「英雄を必要とする国が不幸なんだ」
最近毎週 NHK が放送している 『世直しバラエティ カンゴロンゴ』 を見ている。内容が面白く、共感したり考えさせられたりすることも多い。夏川純ちゃんのかわいいチャイナ服見たさというのもあるけど。
さて、今週のお題は 『“下流志向”の君へ』 だった。最近の、なんでもあきらめた考えをする人たちの話だ。
中学生、高校生ぐらいの子供たちが、「いつか死ぬのだからなにをやっても無駄」、「勉強したところで将来役に立つとは思えない」 と考えるのはよくあること。実際私も、そんなようなことを考えていた時期があった。思春期というやつだ。
ところが、私が気になって共感できなかった部分がある。それは、「“偉くなりたい”と思う高校生が日本では少ない」、「のんびりと生活したいと思う高校生が日本では半数」 という調査報告を出して、それがさも大問題のように表現している部分だ。
テレビ番組に出ているタレント、企業を経営している人、大学で教授になるような人、さらにテレビ番組を作っている人達は、上昇志向の塊のような人がほとんどだ。そんな人たちが作る番組なので、“まったり志向” の人たちが理解できずに悪者に仕立て上げようとするのだろう。
この番組にかかわらず、ワイドショーや報道番組を見ても、日々そつなく平穏に暮らす人たちをとかく非難する傾向が見られる。
だが私には上昇志向が必ず正しいとは、どうしても思えない。
私の経験から、上昇志向の強い人が周りを巻き込んで、周りの人を混乱に落としいれたり、無用な対立をまねいたりしたのを何度も見ているからだ。強い上昇志向は、本人は幸せかもしれないが、関係した多くの人を不幸にする場合が圧倒的に多い。
もう一つ、「努力すればいつか報われる」 という現実に即さない煽りも、私には不快に感じた。
だからといって 「必ずしも報われないのだから、努力しても無駄」 などとは、私も思わない。“努力” はすべきなのだ。ただ、努力したからといって “その努力が必ず報われるとは限らない” ということを覚悟しておいてもらいたい、と思っている。
実際に私は自分の子供には、「努力をしなければ成功しない」、「だけど努力をしても自分の思い通りにならないことも多い」、「思い通りにならなくても、努力の過程で身につくものが必ずある」、「だから努力をしろ」 と教えている。「努力をすれば報われる」 などと現実には保証できないことを子供の頃からすり込まれて、1回の失敗で立ち直れなくなるような人間になって欲しくないからだ。
そんなことをモヤモヤと考えていたら、別な番組でとても共感できる話をしていた。
それは、イタリアの科学者 『ガリレオ・ガリレイ』 の生涯を戯曲にした 『ガリレイの生涯 (岩波文庫 赤 439-2)』の一説である。
弟子 「英雄のいない国は不幸だ!」
ガリレイ 「違うぞ。英雄を必要とする国が不幸なんだ。」
この短いやり取りの中に、真理の一つを見た。
前々回に書いた “オバマ氏、米国大統領に就任に思う” でも似たようなことを書いた。「ブッシュ氏が米国をめちゃめちゃにしたために、オバマ氏が選ばれた」 と。日本でも英雄待望論が強くなってきていることから、やはり日本も不幸になってきているのだろう。
そう考えれば、「食える分だけ働いて、のんびり暮らしていきたい」 と思うことは、決して非難されるようなことではないと思う。それだけ国や社会が幸せであるということでもあるのだから。
しかし、今後は日本の中高生も 「偉くなりたい」、「金持ちになりたい」 という子供達が増えてくるのではなかろうか。それは日本の(役人でもなく政治屋でもなく)国民が不幸になったことでもある。
私自身も流れを変えてくれる政治家の出現を望んでいるということは、日本が不幸になりつつあることを、ひしひしと感じていることに他ならない。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント