カテゴリー「仕事」の58件の記事

2009/11/12

スーパーで間違い探し

 今日もスーパーで値段設定の食い違いに気がついた。

 午前中の特売でもやしが23円と出ていたのに、レジでの精算では通常時の33円と表示されたのだ。もちろんすぐに指摘をして、修正してもらった。

 今回に限らず、私はけっこうこの手の設定ミスに気がつく。平均すると月に1,2回ぐらい気がつく。それも、特定のスーパーではなく、私がよく行く系列の異なる3つのスーパーで同じように見つける。

 私が値段の間違いによく気がつく理由は、いくつか考えられる。

 最近はほとんどバーコードを使ったレジ精算のため、精算時の入力ミスということはまずない。その代わり、バーコードに対応した商品と価格の設定を一括してしている行っているはずなのだ。私は人手による入力ミスをいつも疑っている。疑っているから、精算時も常にレジに表示される単品毎の価格をチェックしている。これがまず間違いを見つける1番大きな理由だ。

 私が間違いを見つける商品は、たいていタイムセールとか日替わり特価品でだ。私はその手の商品を積極的に買うというのが2番目の理由だ。こういった価格設定はあるタイミングで誰かが行うわけだが、非定型作業になるためどうしてもミスが発生しやすい。連絡が不十分だったり、人手不足の忙しさで設定を忘れたり、といった理由が考えられる。

 そして私は買う時に通常価格と十分に比較をして買うため、カゴに入れた商品の価格が頭に残りやすい。そしてその値段はレジが終わるぐらいまで十分に頭の中に残っているのだ。つまり価格が食い違っていることに十分な自信があるため、間違いを指摘しやすい。これが3つ目の理由だ。

 それにしても、私が価格の間違いに気がつくのは、朝一での買い物の時ではない。お昼過ぎや夕方に買い物に行った時に間違いを見つけるのだ。私が精算するまでにその商品を何十人も精算しているはずなのに、間違いが残ったままになっている。

 それだけ個々の価格を気にしないあるいは気がつかない人がほとんどだということだ。

 まぁたしかに違っていたとしても10円や100円といった範囲なので、目くじらを立てるほどではないのかもしれない。それに、高い値段がついている場合があるということは、安い値段がついている場合もあるわけだ。長い目で見れば、差し引き0となるのかもしれない。

 それでも私は気がついてしまうし、気がつけばやはり訂正せずにはいられない。

 もちろん、高く精算された場合だけでなく、安い価格に間違っていた時もちゃんと指摘してきた。その場にいたほかの客には恨まれてたのかしれないが、こればかりは私の性格なので仕方がない。

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2008/10/28

企業の民主主義化

 久しぶりに目から鱗が1枚落ちて、モヤモヤが一つ晴れた意見を聞いた。

強い会社は社員が偉い
新しい「日本型経営」の時代がやって来る
金融危機の時期にもどってきた「野々村人事部長」

 永禮弘之
  NBonline [2008年10月27日]

 この記事の2ページ目の最後の部分、

18世紀にフランス革命が起きた時に、君主制をとっていた他国の人たちは、「愚かな民衆」に政治を委ね、民衆の意思を最優先する民主主義など、うまくいくはずはないと考え、理解に苦しんだことでしょう。

 これを読んで、私は 「あ~、そうだったのか」 と長いこと晴れなかったモヤモヤを、一つすっきりさせることが出来た。

 「社員は会社の歯車」 とは、昔からよく言われている。しかし、私はそれがどうしても納得できなかった。

 「会社の運営に一般社員の意思が反映されなくてもよいのか」、「一般社員を設備や資産や経費扱いしている経営は間違っていないのか」、「それは単に私が一般社員の立場でしかないからそう思うだけなのか」、などなど、はっきりとした答えを出せないまま、ここ数年ずっとモヤモヤが続いていた。

 しかし、永禮氏が考察したように、歴史に学べば、管理される側が管理する側を選出する成功例が、実に身近にあったのだ。

 もちろん、永禮氏の例えが 「絶対に正しい」 と言うほどの自信が、私にあるわけではない。しかし、同じように人間が組織するモノの話だ。共通点が無いとは思わない。

 世界には、いまだ独裁国家や貴族国家が多く存在しているのと同じように、既存の形態の企業がすべて 『民主主義企業』 に取って代わられるとは思っていない。

 それでも、今後の経済活動の中で中心的な役割を担うのは、『民主主義企業』 になっていくんじゃないかという気が、漠然とではあるが、している。

 永禮氏のコラムでも書かれているように、構成員のモチベーションが高く、労働生産性が高いほど、より強い組織となれる。歴史から学べば、君主制国家よりも民主主義国家の方が、はるかに生産性が高く、強い国になっていった。

 同じように、君主制企業よりも民主主義企業の方が、より強い企業となっていくことが自然な流れのように思う。

 民主主義ですべての人が幸せになれるわけではないことも、知っている。しかし、君主制や独裁制よりもはるかに多くの人が幸せになれることは、歴史が証明している。

 今の日本で、最も多の労働者が従事している “会社” で働いている人たちが、一人でも多く幸せになれるのであれば、それがモラルの向上へとつながり、社会の安定を高めることにもなると、私は思っているし、望んでいる。

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2008/10/27

当たった (^_^;)

 当たったといっても、いいモノが当たったわけではない。

 伊藤ハムが汚染された地下水を使った作ったウィンナーを回収しているが、その対象となるウィンナーに “当たって” しまったのだ。

 「伊藤ハムがウィンナーの回収を始めた」 というニュースを聞いて、「あれ?俺も週末にウィンナーを買ってきたよな?」 と思って、冷蔵庫をのぞいてみると、はたして、伊藤ハムのウィンナーがそこにあった。

 さらに、伊藤ハムのホームページには、回収対象となるウィンナーが具体的に記載されていた。手元のウィンナーの銘柄や賞味期限の印字を見ると、まさしく “ビンゴ” であった。

 ホームページには 「着払いで返送して欲しい」 とあったので、翌朝にはすぐに返送した。

 「あれ?そういえば、前にも回収品を着払いで返送したことがあったな」 と思い、思い出そうとしたが思い出せない。だが、カミさんが覚えていた。コンタクトレンズ洗浄液の回収だった。

 汚染された水を使っていたことを発表して、商品の回収を行ったのは、当然と言えば当然のことだ。この問題によって、伊藤ハムが本当に (中国ではなく) 日本で商品を作っていることが確認できたのが、収穫と言えば収穫か。

 それよりも、あちこちで言われていることだが、今回の件で一番の問題は、問題の公表と商品の回収が1ヶ月も遅れたこと、だろう。

 経営責任者側が、「担当者の対応が遅れた」 と逃げに回っていることも大きな問題だろう。そのような経営者の元だからこそ、担当者が問題をすぐに報告しなかったとも取れる。

 伊藤ハム社内の空気として、「衛生上の問題が発生してはいけない」 というモノがあったのではなかろうか。

山田専務は「工場を稼働してきた約40年の間、同様の異常が報告されたことはなかった」と強調。「現場の担当者は水ではなく検査機械の異常を疑ってしまった。直後にもう一度定期検査が行われるから、その後でよいと判断してしまった」などと説明した。

という経営側の説明から、それがうかがえる。

 実際、今回返送したウィンナーと同じものを、ここ1ヶ月以内でも食べている。おそらく汚染されたものを食べていただろう。そう考えると、この経営者の無責任ぶりが、本当に腹立たしい。

 雪印乳業、白い恋人、不二家、赤福餅、といった企業や商品が、食品汚染の問題を隠そうとして、逆にいかに多くのものを失ったかを、伊藤ハムの経営陣は、理解していなかったということだろう。

 商品回収による実際の金銭的な損失、売り上げ急低下という経営上の損失、食品安全をおざなりにしているというブランドイメージの致命的なダメージ。

 伊藤ハムが支払った代償は、極めて大きいものだ。

 私は今日も買い物に行ってきた。その際に、丸大ハムのウィンナーを買ってきた。おそらく今後、伊藤ハムの商品を買うことはないだろう。実際、雪印製品は買ってないし、不二家のお菓子も買っていない。

 伊藤ハム以外のハム・ウィンナー会社が、類似の問題を隠していないことを、願うばかりである。

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2008/10/18

サイゼリヤ社長の理念、イイね

teruyastarはかく語りき
サイゼリヤがすげーw
[2008年9月14日]

