅地が、日本の不良債権と化すだろう。そうなったときに、宅地を再度農地化して、農業自給率を上げていくことが十分に可能なはずだ。

 近場で生産することで輸送や鮮度を保つためのエネルギーも節約できる。これは最近欧州で急速に広まりつつある “フードマイレージ の小さい商品を買う” という今後の地球環境を考えたトレンドを実践することでもある。

 幸い日本は、国土のほとんどで農業が可能だ。その恵まれた条件を活かさない手はない。

 人口減少というと、働き手の減少、年金負担の増加、税収の減少、経済成長の鈍化、などといったマイナス面がやたらと強調されるようだが、自国の国民を、自国の生産物で養えるようになるといった、生活の安定性が増すといったプラス面も多いはずだ。

 費用対価格という経済面のさらに一面だけからしか考えず、食品輸入の依存度を高くしすぎると、そのシステムにトラブルが生じたときの反動が大きいのは、今回の中国産冷凍ギョウザ問題でも明らかだ。一つのシステムに依存しすぎる問題は、過去にはオイルショックで何度も経験済みのはずだ。にもかかわらず、相変わらず同じような失敗を繰り返している。

 今安定しているシステムが、今後も未来永劫続くとつい錯覚してしまうことも、そう思い込みたいのもよくある話だ。しかし、これまで滅びなかった国はなかったし、死ななかった人もいない。

 「今後、出生率は徐々に回復をしていく」 などと寝ぼけたことを公式に発表していないで、人口減少に入ってからの社会システムの青写真を一刻も早く公表して欲しいものだ。

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2008/03/03

カスタマーサービスについての話

怒れる消費者たちの逆襲
痛烈なブログや動画による苦情に企業はどう対応する?

 BusinessWeek
  NBonline [2008年3月3日]

 私もこれまでに何度もカスタマーサービスにいらだってきた。記憶にある中で一番古いモノは、私が会社でテスターをしていた時だった。当時 NEC は独自仕様の PC-9821 シリーズを主力にしていた時で、環境テストのために購入した PC-9821用の周辺機器がどうもうまく動作しなかった。具体的なことは忘れてしまったが、とにかくカスタマーサービスに電話をした。ところが、担当者と話をしてもいっこうに話が進まなかったので、上司に代わってもらった。上司も奥歯に物が挟まったような言い方をするので、「対応しているのかしていないのか、イエスかノーかで答えろ」 的な聞き方をしたら、「・・・対応していません・・・」 とやっと小声で回答を得た。

 このブログでも、何度かカスタマーサポートの不満をぶちまけてきた。シマンテック社の Norton 360PowerX Hard Disk Manager 7.0 の不具合に関する問い合わせだ。

 両社に共通するのは、とにかく定型の作業で問題が解決しない場合は、お客(この場合は私)が使っているパソコンの状態が特殊、つまりお客の側に問題があり、自分達製品を製造・販売した側に問題はない、とする態度だ。

 確かに、善良な客を装って企業から金銭的なモノを分捕ろうとする悪意のある者から、企業を守る必要もあるだろう。しかし、あまりにも企業を守ることばかりに重きを置いてしまうと、優良な顧客をも疑うことになり、最終的には優良な顧客を失うことになる。

 大部分の顧客は問題があっても何も発言しない。ただ、無言で使うことをやめ、その企業から買うことを辞めるだけだ。だからこそ、数少ない企業に直接発言をする顧客を大切にしなければいけない。企業ブランド向上やマーケティングの解説本には必ず載っている話だ。ところが、実際にそれを実践できている企業は驚くほど少ない。

 上記の記事では、YouTube といった動画投稿サイトを使って、企業の不誠実な事柄を訴えたり、企業の責任者に直接メールをして訴える事例が書かれている。私も自分自身の主張を広く世間の人に知ってもらう機会を得ようと、このブログを始めた。今のところ、社会現象を起こすような記事を書いていないのは、喜ぶべきか悲しむべきか悩むところではあるが。

 ところで、私が好きな “ゴルゴ13” というマンガの第240話に 『システム・ダウン』 という話がある。イギリスの保険会社のアメリカ子会社のヨーコは、高額保険の支払いにゴルゴ13が絡んでいることを突き止める。そこでヨーコは、ゴルゴ13への連絡方法を遮断することで、ゴルゴ13への妨害を行う。という内容の話だ。

 この話の中で、私が一番印象に残っているのが、保険会社の本社会長の言葉だ。

  • 「アメリカの会社などはやたら細かい免責事項を設定しているが、我が社はそんなことはしない!」
  • 「人が死ねば、そして、それが保険金詐欺でなければ、我が社は保険金を躊躇せずに払う」
  • 「予定以上に支払いが増えれば、料率をアップすればよいのだ!」
  • 「そもそもが不慮の死に備えるのが保険というシステムだ!

 実に明快だ。サービスはそもそもこのぐらい簡潔で明快であるべきだ。日本の保険会社にいたっては、免責事項どころか本来支払う義務のものまでごまかして支払っていなかったのだ。

 ソフトウェアのサービスもまたこうあるべきだと思っている。ユーザーごとにパソコンの環境は異なるわけで、それを理由にサポートの範囲外とするのは、ユーザーからすれば納得できない話だろう。別に保険金詐欺をしようとしているわけではないのだから。

 中には知らないが故に、物理的・現実的に無理な要求をしてくるユーザーもいるだろう。その場合でもきちんとお客が納得できる断り方をすべきなのだ。ユーザーが 「なるほど。そういうことなら、私のやろうとしていることは無理ですね。」 と言えるようになれば、問題自体は解決しなくても、ユーザーが抱えている悩みは解決する。

 そういう保険金の支払い方もあるということを、企業のカスタマーサービスは理解をして実践して欲しいものだ。

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2008/03/01

著作権についての一般人視点からの記事

人生の諸問題    
「テレビ」と「ウェブ」と「著作権」と
岡康道、小田嶋隆、清野由美
NBonline [2008年2月29日]

 若干、「そこまで言わなくても」 とか、「それはちょっと違うんじゃない」 と思うところもある。例えば、

小田嶋 「例えばソフトウエアのウインドウズとか、グーグルとか、でかくなるビジネスって、今はだいたい、タダで配られる方向でしょう。」

とか。いやいや、Windows はタダでは配られてませんよ、と。(汗)  パソコンに始めからインストールされていますが、パソコンの代金にきちんと含まれていますから。(汗)

  それでも、おおむね賛同できる内容だ。

  “著作権” という権利に対する説明として、

小田嶋 「もともと著作権という発想がどこにあったかというと、海賊版を作る人たちがいて、そういう人たちから作者を守るために生まれた法律であって、本来ユーザーを縛るためのものじゃないんですよ。(中略)
当初はすごく悪意のある海賊版業者が資金とネットワークを持って、複製を犯罪的に作っている、ということを想定してできた権利だったんだけど、今は素人を相手に、お前らどれだけコピーをするか分からないから、コピーさせないぞ、みたいな縛りに変質してきているでしょう。」

というのは、よくわかる説明だ。

  他のシリーズ記事で取り上げられている “海賊版により中国の動漫ブームができた” という話を出して、より多くの人に目にしてもらうことで、さらに大きなビジネスに結び付けられることを示している。

  “デジタル万引き” についての内容も、普通の人の感覚で書かれていて共感できる。

小田嶋 「雑誌社からすると、本当は売れたはずなのに、という理屈なんだけど、でも要するに120ページからある雑誌の中の1ページしか欲しくないような雑誌を、あんたたちが作っていたわけでしょうという。たとえば20ページ分撮らなきゃいけないようなら買うでしょう。」

  良い悪いは議論のあるところだろうが、デジタル万引きの本質を突いている意見だと、私は思う。

「たとえばドラマで女優が着ているスカートがほしくなって、それを買う。そういうようなことが起きるんじゃないか、と言われているんだけど、そんなに買うかね、いちいち。」
小田嶋 「あれはうそですよ。」

  私もそう思う。私が好きな 銀河英雄伝説バグダッシュ という情報部の人物がいる。その人物の台詞に、

「世の中に飛び交ってる情報ってものには、必ずベクトルが掛かっているんだ。つまり、誘導しようとしていたり、願望が含まれていたり、その情報の発信者の利益をはかる方向性が付加されている。それを差し引いてみればより本当の事実関係に近いものが見えてくる」

がある。私が好きな台詞の一つだ。政府やテレビ局が必死に地デジを宣伝する裏には、やはり何らかの彼らにとっての利益があると考えたほうがわかりやすい。

小田嶋 「ウチの子供なんかリアルタイムでテレビを見ていない。見たいものがある場合は、それを録画して好きな時に見るというスタイルが定着してる。CMどころか、番組全体をスキップして見てるわけだからね。」

  我が家でもまったく同じだ。たまにリアルタイムで放送を見ていると、CMがスキップできずに家族みんなでいらいらしている。(笑)

  次回の “次回、しぼみそうなテレビ広告” も楽しみだ。
(・∀・)

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2008/02/27

即刻辞任せよ

 石破防衛大臣は、即刻辞任すべきだ。

 数日前の記事で、

今の段階で防衛大臣が辞任するかどうかわからない。おそらくこの件で辞任することはないだろう。

と書いた。そのときはそれで間違っていないと思っていたし、今でも間違っていたとは思っていない。というのも、

あくまで私の感覚でしかないが、この次期の辞任要求は、世論の支持を得られない

と思っていたからだ。実際、

内閣支持率「3割割れ」 いよいよ「土俵際」?
 J-CASTニュース [2008年2月26日]

で、

産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が2月23・24日に行った調査では、(中略)、石破防衛相のイージス艦事件の責任については、59.5%が

「辞任せず、防衛省の体制見直しになどを続けるべきだ」

と答え、「続投支持」が大勢だ。

とある。私の感覚も間違っていなかったと、ちょっぴり安心している。

 ところがである、2月26日の記者会見の発言は最悪のものだった。

“八方塞がり”石破「隠蔽あれば責任取る」発言で窮地
「12分前に視認」を長時間放置

 ZAKZAK [2008年2月26日]

 記者会見の様子もテレビで見たが、石破防衛大臣はかなり感情を高ぶらせていた。以前に情報番組に出ていたときは、どんな質問に対しても極めて冷静だったことを考えると、かなり自分にとって都合の悪いことを指摘されたとしか思えない。触れられたくない本質を突かれると、たいていの人は感情を高ぶらせて反論するものだ。

 この石破防衛大臣の発言は、国民の利益をないがしろにして、防衛省の組織や官僚を “防衛” してるとしか見えない。こんな態度では、とうてい防衛省内の責任追及や更迭が出来るとは思えない。

 石破防衛大臣はしょせん “軍事ヲタク” でしかなかったということか。

 前回の記事で、私はこうも書いている。

問題の解決が遅々として進まなかったり、責任者への処分が十分にされなかった場合は、そのときには最高責任者である防衛大臣が責任を取るように辞任を要求すべきだ。

 今回の石破防衛大臣の発言で、省内や自衛隊内の責任追及や原因追及が行われないことは、ほぼ確定した。

 石破防衛大臣はまた、「原因の解明と責任の追及することで私の義務を果たす」 といった内容の発言をしている。この種の発言は、これまで結局辞任に追い込まれた大臣達が、辞任に追い込まれる直前に吐く発言だ。つまり、石破防衛大臣にも “辞任フラグが立った” といえる。

 石破防衛大臣は、即刻辞任すべきだ。

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2008/02/23

CO2本位制度

 なるほど。この発想は私には思いつかなかった。

宿輪純一の「逆張り経済論」     
将来は基軸通貨となるCO2
 宿輪 純一
  NBonline [2008年2月22日]

 確かに、CO2ならば世界共通の価値(負の価値だが)になりえる。

 現在の為替相場などと異なり、特定の国家の思惑で意図的に為替相場を低く抑えたり、高く支えたりすることもできなくなるだろう。

 CO2による貨幣相場は、その国の工業力や財政基盤、景気状況がダイレクトに繁栄されるモノとなるだろう。

 問題は、すべての国家・地域がそのCO2本位制度に素直に従うか、ということになろうか。

 いまだ財政基盤も工業力も脆弱な国であれば、CO2排出枠に縛られることなく製造業の発展に力を入れてCO2を垂れ流ししたいのが本音ではなかろうか。

 そうなったときの解決方法はどうなるのか。

 やはり欧米が中心となり、軍事力でCO2本位制度に従わせることになるのだろうか。そうすると、地球環境維持のために世界が再び騒乱状態に堕ちる可能性もある。

 二十世紀前半に二度の大きな世界大戦を経て、半世紀以上にわたる比較的平和な時代が続いた。しかし、ここ十数年の動きを見ると二十世紀前半にも見られた、主要国の衰退と混乱が少しずつ強まっているように見える。

 となると、私としても起こって欲しくない “動乱の時代” が再びやってくるのではないかと、心配している。

 確かにたまりにたまった矛盾やあつれきは、どこかで清算しなくてはならないだろう。そして、過去の負の遺産を清算できてこそ、新しい時代の新秩序が生まれる。

 次の秩序は、特定の国の経済を中心にしたものではなく、地球環境保全を中心にしたモノになるかもしれないということを、このCO2本位制度は、改めて私に気づかせてくれた。

 ここまで言ってしまうと、さすがに 「妄想が過ぎる」 とたしなめられそうだ。しかし、「そうなればいいなぁ」 というのは私の素直な気持ちだ。地球環境を食いつぶしながらのあくなき富の追求は、そろそろ終止符が打たれるべきだと、私は本気で思っている。

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2008/02/22

自分に都合のいい期待はそろそろやめませんか

 まったくもって、そのとおりだと思った。

官僚に解雇と流動化を。公務員制度改革法案後退の暗澹
 山崎元(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員)
  ダイヤモンド・オンライン [2008年2月20日]

 役人は失敗しても責任を問われない。内部的には昇進ができなかったりするのだろうが、それは公には出てこない。しかも、省庁内で昇格できなくとも、天下りで昇進と同等の恩恵にあずかれる。これでは役人が無責任になるのも当たり前だ。

 役人を能力評価で解雇できない仕組みを作ったのは、役人自身だ。「責任を強く問うと、大胆な政策が実行できなくなる」 など、おそらく役人に都合のよい理由からだろうが。

 そして私がもう一つ不満なのが、こういった役人の専横を日本国民の大多数が、たいして問題にしていないように見えることだ。役人に対して不満を抱きつつも、「触らぬ神にたたりなし」 といった感覚で、公にはなかなか抗議を示さない。もしかすると最近の北朝鮮のほうが、よっぽど国民が役人にたてついているかもしれないとさえ思う。

 不満をなかなか行動に移さない理由の一つとして、私が最近考えているのが、

「自分だけは、だまされない、損をしない。自分だけは、困ったときには国や市町村が助けてくれる。」

と思っている、思いたい人たちが多くいるのではないかということだ。

 それは、相変わらず “ネズミ講” に引っかかる人が多くいることから想像したことだ。

 「他人の勧誘すれば、出資金をはるかに上回るお金を手にすることが出来る」 という甘い言葉に乗って、多額の財産を奪われた人たちの話が、これまでに何度となく報道されてきているにもかかわらず、いざそういう話を聞くと 「そんなおいしい話が聞けた私はラッキーである」 と自分に都合のよい解釈や想像を膨らませて、結局は大金を騙し取られる。

 国 = 与党政治家や官僚も同じだ。「最後はちゃんと面倒を見てくれるはず」 と期待するのは勝手だし、それで不利益をかぶるのは自分自身だ。お上の言うことを素直に従っていれば、どこからともなく現れて農民・町民を守ってくれる “水戸黄門” も “暴れん坊将軍” も、残念ながら現代にはいない。

 ネットワークの発達によって、自分の意見を簡単に世界に向けて発信できるようになった。逆に、発信されている情報を、世界中から瞬時にかつ安価に入手できるようにもなっている。

 日本人もそろそろ、自分達がどういう社会で暮らしていきたいかを、明確に主張すべきときに来ていると思う。政治屋や役人達が隠れてやっている様々な政策や活動をすべて公にする必要がある。そのためにはやはり国民一人一人が行動を起こし、福田現首相のように役人と結託をして国民に不利益を押し付けるような政治屋を選挙で排除していく必要がある。

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2008/02/21

辞任要求より原因究明と責任者の処分を

 イージス艦と漁船との衝突事故があった。それに対して、野党の一部から 「防衛大臣は辞任せよ」 という要求が上がってきている。

 今の段階で防衛大臣が辞任するかどうかわからない。おそらくこの件で辞任することはないだろう。

 何よりも私は、問題が起こるをすぐに 「大臣の辞任」 を要求して、政治的な問題に引きずり込もうとする姿勢に疑問を感じる。

 今の段階でまず大臣に要求すべきことは、原因の徹底的な解明だろう。そして、最高責任者である大臣に、事故の報告がすぐに上がってこなかったことの原因追求と責任者の処分。そしてそれらを公に発表すること。役人の処分が具体的に発表されないことは、私の前々からの不満だ。

 そして、そういった問題の解決が遅々として進まなかったり、責任者への処分が十分にされなかった場合は、そのときには最高責任者である防衛大臣が責任を取るように辞任を要求すべきだ。

 とにかく、今この段階での防衛大臣への辞任要求は、私にはひどく違和感がある。あくまで私の感覚でしかないが、この次期の辞任要求は、世論の支持を得られないと思う。

 こんな感覚で政治活動をしているから、民主党も社民党も支持が伸びないのかなと、改めて考えさせられた。今の自民党に対する逆風が吹いている中、野党各党はもっと支持率を伸ばしていいはずなのに……。

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2008/02/20

日本企業の従業員評価は時代遅れ?

 今回もなかなかに興味深いデータが掲載されていた。

ポスト成果主義 スタンドプレーからチームプレーに     
そのチームワークは、なぜ機能しないのか
三巻由希子IBMビジネスコンサルティングサービスパートナー執行役員に聞く

 中野目純一
  NBonline [2008年2月19日]

 私が一番興味深かったのは、世界全体と日本企業の人事を評価する基準の違いだ。

 私の解釈はこうだ。

 日本の企業は高度経済成長時代からしばらくの間、終身雇用制度を取っていた。また、社会システムとしても転職はでメリットが大きかった。そのために自然と従業員の定着率が高くなっていた。

 また行動経済成長時代は、企業の業績の上昇がそのまま従業員の収入の向上につながっていたため、労働意欲や満足度も高かった。

 それらはバブル経済崩壊後、大きく変化をした。よりよい労働環境を探して簡単に転職することができるようになった。企業の業績が好調なのに、従業員の給与は据え置きにされるどころか、成果主義や契約社員への置き換えで、むしろ下がっていった。

 以前は当たり前の前提となっていた従業員の高い定着率、労働意欲、満足度が、当たり前でなくなってきている。にもかかわらず、企業側は高い定着率、労働意欲、満足度を前提にして、より利益率を上げるために、従業員一人当たりの利益や売り上げだけを向いてしまっている。

 そう考えると、世界全体のほうがすでに次の段階に進んでいるように見える。つまり、日本の企業も、改めて従業員の高い定着率、労働意欲、満足度を得られるように努力した企業が、今後生き残って成長していくのではないかと思える。

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2008/02/19

日本の会社制度で変えるべきものは

 日本の多くの大企業で行われているいわゆる “成果主義” がすでに破綻していることは、多くの人が認識している。結局 “成果主義” は、単なる人件費抑制のための手段でしかなかった。そのために、従業員のモラルとモチベーションは著しく低下し、人件費は抑えられたかもしれないが、それ以上に生産性は低下し、各種問題を解決するための必要経費は増えたように思う。

 情報を生業とする各種メディアは、すでにポスト成果主義なるものを提案しつつある。

ポスト成果主義 スタンドプレーからチームプレーに     
もうスターは要らない
ドロシー・ハマチ・ベリー
国際金融公社人事・総務担当副総裁に聞く

 中野目 純一
  NBonline [2008年2月15日]

 私がこの記事で注目したのは、いまだに引きずっている日本人の行動や従業員の評価方法についてだ。

協調とは笑顔を絶やさずにお互いに良い態度で接することだと多くの人が誤解しているからです。そうした態度は実は多くの場合、かえって有害です。問題が存在しないかのように振る舞うことにつながるからです。

 そのとおりだと思う。昨今の省庁の不祥事はこの 「問題が存在しないかのように振る舞う」 ことから起こっていると、私は思っている。

たとえ関係を一時的に悪化させることになっても問題を解決しようとする。こうした協調性の能力は最も重要になりつつあります。

 これは私にとっては歓迎すべき傾向だ。前にも話題にしたことがあったが、ある時期の私の上司は、自分の間違いを部下が指摘するのを極度に嫌った。それでもあえて指摘した私は、ずいぶん疎まれて、どんなに会社に貢献しても高い評価を得られなかった。

日本企業には人事評価の面でも問題があるようですね。社員の処遇についての根拠が依然として曖昧な会社が少なくない。

 私が経験した範囲では、上司が性格的に合う部下を何かにつけて優遇して高く評価するとか、上司の間違いをみんなの前で指摘した部下を意図的に低く評価するとか、いったことが、日常茶飯事で行われていた。

 一年ごとに具体的な目標を定め、半年後に修正をして、目標の達成度で成績評価をするという会社のルールは、現場レベルで有名無実化していた。米国資本の外資系企業でさえそうであった。結局、運用するのが日本人であれば、運用のされ方も日本式になるということを、私は身をもって体験してきた。

 そして私が今一番あいまいにされていると思うのが、正社員と契約社員・パート・アルバイトの違いだと思っている。今後ますますこの問題は大きな社会問題なっていくだろうと予想している。

 私の考える解決策は極めて単純だ。以前にも記述したことがある。要は

「社員制度をすべて一元化して、企業で働くものはすべて正社員として契約すべし」

というものだ。

 人気のない首相は 「様々な形態で働きたい人たちもいる」 などとふざけた答弁をしたようだが、個人個人のライフスタイルと社員契約は何も矛盾しない。契約社員・パート・アルバイトといった、簡略した労働契約は、経営者にとって使いやすいからに他ならない。

 自民党政治の基盤が、企業家や資産家なので、そういった人たちに有利な政治をするのはしょうがない。だからこそ、企業家や資産家よりも数が多い労働者が支持できる政党が必要なのだが、残念ながら今はない。

 企業側と労働者側を対等にあつかう政治システムが確立できてこそ、日本は再び輝きを取り戻せると、私は思っている。だが、それがいつ達成されるのか、そもそも達成できるのか、私にはぜんぜん想像ができない。

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2008/02/18

東京マラソンが大成功と言うけれど

 2008年2月17日に東京マラソンがあった。この記事はその翌日に書いている。

 各種メディア、マスコミは、全面的に東京マラソンを絶賛している。普段は歩けないところを走ることができる。16万人もの応募があったということは、それだけ東京都内を走ってみたいと思っている人が多いわけで、その人たちの希望をかなえることには十分に意味がある。地方からも東京マラソンに参加したり、応援にきたり、見学に着たりする人が、大勢来るわけだから、該当地域への経済効果も大きいだろう。

 しかし、大多数が絶賛すればするほど、私は妙に批判的に見てしまう。特に具体的な問題点を見つけたわけでも、指摘したいわけでもない。ただ過去の経験から、ほとんどの人たちが賛同する物事ほど、実は裏に大きな問題を抱えていることが多いことを学んでいるからだと思う。

 実際、少数ではあったろうが、東京マラソンを迷惑だと思った人たちはいただろう。長時間にわたって店の前の道路が封鎖されたために、開店休業状態になった店。観光旅行できたのに、道路を封鎖されて思うように移動できなかった人たち。等など。

 もっとも、私が批判的に見てしまう一番大きな理由はやはり、私自身がマラソンといったスポーツにほとんど興味がないことだろう、というのは、自分でもわかっている。

 そして、長年にわたるテレビや新聞メディアに対する不信感、石原都知事に対する不信感、官僚・役人に対する不信感が、いっそうこういった官主導のイベントに対して、私を批判的にしてしまう。

 石原都知事はこの勢いで、第二東京オリンピックを誘致しようとしているようだが、私はオリンピック誘致に断固反対だ。オリンピック誘致に使うお金があるのならば、もっと都民のための別な使い方があるはずだ。オリンピック誘致のために、再び無駄な競技施設や無駄な道路整備を行い、結局は土建屋の懐を潤わせるだけになる以外のことを、私は想像できない。

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2008/02/16

共産党は有限実行できるのか

 なにやら 日本共産党 の 志位和夫委員長 の国会代表質問が話題になっている。

派遣法改正し“労働者保護法”に
人間“使い捨て”では未来ない
衆院予算委 志位委員長が気迫の質問

 しんぶん赤旗 [2008年2月9日]

 そのときの動画も公開されている。

 私は記事を読み(、動画は大まかにしか見ていない)、今回、志位委員長の言っていることは正論だと思った。私は 「誰が言ったか」 ではなく、「何を言ったか」 で判断するので、今回の志位委員長の主張を、私は支持できる。

 問題は、共産党がこの主張どおりに政治活動を行えるかだと思っている。人目を引くために口でいいことを言うことはいくらでもできる。難しいのは行動に移すことだ。共産党が本気で労働者の生活のための活動を具体的に行うのであれば、過去のいきさつはひとまず置いといて、次回の選挙では共産党に一票を入れることを私は考える。具体的な活動がみないようであれば、やはり共産党支持には躊躇するだろう。

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2008/02/13

総選挙時期についての世論調査結果から考える

 NHKが2008年2月9日~11日にRDD方式で世論調査をした結果、“衆議院の解散・総選挙の時期について” は、

  • 34%: 来年の任期満了まで総選挙を行う必要はない
  • 29%: 日本でのサミットが終わったあと、今年秋ごろまでには行うべきだ
  • 24%: 平成20年度予算案が成立したあと、今年春ごろには行うべきだ

だったというニュースを放送していた。

 この種の調査結果には、いろんな読み方ができる。そもそも、設問の内容や調査対象によって調査した組織の思惟が出てくることも少なくない。

 が、この結果がある程度今の日本国民の意識の傾向を示していると仮定すると、

「今の日本国民は、衆議院と参議院で与党勢力が異なるいわゆる“ねじれ”の状況を好ましい状況だと考えている」

と私は読んだ。

 もし、衆議院と参議院の“ねじれ”を、多くの日本人がよくないと考えているのであれば、衆議院の早期解散を望む声が多くなるとはずだと思ったからだ。

 “ねじれ”により自民党は安易に自分達にだけ都合の良い議決ができない。“ねじれ”により様々な省庁・官僚達の不正や不適切な行動が公にされた。絶対に必要な議決は、自民党が支持率の低下と引き換えにしてでも衆議院を通して国会議決とする。

 こういった状況を多くの日本人が、少なくとも“ねじれ”以前の自民党暴走、官僚やり放題な状況よりは「まし」だと考えているのではなかろうか。

 政治問題をあつかうバラエティ番組で、えらそうな顔をした政治評論家たちが、

「いまの“ねじれ”状態はよくない。日本の政治が進まなくなって、ますます日本がだめになっていく。」

とつばを飛ばしながら力説している。しかし、私はそう思っていないし、多くの日本人もそうは考えていないと、思っている。

 政治バラエティによく出ている 大竹まこと氏が、そんな政治評論家たちを前にして、

「でも、この“ねじれ”があったからこそ、防衛省接待問題とか薬害肝炎問題がここまで大きな問題にできたわけですよね。そう考えると、“ねじれ”ていることが一概に悪いこととは言えないんじゃないの。」

という内容の発言をしていた。この発言などは、まさに多くの日本人を代表した発言なのではないかと思っている。

 確かに、景気対策や国際貢献、ガソリン税暫定税率などで、なかなか結論が出せずに、日本経済を損なっている部分があるのかもしれない。多分あるのだろう。

 しかし、今の日本人の多くはその程度のことは、今後日本が再び住みよい国になるために支払う代償だと覚悟して、むしろ、これまでにたまった癒着や利権といった日本社会を蝕んでいる病巣を明らかにして摘出することこそ早急に期待していると、私は思いたい。

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2008/02/12

どうでもいいことが長時間報道されてていいのか

 少し前に、自民党の佐藤ゆかり議員が次の選挙で別な選挙区から立候補することが決まった、ことがずいぶんと報道されていた。

 しかしこれは、そんなに時間を割いて長時間放送するようなことなのか? 私にはまったくそう思えない。

 同じ自民党、前回の郵政選挙で敵対した間柄、小泉チルドレンの象徴、女の争い、といったことで確かに注目を浴びやすい、話題にしやすいモノだとは思う。

 しかし所詮、自民党内の派閥争い、主導権争いでしかない。国民の生活や日本の安全にまったく影響のない話だ。もっと言ってしまえば、芸能人が結婚したり、離婚したりしたのと同じレベルの話だ。

 これがさも政治上の重要な事件のように報道されるのが、私には腹立たしい。世界にはもっと報道しなければいけない重要なことが山のようにあるはずだ。世界といわずに、日本国内でもあるはずだ。年金問題の行方がどうなっているのか、税金の無駄遣いは減っているのか、ほんとに道路特定財源をすべて必要なほど道路を作らなくてはならないのか、等など。

 「皆が見たい聞きたいことを報道するのがニュースの役目だ」 というのかもしれない。しかし、私はそれは報道倫理の観点で正しくないと思う。正しい報道倫理に基づけば、

「皆が知らなければいけないことを報道するのがニュースの役目」

だと私は信じている。それがたとえ、皆が目を背けたくなるようなことであったとしても、知らせなければいけないことはあるはずだ。そうではなく、「見たい聞きたい」モノだけを知らせるならば、それは報道とはいえない。それはバラエティでしかない。

 特にテレビ放送では、ほとんど報道を見かけなくなってしまった。やっているのは、報道っぽく放送しているバラエティばかりである。それは、日本人全体にとってとても残念なことに違いないと思っている。

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2008/02/06

突然の有害サイト規制義務化の行き着く先は

 相変わらず中央省庁のやることはお粗末だ。

時流超流     
突然の「携帯官製不況」
有害サイト規制を義務化した総務省の拙速

 田中成省 中島募 鈴木雅映子
  NBonline [2008年2月4日]

 日本のマンガやアニメーションが世界に通用する日本の重要なコンテンツになったのは、政治家や役人の干渉を受けなかったためだとよく言われる。実際、私もそのとおりだと思う。

 私がよく知るコンピュータ業界でも、“第五世代コンピュータ計画” や “Σプロジェクト” といった役人主導の税金の無駄遣いがあった。とにかく役人は何でもやりたがるが、成功させるために必要なことを知らない。失敗の責任も取らない。

 そして今度の有害サイト規制の独断だ。「義務化するのは未成年者だから影響は小さい」 とでも思っているのだろうか。上述したマンガにしてもアニメにしても、その価値をいち早く受け入れたの未成年=子供達だ。

 この規制がこのままの形で続けば、ケータイビジネスはおそらく “死ぬ” だろう。素人の私から見ても簡単に想像がつく。

 もちろん、ケータイキャリアだけが儲かるような今のケータイビジネスの形は良くないと、私は思う。ケータイキャリア、コンテンツオーナー、そして利用者が、すべてハッピーになる形にしないと、やはりケータイビジネスは拡大しないと思う。

 ところが今回の規制は、そのバランスをとる以前の問題だ。今やメールやWebページアクセスは、パソコンよりもケータイのほうが多い時代だ。特に若い人たちにとっては。より多くの人たちの利便性を奪ってこのままで済んで欲しくない。PSE問題 のように最後は見直しが避けられないのではないかと期待したいところだ。

唐突な決定の背景には、政治家や警察庁などからの圧力が影響したとも噂される。

 これが本当のことだとしたら、自分達の地位や権限を守るためには、業者やなによりも国民の利益を平然と無視する “お役人” の “面目躍如” である。

 そして、このサイト規制義務化がどんどん進んでいけば、やがて国家権力による情報の検閲に行き着いてしまうのではないかと心配で仕方がない。

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2008/02/05

モンスターペイシェンツ

著者に聞く     
患者は“神様”? 悲鳴を上げる勤務医
『医者のしごと』の著者 福井次矢聖路加国際病院院長に聞く

 飯村 かおり
  NBonline [2008年2月4日]

 “モンスターペアレント” の次は “モンスターペイシェンツ” らしい。

 一時期、“ドクターハラスメント” が話題になった。モンスターペイシェンツは、そのドクターハラスメントの反動で出てきたようにも見える。

 いろいろな理由が考えられるし、挙げられている。その中で影響が大きいと私が思っているのが、「要求をしないと損をする」 という今の日本社会のシステムだ。

 年金もそうだし、地方自治体が行っている各種補助もそうだ。たいして広報活動も行っていないのに、資格を持っている人が補助を受けるためには、自ら細かく調べて申請をしなければいけない。ひどいときは、役所の担当者が補助をなるべく出さないように意図的に情報を与えない、といった報道もあるぐらいだ。

 本来自分が受けられる恩恵を受けるためには、しつこく要求しなければいけない。そんな制度に晒され続ければ、やがて何に対しても、とにかくまず細かく要求するようになっても仕方ないのではないのか。

 数だけは多いくせになるべく仕事をしないように努力をする公務員達。

「窓口でのパソコン作業では、キーボードを45分操作したら15分休憩」
「キーボードへのタッチは1日当たり平均5000以内」
  (Wikipeida より)

こんなことを中小企業がやっていたら、その企業はすぐにつぶれてしまうだろう。いくら現場の労働者を保護するといっても、これでは 「税金泥棒」 といわれても仕方ないだろう。

 中小企業に比べればはるかに高い給料をもらっている公務員達が多すぎるぐらい多くいるのだ。その公務員達が中小企業に勤める社員以上に働けば、市民サービスはもっと快適になるはずなのだ。そうすれば、モンスター達もこれ以上増やさずに済むと、私は思っている。

 ところで、“教師”、“医師” といずれも 「先生」 と呼ばれる人たちが、モンスターの餌食になっている。すると次に犠牲になる “先生” は、・・・・・・・、“代議士” と予想してみる。

 “モンスターエレクトレイト(有権者)” に悩まされる代議士達。冠婚葬祭でかならずお金を要求され、地元へ必要以上に多くの国家予算を持ってくることを要求される。あれ? 今とおんなじじゃん。(笑)

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2008/02/04

身の丈にあった生活

神谷秀樹の「日米企業往来」     
下村治博士の20年前の警告を見つめよ
 神谷秀樹
  NBonline [2008年2月4日]

 あぁ、やっぱり優秀な人というのは、現状をきちんと分析して10年20年後を予測できるもんなんだな、と思った。もっとも、いろんな人がいろんなことを予測してるわけだから、そのうちのどれか一つぐらいは当たるのだが。(^^;)  それで、現実に予測が当たってから 「○○先生は、20年も前から予見されてた」 となるのは、結果論でしかないのだが、今日の話題の中心はそこではない。

 私がこの下村博士の言葉の中で、

「身の丈以上の生活の仕方はやがて破綻し、その時にドルは暴落する。また日本が米国に行った貯金も返らなくなる」

「マネーゲームに惑わされず、堅実な生活設計を立てること。あまり欲の皮を張りすぎると悪徳業者にだまされるのがオチである」

という言葉は、私の生活ポリシーに合致していて、すごく賛同できる。

 『身の丈にあった生活』、これは前回の記事内で書いた “エコ” にも通じる生活だと思っている。自然環境、地球環境を省みず、資源の浪費や環境汚染をしてまで身の丈以上の生活を送ろうとする今の日米の生活は、すでに限界に来ていると感じる。それは、身の丈以上に道路を作ったり、箱物を作ったりすることにもいえる。

 確かに、人類は身の丈以上の豊かな生活を目指して著しい進歩を遂げてきた。私もその恩恵にあずかっている自覚はある。しかし、これ以上の豊かな生活は、自然環境に対する負荷、さらには人間自身に対する負荷があまりに大きすぎるのではないかと考えている。

 今のところ私が実践しているのは、“車を持たない”、“エアコンを持たない” といった類のものでしかない。それでもカミさんからはしょっちゅう 「不便だ」 と文句をいわれる。しかし、生活に支障をきたさないのであれば、私は所有するつもりはない。ちなみに、今これを書いている部屋の暖房は “パソコン” だけだ。寒いときには厚着をする。それで十分だ。

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2008/02/02

今の社会を転換させるものはあるのか

宮田秀明の「経営の設計学」     
道路予算は地方を救わない
今こそ“麻薬”中毒の苦しみから抜け出す時

 宮田秀明
  [2008年2月1日]

 全面的に賛同する。ここで語られているような “交通・輸送・環境”行政を掲げる政治家や政党があれば、私は全面的に支持する。

 地方に道路を作るだけでは 「地方を活性化しないし、何の経済効果もない」 ということは、これまで散々言われてきていることだ。にもかかわらず、政官業の癒着構造のために、いっこうに道路行政が変わる兆しはない。

 一度作られたシステムや制度、既得権益を崩すことがいかに難しいかを、今の日本の道路行政もまた示そうとしている。

 この、道路や箱物といった土建屋に優先的にお金を集めようというシステム、もっと言えば、個人の生活よりも企業の利益を優先する社会システムを変えてくれるものがあるとすれば、それは何だろう。

 平安時代は武力を持たない権力が、権力を持たない武力によって、貴族中心社会が崩壊した。鎌倉時代の 「土地は兄弟で分割するもの」 という制度は家の弱体化を招き、家長による一括相続へと変わっていった。江戸幕府は、長年にわたる内向きの制度が武力に優れた欧米列強に対応しきれずに、欧米のシステムを柔軟に取り込んだ勢力に取って代わられた。

 私が思うに、企業最優先のシステムに転換を促すのは、今流行の “エコ” = 地球環境対策 なのかもしれない。

 地球温暖化だけではない。酸性雨や砂漠化、海洋資源の枯渇など、地球の自然環境に付けを回した分を、今の企業は利益としている。企業が利益を上げる過程で発生させたガスやゴミを、自然環境にまったく無害なものに戻すコストをかけた場合、はたして企業は本当に経常利益を出すことが出来るのだろうか? ほとんどの企業が利益を出せなくなると、私は思っている。

 もちろん、企業が安価で便利なモノを提供できなくなれば、その国に住む者も不便を強いられるだろう。だが、今の日本はあまりにも贅沢になりすぎてはいないだろうか。私は今よりももっと不便で、何事にも時間がかかる社会のほうが、こと日本に関しては、結果として肉体的にも精神的にもゆとりが出来て、今よりも住みよい社会が出来るような気がするのだが、どうだろうか。

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2008/02/01

米国食肉工場のトンデモ映像

 世間では今 “農薬入り中国製冷凍ギョウザ” が、一番話題になっている。しかし、私はそれと同じぐらいに、こちらも問題じゃないかと思っている。

牛に電気ショックの映像、米で波紋
 TBS News i [2008年1月31日]

アメリカでは体が弱り、立てない牛はBSEの危険性が高いとして流通できないため、告発した団体はこの食肉工場では弱った牛に電気ショックなどを与え立ち上がらせ、検査をパスさせていたとしています。

 アメリカ農務省が調査に乗り出すらしいが、「科学的でない」という科学的でない根拠で全頭検査を拒んだ農務省だ。どこまで本気で調査をするつもりかわかったものではない。

 確かに農薬ギョウザは即効性があるし、原因と結果がはっきりしている。それに対して、BSE の人体への感染はまだはっきりしていない。潜伏期間も長い。

 しかし、薬害エイズ問題、アスベストによる悪性中皮腫問題、薬害肝炎問題、いずれもが長い潜伏期間を経て大きくなった問題だ。そして、問題がまさに起こっているときは、誰も問題を指摘してこなかった。

 BSE も同じ問題をはらんでいるかもしれないと考えられないだろうか。10年、20年経ってから、大勢の変異型クロイツフェルト・ヤコブ病患者が発生したときは、いったい誰が責任を取るというのだろうか。それに、誰かが責任を取ったとしても、結局、苦しむのは病気にかかった患者達だ。

 私は、米国産の牛肉は買わないようにしている。だが、外食したときに米国産牛肉を食べていないとは言い切れない。そう考えて、とにかく危険性がある疑わしいものは、徹底的に調査して欲しいというのが、私の切なる願いだ。

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2008/01/31

日本動漫は中国をどう変えるのか

中国"動漫"新人類
「海賊版」初体験で見えた、日本動漫浸透のメカニズム

 遠藤誉
  NBonline [2008年1月30日]

 なるほど、確かにそうだ。私もそのとおりだと思った。

 「海賊版の存在が、日本動漫ブームを生み出した」 という部分にではない。

海賊版は、日本動漫の普及に貢献しただけでなく、中国の青少年が「自らの手で選ぶ」大衆文化の形成にも──無論、結果としてだが──役立っていたのではないか?

といった、「中国の青少年に革命的な思想の変化がもたらされた」 という部分にだ。

 私が知る限りでは、中国も経済は自由化してきている。だから、いまさら、

海賊版ビジネスでも市場原理が働き、子どもや若者が好む漫画が市場で勝ち残っていく。見方を変えれば、市場を通して若者自身が社会の文化的なトレンドを消費者の立場で築いていくわけだ。

といった話は、今の中国においては特別な話ではない。

 しかしである。自分を振り返ってみてもわかるように、幼少期の原体験というものは大人になってからの行動にも大きく影響するものだ。私で言えば、いい歳になった今でもガンダム大好きだったりするようなことだ。自衛隊では、“ガンダムっぽい” 兵器をまじめに開発している人たちもいる。

 そう考えれば、幼少期から自由市場原理を原体験してきた中国の動漫世代は、自らが選択していくことが当然だという価値観を持ち、大人になってからも変わらぬ価値観で生活していくだろう。しかもそれが、一部のエリートや裕福な家庭で育った人ばかりでなく、多くの一般大衆家庭で育った人たちもそのような原体験をしていたとしたら・・・。

 いずれ、物に対してだけでなく、社会サービスや社会システムに対しても自分達の意見が繁栄されないと耐えられない苦痛に感じるようになるのではないか。そうなった場合、今の政治体制はやはり大きく変わらざるを得ないだろう、と私は考える。

 中国が市場に自由市場原理を導入したときから、そのようなことは言われてきた。しかし、公式に市場原理が導入される前から、動漫世代は市場原理を実体験してきた。だから、政治体制に対する要求も、もっと早い段階で起こるのではないかと、私は感じた。

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2008/01/30

作り手のための著作権法とは

 今回の記事は、以前の記事よりはるかに落ち着いて読むことができた。

作り手を“やる気”にさせる著作権とは
――島本和彦氏など語る

 ITmedia News [2008年1月28日]

 世間一般には、

  • 著作権者=儲けている人=クリエイター

という認識が強いと思う。実際、私もそう思っていたし、今でもついつい勘違いしてしまう。しかし、この記事を読むと、多くのクリエイターが実は報われていないことがわかる。

「今の著作権法は、自分は何もクリエイトせずに流通を支配しているだけの人に巨額のお金が渡る。」 (東京大学大学院教授 玉井克哉氏)

 私もこの点が現在の著作権法の最大の問題点だと思っている。クリエイターに対価が支払われ、流通をサポートした人には多少の手間賃が支払われる、というのが本来あるべき姿ではないのか。

 いつの頃か、どこかで頭のいい人が、著作権法の “問題” を見抜き、流通や公開をめんどくさがるクリエイターから作品を買い叩けば、大もうけできるということに気がついたのだろう。

「著作権法にはクリエイターを守る規定がほとんどない。それに手を付けずに権利を主張するのは、旧来のメディア企業が利益を守ろうとイチャモンをつけているようにしか見えない」 (法政大学准教授 白田秀彰氏)

 この意見にも私は大いに賛成だ。確かに、既得権を守ることは個人の生活を守るために必要なことでもある。だが、あまりにも一部の人たちだけで利益を独占して、その他大多数の大きな不利益になる場合は、既得権を排除すべきであろう。

 著作権法には直接関係ないが、

「法学者の意見は必ず現状維持にバイアスがかかっているから信用しないほうがいい。できませんは『やりたくない』という意味だ」 (東京大学大学院教授 玉井克哉氏)

という意見に、「学者は公務員か?」 と思わず心の中で突っ込んでしまった。

 記事の中の細かい法律的な内容については、残念ながら私には判断できなかった。

 また、

「今の段階で著作権法はすでにスパゲッティ状態。これに新たにくっつけるのではなく、著作権法そのものの大改正がまず必要」 (法政大学准教授 白田秀彰氏)

というのが最善だというのはわかる。しかし、私の少ない経験からでも、「難しいだろうな」 と思えた。ソフトウェアの場合、プログラマはつぎはぎだらけになった古いプログラムを捨て、一から新しいプログラムを書きたがる。ところが、たいていの場合は、以前と同等の機能を実装できずに頓挫してしまう。だから、もし本当に大改正をするというなら、

「現行の著作権法は維持し、特別法や契約法で対応すべき」 (早稲田大学大学院准教授 境真良氏、一橋大学大学院教授 岩倉正和氏)

と並行で進めていくべき話なのだろうと思った。

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2008/01/29

UGCから世界経済を妄想してみた

 “UGC - User Generated Content” という言葉を知っているだろうか。一言で言ってしまえば、“一般の人たちが無償で提供している作品” のことだ。そして、今後のインターネット社会において、極めて重要なモノになると考えられている。いや、すでになりつつあるといっても過言ではない。

