カテゴリー「仕事」の57件の記事

2008/10/28

企業の民主主義化

 久しぶりに目から鱗が1枚落ちて、モヤモヤが一つ晴れた意見を聞いた。

強い会社は社員が偉い
新しい「日本型経営」の時代がやって来る
金融危機の時期にもどってきた「野々村人事部長」

 永禮弘之
  NBonline [2008年10月27日]

 この記事の2ページ目の最後の部分、

18世紀にフランス革命が起きた時に、君主制をとっていた他国の人たちは、「愚かな民衆」に政治を委ね、民衆の意思を最優先する民主主義など、うまくいくはずはないと考え、理解に苦しんだことでしょう。

 これを読んで、私は 「あ~、そうだったのか」 と長いこと晴れなかったモヤモヤを、一つすっきりさせることが出来た。

 「社員は会社の歯車」 とは、昔からよく言われている。しかし、私はそれがどうしても納得できなかった。

 「会社の運営に一般社員の意思が反映されなくてもよいのか」、「一般社員を設備や資産や経費扱いしている経営は間違っていないのか」、「それは単に私が一般社員の立場でしかないからそう思うだけなのか」、などなど、はっきりとした答えを出せないまま、ここ数年ずっとモヤモヤが続いていた。

 しかし、永禮氏が考察したように、歴史に学べば、管理される側が管理する側を選出する成功例が、実に身近にあったのだ。

 もちろん、永禮氏の例えが 「絶対に正しい」 と言うほどの自信が、私にあるわけではない。しかし、同じように人間が組織するモノの話だ。共通点が無いとは思わない。

 世界には、いまだ独裁国家や貴族国家が多く存在しているのと同じように、既存の形態の企業がすべて 『民主主義企業』 に取って代わられるとは思っていない。

 それでも、今後の経済活動の中で中心的な役割を担うのは、『民主主義企業』 になっていくんじゃないかという気が、漠然とではあるが、している。

 永禮氏のコラムでも書かれているように、構成員のモチベーションが高く、労働生産性が高いほど、より強い組織となれる。歴史から学べば、君主制国家よりも民主主義国家の方が、はるかに生産性が高く、強い国になっていった。

 同じように、君主制企業よりも民主主義企業の方が、より強い企業となっていくことが自然な流れのように思う。

 民主主義ですべての人が幸せになれるわけではないことも、知っている。しかし、君主制や独裁制よりもはるかに多くの人が幸せになれることは、歴史が証明している。

 今の日本で、最も多の労働者が従事している “会社” で働いている人たちが、一人でも多く幸せになれるのであれば、それがモラルの向上へとつながり、社会の安定を高めることにもなると、私は思っているし、望んでいる。

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2008/10/27

当たった (^_^;)

 当たったといっても、いいモノが当たったわけではない。

 伊藤ハムが汚染された地下水を使った作ったウィンナーを回収しているが、その対象となるウィンナーに “当たって” しまったのだ。

 「伊藤ハムがウィンナーの回収を始めた」 というニュースを聞いて、「あれ?俺も週末にウィンナーを買ってきたよな?」 と思って、冷蔵庫をのぞいてみると、はたして、伊藤ハムのウィンナーがそこにあった。

 さらに、伊藤ハムのホームページには、回収対象となるウィンナーが具体的に記載されていた。手元のウィンナーの銘柄や賞味期限の印字を見ると、まさしく “ビンゴ” であった。

 ホームページには 「着払いで返送して欲しい」 とあったので、翌朝にはすぐに返送した。

 「あれ?そういえば、前にも回収品を着払いで返送したことがあったな」 と思い、思い出そうとしたが思い出せない。だが、カミさんが覚えていた。コンタクトレンズ洗浄液の回収だった。

 汚染された水を使っていたことを発表して、商品の回収を行ったのは、当然と言えば当然のことだ。この問題によって、伊藤ハムが本当に (中国ではなく) 日本で商品を作っていることが確認できたのが、収穫と言えば収穫か。

 それよりも、あちこちで言われていることだが、今回の件で一番の問題は、問題の公表と商品の回収が1ヶ月も遅れたこと、だろう。

 経営責任者側が、「担当者の対応が遅れた」 と逃げに回っていることも大きな問題だろう。そのような経営者の元だからこそ、担当者が問題をすぐに報告しなかったとも取れる。

 伊藤ハム社内の空気として、「衛生上の問題が発生してはいけない」 というモノがあったのではなかろうか。

山田専務は「工場を稼働してきた約40年の間、同様の異常が報告されたことはなかった」と強調。「現場の担当者は水ではなく検査機械の異常を疑ってしまった。直後にもう一度定期検査が行われるから、その後でよいと判断してしまった」などと説明した。

という経営側の説明から、それがうかがえる。

 実際、今回返送したウィンナーと同じものを、ここ1ヶ月以内でも食べている。おそらく汚染されたものを食べていただろう。そう考えると、この経営者の無責任ぶりが、本当に腹立たしい。

 雪印乳業、白い恋人、不二家、赤福餅、といった企業や商品が、食品汚染の問題を隠そうとして、逆にいかに多くのものを失ったかを、伊藤ハムの経営陣は、理解していなかったということだろう。

 商品回収による実際の金銭的な損失、売り上げ急低下という経営上の損失、食品安全をおざなりにしているというブランドイメージの致命的なダメージ。

 伊藤ハムが支払った代償は、極めて大きいものだ。

 私は今日も買い物に行ってきた。その際に、丸大ハムのウィンナーを買ってきた。おそらく今後、伊藤ハムの商品を買うことはないだろう。実際、雪印製品は買ってないし、不二家のお菓子も買っていない。

 伊藤ハム以外のハム・ウィンナー会社が、類似の問題を隠していないことを、願うばかりである。

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2008/10/18

サイゼリヤ社長の理念、イイね

teruyastarはかく語りき
サイゼリヤがすげーw
[2008年9月14日]

 ほんとにサイゼリヤがこんなポリシーを持って経営しているのならば、こんな社長の下で働いてみてもいいかなと思えた。

 以前にも何度か書いたが、私は 『根性』 とか 『精神力』 とかが大嫌いだ。また、通常は持てる力の80%で仕事をすることを、ポリシーにしている。

 そんな私だから、

「疲れないで、楽をすればもっともっと大きくなる」

というサイゼリヤ社長の理念が、とても心地よい。

 世間一般には、『楽な仕事などない』 などといわれて、あいかわらず過労死する人が後を絶たない。サイゼリヤ社長の理念は、その逆をいっているわけである。

 実際その理念で、経営が成り立って事業が拡大しているわけだから、誰もその理念が間違っていると否定することが出来ないはずだ。

 ごまかしたり、だましたり、嘘をついたりして、楽をするのは論外だが、誰にも迷惑をかけないで楽をするならば、なんら問題ないはずだ。

 知識も能力もない人が苦労した仕事は褒められて、同じ事を知識や能力がある人が苦もなく仕上げても褒められない。たしかに、「能力の高い人ならさらに高度な仕事をすべき」 という考えもあるだろうが、同じ結果に対して評価が違ってくるのは、私個人としては納得できない。

 抽象的な説明でわかりにくければ、こんな具体例はどうだろう。

 同じ書類を作るのに、慣れた人なら1時間で出来て残業なし。他方、慣れない人が5時間かかって残業4時間。だったとする。同じ作業、同じ成果なのに、一方は残業代なし、他方は残業代4時間分。給与という評価だけを見れば、能力の低い人の方が高く評価されている。

広告・宣伝はしない
理由が面白くて「お客さんがきたら疲れるから」w
冗談で言ってるのかなと思ったけど、
どうも本気みたい。

 その昔、働いていた会社の近くに安くておいしくてボリュームのある弁当屋があった。週に3~4日は、そこの弁当を昼食にしていた。その後、1年半、私は米国にいって仕事をしていた。そして1年半後、日本に戻ってくると、その弁当屋は喫茶店に変わっていた。

 会社の同僚に話を聞いたところ、私が日本にいない間もその弁当屋は繁盛していたそうだ。ところが突然閉店することになったとか。同量が店員に閉店の理由を聞いたところ、「忙しくなりすぎたから」 だったとか。

 それを聞いた時、まだ若かった私は 「そんなバカな」 と思ったものだった。しかし、今はその 「忙しくなりすぎたからやめます」 という気持ちがなんとなくわかる。

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2008/09/28

失敗を考えなければ失敗しないわけではない

遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」
イエスマンの恐怖

 遙 洋子
  NBonline [2008年9月26日]

 遙洋子女史のコラムは、賛同できるときもあるものの、賛同できないときも多い。だが、上記のコラムに対しては、全面的に賛同できる。

 私自身、似たような記事を過去にいくつか書いている。例えば、

などだ。

 自分の記事は一つの企業、一つのチーム内での人事がハッキリしている場合の話だ。一方で、遙女史のコラムはフリーランスの立場や友人としての立場で書かれている。だが、言わんとしている本質がほとんど変わらないところを見ると、『聞きたくない話は、聞かないようにする』 という行動は、やっぱりなんにでも当てはまるということだ。

 私は自分のカミさんに、ことあるごとに

「なんで、毎回、私の意見に反対するの?」
「なんで、そんなにネガティブなの?」

と食って掛かられる。

 だが、ほとんどの場合自分に都合のいいようにしか物事をとらえようとしないカミさんの行動や予定は、私にしてみれば、危なっかしくてしょうがない。リスクマネージメントが無いに等しいからだ。

 だから私は毎回、うまくいかなかったケースを想定して、カミさんがやろうとしていることの危険性を指摘するのだが、それがカミさんには面白くないらしい。

 いつの時代からの精神論なのかは知らないが、日本では古くから 『言霊』 という考えが広く根付いている。つまり、「失敗するかもしれない」 と言ってしまうから、失敗するのだという精神論だ。

 その裏返しで、「成功することだけを考えれば、必ず成功する」 とする精神論を唱えるケースもよく目にする。

 だが、実際にそんなことはありえないわけで、成功する確率を高めたいのであれば、失敗する条件を一つでも多くつぶしていくことが必要になる。

 失敗するケースから目を背けているのであれば、恐怖に直面したときに地面の穴に首を突っ込むダチョウとなんら変わらないではないか。

 イエスマンしか近づけない人は、自分を褒め称えて、自分が正しいという意見を聞いて、根拠のない安心を得たいだけなのだと思う。自分に否定的な意見を聞くと、自分がさらに悪い方向に引っ張られていくような、やはり根拠のない、不安感を持ってしまうのだろう。

 自分の問題点に直面しても、不必要に不安になることもなく、冷静に対処出来るようになるのに必要なのは、

  • (正しく理解した) 知識
  • (失敗から得た) 経験
  • (正確な) 情報

だと、思う。

 「突き詰めれば、その人の “気質”、“性格” だよ。」 と言われてしまえば、「まぁ、そうなんだけどね。」 としか答えようがないのも事実なのが、私にとって虚しいところではある。

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2008/09/22

今度の上司はダメ上司、さあどうしよう?

西山昭彦の“企業内プロ”の行動学
上司に期待しすぎるな
“ダメ上司”が誕生するメカニズム

 西山昭彦
  NBonline [2008年9月22日]

 上記の記事に書かれていることは、私もそのとおりだと思うし、似たような上司を何人も見てきた。

企業にとって、最重要事項は「社会に貢献した結果、リターンとして得られる利益」であり、人間性の評価は二の次だ。利益を生み出さなければ、会社は存続できない。そこで、利益をもたらしてくれるならば、性格に多少の難があろうと評価は上がり、出世する。

というくだりも、そのとおりだと思う。特に会社や組織の規模が大きければ大きいほど、上司の人格は考慮されないように感じる。これは、

  • 「大企業では、社員はしょせん一つの歯車」

という感覚と無縁ではないだろう。そして、

その前提に立って、部下は、上司に期待しすぎないことだ。「自分より仕事ができるはず」「人間的にも、自分より上のはず」という考えを、頭から押しやることが肝心だ。期待するから、それが裏切られた時に失望してしまう。期待しなければ、失望しなくて済む。

というくだりは、会社と自分の折り合いを付けていく上では、極めて重要な考え方だと思う。

 「上司に期待しすぎないこと」 という部分は、私がこのブログの最初期に書いた 他人に勝手に期待をしない という持論と同じものだと思った。

 とはいえ、

 理屈と現実の点から “上司の人格” と “会社の利益” を分けて考えた方が理解しやすいけれど、さらに深く突き詰めていくと、この両者は容易に分けて考えられるものではないと思っている。

 会社の利益を生み出しているのは、結局、末端で働いている社員なのだ。その社員のモチベーションを無視して、会社の利益を論じるのはいささか乱暴だろう。

 たしかに、短期的に見れば、人格に大きな問題がある上司であっても、強権によって部下を動かし、大きな利益を上げることは出来るかもしれない。しかし、それでは中長期的に利益を上げられないことは、誰にでも容易に想像がつく。

 会社や組織は、短期的な利益もさることながら、生き物で言うところの生存本能のようなものも持ち合わせている。つまり、いかに長く生きながらえるかを考えて行動するようなところがある。官僚組織によく見られる “組織防衛” というようなものだ。

 とすれば、当然、内部を構成する社員の健全性を問題視するようになる。社員の健全性を著しく阻害する要因があれば、排除する力が働くのは、必然と言えるだろう。

 成果主義をいち早く取り入れた 富士通 が、社員のモチベーションや健全性を維持できないと判断して、いち早く成果主義の大幅修正をせざるを得なくなった、いわゆる 「富士通ショック」 は、よく知られた話だ。(参考資料 その1その2

 結局何が言いたいかと言えば、(ダメ上司に耐えられなくなって会社を辞めた私がいうのもおこがましいが、)

 当事者の視点からは、

  • 「ダメなものはダメ。期待しないで、受け流したり、うまく活用する方法を模索すべし。」

ということであり、 第三者的視点から見れば、

  • 「大多数から見て問題のある上司ならば、いずれ排除される力が働くもの。それまでは 『嵐に巻き込まれた』 とあきらめて、下手に抵抗せず、嵐が通り過ぎるのを待つのが得策。」

ということだ。

 もちろん、自分の力を信じて “独力で大海原に漕ぎ出す”(=転職・独立) という手段もある。

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2008/09/07

機能をすべて使いこなす必要はありません

 前回の記事で、メールの使い方の習熟という話を書いて、ふと思い出したことがある。

 “パソコンの習熟度” と “ワープロでのレポートの完成までにかかる時間” の相関関係を、ずっと前に自分で想像したことだ。自分がワープロを習熟したときの経験や、ユーザビリティーテストなどからの類推だ。

 なぜこんなことを考えたかと言えば、今から15年ほど前は、

  • 「ワープロを使ってレポートを書くなど時間の無駄遣い」
  • 「手書きでさっさと書き上げた方がはるかに早く書き終わる」

といったことが盛んに言われていた。

 そういったことが言われる理由があるはずだと考えて、自分なりにいろんな状況を想定して類推したのだ。

 なお、なんらかの客観的なデータに基づいたものでは 【ない】 ことを、あらかじめ強調しておきたい。あくまで私の想像であり、思い込みでしかない。

 『A4レポート1ページを完成させるまでにかかる時間』 が 『ワープロの習熟度』 によりどう変化するかを、私が勝手に想像したグラフが、下の図だ。(図をクリックすると拡大)

20080906

 縦軸も横軸も概念的な値であり、絶対値に意味はない。

 初心者から初級者にかけては、システムやワープロ、キーボード、マウスといったモノに徐々に慣れていくために、同じ作業をしているが、かかる時間は徐々に少なくなっていく。ただし、この頃のレポートは、プレーンな文字が並んでいるだけであり、決して読みやすいものにはならない。下手をすると、誤変換や変な位置での改行が放置されていて、意味不明なレポートになりかねない。

 中級者になると、習熟度が進んで基本部分は初級者よりも早く完成する。だが、ワープロやシステムの使い方がわかってくると、次はいろいろな機能を試したくなってくる。やたらと文字修飾や罫線、図といったものを多用したくなり、その結果、必要のない作業まで行い、初心者よりも時間がかかってしまうだろと想像した。この時期のレポートは、一見すると華やかに装飾されているため、立派なレポートに見える。しかし、よくよく見ると、やたらと文字の色が変えられていたり、無意味に下線や囲いがされていて、かえって読みづらくなっている可能性が高い。また、中身よりも修飾に時間がかかっているため、時間の割には内容の無いレポートになる。

 ワープロ・パソコンでのレポートが時間ばっかりかかって非効率、と言われたのは、実はこのあたりの不必要な機能を使い、やたらと修飾しまくる行動が原因なのではないかと、想像した。

 上級者まで習熟が進めば、基本的な内容はあっという間に完成をする。内容の修正もワープロなら簡単に出来るため、手書きよりもはるかに短い時間でまとまった内容が書けるだろう。さらに、読みやすい装飾を考えられるようになるのが上級者の条件だ。シンプルだが、要点や重要項目が一目でわかるように書式が変えられていて、とても読みやすいレポートになっているはずだ。

 上級者の域に達することが出来れば、おそらく 「手書きの方が早い」 といわれることもなくなるだろう。

 とはいえ、ユーザー企業に出向いていって、作業を拝見させていただく機会もあったし、ユーザー企業で使っている文書をサンプルとしてもらったこともあったが、大部分は中級者レベルで止まっているように見受けられた。

 「せっかくあるのに使わないのはもったいない」 という気持ちはわからないでもない。

 しかし、ワープロもパソコンも “手段” でしかない。ワープロやパソコンの機能を最大限に使うという “目的化” が、中級者にとどまらせているように思う。そこを乗り越えて、「必要な機能だけを効率的に使う」 ことに悟りを開けば、上級者に移行できると、私は思っている。

 多くの機能が実装されているのは、無理に使ってもらうためではない。その機能を必要としている人がいるから、実装されているのだ。それは必ずしも、あなたとは限らない。

 すべてを理解できなくても、使いこなせても、自分がやりたいことが出来るのならば、そのソフトウェアはあなたにとって充分に価値のあるモノのはずだ。

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2008/09/05

メールだけでなく、直接会話もね

再考したい「メールの功罪」
メール連絡の禁止令を出した部署、さてどうなった?

 鈴木義幸
  NBonline [2008年9月1日]

 思い起こせば、私が会社で仕事、テスターや仕様の策定、をしていた頃は、必ず話す相手の元に出向いていって直接会話することを心がけていた。どんな感じだったのか興味がある人は、こちらや、こちらを読んでいただきたい。

 上の記事の中で、

「メールのなかった時代には、『これを頼む』の1回で終わってたんですけどね。今はメールで依頼すると、いろいろ質問が来て、それに答えていると、下手したら5往復ぐらいかかる。これで時には1週間が経ってしまう」

というコメントが載っている。

 まあ、これは極端だとしても、顔を突き合わせて話をするのがやはり最も効率がよい。下手をすると、リアルタイムで会話をしているはずの電話でさえも、食い違いや理解するのにやたらと時間がかかったりする。

 こういった記事を読むと、あらためて自分がやってきた仕事のスタイルが、実は仕事を成功させる上で理に適っていたんだと確認することが出来た。実際に働いていたときは、一部の上司たちから 「人の仕事の邪魔をするな」 と叱責されたこともあった。たしかにやりすぎてた部分もあっただろうと反省はしている。

 それでも、連絡がメールだけになり、オフィスに活気がなくなり、仕事の完了までにやたらと時間がかかるようになる仕事の進め方は、やはり理に適っていないと思う。

 メールは、相手の都合をそれほど考える必要がないし、文字として残せる。場合によっては写真などの画像も送れるので、極めて有効なツールだ。しかし、万能ではないということだ。

 スポーツカーがいくら速く走れるといっても、軽自動車がいくら燃費がよくてエコだといっても、引越しのために大量の荷物を運ぶのには使えない。

 人は物理的に目に見えるものは、理解するのがとても早い。ところが、概念だったりシステムだったり、具体的なモノとしてみることが出来ないものは、理解するのに時間がかかるものだ。

 電子メールが一般に普及し始めて十年ちょっと。そろそろメールの最適な使い方を、個人も組織も理解し始まる時期に来ているのではなかろうか。

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2008/07/28

小さなミスからその裏側を想像してみる

 先週、新しいステージを公開した機動戦士ガンダム 戦場の絆” において、ちょっとした不手際があった。

 新しいステージは、今週の木曜日、7月31日からとなっている。ところが、先々週に、ケータイ用サイトに “7月24日” から新しいステージ、と発表されてしまったのだ。

 そこで私は、いろいろと推測してしまった。

 以下の内容は、あくまで私の想像であり、この内容を裏付ける事実は一切ないので、そのつもりで読んでいただきたい。

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 アーケードゲーム、戦場の絆 には、パソコン用とケータイ用の二つの公式 Web ページが用意されている。パソコン用は完全無料で、各種情報が掲載されているだけだ。他方、ケータイ用ページは、一部有料となっており、自分のキャラクタの称号を変えられたり、自分の戦績を見たりすることも出来るようになっている。

 そのことから、某巨大掲示板では、「パソコン用ページの管理とケータイ用ページの管理は、担当している部署もしくは外注先が異なっている」 といわれている。そして、私もそうではないかと思っている。

 仮に、パソコン用ページとケータイ用ページの管理会社もしくは管理部署が異なっているとする。

 新ステージは当初、あとで訂正された “24日” に開始する予定だったのではないか、と推測した。

 ところが直前になって、ゲームの元となるアニメ “機動戦士ガンダム 第08MS小隊” のストーリーにあわせたステージ変更をすることにしたのではないかと、推測した。

 アニメのストーリーでは、“砂漠” ⇒ “ヒマラヤ” ⇒ 今回の新ステージ “鉱山都市” という流れになっている。

 新ステージ公開直前になって、決定権のある人物が “気を利かせて”、通常では行わない1週間に二つのステージを挟むことを、急遽決定したのではなかったのではなかろうか。

 そのため、Web ページを担当する人にうまく伝わらず、ケータイ用ページでは、最初の決定どおりに 「24日から新ステージ」 と発表してしまったのではないか。

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と、このように想像したわけである。

 もちろん、単なる担当者の思い違い、あるいは書類の読み間違いにより、間違ったスケジュールを公開してしまっただけかもしれない。

 ただ、「今週一週間だけ二つのステージという変則スケジュール」、「ちょうど1週間前というタイミング」 を考えて、『何か特別なストーリーがあったのではないか』 といらぬ想像をしてしまった。

 実際、私が会社で働いていたときも、直前の予定変更がすべての担当者に伝わらず、物事が動き出してから、情報が周知徹底されていなかったことが露呈したことが、何度もあった。

 戦場の絆 はしょせんゲームであるし、誤って公開した情報も人命にかかわるようなものではない。いちいち、大声で騒ぐようなことではない。

 ただ、こういった小さいミスに、過去に自分が経験した失敗が重なって見えてしまい、ついこんな想像をしてしまった。

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2008/03/27

歴史ある京都は現状維持が主流

 企業経営の記事を読むと、よく

  • 会社は成長し続けなければつぶれてしまう。
  • 現状維持はすでに衰退の始まりである。

といった内容を見聞きする。実際、株価に高値がつくのは成長していたり、成長が確実に見込める企業だ。赤字は出さないが、業績も拡大しない企業の株価はそれほど高くない。

 しかし、私はどうもこの意見に素直に賛同できない。

 前日にも書いたことだが、“成長=善・正義”、“安定・現状維持=悪” といった考え方が、特に、ビジネス関係の書籍や記事に多い気がする。そして、私はどうもそれに違和感がある。

 確かに、企業を興して成功しようとする人たちにとって、自分の企業を際限なく大きくすることが成功だと考えているのだろう。別にそれが間違っていると思っているわけでも、否定しようとしているわけでもない。ただそればかりが取り上げられることに、強く違和感を感じているだけだ。

 最初の頃は順調に業績を拡大できても、ある規模まで大きくなってしまうと、なかなか思うように業績を伸ばせなくなるのはよくある話だ。それでもさらに同じペースで業績を伸ばそうとして、無理に無理を重ねるといったこともよくある話だ。

 そして、無理を重ねることで、そこでは働いている社員やその社員の家族に大きなストレスがかかり、周囲にモラルの低下を撒き散らすようになる。と、私は考えている。そしてそれを私は “心の公害” と名づけた。成長途上の企業は、たいてい社員のメンタルヘルスまでケアしていないものだ。

 そんなことを考えている私にとって、なかなか興味深い記事があった。

思索の副作用
大きいことはエライことではない
 Tech-On! [2008年3月21日]

 「父がよう言うてましたわ。立つから倒れるんや、最初から這うてたらええんやと」。こんなビジネスに関する理念は、きっと「一澤流」ではなく「京都流」なのだろう。そう感じるのは、ほかでも京都の店や会社に関して、同じようなエピソードをいくつも聞いたからである。例えばある会社では、創業者が子息に経営を譲る際に社訓を定め、これを遵守するよう求めたのだが、その中に「現在よりも会社の規模を大きくしないこと」という一条があるのだという。

 千年以上もの間、京都は日本の首都であった。政治の中心は、鎌倉や江戸にあった時代も長かったが、天皇のいる日本の中心は京都だった。だから、商売(ビジネス)の成熟度は、今の東京中心のビジネスとは比較にならないくらい高いはずだ。過去に様々な成功と失敗を繰り返した結果、行き着いた商売のやり方だと思えるからだ。

 そのやり方が、

  • 「必要以上に商売の規模を大きくしない」
  • 「目先の利益にとらわれて、商売上に付き合いを安易に変えない」

というのは、現在のビジネスモデルの主流となっている、

  • 「とにかく規模を拡大する」
  • 「海外生産、アウトソーシングなど、コスト削減のためには何でもやる」

とは、正反対だ。

 例えば、中国での生産。いまだに原因がはっきりしない “農薬入り冷凍餃子事件” で生協はどれだけダメージを受けたか。国産や安心・安全にこだわっていたはずの生協が、規模の拡大、コスト削減のために選択した中国での生産が、結局は自分の首を絞めたことになる。

 例えば、アウトソーシング。一部の企業では、アウトソーシングどころか契約社員を減らして、正社員を増やす動きがあるそうだ。理由は、ノウハウの蓄積やモチベーションの向上。コスト削減を目指して正社員を減らした結果、確かに人件費は減ったが、それ以上に売り上げや生産性が落ちたため、あわてている企業経営者も多いそうだ。

 人間、欲に流されて行動をすると、たいていは悲惨な結末がまっているものだ。

 それよりも、一時的なバブルやトレンドに惑わされることなく、自分が出来ることを出来る範囲で地道にやっていくことが、結局は幸せな人生が送れるんじゃないかと、今は思っている。

 世の中にはいろんな人がいて、「地道な生活などには価値がない。」「俺は一攫千金を狙う。」 という人たちも多い。その人たちを否定するつもりは、サラサラない。とはいえ、そういう人たちにお願いしたいことはある。それは、周りを巻き込まないでいただきたい。ただ、それだけである。

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2008/03/13

無能と思える上司が悪とは限らない

職場を生き抜け!     
【第12回】人事ヒアリングの巧い対処法、お教えします!
~無能な上司を潰す「千載一遇のチャンス」が到来?~

 吉田典史
  NBonline [2008年3月12日]

 残念ながら、私はこの人の記事があまり好きではない。書いてある内容は、実に的確だと思うし、実用的だと私も思う。ただ、「トイレの便器がどのように汚れていて、その汚れはどうしてできたのか、その汚れをどう取るのか」 を詳細に読まされているような気分になって、必要なのは理解できるが、できれば積極的には見たいとは思わない。

 とはいえ、今回の記事のこの部分については、全面的に賛同する。

人事部がまるで検察官のように、「勧善懲悪」式に、無能な管理職を潰してくれると信じ込むのは、実に愚かです。

 私も以前から、こちらこちら などで、「自分にだけ都合のよい期待はやめましょう」 と訴えている。それは、職場においても言えるということだ。

 人は、自分が間違っている、とは考えないものだ。常に出発点は 「自分は正しい」 だ。

 それ自体は特別なことではないと思うし、そう考えなければまともに日常生活すら送っていけないだろう。

 問題は、「私は正しい」 = 「私に対立する人は間違っている」 と決め付けることだ。自分は正しいのだから、自分に対する人は “悪” になってしまう。“悪” ならば成敗されて当然、権力者に成敗してもらおう、という思考に陥ってしまうことが怖い。

 そういっている私も、これも何度も出している話題であるが、ユーザビリティテストを始めた当時は、「自分の考えた仕様は正しい。うまく使えないのは、ユーザーに問題があるからだ」 と本気で考えていたものだ。

 自分が考え抜いた仕様が、自分以外から見たときに正しいとは限らない。むしろ、最適でない場合のほうが多い、と気づかされるまでには、かなりの時間と経験を必要とした。

 そして、ユーザビリティテストの結果を、ありのままに素直に受け入れられるようになったときに、ユーザビリティテスト以外のことでも、自分の側に修正が必要なケースを素直に受け入れられるようになった。

 だからこそ私は訴えたいのだ。

 自分が正しいと信じて行動するのはよい。ただし、自分と対立するモノが現れたときに、自分の正しさを客観的に再評価する姿勢が欲しい、と。

 それができれば、そうそうは取り返しのつかない過ちを犯すことはないだろう、と私は思っている。

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2008/03/07

P&Gでちょっぴり働いてみたくなった

 私はこれまでに二度ほど会社を辞めている。辞めるに至った理由は、単純なものではなく、いろいろな不満や不安の積み重ねだった。

 それでも、最後の最後に辞める決め手となった理由は、二度とも上司との対立だった。

 一度目の時は、とにかくネガティブな上司の下に配属されてまもなく辞めた。組織変更前は、一先輩社員であったが、組織変更でチームリーダーとなり、私の実質的な上司となった。優秀ではあったが、私のことを常に見下し、私がやることすべてを否定してくる態度に、私は我慢しきれず、会社を辞める決心をつけた。決心をする前に上司の上司にも相談したが、まともに取り合ってもらえず、「今はそこにいるしかない」 というようなことを言われて、会社にも期待できないと悟り、辞める気持ちをいっそう強めた。

 二度目の時は、いわゆるヒラメ中間管理職の下に配属されたときだった。それまでも、日本での仕事が米国本社の単なる御用聞きのようになっていることに不満を募らせていた私だった。そんなときに、米国本社からの指示を正確にこなすことが最も重要なことだと言ってはばからないヒラメ管理職の下に回され、会社に失望したのが辞めるきっかけとなった。それまでも、なんとか日本独自の開発が行えるような組織を捜しては、入れてもらえるように努力をしてきたが、結局は自分が最もやりたくない御用聞きチームに配属されてしまう。そんな、会社の組織に失望していた時に、私がもっとも嫌いなタイプのヒラメ管理職が上司に付いたのだ。これは天が私に会社を辞めろといっているに違いない(笑)と確信をして、辞める決心が付いた。

 そんな私が目にしたのが、この記事だった。

ポスト成果主義 スタンドプレーからチームプレーに     
見限られるのは、会社でなく上司
ディック・アントワン
米P&G前グローバル人事担当役員に聞く

 中野目純一
  NBonline [2008年3月6日]

 私が勤めていた会社も P&G のような考えを持っていたら、あるいは会社を辞めなくてもよかったのではないかと思わなくもない。

 多くの企業では、少なくとも私が働いていた組織では、上司と部下が対立したときに、勝つのは上司だ。部下は白旗を上げて無条件降伏をするか、その場から立ち去るしかない。上司と部下が対立したときに、上司の側にも問題があるかもしれないと考えて対応する P&G のような会社は、おそらく数少ないと思われる。

 上のような経験をしてきた私としては、P&G のような会社がどんどん業績を伸ばして、優良な企業でい続けられることを願うばかりだ。それが、第一線で働く社員にとっても、そして企業にとっても有益だと思えるからだ。

 役職が高いからといって、人間性が優れているとは限らない。むしろ人格的に問題(人の足を平気で引っ張るとか、自分の失敗を平気で人にかぶせるとか)があるからこそ高い役職に就けた場合もあるだろう。部下を踏み台にして業績を上げるような上司を喜んで使うような企業が、結果的に社会から拒否されるようになれば、ここ数年の労働環境の急速な悪化が改善されるような気がしてならない。

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2008/03/06

管理職と残業代と待遇と

マクドナルドばかりじゃない!
「名ばかり」管理職の実態

 nikkei BPnet [2008年3月4日]

 マクドナルドフランチャイズ店の店長は管理職ではない、という裁判所の判決を受けて、上のような中間管理職の扱いが注目を集めるようになった。

 この問題はバブル崩壊後の 「最低限以下に人件費を削減するか」 という、企業の強引なまでの人件費圧縮というエゴと無縁ではないだろう。

 とはいえ、私にとってこの現象自体は、特別珍しいものではなく、私が働き始めたバブル絶頂期の20年前に似たような話はあった。

 20年前に私が最初に就職した会社は、日本でも有数の大企業だった。私はそこの研究所の一つで働き始めた。

 働き始めて半年もすると、先輩社員から現実的な話をいろいろと聞かされるようになる。

 例えば上記の記事に書いてあるこんな言葉。

「ほぼ無条件で大量昇進させたと、社内でも問題視されているんです。なぜなら、管理職手当ては微々たるものなので、残業代圧縮が目的じゃないのかって。私自身、毎月6万円前後の残業代がなくなったので、実質70万円の減収。それに、自分で言うのも何ですが、上司からの評価は以前から低くて、どうして自分が?という戸惑いがあります」 (nikkei BPnet)

 残業代が実質的な給与となっているのはどこの企業も同じらしい。

 私が働いていた研究所には、研究職社員を補助する技術職社員がいた。彼ら技術職社員は、自らが実験を計画することはなく、研究職社員の指示通りに作業をするだけだ。

 その技術職の一人と親しくなり、社内の事情に関していろいろな話が聞けた。

 残業代に関しては、「残業代を前提にして生活が成り立っている」とか、「残業をするために、わざと日中は非効率的に仕事をする」 といったことだった。

 さらに、「研究者として、あれ?と思う人が先に主任研究員(管理職待遇)になり、優秀な研究者と誰もが思う人がずっと一般研究員のままのことが多い」 というのだ。あくまで噂なのだが、「優秀な研究員は効率よく仕事をするので残業が少ない。優秀でない研究員は長時間仕事をしてもなかなか成果が出ないので、管理職待遇にして残業代をなくしたほうが会社にとって都合がよい」 という話を聞かされ、まだ社会人1年生の私は、「なるほど、そのとおりだな」 と思ったものだ。しつこいようだが、あくまで “噂” だ。

 私が最もショックを受けた話は、「結婚をして、自宅を購入して、多額のローンを抱えた社員を狙い打つように、工場への転属命令を出す」 という “噂” だった。その理由は、「多額のローンを抱えていれば、給与が下がるかもしれない転職をすることはほとんどない」 と会社側が考えているという “噂” だった。

 その後私は、一般社員も含めて全員が 年俸制 = 残業代一切なし の外資系企業に転職をした。そして、残業代を考えないで仕事ができるほうが私の性に合っていることがわかった。

 ただ、私が年俸制に納得できたのは、自分の仕事の内容に給料が釣り合っていると感じられたことと、自分が好きなパソコンを一日中好きなだけさわっていられて、お金がもらえる満足感があってのこと。

 同じ仕事かむしろより重労働を強いられて、それでいて得られるお金が少ないとなれば、やはり私も大いに不満に感じただろう。

 やはり “名ばかり管理職” 問題を解決するには、名と実を一致させることが重要だと思う。

 日本の裁判制度にはいろいろと制限が多いようだから、今回は “残業代” という形での裁判になったようだが、もしかしたら渦中の本人達は残業代よりも、“権限” や “裁量” 及びそれにともなう “責任” を欲していた人もいたのではないかと想像している。

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2008/03/05

職場での深刻な問題、イジメ

 NHK の クローズアップ現代 で “職場でのイジメ” の問題を取り上げていた。

3月4日(火)放送
もう職場に行きたくない
~広がる大人のいじめ~

 原因として、賃金の低下、契約社員の増加、などによる労働環境の悪化が大きい、というのは、たいていの人が思いつくことだ。

 私がなるほどと思わされたのは、とある職場のイジメ問題を調査していた労務士が指摘していた内容だ。どういう内容かというと、

  • 古株の社員が控え室に私物を置いて自分の場所を確保すること
  • それによって新人社員が自分のものを置きづらくしていること
  • 座る位置が固定化することで上下関係を固定化してイジメの温床になる

というものだった。確かに思い当たる節がある。

 職場ではないが、カミさんの両親が行きつけの複合温泉施設に、やはりヌシのようなおばさんがいる話を思い出した。

 そのヌシは、決まった時間に来て、決まった場所で湯船につかるそうだ。たまたま、カミさんが子供をつれて入っていたら、そのヌシが 「こんな時間に子供なんか入れるんじゃないよ」 と大声で騒いでいたそうだ。カミさんは腹が立ったものの、我慢をして出てきた。子供は泣き出しそうな顔をしていた。

 施設の従業員も騒ぎを起こしたくないからだろう、見て見ぬふりをしているそうだ。しかし、そんなことを放置すれば、やはり雰囲気が悪くなり、いずれ客離れを起こすはずだ。

 話を職場に戻そう。

 別な職場では、新しく入った契約社員が頑張って仕事をしていたら、古株の契約社員が自宅に電話をかけてきて 「一人だけ頑張って働かれると、周りが迷惑なんだよ」 と言ったそうだ。そして翌日から、情報を教えてもらえない、というイジメが始まったということだ。

 古株の契約社員とすれば、優秀な新しい契約社員に頑張られると、自分の契約が危うくなるという危機感があったのだと思う。あるいは、下で紹介されているタイプの人なのかもしれない。

部下を追い詰める「クラッシャー上司」に気をつけろ!
 西川敦子
  NBonline [2008年02月29日]

 いずれにしろ、対応が必要なのは会社のほうだ。具体的には、人事部そして経営者の努力でしか根本的な解決はできない。

 職場でのイジメを放置すれば、人材の流出、生産性の低下、といった企業経営にとって悪い要素しか生み出さない。

 そんなことを書いていたら、ふと “Millennia世代” の話を思い出した。Millennia世代のモチベーションを上げるために、企業は涙ぐましい努力をしている。

 職場でイジメが起こっているような企業においても、Millennia世代に対して行っているような様々なイベントがもしかしたら有効なのかもしれないと思った。

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2008/02/29

Millennial世代

 毎週 “CBSドキュメント” を見ている。これは、米国で放送されている “60 Minutes” を日本人向けに放送しているものだ。

 今週の話題の中に “Millennials Are Coming” があった。米国では、昨年11月に放送されており、インターネットで見ることができる。

 内容はというと、当ブログ一番人気の “シュガー社員” の話であった。多少の違いはあるものの、

  • ほめられるのが当たり前
  • 怒られるとすぐに会社を辞める
  • 何かにつけて親が立ち入ってくる

など、とにかく共通点が多い。シュガー社員以前に書いた “ほめるだけでいいのか?” の内容もしっかりと入っていた。曰く 「自分が大好きで、ほめ言葉だけを要求する」 若者ばかりだとか。

 親離れできないエピソードでは、大学の教授に学生が話しかけて 「成績に納得がいかないから、親と電話と話をしてくれ」 といったそうだ。Millennial世代は、学費を払っているんだから、A評価をもらうのは当然だと思っているらしい。今の日本風に言えば “モンスター・ステューデンツ” というところか。

 仕事や出世よりも、友人や家族を何より優先するのも Millennial世代の特長だとか。その原因は、親の世代が会社に人生のすべてを注いだのに、あっさりと解雇されたことを目の前で見ているからとか。この辺は、バブル後世代の日本の若者とよく似ている。

 そして何よりこのレポートを見て一番強く思ったことは、

「予想通り、今世紀後半は米国は勢いを失うな」

ということだ。もっとも、その頃には私は生きていないだろうから、あまり関係ないことなのだが。

 このような若者達を抱えて米国が失速をするならば、似たような若者を抱える日本も当然失速するするだろう。

 考えようによっては、馬車馬のように働かず、必要最低限の贅沢で十分という生活は、地球環境を維持していかなければいけないこれからの時代には、案外適応しているのかもしれない。

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2008/02/20

日本企業の従業員評価は時代遅れ?

 今回もなかなかに興味深いデータが掲載されていた。

ポスト成果主義 スタンドプレーからチームプレーに     
そのチームワークは、なぜ機能しないのか
三巻由希子IBMビジネスコンサルティングサービスパートナー執行役員に聞く

 中野目純一
  NBonline [2008年2月19日]

 私が一番興味深かったのは、世界全体と日本企業の人事を評価する基準の違いだ。

 私の解釈はこうだ。

 日本の企業は高度経済成長時代からしばらくの間、終身雇用制度を取っていた。また、社会システムとしても転職はでメリットが大きかった。そのために自然と従業員の定着率が高くなっていた。

 また行動経済成長時代は、企業の業績の上昇がそのまま従業員の収入の向上につながっていたため、労働意欲や満足度も高かった。

 それらはバブル経済崩壊後、大きく変化をした。よりよい労働環境を探して簡単に転職することができるようになった。企業の業績が好調なのに、従業員の給与は据え置きにされるどころか、成果主義や契約社員への置き換えで、むしろ下がっていった。

 以前は当たり前の前提となっていた従業員の高い定着率、労働意欲、満足度が、当たり前でなくなってきている。にもかかわらず、企業側は高い定着率、労働意欲、満足度を前提にして、より利益率を上げるために、従業員一人当たりの利益や売り上げだけを向いてしまっている。

 そう考えると、世界全体のほうがすでに次の段階に進んでいるように見える。つまり、日本の企業も、改めて従業員の高い定着率、労働意欲、満足度を得られるように努力した企業が、今後生き残って成長していくのではないかと思える。

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2008/02/19

日本の会社制度で変えるべきものは

 日本の多くの大企業で行われているいわゆる “成果主義” がすでに破綻していることは、多くの人が認識している。結局 “成果主義” は、単なる人件費抑制のための手段でしかなかった。そのために、従業員のモラルとモチベーションは著しく低下し、人件費は抑えられたかもしれないが、それ以上に生産性は低下し、各種問題を解決するための必要経費は増えたように思う。

 情報を生業とする各種メディアは、すでにポスト成果主義なるものを提案しつつある。

ポスト成果主義 スタンドプレーからチームプレーに     
もうスターは要らない
ドロシー・ハマチ・ベリー
国際金融公社人事・総務担当副総裁に聞く

 中野目 純一
  NBonline [2008年2月15日]

 私がこの記事で注目したのは、いまだに引きずっている日本人の行動や従業員の評価方法についてだ。

協調とは笑顔を絶やさずにお互いに良い態度で接することだと多くの人が誤解しているからです。そうした態度は実は多くの場合、かえって有害です。問題が存在しないかのように振る舞うことにつながるからです。

 そのとおりだと思う。昨今の省庁の不祥事はこの 「問題が存在しないかのように振る舞う」 ことから起こっていると、私は思っている。

たとえ関係を一時的に悪化させることになっても問題を解決しようとする。こうした協調性の能力は最も重要になりつつあります。

 これは私にとっては歓迎すべき傾向だ。前にも話題にしたことがあったが、ある時期の私の上司は、自分の間違いを部下が指摘するのを極度に嫌った。それでもあえて指摘した私は、ずいぶん疎まれて、どんなに会社に貢献しても高い評価を得られなかった。

日本企業には人事評価の面でも問題があるようですね。社員の処遇についての根拠が依然として曖昧な会社が少なくない。

 私が経験した範囲では、上司が性格的に合う部下を何かにつけて優遇して高く評価するとか、上司の間違いをみんなの前で指摘した部下を意図的に低く評価するとか、いったことが、日常茶飯事で行われていた。

 一年ごとに具体的な目標を定め、半年後に修正をして、目標の達成度で成績評価をするという会社のルールは、現場レベルで有名無実化していた。米国資本の外資系企業でさえそうであった。結局、運用するのが日本人であれば、運用のされ方も日本式になるということを、私は身をもって体験してきた。

 そして私が今一番あいまいにされていると思うのが、正社員と契約社員・パート・アルバイトの違いだと思っている。今後ますますこの問題は大きな社会問題なっていくだろうと予想している。

 私の考える解決策は極めて単純だ。以前にも記述したことがある。要は

「社員制度をすべて一元化して、企業で働くものはすべて正社員として契約すべし」

というものだ。

 人気のない首相は 「様々な形態で働きたい人たちもいる」 などとふざけた答弁をしたようだが、個人個人のライフスタイルと社員契約は何も矛盾しない。契約社員・パート・アルバイトといった、簡略した労働契約は、経営者にとって使いやすいからに他ならない。

 自民党政治の基盤が、企業家や資産家なので、そういった人たちに有利な政治をするのはしょうがない。だからこそ、企業家や資産家よりも数が多い労働者が支持できる政党が必要なのだが、残念ながら今はない。

 企業側と労働者側を対等にあつかう政治システムが確立できてこそ、日本は再び輝きを取り戻せると、私は思っている。だが、それがいつ達成されるのか、そもそも達成できるのか、私にはぜんぜん想像ができない。

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2008/02/08

良い接客に関する二つの記事

 奇しくも、接客業についての記事を続けて目にした。

ビジネス基礎体力     
「2つの恐怖」を与えない
好かれる話し方<第3回>

 日経ビジネス アソシエ
  NBonline [2008年2月7日]

遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」     
どうすれば売り上げが上がるのか
 遙洋子
  NBonline [2008年2月8日]

 経営者側の視点か、消費者側の視点かの違いはあるものの、どちらも本質的なところを突いていると思った。

 私も店でモノを買うときによく感じることだが、とにかく、言われた通り、マニュアル通りに接客してくる店員が99%だ。私が何に困っているのか、何を解決したいのかを考える店員に会ったことを思い出すことが出来ない。

 以前の “東急ハンズ” についての記事を読み返してみると、今回上で紹介した記事の重要なポイントを実践していることがわかる。こんな対応が出来るようになるには、教育だけでなく、やはり長い経験の積み重ねが必要だと思う。とすると、忙しい時期だけ手伝ってもらう非正規雇用の社員では、とうていこのような対応は望めないだろう。経営者だけに都合のいい雇用形態は、こういうところに徐々に現れてくると思う。

 また、“好かれる話し方” の最後に書いてある 「話し方以前にNG!」 には、個人的に付け加えたいことが二つある。

  1. 客がいるのにスタッフ同士が会話に夢中になってる
    若い男女間のスタッフ間によく見られる。ひどい時は、私が声をかけると、露骨に 「邪魔者が来た」 という顔をされる。
  2. 裏方が自分の仕事しか頭になく、客を見ていない
    これは前に記事にした通りである。

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2008/01/09

開発担当者のコメントを深読み

 前回に引き続き iPhone の話から始める。

 前回の記事を書くに当たって、iPhone の評価について簡単に調べていたら、下のような記事を見つけた。

国内6メーカー担当者が実物を見て語った「iPhoneの衝撃と本音」
 IT-PLUS [2007年7月19日]

 この記事の中で、私が一番興味を引かれたのが、日本の担当者達が一様に、自分達がおかれている開発環境を嘆いている点だ。記事の中で取り上げられている担当者は、ごく限られた人たちなので、ケータイ メーカーの開発者すべてが “そうだ” といういうことはないだろうが。

 なお、この記事の本来の趣旨は、日本のケータイ開発担当者の iPhone に対する感想であり、日本のケータイ開発担当者の自社開発環境に対する嘆きは、私の深読みでしかない。

 もし、以下の内容が、担当者達の本音だと仮定すれば、担当者達の不完全燃焼に対しての嘆きが読み取れる。

    • 「iPhone担当者は、楽しみながら製品をつくっていたんだな、と思う」(E社製品企画担当)。
    • 「iPhoneには、物作りに対する強い信念を感じる。タッチパッドや機能などを表面的に真似しても、iPhoneを超えるものはできない。開発者の信念がこの製品を作り上げたような気がする」(F社技術担当幹部)。
    • 「チームワークがしっかりしている。一つのものに集中しているから、製品化を実現できたと思う。メーカーとしてのやり方を貫いている点は見習いたい」(C社端末戦略担当)
    • 「我々も対抗できる商品をつくりたい。しかし、やるからには徹底しなくてはいけない」(D社製品企画担当)。

 これを、私の脳内で深読みすると、

  • 「製品を作ることがぜんぜん楽しくない」(E社製品企画担当)
  • 「信念などなく、低コストで売れるものを作っているだけ」(F社技術担当幹部)
  • 「他のメーカーを気にして、ポリシーがころころ変わる。社員の気持ちもみんなバラバラ」(C社端末戦略担当)
  • 「日々、雑務に追われて、製品開発に集中できない」(D社製品企画担当)

となる。

 これは日本の会社に限った話ではないだろう。米国企業であっても、多くの会社は似たような状況ではなかろうか。

 むしろ、Apple が極めて特別な存在であるといえる。スティーブ・ジョブズ という、極めて稀有な人物がいてこそ、成せる業だろう。

 多くの大企業においては、経営者が経理には明るいが、技術には疎い場合が多い。技術者の製品に対する思い入れなど、予算に計上できないモノは、もちろん評価されない。そんな経営者の元で仕事をしている職人気質な開発者達が、Apple の iPhone を見れば、やはり上記のような妬ましい気持ちになって当然とも思える。

 ただ、製品に対する思い入れが、絶対に正しいわけではない。先の スティーブ・ジョブズも、NeXTcube と作る際には、必要以上にロゴデザインや筐体にこだわったため、結果として NeXTcube が失敗に終わっている。

 結局は、記事の中にある 「割り切りの良さ」 で折り合いを付けるのが最善ということなのだろう。

 こだわるところは徹底的にこだわって開発者の思い入れを満足させる。一方で、優先度の低い部分は、経済的な観点からコストを削減していく。そうやって、開発者のモチベーションを上げつつ、製品として競争力のある価格に押さえる。

 至極当たり前のようなこんなことが、実際には稀にしか見られないことを考えると、やはり難しいことなのだろう。企業経営に関わったことのない私には、想像するしかない。

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2007/12/22

技能オリンピックの意義がわからない

技能オリンピック、日本はトップだったけど
 橋本久義
  NBonline [2007年12月10日]

 私も技能オリンピックでメダルを取った人たちの取材番組を少しだけ見た。あくまで私の邪推だが、「メダルを取れなかった人たちの取材もしていたが、“大人の事情” で放送しなかったじゃないのか」 、と考えているというのは秘密だ。

 さて、上記の記事を読む限りにおいては、技能オリンピック (正式には、“国際技能競技大会” というらしい) に、私は意義を見出せなかった。

 Wikipedia によれば、「参加国の職業訓練の振興と参加者の国際親善・交流を目的としている」 らしい。「参加者の国際親善・交流」 というのは、まあ、意味があるだろう。しかし、「参加国の職業訓練の振興」 というのは、いささか疑問だ。

 記事に書いてあるとおり、競技内容と、今現在現場で使われている技術に大きな乖離があるならば、「職業訓練の振興」 につながるのか、はなはだ疑問だ。

 22歳という年齢制限も私にはよくわからない。本当に生産技術の高さを競うのであれば、年齢は関係ないはずだ。たとえば、深絞り技術ならば、ロケットの噴射口をほとんど作っている日本に勝る国はない。

 しかし今のままでは、競技者の育成にお金を回せる大企業の名誉や宣伝のためのだけのものとしか思えない。もっとも、「それが最初から目的だ」 といわれてしまえば、それまでなのだが……。

 技能オリンピックで金メダルを取れるだけの能力があるならば、実際の生産現場においても、高い能力を発揮できる可能性が高いと思う。そして、生産現場で能力を発揮したほうが社会に対する貢献度も多いはずだ。そう考えると、単に競技のためだけの技術に、5年も6年も能力を使っているのは、「モッタイナイ」 と思えて仕方がない。

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2007/12/19

こんなお店が当たり前になって欲しい

「売らない」ことも、大事な仕事
~たとえ、「欲しい」「買う」と言われても

 和田けんじ
  NBonline [2007年12月17日]

 このコラムは、東急ハンズの特異性の紹介を連載している。特に今回は、「これが本当に実践されているならば、なんとすばらしいことか」 と思った。

 客に 「売ってくれ」 と言われれば、何の疑問持たずに売ってしまう。むしろ、客を多少だましてでも売ってしまう、というのが、残念ながら今の小売商売の常識になっている気がする。

 あとでクレームを付けられても、「知らぬ」「存ぜぬ」 ではねつける。とにかく、数多く物を売って、短期的な利益を上げることが “正しい” 商売だという常識が、定着してしまっている。

 しかし、長期的な利益を考えるならば、お客に不満や不安を持たれないようにすることが、正しい。

 例えば、コンビニエンスストア。「買う人がいるのか?」 と思うような商品をよく見る。“弔事用ネクタイ”、“ガムテープ” や “三角定規とコンパス” などだ。確かにほとんど売れないらしい。しかし、どうしても欲しい人が来たときに、“確実に買える” ということが大切なのだそうだ。「あそこなら、かならず売っている」 という安心感が、割引のない定価販売を可能にしている、という話を以前聞いたことがある。

 東急ハンズの例では、お客が “欲しいもの” を聞くのではなく、“したいこと” を聞くことで、お客に期待以上の満足感を与えることができるだろう。

 また、東急ハンズの、売るときに返品やクレームの可能性を考えて、売るリスクが高い時は、“売らない” 手法は、結局は販売後にかかる手間や経費を削減してると見ることができる。

 そう考えていたら、ソフトウェア開発もそうだったことを思い出した。

 「ソフトウェア開発に、手間とコストをかけない」、「開発したら、とりあえず販売して元を取る」 などといって、ろくなテストもせずに発売すると、あとでとんでもないしっぺ返しを食らう。万が一にも “リコール”、“回収” などという事態になったら、パッケージを売って儲けた利益などあっという間に吹き飛んでしまう。

 バグ(不具合)の修正は、上流工程ではコストが極めて小さく、下流工程に行くほど雪だるま式にコストが膨れ上がる。ましてや、発売後のバグ修正には、巨大なコストがかかる。ソフトウェア開発の現場にいれば、そんなことは常識だ。

 しかし、素人に毛が生えた程度のマネージャーや経営者は、「とりあえず売って、問題が見つかったら、後で直せばいい」 と安易に考えてしまうようだ。最近では、ネットワーク型のゲームでよく見られるパターンだ。

 私は、対面販売とは対極にある開発チームで、“問題は上流工程でつぶせ” という手法を学んだ。ところが、上記の記事を読むと、その手法はソフトウェア開発に限らず、対面販売においても通用する手法なのだということがわかった。

 とすると、以前ここのブログで記事にした “テスティング手法” や “ユーザビリティ手法” なども、他の業種や職種に役立つ内容があるのかもしれないと思った。

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2007/12/17

キャリアパスに花束を

SEやプログラマーに忍び寄る“新しい”うつ
~ 専門家は語る(御茶ノ水医院 院長 市川光洋氏)【後編】~

 西川敦子
  ダイヤモンド・オンライン [2007年12月14日]

 私も、“うつ” という名の洞窟に何度も片足を突っ込んだことがある。記憶にあるだけでも三度ある。その度に自ら、カウンセリングを受けたり、休暇を取ったりして、洞窟の奥に迷い込んでしまうことを回避してきた。だから、上の記事に書いてあることは、決して他人事とは思えない。

会社の都合で一方的に行われる人事は、心に大きな軋轢を生む。

主任に昇格したばかりに管理業務を背負わされ、やがてうつ症状が現れた――。

 まさに私が経験してきたことだ。

「誰もが組織のピラミッドを登りつめたいわけではない。たいていの企業は、ワンパターンのキャリアパスしか設定していません」

 私の会社もそうだった。正確に言うと、私が所属していた日本の開発チームがそうだった。

 私もある時期を境に、専門技術者を目指すようになった。ところが、日本の開発チームには、勤続年数が長くなるとマネージャーとなるキャリアパスしかなかった。「給与は据え置きでもよい」 から、技術職で働きたかったが、マネージャーに

  • 「マネージャーのキャリアパスしか用意されていない」

と言われた。別なマネージャーには、

  • 「この会社のすべてのソフトウェアに精通して、すべてを完璧にテストできる自信があるなら、専門職として考える」

などという、極めて非現実的な条件を突きつけられたこともあった。

 マネージャーとして働いている人の多くは、自ら進んでマネージャーになった人たちだ。その人たちには、現場で専門技術者でいつづけたいと思うことが、理解できないのだろう。

 この極めて限定的なキャリアパスは、私のその会社への忠誠心を急速に低下させていった。

今の人事制度は、高度経済成長期に生まれたものだ。それから歳月が流れ、労働環境や人々の考え方は変わった。会社の事情に働く人が合わせるのでなく、働く人に合わせて会社が変わる――そんな時代がそろそろ来てもいいのかもしれない。

 これはまさに、私が会社を辞めようと考え始めたときから、ずっと思っていたことだ。しかし、そんな都合のよいことが起こるはずもなく、結局、私は会社を去ることにした。

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2007/12/14

「社長、それはあなたが悪いのです」

「社長、それはあなたが悪いのです」

 なんて、一度いってみたいものだ。

こころ豊かで安全な経営とは何か
第82回社長の物差し、社員の物差し
 小山昇
  日経BP社 SAFETY JAPAN [2007年11月27日]

 ここでいわれている話は、社長と社員、100万円と1000円、だけの話ではない。自分が考えていることを、相手にわかってもらうための基本だ。

 私も20代までは、「なんで俺の言うことがわからないんだ。ちゃんと理解できるように努力しろよ!」 などと考えていた。

 自分の意見を理解させるためには、意見を言う側がわからせるための努力をしなければいけない。そんなことに気がついたのは、30代も後半になってからだった。もっと若いときにそれを理解していれば、私の人生もずいぶん変わっていただろと思っている。もちろん、よい方向にである。

 だから、自分の子供には、「相手が理解してくれないのは、相手が悪いんじゃなくて、あなたがうまく説明できてないからなんだよ」 といつも言い聞かせている。もちろん、それがきちんと理解できるのは、もっとずっと先のことになるだろうが。

 日本には “以心伝心” という便利な言葉がある。「俺の考えてることぐらい、言わなくてもわかれよ」 というやつだ。しかし、以心伝心は特別な間柄で自然と出来上がるものだ。権限のある者が、部下に対して強制をするものではない。強制されたところでできるものでもない。

 さらにひどい場合は、以心伝心できない部下は、“役立たず” のレッテルを貼られたりする。しかしそれは、権限ある者の説明能力のなさを、部下に転嫁しているだけのことだ。

 権限がある者は、他の者に対して理解させる責任があるはずだ。しかし実際には、やろうとしていること、やっていることをうまく説明できる権限がある者は、少ない。日本における最たる者は、政治屋であり、高級役人 だろう。日本がうまくいかなくなりつつあるのも、あたりまえといったところか。

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2007/12/11

数値はひとり歩きする

他人が作った数字を疑い「数字を見る目」を養う
会社の数字に強くなる<第5回>

 水越豊
  NBonline [2007年12月11日]

 私も会社の第一線で働いていたときは、いつも言われていた。「具体的な数字を出せ」 と。いつしか、あちこちからデータをかき集めて、自分の主張の根拠を数字で示すことが当たり前になっていった。

 具体的な数字を出すことで、他人を説得しやすくなり、自分の主張する機能を実装しやすくなる。

 自分が散々使っておいて言うのもなんだが、具体的な数字を出されると “説得力がある” というのが曲者なのだ。上記の記事でも言われているように、背景となっている条件をきちんと把握しないと、とんでもない誤算を招く。

 政府の発表する出生率予測など、いい例だ。政府は常に 「出生率は今後上昇する」 と言い続けている。しかし、現実の出生率は下がる一方で、上がる気配を見せない。それはひとえに、政府の前提が 「少子化対策が有効である」 という、“極めて非現実的な” 前提に基づいているからだ。

 逆に、示したはずの前提がいつの間にか忘れ去られてしまい、データを提示した者が 「うそつき」 呼ばわりされることもある。

 私が担当したアプリケーションの新機能を、ユーザビリティ テストしたときのことだ。新機能は、特定の作業をまとめて、単純化したウィザード型のものだった。該当アプリケーションの未経験者向けに実装したものだ。結果は良好だった。

 報告書には、「“未経験ユーザーに対して”、極めて有効に機能した」 と書いたにもかかわらず、時間がたつにつれて、いつの間にか 「すべてのユーザーに対して、有効な機能」 と思われるようになってしまった。

 致命的だったのは、営業・販売部隊に勘違いされたことだった。その機能を、前バージョンの機能のスーパーセットと広告されてしまった。発売後、既存のユーザーから、「機能が減っている」、「使い勝手が悪い」 といったクレームが多く寄せられてしまった。

 それはそうだ。既存のユーザーには、従来どおりに使ってもらおうと思っていたのだから。新機能は、従来のユーザインタフェースでは、うまく使えない新規未経験ユーザーに対して、機能を最低限に絞って、わかりやすくしたものなのだから。

 営業・販売部隊と、密な連絡・連携が取れなかったための失敗であった。私にとっては苦い経験だ。

 出された数値が一人歩きをして、私のように痛い失敗するケースがある。一方で、数値の一人歩きを見越し、他人を陥れて、だまそうとする輩もいる。

 自分が数値を伝えるときは、本文よりも何倍も強調をして前提条件を伝える。他人の出した数値を読むときは、上記の記事でも言われているように、荒唐無稽な前提が使われていないことをしっかりと確認する。数値を一人歩きさせないための、重要なテクニックだ。

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2007/12/10

成果主義の先を予想してみる

 日経ビジネス オンラインが興味深いアンケートをやっていた。

特集 ザ・ターニングポイント
~イノベーションの軌跡
このままでは成果主義で会社がつぶれる
読者アンケートに悲痛な声が続々

 鶴岡 弘之
  [2007年12月10日]

 私のスタンスとして、

  • 「人は本当のことを言わない」
  • 「人は言うことと、やることが違う」
  • 「アンケート結果は、全体を代表していない」

以上の三点がある。ユーザビリティ テストの経験から得たものだ。

 私の質問に対して、「こちらが期待していると思われる意見を言う」、「『初心者にはいいと思う』といった自分以外の立場で意見を言う」、「『とても便利ですね』と言いながら、実際にはその機能を使わない」 ということは、日常茶飯事だった。また、テストの被験者はやはり、ある程度コンピュータに興味のある人に限定されてしまう。

 ということで、このアンケート結果も、記事がすべてだとは思っていない。編集方針として、“成果主義 = 悪” というシナリオがあるの “かも” 知れないと思って読んでいる。

 とはいうものの、数字そのものにウソはないだろう。自由記述の内容も、私が経験してきたことと、気持ち悪いくらい類似している。

 思うに、“成果”主義 という名前に問題があるように思う。経営者側が考える “成果” と、従業員側が考える “成果” に、まず、ずれがあるように思う。また、上記記事の本文でも触れられているとおり、人件費削減 “のみ” に使われているケースも多いのだろう。私が以前書いたように、評価する中間管理職が “成果” とは異なることで評価するケースもあると思う。

 ちょっと例えがよくないが、今の “成果主義” と言うネーミングは、独裁者が “治安維持” という名目で、反対者を弾圧するのと似ていると思った。

 “治安維持” と言われて反対できる人は、おそらくほとんどいないだろう。「治安がいい=善、治安が悪い=悪」 という常識がほとんどの人の認識だからだ。しかし、“治安維持” の名目で、独裁者が弾圧を行うのは、ほとんどの人には “害悪” でしかない。

 同じように “達成した成果により報酬が決まる” と言われれば、多くの人は賛成するだろう。極度な年功序列が続いたため、たいした仕事をしていなくても在籍しているだけで高い給与をもらっているという不公平感が、多くの人の認識に定着しているためだ。

 ところが、その “達成した成果” を決めるのは経営者達であり、「君は目標を達成していない」 と言われれば、ほとんど反論できないのが今の “成果主義” だ。独裁者による治安維持となんら変わらない。

 だとすれば、経営者に “のみ” 都合のよい “成果主義” の行く末は、見えてくる。独裁政権下では、優秀な人材は難民として流出をする。海外に逃亡できずに、圧政下に置かれている人たちの生産性は、極度に低下する。結局、独裁国家は内部から崩壊していく。そのことは歴史が証明している。

 経営者向け “成果主義” では、本当に優秀な人材は残るのかもしれない。しかし、優秀な人たちも、多くの “普通” の人たちに支えられてこそ、優秀な “成果” が達成できる。ところが、支えるべき普通の人たちが、その会社から難民者のごとく流出していく。残るのは、優秀な人たちと、会社にしがみつく普通 “以下” の人たちだ。十分な支援が得られなくなった優秀な人たちも、仕事が満足にできなくなって、やがては流出していくだろう。すると、残るのは会社にしがみつく人たちだけだ。

 そうなれば結果はおのずと見えてくる。

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2007/12/06

今に始まったことじゃないと思うんだよね

 なにやら、“テラ豚丼” なるものが、悪い意味の話題になっている。

 (あらかじめ宣言しておくが、この事件を起こした吉野家を、私は快く思っていない。BSEの疑惑が残る米国産牛肉を率先して、まっさきに店頭販売した吉野屋を、私は信用していない。)

 これはあくまで私の想像なのだが、吉野家厨房でのこの手の悪ふざけは、今回が初めてではないと思っている。自分達のまかない等で、大昔から散々現場でされてきたことだと思っている。そして、普段からなにげにやっていたので、大きな問題とも思わずに、ビデオに撮影をして、なおかつ、投稿サイトに投稿してしまったのだろう、と私は推測している。

 公になってしまったことで、吉野家本社は、動画を撮影、投稿した関係者を処分したようだ。しかし、もし、これが公になっていなかったとしたら、果たして、同じ行為を行った店員は処分されただろうか。間違いなく、処分されなかっただろう。

 「本社は知ることができなければ、処分できないのは当たり前だ。」 という意見はもっともだが、そもそも、全体を管理する責任がある本社機能が、自分のあずかり知らないところで、こういうことが行われていること自体が問題である。そして、こういう行為が行われないように、店員のモラルをあげる責任がある。仮にこういう行為が行われていたとしたら、それをすぐに察知して、公になる、ならない関係なく、処分を行うべきである。さらに一番いいのは、第三者に公にされる前に、自らが処分を公表することだ。

 外部に言われる前に、自らが謝罪と反省をすることで、社会と一般消費者の安心と信頼を勝ち得ることができる。そのことは、その会社にとって大きな利益をもたらすはずだ。

 現実には、役所も企業も、問題が公になっていなければ、公にならないように工作をして、内内で事件をなかったことにしてしまう。その結果、後でわかってしまい、いっそう悪い状況に自分達を追い込んでしまう。

 ミートホープから始まった一連の食品偽装事件の当事者達は、例外なく事件を小さく見せようとウソをつく。そのウソもすぐにウソとばれてしまい、いっそう自分の立場を悪くする。

 今回の テラ豚丼 事件を見てもわかるとおり、社内のちょっとしたことでも、ネットワークを通して簡単に世界中に配信されてしまう。今はそういう時代なのだ。企業にとっては、社内の小さな問題が、簡単に社外に公開されてしまうリスクを持っているということだ。そのリスクを下げるには、何よりも高い社員のモラルが必要となる。しかし、社長や取締役がモラルのない行動をしていれば、おのずと社員もモラルのない行動を取る。

 これから、生き残っていく企業は、今まで以上に経営陣の高いモラルが要求される。そんな時代になったと、私は考えている。

 動画は、静止画や文章などよりはるかに大きな説得力を持つ。YouTube に始まる動画投稿ブームは、テレビ放送だけでなく、国や企業のあり方も変えようとしているように、私には思える。そして、動画投稿は、インターネットなしには存在し得なかった。

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2007/12/05

なぜ私がサポートを気にするのか

 前回、前々回とサポートの対応によって、顧客離れ、企業イメージの損失について話をした。私自身はサポート業務の経験はない。しかし、製品サポートの大切さは、身をもって経験してきたつもりだ。

 私が前の会社で働いていたときの話だ。最初の製品が出荷された直後、1992年ごろのことである。当時はまだサポートを電話と手紙でのみ行っていた。そして、サポート チームは、電話対応の記録のコピーと郵送されたサポートシートのコピーを、定期的に開発チームに回してくれた。回ってきたコピーは、開発チーム内で回覧をして、気がついたことがあれば、書き込みをして、サポート チームへ返却していた。

 2~3ヶ月サポート内容のコピーを読み続けた頃だろうか、私は、サポート チームがユーザーに間違った内容を伝えているケースが多いことに、耐え切れなくなっていた。できることを 「できない」 とユーザーに伝えたり、一つの機能でできることを、複数の機能の組み合わせでユーザーに教えたり。我慢しきれなくなった私は、サポート チームに文句を言いに行くことにした。

 1~2週間、毎日のようにサポート チームへ出向いて、サポート担当者達と話をしていくと、ある重大な問題に気がついた。サポート担当者達が、製品について正しい情報を知らないのだ。

 サポート チームは、新製品の発売に合わせてサポートの準備を始める。新製品発売前なので、製品開発が終わっていない段階でサポート チームは準備を始める。そのために、出荷直前で見つかった問題の対応や、問題回避のための仕様変更が、サポート チームに伝わらず、変更前の情報でサポートしていたりしていたのだ。

 「これではまずい。私が作った製品がユーザーに誤解されていく。」 という危機感を持った私は、時間を見つけてはサポート チームに顔を出して、質問に答えたり、開発の都合による仕様変更などの情報を伝えていった。

 その結果、回ってくるサポートの品質が、目に見えて高くなっていった。それを見て、一人で喜んでいたものだった。

 サポート担当にしてみれば、自分が作ったわけではない。にもかかわらず、問題が発生して、怒っているユーザーに頭を下げるのは自分達だ。ユーザーに答えようにも情報を持っていない。ユーザーの不満を開発に伝えても、まともに取り合ってくれない。

 これでは、サポートの質が上がるはずがない。

 私自身は、別にサポート全体の質を上げようと思って、サポート チームのサポートをしたわけではない。ひとえに、自分担当した製品が正しくユーザーに使われないのがイヤだったのだ。

 私は、ユーザーが自分の製品を正確に理解をして、正しく評価することを望んだ。サポート チームは、自信を持って製品がサポートできることを望んだ。

 あのときの私行動は、私とサポート チーム、両者の望みを同時にかなえるもだった。だから、自分も満足できたし、サポート チームからも感謝された。今でも、あのときの私の行動は、とても有益であったと信じている。

 ひるがえって、最近のサポートは、アウトソーシングが進み、一つのサポート会社が、複数の会社の複数の製品を扱うことが普通だ。そして、サポート担当者の評価は、単位時間当たり、いかに多くの問い合わせを処理したか、でされている。そんな状況では、サポート担当者は、問い合わせ内容をよく吟味せずに、事前に準備された回答で返答するだけになってしまう。もちろんそれでは、問い合わせた人が満足できるサポートになるはずもない。

 前回で述べているように、サポートの良し悪しは、その企業のイメージ、製品イメージを左右する。良いサポートは、その製品価値を高めてくれるのだ。ところが、宣伝広告には予算をつける努力をするのに、サポートには予算を付けない努力をする。

 大々的な宣伝広告をするのに比べて、サポートが貧弱な会社を、私は信用しない。良い製品やサービスを提供しているなら、良質なサポート体制を準備したとしても、それほど予算を必要としないはずだ。

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なぜ私がサポートを気にするのか

 前回、前々回とサポートの対応によって、顧客離れ、企業イメージの損失について話をした。私自身はサポート業務の経験はない。しかし、製品サポートの大切さは、身をもって経験してきたつもりだ。

 私が前の会社で働いていたときの話だ。最初の製品が出荷された直後、1992年ごろのことである。当時はまだサポートを電話と手紙でのみ行っていた。そして、サポート チームは、電話対応の記録のコピーと郵送されたサポートシートのコピーを、定期的に開発チームに回してくれた。回ってきたコピーは、開発チーム内で回覧をして、気がついたことがあれば、書き込みをして、サポート チームへ返却していた。

 2~3ヶ月サポート内容のコピーを読み続けた頃だろうか、私は、サポート チームがユーザーに間違った内容を伝えているケースが多いことに、耐え切れなくなっていた。できることを 「できない」 とユーザーに伝えたり、一つの機能でできることを、複数の機能の組み合わせでユーザーに教えたり。我慢しきれなくなった私は、サポート チームに文句を言いに行くことにした。

 1~2週間、毎日のようにサポート チームへ出向いて、サポート担当者達と話をしていくと、ある重大な問題に気がついた。サポート担当者達が、製品について正しい情報を知らないのだ。

 サポート チームは、新製品の発売に合わせてサポートの準備を始める。新製品発売前なので、製品開発が終わっていない段階でサポート チームは準備を始める。そのために、出荷直前で見つかった問題の対応や、問題回避のための仕様変更が、サポート チームに伝わらず、変更前の情報でサポートしていたりしていたのだ。

 「これではまずい。私が作った製品がユーザーに誤解されていく。」 という危機感を持った私は、時間を見つけてはサポート チームに顔を出して、質問に答えたり、開発の都合による仕様変更などの情報を伝えていった。

 その結果、回ってくるサポートの品質が、目に見えて高くなっていった。それを見て、一人で喜んでいたものだった。

 サポート担当にしてみれば、自分が作ったわけではない。にもかかわらず、問題が発生して、怒っているユーザーに頭を下げるのは自分達だ。ユーザーに答えようにも情報を持っていない。ユーザーの不満を開発に伝えても、まともに取り合ってくれない。

 これでは、サポートの質が上がるはずがない。

 私自身は、別にサポート全体の質を上げようと思って、サポート チームのサポートをしたわけではない。ひとえに、自分担当した製品が正しくユーザーに使われないのがイヤだったのだ。

 私は、ユーザーが自分の製品を正確に理解をして、正しく評価することを望んだ。サポート チームは、自信を持って製品がサポートできることを望んだ。

 あのときの私行動は、私とサポート チーム、両者の望みを同時にかなえるもだった。だから、自分も満足できたし、サポート チームからも感謝された。今でも、あのときの私の行動は、とても有益であったと信じている。

 ひるがえって、最近のサポートは、アウトソーシングが進み、一つのサポート会社が、複数の会社の複数の製品を扱うことが普通だ。そして、サポート担当者の評価は、単位時間当たり、いかに多くの問い合わせを処理したか、でされている。そんな状況では、サポート担当者は、問い合わせ内容をよく吟味せずに、事前に準備された回答で返答するだけになってしまう。もちろんそれでは、問い合わせた人が満足できるサポートになるはずもない。

 前回で述べているように、サポートの良し悪しは、その企業のイメージ、製品イメージを左右する。良いサポートは、その製品価値を高めてくれるのだ。ところが、宣伝広告には予算をつける努力をするのに、サポートには予算を付けない努力をする。

 大々的な宣伝広告をするのに比べて、サポートが貧弱な会社を、私は信用しない。良い製品やサービスを提供しているなら、良質なサポート体制を準備したとしても、それほど予算を必要としないはずだ。

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2007/12/04

サポートと企業イメージと

 前回の記事で、悪いサポートが簡単に顧客を失う話をした。そして、失うのはサポートに電話をしてきた一人の顧客にとどまらない。

 以前、情報処理学会で、ユーザー サポートについて研究している教授の公演を聴いたことがある。それによれば、サポートに電話をかけるユーザーは極少数であり、大部分のユーザーは、よくわからない製品を、サポートに問い合わせることもなく、使用しなくなるということだった。いわゆる、“サイレント・マジョリティ” だ。当然、使わなくなった製品と同じメーカーの製品を買うこともなくなる。だから、「サポートに問い合わせてきた顧客をできるだけ大切にして、なるべく多くの情報を聞き出すようにせよ」 という話だった。

 そして、サポートに問い合わせるような人は、口コミ力も強いと考えられる。

 AI(アフター・インターネット=インターネット以後)は、BI(ビフォー・インターネット=インターネット以前)に比べて、口コミの影響力が格段に上がっている。BIでは、極少数の閉じた世界だった電子掲示板も、AIでは巨大掲示板となり、大多数の一般市民が見るようになった。

 また、BIの時は一般の人が、日本中に自分の意見を知らせようとしたら、全国紙に投稿するとか、よく売れている雑誌に投稿すとかするしかない。しかも、出版社の恣意的な取捨選択が行われるため、自分の意見を広く世間に知らせることは、容易ではなかった。AIの今では、誰もがブログやホームページで簡単に自分の意見を、全世界に向けて発信することができる。

 その結果、BIでは、情報を管理で自らの失策を隠してきた中央省庁も、AIになり、個人が簡単に情報を世界中に発信することで、失政を隠しきれなくなっている

 中央省庁でさえそうなのだ。大企業といえど、民間企業が自社に都合の悪い情報を、もはや封じ込めることはできない。「サポートが悪い」、「製品の問題にきちんと対応してくれない」 といった情報は、瞬く間にインターネットを通して広がっていく。それは、製品イメージ、ひいては企業イメージに致命傷を負わせることになる。

 “東芝クレーマー事件” は、そのことを世間に知らしめた事件だったといえる。

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2007/12/03

サポートは企業の大切な顔

 企業のサポート部門が、その企業の重要な “顔” の一つである。特に、商品やサービスを、一般消費者に提供している企業においては、その企業のイメージを左右しかねない、重要な “顔” である。

 ところが、規模の大きな企業や著名な企業であっても、その大切な “顔” をまったく気にしていない場合が多いように思う。

サントリー、一般社員がお客様センターで1日電話体験
「100-1=0」を合言葉に「お客様第一」を徹底

 川又 英紀
  NBonline [2007年11月29日]

お客様視点気づき講座での合言葉は「100-1=0」であり、これは「たった1人の社員の間違った行動でサントリー全体(100)が否定され、これまで築き上げてきた顧客からの信頼が一瞬にしてゼロになり得る」(亀田敦・お客様コミュニケーション部マーケティングサポートセンター課長)ことを意味している。

 私はこの 「100-1=0」 の公式は、多くの会社、多くの製品の場合で当てはまると思った。

 サポートをしている人は、毎日、数十人、数百人に対応している。顧客の一人は、百分の一、千分の一でしかない。

 しかし、顧客から見れば、サポートで対応してくれた人は、一分の一であり、“サポートの対応に出た人” = “その会社の代表” となってしまう。そして、サポート担当の不用意な態度、発言が、サポートを利用した人の、その会社の悪いイメージに直結していく。

 友人の話になるが、近々発売される話題のケータイを予約したそうだ。先着5000名には先行予約特典がつく、ということで、急いで予約したそうだ。ところが、契約の段になって、問題がでた。登録した住所と送った免許書のコピーの住所が違っていたそうだ。理由は、市町村合併だ。予約サイトからは、合併前の住所しか入力できなかったために起こった問題であった。つまり、ケータイ会社側の不手際だ。それなのにあろうことか、ケータイ会社は、「住所が一致しないの契約できない」 と言ってきたそうだ。契約するためには、「新たに予約をしなおす必要がある」 そうだ。もちろん、予約を取り直せば、先行予約特典はなくなる。