 ほんとにサイゼリヤがこんなポリシーを持って経営しているのならば、こんな社長の下で働いてみてもいいかなと思えた。

 以前にも何度か書いたが、私は 『根性』 とか 『精神力』 とかが大嫌いだ。また、通常は持てる力の80%で仕事をすることを、ポリシーにしている。

 そんな私だから、

「疲れないで、楽をすればもっともっと大きくなる」

というサイゼリヤ社長の理念が、とても心地よい。

 世間一般には、『楽な仕事などない』 などといわれて、あいかわらず過労死する人が後を絶たない。サイゼリヤ社長の理念は、その逆をいっているわけである。

 実際その理念で、経営が成り立って事業が拡大しているわけだから、誰もその理念が間違っていると否定することが出来ないはずだ。

 ごまかしたり、だましたり、嘘をついたりして、楽をするのは論外だが、誰にも迷惑をかけないで楽をするならば、なんら問題ないはずだ。

 知識も能力もない人が苦労した仕事は褒められて、同じ事を知識や能力がある人が苦もなく仕上げても褒められない。たしかに、「能力の高い人ならさらに高度な仕事をすべき」 という考えもあるだろうが、同じ結果に対して評価が違ってくるのは、私個人としては納得できない。

 抽象的な説明でわかりにくければ、こんな具体例はどうだろう。

 同じ書類を作るのに、慣れた人なら1時間で出来て残業なし。他方、慣れない人が5時間かかって残業4時間。だったとする。同じ作業、同じ成果なのに、一方は残業代なし、他方は残業代4時間分。給与という評価だけを見れば、能力の低い人の方が高く評価されている。

広告・宣伝はしない
理由が面白くて「お客さんがきたら疲れるから」w
冗談で言ってるのかなと思ったけど、
どうも本気みたい。

 その昔、働いていた会社の近くに安くておいしくてボリュームのある弁当屋があった。週に3~4日は、そこの弁当を昼食にしていた。その後、1年半、私は米国にいって仕事をしていた。そして1年半後、日本に戻ってくると、その弁当屋は喫茶店に変わっていた。

 会社の同僚に話を聞いたところ、私が日本にいない間もその弁当屋は繁盛していたそうだ。ところが突然閉店することになったとか。同量が店員に閉店の理由を聞いたところ、「忙しくなりすぎたから」 だったとか。

 それを聞いた時、まだ若かった私は 「そんなバカな」 と思ったものだった。しかし、今はその 「忙しくなりすぎたからやめます」 という気持ちがなんとなくわかる。

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2008/09/28

失敗を考えなければ失敗しないわけではない

遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」
イエスマンの恐怖

 遙 洋子
  NBonline [2008年9月26日]

 遙洋子女史のコラムは、賛同できるときもあるものの、賛同できないときも多い。だが、上記のコラムに対しては、全面的に賛同できる。

 私自身、似たような記事を過去にいくつか書いている。例えば、

などだ。

 自分の記事は一つの企業、一つのチーム内での人事がハッキリしている場合の話だ。一方で、遙女史のコラムはフリーランスの立場や友人としての立場で書かれている。だが、言わんとしている本質がほとんど変わらないところを見ると、『聞きたくない話は、聞かないようにする』 という行動は、やっぱりなんにでも当てはまるということだ。

 私は自分のカミさんに、ことあるごとに

「なんで、毎回、私の意見に反対するの?」
「なんで、そんなにネガティブなの?」

と食って掛かられる。

 だが、ほとんどの場合自分に都合のいいようにしか物事をとらえようとしないカミさんの行動や予定は、私にしてみれば、危なっかしくてしょうがない。リスクマネージメントが無いに等しいからだ。

 だから私は毎回、うまくいかなかったケースを想定して、カミさんがやろうとしていることの危険性を指摘するのだが、それがカミさんには面白くないらしい。

 いつの時代からの精神論なのかは知らないが、日本では古くから 『言霊』 という考えが広く根付いている。つまり、「失敗するかもしれない」 と言ってしまうから、失敗するのだという精神論だ。

 その裏返しで、「成功することだけを考えれば、必ず成功する」 とする精神論を唱えるケースもよく目にする。

 だが、実際にそんなことはありえないわけで、成功する確率を高めたいのであれば、失敗する条件を一つでも多くつぶしていくことが必要になる。

 失敗するケースから目を背けているのであれば、恐怖に直面したときに地面の穴に首を突っ込むダチョウとなんら変わらないではないか。

 イエスマンしか近づけない人は、自分を褒め称えて、自分が正しいという意見を聞いて、根拠のない安心を得たいだけなのだと思う。自分に否定的な意見を聞くと、自分がさらに悪い方向に引っ張られていくような、やはり根拠のない、不安感を持ってしまうのだろう。