YouTube や ニコニコ動画 などはよい例だし、広い見方をすれば、2ch も UGC だ。少し前にブームとなった “電車男” も UGC の集まりと言える。

 UGC は極めて安価な資本で、極めて豊富なコンテンツを確保できる可能性を持つ。量的に豊富なだけで、質としては貧弱であるという批判もあるが、高いの質を持つコンテンツが生み出された背景には、大量の愚にもつかないモノの積み重ねが必要である。豊富なコンテンツが確保できるというのは、重要なことだ。

 そして任天堂は、ゲームの世界にも UGC を取り込もうとしている。

デジタルエンタメ天気予報     
テレビゲームの根元的な欠点とは?
「スマブラX」が提供する新しい「楽しみ方」

 野安ゆきお
  NBonline [2008年1月25日]

 ユーザーが無償で遊んだ内容が、任天堂にとっては UGC となる。記事の中で 「テレビのスポーツ中継と同じ」 といっているが、私は “プレーヤーが無償でコンテンツを提供している” 点で異なっていると感じた。

 米国や韓国では、プロのゲーマーが存在する。そのプロのゲーマー達が賞金をかけたトーナメントを行い、それをテレビやインターネットを通して中継されるのが、私から見ると 「テレビのスポーツ中継と同じ」 と思える。

 現在のテレビ局で放送されているコンテンツには莫大な費用がかかっていることは、周知の事実だ。それに比べれば、UGC は比較にならないほど安価だ。もちろん、コンテンツの質も比較にならないのだが、反対に量は UGC が圧倒している。

 次段階の私の予想だが、UGC がそれなりにビジネスとして成立すると考えた人たちが、今度は UGC の囲い込みに走ろうとすると考えた。具体的には、UGC にそれなりに対価を支払うのが当たり前になってくるのではなかろうか。

 多くの人は、自分が作ったものがそれなりの価値を生み出すとわかれば、それを高く買ってくれる人に売ろうとするだろう。その額は、わずかかもしれない。しかし、インターネットに接続している人たちの多くがそれに参加するようになれば、そこに生み出される市場は十分に大きなものとなろう。

 そして、インターネットには国境がない。(厳密には、アクセス制限をしている国もあるが。)  とすれば、UGC よって流通する貨幣価値は、国に依存しない独自なものになりうる。そして、今は為替市場などで実体とかけ離れていることを、露呈してしまうかもしれない。もし仮にそうなれば、国家単位でやり取りをしている実体経済にも何らかの影響が出るはずだ。

 インターネットによって情報の格差や秘匿が出来にくくなったことで、政治体制や社会システムに変化が起こっているのは、多くの人が実感していると思う。そして、今後はそれが世界経済にも及ぶのではないかということを、ちょっと妄想してみた。

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2008/01/24

田中角栄の呪縛

 世間的には今、「道路特定財源で道路を作り続けるか」 VS 「道路特定財源を廃止してガソリンを値下げするか」 の話題で盛り上がっている。

 しかし、私にはそのどちらもが、時代に逆行しているようにしか見えない。

 環境問題やCO2削減が叫ばれている今の時代に、ガソリンを値下げして非効率な石油資源の浪費を推奨するがごときガソリンの値下げを、私は賛成しない。

 そして、道路だ。私は前々から言っているように、これ以上の “戦後復興” のための道路延長は不要だと思っている。だから私は、この山崎氏の意見に全面的に賛成だ。

山崎養世の「東奔西走」     
道路について徹底的に議論せよ
戦後復興期の財政のあり方から今こそ脱却を

 山崎養世
  NBonline [2008年1月22日]

いまや、日本の道路建設への支出は、一般道路と高速道路の合計で年間8兆円余り、11兆円の消費税収に迫る巨額です。ドイツ、英国、フランス、イタリア4カ国の道路予算の合計です。

道路は権力の道具です。道路の目的は、早く安く作ることから、できるだけ完成を長引かせできるだけ予算を落とすことに変わりました。

 これらの数字だけからも、今の日本の道路政策の異常さを、うかがい知ることが出来る。

 それにしても恐るべきは、田中角栄氏だ。この道路特定財源にしろ、「均衡ある国土の発展」 というスローガンにしろ、その当時の田中氏の政策がいまだに受け継がれている。残念なのは、受け継いだ人たちが本来の趣旨を逸脱して、自己の権力維持や利益誘導にしか使わなくなってしまったことだ。

 逆に言えば、田中氏以降に、田中氏と同等以上の政治家が現れなかったということだ。

 もし田中氏と同等以上の資質と、高いモラルを持ち合わせた政治家が現れていたとしたら、時代に合わなくなった政策をオーバーライドさせていたはずだ。

 自分に政治的な資質がない以上、私に出来ることは、今の日本に最適な政策を強力に推し進めてくれる人を、強く応援することだ。しかし残念ながら、今現在、強く応援して、可能であれば協力したいと思える政治家はいない。

 小泉純一郎氏に期待した時もあったが、結局、パフォーマンスだけの政治家だった。石原慎太郎氏に期待した時もあったが、身内びいきで考えが偏った老害でしかなかった。舛添要一氏に期待した時もあったが、理屈を捏ね回すだけで官僚にあしらわれる学者でしかなかった。

 今は、東国原英夫氏に注目をしている。大きく期待しているわけではないが、もしかしたら東国原氏に影響されて、次世代の有能な政治家が出てくるかもしれないと、ちょっとだけ期待している。

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2008/01/19

道路なんかより日本に必要なモノ

 インターネットのニュースページやテレビの報道ワイドショーを見ると、

  • ガソリン税暫定税率
  • 道路特定財源

が、多く取り上げられている。

 いろいろな人が、いろいろな事を言っているようで、もちろんどれかが “正解” という話でもない。私個人の意見は、以下のとおりだ。

  • 「ガソリン税は、現状維持かもっと上げてもよい。『石油関係が安くて経済的だからどんどん消費する』 などという時代遅れの考えに、終止符を打つためにも、石油関係を貴重品にしてしまえ。」
  • 「“道路特定財源” という発想自体が、特定の業者にだけに恩恵を与えるもの。日本中には、1日に数台しか通行しない高速道路もあるのだ。道路特定財源等というものがあるから、『作る事を目的』 にした道路が出来る。道路特定財源は、とっとと廃止すべき。」

 今日もいくつかのニュースサイトを流し読みしていたら、私が賛同できる記事を書いている人がいた。

ガソリン税問題、国民的議論を
 さとうしゅういち
  JANJAN [2008年1月19日]

 自民党と民主党に対する意見については、必ずしも同意できるわけではない。しかし、

小泉・安倍路線は、「地方の土建業者」から、「都会のお金持ち」に利権を付け替えるだけです。おそらく、「都市再生」などと称して、またたくさんの箱物が東京でできることでしょう。

という部分は、おそらくそうなったであろうと、私も思っている。

 これ以上の“使われない道路” も “使われない箱物” も日本にはいらない。日本には、もうそんな物を作っている余裕はないはずだ。

 それよりも日本に今必要なのは、“生活の質を向上させるための環境整備” だ。それは、必ずしも “物” とは限らない。

 もし、「地方では道路が生活向上のために必要だ」 というのであれば、道路を作ればよい。しかし、「道路を作れば物流や利便性が増えて、生活の質が向上する “はず” だ」 というのでは困る。地方の政治屋が言う 「地方に道路が必要だ」 という言葉の裏には、「自分を支持してくれる地元の土建屋が儲からないのでは困る」 という本音が見え見えだ。

 今後日本が投資すべきモノは、

  • 高速ネットワーク網や、高速無線ネットワーク網 といったネットワーク回線基盤
  • 太陽光発電、家庭用燃料電池 といった家庭で個別に発電できるシステム
  • 仕事と家庭を容易に両立できる労働環境
  • 優れた技術や芸術を生み出す能力を育てる教育
  • 食料自給率を100%に近づけるための農業技術
  • 高齢者本人にも高齢者家族にも過度な負担を強いない介護環境

だと思っている。

 「車を走らせるために払った税金だから、車のために使わなければいけない」 などという狭い了見と既得権に縛られていたのでは、国民の多くが豊かに暮らせるようにはならない。せいぜい、一部の道路関係の 業者と政治屋と官僚 が豊かになるぐらいなものだ。

 そのためには、国民全体の意識が変わっていかないといけないし、すでに徐々に変わりつつあると思っている。それが、変な方向に歪まないで変化し続ける事を、願うばかりである。

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2008/01/11

考えたらテレビ欄は非効率だよね

 やはり時代は テレビ放送 から インターネット配信 へと、確実に進んでいるようだ。

第3回 「FOX」ではなく「24」が好きな現在の消費者
 【Digital Hollywood Fall 2007】
  NBonline [2008年1月10日]

 “番組へのロイヤルティ” というのは、すごくわかりやすい表現だと思った。かくいう私も、「ガンダム」 ブランドの番組をかならず見ている。今は毎週、TBSで放送されているが、TBS が放送しているから見ているのではない。以前のガンダム シリーズは、テレビ朝日放送で放送されていた。それが今はTBSに移ったからといって、私のガンダムに関する評価が変わるわけではない。

 「番組にロイヤルティがある」、そう説明されて、初めて、

「日テレちん!」「きっかけは、フジテレビ」という広告

に対する、私の違和感が理解できた。日テレやフジテレビそのものを、いくら宣伝されたところで、「日テレの番組だから見る」、「フジテレビだから見る」 というのは、私には想像できない。「ハンバーガーはマクドナルドで買う」、「いや、モスバーガーのほうがおいしい」 といった話とはわけが違うのだ。

 そういうことに気がついてから、あらためて新聞やEPGのテレビ番組一覧を見ると、ひどく不自然に思えてきた。

 私は “番組” を見たいのであって、放送局は私には関係ない。見たい番組がたまたま、TBSであったり、日テレであったり、フジテレビであったりするだけだ。にもかかわらず、いまだに視聴者は、テレビ局に分類された極めて非論理的な一覧から、目的の番組を探すことを強要されている。

 テレビ局で分けられているのは、ひとえに各テレビ局が固有の電波周波数を持っていて、テレビ放送を見るためには、テレビをその周波数に合わせなければいけないところから来ている。

 ユーザビリティの観点で考えれば、視聴者が使いやすいシステムになっていない。特に不都合に感じないのは、単なる慣れの問題だろう。

 著作権関係で多くの問題を含んでいるものの YouTube や Winny といったシステムを一般視聴者が使うようになって、多くに視聴者が 「なんだ、テレビ局が強制する時間でなくても、見たい番組が見られるんじゃん」 と気がついてしまった。

 テレビ局には様々な点で都合の悪いこのシステムは、逆に、視聴者にとっては極めて都合がいい。

 「番組は、多くの視聴者に見られてこそ意味がある」 ことを考えても、上記の記事にあるように、新たな番組共通のプラットフォームが “オンライン” ≒ “インターネット” に向かっていくのが自然の流れのように思う。

 私自身はすでにテレビ番組を、リアルタイムで見ることはなくなっている。見たい番組は、録画をして後から CM を飛ばしながら見るのが日常になっている。なので、番組を見るときにテレビ局を意識することはなくなっている。

 しかし、録画を指定するときには、相変わらずテレビ局を意識せざるを得ない。その部分が一刻も早くなくなり、さらに、オンデマンド放送となり、録画する手間さえもなくなることを、私は切に願うものである。