 自社の問題を認めず、杓子定規に対応するサポートに怒り、その友人はケータイの予約を取り消したそうだ。サポート担当の不用意な対応によって、優良顧客を一人失ったわけである。それを聞いた私も、もちろん該当のケータイ会社には乗り換えまい、と考える。

 私自身の経験について書けば、シマンテック社のサポートには言いたいことが山ほどある。サポート期限が切れたら、他社へ乗り換える予定だ。そして、私の記事を読んで、Norton 360 の購入を思いとどまった人が、一人や二人いてもおかしくない。

 次回は、このインターネットを通じた、悪いサポートによる悪い企業イメージの口コミによる拡散について書く予定だ。

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2007/11/21

始まりは革新的に、最後は保守的に

改革の裏にある「石橋を叩く」姿勢
~校長・荒瀬克己~

 茂木健一郎
  NBonline [2007年10月16日]

 この記事の中の、

堀川高校はいろいろな改革をし、新しい試みをしているのだけれど、実際はどこかで事前に実施されて効果があると分かっていることばかりを取り入れている。

という部分を読んで、なんとなく自分が経験してきたソフトウェア開発を思い出した。

 新しいバージョンのソフトウェアが宣伝する新機能は、実は他のソフトウェアですでに成功している機能だったり、他の分野で成功している機能の応用だったりすることはよくある。

 これまでどんなソフトウェアでも実現していないとか、どの分野においても類似の機能を見たことがない、などというモノは、めったにない。

 実は、ソフトウェアの開発者の多くは、その “誰も見たことがない新機能” をなんとか製品にしようと頑張っている。そのために、製品の開発初期には、あらゆるアイデアが実装の候補として挙がり、その革新性や有用性が試されていく。

 ところが、誰も世に出していないアイデアや手法は、開発している最中に様々な問題を引き起こす。ソフトウェアの安定性だったり、動作速度であったり、使い勝手であったり。革新性、新規性が高いほど、問題がなかなか収束しない。

 そして、開発終盤になると、問題が収束しない機能は、次々と切り捨てられていく。そう、製品として纏め上げるためには、開発チームは保守的になる。“石橋を叩く” モードにならざるを得なくなる。そうなると、収拾がつかなくなった革新的な機能に代わり、すでに実績のある機能が組み込まれることになる。

 まだ私が駆け出しの頃は、開発終盤の “石橋” モードが理解できなかった。せっかく長い時間をかけて開発した革新的機能をばっさりと切り捨てていくことが納得できなかった。

 しかし、いくつもの製品を担当して、最終的な製品出荷の責任の一端を担うようになり、ようやく終盤の “石橋” モードが理解できるようになった。

 そんな経験のおかげだろうか、上記の記事の 「成功した実績のあることだけを取り入れた」 という発言に、素直に納得できた。

 改革というと、とかくそれまで他人がやったこのないことをするというイメージがある。しかし、改革が必要とされているということは、現状がうまくいっていないということである。であれば、改革の目的は、「現状よりもより良く物事が進むようにする」 ことのはずである。

 問題点とあるべき形がはっきりしているのであれば、それを実現できる手段をどこからか探してきて、そのまま実行するというのは、理にかなっている。

 ユーザーの多くが欲しいのは、開発者の自己満足で未成熟な革新的機能ではなく、使い慣れて確実に使えるオーソドックスな機能である。

 同じように、うまくいかない学校運営で一番困っているのは、生徒達だ。その生徒達が望んでいるのは、確実に学校を良くしてくれる運営のはずだ。目新しいが、うまくいくかわからないことをするのは、改革担当者の欲求を満たすかもしれないが、困っている生徒達を救える保障はどこにもない。

 とはいうものの、どこかで新規性の高いチャレンジをしなければ、どこかで行き詰ってしまう。失敗する可能性が高いチャレンジも、どこかで誰かがやらなければいけない。ソフトウェア開発を見習うとすれば、チャレンジは学校運営が安定して、改革が必要とされないとだと思う。改革が必要でなければ、チャレンジが失敗しても、元に戻せばいよいだけなのだから。

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2007/11/20

効率よく仕事をして、定時に帰れと言うけれど・・・

【第4回】時には“男の沽券”捨て「仕事」も「家庭」も諦めない
 白河桃子
  NBonline [2007年11月19日]

 上の記事に書かれていることは、大筋において私も賛同できる。しかしながら、現実には、そうならない、そうさせない会社や組織が大部分であることも、私は知っている。

 私が12年間働いていた会社は、米国資本の外資系で、いわゆる成果主義による個人評価が建前であった。確かに、米国における米国人マネージャーの下では、成果主義がそれなりに機能していたかもしれない。しかし、日本で末端の組織を取り仕切るのは、やはり日本人だ。日本的感情による人事評価が横行していた。(もちろん、すべての日本人マネージャーが、感情的人事評価をしていたわけではないのだが。)

 目標にはないが、自分の製品に必要だと思って、私が作業したことを、高く評価してくれるマネージャーがいた。

 一方で、計画通りに仕事を片付けて定時に帰ると、「なんで、定時に帰るんだ!」 と非難をするマネージャーもいた。片付ける仕事がある・なしではなく、帰るのが早い・遅いを評価されたのだ。

 また、自分の意見に何でも賛同する部下の人事評価を甘くして、多くの成果を上げても自分に反対意見を述べる部下を低く人事評価するマネージャーもいた。

 そして残念ながら、下二つのタイプのマネージャーの方が、私の周りには多かった。

 成果主義が進んでいると言われる米国企業でも、日本の支店ではこうなのだ。生粋の日本企業であれば、マネージャーの感情による人事評価は、もっと多いと予想される。

 そんな私の経験からは、

佐々木: 上司が、仕事の効率化をすることだ。私の場合「6時に帰れ」と言った時の一番の抵抗勢力は、実は部下たちだった。日本企業は、上司も部下も無計画に何の工夫もなく仕事をしがちである。仕事を始める前にきちんと考えて、優先順位をつけてから仕掛かるべきだ。また、上司との関係も大事だ。自分は、残業せずに早く帰宅した時も上司ときちんとコミュニケーションを取っていたので、評価が下がることはなかった」と経験を語る。

こういう状況は、極めて幸運だったと思わざるを得ない。

 なにしろ、それなりの工夫をして、効率的に仕事をして、きちんと成果を出しても、「なぜ、定時で帰るんだ」 と言われ続けることを、身をもって経験してきたのだから。

 「システムが人の行動を決める。」

というのが、私の持論である。日本で、ワークライフバランスを良くしていくためには、やはり、システムを変えていかなければダメだ。非正社員を使ったほうが企業に都合がよい。複数で仕事を分担するより、一人を長時間拘束したほうが、企業に都合がよい。そんなシステムから変えなければいけないと、私は考えている。

 もちろん、そのシステムを変えるのは、国=政治家・官僚の仕事だ。だが、その集団に期待できないことが、今の日本の閉塞感につながっている。

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2007/11/17

3高も今や昔

【第17回】結婚という女の“着地点”に変化あり
“ロスジェネ女性”は、なぜフリーターとつき合うのか?
 
 白河桃子
  NBonline Women at Work [2007年11月8日]

 こんな記事を読むと、「世の中やはり少しずつ変わっていってるんだな」 と思った。もちろん、世の中すべての女性が記事にあるように変わったわけではないだろうが、少なからぬ割合で、一世代前とは明らかに違う価値観をもっているというのは事実だろう。

 私の頭の中では、若い女性はいまだに “3高”、つまり、

  • 高学歴
  • 高収入
  • 高身長

が、恋愛と結婚の基準になっている、という思い込みがあった。昔、よく “恋のから騒ぎ” というテレビ番組を見て、そこに出演している若い女性陣の発言を聞いては、あきれていたものだった。(もちろん、番組による演出もあったろうが。) 曰く、

  • 「早稲田、慶應以外は相手にしない。」
  • 「愛があれば、年収1000万でもやっていける。」
  • 「180cmは最低ないと困る。」

などなど。

 書いていて、最初に就職した会社の新人研修で工場実習をやっていた時のことを思い出した。背中合わせで、私の後ろで仕事をしていたやはり新入社員の女性二人の会話が聞こえた。

「やっぱり男は、顔よね~」

 振り返って確認したら、ドラえもんの顔と体格をした女性の発言だった。まだ若かった私は、そのドラえもんにとび蹴りしたい衝動を抑えるのに必死だったことを、今でもよく覚えている。

 そういった経験による思い込みも、修正する時期が来たということらしい。

 話を上記の記事に戻す。この記事の中で私が一番印象に残ったのが、二ページ目の、

「命を削って、人間らしい生活ができないほど働いている人」よりも「一緒に過ごせる時間がある人」「家庭を大事にしてくれる人」がいいんじゃないか…。これは、バブル世代が40代でやっと気づき始めていることなのに、20代にしてこの達観。

という部分だった。はい、確かにバブル世代の私は、40代にして気がつきました。○| ̄|_

 物心ついた頃からずっと停滞した社会で成長してきた今の20代。生き残るために、現実的な選択をするのも、当然なのかもしれない。

 それに比べて、高度経済成長期に幼少期を過ごし、バブル最盛期のときに就職をした私。そして、私同様にバブル期に就職した40歳前後のバブル世代は、数が多い割には、プライドが変に高くて扱いづらい。会社内では、「粗大ゴミ世代」 と陰口をたたかれているという話も、以前読んだような気がする。

 逆に考えれば、地道な選択をする今の20代が社会の中核となる20年後のほうが、今よりも期待が持てるんじゃないかと、私は思ったりもしている。

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2007/11/05

会社人のギャップと雇用のあり方

日本人を苦しめる「人」と「会社人」のギャップ
~企業民俗学が求められている

 前・花王会長 常盤文克
  NBonline [2007年10月31日]

 上記のコラムを読むと、私が思っていることと同じことがいくつも書かれていると感じた。

企業では会社人が優先で、社会人としての人が後回しになります。そこには経営戦略があり、それを実現するために人の配置や仕事を決めていきます。言い換えれば、まずビジネスありきで人を論じ、人を使うという発想なのです。

 そうしたやり方を否定はしませんが、結果として疲弊した社員を増やしてきたことは事実です。

 そう、現代の会社人は、会社に縛り付けられて消耗させられている。かくいう私も、それに辟易として、ドロップアウトしたわけだが・・・。
 ちなみに、こういう発想を、元大企業の経営者が発言していることが、私には違和感が感じられる。花王がどういう企業風土を持っているのか知らないのだけれど。

 戦後から高度経済成長を経てバブル崩壊に至るまで、会社人の多くは、自分のリソースの大部分を会社につぎ込むことで満足感を得てきた。それは、経済的なものだったり、社会的な地位だったりする。そして、その会社人を送り出している家庭においても、経済的な豊かさを得ることで、常に家族が欠けていることを補えていた。

 翻って現在、“ワーキングプア” や “ネットカフェ難民” に代表されるように、個人が会社にいくら自分のリソースをつぎ込んでも、会社は見返りを個人に与えなくなった。見返りが期待できなくなった個人は、当然、会社人であることをやめ、会社に対する忠誠心も持たなくなる。ところが、会社のほうは以前と同じように、会社への忠誠心と貢献を要求している。このギャップが、今の日本社会のモラルを大きく蝕んでいるように思う。

 このような社会的に大きな歪が生じているときには、やはり大きな変革が必要だ。

 私が考える改革は、他でもよく言われることだが、“正規雇用と非正規雇用の対等化” だ。会社が人を雇う場合は、すべて正規雇用に準ずる形にするということだ。

 一般的な会社の行動原則は、なるべく目先の経費が低くなるようにすることだ。すると今の制度では、どうして賃金の安い非正規雇用が多くなる。だが、会社のそういった行為は、個人の経済的豊かさを搾取するものだ。よって、会社が人を雇うときは、常に雇用と賃金をある程度保障して、個人の収入を搾取できないシステムが重要だと思っている。

 もちろん実際に雇用形態を一元化すれば、様々な混乱が生じるだろう。一時的に会社が雇用を手控えるかもしれない。高賃金を嫌って、日本から脱出する会社がさらに増えるかもしれない。

 それでも私は、最前線で一生懸命働いて稼いだ金を、制度を盾に会社の経営者達が搾取している今の状態が、日本の社会において正しい姿だとはとうてい思えない。働いた者が働きに応じた分だけ豊かになれる、得た収入にある程度は皆が納得(満足ではない)できる社会になることが必要だと、私は思っている。

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2007/10/11

いやなことは我慢しなくてよいと思う

我慢を知らない若者では勤まらない
 橋本久義の「ものづくり街道よりみちツーリング」     
  NBonline [2007年10月9日]

 このコラムを読んでの私の最初の感想は、「経営者に都合のよい考え方だな」 というものだった。まあ、中小企業を回って、その経営を見続けてきた人だから、当然と言えば当然なのだが。

 私は逆に 『本当にいやなことは我慢しなくてもよい』 と考えている。心や身体が拒否するくらいに嫌なことを、理性だけで続けていった結果、心を病んだり、身体を壊したり、最悪の場合、犯罪に走ったりすると思っているからだ。

 なので、自分の感情に素直に従い、本当に嫌なことからは、いったんそこから離れるのがよい、と考えている。

 強調しておきたいのは “つらいこと” ≠ “嫌なこと” だということだ。つらくても、楽しかったり、充実していることはよくある。

 また、はたから見ると嫌なことでも、本人にとってはぜんぜん苦にならないこともよくある。そんなときも、周りの意見に振り回されることなく、自分の気持ちに素直に従えばよい。

 “我慢する” ということは、“嫌なことを我慢する” 意味で、ここでは使っている。何もせず、じっと耐え忍ぶイメージだ。だから私は “我慢” という言葉が好きではない。

 私は “我慢” の代わりに、“頑張る” という言葉が好きだ。

 上のコラムでも書いてあるように、「仕事は決して楽なものではない」 というは、私もそのとおりだと思う。しかし、その “楽ではない” 仕事にも、楽しいことがあったり、満足するものがあったり、目指す目標があるからこそ “頑張れる” のだ。嫌なことがあっても、それを超える何かがあれば、“頑張って” 嫌なことを克服できる。それは “我慢する” ことではないと、私は思っている。

 二昔ぐらい前なら、職業選択の余地も少なく、貧困からの脱却という大目標があった。だから、多くの人たち、特にサラリーマンが頑張ってこれた。また、頑張った分だけ報われた時代でもあった。

 ひるがえって、現在では(就けるかどうかはおいといて、)職業選択の幅は大きい。親の世代が裕福になったため、貧困とは無縁なのが今の若い世代だ。そんな世代に、昔の論理が通用するはずがない。カーナビが当たり前の時代に、「昔はそんなものがなかったのだから、地図を見ながら我慢しろ」 といっても通用しないのと同じだ。

 若い世代に “我慢が足りない” ように見えるのは、単に頑張ってやるだけの目的がないだけ、だと私は思っている。明確に目的を見い出した人なら、若い世代、古い世代にかかわらず、今も頑張って仕事や、仕事以外のものに一所懸命だと思うのだが。

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2007/10/03

つきたくないタイプの上司

 力士、時太山が、稽古中に死亡した事件。日本相撲協会が、急に動き出した。

 そのきっかけは、日本相撲協会 北の湖理事長が、文部科学大臣に呼び出されたことだった。一般企業に置き換えれば、上司がさらに上の上司に呼び出されて、ようやく行動を始めた形だ。

 私は、このタイプの管理職が、本当に嫌いだ。もっとも、このタイプの管理職の下で働きたいと言う人が、いるとも思えないが。

 自分の責任範囲において事故が起こっても、まともな行動をしない。ほとぼりが冷めるまで、なにもしないでやり過ごそうとする。そのくせ、上司に何か言われると、急にあわただしく行動を始める。しかも決着の付け方は、たいていが部下に問題の責任を押し付けて、尻尾切りだ。自分は責任を取らないか、実害のない範囲でのみ責任を取る。

 今回の北の湖理事長の行動は、私にはこのようにしか映らない。

 本来、このタイプの 人罪 は、管理職になってはいけないのだけれど、責任回避と世渡りに対しては、優れた能力を発揮するため、往々にして高い役職についていたりする。

 朝青龍問題も今にして思えば、朝青龍がこういった日本相撲協会や相撲界全体の情けない状況を知っていての行動だったのではないか、と思えてくる。

 師匠を親、弟子を子、としてみれば、「この親ありて、この子あり」 といったところか。

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2007/09/12

要注意人物

 最近、カミさんと子供が、NHKドラマ「どんど晴れ」 を見始めて、私も時々目にする。その中で、気になった人物設定及び状況があった。

 その人物は、舞台となっている老舗旅館の長男、伸一。旅館の跡取りとなるはずだったが、優秀な いとこの 柾樹 が旅館の跡取りになる。旅館の建て直しのための融資を銀行にお願いにいったときも、伸一は断られ、柾樹はよい感触を得る。柾樹は、伸一の親兄弟にもよろこばれ、伸一は親兄弟から笑われる始末。
 伸一は、プライドが高く、根拠のない自信を持っている。親兄弟に実力を認めてもらいたいという強い欲求もある。
 伸一の旅館を落としいれようとする人物が、そんな伸一に同情して共感する。疎外感を味わっていた伸一は、その怪しい人物をすっかり信用してしまう。

 私が理解した現在の状況はこんなところだ。

 ドラマの中で伸一が 「自分がやっていることは、すべてこの旅館の将来のためなんだ。」 と言っている。しかし 「旅館のため」 ではなく、「自分も出来る人間なんだ」 ということを証明したいため、だと私は理解している。つまり、「自分のため」 に周りの反対を押し切って、外部の怪しい人物を旅館に招き入れてしまった。

 これはビジネスにおいても、よく見る光景なのかなと思った。

 誰が見ても能力不足の人物が、何らかの理由で職責と権限持たされている。ちょっとでも知っていれば、失敗するとわかりそうなことを、根拠のない自信で実行しようとする。回りが心配して忠告しても一切聞こうとしない。回りがとめようとしても、権限を持っているために無理やり推し進めてしまう。

 よっぽどの幸運に恵まれない限り、こういう状況になると、本人もそのすぐ周りにいる人たちも不幸になる。本人がやろうとしたことは、もちろん失敗する。その周囲の人たちにも影響が出る。それによって組織が解散するかもしれない。最悪の場合、職を失ったり、破産したりする。

 こんな場合、周囲は要注意人物、伸一君を孤立させてはいけない。周囲の人たちが 「私達はあなたのことをちゃんと理解していますよ」 という態度で接しなければいけない。そうすれば、組織内伸一君も周囲の意見を聞くようになり、暴走の危険が下がる。もっとも、口で言うのは簡単だが、実践するのは難しいのだが。

 私がこの状況が気のなったのは、伸一の行動が昔の自分に似たところがあったからだ。自分が考え抜いたことは絶対に間違いないと妄信し、他人の批判を無視し、他人の質問に答えず、他人の不安を無知によるものと決め付ける。結局、自分の考えたデザインは、あまりユーザーに受け入れられない失敗となった。自分も周りもそれ以上に不幸にならなかったのは、幸いであった。

 そんなわけで、ドラマの中の伸一の行動を見ていると、あのときの自分の行動を見ているようで、結構つらい。
(;´Д⊂)

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2007/09/08

奈良の妊婦たらい回し事件に思う

 奈良県で流産の危険がある妊婦の受け入れを多くの病院が拒否した。結果、妊婦が流産してしまった事件があった。そのニュースを聞いて、私も当初は “病院の身勝手さ” に憤っていた。

 ところが、その後、詳細な情報が伝わってくると、どうやら病院が身勝手なだけで輪ないことがわかってきた。

奈良「産科たらい回し」報道 マスコミの異常「医療バッシング」
 J-CAST ニュース  [2007年9月3日]