 自分の問題点に直面しても、不必要に不安になることもなく、冷静に対処出来るようになるのに必要なのは、

  • (正しく理解した) 知識
  • (失敗から得た) 経験
  • (正確な) 情報

だと、思う。

 「突き詰めれば、その人の “気質”、“性格” だよ。」 と言われてしまえば、「まぁ、そうなんだけどね。」 としか答えようがないのも事実なのが、私にとって虚しいところではある。

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2008/09/22

今度の上司はダメ上司、さあどうしよう?

西山昭彦の“企業内プロ”の行動学
上司に期待しすぎるな
“ダメ上司”が誕生するメカニズム

 西山昭彦
  NBonline [2008年9月22日]

 上記の記事に書かれていることは、私もそのとおりだと思うし、似たような上司を何人も見てきた。

企業にとって、最重要事項は「社会に貢献した結果、リターンとして得られる利益」であり、人間性の評価は二の次だ。利益を生み出さなければ、会社は存続できない。そこで、利益をもたらしてくれるならば、性格に多少の難があろうと評価は上がり、出世する。

というくだりも、そのとおりだと思う。特に会社や組織の規模が大きければ大きいほど、上司の人格は考慮されないように感じる。これは、

  • 「大企業では、社員はしょせん一つの歯車」

という感覚と無縁ではないだろう。そして、

その前提に立って、部下は、上司に期待しすぎないことだ。「自分より仕事ができるはず」「人間的にも、自分より上のはず」という考えを、頭から押しやることが肝心だ。期待するから、それが裏切られた時に失望してしまう。期待しなければ、失望しなくて済む。

というくだりは、会社と自分の折り合いを付けていく上では、極めて重要な考え方だと思う。

 「上司に期待しすぎないこと」 という部分は、私がこのブログの最初期に書いた 他人に勝手に期待をしない という持論と同じものだと思った。

 とはいえ、

 理屈と現実の点から “上司の人格” と “会社の利益” を分けて考えた方が理解しやすいけれど、さらに深く突き詰めていくと、この両者は容易に分けて考えられるものではないと思っている。

 会社の利益を生み出しているのは、結局、末端で働いている社員なのだ。その社員のモチベーションを無視して、会社の利益を論じるのはいささか乱暴だろう。

 たしかに、短期的に見れば、人格に大きな問題がある上司であっても、強権によって部下を動かし、大きな利益を上げることは出来るかもしれない。しかし、それでは中長期的に利益を上げられないことは、誰にでも容易に想像がつく。

 会社や組織は、短期的な利益もさることながら、生き物で言うところの生存本能のようなものも持ち合わせている。つまり、いかに長く生きながらえるかを考えて行動するようなところがある。官僚組織によく見られる “組織防衛” というようなものだ。

 とすれば、当然、内部を構成する社員の健全性を問題視するようになる。社員の健全性を著しく阻害する要因があれば、排除する力が働くのは、必然と言えるだろう。

 成果主義をいち早く取り入れた 富士通 が、社員のモチベーションや健全性を維持できないと判断して、いち早く成果主義の大幅修正をせざるを得なくなった、いわゆる 「富士通ショック」 は、よく知られた話だ。(参考資料 その1その2

 結局何が言いたいかと言えば、(ダメ上司に耐えられなくなって会社を辞めた私がいうのもおこがましいが、)

 当事者の視点からは、

  • 「ダメなものはダメ。期待しないで、受け流したり、うまく活用する方法を模索すべし。」

ということであり、 第三者的視点から見れば、

  • 「大多数から見て問題のある上司ならば、いずれ排除される力が働くもの。それまでは 『嵐に巻き込まれた』 とあきらめて、下手に抵抗せず、嵐が通り過ぎるのを待つのが得策。」

ということだ。

 もちろん、自分の力を信じて “独力で大海原に漕ぎ出す”(=転職・独立) という手段もある。

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2008/09/07

機能をすべて使いこなす必要はありません

 前回の記事で、メールの使い方の習熟という話を書いて、ふと思い出したことがある。

 “パソコンの習熟度” と “ワープロでのレポートの完成までにかかる時間” の相関関係を、ずっと前に自分で想像したことだ。自分がワープロを習熟したときの経験や、ユーザビリティーテストなどからの類推だ。

