カテゴリー「書籍・雑誌」の7件の記事

2008/07/12

広告の見せ方はなんでこんなに酷いのだろう

 以前から、情報系サイトの広告が、ジャマでジャマでしょうがなかった。たいていの場合、ページの右か左、ひどい時は左右に広告が表示されるので、ブラウザの幅を狭めて、わざと広告が表示されないようにして記事を読んだりしたものだ。

 だが、事態は好転した。一番目障りな Flash 広告を、標準で非表示にするアドオンを見つけたからだ。

 Firefox 用には PrefBar、IE7 (Internet Explorer 7.0) 用には IE7Pro で、Flash 広告を簡単に抑制できて、なおかつ、動画投稿サイトではブラウザを立ち上げなおさずに、Flash コンテンツを見ることが出来る。すばらしい。

 それにしても、なぜ広告会社は、こんなにも頭が悪いのだろうか。

 以前に “山場 CM” についての記事を書いた。実に8割の視聴者が 山場 CM にたいしてネガティブなイメージを持つ。

 テレビ CM も含めて、広告は本来、「商品の認知度を上げる」、「商品の高感度を上げる」、「広告を出している企業の知名度・高感度を上げる」 といった目的を持つはずだ。

 しかし、山場 CM や Flash 広告、最前面ポップアップ広告 は、消費者の感情を逆なでしている。逆なですることで知名度は上がるかもしれないが、好感度は下がる。

 広告会社は、広告を出すことで儲けているわけで、広告主企業の好感度が上がろうが下がろうが関係ないのかもしれない。広告会社にとって重要なのは、テレビ番組の視聴率のように、認知度が上がったかどうかだけなのだろう。

 そして、広告を出している会社の担当者も、“認知度の向上” = “売り上げ向上” だと信じきっているのではなかろうか。

 大昔は確かにテレビ番組のリアルタイム放送しか、映像コンテンツを見ることが出来なかったので、小寺信良氏が言っているように、視聴者を囲い込むことが出来た。囲い込んで見たくもないテレビ CM を見せ付けることが出来た。

 やがて VTR (ビデオ テープ レコーダー)が一般家庭にも普及したことで、テレビ CM を簡単にスキップできるようになった。それでも VTR では早送りなので、短時間ではあるが CM はまだ画面に映っていた。

 HDD (ハードディスク) レコーダーへデジタルで録画されるようになると、CM は瞬間に飛ばされるため、まったく画面に映らなくなった。それを HDD レコーダー利用者は、喜んで利用している。

 そう、視聴者はテレビ CM など見たくないのだ。

 雑誌も似たようなものだ。見方によっては、テレビ放送よりさらに悲惨な状況かもしれない。

 大昔の雑誌は、大量の広告によって雑誌に厚みを持たせ、読者をひきつけていた。

 やがて読者は広告を読むことに嫌気が差し、より薄く、情報が濃縮された雑誌を優先して選ぶようになった。それが極端になったのが “デジタル万引き” だ。「欲しいのはこの5cm四方だけなのに、なぜ大量の広告を買わされなければならないのかと」、疑問に思う読者が少なからずいるということだ。

 広告とは関係ないが、私もなぜ週刊マンガ雑誌に載っているマンガがバラ売りされないのか、不満に思っている。読みたくもないマンガを一緒に買わされるのは “抱き合わせ商法” なのではないかと思っている。もっとも、もう三十年近く週刊マンガ雑誌を買っていないのだが。

 そして、今は Web ページが雑誌と同じ問題を抱えているように見える。多くの情報系サイトは、雑誌社が運営しているので、広告の手法が似ているのは、当たり前と言えば当たり前か。

 Flash 広告 や 前面広告 は、私の気持ちを著しく逆なでする。

 センスのよくない、変にチカチカするだけの Flash 広告が気になって、落ち着いて記事が読めない。タスクマネージャーを見ると、ブラウザーの CPU 利用率が異様に高い。Flash 広告があるページを閉じるととたんに CPU 利用率が下がる。

 テレビも新聞も雑誌も、広告を視聴者、読者に見せることでお金を稼いでいる。広告が視聴者・読者に気づかれなければ、広告を出す意味はない。広告主も広告を出そうなどと考えなくなる。それは理解している。

 広告会社は、単に目立つだけでなく、視聴者・読者自らが 「もっと見たい」 と思わせるものを出すべきなのだ。最近では、ソフトバンクの “ホワイト家族” がよい例かもしれない。私の家族は、ホワイト家族の CM をスキップしない。しっかり見ている。もっとも、だからといって、ソフトバンクのケータイに変えるとは限らないのだが。

 いずれにしろ、テレビ放送の広告ビジネスモデルがあまりにも成功しすぎたため、“消費者を囲い込んで、広告を無理やり見せる” 手法が当たり前になっているのが、私にはとてもむなしい。

 今や、個人個人が欲しい情報を、自ら探して、瞬時に見つけることが出来る時代なのだ。見たくもない、センスもない広告を、画面の真ん中付近でいつまでも表示するような真似はそろそろおしまいにして欲しいと、私は強く望んでいる。

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2008/02/25

腐女子の実態に迫る?