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2008/01/10

懲役7年6ヶ月と聞いて

 以前に、“日本の裁判がおかしくなっている” という記事を紹介した。何が言いたいかというと、そう

福岡 3児死亡事故の判決、懲役7年6ヶ月

についてだ。

 私も、この判決には大いに不満だ。

 残念ながら法律に詳しいわけではなく、各種メディアからの情報だけで判断をしている。各種メディアの解説では、危険運転致死傷の基準は、

  • アルコールや薬物の影響により “正常な運転が困難な状態” で自動車を走行させ、人を負傷させた場合

ということらしい。

 どうもこの “正常な運転が困難な状態” というのが曲者だ。

 そもそも、酒気帯びで検挙される法律がある以上、酒気帯びの時点で “正常な運転が困難な状態” と判断すべきだと、私などは考える。

 つまり、酒気帯びで事故を起こした人間は、すべて “危険運転致死傷罪” にすべきだと、私は言いたい。

 今回の判決は、現行法に照らし合わせれば、妥当な判決だというのが専門家の一致した意見のようだ。確かに、裁判官の心情で、法律を恣意的に解釈されて、罪が重くなったり、軽くなったりするのは困る。

 しかしながら、以前、誰だったかは忘れたが、とある弁護士が、

「法律は、日常生活とかけ離れたものではない。日常生活や社会常識を明文化したものが、法律である。だから、時代によって、同じ法律でも、解釈や適用範囲が変わってくる。」

ということを言っていた。

 今回の判決が、これだけ多くの人の注目を浴びて話題になったということは、やはり現在の社会常識に合わない、ということではなかろうか。

 この事故の犯人は、事故直後に友人に相談をして、血中アルコール濃度を下げるために大量の水を飲んだと聞く。その意味で “正常な判断力がある状態” だったといえる。であるならば、酒を飲んで車を運転すれば、どういう危険があるのかも判断できたはずだ。にもかかわらず、車を運転した。私に言わせれば、「危険運転の確信犯」 だ。

 以前の記事でも何度も嘆いていることだが、こういった “悪事を働いても、相応の罰を受けない” ニュースが多すぎる。ますます治安やモラルが低下することが、ひたすら心配だ。

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2007/12/27

最悪の事態を想定してますか?

 もうね、あきれてものも言えないわ。

【さくらパパ】 民主・横峯議員が日テレの番組で暴言・醜態を晒す
 痛いニュース(ノ∀`)
  [2007年12月26日]

 こんなのが簡単に議員になれる日本。やっぱり何かが狂っているとしか思えない。そして、単に知名度があるという理由で、議員に推薦する民主党。自民党も同じようなものだが、絶対におかしい。

 そして、同じようにおかしいのは、知名度だけで投票してしまう有権者だ。子供を一流のプロゴルファーに育てられたからといって、国の運営を任せられる根拠にならない。そんなことも気にせずに、「知っている」 というだけで投票してしまう有権者。その意識から変えていかなければ、日本の政治もよくなっていくはずもない。

 確かに、一般有権者が政治に無関心でいられるということは、政治や経済が安定しているということでもある。それは、もちろん歓迎すべき状況だ。

 しかし、その状況は過去に多くの人が努力して得られたものであり、自然発生的に出来上がったものではない。だからこそ、安定しているときにも、現状を維持するための努力が必要なのだ。

 残念ながら、多くの有権者は、物心ついたときから安定した状況に置かれているか、過去の不安定な時代を忘れてしまっている。今の状況が当たり前の状況であり、何もしなくても今の好ましい状況が、未来永劫続くものと勘違いしている。

 状況が悪くなってから対応するというのも、一つの手だと思う。しかし、私はあらかじめ予想される好ましくない状況には、事前に準備をして備えるほうが落ち着く。だから、多くの人が今後予想される社会状況の悪化に無頓着に見えることが、私にはとても不満だ。

 日本語には “言霊” という言葉がある。発せられた言葉には、何らかの力があるという考えだ。よく 「失敗したのは、お前が失敗するようなことを言ったからだ」 という発言を聞く。

 だから逆に、「物事がうまくいくように、うまくいかないときのことは言わない」 という考えを、多くの日本人が持ってしまっている。そして、計画のリスクの大きさを予想して、最悪の事態について警鐘を鳴らそうとするだけで、“計画を失敗させようとする人物” とのレッテルを貼られかねない。

 物事を成功させる上で、“楽観主義” は場合によっては有効だ。しかしだからといって、物事の危険度や回避策を検討しなくてよいということにはならない。

 常に最悪の事態を想定して、それに備えておくことは、ビジネス、ゲーム、人生、すべてにおいて重要だ。せめて、目立ちたがり屋のゴルフコーチを議員にした時の最悪ケースを、あらかじめ想像できるようになって欲しいと、私は願わずにいられない。

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2007/12/26

必要なのは官僚システムの刷新

山崎養世の「東奔西走」     
人民は弱し、されど官吏は強し
政府は薬害肝炎の立派な加害者だ

 山崎養世
  NBonline [2007年12月25日]

 「政府は薬害肝炎の立派な加害者だ」

 私もそのとおりだと思っている。むしろ、主犯の一人だと思っている。政府というとイメージがつかみにくいが、要は “官僚” だ。

 官僚は、多くの一般市民の犠牲の上に、税金から高給をもらい、様々な優遇措置を受け、退職後は天下りで濡れ手に粟の大金を手にする。その上、大量殺人に匹敵するくらいの犯罪者だ。今の日本は、そんな犯罪者集団が、主要な事案を決定して、運営している。私には、もはやそうとしか思えなくなっている。

 それもこれも、すべてシステムの問題だ。

  • 「人は現存するシステムの中で、最も効率よく自己の利益を得る手段を取る」

というのが、私の持論だ。官僚たちが一般国民の常識とはかけ離れた行動を取ったとしても、別に驚かない。彼らは現行システムの中で、もっとも効率的に富や権力を集めているだけなのだから。

 だからシステムを変えなければいけない。山崎養世氏が言うような、

薬害を発見し対応した人たちを、高く評価し、人事上も昇進させるべきです。

というようなことも、一つの方法だと思う。多くの人は 「なに、青臭いことを言ってるんだ」 と思うだろうが、間違いをいち早く訂正・修正できることは、ビジネスにおいては大きな強みとなる。それは国の運営においても同じはずだ。

 ところが、実際は省庁間の縄張り争いから、官僚たちは自分達の非を認めようとしない。非を認めてしまうと、他の省庁に弱みを握られることになってしまうからだ。

 これは、私が会社に勤めていたときにあった話だ。二つの異なるソフトウェアの連携機能がなかなか実現しないことだ。それぞれのソフトウェアの担当者達が、対等な立場で話し合いをしても、都合の悪いことを相手に押し付けようとするばかりで、有効な機能がなかなか実現しなかった。結局実現させるために、一人の責任者の下に、二つのソフトウェアの開発チームを統合する必要があった。

 省庁間の縄張り争いは、規模が大きいだけで、結局は開発チーム間で起こっていることと同じだ。だから、私にはよく理解できる。

 その対立する複数の組織を取りまとめるのが、国民に選ばれた政治家のはずなのだが、残念ながら、今はほとんど機能していない。福田首相も、官僚の手先に成り下がってしまっている

 やはり、システムを確立するしかないのだ。政治家の個人的資質 や 官僚のモラル・良心 に依存しないシステムをだ。

 最初に必要なのは、役人による裁量を認めないシステムだと思っている。もちろん、そんなシステムも実際に運用する上で、様々な問題が発生するだろう。しかしそれは、徐々に修正していけばいい。今は、とにかく役人に都合のいいように制度を変えられるシステムを大きく変えることが必要だと、私は思っている。

 オマケに、厳格なシステムどおりに運営するだけなら、役人に高度な能力は必要ないから、税金でまかなう人件費も安く押さえられる利点もある、と思っている。

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2007/12/22

技能オリンピックの意義がわからない

技能オリンピック、日本はトップだったけど
 橋本久義
  NBonline [2007年12月10日]

 私も技能オリンピックでメダルを取った人たちの取材番組を少しだけ見た。あくまで私の邪推だが、「メダルを取れなかった人たちの取材もしていたが、“大人の事情” で放送しなかったじゃないのか」 、と考えているというのは秘密だ。

 さて、上記の記事を読む限りにおいては、技能オリンピック (正式には、“国際技能競技大会” というらしい) に、私は意義を見出せなかった。

 Wikipedia によれば、「参加国の職業訓練の振興と参加者の国際親善・交流を目的としている」 らしい。「参加者の国際親善・交流」 というのは、まあ、意味があるだろう。しかし、「参加国の職業訓練の振興」 というのは、いささか疑問だ。

 記事に書いてあるとおり、競技内容と、今現在現場で使われている技術に大きな乖離があるならば、「職業訓練の振興」 につながるのか、はなはだ疑問だ。

 22歳という年齢制限も私にはよくわからない。本当に生産技術の高さを競うのであれば、年齢は関係ないはずだ。たとえば、深絞り技術ならば、ロケットの噴射口をほとんど作っている日本に勝る国はない。

 しかし今のままでは、競技者の育成にお金を回せる大企業の名誉や宣伝のためのだけのものとしか思えない。もっとも、「それが最初から目的だ」 といわれてしまえば、それまでなのだが……。

 技能オリンピックで金メダルを取れるだけの能力があるならば、実際の生産現場においても、高い能力を発揮できる可能性が高いと思う。そして、生産現場で能力を発揮したほうが社会に対する貢献度も多いはずだ。そう考えると、単に競技のためだけの技術に、5年も6年も能力を使っているのは、「モッタイナイ」 と思えて仕方がない。

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2007/12/21

私も福田内閣を好きになれない

 福田康夫内閣が発足してから、まもなく3ヶ月が経とうとしている。

 就任までの経緯を見ても、安倍晋三首相の突然に辞任の混乱に乗じて、首相の座を手に入れた、胡散臭い政治家に、私は思えた。もちろん、政治的手腕が高いからこそ、首相になれたわけだが。

 官房長官の頃も、首相になってからも、記者会見の発言を聞いていると、私はいつも嫌悪感を覚える。なにかこう、政治屋の醜悪な部分の集大成のように感じてしまうのだ。

 そんな理屈ではない、感情的な不安の理由を、下の記事が説明してくれたような気がした。

“官僚に協調する”福田政権に感じる不安
 田中秀征の一言啓上
  nikkei BPnet [2007年11月29日]

 要は、1990年代に行き詰った旧来型の自民党手法を復活させたということらしい。

 ところが、政治家は政治屋となり、志高い官僚は自己利益のみを追い求める小役人に成り下がってしまった。そんな現在の状況では、旧来型自民党政治は、不正と腐敗を生み出すだけになってしまう。

 安易に旧来型政治に戻す福田康夫氏を、安易に首相にしてしまうこと自体、すでに自民党には期待ができないと思っている人は、私以外にも大勢いると、私は思っている。(かといって、民主党にも大きな期待ができないのが、非常に困ったことなのだが。)

 私は、常日頃から論理思考を最優先したいと思っている。ところが現実は、直感を優先したほうが間違いがない。直感に従い行動して、後悔した記憶がない。逆に、周りに流され、直感に逆らって行動で、後悔したことも数知れず。

 その直感に従えば、福田康夫内閣は支持できない。本当は、バルカン人並みに論理的に支持できない理由を言いたいのだが、感情的な好き・嫌いのレベルでしか表現できないことがとても悔しい。