 なぜこんなことを考えたかと言えば、今から15年ほど前は、

  • 「ワープロを使ってレポートを書くなど時間の無駄遣い」
  • 「手書きでさっさと書き上げた方がはるかに早く書き終わる」

といったことが盛んに言われていた。

 そういったことが言われる理由があるはずだと考えて、自分なりにいろんな状況を想定して類推したのだ。

 なお、なんらかの客観的なデータに基づいたものでは 【ない】 ことを、あらかじめ強調しておきたい。あくまで私の想像であり、思い込みでしかない。

 『A4レポート1ページを完成させるまでにかかる時間』 が 『ワープロの習熟度』 によりどう変化するかを、私が勝手に想像したグラフが、下の図だ。(図をクリックすると拡大)

20080906

 縦軸も横軸も概念的な値であり、絶対値に意味はない。

 初心者から初級者にかけては、システムやワープロ、キーボード、マウスといったモノに徐々に慣れていくために、同じ作業をしているが、かかる時間は徐々に少なくなっていく。ただし、この頃のレポートは、プレーンな文字が並んでいるだけであり、決して読みやすいものにはならない。下手をすると、誤変換や変な位置での改行が放置されていて、意味不明なレポートになりかねない。

 中級者になると、習熟度が進んで基本部分は初級者よりも早く完成する。だが、ワープロやシステムの使い方がわかってくると、次はいろいろな機能を試したくなってくる。やたらと文字修飾や罫線、図といったものを多用したくなり、その結果、必要のない作業まで行い、初心者よりも時間がかかってしまうだろと想像した。この時期のレポートは、一見すると華やかに装飾されているため、立派なレポートに見える。しかし、よくよく見ると、やたらと文字の色が変えられていたり、無意味に下線や囲いがされていて、かえって読みづらくなっている可能性が高い。また、中身よりも修飾に時間がかかっているため、時間の割には内容の無いレポートになる。

 ワープロ・パソコンでのレポートが時間ばっかりかかって非効率、と言われたのは、実はこのあたりの不必要な機能を使い、やたらと修飾しまくる行動が原因なのではないかと、想像した。

 上級者まで習熟が進めば、基本的な内容はあっという間に完成をする。内容の修正もワープロなら簡単に出来るため、手書きよりもはるかに短い時間でまとまった内容が書けるだろう。さらに、読みやすい装飾を考えられるようになるのが上級者の条件だ。シンプルだが、要点や重要項目が一目でわかるように書式が変えられていて、とても読みやすいレポートになっているはずだ。

 上級者の域に達することが出来れば、おそらく 「手書きの方が早い」 といわれることもなくなるだろう。

 とはいえ、ユーザー企業に出向いていって、作業を拝見させていただく機会もあったし、ユーザー企業で使っている文書をサンプルとしてもらったこともあったが、大部分は中級者レベルで止まっているように見受けられた。

 「せっかくあるのに使わないのはもったいない」 という気持ちはわからないでもない。

 しかし、ワープロもパソコンも “手段” でしかない。ワープロやパソコンの機能を最大限に使うという “目的化” が、中級者にとどまらせているように思う。そこを乗り越えて、「必要な機能だけを効率的に使う」 ことに悟りを開けば、上級者に移行できると、私は思っている。

 多くの機能が実装されているのは、無理に使ってもらうためではない。その機能を必要としている人がいるから、実装されているのだ。それは必ずしも、あなたとは限らない。

 すべてを理解できなくても、使いこなせても、自分がやりたいことが出来るのならば、そのソフトウェアはあなたにとって充分に価値のあるモノのはずだ。

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2008/09/05

メールだけでなく、直接会話もね

再考したい「メールの功罪」
メール連絡の禁止令を出した部署、さてどうなった?