 いや~、なんともすごい分野があるものだ。

裸の男子の汗をふき、「ヘブン顔」を勝ち取れ
――バンダイナムコ「乙女ゲー」開発秘話

 ITmedia News [2008年2月22日]

 別に私はこれが特殊なものだとは思わない。私を含めた男が、“女性の胸に顔をうずめてみたい” と思ったり、“膝枕してもらいたい” と思ったりするのと同じようなものだと思うからだ。

 と同時に、私には理解できない世界でもある。社内男性陣の、

  • 「これ……面白いの?」
  • 「……もう、好きにやってみればいいじゃない」

という反応のほうが、やはり私には理解しやすい。coldsweats01

 もう一つ面白く読んだのが記事の下にリンクしてある座談会だ。

緊急座談会:
激白! 腐女子のホンネ

 ITmedia News [2007年12月7日]

 昔は今よりもずっと濃いヲタクだった自分を振り返りながら読んだ。

 声や声優が重要な要素であるというのは、私には遠い世界だ。男の側でも声や音楽にこだわる人は多い。だから、ゲームメーカーもゲーム内のボイスや音楽にはずいぶんと気を使っているようだ。しかしどういうわけか、私は昔から声や音楽が気になったことがない。

 逆に 「デッサンとか狂ってると萎えますよね。」 という意見にはかなり賛同できる。最近は、顔はすごくうまくかけているのに、全身は妙にバランスが悪いマンガをよく見るし、とても気になる。

 どんな彼氏がいいか、という質問に対して、

  • 自分を放っておいてくれる人
  • 自分の趣味を許してくれる

という話が出ている。うちのカミさんはものすごく英語が好きで、休日に英語教室に通っているぐらいだ。私はといえば、「英語なんてなければいいのに」 と思うぐらい英語が嫌いで、選択科目だった高校三年生の英語を取らなかったぐらいだ。それでも、カミさんが好きな英語に金や時間を使うことは気にならない。積極的に協力もしていないが、反対もしていないといったところか。ということは、私は 「包容力のある男」 ということになるのだろうか。bleah

 まぁ、私は単に、自分が好きでやっていることにあれこれ口出しされたくないので、他の人が好きでやっていることに口を出さないだけなのだが。

 座談会の最後で 「別のカップリングの人たちが集まると、(中略)、お互い気をつけて話すんです」 という部分がある。これは私も同じだ。同じガンダム好きが集まったとしても、こだわっている部分が違えば、やはりそれなりに気を使って話をする。

 だから、男性ヲタクについてのコメントも、やや行き過ぎた人たちに対するものだけだったの残念だった。彼女らがコメントした人たちは、腐女子サイドで言えば

  • 自分の描いたものを声優さんに送る人
  • 作家に送る人
  • 電車やバスの中で堂々と同人読んでる人

のグループに入る人たちだ。

 メディアでコメントを求められたときに、どうしても極端な人たちを代表者のようにあつかってコメントをしてしまう。せめて、メディア側の人間がそういう部分に注意を払ってほしかった。

 そういえば、ユーザビリティ テストをしていたときも、被験者が 「初心者には」 とか 「初心者にとって」 など、自分ではなくステレオタイプな初心者を引き合いに出してコメントしたときは、要注意だった。

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2008/01/30

作り手のための著作権法とは

 今回の記事は、以前の記事よりはるかに落ち着いて読むことができた。

作り手を“やる気”にさせる著作権とは
――島本和彦氏など語る

 ITmedia News [2008年1月28日]

 世間一般には、

  • 著作権者=儲けている人=クリエイター

という認識が強いと思う。実際、私もそう思っていたし、今でもついつい勘違いしてしまう。しかし、この記事を読むと、多くのクリエイターが実は報われていないことがわかる。