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2007/12/20

効率のいい方法だとは思うけど……

 ソフトウェアを作るとき、中心となる部分は、言語 “非依存” の形で作って、言語依存の部分は、追加する形で作ることが、当たり前になっている。多くの人が使っている Windows もそうだし、Office もそうだ。インターネット上で配布されている小さなツールでも、各国言語用のモジュールを追加するだけで、任意の言語で動作するようになっている場合がほとんどだ。

 ソフトウェアの世界の話だと思っていたが、ハードウェア、しかも車の世界でも似たような状況らしい。

日本で売っても儲からない
だから世界戦略車で勝負

 浜田基彦
  NBonline [2007年12月18日]

 この記事の最後にこうある。

世界のどこでもない“某国”を想定して、素のカローラを設計する。トヨタは本当に「素カローラ」と呼んでいる。ここには各国の要求がほど良く盛り込んである。それを元にして国別のモデルに仕立て直す。日本向けはそのバリエーションの1つに過ぎない。

 まさに各国対応の後付だ。

 この “基本部分の一般化” 手法は、効率的だ。表示やメッセージの部分は、処理を行う部分と切り離しやすいので、基本部分を作る人は、他国の言語や文化を知らなくてよい。言語の壁がなければ、人材の確保がずいぶんと楽になる。最近では、インドやイスラエルに米国企業が外注しているという話も聞く。

 とはいえ、それは開発会社の経営者やマネージャーから見た場合の話だ。

 一般消費者、一般ユーザーとして私が考えると、ちょっと見方が変わってくる。

 基本部分が一般化されて、それに言語依存部分を追加しているということは、それだけ処理が冗長になっているということだ。日本語の使用 “だけ” を考えて効率よく作られたソフトウェアと比べれば、処理能力が遅くなる。

 日本人には一生必要のない機能まで実装されている部分もあるので、ソフトウェアのサイズも肥大化することになる。

 実装の仕方が悪かったりすると、他言語の仕様のために日本語ではうまく機能しなくなる場合もある。たとえば、英語では一文字の検索は意味をもたない。そのため、一文字で検索しようとすると検索を行わない実装がされてしまった。しかし、日本語の場合は違う。ひらがな・カタカナは意味がないが、“車” “家” といった漢字を一文字で検索することは、よくある。

 共通部分をなるべく多くして、各国語対応を最小限に抑えれば、確かに効率よく世界市場に向けた製品が作れる。コストを抑えて、安価に製品を提供するという経済的な観点から、それは正しいのだろう。

 しかし、製品を使うユーザーの立場から見ると、言語依存が減らされれば減らされるほど、その製品の満足度が下がるように思う。日本語に特化して作られた昔の製品の日本語処理についての満足度が90点以上だったとすれば、今の各国語対応された製品の日本語処理の満足度は、80点にも届いていないような気がする。

 具体的のどこがどうとうまく説明できなくて、申し訳ないのだが、昔の製品のほうが、米国製であっても、日本語処理の細かい部分を考慮して作られていたように思う。

 米国より1年遅れ、2年遅れという代償を払っての結果なのだが、満足度や安定性を考えると、その代償には十分価値があったと、今でも思っている。

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2007/12/19

こんなお店が当たり前になって欲しい

「売らない」ことも、大事な仕事
~たとえ、「欲しい」「買う」と言われても

 和田けんじ
  NBonline [2007年12月17日]

 このコラムは、東急ハンズの特異性の紹介を連載している。特に今回は、「これが本当に実践されているならば、なんとすばらしいことか」 と思った。

 客に 「売ってくれ」 と言われれば、何の疑問持たずに売ってしまう。むしろ、客を多少だましてでも売ってしまう、というのが、残念ながら今の小売商売の常識になっている気がする。

 あとでクレームを付けられても、「知らぬ」「存ぜぬ」 ではねつける。とにかく、数多く物を売って、短期的な利益を上げることが “正しい” 商売だという常識が、定着してしまっている。

 しかし、長期的な利益を考えるならば、お客に不満や不安を持たれないようにすることが、正しい。

 例えば、コンビニエンスストア。「買う人がいるのか?」 と思うような商品をよく見る。“弔事用ネクタイ”、“ガムテープ” や “三角定規とコンパス” などだ。確かにほとんど売れないらしい。しかし、どうしても欲しい人が来たときに、“確実に買える” ということが大切なのだそうだ。「あそこなら、かならず売っている」 という安心感が、割引のない定価販売を可能にしている、という話を以前聞いたことがある。

 東急ハンズの例では、お客が “欲しいもの” を聞くのではなく、“したいこと” を聞くことで、お客に期待以上の満足感を与えることができるだろう。

 また、東急ハンズの、売るときに返品やクレームの可能性を考えて、売るリスクが高い時は、“売らない” 手法は、結局は販売後にかかる手間や経費を削減してると見ることができる。

 そう考えていたら、ソフトウェア開発もそうだったことを思い出した。

 「ソフトウェア開発に、手間とコストをかけない」、「開発したら、とりあえず販売して元を取る」 などといって、ろくなテストもせずに発売すると、あとでとんでもないしっぺ返しを食らう。万が一にも “リコール”、“回収” などという事態になったら、パッケージを売って儲けた利益などあっという間に吹き飛んでしまう。

 バグ(不具合)の修正は、上流工程ではコストが極めて小さく、下流工程に行くほど雪だるま式にコストが膨れ上がる。ましてや、発売後のバグ修正には、巨大なコストがかかる。ソフトウェア開発の現場にいれば、そんなことは常識だ。

 しかし、素人に毛が生えた程度のマネージャーや経営者は、「とりあえず売って、問題が見つかったら、後で直せばいい」 と安易に考えてしまうようだ。最近では、ネットワーク型のゲームでよく見られるパターンだ。

 私は、対面販売とは対極にある開発チームで、“問題は上流工程でつぶせ” という手法を学んだ。ところが、上記の記事を読むと、その手法はソフトウェア開発に限らず、対面販売においても通用する手法なのだということがわかった。

 とすると、以前ここのブログで記事にした “テスティング手法” や “ユーザビリティ手法” なども、他の業種や職種に役立つ内容があるのかもしれないと思った。

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2007/12/15

これでいいのか、日本の裁判

日本の裁判官がおかしい
時代錯誤のエリート主義が生み出すトンデモ判決

 黒木亮
  NBonline [2007年12月14日]

 政治屋=立法、役人=行政 がおかしくなっているのは、私もわかっていたし、これまでも散々ブログのネタにしてきた。しかし、裁判官=司法 までおかしくなっていたとは・・・。これでは、本当に日本社会は、破綻していくしかなくなってしまう。

「今日動かす事件は、どんなに手持ちが多かろうが少なかろうが、限定されているわけです。だから、“50件持っていたら、ちゃんとやれる。しかし、200件持っているから、やれない”というのは言い逃れです」

 私もこの発言は、時代錯誤もはなはだしいと思った。炎天下の中を、水分を取ることも許さずに猛練習させるのと、同じにおいがした。今や、安全のために多目の水分を取りながら運動するのが当たり前になっているというのに。

  • 自分達のエリート意識を満足させるために、裁判官を増員しない。
  • 公正さを保つためにじゅうような情報開示義務がない。
  • 最終決定の権限を持つ裁判官が、書類を読まない・居眠りをする。

まさに、とんでもない状況だ。

 そして何より、私が一番問題であり、危険だと思ったのが、

国会の証人喚問以外で偽証が罪に問われることがほとんどなく、裁判は嘘のつき合いになっている

という部分だ。なるべく嘘をついて、相手を言いくるめた者が得をすることになる。正直者がバカを見るわけだ。

 嘘で固めて自分を有利にすることが当然のことになってしまっては、安心した生活ができなくなるではないか。それは、昨今の食品関連偽装事件を見ると、容易に想像がつく。

 また、「自分に不利になる発言をしない」 ことは、理解できなくもない。とはいえ、言わない嘘もある、という記事を書いたことがある身としては、自分に不利なことを発言しなかったことにも罰則が必要だと思っている。それがやりすぎであることは、十分にわかってはいるのだが・・・。

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2007/12/11

数値はひとり歩きする

他人が作った数字を疑い「数字を見る目」を養う
会社の数字に強くなる<第5回>

 水越豊
  NBonline [2007年12月11日]

 私も会社の第一線で働いていたときは、いつも言われていた。「具体的な数字を出せ」 と。いつしか、あちこちからデータをかき集めて、自分の主張の根拠を数字で示すことが当たり前になっていった。

 具体的な数字を出すことで、他人を説得しやすくなり、自分の主張する機能を実装しやすくなる。

 自分が散々使っておいて言うのもなんだが、具体的な数字を出されると “説得力がある” というのが曲者なのだ。上記の記事でも言われているように、背景となっている条件をきちんと把握しないと、とんでもない誤算を招く。

 政府の発表する出生率予測など、いい例だ。政府は常に 「出生率は今後上昇する」 と言い続けている。しかし、現実の出生率は下がる一方で、上がる気配を見せない。それはひとえに、政府の前提が 「少子化対策が有効である」 という、“極めて非現実的な” 前提に基づいているからだ。

 逆に、示したはずの前提がいつの間にか忘れ去られてしまい、データを提示した者が 「うそつき」 呼ばわりされることもある。

 私が担当したアプリケーションの新機能を、ユーザビリティ テストしたときのことだ。新機能は、特定の作業をまとめて、単純化したウィザード型のものだった。該当アプリケーションの未経験者向けに実装したものだ。結果は良好だった。

 報告書には、「“未経験ユーザーに対して”、極めて有効に機能した」 と書いたにもかかわらず、時間がたつにつれて、いつの間にか 「すべてのユーザーに対して、有効な機能」 と思われるようになってしまった。

 致命的だったのは、営業・販売部隊に勘違いされたことだった。その機能を、前バージョンの機能のスーパーセットと広告されてしまった。発売後、既存のユーザーから、「機能が減っている」、「使い勝手が悪い」 といったクレームが多く寄せられてしまった。

 それはそうだ。既存のユーザーには、従来どおりに使ってもらおうと思っていたのだから。新機能は、従来のユーザインタフェースでは、うまく使えない新規未経験ユーザーに対して、機能を最低限に絞って、わかりやすくしたものなのだから。

 営業・販売部隊と、密な連絡・連携が取れなかったための失敗であった。私にとっては苦い経験だ。

 出された数値が一人歩きをして、私のように痛い失敗するケースがある。一方で、数値の一人歩きを見越し、他人を陥れて、だまそうとする輩もいる。

 自分が数値を伝えるときは、本文よりも何倍も強調をして前提条件を伝える。他人の出した数値を読むときは、上記の記事でも言われているように、荒唐無稽な前提が使われていないことをしっかりと確認する。数値を一人歩きさせないための、重要なテクニックだ。

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2007/12/10

成果主義の先を予想してみる

 日経ビジネス オンラインが興味深いアンケートをやっていた。

特集 ザ・ターニングポイント
~イノベーションの軌跡
このままでは成果主義で会社がつぶれる
読者アンケートに悲痛な声が続々

 鶴岡 弘之
  [2007年12月10日]

 私のスタンスとして、

  • 「人は本当のことを言わない」
  • 「人は言うことと、やることが違う」
  • 「アンケート結果は、全体を代表していない」

以上の三点がある。ユーザビリティ テストの経験から得たものだ。

 私の質問に対して、「こちらが期待していると思われる意見を言う」、「『初心者にはいいと思う』といった自分以外の立場で意見を言う」、「『とても便利ですね』と言いながら、実際にはその機能を使わない」 ということは、日常茶飯事だった。また、テストの被験者はやはり、ある程度コンピュータに興味のある人に限定されてしまう。