 鈴木義幸
  NBonline [2008年9月1日]

 思い起こせば、私が会社で仕事、テスターや仕様の策定、をしていた頃は、必ず話す相手の元に出向いていって直接会話することを心がけていた。どんな感じだったのか興味がある人は、こちらや、こちらを読んでいただきたい。

 上の記事の中で、

「メールのなかった時代には、『これを頼む』の1回で終わってたんですけどね。今はメールで依頼すると、いろいろ質問が来て、それに答えていると、下手したら5往復ぐらいかかる。これで時には1週間が経ってしまう」

というコメントが載っている。

 まあ、これは極端だとしても、顔を突き合わせて話をするのがやはり最も効率がよい。下手をすると、リアルタイムで会話をしているはずの電話でさえも、食い違いや理解するのにやたらと時間がかかったりする。

 こういった記事を読むと、あらためて自分がやってきた仕事のスタイルが、実は仕事を成功させる上で理に適っていたんだと確認することが出来た。実際に働いていたときは、一部の上司たちから 「人の仕事の邪魔をするな」 と叱責されたこともあった。たしかにやりすぎてた部分もあっただろうと反省はしている。

 それでも、連絡がメールだけになり、オフィスに活気がなくなり、仕事の完了までにやたらと時間がかかるようになる仕事の進め方は、やはり理に適っていないと思う。

 メールは、相手の都合をそれほど考える必要がないし、文字として残せる。場合によっては写真などの画像も送れるので、極めて有効なツールだ。しかし、万能ではないということだ。

 スポーツカーがいくら速く走れるといっても、軽自動車がいくら燃費がよくてエコだといっても、引越しのために大量の荷物を運ぶのには使えない。

 人は物理的に目に見えるものは、理解するのがとても早い。ところが、概念だったりシステムだったり、具体的なモノとしてみることが出来ないものは、理解するのに時間がかかるものだ。

 電子メールが一般に普及し始めて十年ちょっと。そろそろメールの最適な使い方を、個人も組織も理解し始まる時期に来ているのではなかろうか。

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2008/07/28

小さなミスからその裏側を想像してみる

 先週、新しいステージを公開した機動戦士ガンダム 戦場の絆” において、ちょっとした不手際があった。

 新しいステージは、今週の木曜日、7月31日からとなっている。ところが、先々週に、ケータイ用サイトに “7月24日” から新しいステージ、と発表されてしまったのだ。

 そこで私は、いろいろと推測してしまった。

 以下の内容は、あくまで私の想像であり、この内容を裏付ける事実は一切ないので、そのつもりで読んでいただきたい。

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 アーケードゲーム、戦場の絆 には、パソコン用とケータイ用の二つの公式 Web ページが用意されている。パソコン用は完全無料で、各種情報が掲載されているだけだ。他方、ケータイ用ページは、一部有料となっており、自分のキャラクタの称号を変えられたり、自分の戦績を見たりすることも出来るようになっている。

 そのことから、某巨大掲示板では、「パソコン用ページの管理とケータイ用ページの管理は、担当している部署もしくは外注先が異なっている」 といわれている。そして、私もそうではないかと思っている。

 仮に、パソコン用ページとケータイ用ページの管理会社もしくは管理部署が異なっているとする。

 新ステージは当初、あとで訂正された “24日” に開始する予定だったのではないか、と推測した。

 ところが直前になって、ゲームの元となるアニメ “機動戦士ガンダム 第08MS小隊” のストーリーにあわせたステージ変更をすることにしたのではないかと、推測した。

 アニメのストーリーでは、“砂漠” ⇒ “ヒマラヤ” ⇒ 今回の新ステージ “鉱山都市” という流れになっている。

 新ステージ公開直前になって、決定権のある人物が “気を利かせて”、通常では行わない1週間に二つのステージを挟むことを、急遽決定したのではなかったのではなかろうか。

 そのため、Web ページを担当する人にうまく伝わらず、ケータイ用ページでは、最初の決定どおりに 「24日から新ステージ」 と発表してしまったのではないか。

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と、このように想像したわけである。

 もちろん、単なる担当者の思い違い、あるいは書類の読み間違いにより、間違ったスケジュールを公開してしまっただけかもしれない。

 ただ、「今週一週間だけ二つのステージという変則スケジュール」、「ちょうど1週間前というタイミング」 を考えて、『何か特別なストーリーがあったのではないか』 といらぬ想像をしてしまった。

 実際、私が会社で働いていたときも、直前の予定変更がすべての担当者に伝わらず、物事が動き出してから、情報が周知徹底されていなかったことが露呈したことが、何度もあった。