「今の著作権法は、自分は何もクリエイトせずに流通を支配しているだけの人に巨額のお金が渡る。」 (東京大学大学院教授 玉井克哉氏)

 私もこの点が現在の著作権法の最大の問題点だと思っている。クリエイターに対価が支払われ、流通をサポートした人には多少の手間賃が支払われる、というのが本来あるべき姿ではないのか。

 いつの頃か、どこかで頭のいい人が、著作権法の “問題” を見抜き、流通や公開をめんどくさがるクリエイターから作品を買い叩けば、大もうけできるということに気がついたのだろう。

「著作権法にはクリエイターを守る規定がほとんどない。それに手を付けずに権利を主張するのは、旧来のメディア企業が利益を守ろうとイチャモンをつけているようにしか見えない」 (法政大学准教授 白田秀彰氏)

 この意見にも私は大いに賛成だ。確かに、既得権を守ることは個人の生活を守るために必要なことでもある。だが、あまりにも一部の人たちだけで利益を独占して、その他大多数の大きな不利益になる場合は、既得権を排除すべきであろう。

 著作権法には直接関係ないが、

「法学者の意見は必ず現状維持にバイアスがかかっているから信用しないほうがいい。できませんは『やりたくない』という意味だ」 (東京大学大学院教授 玉井克哉氏)

という意見に、「学者は公務員か?」 と思わず心の中で突っ込んでしまった。

 記事の中の細かい法律的な内容については、残念ながら私には判断できなかった。

 また、

「今の段階で著作権法はすでにスパゲッティ状態。これに新たにくっつけるのではなく、著作権法そのものの大改正がまず必要」 (法政大学准教授 白田秀彰氏)

というのが最善だというのはわかる。しかし、私の少ない経験からでも、「難しいだろうな」 と思えた。ソフトウェアの場合、プログラマはつぎはぎだらけになった古いプログラムを捨て、一から新しいプログラムを書きたがる。ところが、たいていの場合は、以前と同等の機能を実装できずに頓挫してしまう。だから、もし本当に大改正をするというなら、

「現行の著作権法は維持し、特別法や契約法で対応すべき」 (早稲田大学大学院准教授 境真良氏、一橋大学大学院教授 岩倉正和氏)

と並行で進めていくべき話なのだろうと思った。

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2007/12/30

印刷会社と書店はどうなるのか

スクープ連発でも部数減 週刊誌は死にかけているのか
 J-CASTニュース
  [2007年12月29日]

 このブログでも、雑誌や新聞といった印刷媒体は、今後どんどん縮小していくだろうという発言を何度かしてきた。自分自身が紙媒体を読まなくなったことからの予想だった。それが現実に起こっていることを、具体的な統計が示しているようだ。

 表にまとめてみた。

    2007年上半期   前年同月比
週刊新潮   474,000  
週刊文春   526,000   -50,000
週刊ポスト   355,000   -50,000
週刊現代   350,000   -90,000
週刊朝日   189,700  
サンデー毎日     80,000  
ニューズウィーク
日本語版
   77,000  
Can Can

  524,000

  -120,000
      2005年下半期比較
週刊女性   216,000   -40,000
女性自身   315,000   -40,000
女性セブン   352,000   -20,000

 部数が減れば、広告の価値が低下するので、広告料が下がる。すると、記事にかけられる予算が減り、雑誌の魅力が低下して、さらに部数が減る。今後、部数が減ることはあっても、増えることはないように思われる。

 それもしかないことといえる。雑誌、特に週刊誌は、その発刊のサイクルから、情報の新鮮さが売りになっていた。即時性という点では、テレビや新聞に負けるものの、特別な装置を必要としないことや、価格に対して情報量が多いことが、週刊誌の強みだった。

 しかしそれも今や、インターネットの普及やテレビ放送が見られるケータイの普及で、週刊雑誌の強みがほとんど失われてしまっている。

 はっきり言ってしまえば、週刊雑誌の役目はすでに終わろうとしているといえるだろう。それは、新聞や月刊誌にもいえることなのだが。

 いくら出版社や印刷会社、書店が、再び盛り返そうと頑張っても、この流れは変えられないだろう。

 だとすれば、出版社、印刷会社、書店は、他に収益の柱となるビジネスを見つける必要がある。一般論で言えば、既得権益が大きければ大きいほど、既得権が失われようとしても、人はそれにしがみつこうとするものだ。それでも、出版社は、ビジネスの元である情報を、インターネットやケータイに流すことで、新たなビジネスを模索している。

 問題なのは、印刷会社と書店だろう。

 情報がどんどんオンライン化していってしまえば、情報を印刷する仕事も、印刷された情報を売る仕事もなくなってしまう。

 私は出版関係の仕事をしたことがないので、印刷会社や書店のビジネスが今度どうなっていくのかは、ぜんぜん想像できない。私自身、出版がなくなっても困らない、と思い始めているので、なおさらだ。

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2007/05/07

【書籍】 ドリトル先生

 ここでのドリトル先生は、ヒュー・ロフティング著のアメリカ合衆国の児童書シリーズ のことで、エディ・マーフィー主演によるおバカ映画 ドクター・ドリトル、ドクター・ドリトル2 のことではない。

 私は小学生のころ、このドリトル先生シリーズが大好きで、全12作品をすべて読んだ。残念ながら詳細な内容は忘れてしまったが、当時はわくわくしながら読んだ記憶がある。そして、どういう経緯かは忘れてしまったが、第2巻と第12巻の2冊だけ実家の本棚に残っていた。それを前回帰省したときに自宅に持って帰った。そして、子供の本棚に置いておいた。持って帰ってきたときに子供は、「そんなの読まないからね。」と言っていた。

 私が ドリトル先生 を実家から持ってくる気になったのは、子供が “マジックツリーハウス”シリーズを必死になって読む姿を見ていたからだ。とにかく マジックツリーハウス の新刊は発売日に買わされるほどである。この マジックツリーハウス シリーズも架空の世界の空想物なので、おそらく ドリトル先生 も好きになるに違いないと思い、実家から持ってかえって来たのである。

 そして最近ひょんなきっかけから子供が ドリトル先生 を読み始めた。

 こんど博物館に社会見学にいくらしい。そこの展示物に “井伏鱒二” の作品があるというのだ。そして、ドリトル先生 の翻訳者がその 井伏鱒二 だったのだ。

 なんとも奇妙なきっかけで読み始めた ドリトル先生 だったが、やはり子供の趣味にあったらしい。さっそく 「第一巻から読みたい」 と言い出した。

 思い返せば私が35年前に読んだ本を、今、自分の子供が読んでいる。自分と同じ本に興味を持ち、自分と同じようにもっと読みたいと親におねだりする。なんとも不思議な気分である。

追記:
 子供が 「読み終えたよ」 と持ってきた ドリトル先生 第二巻 をぺらぺらめくっていたら、巻末に “ナルニア国ものがたり” の紹介が載っていた。昨年ヒットしたディズニー映画のことは知っていたが、実は35年も前に、(すくなくともタイトルは、)目にしていたはずの作品だったのだ。35年目にして知った事実にちょっと orz な気持ちだった。

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2007/02/06

日本音楽著作権協会(ジャスラック)は必要なのか

 私は、下の記事を読んで初めて著作権使用料のかなりの部分が搾取されていることを知った。

「補償金もDRMも必要ない」――音楽家 平沢進氏の提言

特に憤りを感じたのは次の部分である。

平沢氏: 例えばメジャーなレコード会社で活動してたとしますよね。レコーディングが終わるとある日突然、出版会社から契約書が届くんですよ。で、契約してくれと。契約条項にいろいろ書いてあるんですけど、契約書が送られて来た時点で、JASRACにもう勝手に登録されているんです。残念ながらアーティストは、著作権に関してまったく疎い。同時に私自身も疎かったがために、そういうものだと思いこんでいたわけですね。それによって、出版会社に権利が永久譲渡されている曲というのがあったりするんですよ。で、JASRACで集金されたお金は、この出版会社を通るだけで50%引かれて、アーティストへ戻るという構造があるんですね。出版会社は“プロモーションに努める”と言いますが、成果は保障せず、どんなプロモーションをするのか何度説明を求めても、回答しないことがほとんどです。大きなセールスが期待できるアーティストについては積極的に動きますが。

 これを読んで、思わず “共同出版” という美名で自費出版をしたい人から詐欺まがいに利益を徴収する出版社の話を思い出した。他人が法律に疎いことに付け込んで、多額の利益を上げる手法である。そういえば以前に、認知症の人たちの家に意味のない補強工事をして、多額のお金を巻き上げていた事件もあったな~。

 と、話がそれてしまった。そして、ジャスラックについてあちこちのサイトを調べた結果、行きついたのが以下の記事である。

「週刊ダイヤモンド」 2005年9月17日特大号
【企業レポート】 日本音楽著作権協会(ジャスラック)
使用料1000億円の巨大利権 音楽を食い物にするあきれた実態