 つまり、「担当医は、すでに抱えている患者で手一杯である。」「これ以上患者を受け入れると、今いる患者にも新しく来る患者にも手が回らなくなり、かえって危険である。」 ということらしい。

 私はすでに “燃え尽きた産婦人科医師” という記事で、産婦人科医師の過酷な現状を知っている。それゆえに、上記のニュースはおそらく正しいのだろうと思っている。

 国は “少子化担当大臣” のようなたいそうなもの作って、少子化対策に一生懸命らしいが、いまひとつ成果が見えてこない。

 私が考える対策。まず一つ目は、上記のニュースや記事を踏まえて、“産婦人科医” を保護することだ。最近、“モンスターペアレント” なる、教師に不条理な要求をする親たちが問題になっている。それに対応するために、問題を抱える教師が弁護士に相談できるようになると言う。同じように、患者から訴えられて業務に集中できない状況から、産婦人科医たちを救ってやる人材が必要だと思う。もちろん、その人材は、産婦人科医の業務内容も監視する。

 私が考える対策二つ目は、子供のいる親と世帯に対する補助である。これについては、以前に記事にした。“少子化” “私の考える少子化対策” である。

 それらで私が一貫して唱えているのが、「子供が成人して社会に貢献するようになってから、国が親に援助する」 というものだ。多くの子供を一人前に育てれば、より豊かな老後が保障されると言うものだ。

 ただ最近は、若い世代に経済的に苦しい人たちが増えてきたので、出産費用を援助するのも必要かなと思っている。

 いずれにしろ、救急患者を断った病院を、一方的に非難することしかしない多くのマスコミを見ると、今のマスコミのあり方の問題を痛切に感じる。マスコミが “マスゴミ” と言われるゆえんである。

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2007/07/20

個人力か、組織力か

 映画 “トランスフォーマー” について、こんな↓インタビュー記事が載っていた。

驚異の映像『トランスフォーマー』の日本人技術者が製作秘話を明かす!
  シネマトゥデイ [2007年07月18日]

 よりリアルに見せるために、「変形させるときに、部品を変形させるのではなく、部品を組み替えるようにした」 とか、重量感を出すために、「カメラワークでロボットの動きの速さを変える」 とかの話も面白かった。

 しかし、私が一番興味を引いたのは、

ILMには、日本のテレビ局や製作会社によくある“徹夜”はないそうだ。徹夜になりそうな作業は、どんどん人員を増やし、マンパワーで補うからだ。

の部分だ。

 “徹夜” とは、個人の力で物事を完遂するやり方だ。他方の “人員増強” は、組織の力で物事を完遂するやり方だ。

 これを読んでなぜか思い出したのが、太平洋戦争中の日米の魚雷開発の違いだ。太平洋戦争初期は、日本も米国も魚雷の命中精度の低さに頭を悩ませていたらしい。日本は「お前の根性がないからだ」 などと言って、個人の技術で命中率の低さを補おうとした。他方の米国は、後方部隊が研究をして、実際に命中しなくても船の下で爆発すれば十分に効果が得られることを発見した。そして導入したのが “磁気に反応して爆発する” 魚雷だという。その磁気反応魚雷で、米国軍は海戦で多大な戦果をあげられるようになったということだった。

 個人力に依存した場合、その個人の高い能力で、極めて高い成果が期待できる。その反面、その個人力が失われた場合の影響も大きい。リケンの工業が地震で操業停止になってしまった事故では、リケンという個人(個会社)力に頼ったがために起こった問題ともいえる。

 組織力を優先した場合、不確定要素に左右されにくい強みがある。その一方で、品質が組織の中の最も低い能力に引っ張られてしまうため、品質を上げることが難しくなる。また、ITのシステム開発でよく言われることだが、「すでに遅れているプロジェクトに増員するとますます遅れる」 というマーフィーの法則がある。

 徹夜や個人力頼みが必ずしも悪いとは思わない。ただ、うまくいかなかったときの責任も担当者個人に押し付けて、長時間労働を強いる。最悪の場合、自殺や過労死に至る今の日本の現状を考えると、

1週間に40~45時間以上は働かないようなシステムになっている

というのが、どうしても魅力的に感じてしまう。

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2007/07/18

遅れず、休まず、働かず

 「遅れず、休まず、働かず」 とは、役人・公務員の働きぶりを揶揄した言い方だそうだ。

  • 「遅れず」 = 役所への出勤に遅刻することはない
  • 「休まず」 = 役所を休むことはしない
  • 「働かず」 = 役所にいても仕事はしない

という意味らしい。仕事をしなくても、役所に遅刻せずに出勤していれば、給料が保証される。なんともうらやましい限りだ。そういえば、5年半で8日だけ出勤して、なおかつ退職にもならずに給与をもらい続けた人もいた。これなど 「休んで、働かず」 だ。大企業でも 「遅れず、休まず、働かず」 が通用するらしい。そういう大企業は、いわゆる “官僚化” したということなのだろう。(苦笑)

 こんな話を思い出したのも、こんな↓ニュースがあったからだ。

生活保護、不法に廃止 収入など調べず 北九州の孤独死
  [2007年7月14日]

 役所の担当者は、生活保護をなるべく支給しないようにすることが仕事だから、その意味では仕事をしたということか。(もちろん皮肉だ。)

 それにしても、役所間の連携の悪さは目に余る。

  • 北九州市側  「判決は知らなかった」
  • 厚生労働省側  「北九州市は当然認識していると思っていた」

もー、アホかと。言い訳に終始しているコメントも、腹が立つことこの上ない。ミートホープの牛肉偽装事件のときも、以前に寄せられた内部告発を地元の役所が握りつぶしていたとか。

 これまでは、役所・役人に問題が見つかっても、国民のため、少なくとも自分のための仕事はしてくれていると、国民に思われていたから、多少の不祥事は許されてきた感じがあった。しかし、年金問題で役人は、役人以外を食い物にしていることが、多くの国民の共通認識になりつつある。これで、“役所・役人は頼るものではなく、監視すべきものである” という認識が、日本に根付くことを切に願う。

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2007/07/13

燃え尽きた産婦人科医師

 少し前から産婦人科医師が大変な立場に置かれていることは、ニュースなどで聞いていた。しかし、この記事を読むと、一部ではかなり危機的な状況なのではないかと心配だ。

燃え尽きたら
  メディカル朝日コラム 医局の窓の向こう側
    [2007年7月3日]

  • 自分の体力の衰えやリスクの高まりは無視して「すべてうまくいって当たり前」を要求する
  • 「うまくいって当たり前、何かあったら医療ミス」の考え方がある
  • 「私は悪くない、悪いのはおまえだ!」他罰的に語ることで、被害者の殻に閉じこもる

 一部の患者達が、こう↑考えたくなるのも、だいたい想像がつく。少し前まで、病院は医療ミスを徹底的に隠蔽してきた。それが公然になってしまったため、治療が及ばないと医療ミスがあったのではないかと疑われてしまう。本当に手の打ちようがなかったとしても、「医者が医療ミスを隠しているのではないか?」 と疑ってしまう。それが高じて、「医療ミスさえなければ、かならず怪我や病気は治るはず」 と考えられるようになってしまったのではないかと、私は考えている。

 医師側がきちんと情報開示をするようになり、患者の側にそれらが信用されるようになるには、まだ多少の年月が必要とされるだろう。そうして “追い詰められる優秀な医者” が減っていって欲しいと願っている。

 ところでこの記事を読んで、ずいぶん前に放送された “アメリカでの保育所の危機” に関するレポートを思い出した。

 そのレポートでは、保育所に預けた子供が病気になったり、怪我をしたりすると、子供の親がすぐに保育所を裁判所に訴える、というものであった。訴えられた保育所は、裁判に時間と費用を取られ、裁判に負ければさらに費用負担が増える。子供を預かるときに “保育所を訴えません” という承諾書に親のサインをもらうのだが、事が起こると結局親は保育所を訴える、ということだった。

 結果、多くの保育所は増える負担に耐え切れずに閉鎖に追い込まれる。子供を保育所に預ける親にしても、子供を保育所に預けなければ働きにいけない。保育所が閉鎖されれば、親も困るはずなのだが、子供の治療費が払えないため、治療費を保育所に請求するしかないのが実情だ、とインタビューに答えていた。

インタビュアー 「この保育所がないと、あなたは困りますか?」
                親 「ええ、とても困ります。」
インタビュアー 「子供が保育所で怪我をしたら、保育所を訴えますか?」
                親 「ええ、訴えますよ。」
インタビュアー 「なぜ、訴えるんですか?」
                親 「子供の治療費が払えないからです。」
インタビュアー 「裁判費用で保育所が閉鎖することになるかもしれなくても、保育所を訴えますか?」
                親 「ええ、訴えますよ。お金がありませんから。」
インタビュアー 「この保育所がないと、あなたは困るんですよね?」
                親 「ええ、とても困りますよ。」

 という会話がひどく印象に残っていて、今でもここだけははっきりと覚えている。

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2007/05/25

報告のための報告

「報告のための報告」が飛び交う組織の実態
  企業にはびこる間違いだらけのIT経営:第28回
    ITmedia エンタープライズ [2007年5月23日]

 「あ~、規模が大きくなるとどこの企業も似たようなもんなんだな~」

 この記事を読んでの、私の最初の感想だ。

 前の会社で働いていた期間の後半は、ここに出てくるような組織ばかりに所属していた。米国本社からマネージャーが訪問に来る度に、毎回似たようなレポート、パソコン使用に関する日本の特殊性など、を書かされた。しかも、毎年のように日本の組織を監督する米国のマネージャーが変わるため、毎年同じようなレポートを書かされた。まさに、時間の無駄である。

 ある時など、そのときの日本人上司から 「10月に米国のマネージャーが来るから、9月からプレゼンテーションの準備をしないと間に合わない」 と聞かされて、本気で、

( °Д °) ハァ?

とあきれたものだ。一ヶ月間ずっと一人のマネージャーのためのプレゼンの準備だけしろと? そこまでして、実態以上に自分をよく見せたいのか~? と。

---------------

 そういえば、もう20年も前の話になるが、最初に入った会社の話。日本人なら誰でも知ってる超大企業の話だ。

 20年位前に、日系ビジネス誌で特集が組まれていた。当時、その大企業は、工場毎の採算性を取っており、いうなれば、工場長は一企業の社長のような立場だった。そして、予算の未達は重罪。予算を大幅に上回る利益も叱責の元だったという。記事曰く、「そんなに開きが出るというのは、いったいどういう予算の見積もり方をしていたんだ」 と。

 そんなシステムだったので、工場長や工場の幹部達はなんと、一年のうち “八ヶ月” も予算の見積もりに忙殺されていたそうだ。まさに本末転倒な状況になっていたわけである。

 さすがにそのおろかさに気がついたのか、あるいはそんな無駄をやっている余裕がなくなったのか、15年前には全社的に本社経営陣が中心になって予算を組むことになったらしいが。それにしても、壮大な “報告のための報告” だ。

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 私自身がそんなおろかなシステムがイヤでイヤでしょうがなかった。なので、少なくとも自分が率いるチームには、極力無駄なプロセスをチームのメンバーが踏まないようにしたつもりだ。そのひとつが、以前に記事にした “自分から報告を聞きに行く” ことだ。直接聞きに行くことで、作業状態を見ることができる。今作業しているパソコンでそのまま表示してくれれば、いちいち報告書を書いたり、印刷したり、コピーしたりする必要もなくなる。もっとも、数人の極小規模な組織だったからできた話ではあるけれど。

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2007/05/18

結果の出ない努力をどう評価するか

一生懸命やれば良い、というものでもない (大木 豊成)
  ITmedia オルタナティブ・ブログ
    [2007年5月17日]

 ほとんどの部分で私は上記の大木豊成氏の意見に賛成だ。

  • 「一生懸命やらなくて良いから、ちゃんとやってくれ。」

 基本だろう。私は今、この言葉をシマンテック社の開発部隊とサポート部隊に声を大にして言いたい。

  • ただ漫然と長時間働くのは、会社にとって良いことではありません。

 某日本有数の大企業の研究所に勤めていたときの話。研究員をサポートする技官の人たちは、毎日二時間の残業を “日課” にしていた。効率よく作業すれば定時で終わる仕事を、わざと手を抜いて残業時間で終わるように作業をしていたのである。彼ら曰く、「残業なしでは手取りが少なすぎる」、「そもそも残業を前提にした給与体系になっている」。
 当時はまだ私もケツの青い若造だったので、「低い作業効率で、長時間働いている人が、多くの給料をもらうのはおかしい!」 と、いつも怒っていたものだ。

  • 「僕は夜型ですから」と言っていつまでも会社に残る人間がいますが、周りと生活時間帯が合わないだけなので、むしろ迷惑だったりするわけです。

 前の会社で、毎週土日に休日出勤をしている同僚がいた。しかも、毎週月曜日に、場合によっては火曜日も「体調が悪い」といって代休を取って休んでいた。結局は週休二日である。ならば、「きちんと土日に休んで、平日に出て来い」 と皆で不満を漏らしていた。
 土日に作業をすれば、周りから作業を中断させられないため、自分自身の作業効率は上がるだろう。しかし、週明けに打ち合わせができなくなり、チーム内のすりあわせが難しくなる。チーム全体としてみれば、著しく効率が悪くなってしまう。

  • もの凄く頑張っているように見える人でも、早めに着手しておけば良かっただけ、ということも少なくないのではないでしょうか。

 以前に書いた話だが、私は修士論文を締め切り前日までに提出をした。同じ研究室には、少し前までサークル活動やアルバイトに精を出し、締め切りが迫ってから何日も徹夜をして締切日当日も必死に論文を書いている同級生たちがいた。今から思うと、もしかしたら周りからは、締切日まで必死で論文を書いている学生のほうが、一生懸命やっていたように見えたのかもしれない。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 とはいえ私は、

「出された結果で評価をするのが一番大切である。しかし、結果を出すまでの努力に対しても何らかの評価を与えたほうがよい。」

と考えている。

 私は大学時代に、金属・材料学を専攻していた。この材料系の研究というのが、実はなかなか実用的な成果を出すことができない。研究をすれば、何らかのデータを出すことはできる。しかしたとえば、「十年間研究したので、これまでの二倍の強度を持つ材料を開発しました」 とはいかない分野なのである。一日で新しい発見ができるかもしれないし、百年研究してもなんら成果を挙げられないかもしれない。そんな分野で研究努力を一切評価しなければどうなるだろう? おそらくほとんどの人が材料研究などしなくなるだろう。誰も研究しなくなれば、もちろん新しい発見もなくなる。

 何が言いたいかと言えば、そういう分野もあるということをいいたかったわけである。そういう状況においては、“努力をどう評価するか?” は重要である。人はほとんどの場合、よい評価を受けなければモチベーションが続かないからだ。でも、前半で書いたような、“努力しているフリ” を評価したくはない。

 私自身は人を雇っているわけではないし、会社を興そうと思っているわけでもない。ただ、正当に労働者の努力を評価できる方法を見つけることができれば、会社の経営者や人事担当者に、高く評価してもらえるかもしれないとは思った。(笑)

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2007/05/17

二年で一区切り

忘れるまで2年 (今泉 大輔)
  ITmedia オルタナティブ・ブログ
    [2007年5月14日]

 これを読むと、

「あ~そういえば、私の場合は、二年周期で担当する製品が変わるか、職種が変わるかしてきたな~」

ということを思い出す。(おっと、最初の会社を退社したのもちょうど二年だったな。(^_^;) )

 短いときは一年半。長いときは二年半。平均するとだいたい二年で、私の仕事に何らかの変化が起きた。

 私が前の会社に入ったときは、パソコン業界がまさに激動の時代だった。そして、ソフトウェアのバージョン・アップはほぼ一年周期だった。

 二年ということは、2バージョンその製品に携わることになる。2バージョンそのソフトウェアに専任で携わると、当時の規模のソフトウェアであれば、1バージョン目で担当したソフトウェア全体を把握して、2バージョン目でやりたいことをやってしまう、というパターンを作れた。その意味では、二年周期の変化は、自分のモチベーションを高く維持するにはちょうどよい周期であった。

 その後、会社に入って10年ぐらい経つと、パソコン業界も落ち着いてきた。ソフトウェアの規模も大きくなり、ソフトウェアのバージョン・アップの周期は二年~三年に延びていた。すると、二年という周期は、ひとつのソフトウェアの1バージョンにも足りなくなってくる。

 さらに、開発のほとんどは米国本社となり、日本での開発は周辺のごく一部のみとなった。また、効率化のために、一人が複数のソフトウェアを担当させられるようになった。当然、担当したソフトウェアすべての全体を把握することはできず、日本市場に向けた提案をまともに出すこともままならなくなってくる。そうして、私のモチベーションが急速に落ちていった。

 振り返ってみれば、二年毎に新しい分野のソフトウェア開発を渡り歩けたことは、極めて幸運であった。そして、それが10年も続いたことも、私にとってはまたとない幸運であった。しかし、幸運はいつまでも続かないということなのだろう。

 「石の上にも三年」 ということわざがある。しかし、私には 「同一環境に二年」 だった。どうも私には 「三年」 は長すぎるようだ。

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2007/04/07

二つのゲームの開発者インタビュー記事を読んでの小さな考察

 ここ一ヶ月ほど、時間があるときにゲームセンターに行って〝機動戦士ガンダム 戦場の絆〟というゲームで遊んでいる。目の前の巨大なモニターを、架空の人型大型兵器 “モビルスーツ” のコックピットに見立てた、多人数対戦型のゲームだ。第一ガンダム世代の私としても、一度体験してみたかったものだったこともあり、数年ぶりにゲームセンターに通っている。

 はじめは、これまでに例のないゲームシステムに興奮するばかりだったが、ゲームになれて冷静になってくると、ご他聞にもれずにだんだんとゲームの粗さを感じるようになってきた。そんなときに読んだのが下の開発者インタビュー だ。

【機動戦士ガンダム 戦場の絆】インタビュー(前編)
ドーム型アミューズメント筐体「P.O.D.」
CNET Japan [2007年3月26日]

【機動戦士ガンダム 戦場の絆】開発者インタビュー(後編)
ドーム型アミューズメント筐体「P.O.D.」
CNET Japan [2007年3月30日]

 特に気になったのは “後編” である。

高橋氏: そういう部分も問題としては認識していますので、開発者から見ても辛いなというところはありますが、それを超えた良さというのも、当然あると思っています。それは店舗の絆を深めていただくことで、解決できるのではないかなと思います。
---------------
戦場の絆を遊ばれたことが無い方には、”モビルスーツを動かしたい”と思っている人もいると思うんです。これが500円でできるんですよ、最初はカード代を合わせて800円ですが。

 「プレーヤーの努力で解決できる」、「1プレイがたったの500円。」  こういった発言があっさりと出てしまうところに、この開発チームの甘さというか未熟さが感じられた。「やればできるが、実現するには手間も時間もかかってしまう。だからそれはユーザーの努力で何とかしてもらおう。」 とか 「自分たちがここまでがんばって作ったんだから、この金額は安いよね」 という考えは、責任放棄や自画自賛であり、ユーザーが満足しているか?という視点が欠けている。なぜそんなことに私がこだわってしまうかといえば、昔の私がまさにそうだったからだ。なにかこう、思い出したくない自分の過去を見せられているようで、とっても居心地が悪いのだ。

 そして “戦場の絆” は正式稼動から半年で、急速に稼働率が落ちているといわれている。以前ならば1時間待ち、2時間待ちがあったのに、今ではプレイする人がいない時間帯がある。数度のバージョンアップでてこ入れもしているが、盛り返すまでにはいたっていないように見える。このへんの製品寿命の短さは、作りこみの甘さやユーザーへの甘えに起因していると思っている。

 もう一つ紹介したいインタビュー記事がこれである。

人は痛い思いが身に染みなくては、本質に近づけない
「ゼルダ」シリーズの青沼英二氏講演リポート
ITmedia +D Games  [2007年3月9日]

任天堂の宮本茂氏による基調講演“A Creative Vision”
創造の源は「ユーザーの顔」と「執念」と「奥様」?