 戦場の絆 はしょせんゲームであるし、誤って公開した情報も人命にかかわるようなものではない。いちいち、大声で騒ぐようなことではない。

 ただ、こういった小さいミスに、過去に自分が経験した失敗が重なって見えてしまい、ついこんな想像をしてしまった。

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2008/03/27

歴史ある京都は現状維持が主流

 企業経営の記事を読むと、よく

  • 会社は成長し続けなければつぶれてしまう。
  • 現状維持はすでに衰退の始まりである。

といった内容を見聞きする。実際、株価に高値がつくのは成長していたり、成長が確実に見込める企業だ。赤字は出さないが、業績も拡大しない企業の株価はそれほど高くない。

 しかし、私はどうもこの意見に素直に賛同できない。

 前日にも書いたことだが、“成長=善・正義”、“安定・現状維持=悪” といった考え方が、特に、ビジネス関係の書籍や記事に多い気がする。そして、私はどうもそれに違和感がある。

 確かに、企業を興して成功しようとする人たちにとって、自分の企業を際限なく大きくすることが成功だと考えているのだろう。別にそれが間違っていると思っているわけでも、否定しようとしているわけでもない。ただそればかりが取り上げられることに、強く違和感を感じているだけだ。

 最初の頃は順調に業績を拡大できても、ある規模まで大きくなってしまうと、なかなか思うように業績を伸ばせなくなるのはよくある話だ。それでもさらに同じペースで業績を伸ばそうとして、無理に無理を重ねるといったこともよくある話だ。

 そして、無理を重ねることで、そこでは働いている社員やその社員の家族に大きなストレスがかかり、周囲にモラルの低下を撒き散らすようになる。と、私は考えている。そしてそれを私は “心の公害” と名づけた。成長途上の企業は、たいてい社員のメンタルヘルスまでケアしていないものだ。

 そんなことを考えている私にとって、なかなか興味深い記事があった。

思索の副作用
大きいことはエライことではない
 Tech-On! [2008年3月21日]

 「父がよう言うてましたわ。立つから倒れるんや、最初から這うてたらええんやと」。こんなビジネスに関する理念は、きっと「一澤流」ではなく「京都流」なのだろう。そう感じるのは、ほかでも京都の店や会社に関して、同じようなエピソードをいくつも聞いたからである。例えばある会社では、創業者が子息に経営を譲る際に社訓を定め、これを遵守するよう求めたのだが、その中に「現在よりも会社の規模を大きくしないこと」という一条があるのだという。

 千年以上もの間、京都は日本の首都であった。政治の中心は、鎌倉や江戸にあった時代も長かったが、天皇のいる日本の中心は京都だった。だから、商売(ビジネス)の成熟度は、今の東京中心のビジネスとは比較にならないくらい高いはずだ。過去に様々な成功と失敗を繰り返した結果、行き着いた商売のやり方だと思えるからだ。

 そのやり方が、

  • 「必要以上に商売の規模を大きくしない」
  • 「目先の利益にとらわれて、商売上に付き合いを安易に変えない」

というのは、現在のビジネスモデルの主流となっている、

  • 「とにかく規模を拡大する」
  • 「海外生産、アウトソーシングなど、コスト削減のためには何でもやる」

とは、正反対だ。

 例えば、中国での生産。いまだに原因がはっきりしない “農薬入り冷凍餃子事件” で生協はどれだけダメージを受けたか。国産や安心・安全にこだわっていたはずの生協が、規模の拡大、コスト削減のために選択した中国での生産が、結局は自分の首を絞めたことになる。

 例えば、アウトソーシング。一部の企業では、アウトソーシングどころか契約社員を減らして、正社員を増やす動きがあるそうだ。理由は、ノウハウの蓄積やモチベーションの向上。コスト削減を目指して正社員を減らした結果、確かに人件費は減ったが、それ以上に売り上げや生産性が落ちたため、あわてている企業経営者も多いそうだ。

 人間、欲に流されて行動をすると、たいていは悲惨な結末がまっているものだ。

 それよりも、一時的なバブルやトレンドに惑わされることなく、自分が出来ることを出来る範囲で地道にやっていくことが、結局は幸せな人生が送れるんじゃないかと、今は思っている。

 世の中にはいろんな人がいて、「地道な生活などには価値がない。」「俺は一攫千金を狙う。」 という人たちも多い。その人たちを否定するつもりは、サラサラない。とはいえ、そういう人たちにお願いしたいことはある。それは、周りを巻き込まないでいただきたい。ただ、それだけである。

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