JPEG: 1ページ目2ページ目 (参照元削除によるリンク切れ)
PDF: (内容は上と同じ) (参照元削除によるリンク切れ)

 この記事が100%正しいという保障はない。Wikipedia によると、ジャスラックはダイヤモンド社に対して名誉毀損訴訟を起こした、ということである。とはいえ、まったく根も葉もない作り話とも思えない。これだけの記事を書かれるだけのことはしていると、私は信じている。

 そして、著作権の保護期間を70年に延長するということは、この組織、そしてそこに群がっている人たちを、これまで以上に太らせる “だけ” という気がしてならない。そういえば、どこかのスポーツ団体の役員が不明朗なお金を使い方をして逮捕されるという事件もあったな~。

 権限、権力、そして資金が集まれば、人は往々にしてその資金が自分のもののように錯覚してしまう。それはこれまでの歴史でも、現代社会でも証明している。だから、そういう錯覚が起こらないようにする “システム”、集まった資金を本来の目的以外に地は使えないようにする “システム” を作ることが大切なのである。

 そういった基本的なシステムが存在しないまま、これ以上怪しい団体に、これまで以上にお金が集まるような “著作権保護期間の20年延長” には、断固反対である。

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2007/02/05

漫画家は蕎麦屋より偉いのか

 産経新聞 Web 上で “知的財産” の特集をしている。著作権の期間を50年から70年へ延ばそうという話もあり、私も興味深く見ている。

 “知的財産” の特集は、ITMedida サイト上でも行われている。今日のタイトルを見て、私が何のことを話そうとしているのか気がついた方も多いと思う。ITMedia で紹介されたシンポジウムにおける 松本零士氏 の発言についてである。

 司会の 中村伊知哉氏 の

「自分の死後、家族の生活を守りたいと思うのは、作家もそば屋やうどん屋の主人も同じ。作家の遺族は著作権法で保護されるが、そば屋・うどん屋の遺族を守ってくれる『そば屋法』や『うどん屋法』はない」

という発言に対して、松本零士氏 が、

「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」

と言い返した部分が、私にはどうしても無視することができなかった。このシンポジウムの記事にトラックバックをしているブログを見ても、この点を批判しているブログが多かった。

 この発言部分がこのシンポジウムの本筋ではないし、著作権の保護期間の延長議論の本質でもない。そのことは私もよくわかっているつもりである。

 しかし、あからさまに “作家” が作家以外の職業より優れている、という趣旨の発言をされては、発言をした人が推進している案(この場合は70年に延長)を、私は支持できない。70年への延長が単に 「作家の俺は、他の職業の者より優れているのだから、もっと経済的な恩恵を受けるべきである」 としか聞こえないからである。

 どうも、有名人は自分を特別視する傾向にあるのが、私には気になる。以前、島田紳助氏と松本人志氏がやっていた深夜番組のことである。両者が 「うちら有名人は、免許更新の時の講習は、個別に個室でやるべきだ」 という趣旨の会話をしていた。この会話だけというわけではなく、だんだんとこの二人の思い上がった会話が耳につくようになっいった。そして、二人のうち一方でも出ている番組は見なくなっていった。

 話の内容が “著作権” の話からずいぶんそれてしまった。しかし、まず、気になったのが、著作権の期間を20年延ばそうとしている人たちが、先の思い上がっているように聞こえる発言をする人や、著作権で不条理に稼いでいる団体の人たちかと思うと、私は単純に “延長反対” と叫ぶしかないと思っている。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □

追記: 松本零士氏のこの発言に、何でここまで過敏に反応してしまったのか、自分なりに考えてみた。

 思い当たるのは、私がテスターだったことである。私がテスターだったころに、一部のプログラマー出身のマネージャからよく 「テスターなんて誰でもできる。」 といわれたものである。

 そりゃ~、開発中の製品をつかって何らかの作業をしていれば、小さいバグの一つや二つを見つけることもあるだろう。それをもってして 「テスターなんて誰でもできる。」 というのであれば、「そばやうどんは私にも作れる。」 という発言と同じである。

 漫画家が趣味で作った蕎麦が果たして商売になるのか?  同じように、たまたまバグを見つけるのではなく、計画的にかつ効率的にバグを見つける、もしくはバグがないことを見極めることが、本当に 「だれでもできる」 のか?

 “自分が他人よりも優れた仕事をしている” と思いたいがために、他の職業を自分のやっている仕事より劣っているように思わせようとしているとしか、私には思えない。

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