Game Developers Conference 2007現地レポート
GAME Watch [2007年3月9日]

 こちらの記事を読むと、宮元茂氏の厳しさがはっきりと伝わってくる。そしてその宮元氏の厳しさ(と任天堂の体質)が、今の DS と Wii の好調さを生み出したと信じている。

「ゼルダに取り入れたWiiの操作は、開発者の目から見たWiiの利点を無理やり取り入れたものに過ぎず、直感的で分かりやすい、自然にそうしたくなるというような、遊び手の反応を考えたものになっていない」。

 青沼氏は、“慣れが必要”という感覚から、操作をユーザーにお仕着せようとしている、そのことに気が付いたのだ。これではユーザーに歓迎されるゼルダにはなっていない。青沼氏は、他のローンチタイトルに完全に取り残されどん底に突き落とされたた感覚を味わい、そこから宮本氏とともにWii版の操作を見直すことになった。

 「直感的なリモコンだからなんとなく遊んでくれるだろう」 とか 「画期的な操作方法だからこれでいいよね」 といった甘えはそこにはない。そういった厳しさから名作 “ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス” は生まれたのだ。

 “戦場の絆” と “ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス”。ゲームセンターとコンシューマの違いは確かにある。一方で、これまでとは一味違ったユーザインタフェースをもつという共通点がある。戦場の絆の開発チームに、ゼルダの伝説の開発チームの厳しさがあれば、“戦場の絆” 今よりももっともっと多くの人をひきつけたゲームになったのではないかという残念な思いが、私の頭の中からずっとはなれないでいる。

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2007/04/06

説明責任と、以心伝心と

「何もかも教えないと動けない君たちとは仕事は出来ない。」

伝えた情報と、得られた結果のギャップ

ITmedia オルタナティブ・ブログ
THE SHOW MUST GO ON
岩永慎一 [2007年4月2日]

 こんな言葉を平気で言える担当者のいる会社と仕事をしなければいけない下請けやコンサルタントの人たちは、ホント、大変だと思った。私の経験では、似たようなことを平気で言う上司もいたから、何も社外の付き合いに限った話ではないのだが。(苦笑)

 私が日本で仕事をしていてよく感じたことは、「なんでこんなことまでいちいち言わないといけないの?」 と思って仕事の指示をしている人が、大半を占めることだ。1年半しかいなかったものの、アメリカで仕事をしていたときはむしろ、「そこまで細かく説明しなくても、わかっているって。」 と、私が思うほど細かく指示された。

 「ハリウッド映画が世界中で通用してきたのは、どんな文化や社会でも理解できる内容で、かつ理解できるように説明しながら作られているからだ。」 という解説を以前聞いたことがある。まぁ、その結果、わかりやすすぎるくらいのドンパチやら、どこから見ても悪役みたいなのがこれでもかとでまくる作品ばかりになって、最近では飽きられつつあるのだが。

 つまりアメリカ合衆国では、多様な人種、多様な文化、多様な言語を多く抱えるため、国内市場で成功するためには、それらの多様さの最大公約数的な作品を作らざるを得ない。しかし、結果としてそれが、世界市場にも通用する作品になっていったわけである。

 一方、日本映画は少し前まで、日本でしか通用しない常識やら習慣を前提にした作品しか作ってこなかったため、日本以外の人たちにはまったく理解できないモノとなってしまっていた。

 その、国内でしか通用しない感覚的なものが、ビジネスの世界ではいまだにはびこっているように思う。会社間の契約から、末端の上司から部下への命令まで。

 私の持論は、“同じことを三回説明する” だ。仮に私が100%自分の考えていることを正確に説明(実際には100%などということはありえないが)したとしても、聞いた相手がそれを80%理解するまでには、三回かかると考えている。また、相手が私の意図とは異なる行動をとったとしても、それは自分の説明が不十分であったと考えるようにしている。

 理解できなかった相手を非難する事は、簡単だ。しかし、相手に責任を転嫁して、自分を正当化しても、自分がして欲しいことができなければ、損をするのは自分だ。ちゃんと説明してもらっていなかったと思っている相手を責めても、相手との関係を悪くするだけで、自分にとってそれほど益があるとも思えない。

 最初に戻って、「何もかも教えないと動けない君たちとは仕事は出来ない。」 と言い切った担当者は、はたして仕事をうまく発注できるのだろうか? などと、ついつい考えてしまう。

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2007/03/17

シュガー社員 ~溶けゆく日本人~

 “シュガー社員” - 別に “ウェディング・ベル” を歌う社員のことではない。(って、このネタがわかる人は少ないだろうなと思いつつも書いてしまうオヤジな私である。)

 「シュガー社員」-。札幌市の社会保険労務士事務所所長、田北百樹子(ゆきこ)さんは、過保護に育てられ自立心に乏しい社員をそう呼ぶ。「甘い=砂糖」の意味を込めたネーミングだ。

【溶けゆく日本人】シュガー社員 ツケを払うのは会社
Sankei WEB (2007/3/14)
リンク切れにつき、社会保険労務士事務所所長 田北百樹子氏のページを新たにリンク

【溶けゆく日本人】シュガー社員 ツケを払うのは会社
ふたたびリンク切れ

シュガー社員が会社を溶かす
田北百樹子(社会保険労務士)

(2008年5月14日追加)

 私が以前に記事にした “ほめられないと働かない若者たち” が、今はどうやらさらに進化(?)していたようだ。

「繁忙期に残業すると、『なぜ残業させるのか』と親から電話がくる。中小企業では、親が会社に文句をつけてくるのも驚くべきことではないのかもしれません」

 私が最初に就職した巨大企業の入社式に母親と一緒に来ている新入社員を見かけた。1989年のことだ。ちなみに、その入社式は、大学卒以上の新入社員のみの入社式だった。

ある機械販売会社に勤める20代の女性社員は、あまりに仕事の進みが遅く、ミスも多かったため、上司から時間の使い方を注意された。

「親にさえ叱(しか)られたことがない」

女性社員は急に怒り出し、翌日から出社しなくなった。

 1979年に放送された “機動戦士ガンダム” で、主人公のアムロが乗っている戦艦の艦長に殴られて、

 「オヤジにもぶたれたことないのにーーーーー」

と言う場面があった。その当時は、甘ったれ小僧のうまい表現であった。しかし今リアルタイムに放送されたら、「何が変なの?」 と思う視聴者が多くいるということか。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 上の記事は、企業に同情的な書き方になっている。しかしそういう状況を作り上げたのは、高度経済成長以後の企業と官僚なのではないかと、私は言いたい。

 働き盛りの男を会社の労働力として縛りつけたい企業。そのために、妻を専業主婦として家庭にいさせるための制度を作った官僚。結果として、子供から父親を取り上げて、多くの擬似的な母子家庭を生み出してきた。子育てが趣味の領域になってしまうようなサラリーマン家庭を、企業のために大量に作り出す社会制度。家庭に残された妻は、子育てに唯一の生きがいを見いだす。そして、子供をがんじがらめに縛り付けるか、子供の思い通りに甘やかすかの二者択一になってしまう。過去何十年かを振り返ってみて、私はそう思っている。

 社会問題が話題になると、政治屋や高級官僚、大企業経営者たちは、それらを個人の問題にしようとする。「ニートは若者の怠け癖」、「少子化は女性がわがままになったから」などなど。
 しかし私は、社会問題はすべて社会システムに起因する問題だと考えている。個人個人は現在の社会システムの中で、自分が一番得をする、もしくは損をしない行動をしているに過ぎない。
 とはいえ、政治屋を選んでいるのは市民。既存の行政システムを肯定しているのも市民。極論からいってしまえば、現在のシステムを支持しているのも市民、ということになってしまう。民主主義においては、システムが変わるためには多大の時間と労力が必要。それが最悪の社会システムを独裁者に導入させないための民主主義のよい点である。その一方で民主主義には、

「虚偽の情報に踊らされた一般投資家がいまだに損失を抱え、刑事責任を追及された張本人には一生遊んで暮らせる金が残っている。これが日本の現状です」
 「時代の寵児」の行方 3・16堀江被告判決(4)勝者と敗者
  ITmedia News (2007年3月9日)

といったシステムが、早急に改善できないという問題もある。

 とりあえず、問題は認識され、変化に向けて動き出そうとしている。私は、私が正しいと思う変化をただ支持し続けるだけである。

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2007/03/07

コミュニケーションネック社員

ITmedia エンタープライズ
失敗プロジェクトが常態化する開発現場(後編):

“コミュニケーションネック社員”の存在をチェックする
[2007年02月15日]

 こういう記事を読むと、なぜか心当たりのある人物がひとりは思い浮かぶ。その人物は、前の会社で十年ほど前に一緒に働いた同僚だ。私と同じテスターだった。

 記事にある行動様式に照らし合わせて、彼の行動を思い出してみた。

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・ 問題点に気づいていながら自分からは指摘しない

 テスターとしては最悪である。彼とペアを組んでいたプログラマーが、自分の担当した機能がうまく動いていないことに気がついて、彼にテストの具合を聞きにいったところ、

     彼          「でしょ。うまく動いてないですよね。えっ?報告? まだしてませんよ。」
プログラマー 「・・・・・・・」

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・ 議論をしようとすると高圧的な態度で身構える
・ 都合の悪い話にはあからさまに不機嫌になる

 ぴったりこの項目に当てはまる内容ではないが、上司から別のチームに移動することを指示されたときに、彼は、「女子供に命令されたくない」 とはっきりいったという話を人づてに聞いた。新しいチームのマネージャーが彼より年下だったらしい。

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 その彼は、その後いくつかの部署を転々として、結局は退職せざるを得なくなったという話を、風のうわさで聞いた。

 とこのような話を書きながら、自分はそういう状況には陥るまいと、思うのであった。

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2007/02/15

成長している実感の大切さ

辞めた人を想うより、いま辞めようとしている人へ
(ITmedia News, 2007年2月1日)

 この記事の主題は 「成長している実感があるか」 だ。私も会社勤めをしているときには、よく悩んだ問題である。

 日々の業務、それも定型業務に追われていると、慣れや惰性で仕事をしてしまい、“成長している” 実感がなくなってくる。「成長したい」 という気持ちすら失うときもある。それではいけないと思い、仕事の合間を見つけては、学会の発表を聞きにいったりして、新しい知識や分野を見つけにいったりもした。一日中が学び=成長の時間であった大学生時代からずいぶんと経つと、学会での発表がみょうに新鮮だったりする。

 努力はするものの、歳を重ねて若手の面倒を見る時間も必要になってくると、いっそう最先端の技術、知識、情報に追いつけなくなっていく。感覚としては、ずっと放電している感じである。まだ学生だったころや若手だったころに、いっぱいいっぱい充電したことを、中堅と呼ばれるようになってから、放電のしっぱなしであった。

 充電している感じと言うのが、ここで言う “成長している実感” なのではないかと思う。そして、充電した分=成長した分 を使って、新たな分野への仕事に向かう気持ちになるのだと思う。新たな分野に進出できれば、新たな発見があり、新たな感動があり、それがさらなる充電=成長となる、という良い循環ができるのではないか。

 私は会社という組織を離れて、ここしばらくは家庭という場で仕事をしている。そして、やってみるまでは気がつかなかったのだが、家庭での仕事=家事には、自分を成長を実感できることがいっぱいあったのである。まぁ、それまでの人生が、身の回りの家事をほとんど親任せ、妻任せで来たことの証明でもあるわけだが。(^^;)

 買い物で物の相場が身について、家計費が減って行くこと。買ってきた魚を三枚におろすことが上手にできるようになったこと。それまで買って食べていたポテトチップスが、自分で簡単に作れることがわかったこと。

 すべてが自分の成長を実感させてくれた。だから、家事は私にとってはつらいものではなく、楽しいものとなっている。少なくとも今のところは。

 今後、子供が成長して親の手を離れたときには、あらためて今まで自分がやっととのない仕事を始めようかと思っている。そしてそのときは、新たな成長が実感できることを楽しみにしている。

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2007/02/05

漫画家は蕎麦屋より偉いのか

 産経新聞 Web 上で “知的財産” の特集をしている。著作権の期間を50年から70年へ延ばそうという話もあり、私も興味深く見ている。

 “知的財産” の特集は、ITMedida サイト上でも行われている。今日のタイトルを見て、私が何のことを話そうとしているのか気がついた方も多いと思う。ITMedia で紹介されたシンポジウムにおける 松本零士氏 の発言についてである。

 司会の 中村伊知哉氏 の

「自分の死後、家族の生活を守りたいと思うのは、作家もそば屋やうどん屋の主人も同じ。作家の遺族は著作権法で保護されるが、そば屋・うどん屋の遺族を守ってくれる『そば屋法』や『うどん屋法』はない」

という発言に対して、松本零士氏 が、

「そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが、そばやうどんは私にも作れる」

と言い返した部分が、私にはどうしても無視することができなかった。このシンポジウムの記事にトラックバックをしているブログを見ても、この点を批判しているブログが多かった。

 この発言部分がこのシンポジウムの本筋ではないし、著作権の保護期間の延長議論の本質でもない。そのことは私もよくわかっているつもりである。

 しかし、あからさまに “作家” が作家以外の職業より優れている、という趣旨の発言をされては、発言をした人が推進している案(この場合は70年に延長)を、私は支持できない。70年への延長が単に 「作家の俺は、他の職業の者より優れているのだから、もっと経済的な恩恵を受けるべきである」 としか聞こえないからである。

 どうも、有名人は自分を特別視する傾向にあるのが、私には気になる。以前、島田紳助氏と松本人志氏がやっていた深夜番組のことである。両者が 「うちら有名人は、免許更新の時の講習は、個別に個室でやるべきだ」 という趣旨の会話をしていた。この会話だけというわけではなく、だんだんとこの二人の思い上がった会話が耳につくようになっいった。そして、二人のうち一方でも出ている番組は見なくなっていった。

 話の内容が “著作権” の話からずいぶんそれてしまった。しかし、まず、気になったのが、著作権の期間を20年延ばそうとしている人たちが、先の思い上がっているように聞こえる発言をする人や、著作権で不条理に稼いでいる団体の人たちかと思うと、私は単純に “延長反対” と叫ぶしかないと思っている。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □

追記: 松本零士氏のこの発言に、何でここまで過敏に反応してしまったのか、自分なりに考えてみた。

 思い当たるのは、私がテスターだったことである。私がテスターだったころに、一部のプログラマー出身のマネージャからよく 「テスターなんて誰でもできる。」 といわれたものである。

 そりゃ~、開発中の製品をつかって何らかの作業をしていれば、小さいバグの一つや二つを見つけることもあるだろう。それをもってして 「テスターなんて誰でもできる。」 というのであれば、「そばやうどんは私にも作れる。」 という発言と同じである。

 漫画家が趣味で作った蕎麦が果たして商売になるのか?  同じように、たまたまバグを見つけるのではなく、計画的にかつ効率的にバグを見つける、もしくはバグがないことを見極めることが、本当に 「だれでもできる」 のか?

 “自分が他人よりも優れた仕事をしている” と思いたいがために、他の職業を自分のやっている仕事より劣っているように思わせようとしているとしか、私には思えない。

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2007/02/02

客より仕事を優先する店員

 仕事(主夫(^^;))柄、スーパーに買い物に行く機会が多い。また、買う用事はないが、電気屋にぶらっと立ち寄ることもよくある。そんなときに気になるのが、荷物を運んでいたり、どっかに急いでいるときの店員の態度である。

 狭い通路で正面から来る店員と鉢合わせになったときに、店員のほうが当然の顔をして突進をしてくる。私はぶつかって怪我でもしたらつまらないと思い、かならずよけるようにしている。

 こんな場面に出くわすと、いつも私が思うのは、

「あ~、この店も、お客よりも仕事の効率を優先させるお店なんだな~」

ということである。

 こっちのブログ (“人の行く手を妨げない心配り・・・”) を読んで思い出した話である。私も、お店で同じ思いをしているな、と思い出してこの記事を書いている。

 おそらく店員は、店長や管理職から 「早く仕事をしろ!」 とか 「もたもたしてるんじゃね~!」 とだけ、いわれてるんだろうな~、と私は思っている。

 これが、ほんとうにお客を大切にしている店であれば、

「仕事は迅速に行え。しかし、あくまでもお客さんの行動を優先させろ。」

と指導すると思う。そういう店では、店員はお客を先に通してから自分が通る。現にそういう店も何件かある。

“物を売るのが商売で、客に品物を適正な値段で売ればいい”

と考えるのか、

“物を買ってもらうのが商売であるが、お客に気持ちよく買い物をしてもらうことも大切である”

と考えるのか、の差じゃないかと私は考える。

 “ディズニーリゾート” は、明らかに後者である。物を売ったり、乗り物に乗せたり、パレードをみせたりして商売をしている。しかし一番大切なことは、その場所にいること自体を楽しんでもらうために最大限の努力をしていることである。だからこそ、あれだけの数の人が、安くないお金を払ってでも “行こう” と思っているのだ、と私は思う。ディズニーリゾート以外のテーマパークが、軒並み苦戦しているというニュースを聞くたびに、そのあたりの違いを考える。(とはいえ、ディズニーには、別のいろいろな問題もあるのだが、それはまた別の機会にするつもり。)

 ソフトウェア テスティングの仕事をしているときも、“テストをすることだけが自分の仕事” と考えるのか、“ユーザーに有効なソリューション(問題解決法)を提供するための自分の担当がテスト” と考えるかで、仕事の品質がぜんぜん違ってくる。もちろん、後者のほうが断然高い品質の仕事ができる。しかしながら、私が見てきた多くのテスターは、前者の考えから抜け出すことはなかった・・・。

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2007/01/30

ITプロジェクトの実態

Project_comedy_l  この絵は、ずいぶんと有名みたいだから、見たことがある人も多いと思う。私が始めてこの絵を見たのは、もう十年ぐらい前だと思う。十年前に初めてこの絵を見たときは、感動すら覚えた。これほどまで実態を、的確にかつわかりやすく表現できるものかと。

 リンク先のブログを読むと、この絵はもう30年以上前に描かれたものとか。つまり、30年以上 IT 業界は、扱っているものは変わっても、やっていることは変わってないということか。もしかしたら、この絵は、IT に限らず、製造業全体に当てはまるのかもしれない。そうすると、人類の歴史で繰り返し行われてきた経済活動を表現できているのかもしれない。(ちょっと大げさ)

 つまり、

  • 注文する人は、必要最低限では物足りなくてちょっと無駄に要求する。
  • 注文を受けた人は、受けた注文を正しく理解せずに自分の思い込みでデザインする。
  • 実際に物を作る人は渡されたデザインを自分に都合のいいように勝手に変更して組み上げていく。
  • 出来上がった物は注文した人の注文からは大きく見劣りがしていても、
  • 請求される金額は何でもできる万能マシンぐらいになる。
  • 納品したあとは、壊れても修理も受けられない。

 しょせんこの世はだましあい。モラルや良心を持たずに、やりたいことをやったものが勝ちということか。なんだかな~・・・。

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2006/11/03

テスティング -あるミーティングでの愚行-

 前々日の話の余談とも言える実話である。

 複数のチーム&プロジェクトを統括するトップ・マネージャーが全体会議を招集した。目的は、全チームの風通しをよくすることであった。(当時、ほとんどのチームに停滞感や閉塞感が漂っていた。)

 全体会議のイベントの一つに、いくつかのグループに別れて下級マネージャーが指揮を取り、停滞感や閉塞感を感じさせる問題点をまとめて発表する、というものがあった。
あるチームが

「ここのチームはチーム内の仕事だけを行い、チーム外とのコミュニケーションや共同作業をほとんど行わない。それは、チーム外の仕事をしても評価されないためである。」

と発表した。
すると、問題を指摘される側の上級マネージャーの一人がすかさず、

「そんなことはない。ちゃんと評価しているはずだ」

と強い調子で反論をした。トップ・マネージャーも他の上級マネージャーも、その反論した上級マネージャーを止めようとしなかった。
すると発表を行っている下級マネージャーは手のひらを返したように、