 ということで、このアンケート結果も、記事がすべてだとは思っていない。編集方針として、“成果主義 = 悪” というシナリオがあるの “かも” 知れないと思って読んでいる。

 とはいうものの、数字そのものにウソはないだろう。自由記述の内容も、私が経験してきたことと、気持ち悪いくらい類似している。

 思うに、“成果”主義 という名前に問題があるように思う。経営者側が考える “成果” と、従業員側が考える “成果” に、まず、ずれがあるように思う。また、上記記事の本文でも触れられているとおり、人件費削減 “のみ” に使われているケースも多いのだろう。私が以前書いたように、評価する中間管理職が “成果” とは異なることで評価するケースもあると思う。

 ちょっと例えがよくないが、今の “成果主義” と言うネーミングは、独裁者が “治安維持” という名目で、反対者を弾圧するのと似ていると思った。

 “治安維持” と言われて反対できる人は、おそらくほとんどいないだろう。「治安がいい=善、治安が悪い=悪」 という常識がほとんどの人の認識だからだ。しかし、“治安維持” の名目で、独裁者が弾圧を行うのは、ほとんどの人には “害悪” でしかない。

 同じように “達成した成果により報酬が決まる” と言われれば、多くの人は賛成するだろう。極度な年功序列が続いたため、たいした仕事をしていなくても在籍しているだけで高い給与をもらっているという不公平感が、多くの人の認識に定着しているためだ。

 ところが、その “達成した成果” を決めるのは経営者達であり、「君は目標を達成していない」 と言われれば、ほとんど反論できないのが今の “成果主義” だ。独裁者による治安維持となんら変わらない。

 だとすれば、経営者に “のみ” 都合のよい “成果主義” の行く末は、見えてくる。独裁政権下では、優秀な人材は難民として流出をする。海外に逃亡できずに、圧政下に置かれている人たちの生産性は、極度に低下する。結局、独裁国家は内部から崩壊していく。そのことは歴史が証明している。

 経営者向け “成果主義” では、本当に優秀な人材は残るのかもしれない。しかし、優秀な人たちも、多くの “普通” の人たちに支えられてこそ、優秀な “成果” が達成できる。ところが、支えるべき普通の人たちが、その会社から難民者のごとく流出していく。残るのは、優秀な人たちと、会社にしがみつく普通 “以下” の人たちだ。十分な支援が得られなくなった優秀な人たちも、仕事が満足にできなくなって、やがては流出していくだろう。すると、残るのは会社にしがみつく人たちだけだ。

 そうなれば結果はおのずと見えてくる。

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2007/12/08

ビジネス視点で見てたのね

朝青龍謝罪で思う、大相撲ビジネスにおける経営の不在
 山崎元
  ダイヤモンド・オンライン [2007年12月6日]

 この記事を読んで、私もビジネス視点で朝青龍問題を見ていたことに、気がついた。以前書いた記事を読み返してみると、朝青龍個人の良し悪しよりも、日本の相撲業界にとって、どのような手段が適切なのか、という視点で書いている。

 もっとも、日本相撲協会は、朝青龍の横綱残留を決め、横綱審議会も朝青龍に謝罪を求めるにとどまった。現在の強い力士不在の状況から、既存の相撲ファンも朝青龍の復帰を喜んでいるように見える。

 私の予測はまったく持って外れたということだ。

 とはいえ、既存の相撲ファンは喜んでいるかもしれないが、それ以外の相撲に強い関心がない層の人たちは、大相撲そのものにしらけてしまっているように見える。

 朝青龍問題、それに伴う日本相撲協会の当事者意識のなさ、高砂親方の指導者としての頼りなさ、横綱審議会の無責任ぶり、若手力士のいじめによる死亡事件。

 これらのことを、一般の人たちも絶えず目にして、大相撲という “ショー ビジネス” を楽しめなくなっている。夢を見させてこそ “ショー ビジネス” が成り立つ。裏の現実社会のドロドロした部分を見せ付けられては、夢を見ることはできない。

 大相撲が持つブランドイメージは、“強いこと” はもちろんのこと、“礼節” や “形式美”、“正々堂々” といった日本の伝統的な良さを見せるところにあると思っている。

 それが、“強ければ何をやってもいい”、“金儲けのためには手段を選ばない” では、「そんなのは大相撲じゃない」 と言って、一般のファンが離れていっても当たり前だ。

 日本相撲協会も、引退力士の仲良しクラブから早急に脱却をする。横綱審議会も “本当の” 有識者からなる組織に作り直す。私ですら、大相撲を今後も存続させるためには、こういったことは必要だとわかる。

 別に大相撲がなくなったからといって、私の生活が困ることはない。個人的にも大相撲に思い入れがあるわけでもない。

 にもかかわらず、記事にするくらい気にするのは、ユーザビリティ癖の所以だろうか。うまくいっていない物事、仕組み、仕掛けを見てしまうと、ついつい、どうしたらうまくいくようになるかを考えてしまう。

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2007/12/06

今に始まったことじゃないと思うんだよね

 なにやら、“テラ豚丼” なるものが、悪い意味の話題になっている。

 (あらかじめ宣言しておくが、この事件を起こした吉野家を、私は快く思っていない。BSEの疑惑が残る米国産牛肉を率先して、まっさきに店頭販売した吉野屋を、私は信用していない。)

 これはあくまで私の想像なのだが、吉野家厨房でのこの手の悪ふざけは、今回が初めてではないと思っている。自分達のまかない等で、大昔から散々現場でされてきたことだと思っている。そして、普段からなにげにやっていたので、大きな問題とも思わずに、ビデオに撮影をして、なおかつ、投稿サイトに投稿してしまったのだろう、と私は推測している。

 公になってしまったことで、吉野家本社は、動画を撮影、投稿した関係者を処分したようだ。しかし、もし、これが公になっていなかったとしたら、果たして、同じ行為を行った店員は処分されただろうか。間違いなく、処分されなかっただろう。

 「本社は知ることができなければ、処分できないのは当たり前だ。」 という意見はもっともだが、そもそも、全体を管理する責任がある本社機能が、自分のあずかり知らないところで、こういうことが行われていること自体が問題である。そして、こういう行為が行われないように、店員のモラルをあげる責任がある。仮にこういう行為が行われていたとしたら、それをすぐに察知して、公になる、ならない関係なく、処分を行うべきである。さらに一番いいのは、第三者に公にされる前に、自らが処分を公表することだ。

 外部に言われる前に、自らが謝罪と反省をすることで、社会と一般消費者の安心と信頼を勝ち得ることができる。そのことは、その会社にとって大きな利益をもたらすはずだ。

 現実には、役所も企業も、問題が公になっていなければ、公にならないように工作をして、内内で事件をなかったことにしてしまう。その結果、後でわかってしまい、いっそう悪い状況に自分達を追い込んでしまう。

 ミートホープから始まった一連の食品偽装事件の当事者達は、例外なく事件を小さく見せようとウソをつく。そのウソもすぐにウソとばれてしまい、いっそう自分の立場を悪くする。

 今回の テラ豚丼 事件を見てもわかるとおり、社内のちょっとしたことでも、ネットワークを通して簡単に世界中に配信されてしまう。今はそういう時代なのだ。企業にとっては、社内の小さな問題が、簡単に社外に公開されてしまうリスクを持っているということだ。そのリスクを下げるには、何よりも高い社員のモラルが必要となる。しかし、社長や取締役がモラルのない行動をしていれば、おのずと社員もモラルのない行動を取る。

 これから、生き残っていく企業は、今まで以上に経営陣の高いモラルが要求される。そんな時代になったと、私は考えている。

 動画は、静止画や文章などよりはるかに大きな説得力を持つ。YouTube に始まる動画投稿ブームは、テレビ放送だけでなく、国や企業のあり方も変えようとしているように、私には思える。そして、動画投稿は、インターネットなしには存在し得なかった。

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2007/12/03

サポートは企業の大切な顔

 企業のサポート部門が、その企業の重要な “顔” の一つである。特に、商品やサービスを、一般消費者に提供している企業においては、その企業のイメージを左右しかねない、重要な “顔” である。

 ところが、規模の大きな企業や著名な企業であっても、その大切な “顔” をまったく気にしていない場合が多いように思う。

サントリー、一般社員がお客様センターで1日電話体験
「100-1=0」を合言葉に「お客様第一」を徹底

 川又 英紀
  NBonline [2007年11月29日]

お客様視点気づき講座での合言葉は「100-1=0」であり、これは「たった1人の社員の間違った行動でサントリー全体(100)が否定され、これまで築き上げてきた顧客からの信頼が一瞬にしてゼロになり得る」(亀田敦・お客様コミュニケーション部マーケティングサポートセンター課長)ことを意味している。

 私はこの 「100-1=0」 の公式は、多くの会社、多くの製品の場合で当てはまると思った。

 サポートをしている人は、毎日、数十人、数百人に対応している。顧客の一人は、百分の一、千分の一でしかない。

 しかし、顧客から見れば、サポートで対応してくれた人は、一分の一であり、“サポートの対応に出た人” = “その会社の代表” となってしまう。そして、サポート担当の不用意な態度、発言が、サポートを利用した人の、その会社の悪いイメージに直結していく。

 友人の話になるが、近々発売される話題のケータイを予約したそうだ。先着5000名には先行予約特典がつく、ということで、急いで予約したそうだ。ところが、契約の段になって、問題がでた。登録した住所と送った免許書のコピーの住所が違っていたそうだ。理由は、市町村合併だ。予約サイトからは、合併前の住所しか入力できなかったために起こった問題であった。つまり、ケータイ会社側の不手際だ。それなのにあろうことか、ケータイ会社は、「住所が一致しないの契約できない」 と言ってきたそうだ。契約するためには、「新たに予約をしなおす必要がある」 そうだ。もちろん、予約を取り直せば、先行予約特典はなくなる。

 自社の問題を認めず、杓子定規に対応するサポートに怒り、その友人はケータイの予約を取り消したそうだ。サポート担当の不用意な対応によって、優良顧客を一人失ったわけである。それを聞いた私も、もちろん該当のケータイ会社には乗り換えまい、と考える。

 私自身の経験について書けば、シマンテック社のサポートには言いたいことが山ほどある。サポート期限が切れたら、他社へ乗り換える予定だ。そして、私の記事を読んで、Norton 360 の購入を思いとどまった人が、一人や二人いてもおかしくない。

 次回は、このインターネットを通じた、悪いサポートによる悪い企業イメージの口コミによる拡散について書く予定だ。

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2007/11/30

「国交省不況」? ちょっと違う気がする

「国交省不況」工場・店舗へ
イオン・森下仁丹…建基法改正の混乱波及

 馬場完治、坂田亮太郎、蛯谷敏
  [2007年11月26日]

 この記事を読んで、ひどく違和感を感じた。まぁ、あくまで、“改正建築基準法” が適切なものである、という前提での話だが。実際、“改正建築基準法” にはずいぶんと問題があるようだ。

 私が感じた違和感は、「耐震強度の偽装などが簡単に行えるような状況」 については、マスコミはほとんど何も報道してこなかったのに、「法改正がされて、建築関係業者が慌てふためいている」 ととたんに騒ぎ出していることだ。

 自分にとって都合のいいときは、不公正であっても何も言わず、自分にとって都合の悪いときだけ、ことさら不公正だと騒ぎ立てる。どうも私にはなじめないやり方だ。

 企業を運営するのであれば、常に最悪の場合も