「そうですよね。ちゃんと評価していますよね」

と言い出した。

 (  ゜д゜)ポカーン である。
ここは声高に反論するべきタイミングではない。仮にほんとうに評価しているのに、「評価されていない」 といわれて心外してもである。下級マネージャーは個人の意見を言ったのではない。少数であっても複数の人間がグループ内で話し合ってそう思っている、そう感じている、とまとめた内容である。事実と異なっていたとしても、『“評価されていない” と思われている』 こと自体が問題なのである。

 “何が問題の本質なのか?” ということも考えずに、細かいことでいちいち反論するような人間が上級マネージャーとして組織を指揮している。その事実が私の心をいっそうその組織から離れさせていった。

 私から見れば、“組織の風通しを良くする” という当初の目的は、その反論の一言で完全にどこかに吹き飛んでしまった。
上級マネージャーが自分の仕事を非難されてすぐに強い調子で反論する。反論されると下級マネージャーはすぐに自分の意見を撤回する。会議という公式の場でそんなやりとりを見た新人達や中堅どころ社員はどう思ったであろう。私が想像するに

「あ~、やはりマネージャーを批判してはいけないんだな」

と感じたのではなかろうか。それでは、組織の風通しはますます悪くなり、停滞感や閉塞感はいっそう強まるばかりである。

 あるいは、“風通しを良くする” というのはカモフラージュで、ほんとうは “マネージャーへの絶対服従を強化する” のが目的であったのか? だとすれば、この全体会議は大成功だったわけである。

 私が会社を離れるのに、その全体会議からそれほど時間を必要としなかった。

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2006/11/01

テスティング -「自分の意思を押し付けていませんか?」 マネージャー、リーダーへの提言-

 提言シリーズ、最終回は 「無意識な意見の押し付け」 についての話である。

 会社勤めの人間の多くが、もっとも気にするのが人事評価である。人事評価は給与や社内の権限にかかわってくるためである。それ自体はごく自然な話である。そして多くの場合、人事評価は直属の上司が行う。よって、多くの会社勤めの人間にとって、直属の上司が “何を考えているか”、“何を期待しているか” がとても重要となってくる。直属の上司に気に入られなければ、自分の人事評価が上がらないと考えているからである。

 話を変えて、自分の経験の話である。

 あるチームに所属したとき、(直属の上司ではない)チームのトップマネージャー(仮に “T マネージャー” とする)は自分が意見されるのが嫌いであった。意見が適当であるかないかは問題ではなかった。意見されることが嫌いであった。ある仕様を決める会議でも、T マネージャーの意見が、ユーザビリティー・テストとあまりにかけ離れた意見であったため、私が反論したところ、無視された。
結局、そのチームにいる間は、私は高い評価をもらうことはできなかった。私自身は人に劣らぬ貢献をした自信があったし、直属の上司もそれなりに評価してくれていたので、とても納得のいかない時期であった。

 2~3年後、別なチームに移動して、新しいマネージャー (仮に “N マネージャー” とする) の部下となった。N マネージャーとは歳も近く、何より同じ日に入社したことで仕事を離れても仲の良い間柄であった。そんな間柄であったこともあり、私からの率直苦言も真摯に受け止めてくれた。
ある日、N マネージャーの言動に、私以外の部下が不自然に従順なことに気がついた。例えば、N マネージャーが 「XXX は、OOOしてみたらどうなの?」 と仕事のやり方の一例を提案しただけの発言に対して、部下 S は 「はい、そうですね。そうします。」 と何の疑問も出さずに素直に従っていた。 T マネージャーのことを経験していた私には、それは N マネージャーの評価を気にするあまりの過剰な反応のように思えた。私自身は、N マネージャーに反論しても、それが妥当であれば、N マネージャーはけっして不当な評価をしないことを知っていたからである。
そこで私は、N マネージャーと個人的な打ち合わせをしたときに、「マネージャーは人事評価をにぎっているので、発言は慎重になったほうが良い」 と提言した。N マネージャー本人は、自分がマネージャーであることも、人事評価をにぎっていることも意識せず、チーム・メンバーの一人として部下と対等に意見を言っていたらしい。しかし残念ながら、受け止める側の部下はそうは受け取らなかったのである。N マネージャーは自分の意見が、“意見の妥当性以外の圧力” で相手に受け取られていたとは考えもしなかった、と反省をしていた。その後、N マネージャーの言動は明らかに良い方向に変わっていった。

 マネージャーの言動には、その言動の持つ力以上に部下には圧力となる可能性があることを、マネージャーや評価をするリーダーはあらためて認識するべきである。

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2006/10/30

テスティング -「話を聞きに言ってますか?」 マネージャー、リーダーへの提言-

 提言シリーズの3回目である。

 私が上司として嫌いなタイプの一つに、“聞きたいことがあると、こちらの都合も考えずに呼びつける” タイプがある。そういう上司に限って、仕事に追われているわけではなく、部下のサポートのための根回しをするでもなく、いつも自分の端末であちこちのホームページや掲示板をずっと見てたり、ソリティアをして遊んでいたりする。そして、さらにその上の上司から報告を求められると、あわてて部下を呼びつけて報告させる。
普段遊んでいるという部分はおいておくとして、私が出会った上司の9割は “呼びつける” タイプの上司であった。

 そういう反面教師に多くあったせいかどうかは知らないが、私がリーダーをしたときは、特別な理由がない限り、聞きたいことがあるときは自分のほうから部下のほうに出向いていって話を聞きにいった。
以前に書いたこともあるように、1テスターの頃からいろんな人のところに話を聞きに逝くことが好きであったし、それによって得られたことも多かった。ので、部下のところに話を聞きにいくことはまったく苦にならなかった。

 なぜ、自分から聞きに行くことにしたかにはいくつか理由がある。

1. 部下の時間を無駄に使わせない
部下は当然自分の担当の仕事をしてもらっており、その仕事を効率してもらうことで、結果として開発費を低く抑えることができる。
通常上司のほうが時給が高いので、部下に雑用をさせるほうがコストが安い、という考えもあるが、私はチームの雑用(=マネージメント)をして歩くのがマネージャー&リーダーの仕事だと考えている。

2. 話を聞きにいったほうが効率が良い
呼びつけて話を聞いているときに、情報が足りなくていったん情報を取りに戻ったり、上司との所にもっていくための資料を印刷したり、と報告をもってこさせるのは意外と効率が悪い。
それよりも、部下が働いている場所に行って、みたい情報がすぐに見られるところで話を聞くほうが効率的である。特に私の仕事はテスティングであり、ひとり数台の端末をもっており、情報を印刷せずとも端末で表示できるし、テスト中のソフトウェアの実際の動きを見ながら話を聞くことも容易である。

3. 情報を知りたい側が積極的に行動すべき
“情報が欲しい” のはこちら側である。変な言い方になるが、情報が欲しい側が弱い立場だと考えた。

4. 自分が出向くことでこちらの努力が示せる
こちらが出向くことで、相手にこちらが “努力をしている” ことを知らせることができる。努力していることを見せると、たいてい見せられた側も一生懸命にこちらの質問に答えようとしてくれる。

5. 部下の仕事ぶりを見ることができる
私が働いていた部署では、ひとりひとりがパーティションで仕切られており、仕事の様子を見通すことができなかった。実際にひとりひとりのパーティション内を覗き込むことで、部下の仕事の様子を知ることができた。

 また、ひとりひとりのステータスを確認するために、いつもチーム全体を集めてミーティングをしているマネージャー&リーダーもいた。私はこういう上司のやり方も非効率で嫌いであった。
チーム内のほかの人がなにをやっているのか、どういう状態なのかを知ることはけっして無駄なことだとは思わない。しかし、個々人の上司に対するステータス レポートは他の人にとっては退屈なだけであり、私から見るととても無駄な時間の使い方に思えた。

 私ももちろんチーム全体ミーティングを定期的に行った。ただし、それはチーム全体に共有してもらいたい情報をやりとりするためだけに行い、何でもかんでもチーム全体ミーティングに詰め込むことはしなかった。
個々人のステータスは私が個々人の元へ出向いて聞き取っていった。チーム全体ミーティングでは、個々人のステータスのうち、全体に関係すると思われることを私から報告して、捕捉を本人からさせるようにしていた。上部組織からの情報もそのミーティングで伝えた。

 このような方法を取ることで、チーム全員を集めるきわめてコストの高いミーティングを必要最小限の時間で済ませることができた。その基本になるのが、上司自らが部下の元に出向いて話を聞くことである、と私は今でも信じている。

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2006/10/29

言うウソ、言わないウソ

 携帯電話番号ポータビリティの開始にともない、ソフトバンクが “通話料・メール代0円” を大々的に掲げたサービスを発表した。さすが一代でここまでの地位を築き上げた孫氏である。発表のタイミングといい、キャッチフレーズのインパクトといい、凡人にそうそうできる技ではない。

 しかしながら、私はこの手の手法が “大嫌い” である。
確かに“通話料・メール代0円”はウソではないかもしれない。しかし、ケータイ Watch を読んでもわかるように、通常の使用を考えれば“通話料・メール代0円”になるはずがない。学術的に誤解を生じないようなキャッチフレーズであれば、“ソフトバンク携帯同士の昼間に限って通話料・メール代0円” となる。当然、こんなキャッチフレーズでは人目を引かない。

 私が会社に入ってまだまだ駆け出しだったころ、当時の上司にこう教わった。

「ウソを言ってはいけない。しかし、本当のことをすべて言ってもいけない。自分(自分達)にととって不利なことは、なるべく相手に知らせないようにする。」

会社に勤めていた頃は、この手法をよく使ってきた。ビジネスを自分に有利に進めるためにこの手法はきわめて有効であることも事実である。

 しかし、一個人、一消費者としてみた場合、意図的に知らせないことも “ウソ” である。タイトルに書いた “言わないウソ” である。 「言ってないのだからウソではない」 というのであれば、すくなくとも “誠実ではない”。だから私は大嫌いなのである。

 私の最寄り駅に “立ち食い寿司” なる店ができた。入り口にドデカク “にぎり一つ 75円” と書いてある。二つ頼むと150円となり、105円の回転寿司より高くつく。 「一種類一つずつ頼めば、一皿二つずつ乗っている105円寿司より、たくさん種類が食べられるな」 と思い、以前食事をしてきた。
入って驚いた。メニューにはっきりと 「注文は、一種類二つで二種類ずつお願いします」 と書かれていた。開いた口がふさがらなかった ( ゜д゜)ポカーン。 私からみれば、明らかに詐欺である。一つ75円ずつ注文できると思わせておいて、実は300円単位でしか注文を受け付けない。残念ながら、入ってから注文せずに店を出る図太さは私にはなかった。
例えば、“1リットル 120円” を出しているガソリンスタンドが、「うちは 100リットル 単位でしか給油してないんですよ」 と言い出したらどう思うだろうか? “サンマ 一匹 10円” とチラシに出したスーパーが、いってみたら100匹単位でしか売ってなかったらどう思うだろうか?

 それらは確かにウソは言っていないが、多くの人が考える常識から考えると、客寄せのためにやっていると思われても仕方がないであろう。そういうことを上記のソフトバンクや立ち食い寿司屋は実際にやっているのである。

 ソフトバンクの今回のサービスについては、いずれ何らかのゆり戻しがあると予想している。今後も同社の動向から目が離せない。

おまけ:

 そういえば、2chかどこかで一時話題になっていた話しがあった。
ニンテンドーDS Lite を転売しようとした人が、落札価格を抑えて手数料を少なくしようとしていた。その方法が、DS Lite の外側だけをオークションに出すというものであった。外側というの外箱ではなく、DS Lite のプラスチックの筐体のことである。もちろん、ほんとうに筐体だけを売るつもりはないらしく、+1万7千円ぐらいで中身をつけてお渡しする、とコメントに書いてオークションに出していた。
ところが、世の中にはいろんな人がいるものである。傷がつこうが、ばらばらになろうが、“筐体だけを希望” する猛者がいたのである。
出品者は、あわてて、脅したりなだめたりしたらしいが、落札者は頑として “筐体だけ希望” したらしい。
どういう決着がついたのか最後までは見届けなかったが、「自業自得だな」 と思った私はまだまだ人間ができていないと思った。

追記:

ソフトバンク、「0円」広告を修正へ

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2006/10/28

テスティング -「毎朝五分ミーティングの薦め」 マネージャー、リーダーへの提言-

 提言シリーズの二回目である。
前回、「目的を明確に伝えよ」、と提言した。伝えるためには、伝える機会が必要である。そのための一つの手段が “毎朝五分ミーティング” である。

 これも私の成功例からの話である。
私がテスト チームのリーダーをしていたとき、会社が試験的にインターンを使っていたので、私のチームでも早速ヘルパーとして二人ほど来てもらった。インターンであるの当然まだ学生である。テスターの経験がない、ほんとうの駆け出しである。そこで私は、ひとりひとりをチーム内の中堅テスターの下に配置して、具体的な作業命令はその中堅テスターにしてもらうことにした。
その一方で、私とは毎朝五分のミーティングを持ち、そこでステータスの確認や疑問への回答などを行った。インターンには仕事を終えるときに、当日やった仕事を五分~十分で箇条書きにまとめてメールしてもらうことにしていた。翌朝の五分ミーティングでその仕事の確認と当日の作業予定、さらに疑問への回答や指示が不明確な部分へのサポートを行った。一方で、私のほうからは具体的な作業命令は出さなかった。命令系統が二つになることを避けたわけである。
これによって、インターンは何をすればよいかわからないといった不安な状態がなくなり安心して仕事ができるようになる。私も、配属させた中堅テスターが的確に指示を出しているかのチェックができた。

 わずか五分、一週間でもたかだか十五分(週三日勤務だった)。たったそれだけの時間で、テスティングの流れをまだ理解していないインターンに効率的に仕事をしてもらうことができたのである。これは、大きな成功であったと自負している。
(もっとも当時の私の上司はこのことを評価してはくれなかったが・・・ orz)

 半年後、そのときのインターンのひとりがその会社に入社してきた。

 さらにその二年後、プロジェクト内小プロジェクトをその元インターンが担当したという話を、私はずいぶん後になってから聞かされた。
元インターンは、私がやったことをまねて小プロジェクトを成功させることができて、チーム内でも高く評価された、と大いに喜んでいた。その小プロジェクトは、社員が元インターン一人で、後はアルバイトの学生や若者で編成されたらしい。リーダーとなった元インターンは、毎朝短時間のミーティングで常に全体のステータスの確認を行い、もし予定通りにいっていない場合は、状況に応じたスケジュールの変更を臨機応変に行ったらしい。それにより、無駄な作業の重複や巻き戻しがなくなり、スケジュールを伸ばすことなく、かつ、期待されていた以上の品質の製品を作ることに成功したといっていた。

 自分から学んでいった人間がいて、さらにその学んだことで成功を収めた、そして仕事の成功で自信を得た、という話を聞いて、私もまた一つ自分に自信を得た。

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2006/10/26

テスティング -「目的を説明してますか?」 マネージャー、リーダーへの提言-

 今回から “提言” シリーズを四回ほど行う予定である。
提言シリーズは、私が平社員としてマネージャーやリーダーから受けた “良い指導”・“悪い指導” を私なりにまとめたものや、私がリーダーであったときに “うまくいった指導”・“まずかった指導” を回想したものである。
内容としては、けっして “テスティング” に限ったものではない。しかしながら、タイトルに “テスティング” とつけたのは、私の “テスティング” に対する思い入れからである。また、話の内容もそのほとんどが私がテスターであったときの話である。

 初回は “目的説明の重要性” の話である。

 私がテスト・リーダーのときに採用した採用した社員が、私の次のテスト・リーダーのときに辞めた。辞めた理由は “寿退社” だったりする。で、辞めたあとに再び合って話をする機会があった。そのときに、

元社員
「マストさんがリーダーのときは、それぞれの作業の目的をきちんと説明してくれたので、とても作業がしやすかった。新しいリーダーになって、作業内容そのものしか説明されなかったので、仕事がすごく苦痛だった。」

という内容の話を聞いて、私はとてもうれしかった。「あ~、私の考えてやってきたことが間違っていなかった」 と。このことは、私の自信の一つであり、自慢の一つでもある。
ただし、余談ではあるが、その元社員が配属されてしばらくは、経験不足・知識不足ということもあり、本人にとってはかなり厳しい指導を私はしていたようであった。上記の話を聞いたときの前か後に、「仕事を始めたところは、作業内容が当時の自分にはとても高度だったため、毎晩夢の中で 『バグが出ない、バグが出ない (;´Д⊂)』 とうなされていたそうである。 |ヽ(。_ 。) ハンセー

 “目的の説明” は特別な話ではなく、ごく当たり前のこととして語られる。しかしながら、それを実践できているマネージャー、リーダーは私の経験からは少ないように思える。目的をきちんと説明するためには、本人がその目的をきちんと理解していなければならない。説明を “しない”・“できない” 多くの場合は、本人がよく理解できていないためであると思われる。理解できていないため自分の言葉では説明できずに、「これをしろ」、「あれをしろ」、「いわれたとおりにやれ」 となってしまうようである。
マネージャー&リーダー の マネージャー (上級マネージャー)がいったことを、そのまま部下に伝えるだけならば、上級マネージャーが直接全員に指示すればいい話である。そうしないのはそこに意味があるからである。同じ目的であっても、部署(プログラミング、テスターなど)によって作業内容は異なるし、アプローチも違ってくる。それを一番理解していなければならないのは現場の マネージャー&リーダー であり、彼ら/彼女らが自分の言葉で、作業目的、アプローチ、作業方法などを説明することが重要となる。

 目的が明確であると、具体的な作業がイメージしやすい。すべてのテストケースを通さないといけないのか、限定的で良いのか。先にやっておくべき作業がないのか。指示された作業内容が適切か。などである。
駆け出しか、ベテランかで、指示する作業内容の量が異なってくる。駆け出しテスターであれば、経験値が少ないため、目的を十分に理解させた後に、具体的な作業項目を指示していく必要があるだろう。目的:作業項目=50:50 ぐらいになろうか。一方、ベテラン テスターであれば、目的さえ明確に伝えておけば、場合によっては作業項目はあえていう必要もないと思われる。目的がわかれば、自然と作業項目が頭の中で組みあがるからである。もしかしたら、マネージャーやリーダーが想定していた作業よりも、適切で効率的な作業手順・項目を、担当テスターは組み立てるかもしれない。それも、目的が正確に理解されていることが前提となる。

 こんなへんぴなブログまでチェックしている優秀なマネージャー&リーダーであれば、上のようなことはおそらく当たり前のこととしてやっているであろう。また、上のようなことをあらためてやったほうがいいと思われる平均以下のマネージャー&リーダーであれば、こんなブログなど読んでいないと思われる。
 ということで、この提言はどちらかというと、「一生懸命働いていてもなんか働きにくい」、「自分のやっていることがほんとうに間違っていないのか不安である」、「なんのために今の作業をやっているのかよくわかっていない」 といった不満を抱える現場担当テスターに向けたものとなる。
 自分が、ちゃんと目的を理解していない、あるいは説明をきちんと受けていない、と考えるのであれば、上司に当たるマネージャーやリーダーにきちんと説明を求めてはどうだろうか? 一度ではダメかもしれないから、二度三度。優秀なマネージャー&リーダーであれば、きっと応えてくれるはずである。もし応えてくれなかったら・・・、そんなときはしょうがない。山にでもこもって、優秀な上司の下に移動できることを祈るしかないであろう。部下は上司を(ほとんどの場合)選べないのだから。
 ただし、時には、部下が上司を教育できる、あるいはする必要のあるときもある。そうするためにはかなりのコミュニケーション・スキルが必要なのだが。残念ながら、私にはそのスキルはなかった・・・。

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